Nature
日記
 2011年8月〜2012年8月
過去の日記目次
2012年7月30日(月)
先週の取材で撮影したチョウ

ホザキシモツケの花で吸蜜するウラギンスジヒョウモン。栃木県日光市・戦場ヶ原にて。ヒョウモンチョウのなかまって同定が難しくて困っちゃうのだが、専門的な蝶類図鑑でなんとか。たぶん、合ってると思う。あ、翅の裏面も別カットの写真で確認したよ。それから6月24日の日記に載せたチョウの写真、今回、詳しい図鑑で再チェックしたら、カラスアゲハじゃなくて、ミヤマカラスアゲハだったみたいだ。訂正しておきたい


ササユリにやってきたアサギマダラ。岐阜県中津川市/長野県阿智村・富士見台高原にて


尾瀬で見かけたセセリチョウのなかま。セセリチョウの中で名前を唯一知っているのはイチモンジセセリだけ。でも翅に白紋はないし、図鑑見ても不明なので同定は諦めた。花はノアザミ

2012年7月28日(土)
ある希少植物の探索
 今週は、火、水曜で栃木と群馬をまわり、木曜は長野へ。気持ちのいい快晴だったが、その分暑くて汗を絞りとられる。でも、なんとか予定の取材を終え、希少植物の探索のため、某湿原に向かう。
 とりあえず、その植物をA、Aの母種をBとでも呼んでおこう。Bは比較的よく目にする種類だが、その変種にあたるAはわずか2ヶ所しか自生地の報告がなく、推定個体数はたったの数十株という絶滅危惧TA類に分類される超希少植物である。植物園に植栽されていることもあるため、ネット検索すると写真を見ることは可能だが、出版物も含めて確実に自生品を撮影したと思われる写真にお目にかかったことはない。その自生地には、以前にも二度足を運び、いずれも発見には至らなかったのだが、久しぶりに再訪することに。もう一方の自生地よりも標高が低いので花期の推定が難しく、前回6月下旬という推定はあながち間違ってはいないとも思うのだが、『植物誌』記述の「花期7〜8月」を参考に念のため1ヶ月遅らせてみたのだ。

 日が西に傾く頃、車で未舗装林道に進入し、湿原に向けて歩き出す。一般にはほとんど知られていない湿原なので道標の類は一切なく、十数年ぶりということもあって少し迷ったが、すぐに目的地にたどり着いた。双眼鏡で湿原をくまなく探索。…しかし、それらしい花はない。花があれば一発で目につくはずだが、近い種類のありきたりの花が数個あるくらいで、肝心のAらしき花はない。うーん、やはりないか。湿原の遷移によって自然消滅したのか、それとも盗掘か。3連敗だな。と、諦めかけた時のこと、ふと湿原の一角に蕾状態の株がたった1本あるのに気がついた。あれ!? これはひょっとしてひょっとするかも!! と俄然モチベーションが上昇。だが、蕾の段階では同定は不可能。どうしよう。金曜日は岐阜県へ移動する予定だったが、そのあとで再度立ち寄るしかない。多少の予定は変更してでも、この蕾が何であるか確認しないわけにはいかない。

 岐阜県での取材中も、そのことが気になって仕方ない。早く花が見たい。本当にAだったら、滅茶苦茶うれしいのだが、確信はほとんどない。岐阜県での取材を終え、高速で一路長野へ戻り、再びその湿原へ。ハラハラドキドキ。今日はずっと快晴だったから、この気温なら、おそらく一気に開花しているだろう。ようやく湿原に到着して双眼鏡を覗いてみると…。あ〜。な、なんとAじゃなくて、ありきたりの近い種類の花だった。ガクッ。くそ暑い日に汗をダラダラ流しながら無風状態の森の中にある湿原まで二日続けて足を運んだのに結局4連敗。もしかすると本当にないのかもしれない。前回6月下旬に訪れたときは、肉眼でざっと見ただけだったので、見落とした可能性もあることはあるのだが…。

 Aに関する情報は極めて少ないが、ごく段片的に、しかも植物関連ではない資料に唐突に触れられていることもある。おそらくその人もこの湿原でAを見ていると思われ、またより詳しい状況を書いている資料もあるので、ある時期までは確実にあったことは間違いないだろう。ただ、私が何度か訪れたここ十年くらいの現状は不明である。


2012年7月21日(土)
最近のニュースで感じたこと
世界的クライマー那智の滝に登る

 甲府市西高橋町の会社員で世界的アルパインクライマーでもある佐藤裕介(32)が、登山仲間の東京都国分寺市東元町の会社員・大西良治(35)と愛知県春日井市上田楽町の団体職員・宮城公博(28)とともに熊野那智大社の御神体でもある那智の滝に登ったとして警察に逮捕されたとの報道があった。最初は「川を遡上してたどり着いた」と言い訳していたそうだが、追及されると「入ってはいけないことは知っていたが、日本一の滝に登りたかった」と容疑を認めたという。それにしても…なんなんだろうね。この幼稚な言動。これで「世界的クライマー」っていえるのかね? 技術だけは優れているけど、頭はカラッポであることを自ら証明してみせたとしかいえない。

 野口健氏が、プロとして活動してきたのであれば真っ先に熊野那智大社に出向き謝罪すること、次に釈明の記者会見をすべきだと佐藤を批判しているそうだ。前者は確かにその通りだと思うけど、野口さん、後者は釈明の会見じゃなくて、那智の滝を敬う地元の人や全国の信者に対する謝罪会見では? 釈明の余地はまったくないだろ(記事を書いた記者の間違いかもしれんが)。さらにいえば佐藤が受賞したという世界の最も優れたクライマーに贈られる「ピオレ・ドール(金のピッケル)」賞も自ら「賞に泥を塗った」として返却すべきである。
 でも社会人としての体をなしていない幼稚な人物に果たして、そういうことができるのか疑問だけどね。まあねぇ、アウトドア系の著名人には栄養分が筋肉にしかいってないみたいな、オツムが緩い人って割とよくいるんで、別に驚かないけどさ。こういうアホって表面化していないだけで、結構ウヨウヨいるんだよな。

 昨年、紀伊半島は台風の直撃を受け、熊野那智大社も土砂で一部埋まるなどの被害が出たばかりである。私は12月に那智の滝周辺を取材でまわったが、濁流で押し流されて傾いた民家が道沿いにあったり、道路にも台風の爪痕が生々しく残っていた。取材した地元の人も「台風の被害と、それによる観光客の減少で二重の被害です」と嘆いておられたのが印象に残っている。ただでさえ許されない行為だが、佐藤は「たとえ禁止でも自分が登りたいから登る」という超自己チューな考えで、そんな台風の被害に苦しんでいる人たちの心に土足で踏み込むような行為をしたわけである。こういう人物に、いくら逮捕された理由が軽犯罪法違反という比較的軽い罪とはいえ、犯罪者に対して「さん付け」で報道するメディアもアホじゃないかって思うね。同罪でも一般人なら「○○容疑者」となるが、著名人なら「さん付け」なのかよ。

 この報道を受けてアウトドア用品ブランド「THE NORTH FACE」がスポンサーとして佐藤との契約を即時解除したそうだが、当然だろう。いくらクライマーとして将来性があるからといっても、こんな人物を応援する気にはまったくならないし、今後、このゴミをまっとうなクライマーであるかのように取り上げる雑誌があったら、その雑誌は買わないし、契約するスポンサーがあったら、そのスポンサーの商品も買わないと宣言しておきたい。


2012年7月20日(金)
暑中お見舞い申し上げます
2012年7月19日(木)
富士・伊豆へ
 火曜日は日帰りで富士・伊豆方面に行ってきた。先週の取材の疲れがまだ残っていて、月曜夜の段階ではそのつもりはなかったのだが、6時前に目が覚めて外を見ると雲ひとつない快晴ではないか。「これは行くしかない!」と自分にいい聞かせながら慌てて準備した。というのもモタモタしてたら富士山のマイカー規制も始まるし(すでに土・日曜、祝日は始まっている)、夏休みに入ると混雑して取材効率が悪くなることも懸念された。しかも富士山は天気が悪いとガスっちゃう可能性が高いので、撮影条件としてもなるべく快晴の方がいい。そんなわけで自宅を出て、一路車を西へ走らせる。山麓まで1時間ちょっとで到着。

 私にとって富士山の静岡県側って、これまで一度もアクセスしたことがない場所。実は須走口につづく「ふじあざみライン」の入口がある国道138号は、自宅から山梨・長野方面に抜けるときに必ず利用するルートなのだが、そこから一歩先に入ったことはなく、今回初めて進入することになった。
 晴れ渡った青空のもと前方には富士山が見え、梅雨時にこれほどの登山日和も珍しい。平日とはいえ、連休翌日ということもあるのだろう。登山口の駐車場は9割近く埋まっていた。このあと、御殿場口と富士宮口にも足をのばしたが、当然のことながら富士宮口が一番混雑していた。

 午前中に富士山の取材を終え、伊豆へ移動。西伊豆スカイラインは、以前にも何度か通ったことはあるが、夏に訪れたのは初めて。緑溢れる稜線伝いの道は、さすがに爽快感にあふれていた。
 この日の取材で、東海3県の取材がすべて完了。最後になった伊豆・皮子平登山口の取材を終え、計19日もかかった取材が無事に終わったことに安堵し、故障もなく悪路を走り抜いてくれた車にもねぎらいの言葉をかけずにはいられなかった。いや〜、それにしても東海3県も大変だったな。



富士山スカイライン・水ヶ塚公園から望む富士山。宝永火口の巨大さが際立つ


西伊豆スカイラインは、夏の平日ということもあって交通量はほとんどなし。爽快なスカイラインが続く



西伊豆スカイラインでは雲に隠れ気味だった富士山も仁科峠に着く頃には少し顔を出した。

2012年7月15日(日)
長野・静岡・愛知へ
 先週も4日間、あちこちまわってきた。2日目は、静岡県北部へ足をのばす。まず南アルプス南部の代表的登山口、畑薙第1ダムへ。地図を見ても細い線がうねうねと山間に続いており、ガソリンを満タンにして臨んだ。登山関連の地名としてはよく聞く場所だが、静岡市側から井川ダムを経由するルートを実走すると狭いつづら折の県道が延々と続き、とにかくウンザリするほど遠い。しかも通行止の県道もあって余計に時間がかかった。
 畑薙第1ダムは登山基地のような様相はまったくなく、ダムと駐車場以外は何もない。一般車が行ける最奥の東俣林道入口にはゲートがあって、管理のおじさんが一人常駐しているだけだった。そのおじさんからいろいろなことを教えてもらったが、中には驚く話もあった。簡単にいうと要は盗掘の実態なのだが、その件はまた別の機会にしよう。通行車両なんかほとんどなさそうだが、話を聞いていた20分くらいの間に中部電力や消防関係の車両が何度も出入りしていた。

 このあと井川ダムから接岨峡(せっそきょう)へ抜けようとしたが、市道が通行止だったため、一旦山麓へ下って大きく迂回するハメに。続いて南赤石林道と蕎麦粒山林道を経由して南アルプス深南部・山犬ノ段へ。今でこそ林道がのびて簡単に行けるようになったが、昔はニホンオオカミが群れをなしていたと伝えられる深山中の深山だった場所である。実はかなり前に山犬ノ段を起点に蕎麦粒山などを歩いたことがあり、今回は2度目の訪問なのだが、前回は日没後の林道途中でやっかいな事態に陥った因縁の場所でもある。そのため意を決して林道に進入したが、悪路に違いはないものの路面状況は少し改善しており、前の車よりも車高が高いこともあって何の問題もなくあっさり山犬ノ段に到着した。予想に反して登山者の車は一台も停まっておらず、誰もいない。ただミンミンゼミの大合唱だけが周囲に響き渡っていた。

 その後も静岡と愛知を巡り、名古屋の出版社にも立ち寄る。木曜日の夕方、愛知県内の取材予定地すべてが終了し、帰途に就いた。



畑薙第1ダム奥の東俣林道入口。南アルプス南部の玄関口である。


山犬ノ段で鳴いていたミンミンゼミ。ニイニイゼミじゃないよ〜間違えないでね


静岡県の夜の県道を走行中、私の車に驚いて逃げ惑う動物。車で近づいたときはこちら側を向いていたのだが、何の動物かわからなかった。大きさは小型犬くらいだが、犬ではなかった。またタヌキ、キツネ、ノウサギ、イノシシ、アナグマのいずれにも見えなかったが、疥癬症に罹って身体の毛が半分程度抜けたタヌキだったとしたらあり得るかもしれない。前々回の日記でも書いた謎の動物といい、パッと見、何かわからない動物と連続遭遇したことになるな。


愛知県田原市の湿地に咲くミズギクとベニシジミ

2012年7月7日(土)
最近のニュースで感じたこと
ミキハウス社長の発言に対する批判について

 子供服メーカーのミキハウスの社長が、雑誌のインタビューで「交通事故では過去50年で100万人以上が亡くなっており、原発事故ではそんなに亡くなっていない。橋下市長は目立ちたいだけ。経営者に首をくくれというのか」と発言して、ネットで批判されているという。私が以前、本サイトで「今のところ一人も死んでいない原発を異常に恐れる一方で、年間5000人も死んでいる車をなぜ怖がらないのか」という自分のことも含めての疑問にも通じる内容であり、今日はこの話を取り上げてみたい。
 原発問題に神経質になっている母親が顧客という子供服メーカーの社長という立場としては、やや慎重さに欠ける発言ではあるし、私は橋下市長が目立ちたいために発言しているとも思わないが、最も重大な要素である死者数から両者を比較した上での発言であり、そんなにおかしなことはいっていない。
 これに対する批判として、ネット記事が取り上げていた意見を読んで、私は目眩がしそうになった。いくつか挙げられていた意見の中で、唯一反論として納得できたのは「一歩間違えば国土の半分が失われることもあり得たのに」という意見だけである。あとは、単なる非論理的な感情論に過ぎず、こういう意見を堂々と主張する人たちが反原発を唱えているようだから、反原発の理論武装もショボく見えるのだろう。
 それぞれの意見とそれに対して私の反論を書いてみたい。
 
意見1「それとこれとは違うでしょ」
→何がどう違うのか、ぜひ説明してほしい。きちんと根拠を書かないのなら意見をいっていないのと同じですよ。

意見2「はて? この50年で一商業施設の事故で8万人以上避難したことあったっけ?」
→つまり、100万人以上が亡くなることよりも8万人以上が避難することの方が問題としては大きいとでも? しかも交通事故死者数は原発事故と違って今後も確実に累積していく。原発事故も放射線の影響で将来的には死者が出るかもしれないが、その件についていえば現段階ではっきりしたことはいえない。また交通事故は即死、もしくは短時間で死に至ることもあるが、原発事故では放射線の影響があったとしても、よほどの大量被曝でもしない限り短時間で死に至ることはない。

意見3「交通事故で立入禁止区域は出来たのかなぁ?1人(企業)で100万人事故死させた人なんているの?」
→100万人以上が亡くなることよりも立入禁止区域ができることの方が問題としては大きいとでも? 東電は間接的な自殺者を作り出した責任はあるが、まだ放射線被曝による死者は出していないのは明らかな事実。将来、原発事故が原因で亡くなる人が出る可能性がないとはいわないが、それが100万人以上になる可能性はほぼゼロに等しい。

意見4「自動車事故は避けられる。原発による放射能は避けることができない」
→上の二意見と同じだが、これらの意見に共通するのは原発事故にあって交通事故にない問題点を提示しているに過ぎないということだ。どちらがより問題として大きいということをいうためには、両者が持つマイナス面すべてを洗い出して徹底的に比較しないと本当のところは何ともいえないはず。しかし、原発問題をより重大な問題にしたいという私情に引っ張られていることを客観的に認識できていないから、こういう意見が平然と飛び出してくるわけである。あくまで重要なのは、両者それぞれのリスクの「比較」なのだ。彼らは、そこをまるで理解していないし、こういう意見がなんとなく正しく聞こえちゃって、さも一理ある意見であるかのように記事として取り上げる記者も、メディアに籍を置く立場としてどうなんだろうね。

 わかりやすくいうと次のようになる。あくまで仮定の話だが、交通事故と原発事故、それぞれのリスクに対する評価をしたところ、以下のような結果になったとしよう。リスク評価は仮に5段階として、数字が大きくなるに従い、問題として大きい意味になるという前提で仮定の表を見てほしい。


 交通事故のリスク  原発事故のリスク
 問題点A 評価5点  問題点A 評価3点
 問題点B 評価4点  問題点B 評価1点
   問題点C 評価1点
   問題点D 評価1点

 彼らがいっているのは、それぞれの問題点に対する評価なんかそっちのけで、原発事故には交通事故にはない問題点CとDがあるじゃないか→だから原発事故は交通事故よりも重大である、というお粗末な論法に過ぎない。でも各問題点の評価が、もしこの表のような結果になったとしたら、全体としての評価は交通事故が9点に対して、原発事故は6点で、リスクとしては交通事故の方が大きいことになる。私がいいたいのは、原発事故を過小評価したいわけではなくて、各問題点をそれぞれ評価した上で両者を比較しないと何ともいえないということなのだ。ここで取り上げた意見には、そういう視点が完全に欠落している。

 ちなみに交通事故は、自分に一切過失がなくても場合によっては避けられないこともある。そもそも避けられないから死者が出るのでは? 最近連続した暴走車による事故も避けられるのなら誰も死なずに済んだはず。一方、原発の放射線はその影響がない場所へ避難すれば、避けることも可能だ。つまり交通事故も原発事故も避けられる場合もあれば避けられない場合もあって、そういう意味においてはどちらも同じなのだ。


2012年7月4日(水)
長野・岐阜・愛知へ
 先週から8日間、長野→岐阜→愛知をまわってきた。梅雨時とはいえ、雨だったのはそのうち1日だけ。その日も含めて順調に取材をこなす。
 さて、岐阜県某所でのこと。車で林道途中の橋に差し掛かったところ、欄干の支柱の上に茶色い動物がいて、車を警戒してか、すぐに橋の外側へ向けて飛び降りたのが見えた。それは一瞬のことで、「何の動物だろう?」と疑問に感じた私は車を停めて、橋の下を覗き込んだ。すでにその動物の姿はなかったが、おそらく2メートル程度だろうとの予想とは裏腹に、高い木の樹冠が橋の下に見えるほどの高さがあり、おそらく十メートル近くあると思われた。えっ! さっきの動物、ここを飛び降りたのか!? 
 一番可能性が高いのはサルということになるが、一瞬目にした姿はサルには見えなかったのだが…。あとムササビは夜行性だし、ムササビのような格好でもなかった。該当する動物って、ほかにはないよなぁ。う〜ん、何だったんだろう。気になるなぁ。単にオレの動体視力が落ちている…というオチが最も可能性が高そうだが(泣)。いや、あれは誰がなんといおうと新種の動物だ!! 

