Nature
日記
 2016年8月〜2017年6月
過去の日記目次
2017年6月23日(金)
今週の取材
 今週は、新潟→富山→岐阜→長野…あたりをウロウロする。来春企画の取材が主な目的で、梅雨時とはいえ、週間天気予報では晴れと曇りマークが並んでいる。これは絶好のチャンスだ。遅れ気味の取材をこなせる…気合いを入れて出かけた。

 しかし、新潟の取材地2件を無事にこなし、北陸道を経由して富山県の取材対象地に行くと、あろうことか道路が落石のため通行止め。せっかくこのために高速道をすっ飛ばして来たのに、そりゃねぇだろ!! なんと8月まで通行止めが続くらしい。あーあ、まだ新緑が残っている、この時期になんとか取材したかったのになあ。まあ、仕方ない。

 翌日は、初日のような思わぬハプニングもなく、快晴で思うような写真が撮影できて満足な一日だったが、開田高原で最後の取材を終え、近くの立ち寄り湯に行くと定休日。ほかに立ち寄り湯ってあったけ? と自問自答するが、思い浮かばない。今日は風呂なしか…と諦めかけた。しかし、木曽福島に出る途中、たまたま「日帰り入浴400円」の手書き看板を見かけて、鄙びた温泉宿で汗を流せた。浴室に行くと先客が1名。でも出るところだったので、浴室を独り占めできた。

 木曽福島のセブンイレブンで夕食を購入し、少し戻って三岳の道の駅へ。周囲に緑も多い静かな場所にあり、雰囲気良好。食事を終えて、すっかり寛いだ気分になってカメラから撮影データを転送する作業の合間、念のためスマホで天気予報を確認すると、あれっ!! 明日は雨マークが並んでいるじゃないか!! 明後日は曇りだが、雑誌の色校が木曜に出て金曜に返すことになっていたので、木曜しか取材できない。たぶん訂正はないと思うので、スマホでPDFを見て返信するという方法もあるが、念のため帰ろうと思っていた。だが木曜一日のためだけに水曜丸一日、車の中で雨が上がるのを待つのもなあ。これは帰宅だな…と諦め、撮影データの転送も中断して、三岳をあとにする。

 最後に「東富士五湖道路通行止め」というオマケまで付いて、一宮御坂ICから一般道で帰宅したために自宅に着いたのは夜の10時前だった。


2017年4月11日(火)
無事、転居しました
 それにしても転居というのは、家財の移動という物理的な作業だけでなく、手続きの目白押しで、毎度毎度手間がかかる。前回の転居は2000年だったので、もはやあまり記憶にないが、改めて人生における転居は少ない方がいいと思った次第だ。

 私は比較的自由に時間を使えるので、引っ越し業者に頼んだりせず、ほとんどの家財は自分の車で運んだ。後部座席をフラットにしてブルーシートを敷き、毎日、1日数往復するのを繰り返して5日くらいで移動完了。とにかく本が多いので、その点は大変だったが、この際、不要な本や物を破棄して少しでも量を減らし、ほぼ一人で事足りた。
 最後にレンタカー会社で軽トラを借り、午前中に洗濯機などを運び、一人では運べない冷蔵庫と複合レーザープリンターだけは、午後に便利屋さんを予約して手伝ってもらった。そのため引っ越しにかかった経費は、車のガソリン代とレンタカー代、便利屋代、ほかカーペットやブラインドなどの諸々の購入費くらい。

 しかし、想定外のことも多かった。例えばテレビアンテナ。部屋にあったアンテナ線をテレビに取り付けてみたが、全然映らない。電波の状態を調べると、まるで入っていないことが判明。
 大家さんに聞くと、アンテナは基本的に住居設備には入らず、今のアンテナも大家さんが用意したものではなく、過去の住民が付けて残したものに過ぎないという。確かに不動産会社によると、集合住宅では住居設備として付いているのが普通だが、貸家では付いていないのが普通だという。
 大家さん紹介の業者に来てもらい調べてもらうと、アンテナの向きの問題ではなく、もはや使い物にならないという。新しいアンテナに取り替えてもらったところ、テレビ中継設備がある方向にちょうど二階建ての家があるために電波が遮られるらしくてチャンネルによってはまったく映らない。
 あとはアンテナポールを高くするしかないとのことで、そうしてもらったところ、ようやく映るようになった。BSアンテナは、自分で付けようとネットで購入したが、調べてみるとパラボラアンテナの向きは南南西上空の1点にピンポイントで向けなければ映らないそうで、素人には時間がかかって大変そう。なので地上波アンテナ工事のついでに業者に付けてもらった。この工事代は想定外の出費だった。

