Nature
日記
 2014年8月〜2015年6月
過去の日記目次
2015年7月27日(月)
久しぶりの取材
 先週、3連休明けに久しぶりに取材に行ってきた。熊野古道で右手を怪我して以来、初めての取材である。しばらくの間、何も持てないほど痛みがひどかったが、それに比べればかなり治ってきた。しかしまだ手首には腫れが残り、手の曲げ方によってはじーんと痛みが走る。とはいえ、完治するまで待つわけにはいかない。不安がないわけではなかったが、岐阜、新潟、長野方面を2日間まわった。

 1日目、岐阜県の山へ登る。険しいコースではないので、登山自体に問題はなかったが、カメラのレンズを交換しようとして、早速、困った。これまでは左手でカメラ本体を持ち、右手でレンズを回していたが、痛くて回せないことに気付く。まさかレンズ交換で壁にぶち当たるとはなぁ。ただ、何度か交換しているうちにコツをつかんで、以降は時間はかかるが交換できるようになった。

 2日目、北アルプス山麓で朝を迎える。午前4時、空は快晴だが、山を見ると雲がかかっている。6時の時点でも雲に変化はなく、これじゃ上に行ってもダメだなと予定を急遽変更。近くの取材対象地へ。県道入口で単独の男性登山者から車に乗せてほしいと頼まれたので、登山口まで乗せてあげた。これから北アルプスを幕営縦走するという。車中で山の話をしながら登山口へ。
 重そうなザックを担いで出発する彼を見送り、私も取材の準備をして少し遅れて出発。3時間ほど取材して登山口に戻り、糸魚川から北陸道へ入り、新潟−長野県境の峠へ。この頃は快晴で気温はぐんぐん上昇。しかも、つづら折りの登りが続く県道ということもあって、ラジエーター温度計の警告表示が出るほど。付近で軽く2件取材したが、2件目の頃は雲が広がり、車に戻った直後には雨もパラつく。翌日の天気予報は芳しくないので帰宅することに。

 今週も取材に出る予定だが、明日は雨になりそうなので見合わせ中だ。

2015年7月16日(木)
冥王星
 アメリカの探査機・ニューホライズンズが冥王星に最接近。これまでは、ものすごくぼや〜とした画像でしか見たことがなかった冥王星のはっきりした姿を見て感慨深いものがある。
 中学2年生の夏休み。理科の自由研究タイトルは「太陽系」。太陽系の惑星を水星から順を追って調べて数十ページの記事にまとめた。
 当時は、冥王星が惑星ということに疑いの余地はなかったし、探査機による明瞭な写真があったのは木星まで。冥王星がどんな星なのか、地上からの観測データがあるくらいで、あとは想像の域を出なかった。

 まさか生きているうちに冥王星の明瞭な姿を拝めるとはなあ。タイムマシンがあれば、当時の自分に冥王星の写真を見せて驚喜させたい衝動にかられるほとだ。
 しかも、表面に大きなハート形の模様があるのもおもしろい。「冥界の星」というよりも、今後は「愛の星」とか、「恋愛成就の星」とか呼ばれて人気が出そうだね。

 科学技術の分野では、アメリカ人の先進性や発想力に感心することが多いが、ニューホライズンズも同様だ。まさにフロンティアスピリット。本当に素晴らしい。


2015年7月14日(火)
最近のニュースで感じたこと
ギリシャ財政問題

 ギリシャという国は、訳がわからんな。国民投票をして改革受け入れを拒否したと思えば、一転、改革を受け入れると言い出したり…。外国から金を借りといて、自分たちの生活は変えたくない…どういうワガママなんだよ。メルケルやドイツ国民の怒りも当然だろ。チプラスもギリシャ国民も見識があるとは言い難い。

 それにしても徹夜で会議するよりももっといい解決策があるよ。忘れてないか。ギリシャといえばギリシャ神話の国だぞ。ボクちんなら、まずなによりも最初にオリンポスの神々に頼んでみるけどな〜。それがダメなら最後の手段。最高神・ゼウスに直談判だっ!! なんたって全知全能の神なんだから、43兆円の借金くらい、なんとかしてくれるって。「ギリシャ国民にゼウス様の偉大な力を見せつける絶好のチャンスです」とかなんとかいって持ち上げりゃ、ゼウスだって「確かにそうだな」ってなるだろ。日本でも「困った時の神頼み」っていうじゃん(笑)。


2015年7月12日(日)
時間は存在するか
 NHK・Eテレの「モーガン・フリーマン 時空を超えて」は、おもしろい。アメリカの俳優、モーガン・フリーマンが案内人となって進行する科学番組で、先日は「時間は存在するのか」というテーマだった。イギリスの理論物理学者は、こういっているそうだ。

 
時間が存在するというのは幻想に過ぎない。

 やっぱ、そうか!! 実はボクちんも薄々、そうじゃないかと思っていたんだよね〜(笑)。

 
一方、時間は存在すると考える物理学者もいる。時間はビックバンの前から存在し、宇宙が終わった後も続くとし、それを証明するには光が長い距離において速度を変えるかどうか観察すればいいと考える。

 ほぅ。

 
光は秒速およそ30万kmの速さで進む。もし時間が存在せず宇宙が不変ならば宇宙のどこにおいてもその速さは変わらないはず。

 なんで???

 しかし時間が存在するなら時の経過とともに光の速度が変わる可能性がある。物理現象の基本法則のひとつである光の速度が変わるということは宇宙が不変ではなく変化しているということであり、時間が存在しないはずがない。

う〜む。物理不得意のボクちんには、まったくもって難解過ぎてわからんぞ!! あとのことは君たちに任せた。好きにやってくれたまえ。

 ちなみに「時間は存在しない? 何バカなこといってるんだよ。世界中の時計が時を刻んでいるじゃないか」みたいなアホなことはいわないように。この場合の時間とは、物理学上の時間のことだから。

 時間は過去から未来へ進むが、なぜ時間には向きがあるのか? という問いかけもあった。そんなもん、わかるかっ!! これって、鏡に映った像は、なぜ左右だけ反転して上下は反転しないのか? みたいな晴天の霹靂レベルの質問だな〜。みんなも明日から仕事そっちのけで、この難問に取り組んでくれ!!


 ところで2011年にアメリカで37億年に1秒の誤差もないアルミニウムイオン時計を2台並べて、完全に同期させてから、片方を30センチほど持ち上げる実験が行われた。すると持ち上げた時計は少しだけ早く動いたという。といっても、その差はごくごく小さなものだろうが、物の動きを遅くする地球の重力の影響がわずかながら弱まったからだそうだ。これはアルミニウムイオン時計の物理的な機構に対する影響ではなく、時間そのものの進み方に差異が生じたということだろう。以前から予測されていたと思うが、実験で確認されたというのは初めて知った。


2015年7月6日(月)
バクテリアなどの細菌が…
 昨日、あるテレビ番組でこんなナレーションがあった。


   
バクテリアなどの細菌が…



 キ、キターーーーーーッ!!!!!!

 日本のメディア史に残る名(迷?)ナレーション。明後日の方向から飛んできたボールみたいな目眩がしそうな内容。頭の中で繰り返し唱えていると、神経回路がショートするのは確実。あー、なんかスゴ過ぎて、頭が痛くなってきた。頭痛が痛い。頭痛が痛い。あれっ! いつのまにか影響されて、オレの頭までおかしくなってきた(笑)。

 まあ、テレビ番組といっても時間が制約される中、放送作家が慌てて原稿を書いているような状況もあり得る。じっくり推敲すれば気付くようなことでも、そうでなければ見落とされる可能性はあるかもね。

 それにしても、これはどう考えても名作の域だな。作ろうとして作れるもんじゃない。何がおかしいのか、わからない人はわからなくていいです。番組を見ていて「なんじゃそりゃ〜」と思った人は、全視聴者のせいぜい20パーセントくらいじゃないか。


2015年7月3日(金)
熊野古道で右手を岩に強打
 10日ほど前のこと。三重県紀北町から尾鷲市に抜ける熊野古道で、なんたることか。また、やってしまった。5月に鳳来寺山で軽い滑落をしたばかりだというのに、今度はマジで笑えない怪我をしてしまった。馬越峠から天狗倉山に登った帰り、岩が多い下り道で、足を滑らせて転倒し、右斜め下方向に向かって落下。岩に激突という大惨事。不幸中の幸いなのは、激突した岩が比較的平らで凹凸がなかったことと頭を打たなかったこと。ただ、激突したのは利き手の右手首。それはそれで大問題だが、もし左側に落ちていたら、確実にカメラとレンズが大破していただろう。

 ものすごい激痛。一瞬、骨が折れたと思った。これはさすがにマズイ。いろんなことが一瞬にして頭を駆け巡った。このあとの取材をどうするか。車の運転はできるか。近日中には本の再校が出る予定で、やることが山積みされていることもすぐに頭に浮かんだ。加えて今月以降の長期の取材計画にも不安が広がった。

 痛い右手を気遣いながら、とりあえず峠まで下る。どうしよう。予定では峠から尾鷲市側へ下りて、路線バスで登山口に戻る計画だった。ここで取材を中止して往路を戻るのが一番無難だが、せっかくコース前半の取材が終わっているのに後半を完了できなければ、また日を改めて取材する必要が生じる。できれば、それは避けたかった。

 右手はかなり痛くて、何も持てない状態。しかし子供の頃、足を骨折したことと、足の甲の骨にヒビが入った経験があった。その時の激痛に比べれば軽いし、指は動く。内出血もしておらず、手首が大きく腫れているだけ。おそらく骨は折れてはいないと判断。時間はまだ10時過ぎ。まあ、なんとかなるだろうと予定通り尾鷲市側へ下ることに。途中、休憩するにもザックを下ろすことさえ、手が痛くてままならない。ショルダーベルトをのばして余裕を作り、ザックを下ろす。背負うときはその逆をすることで、なんとか可能となることが判明。カメラも少し工夫すれば、左手だけで構えてシャッターを切れることに気付いた。
 とにかく、右手は使えないまま、予定通り取材をこなして尾鷲駅へ。バス停に着くと次の便まで1時間以上もある。仕方なくタクシーで登山口へ。

 ようやく車に戻って来て、少し安堵。しかしTシャツを着替えるのでさえ、容易じゃない。なんとか汗ばんだTシャツを脱げたが、今度は新しいTシャツを着る段階で困った。右手が痛くて着れないのだ。裸で帰るわけにもいかないし。しかし、ほどなく先に痛い右手を袖に通せば着れることに気付き、それもなんとかクリア。すぐに患部に湿布を貼り、帰途に就く。本当はもう一日取材する予定だったが、明日の予定地は台高山脈の大杉谷。目と鼻の先にいるのに、ここで帰るのは残念だが、険しい岩場も多い近畿・東海圏屈指の大渓谷は、どう考えても無理なのは明白だった。

 高速のガソリンスタンドで給油した際、カード払いのサインにも困ったが、こういう事情で…と店員さんに話して左手で書くことを了承してもらった。しかし実際にやってみると、ホントに予想以上に左手で字を書くことは難しかった。そりゃそうだ。だって生まれてこの方、左手で字を書いたことは一度もないんだもん。

 なんとか片手で500キロの高速を運転し、無事に帰途を果たす。以後、不自由な左手生活が続いているわけなんだな。
 帰宅直後、怪我をしてしまったことを現在進行中企画の先方にメールで報告。かなり驚かせてしまったようで、あとで電話で聞くと、担当者が福岡から上京して作業を手伝おう…という話にまでなっていたそうだ。いやはや、最後の最後の一番大事な時に本当に申し訳ないです。自分でも作業に遅れが出るのは必須…と懸念していたが、先に写真とキャプション入稿することにし、そうすればほとんどPC上の作業になるので、左手でもなんとか進められた。今、それらの作業がひと通り無事に終了したので、本サイトでもことの顛末をご報告しておくことにした。

 今は毎日、湿布を貼り替えることを繰り返している。病院には行っていない。事故発生から10日たって、指を少しは動かせるようになったが、まだ腫れは残っている。おそらく骨折よりも治癒には時間がかかるだろうが、まあ、これも仕方ない。梅雨の最中なので、取材計画への影響も最小限にすみそうだし、頭部を打たなかったこととカメラが壊れなかったことは、なによりも幸運だったとプラスに捕らえよう。

 左手だけではできないこともいろいろあるが、予想していたよりも工夫によってなんとかなることや、慣れない左手も使っているうちに慣れてくることがわかったのも、それも大変いい経験になった。