 本文とは何の関係もないが、取材先で撮影した写真を…



偶然遭遇した美しい千枚田。愛知県新城市・四谷の千枚田


美ヶ原・武石峰付近の草原


早朝、山間の道路でイノシシの子供3頭を見かけた。やや距離があった上にガラス越し。加えてすぐに山に逃げ込んでしまったので、しっかりした写真は撮れなかったが、ウリ坊らしい模様もわかる。岐阜県恵那市で

2012年6月24日(日)
栃木・長野へ
 木〜金曜は、栃木・長野方面に行ってきた。木曜は、コウシンソウとユキワリソウを目的に足尾の庚申山へ。以前登った時は、35ミリカメラと67判カメラ一式+三脚という重い荷物に加えて、毎晩残業続きで疲れていたこともあって、結構しんどかった記憶が残っているが、今回は、デジカメ1台と交換レンズ4本、三脚など比較的軽量。しかも山頂往復を省略して「お山巡りコース」のみにしたため、前回よりも断然楽だった。
 コウシンソウとの18年ぶりの対面も無事果たし、見事なまでのユキワリソウ群生に気分もよくして足取りも軽やかに下山…といいたいところだが、下山中に左ひざに痛みが!!
 どうもこのところ相当歩きまくったことや、足場の悪いコウシンソウ自生地で無理な姿勢を長時間続けたことも悪かったのだろう。関節自体の問題ではなく、筋肉由来の痛みのようで問題なく下山できたが、足の故障って十数年ぶりだ。登山口にある庚申山荘の温泉に浸かると、痛みも軽くなった。

 翌日は、続けて男体山のコウシンソウ自生地を見てくる予定にしていたが、雨の天気予報は外れたものの、登山口に続く林道が先日の台風4号の被害で通行止になっており、断念せざるを得なかった。代わりに光徳や戦場ヶ原を一巡。足の痛みはまだ少し残っていたが、支障はなかった。

 お昼頃に日光を出て、関越道経由で長野へ。県北部の某峠に着いたのは、もう午後4時を過ぎる頃で、小雨がしとしと。ガスもかかってきて躊躇しないでもなかったが、ある植物の探索を始めた。ところが、今年は雪が例年以上に多く、どうもまだ先のようだ。先日も取材のあとに立ち寄ったのだが、この時はアクセス道路がまだ冬期閉鎖中。今回は閉鎖は解除されていたが、肝心の植物を見つけられず。実は数年前にも一度チャレンジしたことがあって、その時は時期的にはよかったはずだが、見当外れの場所を探してしまって、結局3連敗。来月初旬に3度目のリベンジの予定だが、どうなることやら…。

 足の痛みもあるので、土日は静養することにして帰宅。



オーバーハング気味に切り立つ庚申山の岩壁。ここはコウシンソウ自生地ではないが、ユキワリソウは、たくさん咲いていた。右下は栃木県内からコウシンソウ目的で来たという男性登山者


こんな岩の間をすり抜けるハシゴを登ったり…とにかく難路


ズミにとまっていたミヤマカラスアゲハ。日光・光徳沼にて


近くの木の幹にはカタツムリが。種名は…?


同じく光徳沼の畔にて。木の枝で羽根を広げているセミを見つけた。雨に濡れた羽根を広げて乾かすこともあるのかと思ってよく見たところ、すでに亡骸。体内で菌糸が生長して頭部や腹部を押し広げており、おそらく冬虫夏草のような麦角菌類に寄生されたのだろう。もう少し時間が経過すると、子実体がニョッキリ出てくるのかも。それにしても寄生されたとしても木にとまって羽根を広げた状態で死ぬって、単なる偶然なのかなぁ。それとも麦角菌類の繁殖に都合のいい何らかのしくみでもあるのだろうか。


ある植物の探索に訪れた長野県某所。あと少しで7月になろうかというのにこの残雪。道が隠されて迷いそうだった。こんなところで呑気に植物探してたら、この間の一件のように、またまたクマさんひょっこり現れてコンニチワってことになったかも〜。でもそうなったらそうなったときのことで、「ヨッ! 久しぶり。長らく見てなかったけど元気だった?」と旧友を装う作戦を実行しよっと。そう言われたクマはきっと困って、襲う気なくすと思うな(笑)。

2012年6月19日(火)
山梨へ
 昨日は朝4時過ぎに自宅を出て、山梨まで日帰りで行ってきた。乙女高原のレンゲツツジを撮影したあと、舗装林道を経由して帯那山へ。途中、私の車に驚いて逃げるカモシカを見かけた。林の中で立ち止まってこちらを見ていたので、撮影しようとしたが、カメラを出している間に逃走…。

 ところで帯那山山頂は、林道の最短登山口から登ればわずか数分の距離。付近はアヤメ群生地として知られ、それを目的に訪ねてみたのだが、実はほとんど期待していなかった。ネット情報で、近年は花が少ないという記事を目にしたからである。それでも念のためと思って立ち寄ったのだが、やはりほんのわずかしか咲いていなかった。
 下山したところへ地元の人たちが、何かの作業のために車2台で到着。挨拶ついでに聞いてみると、やはりシカの仕業とのことだった。ここ十年くらいひどいそうで、山麓の山里では、夜のうちに庭に進入して庭木の葉まで食べていくとか。ハンターによる間引きも行われているようだが、それでも追いつかないそうだ。櫛形山のアヤメがシカの食害で壊滅したのと同じである。正午過ぎには帰宅した。



乙女高原に咲くレンゲツツジ


道標のまわりも華やかに彩られて…


帯那山山頂の草原。本来はアヤメが咲き乱れるはずなのだが…

咲いていたのは全部で十数本くらい。

2012年6月15日(金)
クマと緊迫の遭遇+トガクシソウ
 今週は、長野→栃木→福島をまわって、3日間ともイヤになるほど歩いた。昨日は、トガクシソウ(別名トガクシショウマ)を撮影するため福島県某所へ。トガクシソウいえば、普通に山を歩いているだけでは見るのはほぼ不可能という希少植物であり、私も植物園で植栽品を見たことはあるが、山で見たことは一度もない。そんな植物ではあるが、これまでいろいろな人から教えてもらって長野1、宮城1、福島2の計4ヶ所の自生地情報を得ており、一度は見に行きたいと思っていた。ただ長野と宮城に関しては大雑把な位置情報であり、しかも登山道もない場所であるため実際に訪ねるのは難しい。福島の2ヶ所に関してはピンポイントで判明しており、しかも登山コース上であることから、今回足を運んでみた次第だ。その2ヶ所は、同じ山の中腹に少し距離を置いて存在し、ふたつの自生地を結んで往復すると歩行時間は正味8時間だが、実際は朝4時半に登山口を出発して、戻ってきたのは夕方5時前だった。

 さて、歩き始めて1時間ほどたった頃、右手のヤブの中から、いきなり「ドドドドド…」という、すさまじい音が静寂のブナ林に響き渡った。6〜7メートル先に見えたのは、紛れもなくクマ。しかもツキノワグマにしては、結構大きな個体だったせいか、まるで牛がヤブの中を突進しているようなスゴイ音だった。
 私は過去、何度もクマの目撃+遭遇体験をしているが、今回はマジでビビった。とにかく至近距離である上に、最初は迫力ある足音が近づいているようにも聞こえたからだ。思わず腰につけていた熊撃退スプレーに手をかけた。だが、次の瞬間、ヤブの中を後方へ走り去るクマの姿が見えて、心底安堵した。
 実はクマと遭遇する可能性が高くなる早朝ということもあって、当然のことながらクマ除け鈴を鳴らしながら歩いていたのだが、寝ていたのか、難聴気味の個体だったのか理由は不明だが、直前まで人間が近づいていることに気づかなかったようだ。


 そんな緊迫のクマ遭遇体験のあと、無事にトガクシソウ自生地に到着。時期的にもちょうどよく、50株ほどが開花させていた。さらに2時間歩いて、もうひとつの自生地にも足をのばす。こちらは標高が高いせいもあって登山道には雪が豊富に残り、登山者の足跡もほとんどなく、何度も「残雪の踏み抜き」で足をとられ、加えて倒木まであって歩きにくいことこの上ない。こちらの自生地はわかりにくかったが、斜面に十株ほど咲いているのを見つけた。しかし残雪の急斜面を登らなければ近づけず、慎重に足場を確保しながら近づいたが、下るときは危なっかしくてアイゼンを持参しなかったことを後悔した。このあと4時間かけて、ひたすら往路を戻った。さすがに疲労困憊…。
 登山口に戻って、近くの立ち寄り湯で汗を流す。本当はまだ1週間以上、取材を続ける予定で、今日の天気予報も晴れマークが並んでいた。だが、取材候補地の山は、曇天希望であり、晴れてたら台無し。土・日曜は雨予報ということもあって、一旦帰宅することに。疲れていたので早く帰宅したくて、珍しく東北道→首都高→東名道ルートを選択。首都高はほとんど混雑もなくスイスイ流れたので助かった。



トガクシソウふたつ目の自生地に続く登山ルート。登山道はほとんど残雪に隠されていた
2012年6月11日(月)
最近のニュースで感じたこと
全面撤退だったのか一部撤退だったのか?

 国会の事故調が論点整理で、「東電が全面撤退を決定した形跡は見受けられない」と発表したそうだが、甚だ疑問だね。東電の清水元社長は、「一部撤退の意味だった」と証言したようだが、海江田さんがいってるように一部撤退であれば、官邸に了承を得る必要はなく、東電が勝手にすればいい話では? 朝日新聞「プロメテウスの罠」によれば、官邸への連絡では、「大変厳しい状況で、もうやるべきことはない。撤退したい」という内容だったようだが、一部撤退ならこうはいわないだろう。記事の間違いだというのなら、東京電力は朝日新聞に抗議すべきである。
 それに枝野さんは次のように証言している。東電の清水元社長との電話で枝野さんが、「撤退したらどうなるのかわかってるんですか」といったところ、清水元社長は黙ってしまったと。これは完全撤退の意味だったことを如実に物語っている。もし私が清水元社長で、一部撤退しか考えていなかったら、確実にそれを受けてこういうだろう。「いえいえ、全員が撤退するわけではありません。一部の要員を撤退させたいだけです。引き続き対応は続けますから、ご心配なく」と。清水元社長はなぜそういわず、黙ってしまったのだろうか。
 私は民主党支持でも菅さん支持でもないが、この件に関しては官邸の主張の方が正しいと思える。そもそも東京電力は信用に足る企業ではない。一度は検討した全面撤退という東日本全域をゴーストタウン化させる歴史的な超大失態を今さら認めて、さらなる企業ダメージを避けたくて、「知らぬ存ぜぬ」を通しているだけとしか思えない。被災地にあれほど迷惑をかけておきながら現社長が「料金値上げは権利」と平然と発言するところを見るだけでも、長年に渡り、競争原理に晒されずにぬるま湯にどっぷりと浸かってきた、どこか勘違いしている企業体質が透けて見えてくる。こういう企業に誠実さを期待しても無理だと思う。


東電OL殺害事件再審決定

 新聞に載っていた東京高裁の再審決定理由要旨を読んだが、ごく当たり前の判断だと思う。名張毒ぶどう酒事件の再審棄却理由はひどいもんだったが、今回は論理的に無理もなく、実に公平な視点からよく検証がなされており、スラスラ読めた。新証拠の内容は第三者の男性が真犯人である可能性を強く疑わせるものであり、この新証拠があってもなお、有罪にできると思っていた警察や検察関係者の論理能力には甚だ疑問を感じる。
 状況証拠の積み重ねといっても、直接証拠と比べると限界がある。この事件は、世の中の事象には、一見そう見える話であっても、それは本当に偶然の中の偶然である場合もあることを示したといえる。本来、プロの捜査機関であれば、その可能性すらも自ら疑ってみて、さらなる検証を重ねるべきだが、日本の警察も検察も要はそこまで徹底的に検証はしていない…というお粗末な実態が露呈したといっても過言ではない。
 あるテレビ番組でこの事件に関して、元裁判官が、「裁判官の判断に心証(※)が影響することもある」と証言していて、正直驚いた。えっ!? 日本の裁判って、そういうレベルで判断してるの!? 心証というのは人によって違う。つまり、極端なことをいえば、ある裁判官は被告が反省していると見なしても、別の裁判官では反省していないと見なすこともあるということだ。科学の世界では、「心証」が検証手段のひとつにされることはない。心証なんて論外なのだ。科学と裁判は違うけど、真実を検証するという意味では重なる部分も多いはずだ。そういう厳格な判断がなされるべき世界に「心証」が持ち込まれているとは。裁判官の心証に根拠はない。「なんとなくそう見える」ということでしかない。正直、こういう人たちに自分の運命を握られたくないね。

※ 広辞苑には、心証の意味の一つとして「裁判官が訴訟事件の審理において、その心中に得た事実認識ないし確信」とあるが、この証言前後にあった具体例の説明からすると、「心に受ける印象」の意味で使用されていた。


 
2012年6月9日(土)
一時、近所が騒然
 昨日の夕方、けたたましいサイレンが近づいてきて、近所で止まった。「何事か!」と窓から見ると、消防車両が3台も来ているではないか。でも立ち昇る煙はなく、火事ではない。よく見るとレスキュー車両のようだった。民家に入るわけでもなく、写真のように市道に人だかりができて、署員はかがみ込んで何かしたり、ブルーシートを広げたりしている。車は見えなかったので事故ではない。
 どういう事態だったのか、結局わからなかったが、あまり緊迫感は感じなかったし、15分ほどで引き上げていったので、大したことでもなかったのだろう。でも、市道上で起こるレスキューが出動するほどの事態って一体なんだろう? 