 加えてインターネットも想定外。わずか900m移動するだけなのにプロバイダーのADSLサービスエリアから外れてしまうことが判明。仕方なくサービスエリア内だった光回線を契約することに。しかし、申し込みをしてから開通工事まで最短で3週間とのことで、しばらくパソコンでのインターネットができない状態を強いられた。仕事上でネットが使えないのは痛かったが、なんとかスマホで代用した。

 諸問題が解決して、ようやく新しい生活のスタートとなった。こうして2週間生活してみた感想としては、手間がかかる転居だったが、正解だったといってよさそうだ。家賃が月2万5千円も安いのに快適度は2倍になった感じ。古っぽい外見さえ気にしなければ、床面積も増え、戸建ての快適性を実感。意外と日本家屋の造りが便利なことが多い点にも気づかされた。
 しかも、以前住んでいた人が大工さんだったらしくて、自分で(もちろん大家さんの承諾済みだろうが)、一部屋と半畳の倉庫を増築されていて、これが大変ありがたい。その部屋は本棚などを置く納戸みたいに使えるので、その分、仕事部屋が広々とした環境に。しかも車の通行が少ない静かな地区の戸建てなので、仕事をする上では大変都合がいい。
 どうも2年くらい前から空き家だったようだが、もっと早くここへ移ればよかったとさえ思うほどである。



2017年3月16日(木)
転居します
 2000年に横浜市から秦野市に移ってから、もう17年。う〜ん。考えたくもない年数だなあ(笑)。これまで私は、西日本方面の取材では広島の実家を拠点にしていたが、近年は特に年間数ヶ月を広島で生活している。こうして広島滞在の割合が徐々に増えるにつれて、つくづく考えてしまうのは、現自宅の家賃である。たとえ、どんなに不在にしても場所を占有している以上、家賃を払わなければならないのは当たり前の話ではある。でも、それってやっぱり「無駄な出費」に映る。

 以前から、この無駄なんとかならないかとずっと思っていたが、たとえいい物件が見つかったとしても、移転の労力を思うと、なかなか重い腰を上げられなかった。ところが、先月、何気なく閲覧した賃貸物件のサイトで、わずか数百メートルしか離れていない近所に格安物件を見つけた。格安といっても、深夜目覚めると見知らぬ人が枕元に立っていた…みたいないわく付き物件じゃなくて(まだ実際に住んでいないので確証はないけどね・笑)、タダ単にボロ屋というだけだが、古っぽい外見に対して中は意外にも普通。一度、リフォームされていて、十分許容範囲。現在の物件に比べて2万5千円も安いのに戸建てなのは非常に魅力的だ。

 月に2万5千円の差ということは、年間30万円の節約だ。10年なら300万円。今まで特段考えたこともなかったけど、その純然たる事実にふと思い至り、これは転居するしかない…と決定。
 なにより出版業界という、あまり将来が明るくない業界で喰っている以上、これからは何が起きるかわからないし、まあ、かといって何もかも徹底した節約過ぎる生活だとしんどいし人生もつまらなくなってしまうが、せめて無駄なことにお金を使うのは、極力やめよう…と考えた次第だ。

 今の部屋は、そこそこの築年数の割に大家さんがよく手を入れていて外見も中も十分きれいだけど、軽量鉄骨2階建て集合住宅1階というのは、上の人次第で、雲泥の差がある。今、真上の部屋に住んでいる人はとても静かな人なので助かっているが、居住者が変わる度に次に入るのはどんな人だろうかと、ちょっとハラハラするのも正直、懲り懲り。戸建てでもなんらかの問題が生じる可能性がないわけじゃないけど、少なくとも頭上からの騒音ストレスから解消されるのは間違いない。