石畳が続く、風情ある熊野古道。だが、雨に濡れると滑りやすく、登山靴は靴底が硬いために接地面積が少なく、摩擦が不足して余計に滑りやすくなるので危険。地元の人は長靴の方が安全と言っていた。昔の人はさぞかし注意深く歩いていたんだろうな…と思ってしまうが、彼らが履いていたのは草履だから滑ることはないわけよ。今回の件で、今後は地下足袋の使用も検討しようと思った。登山に地下足袋って意外に思われるかも知れないが、山のエキスパートの中には、地下足袋を愛用している人が割といる。岩場でも滑らないので、歩きやすいらしい。ちなみに私が転倒したのは、厳密には熊野古道の石畳道ではなく、古道から分岐した近くの登山道。

2015年6月20日(土)
民の声を聞け?
 テレビで安保法制に反対する作家の瀬戸内寂聴さんが「民の声を聞け」と政府を批判されていた。それにしても、まあ、なんだかねって代物で、こういうトンチンカン過ぎる意見を著名なインテリ文化人が自信満々に語るところが、日本らしいといえば実に日本らしい。これって原発反対派がデモで叫んでた「国民の声を聞け」とまったく同じで、こういうアホ過ぎることを平気でいう人の意見を真剣に聞こうという気にはならない。

 前にも書いたことがあるが、安保法制にしろ原発にしろ、国民の声はいろいろ。なのになんで政府が特定の考えをもった国民のいう通りにしなきゃいけないのかって話だろ。でも仮に国民の99パーセントが反対していたとしても反対意見すべてに論理的に反論できるのであれば、政治家は自分の政治生命をかけてでも信念を突き通すというのもアリだと私は思っている。本当に政治家の信念が正しいかどうかは、ケースバイケースだけどね。

 どんなにインテリ文化人がしたり顔で反対意見をいおうが、結局のところ、彼らは国際情勢の素人さん。現在の中国リスクを詳しく知らないし、そのリスクを正確に分析する能力すらもない。「まあ、せいぜいこんなところだろう」と頭に浮かんだ適当なリスク評価を前提にして、そのリスクに対しては安保法制は必要ないと判断しているだけ。

 安保法制に反対する名簿の中には、数々の著名な大学教授の名前なんかもあって、それを見た安保法制反対の一般人は、余計に自信を深めるのだろうが、彼らは共通して国際情勢や軍事の専門家じゃないから、そういう視点は確実に弱いのは間違いない。だからといって「素人は安保法制に反対するな」といっているわけではなく、それを自らきちんと認識した上で、公平な視点から再度検証し、論理的に根拠を揃えて「これこれこういう理由でやはり反対する」というのなら聞くに値するが、いくら大学教授でも自分の専門外のことを正しく検証すること自体、実際は難しいはずだ。どちらにしても寂聴氏のいうような「民の声を聞け」レベルじゃ話にならんね。

 私は、おそらく表に出てこない中国の危険情報はいっぱいあって、政権内部ではそういう情報に数々接しているので危機感が強まっているものと想像している。一般人は最前線で何が起こっているか詳しく知らないし、知ってるわけがない。せいぜい尖閣の排他的経済水域に中国公船が繰り返し侵入している事実くらいしか知らない。

 2004年に上海総領事館の電信担当事務官が中国のハニートラップにひっかかって、国家機密の情報提供を強要され、その結果、「国を売ることはできない」と自殺した事件があるが、事件の2年後に週刊誌が報道するまで公になっていなかった。このような表に出てこない中国脅威の実態はほかにも数々あるはずで、それを当然まったく知らないし、そもそも思考回路の中に「中国リスク」という重要要素が明確に存在すらもしていない、平和ボケしすぎた日本の一般大衆が実に呑気に「戦争反対」と叫んでいるだけ。冷酷な弱肉強食の関係しか存在しない国家間に何もないわけないし、特にああいう品行不良な中国という国が、どちらかというと大人しい日本に対して水面下でも紳士的に対応し、何もしていないとでも思っているのだろうか? そんなこと、あり得ないだろ。

 自分たちが望めば、理想的な平和が続くとは限らない。彼らは、今できることをしないことで、かえって国家のリスクを高める可能性があることについてまったく気づいてもいない。安倍政権よりも、こういう想像力が徹底的に欠如し、恐ろしいほど単純すぎる一般大衆の思考回路の方が、はるかに危険である。


2015年6月17日(水)
安倍さんは戦争をできる国にしたい?
 憲法改正を目指し、しかも安保法制などもあって、左派のみなさんからは批判され続けている安倍さん。いやはや、ご苦労様です、と心からご同情申し上げるよりほかにない。

 それにしても子供の頃から知らず知らずのうちに日教組教育に洗脳されてきた方々は、政治家とは、とにかく戦争をしたくてしたくてたまらない危険な存在という妄想が脳ミソにこびり付いていらっしゃるようだ。まあ、真剣に怒っているみなさんには、大変申し訳ないのだけど、私なんかにいわせれば、ちょっと笑っちゃうような話なんだけどね。

 アメリカでは、軍事産業の経営トップが政治家を兼ねているみたいな場合もあって、そういう政治家が戦争をしたがるというのは理屈として納得できる。当然、戦争になれば、国が軍事予算を増やすので儲かるし、自分の懐だってたっぷり潤うわけだ。自分の家族さえ軍隊に入っていなければ、何ひとつ困ることはない。しかし日本の場合、仮に政治家が戦争を始めたとしても、政治家個人にメリットはないどころか、むしろリスクしかない。消費税を上げただけでも総理大臣を辞めざるを得なくなる国ということを忘れてないか。戦争をできる国にすることが安倍さん個人にどんなメリットがあるというのだろうか。しかも、安倍さんひとりが暴走しているわけではないだろう。安倍政権を批判する人は、ぜひこの質問にきちんとした根拠を添えて説明してほしい。

 また肝心の部分をスルーして安保法制を全否定している人は、まったくもって論理的ではないと私は感じるのだが、別の質問をすることで、その説明に変えたい。尖閣や南沙諸島でああいうことを平気でゴリ押ししてくる中国リスクをどう評価し、またそう評価した根拠とは何か、ぜひとも教えてほしい。少なくとも、これに答えられないような人が、安保法制を全否定していること自体が、極めて非論理的で説得力ゼロなんだよ。

 私は安倍さんを総理大臣として評価しているが、橋下さんと同様、安倍さんの発言は論理的で安定感がある。むしろ「改憲=戦争」「集団的自衛権容認=戦争」といった論理の飛躍を平気でし、あるいは自分の頭にこびり付いている図式にだけ当てはめて結論を出すような、そういう極めて情緒的で反吐が出るほど単純すぎる一般大衆の思考回路の方が、よほど日本という国家の命運を危険にさらすと思うね。

 日本でも政治家個人の思想如何によって、危険な状況になる可能性がゼロとはいわないが、要注意なのは何も政治家だけじゃない。人間としてのモラルを曲げてでも自分の利益を得たいと目論む人は、政治家に限らず、官僚にも、マスコミにも、一般大衆にも必ずいるということだ。重要なのは、それらの言葉でまとめられるものが、すべて一律で同質なわけがなくて、要はそれぞれに「信用に値する人もいれば信用に値しない人もいる」ということをまずは認識して、それをきちんと嗅ぎ分けることだと思うけどね。しかも、それは何の根拠もない、ただのイメージで判断するんじゃなくて、あくまで根拠に基づき論理的に判断することが必要なのはいうまでもない。


2015年6月12日(金)
最近のニュースで感じたこと
有田芳生参議院議員のツイートが炎上


 民主党の有田芳生参議院議員が、食品衛生法の改正により、豚肉の生食が禁止となることを受けて以下のようなツイートをして批判されているという。


牛や豚も新鮮なレバーを丁寧な調理で提供すれば、ほぼ問題はありません。牛に続き豚も11日で禁止されます。駆け込みで、たとえば「ささもと」では1日に50本は出ているようです。この世の中はどんどん「無菌志向世界」に進む不気味さがあります。



 これを読んだ感想としては、「うわっ、なんかスゲーな」という印象のみ。確かに「炎上」するのは正しいんだけど、でもより正確にいえば、有田議員を批判している人のうちの何割かは「見ている方向が違うだけで、立っている位置は有田議員と同じ人」なんだけどね。たまたまガラガラポンが回って出た玉の色が有田議員とは違ってただけってこと(笑)。

 有田議員は、豚肉が食肉として加工される前であれば細菌やウィルスに汚染されていないので、新鮮なうちに食べれば問題ないとでも勘違いされているのだろう。まあ、文系さんにありがちな勘違いなんだけど、残念ながら有田議員が思い込んでいるように加工後に汚染されるわけではなくて、豚が生きているうちからE型肝炎ウィルスなどの危険な病原体を持っている可能性があるということである。つまり、肉が新鮮なうちに適切に調理すればリスクが消えるわけではないので、有田議員の発言は大間違い。というよりも人の命にも関わる重大な間違いと申し上げるよりほかにない。どんなに腕のいい料理人でも、目の前にある生の豚レバーが安全かどうか、見ただけで判断できるはずもない。

 そもそも有田議員って本来の肩書きはジャーナリストじゃなかったっけ? 立命館大学経済学部卒の科学知識なんて、どうせそんなもんだろうが、ジャーナリストなら、きちんと検証できなきゃダメだし、人命に関わる有害発言をする国会議員ってあり得ないだろ。しかも有田議員は厚生労働省から説明されて、ようやく自分の認識が間違いということに気づかれたようだが、有田議員のツイッターのどこを見ても「人命に関わる間違った情報をツイートして申し訳ございません」という謝罪はない。

 私が引っかかったのは、厚生労働省から説明を受けたあとのツイートのタイトルである。本来は「訂正」とすべきところを「追記」と書かれている。そういうところもなんだかなって感じ。自分が間違っていたら「間違ってました。すみません」と潔く認めない人は、基本的に信用に値しないと思うんだよね。これって国会議員云々というよりも人間性自体に疑問符しか付かない話だ。どんなに表向きは立派なことをいってても、こういう些細なところで人間性があっさりバレちゃうものなんだよな。

 有田議員にとっては、人の命よりも自分のメンツの方が重要なんだろう。自分と考え方が敵対する人のことは徹底的に攻撃するが、ジャーナリストを気取りたい自分としては、都合の悪いことは、なるべく目立たないようにスルーしたい。そう思われても仕方ない。しかも国会議員が特定の店の名前を出して宣伝するのもどうなんだろうね〜。

 有田議員はオウムの一連の事件で有名になった人だが、私の中では完全にアウト。もともと興味は一切なかったが、今後、この人の意見に耳を貸すことはない。

2015年5月19日(火)
最近のニュースで感じたこと
大阪都構想住民投票否決


 大阪都構想の住民投票の結果、否決された。以前から宣言されていた通り、橋下さんは政界を引退されるという。残念な結果だが、記者会見で晴れ晴れしい表情をされていたのも、その会見内容も実に橋下さんらしい。

 それにしても都構想反対の市議たちのいう「都にしなくても改革はできる」は笑っちゃうな。1期目の新人議員はともかく、おそらく何割かの議員は平松さん以前からの古参組だろう。市の財政は、ずっと悪かったはずだが、都構想に反対しているみなさんは、これまでに具体的に何をして、どんな結果を出したのか、ぜひとも聞きたいね。橋下さんは人件費を具体的に削減するという結果を出しているが、彼らが目に見える結果を何も出していないからこそ、橋下さんが市の財政にメスを入れるしかなかったのでは? 「都にしなくても改革はできる」という以前に改革する気があるのなら、橋下さんが市長としてやってくる前に何かしてなきゃダメじゃん。

 民主主義である以上、投票の結果がすべてであり、これをいったら身も蓋もないが、そもそも有権者全員が高い判断能力を有しているわけではないのも事実。本当のことをいわせて頂くと、有権者の何割かは、生まれてこの方、直感でしか物事を考えたことがないおバカさん。兵庫県の号泣議員の一件で、地方議員の劣化についていろいろいわれているが、こういう低級低能な人物が議員になれたのは有権者が無能だからにほかならない。