ブルーシートを広げる消防署員のみなさん。ところでブルーシートって、災害現場などでもよく見るけど、ほかの色はないのかな。なんでブルーばっかりなんだろ。


頭が邪魔なんですけど…
2012年6月7日(木)
金星の太陽面通過
 金環食ほどの期待もなく、晴れれば写真撮ろうくらいの感じで迎えた昨日の朝。天気予報通りの曇天だったが、正午前あたりから青空も一部に現れ始めた。お、こりゃあ見れるかもと自宅前に三脚を据え、空を何度も見上げ雲の流れに一喜一憂を続けたが、結局太陽は一度も顔を出さないまま終了。
 西の方は天気がよさそうだったので、金環食の時と同様、車で晴れエリアに行こうかと思わないでもなかったが、わざわざ遠出するほどの意欲も湧かず…。実は1時頃、市内南側の丘陵地に日差しが当たっているのが見えた。おそらくそこへ行くだけでも太陽が顔を出していただろうが、雲がモザイク状に全天に散らばり、しかも青空よりも雲の割合の方が圧倒的に多い状態だったので、時間をかけて移動しても着いた頃には曇っている可能性もあるのでやめた。

 次は105年後なので、一生のうちに一度も目にできなかったことになるなぁ。そう考えるとちょっと残念だなぁ。手間かけてでも晴れエリアに行けばよかったかなぁ。誰か金星に「快晴の日にもう一度、太陽の前を通ってくれ。ちょっと軌道を戻るだけだから簡単だろ」って頼んでくれよ〜。
 でも前回、2004年の時は大して話題にもならず、おそらく新聞に小さな記事くらいにはなっていただろうが、興味もなく写真を撮ろうとも思わなかった。今回は金環食効果でマスコミが取り上げて話題になっただけともいえる。天体ショーの中には一生のうち限られた機会しかないものって結構多いんだよね。水星の太陽面通過も日本では2006年に見られたが、次回は2032年だし。

 ところで、日本で見られる世紀の天体ショーとしては、2035年9月2日の皆既日食が挙げられる。これは長野、高崎、宇都宮、水戸あたりで観測できるので、大いに期待したいところだが、23年も先の話だからなぁ。それよりも今年11月14日、オーストラリアで目にできる皆既日食の方が現実的だね。時間とお金がある人は日食観望ツアーに参加してみては。

2012年6月5日(火)
最近のニュースで感じたこと
河本親子の生活保護受給問題

 ネットなどの記事を読むと、受給申請を承認した福祉事務所の方にむしろ責任がある…みたいな意見もあるようだが、果たしてそうだろうか。最初に申請した時は、河本さんがまだ売れてなくて援助が難しかったというのは確かにそうかもしれないが、その後、売れるようになって福祉事務所に実際の年収を伝えていたのかいなかったのか、大いに気になるところである。また段階的に受給金額は下げたとの報道だが、それも福祉事務所の方から「援助できませんか」といわれて応じたというのもひっかかる。
 福祉事務所には「もられるものはもらっておこう」みたいな考えから年収を低めに申告した可能性も疑われるし、報道されているような年収五千万というのが本当かどうか知らないが、仮にそれが本当だとして、しかも正直に福祉事務所に伝えていたとしたら、さすがに生活保護受給は認められないのではないか。福祉事務所としては、年収を調査する権限もないだろうから、本人が「援助が難しい」といえば、それを信じるしかない部分も確かにあるだろう。従って「申請を認めた福祉事務所の責任」とするのは違和感がある。
 「芸人はいつ売れなくなって無収入になるかわからないから不安」というと、なんとなく説得力があるようにも聞こえるが、普通のサラリーマンだって、会社が倒産したり、リストラされる可能性もあるわけだから同じではないか。比較的安泰なのは公務員くらいだろ。私だってフリーランスという身だから、仕事がなくなり無収入になる可能性もないわけじゃない。

 「法的には問題ないからOK」みたいな見苦しい擁護もしない方がいい。それをいうのなら、じゃあ今、問題になっている脱法ハーブも「法的には問題ないからOKなのかよ」って聞きたいね。いるんだよ、こういう法律至上主義のアホって。私は、こういう言い訳を平然とする人が増えていること自体、社会のモラルが低下している証拠だと思う。社会的に許されるのは、法的・道義的どちらも問題ない場合だけだ。法律って完璧じゃない。だから「法的には問題ないからOK」というのは必ずしも成立しない。河本さんのケースも法的には問題なくても道義的には許されないレベルだと思う。それに記者会見の時になんで泣くのかよくわからんね。それ何の涙だよって聞きたい。河本さんよりも、おそらくはるかに少ない年収であろう大多数の国民にとっては、「生活保護も受けずに自分の力だけでまじめに暮らしている、こっちの方がよほど泣きたいよ」って思うんじゃないか。生活保護って、要は税金が財源だからね。お笑い番組って嫌いじゃないのだが、正直、この人のネタを見る気はまったくしなくなった。


2012年6月2日(土)
岐阜県へ
 今週も水〜金曜の3日間取材に行ってきた。水曜は上高地、木、金曜は岐阜県東部を縦断。天気もよく、おおむね予定通り取材をこなす。昨日の夕方、中津川市で取材を終え、このまま来週まで取材を続けようか迷ったが帰宅することに。週末前夜の中央道は比較的空いており、順調に飛ばす。ところが、うっかり走行車線のまま恵那山トンネルに入ってしまった!! というのも恵那山トンネルって、車線変更禁止なんだよね。だもんで以後8キロに渡って、前をトロトロ走るトラックのお尻を見続けることに。右側をスイスイ走り抜ける車がうらやましいったらありゃしない。すごく長いトンネルだから、事故防止の観点から車線変更禁止というのも理解できるが、ちょっとイラついたな。
 それはさておき、今回撮影した写真を3点ほど。



岐阜県飛騨市の池ヶ原湿原。5月上旬のミズバショウで知られる湿原だが、今はリュウキンカが真っ盛り。十年以上前に一度来たことはあるが、初秋だったのでヨシが覆うばかりで、しかも曇天の日だったので印象は全然違う。このあと近くの里山で一匹のキツネを見かける。撮影しようと、そっと車を停めたが、見つかって逃げられてしまった。せっかくオレ様が写真を撮ってやろうというのに、逃走するとは不届き千万なキツネだ!!



残雪頂く木曽御嶽山。県道441号、別名「御嶽パノラマライン」より。



岐阜県中津川市・付知峡に懸かる高樽ノ滝。

2012年5月29日(火)
尾瀬ヶ原で落雷事故
 昨日は取材のため日帰りで房総へ。東京湾アクアラインができて、しかも通行料も安くなったので行きやすくなった。以前のように東京湾沿いに京葉道路を経由していた頃のことを考えると夢みたいな話だ。
 朝から快晴の天気で、午前中取材して正午前には帰途に就く。帰宅してテレビをつけたら、尾瀬で落雷があり一人心肺停止という報道が。近々、尾瀬に行く予定もあったので驚いた。
 山での落雷事故といえば、1967年に北アルプス・西穂独標付近で松本深志高校の生徒8人が雷の直撃を受けて犠牲となった有名な「西穂高岳落雷遭難事故」がある。45年も前の話だが、日本の山岳史上、最悪の落雷事故であり、山ヤであれば知らない人はいないだろう。
 尾瀬で被雷した人はのちに亡くなられたようだが、まさか自分が生きて自宅に帰れない事態になろうとは、鳩待峠を出発されるときは想像だにされていなかったに違いない。冬山ならまだしも、初心者もたくさん訪れるミズバショウシーズンの尾瀬ヶ原。余計に痛ましい事故といえる。改めて雷の恐ろしさを胆に命じる必要がある。


2012年5月26日(土)
最近のニュースで感じたこと
名張毒ぶとう酒事件の再審棄却

 それにしてもひどい話だな。日本の司法はまともだと思っている人も多いだろうが、残念ながらこの結果を見れば、どう考えても「終わっちゃってるレベル」だよ。以前から裁判官にも頭がおかしい人が存在することは、薄々気づいてはいたが、今回の再審棄却でさらに証明されたとしかいえない。
 もともと事件に関心はなく、なんとなく読み始めた朝日新聞25日夕刊の記事は、一般読者が理解しやすいようにかみ砕いて説明すべく努力した痕跡がまったく感じられないヘタクソな代物で読むのにひと苦労。そのあとのテレビニュースの解説を聞いて、ようやく概要がわかった。

 おそらくこういうことだろうと私は理解した。農薬・ニッカリンTをブドウ酒に入れて、鑑定法Aで調べると水と反応した副生成物・トリエチルピロホスフェートが検出されるが、鑑定法Bでは検出されない。事件直後に鑑定法Aで調べた結果では、トリエチルピロホスフェートが検出されていないが、加水分解する可能性もあるので死刑囚がブトウ酒に混ぜたと自白したとされるニッカリンTであっても矛盾はしない、というのが裁判所の主張のようだ。だが、もし鑑定法Aでトリエチルピロホスフェートが検出されていれば、それはブドウ酒に混入された毒物がニッカリンTであること(もしくは可能性が高いこと)を証明できるのに対して、鑑定法Aもしくは鑑定法Bでトリエチルピロホスフェートが不検出だったからといって、それがニッカリンTだったとの証明にはならない。なぜなら水やブドウ酒のほかの成分と反応してトリエチルピロホスフェートが生じない毒物はほかにいくらでもあると考えられるからだ。 

 つまり、以上のことから死刑囚が犯行に使ったと自白したニッカリンTがブドウ酒に混入されたことの証明にはなっておらず、自白はあくまで警察に強要されたものであり、真犯人がまったく別の毒物を混入した可能性も否定できないことになる。「時間経過でトリエチルピロホスフェートが加水分解した可能性もある」って、なんじゃそりゃあ〜。そう主張するのなら、時間経過で本当に加水分解が起こるか、再現実験でもして科学的根拠をしっかり提示すべきだろ。裁判所は専門家が「トリエチルピロホスフェートは加水分解しにくい」と証言していることも無視。もしほかの殺人事件で、検察が被害者の死因を勝手に毒物によるものと見立てて、「毒物は検出されなかったが、体内で加水分解された可能性もある」と主張するのもアリなのかよ(笑)。仮に可能性があったとしても、重要なのは、ほかのあらゆる可能性と対比した上で、やはりその可能性を除外するのをためらう根拠は何かということだ。それがなければ、自分たちが導きたい方向に都合のいい可能性だけを意図的に選んでいるといわれても仕方ない。

 裁判所のミスを絶対に認めたくないだけとしか思えないね。驚くべきことだが、検察もおぞましいほどのレベルだぞ。真実よりも組織防衛・メンツ優先ってわけですか。彼らがやってることは、北朝鮮と何ら変わりはない。これで裁判官、検察官とは、よくもいえたもんだね。裁判官・検察官云々以前に人間として恥ずかしくないのかね。こういう無能裁判官・無能検察官をクビにできないのも問題だろ。国民全員にとって他人ごとじゃないよ〜。興味を覚えた人は、この事件に関するサイトをよく読んでみるといい。裁判官・検察官の科学音痴ぶりもすごいのだが、すでに論理が破綻しているレベルであるにも関わらず、主張を曲げない不正義。本当に「おぞましい」ぞ!! 



桐生市議が「放射能汚染地域の血がほしいか」とツイート

 群馬県桐生市の庭山由紀市議が、市役所前の献血車を見て「放射能汚染地域に住む人の血がほしいですか」とツイートして、批判や抗議が市や議会事務局に殺到しているという。本人は「桐生市は放射能汚染地域であり、間違ったことは書いていない。訂正する気はなく、恥じることもない」と述べてるそうな。劣化が進んでいるのは、何も裁判官・検察官だけではないようだ。庭山議員の科学音痴もおぞましいレベルだね。誰か、このアホ議員にきっちり説明してやれよ。放射能汚染地域に住んでいる人の血中に医学的に支障があるレベルの放射性核種が含まれていると主張するのなら、その具体的な根拠を示さなければならないってことを。こんなことすらも理解しておらず、無知な議員の想像だけで社会的に影響があるようなことを平気で公言する。まあ、こんな人物を市議に選んだ桐生市民もどうかと思うね。

 それにしても本当に多いんだよね。定性的発想しかできない人って。頭の思考回路にそもそも定量的発想が存在しない。驚くべきことだが、割と一般の人にも広くいえることなのだ。「放射能がある=問題あり」と「放射能がない=問題なし」の二通りしか結論がない。放射線量の多い少ないによって影響は段階的に違うってことくらいは理解してるって、みんないうと思うけど、要は「なんとなく頭で理解していること」と「本当に腹に入っている」のは違うってことなんだよな。定性的と定量的の意味の違いを説明すれば誰でも理解できる。でも「本当に腹に入っていない」と、定性的発想オンリーの発言を聞いても、定量的視点に欠けていることに気づけないものなのだ。


 
2012年5月22日(火)
金環日食その2

06h05m〜09h05mに15分間隔でインターバル撮影した19カットを比較明合成


ベイリービーズ


撮影地はこんな感じ。PAから少し入った場所にあるハイウェイオアシスの駐車場なので、車の出入りも少なく日食の撮影地としては最適だった。手前は拡大撮影用でSIGMA50〜500mmf4.5〜6.3に2倍テレコンバーターを付けたNikonD700。奥は連続撮影用のNikonD300。写真には写っていないが、ほかにも日食撮影で天体望遠鏡や三脚を備え付けてる人が数人いた。

2012年5月21日(月)
金環日食その1
 みんなは金環日食もしくは部分日食、無事に見れたかい? オイラは、刻々と変わる気象状況に翻弄され、家の前や近所はもちろん、茨城県・鹿島浦や富士山五合目、静岡県・浜名湖付近等々…あちこちを候補に挙げてみたりしたのだが、結局、20日夜の天気予報と気象衛星の雲画像を確認して、自宅付近では雲が覆う可能性が高いと判断し、リスクが少なく、無難な選択と思われた長野県佐久市に決定。というのも佐久市付近は金環日食の範囲ギリギリ(上田市まで行くと部分日食になっちゃう)だが、20日午後10時の雲画像は、素人目に見てもわかりやすい状況で、日本海を東進する高気圧の影響を受ける可能性が高いと見えて、天気予報も「晴」だったからだ。
 上信越自動車道佐久平ハイウェイオアシスに到着したのは、深夜1時半だったが、この時点ですでに星が出ており、ちょっと安堵した。日の出からしばらく薄雲が覆うが、食が最大になる少し前に空は晴れ渡り、何の支障もなく撮影ができた。食が完全に終わるところまで見届けて帰途に就く。

 06h20m  06h25m  06h35m
 06h45m  06h55m  07h05m
 07h15m  07h25m  07h30m


07h33m

07h34m。ついに天空に美しきリング現る!! 真円の金環日食じゃないけど、一応リングになったよ。

07h36m
 07h40m  07h45m  07h55m
 08h05m  08h15m  08h25m
 08h35m  08h45m  08h55m

2012年5月19日(土)
尖閣諸島購入寄付金
 今日、東京都の尖閣諸島購入寄付金受付口座に少額ではあるが、寄付金を振り込んだ。ウイグル議長も寄付しているのに日本人として寄付しないわけにはいかない。
 それにしても都で購入しようなんて発想は、きっと石原さんくらいにしかできないだろう。政治家にはこういう能力を有する人になってほしいね。「志」なんかありゃしない、あるのは権力欲と金欲だけみたいな中身がカラッポのアホ議員が多いのが日本の現状だろうが、こういうアホ議員が存在すること自体、それは「イコール日本国民がその程度」ということにしかならない。議員とは、そのまま選挙民のレベルを映す鏡に過ぎないのだ。
 私は寄付とかボランティアとか、そういうことを自分のPRに利用する品性を持ち合わせていないので、仮に寄付したとしてもおおっぴらにいわないスタンスなのだが、尖閣購入寄付は、東日本大震災の寄付とは性質がまったく違う。まあ、だからといって「みんなも寄付しよう」と呼びかけるつもりで書いたわけでもないのだが、尖閣の問題は、我々がふと忘れかけそうな「国・国家」について思い起こさせる機会にもなっている。平和でのんびりした「お花畑」状態の国内だけ見て育ち、国家レベルの話に個人レベルの感情を平気で持ち込んで得意げに意見を述べるような脳天気な日本国民にはいい刺激になるんじゃないか。


2012年5月18日(金)
金環食に備えて、またテスト撮影してみた
 ついにあと3日に迫った金環食。でも天気は微妙だねぇ。日本海側は好天の予報だが、晴れを求めて新潟に行ったとしても、あっちの方はきれいなリングにならないからなぁ。食が最大となる時間帯に雲が覆うリスクをとって地元で21日の朝を迎えるか、それとも少しでも好条件を求めて前夜に移動するか、悩ましいところだなぁ。先日も、近郊で東の空が開けた場所を車で探しに行ってきたのだが、車を停められるという前提で、理想的な場所ってありそうでない。それでもいくつか候補は見つけてきたのだが、わざわざ足をのばさなくても家の前や近所でも撮影しようと思えばできる。ならばそれにこしたことはないし…。
 実は秦野市のど真ん中を食の中心線が貫いているので、本当は地元で見るのが一番なんだが、でも状況次第では足をのばすかも。
 それはさておき、直前のテスト撮影ということで、先月購入した新しいレンズに2倍テレコンバーターを装着して1000ミリで太陽を撮影してみた。昨年12月17日付記事で掲載した写真よりもクリアなのは、レンズが違うから。今度はより鮮明に黒点が写っているだろ。




2012.05.17 13h34m00s
NikonD700+SIGMA50〜500mmf4.5〜6.3 OS+2×telecon f13 1/1600


2012年5月14日(月)
先週の取材でもパッカリ
 先週はずっと取材で長野→埼玉→静岡→愛知をまわる。これは水曜日、秩父でのことだ。あるハイキングコースを歩き終え、電車で車を置いたスタート地点へ戻るために最寄り駅へ。ホームで電車を待っているとき、ふと足下に目をやり、シューズのソール部分に妙な突起があることに気がついた。あれ? こんなものなかったよなぁ。手でソール部分をさわってみて原因がわかった。
 以前、本サイト山岳記で冬山用のプラ靴が登山口から歩き始めた途端にパッカリ割れたことを書いたけど、それと似たような事態だった。つまり「妙な突起」とは、ソールが劣化してゴムが突き出したものだったのだ。よく見ると靴本体とソールの間に隙間ができていて、押し広げてみると、おそろしいほど広がったのでこれまたビックリ(下の写真)。
 今回は歩き終えたところでシューズの寿命を迎えたわけで、ギリギリ助かったというわけ。このあともまだ少し歩く必要があったが、車に戻るまでなんとか持ちこたえてくれた。

 皮靴は長年使えるけど重い欠点がある一方、最近のナイロン+ゴアテックス製の靴は軽くて防水性も高いけど、接着剤や素材の経年劣化という避けられない弱点がある。それもおおよそは知ってはいたが、考えてみれば買ってから結構時間が経過していることをすっかり忘れていた。加えてシーズン中は頻繁に取材に行くので、その度に車に靴を載せたり下ろしたりするのもめんどうなので、ずっと載せたまま。高温は接着剤の劣化を促進するので、本当はよくないんだけど、でもうちの駐車場は、日中の半分は建物の影に入るので、真夏でもそれほど車内温度が上がらないこともあるのか、今のところ大きな影響はないようだ。この靴もそういう保管環境だったにも関わらず、完全劣化するまでの耐用年数は約十年だったことになるし…。とはいえ今後はちょっと気をつけよう。登山靴を買った年月日も記録しておいて、5年以上経過したら必ずソールを貼り替える。10年以上たったら靴自体を買い換えるとかね。
 この日、秩父から雁坂トンネルを抜け、静岡へ南下する途中、甲府の石井スポーツに立ち寄り、代わりの新しいハイキングシューズを購入した。