 また今の集合住宅は、1〜2ヶ月も不在にしたあと、帰宅する時にちょっと怖いのも事実。随分前のことだが、例によって、深夜、久々に帰宅すると私の駐車区画に勝手に車を停められていたことがあり、非常に迷惑した。おそらく同じ集合住宅の人が、ずっと空いているから誰も使っていないと判断して停めたのだろうけど、帰宅したら所定の場所に車を停められないというのも大いに困る。うちの駐車場には区画以外の空きスペースもあるので、そんな状況でも1台くらいの駐車は可能だったからいいようなものの、やっぱり気分が悪い。そんなことがあったので、コンクリートプレートを買ってきて「駐車厳禁。長期間空いていても契約車あり」と赤字で書いて置いたところ、以後、迷惑駐車は一度もないが、それでも不安は消えない。しかし戸建てなら、その可能性もほぼゼロだ。

 さらに転居に合わせて個人の住民票も広島の実家に移し、これまで法人としては秦野市と広島市の両方で登記していたが、これも広島にまとめる予定。つまり個人としても法人としても表向きの住所は広島に置き、今後は、秦野市の新住所は、仕事上の仮宿ということになるが、広島と秦野を年に何度か行き来するスタイル自体に変更はない。また年によっては秦野にいる期間の方が多いことも十分ありそうだ。

 電話番号も変わるが、向こう3ヶ月間は、新番号も通知されるように手配してあるし、メールアドレスも変更ない。

 仕事関係のみなさま、プライベートの友人・知人のみなさまには、追ってメールもしくはハガキで「転居のお知らせ」をお送りします。


2017年2月25日(土)
新しいパソコン
 一応、復活はしたが、やはりちょっとおかしい点も多少あって不安が残る先代パソコンから新しいパソコンに膨大なフォルダをコピーし、各種ソフトをインストールするなどの作業を経て、ようやく先代パソコンと同様に使えるようになって約2週間。先代パソコンの時は当たり前だった「不毛な処理待ち時間」がウソのように解消。NikonD800から数百カットの重いRAWファイルを転送する時も、まるでjpegファイルのように短時間で転送がすんじゃうのは、ホントに助かる。

 ただ、パソコン自体の問題ではないが、パソコンを新調したことによる思わぬ伏兵が潜んでいた。昨日の日記を書こうとした時のことだ。これまでは、ホームページビルダーの編集画面で「日記を1日追加する」を選択すれば、新しい枠が追加され、そこに記事や写真を挿入すればよかった。ところが、同様に「追加」を選択してもエラー表示が出て何度やってもうまく行かない。過去にパソコンを新調した時も、ソフトとサイトフォルダをコピーするだけで一度も問題はなかったにも関わらず、なぜか今回はエラーになるのだ。う〜ん。どうしてだろう??? 原因はまるでわからず、いろいろやってみたが、やっぱりエラー。

 ところが、たまたま日記編集画面のリンクを貼ったネーム上にカーソルが来た時に表示されるリンク先を見て、ようやくピンときた。通常、編集画面でリンクを設定すると、ネット上のリンク先ではなく、一旦、フォルダ内のファイルを指定するために「file:///C:/Nature Log ファイル/…」と表示される。 「file:///C:/」ということは、Cドライブが指定されていることになる。だが、今、サイトフォルダを入れてあるのは別のドライブ。だからエラーになったのだろう。

 実際、Cドライブに移すと、エラーも出ずに通常通りに追加指定のダイアログボックスが出て、新しい枠を追加できた。あーやれやれ。

 新しいパソコンのCドライブは、SSDなので、パソコン自体もプログラムも断然立ち上がりが早い。ただHDDのような大容量ではないので、容量節約のためにサイトフォルダを別ドライブに入れてしまったのが、そもそものトラブルの原因だった。そういえば、これまで別のパソコンの時も全部Cドライブ。だから一度も問題はなかったわけだが、今回はCドライブじゃなかったのでエラーになってしまったわけだ。


2017年2月24日(金)
今日の一枚(13)

 実家のウメにやってきたメジロ。目と鼻の先で私がカメラを連写しても警戒もせずにウメの花に嘴を差し込み、蜜を食べていた。ウメといえばウグイスだけど、メジロもそれなりにウメに似合っているかも。それにしても動きがせわしく、カメラで追うのも一苦労だった。