 橋下さんに対して「独裁者」とか「ハシズム」とかいろいろ批判があったが、あれくらいの強い個性、強力なリーダーシップがないと、巨大で複雑な既存の構造を変えることはできないと思うね。日本の有権者は、「政治家に求めるものは?」と聞かれると、バカのひとつ覚えのように「リーダーシップ」と答える。しかし、いざリーダーシップを発揮すると、今度は不安の方が増大してきて「独裁者」と批判するわけだ。つまり、判断の根幹にしっかりとした柱があるわけでなくて、極めて情緒的に思いついたことを口にしているに過ぎない。あらゆる異論に配慮し過ぎると、いつまでたっても何も決まらず何も進まず、かえって市民にとってデメリットが増すことに、いい加減気づけよ。

 ついでにもうひとついわせてもらうと、正論に対してうしろめたい生き方をしてきた人にとって、正論を吐く橋下さんは煙たいし、おもしろくない存在。そういうホンネが、別の形を装って橋下批判につながっている場合も多々あると思うな。8年前までは、弁護士とはいえテレビのコメンテーターに過ぎなかったのに、大阪府知事になり、多くの賛同者を得て政党を作り、国をも動かす影響力を有するまでになった。この凄さを一切評価せずにメディアの言葉をそのまま取り入れてガタガタ批判ばかりする人は、橋下さんの足下にも及ばない自分自身の無知無能な雑魚ぶりを認めたくないというタダの嫉妬にしか見えねぇぞ(笑)。


 有権者は、自分たちの優劣については思考停止していて、自分たちには政治家を論評する能力が自動的に備わっていると勝手にみなしているけど、政治家に優劣があるのと同様に有権者にも優劣があることに気づいた方がいい。自分に果たして本当に、そういう能力があるのか、一度でも冷静に考えたことがあるのかね。

 政治というのは、本来は極めて高度な知識と判断が必要となることも多い世界。すべてのことに関して素人(もちろん私も含めて)がどうこういえるようなものじゃない。さらにいえば有権者は、主な判断材料となるメディアの情報が正しいという前提で判断することしかできないし、仮に政治家が、メディアも知らない公にできない情報を元に判断したとしても、その情報を知らない有権者が、正否を判断できるわけがないのだ。それを多少は補う意味で、テレビ番組などで政治評論家という専門家が出てきて解説するわけだが、政治評論家の意見の正否についても、やっぱり直接の判断はできないわけよ。メディアや有権者が政治家を監視するのは当然ではあるんだけど、そういう物理的な限界があることも一方できちんと認識しておかないとね。

 私が、橋下さんを評価するのは、真理を第一にして物事を判断していると感じるからである。一見、傲慢なように見えるかもしれないが、自分の間違いはあっさり認めて謝罪し、だらだらとヘタな言い訳をしない。今回の件も否決されたら政界を引退すると退路を断って宣言する(まあ、弁護士の方が稼げるので、生活に困ることはないというのもあるだろうげど、未練がましいところがない)。いうべきことには徹底的に論戦を挑む。どれも実に男らしくて、男から見てもホレボレするね。また自己の欲求に影響された発言をすれば、あっさり論理が破綻しちゃて本性がバレちゃうものだが、私が見る限りそういう点がほとんど見受けられず、首尾一貫している点も素晴らしい。さすがに論理的能力が極めて高い橋下さんだけのことはある。

 これほどの人材が、政界を引退されるのは実に惜しいが、これで消えてしまう人とは思えないけどな。どちらにしても私の中では、すごくいい刺激をもらった。


2015年5月17日(日)
岐阜・愛知へ(2)
 翌日は、愛知県新城市の鳳来寺山へ。稜線上では、期待通りにホソバシャクナゲが迎えてくれて、まずまずの取材ができたが、最後にとんだハプニングが待っていた。展望が素晴らしい鷹打場から鳳来山東照宮に下るトラバース道でのこと。なんてことはない緩い下りで、あろうことか足を踏み外して左手斜面を5mくらい滑落してしまった。一瞬、何が起こったのかわからないうちに視野がぐるぐる回転。割と傾斜がある斜面だったので、すぐに止まらず4回転はしただろうか。ただ現場は、落ち葉が覆う柔らかい場所だったので、不幸中の幸いで、重大な結果には至らなかった。

 足を滑らせて尻餅を付いたとか、その程度のことはこれまでも何度も経験しているが、ごく普通の登山道で足を踏み外して滑落するとは。こんな失態は約40年間の登山歴の中で一度もない。う〜む。冷静に考えると、これも「年をとる」ということなのかな〜。自分では体力も運動神経もそれほど劣化してはいないと思っているが、バランス感覚や足の置き場に対する注意力が、少しずつ劣っていることの結果ではないのか…とも考えた。そういえば一昨年の北海道・夕張岳で木道の隙間で足を捻挫したことも、過去、一度も経験したことがない失態だった。

 実は、昨夜、就寝前のこと。ふと「登山に慣れて、普段あまり真剣に考えたことはないが、ちょっと怪我したりするくらいならまだしも頭や目を岩や木にぶつけるとか、シャレにならない怪我をする可能性もあるから注意しなきゃな」という考えが頭に浮かんだ。こういうことが頭に浮かぶのも、過去の経験からすると、あまりよくなくて、ちょっと気にしていたのだが、残念ながら悪い予感が当たったともいえる。内心、あーやっぱりと思ったね。

 斜面から這い上がり、身体の痛い部分を確認。右肩の背中側や右肘に痛みを感じたが、それほどの怪我はしていないようだ。しびれもないし、頭は打ってない。腰に付けていたカメラも確認してみたが、どこも壊れてはいなかった。

 ただ、東照宮が眼下に見えてきたあたりで、右太ももに痛みが出てきた。滑落時の痛みなのか、久しぶりの登山なので筋肉痛が出たのかわからないが、ちょっとビッコになるほど。とりあえず痛い足を引きづって、せっかくだから東照宮に参拝し、お土産に徳川家の葵紋をあしらったきれいな鈴を買う。宮司さんと少し話をして、東照宮を後にしたのだが、あれっ!! さっきまであった右足の痛みが、まったくなくなっている!! 東照宮に参拝した御利益なのか、歩行を止めたことで筋肉の炎症が収まったのかは不明だが、あまりに明瞭な痛み消失にちょっとビックリしちゃったな。その後、足の痛みは一度も出ることはなかった。

 午前11時には駐車場に戻り、午後は愛知県内の湿原を取材。本当はもう一日取材する予定だったが、結構疲れたので予定を切り上げて帰宅することにした。午後4時、無事に自宅着。



鳳来寺表参道に足を踏み入れると、古い石仏が点在…


表参道の石段は、とにかくひたすら続く。その途中に立つ推定樹齢800年の傘杉。このあたりは、まだ序の口。石段はまだまだ…。


鳳来寺表参道の石段を甘くみてはいけない。いくら上っても石段、石段…。どんなにうんざりしても石段、石段…。これでもか、これでもかというくらいに石段、石段…。さすがにそろそろ終わりだろうと期待しても、それを嘲笑うかのようにやっぱり石段、石段…(笑)。


鳳来寺奥之院は半壊していた。台風の被害なのだろうか? 解説板には何も触れられていないところを見ると、比較的近年の被害とも想像した。


あっ!! デリカくんが見えるっ!! お〜い、ボクちんはここにいるぞ〜。この時点で駐車場にはデリカくん以外に1台もなし。


鳳来寺山といえば、この花。ホソバシャクナゲ。今年はやや開花が早い印象だ。稜線上で見かけた花の約半分が、ピークを過ぎて、少し痛みかけていた。


絶好の展望ポイント・鷹打場で早めの昼食。


ここが滑落した現場。右側が登山道。這い上がったあと撮影しておいた。なんでこんな場所で足を踏み外したのか、自分でもまったくわからない。


右足の痛みを消してくれたかもしれない(?)霊験あらたかな鳳来山東照宮。


2015年5月15日(金)
岐阜・愛知へ(1)
 今週は、水・木曜で岐阜・愛知へ取材に行ってきた。1日目は岐阜県の馬籠宿と長野県の妻籠宿を結ぶ旧・中山道を取材。この区間は、街道歩きの人気定番コースとして知られ、以前、秋に歩いているので、今回で2回目。しかし、前回はまったく見られなかった、ある変化に気づいた。それは、外国人観光客がやたら増えていたことだ。宿場町内を除く中山道のハイキングコース上で私が出会った人を比較すると、(団体ツアーではなく)個人で歩いていた人は計16人。そのうち日本人はたったの5人。あとの11人は、なんと欧米系の白人だった。一方、宿場町に入ると中華系観光客が目立った。根拠はないが、なんとなく台湾からの観光客かな? と想像した。

 近年、政府が推し進めてきた観光戦略が成功しているのだろう。やはり日本固有の風景として、中山道にも注目が集まるのは当然といえば当然か。彼らは、江戸時代に建てられた茶屋に入って休憩しながら、日本を楽しんでいるように見受けられた。

 外国人観光客が増えるのは、経済面だけではなく、いろいろな観点からも大変、結構なこと。外国人特有の問題も発生するだろうが、資源がない日本国が生き残るには、観光立国と科学技術立国という選択しかない。先日、新聞の記事に「来てもらえるうちが花」とあったが、その通りだと思う。リピーターも増えて、より日本という国を正しく知ってもらうことは、国家戦略上も非常に重要だろう。



馬籠宿の通りでは、ツツジも満開に。


馬籠宿を抜け出ると、恵那山が大きく迫ってきた。といっても正確にいうと付近のアクセス道路からもよく見えるんだけどね。


木漏れ日が差し込む石畳の道。かつて往来した旅人の息吹を感じさせる。


妻籠宿手前で見かけた、どことなく笑える関西電力が立てた幟。ええーっ! 普通に道路を歩いてたら、いきなりドバーッと水が流れてきて全身ずぶ濡れになるってこと? と誰しも勘違いしそう。実際は道路と並行して川が流れていて、このすぐ下に排水口があって、そこから「突然、水が出ることがある」らしい。そりゃそうだろうけど、この幟は道路に立っているので、一瞬、ギクリとして身構えてしまうことになるわけよ(笑)。


妻籠宿で見かけた寸景。馬籠宿も妻籠宿も、こういうセンスのある細かい演出がうまい。江戸時代にはこんなものを飾る習慣はなかったかもしれないけど、ほんのちょっとした細工が、街道情緒をより一層引き立てる。


妻籠宿の郵便配達人は、明治時代風の服装と黒い箱を持って配達している。これも宿場町には似合っていて、観光地としてうまい選択だと思うね。全国一律の「日本郵便」の制服じゃ、当たり前でつまんないけど、この格好なら「おっ!」とカメラを向けるわけよ。実際、配達の途中で観光客から声を掛けられ、一緒に記念写真に収まっていた。


へのへのもへじの手作り案山子人形にちょっと稲穂まで添える徹底ぶり。スゴイっ! 妻籠宿で。

2015年5月11日(月)
カッコいいセリフ
 (女)ねぇ、さっきのセリフいって

 (男)俺は宵越しの金は持たない

 (女)カッコいい。チマチマ小金貯めている男達に聞かせてやりたいわ

 (男)俺は人呼んでロンリーウルフ
    宵越しの金は持たない
    しかしファンドラップは持っている


    …という大和証券のCM


 なるへそ〜。そういえばカッコいいのかあ〜。じゃあ真似しちゃおう〜。


 ボ、ボクちんは人呼んでロンリーウルフ
 宵越しの金は持たないしファンドラップも持っていない
 しかしサランラップなら持っている(笑)


 だってさあ、どう考えてもチンする時にいるだろ。「くるくるくる〜、くるくるくる〜」のクレラップでもいいんだけど、「ピッとピッタリ、明日もおいしく」のサランラップは生活の必需品。男として持つべきものは、ファンドラップよりもやっぱサランラップなのだっ。どーよ。ボクちんの理に適ったカッコいいセリフにホレボレしただろ。


2015年5月8日(金)
信越高原へ+伊400
 ゴールデンウィーク最終日、前夜発日帰りで信越高原に取材に行ってきた。朝から5月らしい快晴の天気に恵まれ、飯綱から黒姫、妙高へ。予定対象地をすべてまわり終えたのはお昼前。ゆっくりしてたら渋滞にはまるので、とっとと帰宅することに。

 妙高高原から帰途に就くが、カーナビは、上信越道から関越道経由の帰路を示す。いやーそりゃ危険だよ、カーナビさん。なんたって連休中だからね。そのルートでは、圏央道に接続することになって渋滞にはまる可能性が高い。それよりも中央道本線から富士吉田線、東富士五湖道路で須走に抜けた方が安全だろうな…と判断。結局、最終日ということもあってか、大月付近で交通量が増えたくらいで、富士吉田線に入るとガラ〜ン。無事、渋滞には一度もはまらずに帰宅成功。