劣化して割れたハイキングシューズのソール。あ〜あ

2012年4月30日(月)
今年の山の花+『見狼記』再放送
 今月は、取材であちこちに行ったが、サクラの開花が遅れたように山の花も1〜2週間程度遅れ気味のようである。ただ、冬の積雪が多かったせいもあるのだろう。花のコンディションは比較的良好という印象だ(雪が多い年は花がきれいに咲く)。初夏に向けて花目的で山に登る予定がある人は期待できるかも。
 
 さて、本項日記で何度か取り上げたNHK・Eテレ『ETV特集・見狼記』の2度目の再放送が5月6日(日曜)の夜10時からあるので、前回の再放送も見逃した人のためにお知らせしておこう。再放送の要望が多いんだろうね。関心が高いことがわかる。最初の本放送と前回再放送の内容は若干異なっており、再放送では本放送にあった部分がカットされていたり、ナレーションの内容が一部変更されていた。ただ目撃証言などの肝心な部分はそのままなので、再放送でも十分興味深く視聴できると思う。


2012年4月28日(土)
シグマのレンズ
 今月頭のことだが、久しぶりにカメラレンズを1本購入した。来月の金環食を多少は念頭に置いているが、もともと400〜500mm程度のちょっと長めのレンズがほしかったこともあって「SIGMA 50〜500mmf4.5〜6.3 DG OS HSM」を買うことにしたのだ。私は高校生の時からシグマレンズを愛用しており、その頃のレンズは、絞り環の数字が刻印じゃなくてシールが貼ってあったり、逆光撮影時のハレーションも酷くて、ニコンレンズと比べると確実に劣っていたが、その後メキメキと実力をつけて、見劣りしないレベルになってきた。考えてみれば、今では現役で使用している9本のうち6本がシグマで、3本のニコンよりも多い。
 ニコンのVR(手ぶれ補正)レンズを以前から使用していて、その技術も大したもんだなと思っていたが、長玉レンズだとその効果を実感しやすいこともあるのだろう。シグマのOS(手ぶれ補正)も相当なもので、2倍テレコンバーターを装着して1000mmで手持ち撮影しても、ブレない写真が撮影できるほどである。デジタルカメラの高感度と手ぶれ補正技術の融合で、ひと昔前なら考えられなかったことが可能になったわけだ。



1000mmで近所の置かれた自転車を手持ち撮影してみたら、ブレが一切ないシャープな写真が撮れた。SIGMA 50〜500mmf4.5〜6.3 DG OS HSM+SIGMA Telcon2× 1/640s F13 ISO1600 NikonD700

2012年4月6日(金)
「ETV特集・見狼記」再放送
 2月下旬の日記に書いたNHK・Eテレ「ETV特集・見狼記」が明日の深夜(正確には8日の午前0時50分)に再放送される。ニホンオオカミに関心があって、前回の放送を見逃した人はぜひ視聴のほど。

2012年4月2日(月)
ウィンドウズが立ち上がらなくなった!!
 金曜日の夜、ネット上に公開されている、ある画像処理関係のフリーソフトをダウンロードして、実際に画像を処理てみようとしたらソフトが反応しなくなる。そこで一旦、ソフトを終了させたのだが、なぜかウィジェットのカレンダーや時計までもきれいさっぱり消失。あらら? なんか様子がおかしい。
 仕方ないので再起動させたところ、今度はいつまでたってもウィンドウズが立ち上がらなくなった。で、続けて強制終了させるとセーフモード画面になって、問題が発生したことを知らせるメッセージ。その後、自動修復させてみたのだが、それでも立ち上がらない。
 時刻は深夜1時。う〜む。なんかイヤな汗が出てきた。リカバリしなきゃならない事態になったら困るなぁ。このPCのHDに入っていたファイルの中にバックアップしていない何か重要なものってあったっけ? と自問自答しようとするが、いざ、こういう事態に陥るとまるで思い出せない。
 1週間かけて初校をチェックして戻したばかりだったので、直近の仕事上の支障はそれほどないが、でも明日1日、この対応で潰れるな…とガックリ。とりあえず、もう一度シャットダウンしてみよう。PC電源を再度入れ直し、Vaio画面、ウィンドウズ画面が出て…ハラハラしながら推移を見守る。と、あっさり通常のパスワード画面が出てきた。ありゃりゃ、なんか大丈夫そうだ。その後、問題ない状態に復帰したのを確認。あーやれやれ。一時はどうなるかと思ったぜ。

2012年3月17日(土)
フィルムカメラ全点売却
 近年は、デジタルカメラしか使わなくなり、今後も経費がかかるフィルムカメラを使う可能性は低いので、ここらでフィルムカメラは処分するのが妥当と判断。先日、手元にあった3台すべてを売却した。中判カメラのペンタックス67Uとそのレンズ5本、ニコンF100が2台、ほか使わないカメラザックなど合わせて計11点を中古カメラ店に宅急便で送付。
 フィルムカメラは需要も減り全体的に下落傾向にあることや使用感が進んでいることもあって、当然といえば当然のやや低い査定だったが、それでも8万ちょっとになった。買ったときはその十倍くらいかかっているとはいえ、完全に元は取ったし、感傷的に手元に置いても今後使う可能性はほぼゼロ。しかも光学製品というのは、使わないと管理が行き届かなくて、どうしてもカビちゃうから、その前に売却したわけだ。
 どのカメラもあちこちに持参して、私の仕事を支えてくれたわけだから、別れはちょっと辛いけど、カメラにとっても使わないままダメにしちゃう運命よりも、現役で使ってくれる人のところに行った方がためになるだろうと割り切った。


2012年3月4日(日)
日本は世界一のハイコンテクスト文化だと喜んでいる場合か
 昨年末、日経ビジネスオンラインに「日本は世界一ロジカルではない」という主旨の記事が掲載され、常々、日本人は論理に弱いと思っていた私は、「やはり同じように感じている人がいるんだな」と思いながら、大変興味深く読んだ。
 記事によると、そもそも日本は世界一のハイコンテクスト文化の国なんだそうだ。私は、コンテクストという言葉を初めて聞いたが、要するに言語や知識、価値観といった社会の基盤のことで、記事では、それを「以心伝心度」と説明していた。つまり国民同士がコンテクストを多く共有する国であれば、相手のいわんとすることを理解しやすくなるというわけ。日本は他国から少し距離を置いた島国である上に、ほとんど同一民族から構成され価値観が近い者がより集まった国なので、ロジカルに説明しなくても「あうんの呼吸」で話が通じる。もしかすると神社の狛犬や仁王像が「あうん」を表現しているのもハイコンテクスト文化の日本をまさに象徴しているかもしれないと思った。
 一方、ローコンテクスト文化の国では、「あうんの呼吸」は通用しない。そこで、ロジカルに話す習慣が自然と身につき、ロジカルな考え方も定着した。この結果、情緒的にしか考えない日本人と論理的な考え方ができる欧米人という違いが生まれたと思われる。

 先日、テレビ番組でも、このコンテクスト(番組ではコンテキストと呼んでいた)が取り上げられ、日本は世界一のハイコンテクスト文化として、その利点を強調していた。確かに国内にだけ目を向けていれば、「あうんの呼吸」で相手の考えを理解できるのは便利といえる。しかし、価値観の異なる人に自分の考え方を理解してもらうには、論理的に説明する以外に方法はない。昨年、NHKの番組に出演されていた元・外務事務次官の藪中三十二氏が、外交ではロジックが重要ということをおっしゃっていて、異なる価値観の持ち主と議論しなければならない外交官であれば、当然だろうなと思った。

 現代社会のさまざまな問題を情緒的に判断しようとしても解決したためしはない。私は、日本のさまざまな問題の根底に日本人の論理に弱い欠点が横たわっているように感じるのだ。日本人どうしの「あうんの呼吸」のコミュニケーションも結構だが、日本人も欧米人なみのロジカルな考え方を身につけることが、問題を解決に導く早道ではないか思う。 


2012年3月2日(金)
手榴弾を投げられた!!
 昨日は、敵からボーリングのピンのような大型の手榴弾をアンダースローで投げられて、マジで死ぬかと思った。それは放物線を描いて、我々がいた建物を飛び越え、裏手の道路に着弾!! でも不発だったので助かったわけよ。 え? 何の話かって、そりゃアンタ、昨夜見た夢に決まってるじゃん。軍事オタクでもないのに何で手榴弾投げられる夢見るんだろうなぁ(泣)。今、この文章を考えている脳も、夢を作り出した脳も同じオレの脳なのに、なんでわからないのだ? 大脳の中でも司る部位が違うからだろうけど、別の部位を解析できないとは、人間の大脳もまだまだ進化の余地があるなぁ。

 ところで、こういう命の危険を感じる夢って、ごく稀に見るけど死んでしまうストーリーだったことは一度もない。それはなぜか。当たり前のことだけど、おそらく死んだ経験(記憶)がないからだろう。主観的な「死の瞬間」って想像できないから、そういうストーリーにはなりにくいと想像する。オレの場合は、どんなに危険な夢でも手榴弾が不発だったみたいに何事もなく終わるか、夢から覚めるか、どっちかなんだよな(笑)。

 病院のベットに横たわる自分自身を上から俯瞰したり、三途の川を渡って一面のお花畑に導かれた…みたいな臨死体験の映像を作り出す大脳の部位はすでに見つかってるみたいだけど(※)、夢と違ってリアルな死が迫っているわけだから、これは特殊なケースだろう。
 ただ、こういう事例を考えると、臨死状態の時だけ仮想映像を知覚させる機能が大脳に備わった理由は何だろうって不思議に思う。ほとんどの人は使うこともない機能だろうし、仮想映像を見たからといって何かが変わるわけでもない。一体全体何のために?? 必然ではなくて偶然の産物なのだろうか。

※大脳の特定部位を刺激すると、被験者は臨死体験者が見たのと同様の映像を知覚する。


2012年2月28日(火)
見狼記 補足
 2月20日〜24日に書いた見狼記を見直していてニホンオオカミ、ヤマイヌ、ノイヌ、野良犬、イエイヌなどの区別がわかりにくいかも…と感じたので、少し補足しておきたい。特にニホンオオカミとヤマイヌに関しては、ややこしくて混乱が生じる要因にもなっている。

 ニホンオオカミ…シーボルトがライデン博物館に寄贈した標本を元にしてイヌ科の新種として「学名Canis lupus hodophilax 」が付けられた動物のこと。ニホンオオカミは、それ以後に日本で使用されるようになった和名。
 ヤマイヌ…日本では、もともと上記のニホンオオカミに該当する動物や野生化した犬をまとめてヤマイヌと呼んでいた。そのためライデン博物館のニホンオオカミ模式標本にもそう書かれている。その一方、ヤマイヌとイエイヌの雑種を「オオカミ(オオカメ)」と呼び、形態的にも違いがあることからヤマイヌと区別されることもあったらしい。本草学者(今でいう博物学者)の小野蘭山は、この動物の特徴として「足に水かきがある」と書いているそうだ。つまり、見狼記(2)で紹介した三重県で捕獲された謎の動物について、専門家が「ニホンオオカミの血を引くヤマイヌ」と述べられているが、この「オオカミ」に該当する動物の末裔である可能性が高そうだ。
 ノイヌ…人間が飼育を放棄し、ほぼ完全に野生化した犬。山野で動植物を食べて生きる犬。
 野良犬(のら犬)…人間が飼育を放棄し、人里周辺で残飯を食べるなど、人間に依存して生きる犬のこと。
 イエイヌ…人間が飼育している犬。
 野犬(やけん)…人間が飼育を放棄した犬の総称。つまりノイヌ+野良犬。ただし、飼い主がいない犬すべてを農林水産省ではノイヌ、厚生労働省ではのら犬(野犬)と呼んでいるそうだ。つまり同じ対象でも役所によって呼び方が異なるわけで、紛らわしいことこの上ない。

関連情報→本サイト動物記「ノイヌ

2012年2月26日(日)
最近のニュースで感じたこと
隠岐の海岸に深海魚大量打ち上げ

 24日、隠岐の海岸で、数十万とも数百万匹とも推定される小型の深海魚・キュウリエソが打ち上げられ、1キロに渡って銀色の帯になっているという報道があった。日本海の深海で何らかの異変が発生し、それに深海魚が反応したのだろうか。日本海、あるいは中国大陸を震源とする大きな地震が近いとか、まあ、あまりいい加減なこともいえないけど、ちょっと尋常ではない印象を受ける。何もなければいいが、そうだとしても原因は何だろう? 一種類だけだから、海洋汚染のような化学的要因の可能性は低い。
 十年前にも隠岐で、やはりキュウリエソの大量打ち上げがあったそうだから初めてではないようだが、記事を書く記者も、そこで終わらないで十年前の大量打ち上げ直後に地震があったとかなかったとか、そこまで調べろよ。


2012年2月24日(金)
見狼記(最終回) 
 ところで日本産犬種の中には、長野県川上村で古くから飼われていた川上犬のようにニホンオオカミの血を受け継いでいるものもある。中でも三重県の大内山(おおうちやま)系の犬は、大正時代に雌イヌを山中につないで、ヤマイヌと交配させることを繰り返して作出された品種で(川上犬でも同様の伝承がある)、ライデンの模式標本などの頭骨と同様に、頭骨側面下方に動脈や神経を通す孔が、左右それぞれ6個開いているものが見られるという。イエイヌでは、左右それぞれ5個しか開いておらず、頭骨の形態からもヤマイヌの血を受け継いでいる可能性が推察される。
 また犬や狼などの動物研究家として有名な平岩米吉氏により、ニホンオオカミの頭骨の特徴として、重心が前方にあり、下顎を組み合わせて机に置くと下顎後端が地に着かないという点も指摘されている。

 ニホンオオカミや野生犬が日本の山野にいるとしたら、私が別項で批判している犬連れ登山も問題ないのでは、と思う人が確実にいると思われるので、誤解されないように最後に説明しておきたい。

 通常の環境で飼育されている犬でも、ワクチンを接種していれば、その病気にはならないわけだが、ワクチン接種によって体内から病原体をゼロにできるわけではなく病原体の感染を防ぐわけでもない。ニホンオオカミや野生犬は、イエイヌとはまったく異なる環境で世代を重ねており、野生動物の脅威となる病原体を保有しておらず、感染歴もないので自らも抗体を持たないはずだ。それ以外の病原体は保有しているだろうが、それらはもともと日本在来の環境にあったものがほとんどと考えられ、抗体を持っていることが期待できる。つまり、ほかの野生動物から見れば、捕食されるリスクはあるにしても、ニホンオオカミや野生犬から未知の病原体を受け取る恐れはほとんどない。(※ここでいう「未知の病原体」とは、あくまで「特定の野生動物にとって未知の病原体」ということである。人間も知らない病原体という意味ではない)。
 仮にニホンオオカミの血を受け継ぐ犬種であったとしても、さまざまな病原体に感染する可能性が高い環境で飼育された以上は、山に連れ込むのは問題があるということだ。

 ニホンオオカミの生存が囁かれる奥秩父には、大弛峠のように車で簡単にアクセスできるところもある。犬連れ登山に限らず、こういう場所に愛犬とドライブする人もいるだろうし、付近を散歩したついでに糞をさせて放置する人もいるかもしれない。愛犬家のマナーの悪さも指摘される中、こういう状態が野放しになっているのも問題だと思う。山麓では膨大な数の犬が飼われているといっても、より山の深部に、より多く持ち込まれる回数が増えていくに従ってリスクは増大する。
 「ついにニホンオオカミの生存が確認されました。でも、見つかった個体はすべてジステンバーに感染していて、瀕死の状態です」。こういう事態になったとき、誰に怒りをぶつければいいのだろう?