2017年2月10日(金)
祝・メインパソコン復活!
 一昨日の日記に「メインパソコンがおかしくなった」と書いたばかりだというのに、昨日の夜、笑っちゃうことになぜか復活。しかも後継機をネット注文した後に(笑)。
 いや、言い訳に聞こえるかもしれないけど、本当に異常だったのは間違いない。特に昨日は何度電源を入れ直しても一度も立ち上がらず、真っ黒い画面にカーソルの矢印が出たあとは、いくら待ってもウンともスンともいわない。何度やっても同じ結果。それで、もう一度、Windows10でセーフモードにするほかの方法はないか調べてみたところ、期待できそうな方法が書かれたサイトを見つけた。

 電源を入れてWindows10のマークが出ている段階で強制終了し、これを2度繰り返すと、自動修復モードになる。私のPCの場合は、自動修復しても「修復できませんでした」というメッセージが出たが、続いて「復元モード」に切り替わり、これを選択したところ、しばらくしたのち再起動して、パスワード画面のあとに、あっさり通常の画面が立ち上がった。でも、まだ信用するわけにはいかない。これまでも、この画面までは時々立ち上がっていた。しかし、問題なく反応したのは「コンピュータ」だけで、それゆえファイルのコピーは可能だったわけだが、ほかのプログラムを起動させようとしてもフリーズするばかり。加えて、かつて別の問題に対処するために「復元」をしてみたことが何度かあるが、毎回うまくいかなかった経験もあったために半信半疑だった。

 ところが、試してみたところプログラムも問題なく立ち上がり、どうやら昨日までの状態を脱していることが判明。う〜ん。復活したのはうれしいけど、後継機を買う前ならよかったのに〜。でもまあ、確かに機能的には限界に近く、買い換え時なのはやっぱ間違いないだろう。とにかく完全に元データにアクセスできないよりもできる方が圧倒的にいいのは間違いないしな〜。たぶん、うちのメインパソコンちゃんは、別のノートパソコンから後継機を注文しているのに気づき、「このままだとスクラップにされる!」と慌てて復活したんだろうな。


2017年2月8日(水)
メインパソコンがおかしくなった
 2010年に購入して以来、毎日のように酷使してきたメインパソコンがおかしくなった。数日前、やや高負荷の作業中、簡単なテキスト入力なのに反応がワンテンポ遅れるようになり、やがてフリーズ。強制終了させたあとは5回に1回しか立ち上がらなくなってしまった。コピーは可能だったので、バックアップがとれたのはとりあえずよかった。

 普段からバックアップはしてるけど、バックアップ用としても使っていた2台目NASは、その後故障していまい、定期自動で行われるcドライブ丸ごとバックアップも消失。丸ごとバックアップは、メモリに高負荷がかかるし、時間もかかるので、「今度にしよう」と思い続けて、そのままだった。重要ファイルのバックアップだけは頻繁にしておいたので最悪の事態にはならないわけだが、それでも最新ファイル一式のコピーすらできないと、それはそれで困るところだった。

 いざという時は、セーフモードでデータを救出すればいいと楽観していた。しかし、Windows10は、以前のWindowsのようにf8キー連打でセーフモードに入れるわけではなくて、そもそもパソコンが立ち上がって「検索」機能が使えるか、「詳細オプション」画面が出ていることが前提。どちらもダメならセーフモードは使えないことが、今回調べて判明。う〜ん。これってどうなんでしょう?

 とにかくメインパソコンが使えないと仕事にも支障が出る。で、仕方なく後継機を買うことにした。今までメインパソコンはずっとバイオだったが、今回は別メーカーのBTOパソコンにした。メモリは64GB。これならデータ量がやたら重いNikonD800のRAWデータでもサクサク処理してくれそう。何らかの対処方法があるかもしれないが、さすがにそろそろ買い替え時だろうな。機能的にはもういっぱいいっぱいという感じだ。7年間、ずっと酷使してきて、ほかにも小さな問題がいろいろあったし…。

 実は、後継機から見て先々代にあたるメインパソコンはいまだに使っており(若干問題あり)、それより先に先代の方がダメになっちゃったことになる。先々代を購入したのは2004年なので、当然機能的には先代より劣るが、量販店で38万円もした上位機種だっただけのことはあるかも。まあ、仕事部屋のスペースを考えると、このまま使い続けるべきか、大いに悩むところではあるなあ。