 夜は、NHK歴史秘話ヒストリア「幻の巨大潜水艦 伊400」を視聴。子供の頃、旧・日本海軍オタクだったボクちんとしては、攻撃機を3機搭載できる潜水空母だったことや当時、世界最大の潜水艦だったこと。同型艦として伊401と402が作られたことなどは、未だに覚えているほどなので、近年、海底で見つかっていることも含めて大変興味深く見た。

 南洋で終戦を迎え、艦内では徹底抗戦を主張する士官もいたが、艦長は呉に帰投することを決断。日本近海でアメリカ軍に拿捕された時のカラー映像も初めて見た。アメリカは、その後、ハワイに運んで徹底的に調査。報告書には、これまでに見たこともない性能への驚きが示され、一時は自国の潜水艦として運用することまで検討されたが、突如方針転換してオアフ島沖で魚雷によって爆破処分されたそうだ。直前にソ連から検分の申し入れがあったことが原因ではないかという。

 伊400の乗組員として番組中で紹介された広島市在住の男性は、戦後、広島の闇市で商売を始め、現在は「西日本一円に展開するショッピングセンターの会長をしている」というナレーションを聞いて、すぐにピンときた。あー、きっとイズミ(ゆめタウンなどの大型商業施設を運営する会社)だな、と思ったら、エンドロールの資料提供一覧にその名前があった。へえー、イズミと伊400がつながっているとはなあ…。しかもイズミって闇市の露店からスタートしているなんて結構ビックリ。

 それにしても伊400の艦長が、「降伏はせず徹底抗戦する」という選択をしたら、イズミもゆめタウンも生まれなかった可能性が高いわけだ。運命って不思議だな。



飯綱高原・大谷地に咲くリュウキンカと斑尾山



満開のカスミザクラ(?)と妙高山。黒姫高原・黒姫童話館前で。


妙高高原にある杉野沢おおほり湿原。あまり知られておらず、見事なミズバショウ群生を独り占め。ただし、今年は入口の駐車場や遊歩道には、たっぷりの残雪が…。信濃町のGSの人が「今年は例年の1.5倍くらい積雪があった」といっていた。

2015年5月2日(土)
楽しいぬいぐるみ製作
 さあ、ゴールデンウィークも始まったし、作るよ、作るよ。何をって、そりゃ、ぬいぐるみ製作に決まってるじゃん。ぬいぐるみといえば、クマとか犬とかだけど、そんなありきたりのもの作ってもつまんないよ。21世紀にふさわしい斬新かつ先鋭的なぬいぐるみの作り方をみんなに教えちゃうよ!! しかも、そのぬいぐるみは、な、なんとたった1枚の布きれにハサミを一度も入れずにできちゃうんだから、超ビックリ。じゃ、作り方、早速行くよ。



 ヨコ35センチ、タテ25センチくらいの布を1枚用意するよ。あとは針と糸、中に詰める綿。それにミシンがあれば、なおOKだね。



 その布を真ん中で2つに折って端を重ねるよ。



 中央に7〜8センチくらい残して、左右を手縫いか、ミシンで縫おう。



 次に両端をぎゅっとしぼって、糸でくくるよ。ソーセージの先っちょみたいな感じだね。



 縫い残した穴から裏返しにして、その穴から詰め綿を入れるよ。ここで重要なのは、綿を堅めに入れて、両端がきれいな半球状になるように調整することだよ。最後に穴を手縫いで閉じちゃえばOK。



 できたっ!! 乳酸菌のぬいぐるみ!!(笑)


 このシンプルすぎる形! 頬ずりしたくなるほどの「萌〜っ」だろ!! ちなみに桿菌(かんきん。丸い球菌に対して、細長い菌のこと)であれば、乳酸菌でなくても通用するよ。ただ病原性細菌じゃ、さすがに気分悪いかも。こだわりがある人は、もっとピンポイントで「ラクトバチルス属乳酸桿菌のぬいぐるみ」とか、「Lactobacillus casei のぬいぐるみ」とか名付けてもグーだね。このぬいぐるみを神棚に供えて拝めば、腸内フローラが健全化するという御利益があるかもよ〜。

 なお布の色は、白がお勧めだけど、赤とか紫でもOK。赤い布の場合は、グラム陰性の乳酸桿菌、紫色の布の場合は、グラム陽性の乳酸桿菌のぬいぐるみだと言い張れば、たぶんみんな納得してくれるよ。



 さらに5の段階で、綿を丸く詰めては糸でくくることを繰り替えせば、連鎖球菌。端にべん毛に見立てたヒモをつければ、大腸菌。中に磁石をいれれば、走磁性細菌のぬいぐるみにすることもできるよ。


2015年4月29日(水)
白馬へ
 一昨日の夜、広島を出て、山陽→名神→北陸と高速道路をひた走り、北陸道のPAで一泊。実は白馬村までは中央道〜長野道経由の方が距離は近いが、安曇野IC〜白馬間は、ざっと数えて千往復はしているので(まあ、ウソですけどね・笑)、とにかく飽き飽きなので、できれば避けたい。で、少し遠回りだけど、ちょっとばかし新鮮な北陸道を選んだわけよ。SAやPAで一泊するのなら、空いてる北陸道の方が都合がいいと判断したこともあるが、糸魚川IC手前のPAに到着した28日深夜3時の段階では、予想以上に混んでいて、駐車場の8割くらいがトラックで埋まっていた。でも、アイドリングトラックは少なくてよく寝れた。翌朝7時半、目が覚めると私の車を含めて3台しか停まっていなかった。

 糸魚川から白馬へ南下。白馬村内で2件取材したあと、久しぶりに姫川源流のフクジュソウ群生を訪ねてきた。観光協会のサイトにアップされる開花状況写真から、今年は少し遅いようで、群生の規模が気がかりだったが、行ってみると結構、びっしりと咲いていて、まずはひと安心。2時間くらい撮影しまくり、大町市でも1件軽く取材し、帰途に就く。




糸魚川市の国道148号から望む明星山。


残雪の北アルプス。白馬村岩岳入口付近。


コブシも満開。白馬村飯森付近。


姫川源流のフクジュソウ。太陽の光を受けて金色に輝いていた。


姫川源流の木立で見かけたゴジュウカラ。幹の表面を縦横無尽に歩き回ってエサを探していた。隙間をつついて、何かの種子を見つけたようだ。

2015年4月23日(木)
今日の一枚(5)
 半年ぶりの「今日の一枚シリーズ」だよ〜ん。写真は、実家にある八重咲きモッコウバラ。満開になるとこんな感じ。ちなみにモッコウバラは、つる性の常緑樹なので、枝垂れるような樹形になる。まるで生け垣のように見えるが、コンクリート壁の上に植えてあるので、下に向かって繁茂する。写真は、それを見上げるようにして撮影したもの。




2015年4月20日(月)
奈良へ(2)
 2日目は、大和国原を取り囲む青垣の山麓に続く山の辺の道へ。地籍でいえば奈良県天理市と桜井市にあたる(正確には桜井と奈良を結ぶ道)。かつて秋に歩いたことがあるが、久しぶりの訪問。天気予報では「朝のうち雨、のち晴れ」。天理駅前の駐車場に車を置き、商店街を抜けて起点の石上神宮(いそのかみじんぐう)へ向かう。天理市といえば天理教で知られるが、関連の巨大建物が点在し、独特の雰囲気。「天理教」と書かれた黒いはっぴを着た人をあちこちで見かけた。

 石上神宮から、いよいよ山の辺の道へ。今にも雨が降り出しそうな薄暗い空が広がっていたが、結局、雨には一度も遭わなかった。山の辺の道とは、日本最古の官道とされ、沿道には古墳や巨大な天皇陵、古社、古刹が点在している。とはいえ当然といえば当然だが、今風の民家やビニールハウス、自動販売機、あるいは車が往来する舗装車道を通る区画もあるので、やや興がそがれるのも事実。地域にお住まいの人々の生活もあるので、これは仕方ないだろうが、なるべく現代を感じさせない、万葉集の時代にタイムスリップしたかのような演出がもっと可能であれば、さらに注目を浴びるのも間違いないと思うのだが。

 のどかな風景に癒されながら、快調に歩を進めていくうちに空が明るくなり、後半は快晴になった。うららかな陽光のもと、林間の小径を通り、古社に参拝し、風情ある路地を抜ける。初瀬川の畔に出て、ようやく古の夢から醒めたような気がした。桜井駅から電車で天理駅に戻り、取材完了。



案山子さん、お勤めご苦労様です! 天気もスッキリせず、早めにスタートしたこともあってか、前半は地元の人以外のハイカーにはまったく出会わなかった。


苔むす萱葺き屋根と新緑。夜都伎神社(やとぎじんじゃ)にて。


真言宗の古刹・釜口山長岳寺本堂と満開のヤエザクラ。


あちこちで桜や八重桜が瑞々しい緑に色を添えていた。


わが国最古の神社ともいわれる大神神社にて。最古の神社は諸説あり、本当のことは誰にもわからないが、三輪山を拝する大和国一の宮として格式高い神社であることは間違いない。ちなみに大神と書いて「おおみわ」と読むよ。


春の陽光が差し込む三輪成願稲荷社の境内。鎮座する狐像に目がとまった。


狭い路地を抜ければ、じきに初瀬川の畔に出る。でもゴールの桜井駅までは、もう少し。

2015年4月19日(日)
奈良へ(1)
 16〜17日は、取材で奈良へ行ってきた。16日は、吉野山。17日は、山の辺の道を取材。どちらも訪問は2度目だが、観桜期の吉野山は初めて。奥千本を一巡して、上千本から中千本へとのんびり下る。お昼前には駐車場に戻って来た。


吉野山・奥千本の石仏と道標。大峰奥駈道だけあって、歴史を感じさせる遺物が点在。


吉野山・奥千本。上千本と比べると、迫力は今ひとつだが、満開だった。


吉野山のヤマザクラは、シロヤマザクラとも呼ばれる。


民家の前もちょっとした売店に…


中千本の商店街。ピークは過ぎていたが、それでも結構、観光客で賑わっていた。食堂や土産物屋だけでなく、吉野葛や陀羅尼助(役行者が作ったとされる日本古来の伝統薬)を扱う吉野らしい店もあった。


金峯山寺・蔵王堂。

2015年3月21日(土)
こども電話相談室終了
 ラジオの「こども電話相談室」が終了になるという。しまったあ〜。ボクちんもぜひとも教えてもらいたいことがいっぱいあったのに〜!! 