 犬連れ登山問題をずっと見てきた私からいえば、この問題を取り上げたメディア(具体的な名称はここの記事の最後で名指ししています)のあまりにお粗末な、もはや無能というほかない実態には心底驚愕した。文系メディアのみなさんは実にご立派なことに「犬連れ登山に問題がある」という意見を聞いても、自分たちが犬に抱く好印象に引っ張られて「本当か?」と疑問に思われるわけだ。彼らはそれをジャーナリストとしての直感だと勘違いしているのだが、それは直感ではなくて確実に無知に起因する。しかも最悪なことに自分が最初に抱いた印象通りの結論になるように平気で記事にまとめてしまう。その実態は、彼らの記事を読めば一目瞭然である。こんな低レベル記者たちが、いくら「自分たちは調査のプロだ」と胸を張っても、説得力はまったくない。
 欧米諸国では、どうして科学技術専門のジャーナリストがいて、それがいない日本で、なぜその必要性が叫ばれているのか、犬連れ登山問題でアホな記事を書いた文系メディアのみなさんは、自らの立ち位置をもう一度よく見直し、その原因が自分たちにもあるということに気づいた方がいいんじゃないですか。生まれてこの方、科学を体系的に勉強したことなんかないし、特に細菌やウィルス知識はカラッポでしょ。それ、わざわざ教えてあげないと理解できないですかね。
(見狼記・終わり。2月28日付け日記に補足あり)


2012年2月22日(水)
見狼記(3)
 1984年4月30日、私は奥秩父の乾徳山に単独登山をするために新宿駅から中央本線最終電車に乗り込んだ。ゴールデンウィーク中ということもあって車内は登山者でごったがえしていたように思う。塩山駅に着いたのはまだ深夜。だが乾徳山からさらに奥にある黒金山まで足をのばすつもりだったので、なるべく早く登山道に取り付きたかった。そこですぐに駅前からタクシーに乗車し、徳和の集落に着いたのは午前3時だった。当然、あたりは真っ暗で、見上げると星空に半月が出ている。さすがにちょっと早すぎたかなとも思ったが、こんなところで夜明けを待つのもイヤだったので、途中の国師ヶ原で朝を迎えることにして乾徳山登山道に足を踏み入れた。

 それは真っ暗な登山道をヘッドライトの光を頼りに一人でトボトボと登っていた時のことだった。しーんとした暗闇から突如、「ウ〜」という獣のうなり声が聞こえてきた。おそらく距離にして4〜5m。前方のブッシュの中からのようだった。ギクッとして立ち止まる。だが、何も聞こえない。気のせいか。歩き始めると、再度大きなうなり声がした。それは、犬のうなり声に似ており、もし野犬であれば続けて「ワンワン」と激しく吠えてもおかしくないと思うのだが、うなり声だけだったのが逆に怖かった。こちらからは見えないが、向こうは私を睨みつけて威嚇しているに違いない! しかも漆黒の闇の中、反撃する手段が何もない丸腰の状態で、何が威嚇しているのかわからないほど恐ろしいものはない。もし襲ってきたらと思うと全身から血の気が引いたが、しばらく立ち止まったあと襲ってくる気配がない(ガサガサ音がしない)ので、様子を見ながらそろそろと通り過ぎたら、今度はうなり声もなく事なきを得た。

 当時、一番最初に思い浮かんだのはツキノワグマだった。ただ、私は過去にクマの姿を目視できるほどの至近距離で遭遇する経験を何度かしているが、一度はしばらく私を凝視したあと逃げたし、別の時は私に気づくやいなや踵を返して薮に消え、どちらもうなり声は上げなかった。もしニホンオオカミが生き残っていたとしたら、この時のうなり声もニホンオオカミだった可能性もあるかもしれない。ニホンオオカミであれば、うなり声も犬に似ているだろうし、何しろニホンオオカミらしい動物が繰り返し目撃されている奥秩父の山中だからだ。

 この時の登山では、乾徳山から黒金山と大ダオを経由して、東奥山窪沿いに徳和へと下ったのだが、登山者で大賑わいだった乾徳山山頂から一歩、黒金山に続く稜線に踏み入ると、ウソのように静かになり、ほかの登山者とは一度も出会わなかった。当時の大ダオは、気持ちのいい笹原だったが、その後は様子が変わったと見えて、最近の『山と高原地図 金峰山・甲武信』では「クマザサ背丈越す。道不明瞭」と記されている。ちなみに大ダオまでは比較的明瞭だった登山ルートも、東奥山窪沿いは踏み跡程度に変わり、しばしば迷いながらの下山となった。徳和一帯は、別の意味でも興味深い場所なのだが、それについて詳しく触れるのはやめておこう。 (続く)
 
その時に撮影した大ダオの写真→本サイト『山岳記・笹原に覆われた山』参照。


2012年2月21日(火)
見狼記(2)
 1996年に秩父市の林道で撮影されたニホンオオカミらしき動物の写真を唯一評価した専門家として番組で紹介されていた動物分類学者の今泉吉典先生は、かつてある本の中で、シーボルトがヤマイヌとしてライデン博物館に寄贈したニホンオオカミの模式標本と、国立科学博物館に古くからあった福島県岩代産野生犬の剥製を比較して、どちらも「タイリクオオカミやシェパードより長胴、短脚で、耳は短く、背筋の黒毛が体側の灰色毛より長く暗色縦帯(松皮模様)を形成し、橙褐色の前肢前面と淡色の内面の境に暗色縦斑がある」という特徴がそっくりであると書かれている。これらの各特徴は、秩父市の林道で撮影された動物にも共通するように見える。

 一度は絶滅種とされ、のちに再発見された事例は過去に何度かある。例えば1984年に北大東島で目撃されたのを最後に確認されず絶滅種とされたダイトウウグイスは、2001年に沖縄本島で再発見され、その後、奄美大島でも繁殖していることが確認されている。

 今泉先生が「その動物がいないと思った時点で終わり」と述べられているように、確かにニホンオオカミは絶対にいないと思い込むのはよくない。仮に生き残っていたとしても種としての存続が危ういほど個体数が少ないのは間違いなく、目にする確率は相当低いと思われるが、それでもある程度の頻度で人間に目撃されたり、咆哮を聞かれていたとしても、ほとんどの人は「野犬だろう」と見なして情報として表に出てこない可能性もある。

 ダイトウウグイスの例では、京大の研究者が灰緑色をしたリュウキュウウグイスの群れに褐色のウグイスが混じっていることに気づいたのがきっかけだった。つまり比較的人間の目にも触れやすいはずの沖縄本島で繁殖していたにも関わらず、プロの研究者が気づくまで絶滅種が種として継続している事実を誰も知らなかったわけだ。

 実はニホンオオカミらしき動物が目撃される事例はずっと以前から繰り返しあって、時々思い出したように話題になる。昭和53年(1978)には犬ともキツネともつかない奇妙な動物が大台ヶ原の東側、三重県勢和村(現・多気町)で捕獲され、「ニホンオオカミではないか」「いや違う」と論争になったことがある。この正体不明の動物は、捕獲後死んだが、三重短大の専門家が鑑定して、犬には見られない足の裏に水かき状に発達した皮膜がある点や犬歯が非常に鋭く長い点などに注目し、ニホンオオカミの血を引くヤマイヌではないかと意見を述べられている。確かにこの動物は素人目に見てもライデンの模式標本よりも耳や尾が長いなどの相違点があり、ニホンオオカミの可能性は低いように私は感じた。ただ、その一方でニホンオオカミの血を引く野生犬が、今も台高山脈周辺一帯のどこかで生きている可能性を示唆している。    (続く)

「幻のニホンオオカミ?」と題し、三重県の山中で正体不明の動物が捕獲されたことを伝える昭和53年2月5日付の朝日新聞記事。私は小学生の頃から興味を覚えた新聞記事をスクラップすることを現在まで延々と継続しており、この記事も中学3年生の時に切り抜いて保管しておいたものである。

2012年2月20日(月)
見狼記(1)
 昨日のNHK教育テレビ…いや、最近はEテレビっていうんだっけ? そのETV特集『見狼記〜神獣ニホンオオカミ〜』は、ニホンオオカミの痕跡を追った大変興味深い番組だった。ニホンオオカミフリークの私としては、すでに知っている情報もあったが、初めて聞く話も多くて、リアルタイムで視聴したあとに録画でもう一度視聴したほどだ。実に見事な取材だった。
 何より興味深かったのが、ニホンオオカミらしい動物の目撃談である。秩父地方はニホンオオカミが生き残っている可能性があるとされてきたエリアだが、そこを管轄する埼玉県警の元山岳救助隊長も奥秩父の稜線で、それらしき動物に遭遇したという。牙がはっきりと見え、格好も犬とは様子が違っていたことから「これは犬じゃないな」と感じ、その場にいたみんなと「オオカミじゃないか」と言いあったそうだ。また昨年秋に飛竜山の稜線で、やはり遠吠えを聞いたあとに登山道を横切る姿を見たという登山者の証言もあった。山麓で飼育を放棄された野良犬が奥秩父の稜線まで上がってくるとは思えないから、稜線上の目撃談というのは信憑性が増す。ノイヌ(野生化した犬)の可能性もなくはないが、一方でニホンオオカミ、もしくはニホンオオカミとノイヌやイエイヌとの雑種の可能性も否定できないと私は感じた。
 ほかにも秩父の林道や奥多摩の秋川渓谷では間近に遭遇したという話もあった。かつてこうした間近な遭遇談に対して、東京農工大学のオオカミの研究者が、外国のオオカミは警戒心が強くて人間に近づくことはないので、ニホンオオカミが仮に生き残っていたとしても間近に遭遇する可能性を否定されていた。しかしニホンオオカミは比較的人里に近い場所にも棲み、畑を荒らす動物を食べる益獣として信仰の対象にもされた経緯がある。従って広大な森や原野に暮らす外国のオオカミよりも人間を警戒しない生態をもつ可能性もあるのではないだろうか。伝えられるニホンオオカミの行動というは、すべて伝承の域を出ないので、実は科学的な視点からニホンオオカミの生態を知る人は専門家も含めて誰もいないのだ。 (続く)

関連情報
→NHKウェブサイト同番組の該当ページ
→本サイト『動物記・ニホンオオカミ
→本サイト『山岳奇譚・ニホンオオカミは絶滅していないのか

※日記は上に追加していくので、続きは下ではなく上の記事をご覧下さい。

2012年2月19日(日)
関西取材記(12)
 昨年12月、和歌山県某所でのこと。取材先に向かう途中の国道路肩に白バイに停められたらしい車とその脇に立つ白バイ隊員の姿を見かけた。何らかの違反でもしたのだろう。その姿を見送って取材をすませ、同じ国道を来た方向に戻った時のことだ。先ほどの数百メートル手前あたりでパトカーとレスキュー車両が並んで停まっている。見ると側道に赤い車が横転し、激しく壊れているようだった。わずか20分くらい前にそこを通ったときは何もなかったから、その直後に発生した事故のようだった。
 はっきりと記憶にないが、その横転している事故車両は、白バイに停められていた車だったような気もする。記憶をたどろうとしても、白バイ隊員の姿は映像として明瞭に思い出せるが、停められていた車のことになると記憶は曖昧だ。人間の記憶なんてこんなものだろうな(意外ときっちりと見ていない)。ただセダンのような車ではなく、少なくとも後ろ側が軽の四輪駆動車やワンボックスカーみたいな形の車で、色は赤か黒だったのは間違いないと思う。
 あくまで想像の域を出ないのだが、もしかすると次のようなことだったのかもしれない。白バイの指示で一旦停ったものの、何かマズイことでもあって猛スピードで逃走。しかし、ハンドル操作を誤って側道へ横転した…。制限速度前後のスピードなら、さすがにこんな事故にはならないだろう。レスキューが来ているということは、ドアが開かないほど損壊していることになる。事故現場には先ほどの白バイも停まっており、白バイの連絡で比較的早くパトカーやレスキュー車両も到着したものと思われた。

 あちこち取材で回っていると、発生直後の事故現場や殺人事件の検問に遭遇したり、いろいろあるんだよね。自分が事故に遭っていないのは何よりだし、やっぱりこういう現場を見ると運転に注意しなきゃな〜って肝に銘じるね。



黄色の矢印が横転した事故車両。今まさにレスキュー作業が始まるところだった。パトカーとレスキュー車両の間に見えるのが白バイ。信号で止まったときに撮影したもの。


2012年2月16日(木)
壁紙変更
 今日は気分転換に久しぶりにメインPCの壁紙を変更した。なんか青い丸にしか見えないけど、NATIONAL GEOGRAPHIC公式サイトにある壁紙ギャラリーからダウンロードした海王星なのだ。真ん中に見える大暗斑(だいあんはん)で海王星だとわかるね。この大暗斑はアメリカの惑星探査機ボイジャーが接近時に発見したものだけど、その後、地球からの観測で消失していることが確認されている。木星の大赤斑と違って、継続するものじゃないようだ。地球からはるばるやってきた探査機を見るために海王星が開けた「目」のようだ。
 それにしても海王星ちゃんはエライな〜。よーわからんけど、なんかやたら青くって、やたらデカくって。オイラみたいなちっぽけな存在から見ると、尊敬しちゃうな。冥王星が準惑星に降格した今、とりあえず太陽系最遠の惑星だしな。



海王星ちゃんがでーんと載ったPC画面
2012年2月15日(水)
関西取材記(11)
 昨年12月初旬、三重、奈良、和歌山を取材でまわった時の写真。12月とはいえ、関西地方南部はまだ紅葉がところどころに残っていた。中でもひときわ見事だったのが、和歌山県田辺市中辺路(なかへち)町福定地区にある宝泉寺の大イチョウ。付近の国道を走行中、前方の山の中腹に真っ黄色に色づいた大きなイチョウに気づき、そのあまりの鮮やかさに目が釘付けになってしまった。時間がなくてどうしようかと迷ったが、ちょっとだけ立ち寄ってみることに。土曜日ということもあって、訪問者も割と多かった。推定樹齢400年で市の天然記念物にも指定されているようだ。古木としては若い方だが、こんもりとした樹冠が美しい。
 ちなみに中辺路というのは複数ある熊野古道のルート名でもあり、東側には熊野詣の最終目的地のひとつ、熊野本宮大社がある。



宝泉寺の大イチョウ全景。


近くで見ると、かなり葉が落ちており、すでに黄葉のピークは過ぎている。例年の見ごろはもっと早いようだ。

2012年2月13日(月)
関西取材記(10)
 前回日記の「鬼」つながりで、今日も鬼の話題なのだ。鬼といえば、やっぱ酒呑童子で知られる京都の大江山だろ。昨年夏、取材で大江山を訪問した折に山麓の「日本の鬼の交流博物館」にも立ち寄ってみた。その時の写真を少々。
 

さすが鬼ゆかりの山だけあって、山麓で早速出迎えてくれる赤鬼。「大江山はどこ?」と聞いたら、親切に「あっちだよ〜」と教えてくれたのだ。


「日本の鬼の交流博物館」に展示してあった日本や世界の鬼の面。鬼といえば赤と青だけだと思っていたのに、なんと白鬼もいらっしゃったとは。鬼のアルビノか!? いや、アルビノの場合は瞳孔が赤くなるけど、コイツは黒いので白変種(はくへんしゅ)ってとこか(笑)。右は鬼というよりも鍾馗かな?


左の鬼はなんともユーモラス。右の鬼は、リンゴにかぶりつくのが得意そうだね。日本に比べて諸外国の鬼は派手であんまり怖くないんだよな。


館内の展示。鬼瓦のコレクションもすごい。


大江山中腹にある鬼嶽稲荷神社。大江山の登山口のひとつだが、なぜか登山道の入口には「鬼出没注意」の看板は立っていなかった。山麓にも赤鬼がいたじゃないか。山中にはもっと怖い鬼が棲んでるに決まっている!! 大江山に登る時は、熊なんかよりもはるかに鬼に注意した方がいいと思うね。なんてったって酒呑童子の大江山だぞ。日本有数の鬼の本場なんだぞ。お〜怖。

2012年2月4日(土)
節分
 日本人はみんな、鬼は角があって金棒持ってて、なんかいかにも悪そうな奴らだと勝手に思い込んでるけど、「鬼は〜外」といって豆を投げられたくらいで、「え、いちゃダメなの? あーはいはい。じゃあ退散しますよ」と出て行く程度だろ。そんなに悪い奴らじゃないんじゃないの〜ってオレなんかは思っちゃうな。

 桃太郎は猿、雉、犬を連れて鬼退治しちゃうわけだけど、なんで鬼を退治しなきゃいけなかったのか、その理由をスラスラと言える人っていないんじゃないか。本によってもいろいろだけど、中には理由すら語っていないものもあるし、例えば新潮文庫『日本むかしばなし集(一)』(坪田譲治著/1975年初版)では、「人をいじめたり、こまらせたりしている」という程度の理由しか書かれていない。日常的にお金や農作物を盗んでいるとか、子供をさらって食べちゃったとかっていうのなら退治するのは当然だろうけど、イジメ程度の理由で鬼ヶ島に乗り込んで暴力をふるう桃太郎、それに加えて、きび団子というご褒美に目がくらんで暴力幇助をする猿、雉、犬もどうよ…って、まあ昔ばなしにケチをつけても仕方ないんだけどさ(笑)。

 せっかく節分なので、節分風な話題でまとめてみたよ〜♪♪


2012年1月28日(土)
橋下 VS 反橋下
 テレビ朝日「朝まで生テレビ」を見た。結論からいえば橋下さんの圧勝だね。極めて理路整然とした主張で、説得力があった。一方、反橋下派論客の主張には聞くに堪えない意見も多くて、特に薬師院教授と共産党はヒドイもんだな。
 ダブル選挙期間中、橋下さんが使った「独裁」という言葉に、ヒトラーを連想してか「危険だ」と騒ぐ人に、私なんかはちょっと単純に映って笑っちゃったのだが、番組で橋下さんが説明した通りで、今の日本の政治家には決断力が欠けているというのは間違いない。加えて、よく政治家に求めることは何かと聞くと決まって「リーダーシップ」を挙げる人も多いのだが、いざリーダーシップを発揮しようとすると「独裁だ」「独断だ」と批判して足を引っ張るのが今の日本の現状だろう。橋下さんは、うっかり口を滑らせたんじゃなくて注目されることを計算した上で、敢えて毒のある独裁という言葉に置き換えたに過ぎない。
 もちろん政策の問題点を指摘してもいいのだが、あたかもどこかにバラ色に輝く結論があるといわんばかりに批判し続けるだけでは、いつまでたっても結論は出せない。そのことにそろそろ気づこうよ。

 わかりやすいように単純化して、政策ごとの「利点=○」と「問題点=×」を並べてみたら次のようになったとしよう。
    
   利点  問題点
 政策A  ○○○○○  ××
 政策B  ○○○  ×××
 政策C  ○○○○  ××××
 政策D  ○○○○○○  なし

 政策Dみたいな問題点ゼロの理想的な選択肢は現実にはまずあり得ない。そこで政治家はいろいろな意見を聞いた上で政策A〜Cを精査し、結論として問題点があることもわかった上で利点が最も多い政策Aを選択しようとすると、これまでは「政策Aにはふたつの問題点があるからダメ」と批判しかせず、対案として「利点○○○○○○ 問題点××」の政策Eを出すこともしなかったわけだ。反橋下論客の主張は、これと同レベルの話ばかりで、議論としても発展性がない。しかも「木を見て森を見ず」的な、ちっこい意見も多かった。