2017年1月8日(日)
園芸JAPAN 2017年1月号


 先月発売の『園芸JAPAN 2017年1月号』(エスプレス・メディア出版)で、表紙写真や特集トップの見開き写真などにボクちん撮影のフクジュソウやミチノクフクジュソウの写真数点をご使用頂いた。雑誌の表紙写真に使って頂いたことはこれまで何度もあるが、やっぱり中よりも表紙の方がうれしさも倍増だなぁ〜。ご使用ありがとうございます!
 ちなみに表紙の写真は、昨年春、実家の広島から出かけて行って三重県いなべ市の藤原岳で撮影したフクジュソウである。全体的にはベストシーズンよりわずかに遅かった感もあるが、写真の株など、まだ見事な株が点々とあって助かった。もう少し遅いと、無駄になるところだった。

 中身は、お馴染みの進化生物学研究所所長・湯浅浩史先生による「福寿草の来歴」やヤブツバキとユキバタツバキに関する記事など、興味深い話題も充実している。ご興味がある方は(アマゾンリンク)→こちら


2017年1月1日(日)
あけましておめでとうございます
2016年12月23日(金)
自由意志は幻想か
 先月上旬に再放送されたNHKEテレ「モーガン・フリーマン 時空を超えて」の「運命か? 自由意志か?」の録画を見たが、思わず唸ってしまうような内容だった。

 私たちの運命はあらかじめ決められているのか、それとも自らの自由意志によって決めているのか。過去何千年も論争が続き、今も答えは出ていないし、もしかすると永遠に答えは出ないのかもしれないが、番組の内容は衝撃的なものだった。

 ドイツ在住の神経科学者は、被験者にCTスキャンに入ってもらい、脳内をスキャンしながら次のような実験をした。被験者の目の前にあるスクリーンにいくつかの文字がランダムに現れ、被験者は自分が決めた好きな時に両手に持ったボタンのどちらかを押す。左右のうち、どちらのボタンを押すかは自由で、ボタンを押そうと決めたタイミングと実際にボタンを押したタイミングの両方が記録される。また被験者は、ボタンを押すと決めた時にスクリーンにどの文字が出ていたかを実験者に伝え、一方、実験者も被験者がボタンを押すと決めた瞬間にスクリーンに出ていた文字を記録して、脳内の反応と実際の行動の相互を確認する。

 この実験の結果、被験者は、実際にボタンを押す1秒前に押そうと決めていたことがわかった。ところが、それよりもずっと前に無意識の決定が下されていたこともわかったというのだ。

 ボタンを押すと決めた時、被験者は自らの自由意志でそれを決めたものと思い込んでいるが、実際にはそれよりも前に無意識の決定が下されていた。つまり自らの自由意志で決定を下しているという考え方は幻想であり、脳の活動によってすでにプログラムされていて、私たちがどんな決定を下すかは、私たちが意識する前にすでに決まっているかもしれないことになる。同じことが人生における重大な決断にも当てはまるのか、実験で検証するのは困難だが、この神経科学者は、「自分で何かを決めたつもりでも、すでに無意識が決めたことをそのまま実行しているだけであり、自分の行動を確かにコントロールはしているが、極めて限定されたものに過ぎない」という考えに至ったという。

 一方、別の考え方をする科学者もたくさんいる。自由意志が宇宙の基本構造に組み込まれていると考えるアメリカの物理学者は、量子力学的レベルも含めて、あらゆる出来事は原因と結果だけが決まっているが、その中間は不確定であり、通常の因果関係に反して未来が過去に影響することもある。ここに自由意志が入り込む余地がある…と。

 さらにニュージーランドの物理学者は、なぜ私たちの社会では、金融市場で暴落が起きたり戦争が起きたりするのか疑問に思い研究を始めた。彼は、一見、混沌とした鳥の動きにもパターンがあり、それは人間にも当てはまることに気づき、さらにイラクのような場所で発生する戦闘行動の数と規模の間に明確な数学的な関係があり、戦闘が起こるタイミングや規模を正確に予測てきるようになったという。つまり混沌に見える人間社会にもパターンがあって、それを予測することで、未来をよりよい方向に変えることが可能かもしれないと主張する。

 またノーベル物理学賞受賞者でもあるオランダの物理学者が唱える仮説も興味深い。宇宙という巨大なスケールで見ると混沌な世界に見えるが、現在知られている最小単位である量子の層よりもさらに下には、あらゆる存在の根底をなすプランクスケールという層があり、この層はコンピュータと同じく二進法に近い世界であるため、すべての出来事が予測可能になるという。つまり、宇宙とは巨大なコンピュータのようなものであり、宇宙は私たちの運命をコントロールしている…と。