 例えば…。そうねぇ。

 こども電話相談室の先生方に質問です。T偶数系ファージが、大腸菌に対して高病原性を獲得した理由をわかりやすく教えて下さい。ボクちんの予想では、ファージ基底板に含まれるリゾチームの活性度が高くて、大腸菌外皮ムレイン層を溶解しやすいことが、その理由ではないかと見ているのですが、どうなんでしょうか? みたいな(笑)。


2015年3月17日(火)
腸内フローラと健康食品
 昨日書いたサイエンスゼロと同じ日に放映されたNHKスペシャル「腸内フローラ」の内容も大変興味深いものだった。腸内細菌の重要性は、ある程度、認識していたが、腸内細菌と病気との関連性が近年、詳しくわかってきたそうだ。細菌が作る物質の影響は、健康や美容に留まらず脳にまで及び、うつ病に関係している可能性もあるそうだ。そのインパクトは、医療の大革命をもたらすのではないかと考えられているほどだという。
 つまり、腸内の菌相を健全に保てば、アンチエイジングや健康維持にも役立つというわけだ。かねてより腸内環境の善し悪しが免疫機能の善し悪しにも関連するともいわれていたことから考えても頷ける。

 ところで、その話にも関連するが、やはり同じ頃にテレビで医師が普段、健康を考慮して食べている食品ランキングをやっていた。それによると上位5位は、1位トマト、2位ヨーグルト、3位納豆、4位ブロッコリー、5位リンゴという結果だった。私は専門分野ということもあって(といっても、ほとんどの知識はもはや記憶の外だが)、ずっと長寿の秘訣は、発酵食品にあると想像していた。だから、このランキングでも2つの発酵食品が上位に入ってきたのは当然だろう。
 食べ物に注意することで、すべての病気リスクを回避することはできないが、回避できる場合もある。医食同源という言葉がある通り、食べ物を選べば腸内環境が健全になり、それによって健康も維持できるわけだ。

2015年3月16日(月)
マイクロRNA
 先月下旬に放映されたサイエンスゼロ「マイクロRNA」の内容は驚きだった。DNAの遺伝子情報がメッセンジャーRNAに写し取られて指定されたタンパク質が作られるわけだが、その制御をしているのが、マイクロRNA。ヒトの細胞では、約2500種類も確認され、これによって緻密な遺伝子制御が可能になっているそうだ。そして、驚くことにマイクロRNAは母乳にも含まれているという。粉ミルクよりも母乳の方がいいといわれる理由は、ひょっとするとそんなところにもあるのかもしれない。おそらく、なんらかの意味があるのだろう。

 それにしてもマイクロRNAのような、生物のもつ恐ろしいほど奥深くて、恐ろしいほど緻密なしくみが、原始地球の環境下に生じた油滴のようなコアセルベートからン十億年という「進化」の結果として生まれた…と説明されても、やっぱり「本当かなあ」と思わざるを得ない。人智を越えた何かがあるとしか思えんけどな。それを「神」といっちゃうと、途端に陳腐に見えてしまうが、真実はそういうステレオタイプ的な答えを超越しているかもしれないよ。

 知ってる? 心臓って4つの部屋からなる複雑な構造をしているけど、実際はたった一枚の筋肉からできてるってこと。複数のパーツを合体させた作りよりも、その方が構造的に強いからだろう。
 また単細胞生物の「べん毛」ってスゴイんだぜ。べん毛って一部の単細胞生物がもつヒモのような毛のこと。それが回転することで移動できる。一見、単純な構造のように思えるが、基部の軸受け部分は、すごく複雑な構造になっていて、べん毛の研究者が「まるでタービンみたいだ」という感想を抱くほどらしい。しかも、さらに驚くことに、べん毛は、普通のモーターのようにくるくるとスムーズに回っているわけではなく、アナログ時計の秒針のようにカクカクと回転しているのである。べん毛の基部には突起があり、それが軸受けのパーツと接触する作りになっていて、接触する度にATPが働いて回転のエネルギーが生み出されていることもわかっている。

 こうした心臓やべん毛の複雑なしくみを知るにつけ、それって誰がそのしくみを考えたんだろう? って、やっぱりボクちんなんかは、不思議に思っちゃうんだな。世代交代の度に遺伝子情報が淘汰され、それを何千、何万世代と繰り返すことで、次第に生物の機能がより高度化、より複雑化していくというのは、ある程度理解できるが、実際の生物のしくみは、本当にそれだけで説明できるのだろうかと大いに疑問に思うわけよ。どうしても、そこに人智を越えた意志のようなものを感じてしまうのである。

2015年3月15日(日)
無題
バス運賃値上げ

 1月からずっとかかりきりだった原稿が先週、ようやく手を離れた。まだしなきゃいけないことはいろいろあるが、ちょっとひと段落といったところだ。木曜日は、別の仕事の打ち合わせで都内に出てきた。路線バスも小田急線に乗るのも、かなり久しぶりだったが、駅に出るバス運賃が、いつの間にか値上がりしていた。自宅の目の前を毎日通っている路線バスなのに知らなかったなぁ。まあ、改訂後の料金はキリがいいので、改訂前の料金よりも支払いは簡単になったけどね。もちろんICカードもあるが、滅多に乗らないので、いつも現金払いなんだよな。


ドローン

 最近、迫力ある空撮ができるということで名前を聞くことが増えてきた。しかし、それにしてもドローンって、どういう由来や意味があるのだろう。なんか変な名前。ドロンパなら知ってるけど。あの、「バケラッタ」としかいわないオバQの弟…。あ、いや、あれはO次郎か。
 なんでも少し高価な機種なら、ブレ防止のカメラを備え、GPSによって電波が届く範囲を外れても自動的にスタート地点に戻ってくるものもあるらしい。そういえば、一昨年、北海道に行ったとき、サロベツ原野で飛ばしている人がいた。人間の視点ではあり得ない俯瞰撮影ができるので、自分も空撮をしてみたい、と思う反面、ああいうものがあっちでもこっちでも飛んでる状況を想像するとちょっと怖いのも事実。対人被害が発生するのは時間の問題じゃないか。


2015年3月3日(火)
無題
 一昨年の9月29日付本欄で、某大手製薬会社社長が実は知っている人だったことがわかってびっくりした…という話を書いたが、その社長が、先月、54才の若さで亡くなられた。すでに新聞等で報道されている通りだが、1年半前の段階では、「私が知る人の中で出世頭かもしれないな。今後もご活躍を期待するばかりである」と書いたばかりなのに、まさか亡くなられるとは。大変、有能な方なので、さらに飛躍されるであろうと今後が楽しみだっただけに、その知らせを聞いて絶句した。
 私自身は数えるくらいしか会ったことはなく、結婚される時に二人で実家に挨拶に見えたことくらいしか、もはや記憶にないが、それでも年齢が近いこともあって気の毒でならない。人間の運命のなんと、あっけないことか。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2015年2月27日(金)
島津製作所
 昨夜のテレビ東京「カンブリア宮殿」が取り上げたのは、島津製作所。予告の時から楽しみにしていた通り、おもしろかったなぁ。こういう特殊な分野で名を馳せる技術系の会社って興味深い。昨年取り上げられた浜松ホトニクスも、すごく見たかったのに見逃してしまった。有料オンデマンドで見ようと思えば見れるけどね。

 島津製作所といえば、2002年に社員の田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞したことでも有名。マークが丸十なので鹿児島の島津家と直接、関係があるのだろうと思ってたけど、正確に言うとそうじゃないらしい。

 そういえば大学の研究室にあった液体クロマトグラフィーなどの分析機器のうち何台かは島津製だったなあ。それから中学1年生から大学生くらいまで購読していた朝日新聞社発行の雑誌『科学朝日』の広告の常連だったことも久々に思い出したぞ。

 それにしても元素の割合を一瞬で分析する、まるで電気炊飯器みたいな形をした機器。アレほしいなぁ〜。850万円じゃなくて8万5000円なら、真剣に購入を検討するんだけどなぁ。島津製作所も、エプソンの「お得祭り」みたいなことをやってほしいな〜(笑)。

2015年2月11日(水)
週刊誌記事の珍妙な論理
 『週刊ポスト2015年2月20日号』のネット記事で、記者がジャーナリストのパスポート返納の件を受けて次のようなことを書いていた。


 
(前半省略)
 
越度(おちど)のある者は助けなくていいというなら、もともと国家も行政権力も要らない。危険なところに自ら赴いた者は“非国民”というなら、政府は二度と登山家や宇宙飛行士を称えてもらいたくない。

 イスラエルでの記者会見で、安倍首相は6000人のユダヤ人を救った戦前の日本の外交官、杉原千畝(すぎはら・ちうね)を讃えた。しかし、杉原は政府の方針に逆らいながら自らの良心にしたがってユダヤ人にビザを発給し、歴史に評価された人物だ。

「政府に従え、従わなければ自己責任だ」と後藤氏に責任転嫁する安倍首相に杉原の功績を語る資格はない。




 しっかし、こんな失笑記事をよくもしたり顔で書けるよな。何かの言葉でまとめられるものは、その中身までも勝手に同一であると見なしているところで定性的な発想しかできていないのがモロバレだし、最後の杉原千畝に関する内容にしても先の大戦中の政府と今の政府を同じ「政府」として語っていて意味不明。この記者、ド文系過ぎて頭の中に論理回路が存在しないんじゃないか?

 よーく考えてみよう。国内における日常生活でも多かれ少なかれリスクがある。海外でも国や地域によってリスクはいろいろだ。つまりリスクというのは、「リスクがある」or「リスクがない」の二分法で判断するようなことじゃなくて、重要なのは「リスクがあるとしたら、どの程度(量)か」ということだ。

 この記事では、後藤さんのような例と登山家・宇宙飛行士を「危険なところに自ら赴く者」として勝手に同列とみなしているわけだが、それぞれ中身は同じではない。
 確かに登山家の場合も遭難すると他人(山岳救助隊等)に迷惑をかけることになり、捜索費用も税金で賄われることにつながりかねないのは間違いない。しかし、その費用は国内か海外か、捜索日数等によっても違ってくるだろうが、国内ではヘリコプター運航費+人件費で1日数十万〜数百万円程度。しかも遭難頻度は、山や時期、ルートにもよるが、それほど高くはない。山岳保険をかけていれば、自己責任を果たすことも可能だ。

 また宇宙飛行士は、確かに有人宇宙飛行が始まった初期の頃、今よりもはるかにリスクが高かった。だから、その任務を担ったのは、旧ソ連でもアメリカでも軍人だった。つまり常に死を覚悟し、何かがあっても冷静に対応できる精神力や体力を有するのは、軍人しかいなかったからだ。しかし現在は技術が進歩し、リスクはかなり減った。だからこそ科学者からも宇宙飛行士に選ばれるようになり、さらに一般向けの宇宙旅行プランも販売されるようになったわけだろ。しかも宇宙飛行士は、フリージャーナリストの取材みたいな個人の仕事レベルの話じゃなくて、人類の未来にもつながる公共性の高いミッションだ。

 イスラム国に日本人ジャーナリストが立ち入ることは、登山家や宇宙飛行士よりもリスクが圧倒的に高く、しかも万一の場合は日本国政府に多額の身代金が要求され、多くの政府関係者が対応に当たることになり、身代金を払わなかったとしても多額の税金が使われることになるわけだから、登山家や宇宙飛行士のような、それほど高リスクではないものと同列で論理を組み立てていること自体に無理がある。
 ネット上の意見に目を通しても、外務省の対応批判よりも、圧倒的にイスラム国への渡航を企てたジャーナリストを批判する声の方が多いことから考えれば、おそらく、ほとんどの国民は一般的な感覚から、その是非の一線を「イスラム国に取材に行くこと」と「それ以外のリスクがある行為」との間に引いているものと思われる。

 要は、国民が収めた税金の使い道として、イスラム国の実態を伝えるために入国して人質になってしまったジャーナリスト救出のために億単位の税金を使うことや多数の政府関係者を対応させることを主権者である国民が認めるか認めないかという話だ。マスコミ関係者がなんといおうとも、国民がノーと判断したら、この話はそれで終わりである。

 大体、イスラム国の実態を伝える程度の自分たちの仕事に億単位の価値があるとでも思っているのかね。マスコミ関係者の中には、政府や政治家を困らせることがイコール正義と思い込んでいる単細胞もいるようだが、今回の件においてもマスコミのズレた反応の背景にあるものと無関係ではないだろう。

 マスコミ関係者は、せいぜい「賛否両論」と表現して五分五分みたいに表現するのが関の山だろうが、こういう事案でトンチンカンなことをいい過ぎると国民から信頼を失うよ。あ、いや『週刊ポスト』の場合は、とっくの昔に信頼を失っているから、今さらどうでもいいか(笑)。


2015年2月10日(火)
アントニオ猪木議員
 アントニオ猪木参議院議員が、先日の参院決算委員会で質問時間のほとんどを使って、自分はいかに世界で愛され、スポーツ外交で活躍してきたのか、といった自慢話を続けられたそうだ。アントニオ猪木議員に関して興味はなく政界でどういう評価をされているのかも知らなかったが、この報道に接して「あーなるほどね」と思った。
 
 プロレスの世界では大成功されたわけだから、その道の才能はあったのだろう。でも、プロレス界で成功する才能と政界で成功する才能は、ほとんど無関係だ。両方に秀でている人もいるかもしれないが、たぶん、この人は、ほかの議員から一目置かれてはいないだろう。

 仮にアントニオ猪木議員が、政界でも一目置かれる有能な議員であれば、委員会という場で自慢話をしたいという発想にはならないだろう。本当に有能であれば、自分のことよりも質問を優先するのが普通だろ。にもかかわらず割り当てられた時間のほとんどを使って、委員会の議題に無関係な自慢話をしたかったのは、実は政界では一目置かれず、それが不満だった…ということまでも透けて見えてくる。

 オレって、こんなにスゴイんだぞ。もっとオレに注目しろよ…と。でも、議員としての実態を知らない有権者も、この報道でアントニオ猪木議員の人間性までも完全に見えてしまったのではないか。自分の価値を高めようとして逆に大失敗というわけだ。