 
2012年1月22日(日)
最近のニュースで感じたこと
山の中で倒れた飼い主に寄り添い暖めた子犬

 次のような動物美談がニュースになっていた。韓国で88歳の男性が生後2ヶ月の子犬と外出したが、行方不明になった。家族の通報で警察が捜索したところ山の中で倒れている男性を発見。男性は病院に運ばれたが、翌日退院し、「寒くて動けなくなったが、子犬はまるで意識を失っちゃダメといいたいように服を引っ張ったり、顔をなめ続けてくれた。その後は体を押しつけて暖めてくれた」と語ったそうだ。この美談(?)をテレビニュースでも取り上げてキャスターが「犬って本当に賢いですね」と賞賛し、ネット記事でも「子犬の恩返し」みたいな見出しが付けられていたが、私は甚だ疑問に感じた。もちろん子犬がなめ続けることで男性が意識を失わずにすんだかもしれないことや、あるいは寄り添って暖めたことで生命の危険を防いだかもしれないことは否定しない。だが、大いにウソっぽいのは、子犬が男性の置かれている状況を理解し、生命の危険を防ぐべく恩返しとして行動したかのような報道である。

 そもそも成犬でも人間に当てはめると2〜3才の幼児程度の知能しかないといわれる。成犬でも難しいのにわずか生後2ヶ月の子犬が、意識を失いかけている状況を理解していたとは到底思えないし、ましてや低温下で意識を失うと生命に危険が及ぶことを知っていたなんてあり得ない(人間でも知らない人がいるのに・笑)。ただ単に子犬自身が寒かったので男性に寄っていった可能性だってあるのでは? 体を押しつけたということだけで、どうして男性を助ける意志があったといえるのだろうか。
 おそらく生命に危険が及ばない状況下であったとしても、子犬は同じような行動をしたはずである。つまり状況を理解した上で助けようとしたわけではないということだ。

 この一件からわかるのは、子犬が男性を親のように慕っていたこと。次に結果論からいえば男性は一人で外出せず子犬と一緒だったことで死なずにすんだ可能性もある、ということだけである。多くの人が期待しているように本当にこの子犬が賢いのなら、家に戻ってワンワン吠えるなりして異常を知らせ、家族の人を男性の元に案内してもおかしくない(それくらいのことができる犬はいる)。賢いはずの子犬は、どうしてそれをしなかったのだろうか。男性がしっかりリードを握ったまま倒れちゃったので、本当はしたかったけど離れられなかった可能性もないとはいわないけど。

 日本に限らず世界中どこでも犬猫のことになると、なんでもいい方にとらえようとする風潮があって、これもそうだと思うけど、ちょっと異常だよな。どこかの宗教団体の信者が、教祖のすることすべてを絶賛するのと似ていて、はっきりいって頭を働かせていないのがモロバレで、なんともバカっぽい。

2012年1月17日(火)
最近のニュースで感じたこと
不確定性原理の予測が実証される

 昨日の朝日新聞に、不確定性原理の数式を書き換える名古屋大学教授の予測が、ウィーン工科大学の日本人研究者により実験で証明されたという記事が詳しく載っていた。不確定性原理というのは量子力学の理論のひとつで、物理不得意の私も大学生の時に講談社ブルーバックス『不確定性原理』を読んだこともあるが、本の内容は、とっくの昔にスッカラカン。あと大学の英語試験で和訳問題中の単語として出たこともちょっと思い出した。
 私は、とにかく死ぬほど英語が苦手なので、この時の試験結果も散々だったのだが、ブルーバックスのお陰で不確定性原理という用語は知っていたので、長い英文をたどたどと訳す中で、ほかの基礎的な単語はろくに訳せなかったにも関わらず、Uncertainty principle だけはしっかりと「不確定性原理」と訳しておいたら、結局、正解だったみたいだ。ほかに「不確定性原理」と訳せた人は一人もいなかったとのことで、本来は先生も褒めてくれてもいいと思うんだけど、試験の点数は散々だったし、むしろ一人しか訳せなかった現状を嘆いておられた。
 でもなぁ授業に出たわけでもないし、私が知ってたのも単なる偶然。理学部物理学科なら訳せなきゃいけないだろうけど、農学部で訳せると思う方がどうかしてるだろ。なんてったって量子力学は、まったく無関係だからねぇ。おそらく専門外の知識も幅広く吸収する努力をしてるかどうか見たかったんだろうけど。


2012年1月15日(日)
いろいろな林(リン)
唐突ですが、今日はいろいろな林(リン)を集めてみました。日本には、実に多くのリンがありますが、ついでに今、話題のリンも入れときました(笑)。みなさんは、どれくらい知っていますか?

水源林 保安林 拠水林 砂防林 原生林 雲霧林 研究林 落葉樹林 竹林 保護林 高木林 低木林 公有林 温帯林 風景林 風致探勝林 極相林 熱帯林 自然休養林 自然観察教育林 ブナ林 二次林 社叢林 巨木林 民有林 針葉樹林 河畔林 人工林 森林 極相林 保護林 社有林 遺伝資源保存林 演習林 原始林 国有林 李国林 照葉樹林 温帯林 群生林 防風林 炭蒔林 学校林 防風林 防火林 屋敷林 天然林 熱帯雨林 県有林 密林 亜寒帯林 寒帯林 鉄道防風林 防潮林 魚つき林 渓畔林 針広混交林 自然林 多雨林 一次林 共有林


2012年1月13日(金)
最近のニュースで感じたこと
橋下大阪市長の意見は、まったくその通り!!(2)

 昨日の記事(1)に続けて、わかりやすいように具体例を出そう。

@作家・桐島洋子の新型インフルエンザに関するコメント
 新型インフルエンザが問題になっていた時、フジテレビの情報番組で作家の桐島洋子が、「私も騒ぎ過ぎだと思うんです」と発言し、的外れな意見を並べ立てていた。どこまで対策すべきかという判断をするには、新型インフルエンザの感染能力などをきちんと理解した前提でなければ、どうこういえるはずもないのだが、その片鱗も知らない作家が、なんで「騒ぎ過ぎ」といえるのだろうか。何らかの科学的根拠を元にしているわけでもなく、単なる「素人の印象」の域を出ない意見を公共の電波に乗せる必要はない。自分の的外れな楽観論が広がれば、運が悪ければどこかで誰かの死に結びつく場合だってあることすら、この作家はまるで理解していないのだろう。同時期、新型インフルエンザについてコメントする文化人のほとんどが、桐島と同レベルだったのもついでに書き添えておきたい。
 実は、同じ番組に生物学者として一般にもよく知られている福岡伸一青山学院大学教授も出演されていて、記憶頼りなので不正確かもしれないが「新型インフルエンザをあまり楽観的に考えるべきではない」と、さすが生物学者らしい冷静なコメントをされていた。本来、ウィルスの問題なんだから、そういう知識がカラッポの作家にありがたがって意見を聞く意味もよくわからんし、そんな時間があるのなら福岡先生に解説でもしてもらえばいいのに番組司会者も福岡先生のコメントにピンと来なかったみたいで、スルーしてた。これが日本のテレビ局のレベルだってことをよく覚えておこう。

A作詞家・なかにし礼の福島原発の放射線に関するコメント
 テレビ朝日の番組で、作詞家のなかにし礼が、福島原発の政府対応を批判して、これもあくまで記憶頼りではあるが「放射線が、どこまでが危険で、どこまでが安全なのか、(政府に)はっきりしてもらわないと」と発言。もはや失笑レベルというのはいうまでもない。この発言のどこがおかしいのか、福島原発事故後、さまざまな専門家の解説もあったと思うので、もはや説明の必要もないだろう。多数の国民が視聴している番組で、上から目線で偉そうなコメントをいう前に、少しは勉強してから臨んではいかがですか、なかにしさん。


 似たような話はほかにもいっぱいあるし、残念ながら、これが日本のメディアの一面であることは間違いない。

2012年1月12日(木)
最近のニュースで感じたこと
橋下大阪市長の意見は、まったくその通り!!(1)

 年明け早々、橋下大阪市長が、テレビなどでコメントする大学教授がその分野に関する専門知識や実務経験がないにも関わらずコメントしていることをツイッターで激しく批判したそうだ。そのターゲットにされた一人が、浜矩子・同志社大学大学院教授。ついでに「紫頭おばはん」と呼んだことに関しては、のちに撤回して謝罪したというが、さすが橋下さん。よくわかっていらっしゃる。まったく我が意を得たりである。
 この橋下さんのツイートに対して、浜さんは、「彼の発言はほとんど子どもの悪口レベルで、議論と呼べるものではありません」とし、さらに「外から、為政者とは違う視点、違う立場で疑問や問題を提起することが、エコノミストや学者、ジャーナリストの最も重要な役割なのです。それがなくなればバランスのある社会を維持していくころは出来ず、独裁や全体主義を招きやすくなる」と反論されたそうだ。浜さんは、橋下さんがいいたいことをまったく理解してないね。違う違う。そういうことじゃない。

 浜さんの頭の中には、「大多数の一般国民」対「為政者」対「エコノミスト+学者+ジャーナリスト」という単純構図しかなくて、自分は為政者をチェックする役目を担う最後のグループに属し、ゆえに為政者に対するコメントをするのは社会使命とでもいいたいのだろう。でも、橋下さんがいいたいのは、たとえ浜さんがそのグループに属していたとしても自分の専門分野以外については厳密にいえは素人じゃないか、ってことだよ。浜さんが自分の専門分野に関してコメントするのなら問題ないのだが、専門外の分野であればいくら大学教授でも間違った発言をすることがあり得るし、それによって社会全体の利益という意味ではむしろ害になる可能性すらある。橋下さんがいいたいのは、その分野に精通した狭義の専門家がコメントすべきということであり、狭義の専門家でさえコメントしてはダメというわけではないと思う。

 橋下さんの意見はまったくその通りで、大学教授にしろ文化人にしろ、本当は専門外にも関わらず、なんだか「インテリ」という枠の中に入っているというだけで、公共の電波を使って的外れな意見を自信満々に発言している人って、実は割と多いのだ。その分野に精通した狭義の専門家がいちいち彼らの発言をチェックして採点するわけでもないので、いい気になってしゃべっている。しかも本人はもちろん、メディアも、大半の視聴者もそのことにまるで気づいていないのが問題ということだろう。これは正論である。前回の日記内容にも通じる話だ。

(2)に続く。
2012年1月8日(日)
原発是非の討論番組を見て
 年末に放映されたTBSの討論番組「ビートたけしのガチバトル」。2番目の「原発は日本に必要か不要か」の部分だけ視聴した。議論が熟す前に終わっちゃった感もあるが、それにしても武田邦彦中部大学教授は相変わらずだなぁ。はっきり物をいうので視聴者にわかりやすく、しかもなんとなく正義の論客っぽく見えるから騙される人も多いんだろう。確かに原子力安全委員会の内幕についても暴露して、興味深い話をされていたこともあるけど、もはやトンデモ学者としかいえないと思うね。どこまで故意なのかはよく見えないが、武田先生はセンセーショナルな発言をする方が世間のウケがよくて、それが結果的に自分のタレント価値を上げて利益につながるということを実によくわかっていて、学術的な許容範囲の境界線ギリギリ(もしくはややハミダシ)の立ち位置を自らすすんで選択しているように見える。

 こんなことをいうと、東大卒の大学教授なんだから武田先生が間違っているんじゃなくて、私の考え方に問題があるんじゃないかと思う人も確実にいるだろうが、理系大学で、それなりにきちんと勉強していれば、武田先生の発言におかしな部分が多々含まれていることに気づく人は少なくないはずだ。その一端を知りたければ、例えばアマゾンの武田本のカスタマーレビューをいくつか確認してみるといい。特に環境問題を取り上げた本のレビューには星1個で酷評している人が複数存在するが、彼らは、ほぼ確実に大学で生物・環境分野を専攻し、それなりの知識を有する人であろうと想像できる。なぜなら反論の内容が専門的で、しかも同意できる部分が多いからである。
 一方、星4個や5個の高評価をしている人は、そういう知識がない人であり、「テレビにもよく出ている大学教授だから、おそらく正しいことをいっている」程度の判断しかできない素人と断言できる。

 俳優の山本太郎氏の発言に関しては、すでに本項で何度も批判しているので、詳しく触れないが、この人の主張が正しく聞こえる人は、山本氏同様に視野が狭く単純な考え方しかできない、という以外に理由はない。たぶん頭の中に二分法の思考回路しかないのだろう。

 一般向けのテレビ番組では、原発賛成派VS反対派という構図の方がわかりやすいのは間違いないが、必ずしも賛成派=推進派というわけではないし、むしろほとんどの人は容認派というべきだろう。
 私としては、賛成派の論客として番組に出演されていた東京工業大学助教の澤田先生、札幌医科大学教授の高田先生、早稲田大学名誉教授の大槻先生の意見はすんなり耳に入った。そのうち高田先生は、両親の知人で、かつて広島大学におられた関係でお世話になったこともある先生なのだが、私自身は面識はなく、原発に関するお考えも今回の番組で初めて知った。先日、先生から両親宛に届いた文面(年賀状だったか手紙だったか忘れた)に福島原発事故の影響について触れてあり、母が電話口で一部読んでくれたが、その通りだろうと思った。放射線防護学の専門家としてのご意見は、確かに説得力がある。


2012年1月1日(日)
謹賀新年
    新年あけましておめでとうございます

 昨年は、日本にとって大変な年でしたが、今年は穏やかな平和な一年であってほしいものですね。今年も本サイトともども、よろしくお願いします。

   


2011年12月21日(水)
最近のニュースで感じたこと
金正日死去

 
意外とあっさり死んじゃったね。どんなに国民を抑圧した独裁者であっても、フセインやカダフィ同様に死という運命には逆らうことはできなかったわけだ。致死率100%という運命を背負わされている点だけは、人間はもちろん、ほぼすべての生物に共通していることなんだよな。わかりきったことではあるが、金正日みたいな人が亡くなると余計にそう思わずにいられない。
 それにしても金日成死去の時もそうだったが、相変わらずの「国民の慟哭映像」には笑っちゃうね。なんなんだ、あの茶番は。



山本太郎氏、外国特派員協会で会見

 今や反原発運動家として名が知られる山本太郎氏が外国特派員協会で会見を行ったそうだ。その中で佐賀県庁における抗議活動で告発された件に関して、佐賀地検から事情聴取を受けたことを明かし、「佐賀の方からならともかく、メディアでの報道を見た人からの一方的な告発は政治的弾圧以外の何ものでもない」と主張されたとか。
 うーん、なんじゃそれ。山本氏の活動を快く思わない政府が、何らかの圧力をかけたというのならともかく、佐賀地検に告発したのは一般の人だろ。地検とすれば告発を受理したら、そりゃ事情聴取くらいするだろうさ。それがどうして政治的弾圧なんだろうね?? 記者会見で政治的弾圧っていうのなら、その根拠をきちんと示さなきゃ。それがなけりゃ、単に想像だけで断言してるイタイ人で終わっちゃう話だよ。
 「地検の事情聴取には裏に政府の意向が反映されている→オレは政府から圧力をかけられるほどの存在」とでも思いたいのか知らないけど、政府にとっても電力会社にとってもあなたが思っているほど、あなたは「目の上の瘤」じゃないと思うよ。外国特派員協会での会見を要請されたことに、ますます勘違いに磨きがかかるんじゃないか。マスコミが意見を聞くというのは、必ずしもその人の意見に賛同しているわけでもないのだが、この人はどう見ても勘違いしそうだわ。被災地の人たち自身が復興へ向けての機運を盛り上げようと、安全を確認した上で企画した福島の駅伝を阻止しようとしたり、被災地にとっても迷惑な人としか思えないけどな。

2011年12月18日(日)
借りぐらしのアリエッティ
 空間は借りてるかもしれないけど、角砂糖やクッキーは盗んでるわけだから、正確には「借り&盗みぐらしのアリエッティ」だろ。いくら小人でも盗みはいかん!チュークリーンには捕まらなくても警察に見つかったら確実に逮捕されるよ〜。
 ところで、うちの自宅にアリエッティは住んでいないけど、車には確実にいるよ。だってさぁ、初めて行くところに限って、女の人のきれいな声がするんだ。どんな風にって、そうねぇ、例えば「400m先、右方向です」みたいな感じかな。着いたら着いたで「目的地に到着しました。これで道路案内は終了します。運転お疲れ様でした」とねぎらってくれるし、本当に親切な人なんだよな〜。きっと車のダッシュボードの奥とかに身長10センチのアリエッティが住んでいて、彼女が道案内してくれているに違いない! でも一度も姿を見たことはないんだけどさ。

2011年12月17日(土)
ND100000フィルター
 来年の金環食に備えて、早速、ND100000フィルターを購入した。77mm径で約1万円。同径の一般的なフィルターと比べれば安い方じゃないけど、これで金環食が撮影できるのなら、安いかも。100〜300mmのズームレンズは82mm径なのだが、77mmと58mmの2種類しかないので、ステップダウンリングで取り付けることになる。多少ケラレが生じるだろうが、どうせトリミングするので問題ない。昨日の午後、テスト撮影してみて、どれくらいの露出補正をすればいいか、ある程度の感覚をつかんだ。ただ、金環食ともなれば、当然、食の進行具合によって露出は変わるので、結局は本番で調整するしかないのだが。
 世紀の天体ショーは来年5月なのに、いくらなんでも気が早いと思われるかも知れないが、大学生の時、部分日食の少し前にND400フィルターを買おうとしたら、どこのカメラ量販店も品切れで買えなかった経験がある。また2009年7月の皆既日食の時も、観測できるのが東南アジアやトカラ列島などだったにも関わらず、やはり早くから品切れになったようだ。だから早めに買っておくことにしたのだ。おそらく今回もフィルターだけでなく一般向けの日食観測用品も品切れになることが予想されるので、金環食を肉眼で見たい人も早めにネット通販なので購入しておくことをおすすめしたい。