 運命ですべてが決まっている…という仮説の正否如何に関わらず、この考え方が広まると人々の倫理観を損ねるだろうことは想像に難くないが、それも実際に実験で証明されているそうだ。
 番組の最後に登場したアメリカの神経科学者は、次のようにいう。「人間にとって未知の世界がまだ大きく広がっている以上、自由意志のように基本的な存在をそう簡単に否定すべきではないと思います。無理に結論を出さず人々が信じるのに任せた方がいい。自由意志を信じることは人間にとって大きな価値があるからです」と。
 これが、とりあえずの結論なのは間違いなさそうだ。確かにもし運命ですべてが決まっているという考え方が間違っていた場合、自由意志を否定した結果、破滅的な未来が待っているかもしれないことを考えれば、これは当然だろう。

 それにしても内容が濃すぎて、一度の視聴だけでは十分理解できず、2度3度繰り返し見て、なんとか理解した。


2016年12月8日(木)
ピコットさん
 最近、話題のピコ太郎。ピコ…といえば、ボクちんの頭の中にまず最初に浮かんでくるのは、やっぱ「ピコットさん」なんだけどな。えっ!! チミたちは、ピコットさん知らないの? ピコットさんといえば…

  ♪ ピコットさんが
  ピコットさんが やってくる
  僕が上着のボタンをはめると
  ピコピコピコッと
  ピコットさんが やってくる

  ♪ ピコットさんが
  ピコットさんが やってくる
  ママがコップにジュースをつぐと
  ピコピコピコッと
  ピコットさんが やってくる

  ♪ ピコットさんが
  ピコットさんが やってくる
  パパと大きなソファに座ると
  ピコピコピコッと
  ピコットさんが やってくる


 …あのピコットさんなんだけど。やっぱ知らない? ボクちんが子供の頃に歌われていたのは覚えているが、今回改めて検索して、実は昭和30年代のNHK「おかあさんといっしょ」で使われた歌らしいことが判明。しかもピコットさんとは、赤い三角帽子を被った妖精らしい。へえ〜そうなんだ。
 
 でも妖精のピコットさんが頻繁に家にやってくるって、一見、メルヘンチックでありながら、考えてみればちょっと迷惑な話じゃないか。だってさぁ、ピコットさんは、僕が上着のボタンをはめたり、ママがコップにジュースをつぐだけで、一家の都合や予定なんか一切無視してアポなしでピコピコピコッとやってくるんだぞ! のどかなメロディにうっかり誤魔化されそうだが、ピコットさんがしてることってマナー違反。

 コラッ!! 妖精だから何しても許されると思ってたら大間違い。よそのおうちにお邪魔するときは、事前にアポとらなきゃね。あ、妖精に説教したのって生まれて初めてかも〜(笑)。


2016年10月30日(日)
今日の一枚(12)

 実家・菜園のハヤトウリに吸蜜に訪れたキイロスズメバチ。危険な昆虫には違いないが、巣に不用意に近づかなければ、むやみに攻撃してくることはない。訪花時に近くから撮影しても、まったく知らんぷりだ。マクロレンズで接写すると、身体には花粉がたくさん付いていて、ハヤトウリの受粉にかなり貢献してくれていることも伺える。花が少ない秋だけにハヤトウリの花は貴重な蜜源なのだろう。いつ見ても、キイロスズメバチ数匹が、その周囲を舞っている。

2016年10月28日(金)
県北から奥出雲へ
 先日は、両親と秋を求めて県北から奥出雲へ抜ける、いつものルートを一巡してきた。ただ、今回は久しぶりに道後山に寄り道。山には登っていないが、月見ヶ丘の駐車場まで入ると、平日にも関わらず7〜8台の車が停まっていた。月見ヶ丘はススキが覆い、見上げる道後山も少しばかり色付いて秋の風情。付近を散策中にも車が2、3台やってきて、みなさん、登山が目的のようだった。
 その後、三井野原の売店で山積みにして売っていた今朝収穫したばかりのキャベツと仁田米を購入。
 仁田米というのは、島根県奥出雲町で収穫されるコシヒカリのことで、西日本で唯一「食味ランキング特A」を獲得し、「東の魚沼、西の仁田」といわれるほどのブランド米。東日本では、新潟県魚沼産コシヒカリのネームバリューが圧倒的なので、仁田米はほとんど知られていないが、広島市中心部には「仁田米」を看板に掲げるおにぎり専門店もある。我が家のご飯は、近年ずっと仁田米だが、確かにうまい。例年同様、現地で玄米30キロを購入。ネット通販ではかなりの高額で販売されているが、奥出雲町内で買えばそれほど高くもない。
 町内のそば屋で昼食。近くには、行きつけのそば屋もあるが、今回は違う店に行ってみたところ、こちらもおいしかった。雲南市へ抜け、開通したてで無料開放中の松江自動車道で三次に戻り、三次でも何件か立ち寄りしてから中国道で帰途に就く。