 未成年の若者なら未熟だから、たとえ粋がっても笑って許される。でも人間として成熟していなきゃいけないアントニオ猪木議員みたいな年齢層の人が、自慢タラタラなんて、実に見苦しい。
 なんとか一目置かれるようになりたくて、手持ちのあらゆる自慢話をすべて披瀝。でも、それによって逆に普段から一目置かれていないことまでバレちゃうわけだ。さすがに政界で一目置かれない人だけのことはある。やっぱり頭のレベルも想像通りだ。何ひとつ矛盾していない。


2015年2月9日(月)
マスコミ関係者の珍妙な論理
 日本人が2人も殺されているのに、それでもイスラム国に行こうとしてパスポートを返納させられたジャーナリストがいた…という報道にはぶっ飛んだ。どういう思考回路をしているのか理解不能だが、前もってイスラム国行きを公然と宣言していたというのを聞いて、「ははぁーん」と思った。本当に行く気があったのか疑問だね。こういう時期だからこそ「敢えてイスラム国に行く」と宣言すると注目を浴びて名前が売れるし、なんつーたって「命がけで取材を敢行するカッコいいジャーナリスト」を気取れる。

 本当に行く気なら、イスラム国の戦闘員を希望する人と同様に誰にも邪魔されないように秘かに渡航するのが普通では? 「トルコの取材」と称して渡航し、トルコ経由でイスラム国に入れば出国を阻止されることもないだろ。たぶん公然とイスラム国行きを宣言しておけば、後藤さんの前例もあるので外務省が阻止してくれるだろうし、それが報道されれば自分にとっては大いに宣伝になる、という計算があったとしか思えねぇぞ。直接、会いに行ったという外務省関係者がどこから行ったのか知らないが、たぶん東京の本省から新潟県まで足を運んだのだろう。自分のためにン万円の交通費を税金から出費させたことに何も感じないのかね。このバカは?

 似たようなことって過去にもあって、例えば何年か前に某ジャーナリストが某国で取材中、逮捕拘留されたことがあったが、私は売名行為のためにわざと逮捕されるようなことをした結果であると想像している。軍事政権下で取材中に逮捕されたとなると、日本で大々的に報道されて名前が売れるし、なんつーたってジャーナリストとしてカッコいい。当然、渡航前に前例を調べて、逮捕・拘留されたとしても短期間で釈放されることは知っていたはずだ(実祭、その通りだった)。

 昨日の某テレビ番組で、今回の件を受けて木村太郎が「僕らは蛮勇でなきゃいけない」とトンチンカンなことをいっていた。この人は時々、変なことをおっしゃる。というか、後藤さんの擁護もそうだが、マスコミの「危険なエリアには一切行くなということになると、現地の実情を誰が伝えるのか」みたいな珍妙な論理もどうかと思うよ。バーカ。誰も危険エリアには一切行くなっていってねぇよ。つまり、こういうことだ。


●20XX年、某国と某国の間で戦争が勃発。現地では激しい銃撃戦となり、民間人にも多数の死者が出ている模様。これに対してジャーナリスト曰く。「現地で何が起こっているか、世界に伝える必要があるので、なんとしても取材したい」。

日本国民の意見→「どーぞ、どーぞ。それに対しては一切反対はしません。たとえ鉄砲の弾が飛んできて、あなたの頭を貫通したとしても国民にとっては痛くも痒くもありません。ジャーナリストの使命を果たすためなら、それくらいの危険は顧みずに取材して現地状況をぜひとも伝えて下さい。取材全然OKでーす」。


●20XX年、某国で致死率が極めて高い感染症が流行。住民は次々に感染して死者は増えるばかり。これに対してジャーナリスト曰く。「現地で何が起こっているか、世界に伝える必要があるので、なんとしても取材したい」。

日本国民の意見→「どーぞ、どーぞ。それに対しては一切反対しません。あなたが感染して現地でオダブツになったとしても、国民にとっては痛くも痒くもありません。ジャーナリストの使命を果たすためなら、それくらいの危険は顧みずに取材して現地状況をぜひとも伝えて下さい。最後に潜伏期間だけ隔離して未感染であることをきちっと調べた上で帰国するという前提であれば、まったく問題なしです。取材全然OKでーす」。


 イスラム国が、外国のマスコミ関係者を見かけたら即射殺する連中であるのなら別に反対はしねぇよ。でも実際は人質としてとられ、法外な身代金が日本国政府に要求されるリスクが極めて高いわけだ。しかも多数の政府関係者ばかりでなく、政府中枢までも事件の対応に忙殺され、しかもその対応に際して多額の税金が使われるわけだから、報道の自由とか、渡航の自由とか、そういう問題じゃねぇだろ。行政の無駄遣いは1円たりとも許さないと日頃批判している方々が、自分たちのためなら万一の時は、億単位の税金を投入して対応して下さいってか。こういうことに頭が一切まわらず、パスポートを返納させた外務省を声高に批判しているマスコミ関係者は、本当に頭がどうかしてる。

 今回の外務省の対応を私は断固支持する。


2015年1月28日(水)
思慮が浅い人
 イスラム国の人質事件に関して、ここ数日の間に何人かの国会議員から呆れ果てる発言が出ていることは、みなさんもご承知のことだと思う。やっぱり期待を裏切らなかったのは、なんといっても山本太郎議員。山本大センセーは、「イスラム国と対峙する周辺国への2億ドル支援を中止すべき」という驚きの表明をされているそうな。つまりテロに屈せよということらしい。そんことをすれば世界中のテロリストたちが、「日本という国は、脅せば簡単に方針転換する甘い国のようだ。誘拐して身代金を要求するのなら日本人だな」との認識を持ち、在外日本人が危険にさらされるという至極単純なことすらも頭に浮かばないらしい。

 この人の超絶単細胞ぶりは、今さら驚かないが、今回、ほかにも単細胞国会議員がいることも判明。この事態に的外れな安倍批判に終始するバカを国会に送り出した選挙民は責任をとってほしいものだ。

 それにしてもいい大人であるにも関わらず、世の中には、山本議員みたいに「あり得ないほど思慮が浅い人」がいらっしゃる。若いうちならまだ許される。でも、ある程度の年齢に達した「いい大人」でも思慮が浅いのは、正直、ものすごく不思議としかいいようがない。

 そもそも子供のうちは、みんな思慮が浅い。なにしろ人生経験が少ないのだから、物事の考え方のノウハウなんてゼロに等しい。しかし成長し大人になり、さまざまな経験を積んでいくに従い、人は学校では教えられないことに気づくようになる。たとえ自分の思慮が浅くても、思慮の深い意見に接して自分の考えの至らなさに気づく(=身の程を知る)。あるいは、判断を誤った経験から、では自分の考えのどこが問題だったのか、と自分なりに分析し、次からは気をつけようと考えるわけだ。世の中の多くのごく常識的な大人は、みんな表向き口にしなくても、そんな経験をある程度積んでいるからこそ、若い頃よりも思慮深い考え方が次第にできるようになる。

 とはいえ、世の中なんて「思慮が浅い人」と「思慮が深い人」の2分法で分けられるほど単純じゃないし、また思慮が深いとは、経験や知識だけでなく、いかに多くの可能性について考慮しているか、という要素も大きい。

 世の中には、困ったことに山本議員のように、せいぜい100のうち2くらいは考えたかもしれないが、ろくな熟慮もせずに頭に浮かんだことを口にしているだけの単細胞ちゃんもいっぱいいるわけだ。一方、100のうち10くらいは考えて結論を出すのが普通の大人といえるかもしれないが、中には100のうち20、30、40…とあらゆる方向に考えを巡らし、すべてを比較検討した上で最も正しいと思われる結論を出す人だっていよう。つまり、より多くの可能性を探っている人の方が、思慮深い意見になるのは当たり前の話だ。

 おそらく山本議員のような思慮が浅い人というのは、自分の考えが間違っていても、それに正面から向き合わず、見て見ぬふりをし、都合のいい成功例だけ見て「オレって結構すごい」と自分自身を納得させてきたのだろう。しかし、その本当の理由は内面に大きなコンプレックスを抱えて自分の真の姿を知るのが怖かったからではないのか。

 あるいは、もしかすると「思慮が浅い人=勘が鈍い人」といってもいいかもしれない。100のうち2しか考えてなくても、勘が鋭ければ最も考慮すべき要素を直感で優先的に選び出しやすいが、勘が鈍ければ、それさえもできないことになる。

 私の勝手な印象でいわせてもらえば、閉口するほど勘が鈍い人というのは、圧倒的に男性に多い。もちろん女性にもいるだろうが、もともと男性と比較して女性は、論理は弱いが、その分、直感は鋭い傾向が認められる。おそらくメスとして、より優れたオスの遺伝子を獲得するため、あるいは子供を10ヶ月も体内で育む上で、自分や子供に対する危険を回避するために備わった本能的な能力なのだろう。

 ところで勘が鈍い人というのは、完全に物理的な限界があることに、みなさんはお気づきになっているだろうか。つまり、こうだ。


勘が鈍い人というのは、なにしろ勘が鈍いので「自分の勘が鈍い」ことに自ら気づくことはほとんどなくて、当然、その欠点を自ら修正することも不可能に近いということだ。たぶん一生、無理だろう(笑)。


 さらにいえば、そういう人は、他人が思慮深く考えた上での結論でさえ、なんでそんな結論になるのか理解できないし、「ひょっとすると自分よりも深い考えに基づいているのではないか」という勘が働くこともなく、さらに「納得できそうな理由を考えてみよう」という慎重な習慣もほとんどないので、むしろ「なんて意味不明な結論だ。バッカじゃねぇの」で終わせてしまうことを繰り返しているからこそ、やっぱり、いつまでたっても思慮深い考え方ができないというわけだ。

 さて、本項の結論は、山本大センセーのような勘が鈍い人は、確実にこれからも思慮が浅すぎる発言を繰り返すだろう、ということだ。どーよ。大変、役に立つ情報だろ(笑)。


2015年1月20日(火)
謎の飛行物体現る!
 昨夜、大阪市内の街を何人かの人と一緒に歩いていた時のことだ。ビルの谷間から、ふと見上げると小さな星のような白い光が左上の上空から遠方の山に向けて、斜めに高速移動しているのに気づいた。飛行機にしては早過ぎるし、一方、流星にしては遅過ぎる。「正体は何だろう?」と思いながら、その光を目で追ったところ、山の手前でくるっとUターン。その瞬間、奇妙な形をした物体であることに気づいた。断面がレンズ状をした四面体で、後には3つの噴射口が開いている! その飛行物体が地球のものじゃないことは明らかだった。なぜなら、あまりに巨大だったからである。一緒に見ていた人の中には交番に通報しに行く人もいたほどだ。
 その後の経緯については、残念ながらここで詳しく説明することはできない。謎の組織から口封じされたからではないが、どうしても無理なんだな。みなさんのご想像通りです!!