ND100000フィルターは、透過光を1/10万にするので、部屋の照明にかざすと、かろうじて蛍光灯や電球がわかる程度。とにかく真っ黒。太陽撮影用なので、当たり前の話だが。
そのND100000フィルターで太陽をテスト撮影してみた。皆既月食の写真と同じでRAWで撮影してトリミングしたもの。天体望遠鏡で拡大撮影すれば、もっとクリアな写真が撮れると思うけど、手持ちの機材では、これが限界。黒地に白丸を置いたようにしか見えないが、でも右下には黒点とかも写っている。
2011年12月14日(水)
金環食
 怪奇月食…ありゃ間違えた。もとい! 皆既月食の記事のあとは、次回の日食の話をもってくるしかないな。みんなは、来年、金環食が日本でも観測できるって知ってるかい? 皆既日食といえば、大抵どっかの遠い外国だったり日本国内でも南の島だったりして目にする機会はほぼゼロだろ。かくいうオイラも生まれてこの方、皆既日食をこの目で見たことはない(部分日食は何度かあるけどね)。ところが、来年5月21日の朝に東京や大阪といった大都市が並ぶ太平洋沿岸で金環食を見ることができるのだ! 皆既日食じゃないけど、この際、金環食でも見たくねぇか。あー見たい見たい。部分日食や皆既月食はそれほど興味ないけど、金環食ならすっげー見てぇ〜〜。
 これはもう、ND100000フィルターとか早めに買って用意しとくっきゃねぇな。直前になったら売り切れ確実だろうし。まあ、天気次第なんで結局曇って見られませんでした…というオチかもしれんが、でも晴れることを信じたいもんだ。金環食の詳しい情報は国立天文台のこのページに。あと、このサイトも詳しい。今から来年5月21日が待ち遠しくなってきた。あーそわそわ。誰か天気の神に今から快晴の祈願をしといてくれよ〜。

 
2011年12月11日(日)
皆既月食
 昨夜の皆既月食、みんな見たかい? うちの方は、食のはじめの頃に雲が邪魔して邪魔して、あまりに執拗に邪魔するので一人で雲に怒りまくっていたら、どうやらその怒りが雲に通じたらしく、皆既が最大になる前あたりから雲が消えて、よく見えたぞ!! 皆既月食見たのは久しぶりだな〜。天文少年だった中学生の時、皆既月食の日に友人たちと実家で観測会したのを思い出した。
 実家には当時愛用していた10センチ反射望遠鏡がまだそのまま保管されていて、その望遠鏡でもあれば本格的な拡大撮影も可能だが、でも反射鏡のコンディションを考えるとちょっと無理かもしれない(鏡面にカビとか生えていそう)。どっちにしてもここにはロクな望遠鏡もなく、唯一ポータブル赤道儀の4センチ屈折望遠鏡があるくらい。そのポタ赤を数十年ぶりに持ち出して、古いアイピースを取り付けて月に向けてみたら、割とまともに見えた。
 下の写真は、100〜300mmのズームレンズに1.4倍のテレコンバーターを付け、RAWで撮影したあとにPC上で多少手を加えてトリミングしたもの。そういう裏技で撮影したものなので、あまり出来もよくないが、それでも皆既月食の雰囲気を少しは切り取れたかな。



皆既月食/2011.12.10 23h39m54s
NikonD700 SIGMA100〜300mmf4 ×1.4teleconverter f5.6・1/1.6s ISO1600


2011年12月8日(木)
関西取材記(9)
 先月30日の午前中に自宅を出て、長野市へ。ちょっとした打ち合わせを終えて、夕方には長野道や中央道などを経由して三重県に向かった。だが、ここでひとつ失敗。カーナビに目的地を設定したまではよかったが、名古屋周辺の複雑な高速道路網のことをうっかり忘れていた。本来、高速道路というのは、途中に別料金となる名古屋高速道みたいな都市高速道路を組み込まない方がお得なのだが、カーナビでルート選択をせず、しかもそのままナビの案内に従っていたら最短距離の名古屋高速道を抜けることになってしまったというわけ。これは、前回取材の帰路にも失敗して、次から気を付けようと思ったばかりだったのに、またやってしまった。やや割高になったが、それでも夜には三重県に到着。以後は1週間に渡って、三重県、和歌山県、奈良県を取材してまわった。それも無事に終わり、昨日の夕方帰宅したところだ。
 
 さて、今回の取材で衝撃の事実が判明したので、みなさんにお知らせしよう。これは、確実にスクープといえるだろう!!
 ハブといえば、毒ヘビとして知らない人はいないと思う。実は南西諸島でもハブがいない島もあったり、サキシマハブなどの別種がいる島もあったり、はたまた毒自体はマムシよりも弱い(※噛まれた時に注入できる毒の量はハブの方が多いことなどもあって、全体的な危険度はハブの方が高いということになるらしい)ことはあまり知られていないかもしれないが、さすがに本州にハブが生息すると認識している人は皆無だろう。
 ところがだ! なんと奈良県にはハブが生息するらしい。というのも、そう考えざるを得ないものを奈良県で目撃してしまったのだ。
 下の写真は、奈良県某市の公園入口に設置されていた看板である。よ〜く読んでほしい。「ハブに注意」と書いてある。沖縄県の公園に立てられていたら普通に納得なのだが、撮影地は天地神明に誓って奈良県である。しかも市が管理する公園に立てられていたわけだからウケ狙いとは思えない。つまり、この公園内にはハブがいるということだ。マムシじゃない。あくまでハブだ。市がマムシとハブを間違えるなんてあり得ないのだ!! しかも看板は少し退色しており、設置されてからある程度の時間が経過していることを伺わせる。公園には普段から地元の人も多く訪れているはずで、もし間違いなら誰かが指摘して市に訂正させるはずだが、訂正されていないということは地元でも周知の事実だからに違いない。沖縄県と奈良県という非常に距離が離れた隔離分布の例として生物学的にも非常に興味深いところだ(笑)。

 奈良県の人はきっと「細かいことにいちいち目くじら立てていたら古都なんかやってられるか」みたいな考えから間違いに寛容なんだろって意見には断固反対! 誰が何といおうと奈良県には絶対にハブが生息するのだ!! 

 
2011年11月29日(火)
関西取材記(8)
 取材先で、その地域の特産物を買うことは滅多にない。そもそも土産物屋に立ち寄ることがあまりないからだが、今回は珍しくあるものを買った。奈良県宇陀市の道の駅売店に入ってみたら、さすが有名な産地だけあって吉野葛を売っていた。葛湯と一緒に購入し、帰宅後、吉野葛の方は実家に送った。母も珍しがって、早速、葛の透明な衣で餡をくるんだ和菓子を作ったといっていた。製造販売元は、「創業四百年」という老舗らしく、しかも葛の根を掘り出して、精製するわけだから、手間もかかるのだろう。結構な値段だったが、こういうものなら購入したくもなる。
 あとそうそう。これもやはり、奈良県内のことだが、ある取材地に無人販売所があった。長期取材中に農産物を買っても仕方ないので、普段は見ることもないのだが、ここには、ちょっとおもしろいものがあった。棚田で作った黒米、赤米、香り米をブレンドしたものを小袋に入れて売っており、1袋100円と安かったので、買ってみた。帰宅後、お米にほんのちょっとだけ混ぜて炊いてみたら、香ばしい香りがぷーんと立ち込めて、ご飯は薄紫色に染まっていた。


購入した吉野葛。正確な値段は覚えていないが、300gで1600〜1700円くらいだったと思う。実際には、さらにビニール袋に入っていたが、撮影には邪魔になるので取り外した。
2011年11月27日(日)
関西取材記(7)
 三重県津市南部にある道の駅で車中泊したときのこと。3桁国道が通るだけの山里にあるためか、夜になるとガラ〜ン。駐車場に停まっているのは、私の車のみ。自販機とトイレの照明が闇を照らすだけで、周囲にも人家は少なく、ちょっと怖いくらい。でも、しーんとして車中泊には快適であった。
 夜、トイレに行こうと車から出てみると、澄み渡った星空が広がっていた。久しぶりに星野(せいや)写真を撮りたくなって、フリースで防寒した上で、三脚を広げてバルブ撮影に挑戦。過去、フィルムカメラでは慣れていた撮影法だが、デジタルカメラで星野写真を撮ったことは一度もなく、まずバルブはどうすればいいのかもわからず、しばらくカメラをいじってようやくやり方がわかる。レリーズもないので、ワイヤレスシャッターレリーズを流用して、何とか撮影した。それが以下の写真。デジタルカメラで長時間露出を行うと、ノイズが発生する欠点があることは以前から知っていたが、予想をはるかに超える無数の白点や赤点のノイズが発生し、ちょっとびっくり。ROW現像ソフトでノイズリダクション処理したので比較的目立たなくなったが、それでも完全に消すことはできなかった。


  
下の方に見えるのは、冬を代表するオリオン座。その上に「すばる」ことプレアデス星団。右上の明るい星は、たぶん木星。斜めに横切る線は、飛行機の光跡。ひとつ小さな流星も写っていたが、この画像ではわかりにくい。5分間露出。三重県津市・道の駅美杉にて

2011年11月26日(土)
関西取材記(6)
 奈良県下北山村の山中には、前鬼という変わった名前の集落がある。集落といっても現在、定住者はいない。ここの起源は、修験道の開祖・役小角(えんのおづぬ、えんのおづね。役行者ともいう)が活躍した奈良時代にまで遡り、まさに修験道と深いつながりがある場所なのだ。役小角には、前鬼と後鬼という夫婦の鬼が従ったとされ、前鬼という地名はこれに因む。二人はここで五人の子供をもうけ、それぞれ宿坊を営む家系として明治時代まで続き、現在はそのうちの五鬼助(ごきじょ)家だけが、大峰奥駈けが行われる時期だけ宿坊を開いているという。現在の当主は、61代目にあたるそうだ。
 前鬼集落というのは昔から知っていて、いつか機会があれば訪れてみたいと思っていたのだが、先日、その入口にあたる林道終点まで行く機会があった。大峰山系の谷沿いに続く林道を延々と奥へ。途中、日本の滝百選にも選ばれた不動七重滝を望み、やがて林道終点に到着。ごく普通の登山口で、これといって特筆すべきものはなかったが、前鬼の近くまで行けたのはよかった。いつか、前鬼経由で大峰山系にも登ってみたいところだ。


前鬼林道から望む不動七重滝(上)。天川村立資料館に展示されていた役小角と前鬼・後鬼像の写真パネルからの複写。中央が役小角、左が男の前鬼、右が女の後鬼(右上)。後鬼の出身地と伝えられる天川村には、かわいらしい後鬼の石像が(右下)
2011年11月25日(金)
関西取材記(5)
 8日間、奈良と三重をまわり、22日夜に一旦帰宅した。9月の台風で大きな被害があった奈良県十津川村や五條市大塔町にも足を運んだが、巨大崩落跡があちこちに見られて、自然災害のすさまじさを実感した。以下の写真もそのひとつで、真ん中あたりに林道が通っていたわけだが、それを覆い隠すほどに土砂が流れている。ここは生活道路とは無関係なので、無対策のままなのだろう。国道ですら、一部、迂回路が造られ、夜間通行止のところもあったほどだ。あちこちで大規模な復旧工事が進められ、まだ薄暗い早朝も照明をつけて工事が続けられていた。あたり一帯が騒然とした雰囲気だった。




2011年11月15日(火)
無題
外装塗装工事

 今月頭からアパートのリフォームで外装塗装工事が始まり、先週からもう何日も雨戸が閉まったまま。仕方ないとはいえ、ずっと自宅で仕事をしている身としては、昼でも真っ暗な部屋で電気を付けて暮らさなきゃならない環境に置かれて、少々うんざり気味。洗濯して干すのもひと苦労なのだ。


勝間和代・山本太郎対談

 先日、BSジャパンで再放送された勝間和代・山本太郎両氏の対談番組を見た。途中から見たので前半部分の内容は不明だが、感想としては「…うーん」としかいえなかった。勝間氏の意見はすんなり耳に入ったが、山本氏の意見は「なんだかなぁ」という感じ。当初、事務所を辞めてまでして自分の信念を貫くところは立派だと私は思っていた。しかし、いろいろな活動や意見を見聞きするうちに違和感を覚えるようになり、この番組を見てさらに強くなった。この人は、反原発団体と活動されているようだが、典型的な集団極性化に陥っており、事実誤認や論理の飛躍が見受けられ、自分は日本の子供たちを放射線から救うヒーローであると自己陶酔しているようにも見える。すべての意見を否定しないが、ややヒステリックな論調で、付いていけなかった。
 世の中には、議論しても無駄な人、つまり健全な議論ができない人もよくいて、私にいわせれば、山本氏もどちらかというとこのタイプ。簡単にいえば、次の特徴がある。
@自分の意見に確信を持ち過ぎている。本来、自分の意見であっても「その考えは本当に正しいのだろうか」と客観的に自ら検証してみる冷静さも必要なのだが、そういう発想は一切ない。信念をもつのは結構なことだが、それは検証に検証を重ねた上での自信でなければならないはずだ。その部分を完全にスルーしちゃってるにも関わらず自信満々なのもなぁ。その過程を経ていなければ、盲信といわれても仕方ない。
A無意識的にしろ意識的にいろ、自分の考えが正しいことを他人に認めさせたい願望が、頭の中で真理よりも上位に位置している。こういう人って割とよくいるんだな。真実よりもメンツ優先みたいな北朝鮮的思考傾向の人って、みんなのまわりにもいるだろ(笑)。
 
 まあ、本当のことをいっちゃえば国民の何割かは表面的な判断しかできないのも事実なんだけど、なんとなく社会人としての対等な意識もあってか、物事を多面的に見たり論理的に思考する訓練がまるでできていないにも関わらず、自信満々に意見を主張する人も多いのだ。もともと男性は、男性ホルモンの働きで、その傾向は女性よりも顕著なんだけど、それに加えて年齢が上というだけで自分の意見の方が優れていると自動的に思い込んでいる人もよくいて、閉口させられることも多いんだよな。もちろん意見をいうのは自由なわけだが、そういう人たちがごく少数ならともかく、数が増えて社会に一定の影響力を及ぼすようになると笑って見ていられない。対等な社会人の割には、いろいろなことを理解していないことも多いので、いちいちその点を説明しなければならないのもウンザリ。おそらく勝間氏も収録中に内心ではそう感じたんじゃないだろうか。
 原発は人の命を犠牲にするのでノーを突きつけるべきというが、現段階では完全な代替発電は技術的にも不可能で、全原発を停止させて電力不足に陥れば、それはそれで人の命に関わるということにも気づいていないお粗末ぶり。電力不足が人の命に関わる事態としてどんなことが考えられるか、想像力を駆使して想定してみよ、といいたいね。こんなことも想定できないレベルでありながら自信満々に意見を主張しない方がいい。


明日から取材に
 
 14日夕方からしばらく取材に行く。1週間くらいで一度帰宅するか、ぶっ通しで2週間行ったきりになるかはまだわからないが、しばらく更新はできない。ちょっと早いけど、今日の記事は15日の更新にしておいた。

2011年11月9日(水)
近況
 ここ数ヶ月ずっと掛かり切りだった仕事がついに手を離れた。予定よりも遅れたけど、その本は今月下旬に刊行になる。近いうちにまた関西方面の取材に出かけるので、度々の更新はまだ当分できないけど、近況を少々。

 先週、再校と三校の合間に2日間、長野へ取材に出かける。久しぶりの「歩く取材」。ずっとデスクワークだったから体力が落ちているだろうな。確かに脚力の低下を少し感じたが、思ったほどではなかった。のどかな里山を抜ける道は、カラマツの黄葉が真っ盛り。翌日は大町市の唐花見(からけみ)湿原に久しぶりに立ち寄る。十数年ほど前に何度も訪れたところだが、変わりなく迎えてくれた。この時期、周辺の湿原には見るべきものはないが、ここだけは例外で、ミヤマウメモドキが赤い果実をいっぱいに付けて絵になるのだ。もうひとつの取材予定地はキャンセルして午前中に帰途に就く。





 自宅に戻ったところ、ちょうど三校が出た。予想していたより出校が早く、取材を早めに切り上げて帰宅したのは正解だった。印刷会社のサイトから直接PDFファイルでダウンロードし、レーザープリンタで出力。校正作業をしたあとスキャナーに通してPDFファイルにして出版社に戻す。直線距離で約400キロも離れているのに、やりとりは瞬時。昔だったらこうはいかない。

 ところで前回の記事に書いた件だけど、この1ヶ月、ずっと腹八分目を続けたところ、約2キロも体重が減少。でも体重って食事の前後などによっても変動するものだから、「0.5キロ/日」程度のブレまで気にしてもしょうがないので、体重を計る時間帯をおおむね決めておいて、3日ごととか、1週間ごとに平均値を出して比較する方がベター。実際にやってみたら、最初だけ足りない感じがあったけど、慣れればなんてことはなく、このまま続けられそうだ。来春までに「マイナス10キロ」が目標だ。