2016年10月22日(土)
訃報
 20日の朝日新聞に京都大学名誉教授・河野昭一先生の訃報が載っていた。かつて出版社に勤務していた際、先生が監修されるシリーズ本の担当になった。ある時は、当時お住まいだった京都のご自宅近くまで原稿を頂戴しに伺ったこともある。バス停で先生と待ち合わせ、近くの喫茶店で原稿と写真を頂いた。帰る際、バス停まで見送って下さり、ご専門の植物学に関して「俺が徹底的に鍛えてやる」とのお言葉に胸が熱くなったことも思い出される。
 その後、フリーという立場になり、各地の自然環境や自然保護について調べる機会も増えたが、資料の中で先生のお名前に触れることも多く、先生の業績のすごさを改めて実感したものである。
 河野先生。その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。機会があれば、日本の自然環境に関してご意見を伺いたかったです。それが叶わずに残念です。合掌。

 
2016年10月12日(水)
新潟
 先月下旬から新潟県内をあちこち取材してまわる。今月初旬にはフェリーで佐渡島へ渡り、前回の取材時には行けなかった島の西部や北部にも足をのばしてきた。海沿い集落の家屋は、その多くが板張りで素朴な雰囲気があり、青い海に似合っていた。また島の北端に並ぶ巨岩・大野亀と二ツ亀も一度見たかったので、ちょうどいい機会に。

 そんな佐渡島の未舗装林道を走行中、車の下からシャアシャア…という異音が。ちょうど離島直前のことで、フェリーの出港時間を気にしながら走っている最中だった。たぶん木の枝でも引っかかっているのだろう…そう思って車を停めて下を覗き込んで…「えっ! なんだこりゃ」。

 一瞬、何か理解できなかった。そこに見えたものは、枝ではなく、どう見ても人工的なU字状の物体。どうやら車体底部に、おそらくほかの部品のプロテクターとして取り付けられていた幅20センチ・長さ1メートルくらいの板状部品の片側が外れ、走行中の反動で末端が路面に接するようにぐねっとU字状に曲がってしまったようだった。つまり、それほど薄くもない板状部品が無理に曲げられている状況なので、手で元に戻すことは無理。しかも、右半分が完全に外れているので、取り付け直すことが不可能なのも、見てすぐに理解できた。

 いや〜困ったぞ。予約した帰路のフェリーは、一度、便を変更してもらっているので、また変更するのも依頼しずらい。時間はまだ多少余裕はあったが、片付けなければならない取材も少し残っていたので、あまりのんびりもしてられない。このままでもフェリー乗船は可能だが、やはりその前になんとかしたい。

 路面に寝っ転がるようにして手をのばし、その板状部品を触ってみると、どうも樹脂製のようだ。厚さは5ミリはありそうだが、樹脂製ならハサミで切れるかも。いつも車に積んであるハサミを取り出し、手をめいっばいにのばして切ってみた。予想通り、かなり硬い。でも、力を入れてギコギコすると、なんとか外れている部分を切断できた! あ〜よかった。切断した樹脂部品を見ると、泥で汚れ、部分的に亀裂も入り、苛酷な走行環境を体現していた。4輪駆動車で車高が少し高いこともあり、車体底部を石などに当てたことはほとんどないが、取り付けられていた樹脂板の片側が外れてしまうということは、運転席にいるだけでは気づかない負荷が、知らぬうちにじわじわとかかっていたのは間違いないだろう。