2015年1月17日(土)
キラリと光る意見
 先日、たまたま見たテレビ番組でサッカーの三浦知良選手が、いつも他の選手に「今日の俺はどうだった?」と意見を聞いている、という話しをされていた。たとえ相手が自分よりはるかに若い選手であっても意見を聞き、それを自らのプレーに役立ているという。三浦選手ほどの人が、若い選手にまで意見を聞いているのかと、ちょっと驚いたが、そのような謙虚な姿勢で自分を修正できるからこそ、今でも現役のサッカー選手として通用しているのだろう。「プライドはないんですか」という質問に対して「そういうプライドはないですね」と言い切っていた。

 三浦選手に限らず、ほかのどの分野でもそうだが、何かをやり遂げた人というのは、聞いていて「お!」と思うような、キラリと光る意見をお持ちのことが多い。能力や努力だけではなく、人とは違う視点もあるからこそ真似できない何かを成し遂げられるのだろう。

 常々、私は、社会とは結局のところ、他者の評価によって成立していると考えている。私が仕事を続けられるのも、それを評価してくれる人がいるからである。いくら勝手に「オレって有能」と思おうとも、自分が思っているだけでは何の発展もないし、自分が思うだけなら誰でも都合のいいようになんとでも見なせる。つまり他者の評価とは、自分の能力に対する客観的根拠と言い換えてもいいかもしれない。
 そもそも自分の外見でさえ鏡がないと認識できないのと同様に自分を客観視するのは難しい。それだけに、どうしても自分の都合のいい方向にバイアスがかかりやすい。従って常に他者の視点を取り入れて、より正確な自分自身を認識しようという三浦選手の姿勢は正しいと思う。

 ただ、その一方で人の意見というのは、必ずしも的を射ているとは限らないのも事実である。三浦選手の周囲にいるのは、ハイレベルなプロ選手だから的確なアドバイスができる人が多いと想像するが、もしかするとあまり参考にならない人もいるかもしれない。仮にそうだとしても、おそらく三浦選手の方も、もらったアドバイスに対して、的確な意見とそうでない意見を選り分けて、それぞれの意見を評価しているはずだ。つまり他者の評価とは、どちらかの一方通行ではないのである。そのことも忘れてはいけない。

 ところで、私はテレビ東京の『カンブリア宮殿』をよく見る。国内の注目すべきユニークな企業を取り上げ、その経営の極意がどこにあるのかを探る番組で、NHKの『プロジェクトX』じゃないけど、逆境下にあっても不屈の精神で乗り越え、最後に逆転した…みたいな話もあって、結構おもしろい。ただ、その企業の素晴らしさばかりが強調され(取材協力してもらっている以上、悪いことはいえないだろうが)、絶賛気味なところがちょっと鼻に付くし、ひょっとすると取り上げる企業とタイアップしてるんじゃないかと邪推をしないでもないが、でも内容は悪くない。特に毎回、スタジオで経営トップが語られるひと言には感心することが多い。さすがにそれほどの企業を育てられた人だけのことはある。三浦選手と同様に、言うことがちょっと違うし、自らの胆に命じたいほどの言葉も多い。

 …とはいえ、そのうち何例か出せといわれても、ひとつも思い浮かばないのも事実なんだけどね(笑)。見た時は「いいこというな〜」と感心しても、すぐに忘れちゃうってこと。あーそうだ。一昨日の日プラ社長がいってた「人の真似はしない」は思い出した。でも具体的に言葉として思い出せなくても、人間の脳なんて、どこかに記憶が引っかかっていて、それが人生の折々のちょっとした判断の際に無意識のうちにプラスに働く…なんてことはあり得る。覚えてなくても、何かの弾みに表に出てきて判断の参考になれば、それはそれで儲けもんだろ。

2015年1月14日(水)
音声認識ソフト
 パソコンを使い始めた頃、初期の音声認識ソフトを購入したことがある。その頃のソフトは、 PCの能力が低いということもあってか、お世辞にも褒められたものじゃなかった。1万円くらいで買ったものの、結局ほとんど使わないままお蔵入り。その後、10年くらい前にも別の音声認識ソフトを購入したが、最初のソフトと比べればマシとはいえ、やはり認識率はあまりよくなくて、仕事で多用することはなかった。
 
 ところが先日、メールで最新バージョンの案内が届く。そのサイトを見て「最高認識率99%」の宣伝文句につられて、これまで2度も失望しているにも関わらず興味をそそられた。と言うのも私の車には音声認識機能があってカーナビやカーオーディオを音声でも操作できるのだが、車を買った7年前に認識率が実用レベルに近いことを知っていたからである。つまり音声認識ソフトの認識率は、すごく大雑把に考えてもそれよりも7年分高くなっているに違いない。
 で、性懲りもなくダウンロードで購入して使ってみた。ヘッドセットをつけて読み上げると、たまに間違うことはあるものの、かなり高い確率で自分がしゃべった通りの文章が、あっという間にテキストデータとして完成しちゃったじゃないか。お、これは、スゴイぞ。

 この記事もその音声認識ソフトで作成したもので、実際には手入力も併用しているが、すべて手入力していた時に比べれば、大幅に省力化しているのは間違いないだろう。ただ、頭に浮かんだことをさっと口に出して音声認識ソフトで認識させる方がいい場合と、じっくり推敲を重ねながら手入力した方がいい場合と、その使い分けには慣れが必要そうだし、ごく短い文や単語ごとに分散して別々に入力することが多い使用環境では、どうしても認識率が低下するようである。ソフトの説明を読んでも、単語ごとに区切って発声せず、長い文章として連続発声する方が認識率は上がると書いてあり、実際その通りのようだ。長い文章の方が、前の単語の意味も考慮されるので適切な単語を選びやすくなるからだろう。

 このソフトに興味を持ったのは、今やっている仕事で力強い助っ人になってくれるかも…という期待があったからだが、完全に取り入れて使えるようになるには、まだ時間がかかりそうだ。

 それにしても、技術の進歩ってすごいね。


2015年1月11日(日)
異物混入
 食品に異物が混入する事件が相次いでいるが、このところ混入頻度がにわかに増加しているわけじゃなくて、まるか食品のペヤングの一件で、全商品回収という異例の対応もあって「食品の異物混入」が注目されたのが、きっかけじゃないか。そんなことがあったので全国で食事中に異物を見つけた人が、ブログなどで報告してネット上で話題となり、さらにそれをメディアが拾って報道する…という構図なんだろう。

 人の歯が入っていたなんて確かに不衛生+不愉快極まりない。しかし、どうやって入ったんだろう? 工場の従業員に聞いても歯が抜けた人はいなかった…といっても、仮に思い当たる人がいたとしても、これほどの騒ぎになっていれば「それは、きっと私の歯です」とは言い出せないんじゃないか。そうでなければ、あとは会社に不満がある従業員が故意に入れたとしか考えられんだろ。

 食品の異物混入をゼロにするのは不可能。とはいえ、さすがに人の歯とか、タコライスのミミズ死骸とか、離乳食のコオロギとか、喰ってる最中に見つけた人のショックと、その後のトラウマ状態を想像すると、本当に同情するし、私なら「代金返金」だけじゃ納得しないぞ。マクドナルドの「無料券」なんてあり得ない。無神経にも程がある。歯が入っていたのに無料券を渡して「また来て下さい」って、マクドナルドはバカなのか?
 私自身も以前、別欄で書いたコンビニ「かき揚げうどん」のかき揚げにカメムシとか、数例の異物混入発見体験があることはあるが、「人の歯」とか「ミミズ死骸」なんて、それらよりも次元が違う話だよな。昔、聞いた話では「ラーメンの中にナメクジ」という驚きの体験談もあった。その体験者は、その後10年くらいラーメンを喰えなかっただろうな。

 小さな虫とか、髪の毛とか、実際は結構気づかないでそのまま喰っちゃってるんじゃないか。もし「自分が過去に口に入れた異物」を一瞬でリストアップできる機械が発明されたら(まあ、ドラえもんでもポケットから出してくれないだろうが)、そのあまりの多さに驚愕するんじゃないかな。羽化直後の一齢幼虫みたいに、3ミリにも満たないごく小さな幼虫なら、野菜に付いていてもすべてを見つけるのは困難。ほとんどは洗浄で落ちるだろうが、運が悪ければ残ったままになる可能性はある。特にポテトサラダみたいに粘度の高い料理であれば、よほど大きなものでなければ目に付かない。本当のことをいって大変申し訳ないが、虫とか幼虫とか、結構いろんな異物を、たぶんみんな何度も食ってるよ(笑)。

2015年1月9日(木)
年末年始
  年末年始も慌ただしかったなぁ。自宅には26日に戻り、まずは年賀状作業をさっとすませる。投函しようと玄関に置いておいたら、ちょうどゆうパックの配達。「これ、お願いできませんか」と聞いてみると、「お預かりします」とあっさり受け取ってくれた。昨年もレターパックの担当者に増税分の2円切手を頼むと翌日、持ってきてくれたり、民営化してサービスが随分よくなったと思っているが、以前ならこういうサービスもなかったんじゃないか。

 それから故障したわけではないが、長年愛用してきた冷蔵庫をついに買い換え、年内ギリギリに搬入してもらう。これまで使っていた冷蔵庫は、なんと大学入学時に買ったもの。小型だが、不在にすることが多い身には、それほど不便でもなかったし、なにより30年間一度も故障しなかったので、買い換えようという発想はほとんどなかったのだが、さすがにそろそろと思ったわけよ。特に省エネという意味では、最新のもっと大きい冷蔵庫にしても年間の電気代ははるかに安いだろう。電気代の結果は、まだ不明だが、確かに大きくなって便利にはなったな。
 新しい冷蔵庫が来る日。30年間も働き続けてくれたことに敬意を表し、古い冷蔵庫の内部と外部をきれいにし、何度も「30年間、ありがとな」と礼をいう(笑)。夏場、いつも冷たい飲み物を提供してくれた日々のことを思い出すと別れは辛いぜ。

 その後の年末年始は例年通り、ずっと仕事に明け暮れ、6日に完成した地図原稿約130点をオフィリオくんに通してPDF化し、宅ふぁいる便で新聞社に送付。これで一段落だが、本文の原稿はまだまだ。でも原稿作業って大変な反面、家に閉じこもって黙々と作業するのも嫌いじゃない。

2015年1月1日(木)
新年あけましておめでとうございます
2014年12月30日(火)
今週のSTAP細胞
 理研の調査委員会が、「STAP細胞とされたものは、調べた限りではすべてES細胞に由来する」と発表した。調査委員会が、そういう認定をしたのであれば、本当にそうなんだろうが、それにしても極めて不可解というしかないね。どういうことかというと、実験器具の洗浄が不十分だった…みたいなことが原因でES細胞が紛れ込むようなことは、可能性としては十分あり得る。しかし、何百回と繰り返された確認実験すべてにおいて、毎回、ES細胞が偶然、紛れ込む可能性なんて限りなくゼロに近い。

 ということは、あとはSTAP細胞の培養時にES細胞が故意に混入されたとしか考えられない。それができるのは、小保方さんや共同研究者らを含む実験室に出入りできる人ということになる。しかし、共同研究者はもちろんながら小保方さん本人が、ES細胞を故意に混入させて実験データを捏造したとはちょっと思えない。そんな超初歩的な捏造をしても、すぐにバレることはわかりきったことだし、それは同時に自分自身の研究者生命が危機に陥ることをも意味する。バイオサイエンスの研究者なら、誰しも想定できることであり、そんなあり得ない捏造を裏でしておきながら、自信満々に華々しい記者会見することも、普通の神経の持ち主であればできないだろう。となると、小保方さんの実験内容を知っていて、それを邪魔したい人物が研究室にいた可能性の方が説得力がある。

 STAP細胞が実在するとしたら、科学史を塗り替える大発見というに留まらず、「再生医療の大革命=世界的な需要=莫大な利益」という意味をも持つ。まあ、あんまり適当なこともいえないが、こういう視点から考えると、どうしてもいろいろと余計なことまで想像しちゃうよな。いくら科学的にはものすごい大発見であってもお金には一切結びつかない研究テーマとは、根本的に違う話なのだ。
 それに前回の日記でも書いた通り、ハーバード大のバカンティ教授も小保方さんとは別にSTAP細胞を作っているはずだが、その時もやはりES細胞のコンタミが起こっていたなんてこともあり得ない。
 今回の発表について空想すぎる陰謀論を語る気はないが、それにしても不可解。小保方さんが、ものすごい実験音痴だったとしても理解しがたい結果というよりほかにない。何か裏があるのではないか、という疑念を私は払拭できない。

 ところで今回の発表を聞いて、小保方さんを疑っていた方々は、きっと「ほーら、やっぱり嘘だった」と鼻高々でいらっしゃることだろうが、そんなもんだからバカにしてるんだよ。みなさんは、今回の一件を理解した上で判断していたわけじゃない。わかりやすくいえば、コインを投げて表が出るか、裏が出るか、という賭けをしてみた。「絶対、裏が出る!」と裏の方に賭けたら、本当に裏が出た。「ほーら、やっぱり、オレの見立て通りだ」みたいな超おバカな話と大差ない。いくらいっぱしを気取っていても所詮、マスコミ報道と世論を参考にすることしかできないし、その限られた情報だけを材料にして薄っぺらい直感だけで判断してみたら、たまたま表向きの見立てが合っていただけの話。そういうのを「偶然」っていうんだよ(笑)。