                                              ☆ 
2011年9月29日(木)
長寿の秘訣・サーチュイン遺伝子
 今年ほど山に行かなかった年は珍しい。5月に出版社の依頼で栃木の山に登ったのと7月に関西取材のついでに伊吹山と京大研究林をちょっと歩いたくらいで、あとはまったくなし。先月と今月は結構ハードなデスクワーク続きで、毎日12〜14時間もPCの前に座りっぱなし。疲れてくると、どうしても甘いものが食べたくなり、ついつい過剰摂取になってしまうのも困ったものなんだよな〜。ところが、先月に放映されたNHK教育テレビ「サイエンスZERO」で、ちょっと衝撃的な事実を取り上げていて、それを見てからというものセーブするようになった。

 同年齢のサル2頭に、一方には腹いっぱいになる量のエサを与え、もう一方には30パーセント少ないエサを毎日与え続けると、やがて前者のサルはしわも増え、毛も抜けて、いかにも老いぼれた容姿になっちゃうのだが、後者のサルは若々しさを維持している。その違いの理由が番組で明らかにされ、「えぇ〜!! そうなの!?」とびっくり。こうも説得力ある形で見せられたら、もう行動に移すしかない。
 後者のサルが若々しいままだったのは、進化の過程で飢餓を乗り切るために獲得したとされるサーチュインという酵素が、老化防止に関与する遺伝子を次々にONにするからだという。十分なカロリーを摂取しているとサーチュイン遺伝子は不活性だが、摂取量が減ってくると活性して、それにより身体は飢餓に対応できる省エネモードになり、体内で発生する活性酸素を消す物質を作ったり、免疫を正常化したりして結果的に老化を防ぎ長寿になるというのだ。身体だけではなく、当然、脳の老化も防ぐという。昔から「腹八分目は長生きの秘訣」みたいにいわれていたことには、科学的根拠があったことになる。ブドウの皮には、サーチュイン遺伝子を活性させる物質があるそうなのだが、アメリカではさらにその千倍もの効果がある新しい物質も見つけられているという。
 ただ、当たり前のことだが、食べ物を通して栄養分をとることも重要であって、食事の量を減らせば減らすほどよいというわけでは決してなくて、あくまで食べ過ぎによるカロリー過多はダメってことだから、そこは勘違いしないようにしようね。カロリーが減るほどサーチュイン遺伝子の活性度はどんどん高まるようだが、あまり減らすと逆に身体にはよくないし、カロリー制限の成功率も低下する。そのバランスで最適なのが25パーセント減らすことだという。つまり腹八分目が正しい目標ということらしい。みんなもカロリーを少し制限してサーチュイン遺伝子をより活性化させて長生きしよう。


 
こういう情報があるのとないのでは、寿命にも関わってくるわけだから、いかに情報が重要かわかるだろう。平和な現代社会では、何も知らなくてもとりあえず生きていける。でも何も知らなければリスクを回避できないのも間違いない。世の中には、そういう意識が恐ろしく低い人もいっぱいいて、本当のことをいえば淘汰されやすい状態に自らを置いていることにも気づいていない「お気の毒な人たち」なんだよな。もちろん個々の人間を比較すれば、どっちが幸福な人生かってのは何ともいえないんだけどさ。

 それはさておき、この秋にはフィールド取材で体重を減少させ、加えてカロリーセーブも実行して、サーチュイン遺伝子を活性化させよっと!!


2011年9月21日(水)
脱原発!!
 原発反対のデモ行進が行われたそうだ。問題なのは、じゃあいつから脱原発にするのかって話なわけで、原発によって懐が潤っている人以外は、「脱原発」自体には誰も異を唱えないだろう。大江健三郎が意見をおっしゃるのも結構だけれど、いくらノーベル賞作家といっても、はっきりいっちゃえば科学技術に関しては素人さんだから。「作家」という肩書きに「ノーベル賞」とつけば無敵みたいに感じる人も多いんだろうが、確かに作家という職業の人はおおむね想像力や直感力に優れているのは認めるけど、その代わりに科学的な思考能力や技術的な理解力には難があることが多いのは紛れもない事実だね。
 また私は原発を擁護するつもりはまったくないが、原発反対派の意見には「それはちょっと違うんじゃないか」と感じることも多い。例えばこういうことだ。


意見1 福島原発の事故を見れば、日本に54基もの原発があること自体恐ろしい。
 福島原発は、緊急用の発電機が防水もされていない地下に設置されていたそうだから、津波の被害をまったく想定していないお粗末な設計だったのは間違いない。あの事故は、確かに半分は天災だったが、残り半分は人災以外の何物でもない。もし、日本中の原発が同様の設計だったのなら、そういいたいのも理解する。いや、それどころか「冗談じゃない」と怒りに震え、私もデモに参加してるだろう。だが福島原発はむしろ例外的で、ほかの原発はここまでひどくはないと思う。ほかの原発も福島同様に危険であると短絡的に考えるのもどうかと思うね。確かに福島原発の危険性を見過ごしてきた国や東京電力がいくら安全性を強調しても、もう信用できない…といいたいのはよくわかるけどさ。


意見2 人の命を犠牲にしてまで電気を使いたいとは思わない。
 確かに正論だと思うが、であるのなら同じ理屈で「人の命を犠牲にする車に乗りたいとは思わない」と宣言してほしい。いくら交通規則を守って安全運転を励行したとしても運悪く生身の人間とぶつかれば命に関わる事態になる可能性は十分あるし、悲惨な事例はこれまでゴマンと繰り返されてきた。
 また私たちは日常的に遠くの地方で生産された商品や農産物を当たり前のように買って生活している。でも、その流通の過程では確実にそれらを運ぶトラックによって交通事故がある程度の頻度で発生し、死者も出ているわけだ。ただ、自分たちが買う商品と交通事故死者との関連性が表向きは一切見えず曖昧なだけだろう。それらと原発を比較したとき、何らかの根拠を元にして原発の方が犠牲が大きいというのならともかく、たぶんほとんどの人はその点に気づいていないし、正しいデータを元に比較すら行われていないはずだ。
 原発をやめても電力がゼロになるわけではないし、やがては代替発電も進むのも間違いなく、それほど困らないが、一方、流通がなくなれば、すべての生活が成り立たなくなるからね。あまりに今の生活環境が便利なので、どこかで死者が出ていても、その現実には目をつぶりたいのがホンネではないか。「人の命を犠牲にしてまで電気を使いたいとは思わない」というのは、そういう矛盾も含んでいるんだけど、声高に叫んでいる人がこの点を理解しているとは思えない。


意見3 日本もドイツと同じように国として具体的な目標を決めて脱原発を宣言してほしい。ドイツができるのになぜ日本はできないのか。
 ドイツは隣に原発大国フランスがあって、国内に原発がなくてもフランスの原発が作り出した電力を輸入すればすむ話だから比較的ハードルも低くて宣言できた。日本は周囲を海に囲まれているので隣国から電力を輸入できないし、都合のいい原発大国も近くにない。仮に技術的には中国から電力を輸入できるとしても、それは安全保障上極めて問題があるからほぼ不可能。だからドイツはできるけど、日本ではそう簡単にはいかないってことだろ。

 私の父は原発も作っている会社の技術者だったし、母方の祖父は電力会社の技術者で、原発を擁護したいんじゃないかと誤解されそうだが、そういうのはまったくない。祖父が現役のころ、そもそも原発すらなかったし、父も原発関連の事業所には無縁で、今は現役を退いている身分だし、個人的に原発に関する利害関係はゼロで、従って擁護しなきゃならない理由は一切存在しない。むしろ私自身は、原発はあくまで次世代発電技術が確立するまでの「つなぎ」で使うだけにして、やがてはなくする方がいいと思っている。でも、原発反対の意見を聞くと、ややヒステリックで、冷静さにちょっと欠けているように感じる。


2011年9月20日(火)
関西取材記(4)
 このところ忙しくて、なかなか更新できなかった。仕事は、まだ終わったわけじゃないけど、ちょっと一段落したので、日記でも書いとこ。
 先々週も2日間ほど関西へ行ってきた。和歌山や奈良で大きな被害を出した台風の直後だったこともあって、取材ができるかちょっと心配したが、目的地は兵庫、大阪、滋賀だったし、これ以上はのばせないので決行することにした。実際に行ってみると、おおむね問題はなく無事目的を果たす。

 ただ滋賀県では、こんなこともあった。ある林道で取材していたら、奥の方から車がやってきて、私の前で停まり「この先で土砂崩れがあって抜けられないですよ」と親切に教えてくれた。さらに奥にも取材予定地があったので、「落合まで行けますか」と聞くと、「いや、無理無理。崩れているのは500m先だから」。
 次の予定地は諦めるにしても、土砂崩れ現場をちょっと見てこよう。行ってみると急崖から岩や木が落ちて舗装林道を完全に塞いでいた(下の写真)。でも、崩落としては小規模だから、明日には復旧するだろう。往路を戻っていると小型のパワーショベルを載せたトラックと出会う。これから土砂を取り除くのだろう。市道まで戻ると、行く時はなかった通行止看板が置かれていた。




 
ほかにも兵庫県では不思議な光景を目撃。青々とした田んぼの真ん中に軽自動車がぽつんと一台あるのが目にとまった。それは、田んぼと田んぼの間の道路に停まっている車というわけではなく、確かに田んぼのど真ん中にあり、車の周囲は隙間もなく稲に囲まれているように見えた。また近くの道路路肩には、全体に土砂をかぶって汚れ、ナンバープレートが取り外された軽自動車も一台。一瞬、両方とも台風の被害なのか、と思った。だが、付近の道路は至ってきれいで周囲の民家も特別変わったところは見受けられず、台風被害を思わせる痕跡はまったくない。後者の車は運悪く、ガード下みたいなところで水没しちゃったのかもしれないが、前者の車はどういう理由で田んぼにあるのか不明。台風が通過したのは前々日で、押し流された自動車が田んぼの真ん中に取り残されたにしては、田んぼの稲はきれいにすっくと立ち、寝ている稲は一本もないようだったが…。たぶん田んぼの所有者が乗らなくなった車を田んぼの一角に放置している、というのが一番可能性が高そうだけどね。それにしても不思議な光景だった。写真を撮っておけばよかったなぁ。

2011年8月28日(日)
夏休み+関西取材記(3)
 あー、もう夏休みが終わっちゃうな〜。みんなは、もう宿題終わった? オレ全然まだなんだよな〜。ちょっとヤバイな。先生に怒られそう(冷や汗)。 
 ん? あれ? そうか!! よく考えてみれば、もう宿題しなくてもいい身分だったの忘れてた! 
 でも今年は、一度も町内会のラジオ体操に行ってハンコもらわなかったなぁ〜。首にかけるヒモ付きの出席カード、真っ白い状態で玄関にかかったままなんだよな。 ん? いや、これも行かなくていい身分だった!! オレも子供の頃と比べれば出世したもんだなぁ〜(しみじみ)。

 小学生の時、夏休みの宿題はさっさと済ませたあとに存分に遊ぶタイプだったから、「明日、始業式なのに宿題やっていない!!」という夢は一切見たことがない代わりに「明日、大学受験日なのに全然勉強していない…ヤバっ…」っていう夢は未だに見るんだよな(泣)。なんなんだろうね、あれ。

 ところで今、秋の刊行に向けて本を作っている最中で、毎日、ぶっ通しで原稿を書いたり、あちこちに電話取材している。
 先々週くらいの話だが、京都市某所にある民間駐車場について問い合わせをしようと、そのオーナーさん宅に電話したときのこと。名前を「モノベ」とおっしゃるので、「日本史に出てくる物部(もののべ)氏と同じ字ですか?」と聞いたところ、「えぇ、うちは物部氏の末裔なんです」といわれたので、びっくり。さすが京都だなぁ。こんな体験、今まで一度もないぞ。なんでも古い家系図も残っていて、付近の山林を何千町も所有されているそうで、さすが旧家は違うな、と感心した次第。駐車場の電話取材くらいで、物部氏の末裔の方とお話ができるとは思っても見なかった。ちょびっと得したよーな体験だったぞ!!


2011年8月23日(火)
妖怪がいる!
 うちのアパートには、共同のBSパラボラアンテナが立っていて、BSチューナーさえ買って衛星放送契約すれば簡単に視聴できるという事実が最近になって判明した。たぶん入居時に不動産屋から説明はあったのに、あんまり関心なくて忘れていただけなんだろう。
 今、メインで使っているPCにはBSチューナーも付いているので広島の実家に持ち帰った時は、BS放送も見ていたが、自宅でも見たいとはあまり思わなかった。しかし、せっかく共同アンテナがあるのなら見ようかなと思い直し、衛星放送の契約もして、ようやくBS放送も視聴できるようになった。
 で、最初に見たのが、先日NHK・BSプレミアムでやっていた「新日本風土記・妖怪」。その中で広島のヒバゴンを取り上げていたけど、あれはUMA(未確認動物)だろうから妖怪として取り上げるのもどうなんだろうね。また熊野神社に伝わる巻物にヒバゴンみたいな神が書かれているというのは、昔からいわれている話だが、彩色も鮮やかで紙の劣化もなく、しかも巻物を広げて見せる神主の扱いが割と雑で、本当に歴史的価値がある貴重な巻物なのだろうか?、という疑問を払拭できないぞ〜。でも高千穂の旧家で目撃された真っ黒い妖怪の話とか結構おもしろかった。

 ところで、オイラは山で何度か妖怪を見たことあるんだよね。「またまた〜」とかいって失笑するなーっ(怒)。うん、うん、誰が何といおうと確かに見た!! その話は、またの機会に譲るとして、実はウチでも妖怪の気配を感じることがあって、先日、ついに恐るべきことが起こった。みんな今晩寝られなくなるのは確実だろうけど、敢えてその恐怖の体験を語ろう。

 先週、乾電池を入れ替える必要が生じて、いつもストックしてある箱を見てみた。先月見た時は、まだ未使用のエネループ(サンヨーの充電式乾電池)が6本くらいあったのはずなのに、なぜか1本もないのだ。あれれ?? どこいっちゃったんだろう。念のため周囲も探したが、やっぱりない。……ということは……これはもう、どう考えても「妖怪エネループ隠し」の仕業に違いない。コイツは、なぜかピンポイントでエネループだけ狙って隠しちゃうけど、普通の乾電池には目もくれないという、恐ろしい妖怪なのだ。この妖怪に棲み着かれると、停電になったときにエネループが使えないという恐怖の事態を引き起こすのだ!!! みんなも妖怪エネループ隠しにはくれぐれも気をつけてくれ!!

2011年8月14日(日)
関西取材記(2)
 確か滋賀県高島市あたりでのことだったと思う。周囲に田畑が広がる、のどかな道路を走っていると、少し距離を置いて先行していたトヨタのレクセスが、道の途中で急に停まった。後ろから見る限り、動物が飛び出したとか、道路上に何か邪魔なものが落ちていたようにも見えなかった。
 すぐに追いついて、「動き出すのを待とうかな、それとも追い越そうかな」と思いかけていると、手で先に行けという合図。追い越したあとルームミラーを見て、理由がわかった。レクセスの前にいたのは、割と大きな一匹のカメ。首を長く伸ばして、道路の真ん中でじっとしていた。すぐにドアが開いて男女が出てきたところまでは見えた。おそらく、このままでは車に牽かれちゃうから移動させてやろうと思ったんだろう。まあ、オレでも同じことしたと思うし、山間部を走っていると、横断中のヘビと遭遇することも多い。慌ててハンドルを切って、ヘビをまたぐのはよくあることだ。ヘビだって、安易にひき殺すのはかわいそうだからね。

 今回の取材では、ほかの場所でも田んぼそばの道路路肩を歩いているカメを見かけたし、道路で休むタカ類やアオサギを何度も見かけた。こういう体験は、ほかの地方ではあまりないので、ちょっと意外に映った。




兵庫県三田市の道路上で見かけたアオサギくん。車で接近しても動じず、至近距離からガラス越しに撮影。しかしドアをちょっと開けた途端、飛んで逃げてしまった。この行動から推察できるのは、アオサギは車と人間を区別して、車よりも中に乗っている人間の方が危険だと認識しているってことになるんじゃないか。なかなか正しい判断だね。

2011年8月2日(火)
関西取材記(1)
 関西取材であった出来事、見つけたものなど、不定期で連載します。まず今日は、その一回目。

 滋賀県甲賀市に行ったときのこと。甲賀といえば、伊賀とともに忍者で知られる土地だが、さすがに現代の世に忍者はいないというのが常識だろう。ところが、今も忍者が裏舞台で暗躍している可能性を示す証拠を同地で偶然見つけてしまった。これを公開すると、忍者集団から命を狙われるかもしれないが、敢えて公開したい!! これだっ ジャーン




 な、完全に忍者がいる証拠だろ。ガキでもなけりゃ、イノシシでもないんだぞ。忍者だぞ忍者!! どこかに隠れて生き延びているんじゃないかと思ったが、うーむ、やはりいたか。忍者を今も育む関西恐るべし。
 実はオイラの将来の夢は忍者になることなんだけど(年いくつだよってツッコミ禁止)、本当にいるのなら弟子入りでもするかな(笑)。なんてったって、手裏剣シュシュシュって投げたいじゃん!!

 ちなみに走行中、この看板に気づいたので、わざわざ車をUターンさせて撮影した貴重な一品なのだ。


 




このページトップへ