佐渡島で急遽、ハサミで切断した樹脂板。泥に汚れ、大きな亀裂まで入っていた。左端が切断した部分。ここだけ幅が狭いので助かった。帰宅後、自宅駐車場で撮影。


佐渡島の白雲台から望む両津湾と加茂湖。


島の西部、県道45号沿いで見かけた集落。板張りの家屋が並ぶ様子は、のどかで落ち着いていて、どこか懐かしい雰囲気。


ミシュランガイドで二つ星を獲得している大野亀(左)が間近に迫ってきた。付近の海岸に広がる風衝草原は、どことなく北海道のそれを彷彿とさせる。


帰路のフェリー。オフシーズンということもあって、航走車両は多くはなかった。


まだ新しい船で、中はホテルのようにきれいな内装。2等客室以外にも、廊下にテーブルと椅子があったりして快適だった。しかも車両甲板と客室はエスカレーターで結ばれていた。


白い噴気を上げる頸城山塊の活火山・焼山。


帰路の中央自動車道河口湖線で見かけた蒲団のような雲を被った富士山。


2016年9月11日(日)
広島カープ優勝!!
 熱烈なカープファンじゃないけど、やはりカープのリーグ優勝はうれしいね。今年は試合のテレビ中継をよく見たし、中継がない時も結果が気になった。広島県内の経済効果も相当なものだろう。
 特に昨夜の対戦相手は、金に物をいわせて他球団の主力選手を引き抜き、日本のプロ野球をつまらなくした某金満球団相手だっただけに余計に爽快だったね。

 今朝の朝日新聞には、緒方監督の記事が載っていた。現役の時にカープの3倍もの年俸を提示されて、その某球団から誘いがあったという。しかし、「優勝して、一番うれしいのはカープだから」という理由で残る選択をしたそうだ。
 どういう人生の選択をするかは人それぞれ。お金につられて移籍した選手も批判はできない。しかし超高額年俸の大リーグからカープに戻って来た黒田選手もそうだけど、「お金じゃないものを優先させる」その姿勢から、本来はあまりよく見えない選手の人間性まで見えてくる。黒田選手も「男気」という言葉で絶賛されていたが、こういう選択ができる人によってカープは支えられ、それがカープファンの心を打つのだろう。


2016年8月2日(火)
最近のアクセス状況
 ここ3ヶ月の本サイトのアクセス傾向(平均値)。2年前に本項でアクセス数の多いページについて書いたけど、その後の状況は以下の通り。


   2014年夏

 植物記…約8000件/月
 山岳記…約2000件/月
 動物記…約3000件/月
 山岳奇譚…約5000件/月
 作る…約1000件/月
  2016年夏

植物記…約11500件/月
山岳記…約3000件/月
動物記…約4250件/月
山岳奇譚…約4000件/月
作る…約1500件/月

  それぞれページが増えているので、アクセスが増えるのも当然といえば当然な話。季節変動はあるにしろ、年単位で見ると全体的に増加傾向にあり、更新を続けている限り、この傾向は続くものと思われる。
 山岳奇譚だけアクセスが減っているけど、かなり長い間、新規ページを追加していない割には高い数字を維持しているといえそうだ。
 ちなみに2年前の記事でオバケページとして紹介した「動物記・動物注意標識」は今でも断トツ1位。2年前は月に1000件だったが、最近はさらに増えて月に1800件もアクセスがある。



■最近、特にアクセスが増えているのは…

 植物記・キレンゲショウマ
 植物記・ニッコウキスゲ
 植物記・オニゼンマイ
 植物記・ミスミソウとオオミスミソウ
 植物記・サルオガセ
 植物記・星状毛
 動物記・ニホンオオカミ
 山岳記・避難小屋
 山岳記・山の歌 いつかある日
 山岳記・熊撃退スプレーの処分方法
 犬連れ登山を考える
 山岳奇譚・大雪山に残された謎の「SOS」
 作る・折りたたみ拡張天板



 謎なのは植物記・オニゼンマイ。シダ類なので目立つ植物ではないし、写真も1点しか載せていない。なのになぜか以前からアクセスが多い。山岳奇譚・大雪山に残された謎の「SOS」は、つい先日、この27年前の一件がテレビ番組で取り上げられた関係でわずか数日のうちに1100件もアクセスがあった。そもそも番組の元ネタになっている可能性も十分ありそうだが、番組ではさらに独自に調べて私の知らない情報も取り上げていた。先日も別の番組の制作会社から本サイトの写真を使いたい…とのメールを頂く。まあ、ホントにネットの力って、なかなかスゴイものがある…。








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