2014年12月22日(月)
今週のSTAP細胞
 「STAP現象は再現できなかった」と理研が発表した。専門家からは、検証実験をやる意味はあったのか…等の批判も見受けられるが、これで区切りがついたのではないか。小保方さんが逆転ホームランをぶっ放してくれることに内心、期待していたが、再現できなかったことで、理研が検証実験終了という結論を出したのは当然だろう。
 ただし、今回の検証実験結果からいえるのは、理研の責任者も述べていた通り、「再現できなかった」ということでしかない。今の段階では、本当のことは誰にもわからないということだ。専門家でもわからないのだから素人にジャッジできるはずがないのである。それなのにテリー伊藤や森永卓郎等のド素人・文系コメンテーターが、わかったような顔をしてジャッジしているのは、爆笑モノだね。彼らは何も知らないし、何もわかっちゃいない。そんな彼ら(世間一般も含めて)は、結局、マスコミや世論を参考にするしかない。でも、マスコミも世論も構成するほとんどの人は文系というのが実態。理系でも生物系以外の人は、たぶんよくわかってはいないだろう。

 私は、「小保方さんの妄想だった」みたいな意見は、バカすぎると思う。論文が彼女ひとりによって書かれたものであれば、あるいはそういうこともあり得るかもしれないが、わが国における万能細胞研究の第一線を担うハイレベルな専門家が何人も関与した研究で、一人の人間の妄想がいつまでも通用するわけがないのである。彼ら一流の研究者も万能性をもつ新しい細胞の存在を認めるだけの、何かがあったのは間違いない。
 ES細胞のコンタミ説が再び浮上しているが、これも私は疑問に思う。STAP細胞の遺伝子を調べたところ、ES細胞と酷似していたといっても、ハーバード大のバカンティ教授も同じようにES細胞のコンタミという初歩的な失態を犯していたとは到底思えないからだ。

 生物の現象というのは、世間一般の人が想像するよりもはるかに複雑で、ひとすじ縄ではいかないものである。一度は提唱された仮説が、再現できなかった前例なんていくらでもあるし、当の研究者すらも気づいていない未知の因子によって結果が変わる可能性は十分にある。それだけ生物の世界は奥が深いということだ。
 「検証実験によって再現できなかった」という結論が出た以上、科学の上では「STAP細胞仮説は否定された」ことになるが、今後、どこかの研究者が、それをくつがえす研究結果を発表する可能性はある。

 今年ノーベル物理学賞に輝いた青色発光ダイオード研究では、名古屋大学の赤崎先生が、世界中の研究者のほぼ全員が「研究する価値はない」と見限っていた窒化ガリウムに徹底的にこだわったことで道が開けた。科学の世界では、多数の意見が必ずしも結果的に正しかったとは限らない。過去には同じようなことが何度となく繰り返されているにも関わらず、専門家でさえもそのことをついつい忘れがちになって、まわりの大多数の意見に影響される、という面も私はあると思うね。

 今回、理研の発表で最後に検証実験責任者の相澤氏が、一度退席しかけたのに壇上に戻ってきて、犯罪者扱いで検証実験をしてしまったことを詫びられたが、「よくぞ言った」と思った。まったくもってその通りである。テレビ番組で番組司会者が「誰に向かって言ったんだろう」と疑問を呈していたが、私は半分は小保方さんを犯罪者扱いで報道したマスコミに対しての遠回しの批判の意味も込められていたと想像するね。

 昨日、ある週刊誌のネット記事に目を通すと、あるコラムニストが、今回の件について以下のようなことを書かれていた。


 
詳しいことは理解できていないのに、組織の側が否定したからといって「ケシカラン!」「とんだ食わせ者だ」と尻馬に乗って非難するのは、もっとも恥ずかしい行為。もし周囲にその手の人がいたら、自分が迷惑を受けたわけでもないにもかかわらず、叩きやすい相手を無邪気に叩いてしまうみっともなさを他山の石にさせてもらいましょう。


 おおっ! なんと見識あるお言葉。これも「まったくもってその通り」と拍手したいね。こんな記事を皮肉をこめて「叩きやすい相手を無邪気に叩いてしまうみっともない」週刊誌に寄稿するのも実に素晴らしい。当然、記事の担当編集者は、自分たちに対する批判と受け止めたと思うが、それをボツにせずに掲載したのは、いくらゴミクソ無能週刊誌でも最低限の見識くらいはあるということか。いや、予定していた記事スペースに空きが出るのは困るので、渋々掲載した…まあ、所詮、ゴミクソ無能週刊誌なら、きっとそんなとこだよ(笑)。

 私は、小保方さんについて、要は徹底的にからっぽな世間一般が想像するよりも、はるかにポテンシャルが高い人物と評価する。別に早稲田大学大学院を出ているとか、ハーバード大学で研究してたとかそういうことじゃない。
 STAP細胞については最終的には残念ながらこういう結果になってしまったが、マスコミや理研の反応だけ見て「ケシカラン!」と批判するほとんどの人よりも頭のレベル(勉強ができる云々じゃなくて)が高いのは間違いないし、これまでの経緯を見ても私はそう感じるのだ。
 百戦錬磨の300人もの報道陣を前にほぼ完璧な会見をやってのけるのは、並み大抵のことじゃない。今回のコメントにしても、「魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り」という部分は、前出のコラムニストも高く評価しているのと同様に私も感心した次第である。人の心に響く言葉をうまく選んで使っているところを見ても、そこに彼女の賢さを感じる。

 おそらく魂の限界まで取り組んだのは、事実だろう。自分のためということはもちろんあったと思うが、マスコミや世間一般の冷たい視線にも耐えてよく頑張ったと思う。今回の一件をより科学的な視点、より冷静緻密な視点で見抜いている人は必ずいる。小保方さんには、「あなたを批判する単細胞はほっとこう。それよりも新しい道に進んで、あなたの才能を社会のために役立ててほしい」といいたいね。

 
2014年12月20日(土)
九州取材記(11)
 対馬滞在2日目は、対馬の下島を取材し、最後に県立対馬歴史民俗資料館を見学。ここで販売されていた対馬の資料などを購入した。ついでに厳原の中心部をちょっと散策後、早めに港へ。午後3時に厳原港を出港。この航路は、福岡と壱岐と対馬を結んでいるが、往路は寝ていたので壱岐に立ち寄ったことにまったく気づかなかった。帰路は船上から壱岐の港を見ようと思っていたのだが、結局立ち寄らず福岡港に到着。港に立ち寄れば、客室にいてもさすがに気づくと思うが、そんな様子は微塵もなかった。予約がなかったのかなんなのか不明だが、立ち寄らなかったにも関わらず、予定よりも少し遅れて午後8時過ぎに福岡に戻ってきた。

 夜の福岡市内を抜け出し、高速で一路、雲仙へ。先日、朝一番で雲仙の取材を始めたのだが、予想を超える積雪に断念。天気予報では、週末にまた積雪があるとのことだったので、対馬から戻って、先に雲仙を取材することにしたのだ。翌日の午前中、さっと取材をすませ、再び高速で福岡へ戻り、午後は福岡市内の取材を続けた。
 最終日13日は、最後に残った宗像市内の7ヶ所を取材。この7ヶ所は、いずれも簡単なところばかりだったので午前9時にはすべて完了。40日ぶりに実家に向けて帰途に就いた。帰路の中国道や山陽道では、晴れることもあったが、時々、雪もつんつん降るような天気。正午過ぎに実家に到着。あ〜っ!! ようやく九州取材がすべて終わったぞ〜!! 

 「九州取材記」の最後にこれまで掲載できなかった取材中の写真をまとめてご紹介。



福岡と対馬を結ぶ壱岐・対馬フェリー。厳原港にて。ところで改めて写真を見て、フェリー側面の文字が気になった。普通は「福岡−壱岐−対馬」だと思うが、対馬じゃなくて厳原という港の名前にしてるのは何か理由があるのかな。港の名前なら壱岐じゃなくて芦辺とするべきだと思うんだけど。まあ、どうでもいいけど。


フェリー内のベッドルーム。トラックの利用が多いためか、ベッドルームが割り当てられ、カーテンを引けば狭くても個室みたいになるので、往路では熟睡できた。


鹿児島市の三重岳から桜島を望む。


鹿児島県出水市のツル飛来地。展望台から見下ろすと、すごい数のツルが…。


JAXA内之浦宇宙空間観測所の資料館に展示してある過去の国産固体燃料ロケット模型。


同じくJAXA内之浦宇宙空間観測所の敷地内にある日本初の人工衛星「おおすみ」の記念碑。名前はいうまでもなく大隅半島に由来するよ。


熊本県玉名市で見かけたみかん畑。


宮崎県では、こんな時間規制の国道や県道があちこちにあって往生した。大抵はこの規制のように通れる時間よりも通れない時間の方が長くて、その度に迂回するハメに。


6日に雲仙に行くと、寒波の影響で山を越える県道には積雪が。しかも車の走行跡すらもついていない真っ白い道だった。目的地までさっと行ってさっと戻る。


雲間から太陽の光が…。雲仙で見かけた風景。


鹿児島県・池田湖畔の観光施設駐車場に置かれたイッシー像(と思われる)。説明板も何もないので、あくまで「思われる」だが、たぶんそうだろう。


天草で見かけた満開となったコスモス畑。


関門大橋を渡る。40日ぶりに九州を離れ、山口県へ。


2014年12月18日(木)
九州取材記(10)
 対馬は、とにかく印象深かった。国内なのに国内とはちょっとばかり違う雰囲気が新鮮だった。ツシマヤマネコは、いつか野生状態の個体を撮影してみたいし、今回は見れなかった対馬固有の動植物もぜひカメラに収めたい。「対馬は一回行けばもう十分」じゃなくて、ぜひとも2度3度と行きたい…強くそう思ったね。

 ツシマヤマネコもいるくらいだから、対馬の生物相ってかなりおもしろいのだ。ツシマテン、ツシマジカ、ツシマサンショウウオだけじゃなくて、オレンジ色をした丸っこいツシマナメクジだっているんだぞ。うーん、実物をぜひ見てみたい!! チョウセンヤマツツジ、ツシマラン、オウゴンユリ、ダンギク…等の植物も大変興味深い。次はこれらの開花時期にぜひ訪問したいものだ。

 日本人よりも韓国人の観光客が多い「国境の島」。とはいえ観光シーズンじゃなかったこともあって、島を離れる日に厳原の商業施設周辺で韓国人観光客をチラホラ見かけた程度だったが(韓国語の会話を聞かなくても、あるいは大きな旅行カバンを持っていなくても、なぜか見ただけでなんとなく韓国人だとわかる)、島の人も「日本人観光客にもっと来てほしい」というのがホンネのようだ。



対馬の椎根地区には、高床式の石屋根倉庫が今も点在。対馬に産する板状の石を屋根材として使用したもので、昔は対馬全域に見られたそうだが、今ではここだけに残る伝統的な建築だそうだ。長崎県の有形文化財指定。


いまこそ、軽減税率実現へ。これが公明党の主要政策で…。あ、そっちじゃなかった。この石屋根倉庫の風情、なんかいいでしょ。椎根地区に行くと、このような石屋根倉庫数棟が道路沿いに並んでいる。


取材中にたまたま見かけた神社。普通の石灯篭もあるが、それに加えてこんな石塔も並び、本州や九州本土とは様子が違っていた。朝鮮文化の影響も受けているのだろう。


対馬野生生物保護センター付近にある天神多久頭魂神社(てんじんたくずだまじんじゃ)。社殿はなく、石を積み上げた祭壇が異様な雰囲気を醸す珍しい形態の神社。目指したわけではなく、たまたま通りがかった際に石積みの塔に気付き、興味深く感じて立ち寄ってみた。あとで調べると対馬の観光ガイドブックにも載っていた。


この神社には、拝殿も社殿もなく、鳥居の奥には、御神体とおぼしき板状のもの(石板?)が祀られているだけ。島で購入した本には、「この地は神社が建てられる以前から聖域だった」とあった。おそらく神道以前のアニミズム的な信仰の場だったのだろう。対馬と壱岐には歴史的にも由緒ある式内社が九州本土全域に匹敵するほどの圧倒的な数で存在し、それ以外の神社の数もかなり多いという。


天神多久頭魂神社の石積み祭壇。境内にこんなものがふたつも並ぶ神社を初めて見た。


対馬名物の「いりやきそば」(左)と「ろくべえ」(右)。対馬ふるさと伝承館の食堂にて。昼食にしては量が多かったが、せっかくの機会だから両方とも食べてみたかったわけよ。どちらもすごくうまかったなぁー。ちなみに「いりやきそば」は、「焼そば」の類じゃなくて、ネギや白菜などの野菜がたっぷり入った日本ソバ。「いりやき」とは対馬の郷土料理で、鶏肉や魚と野菜の寄せ鍋のことだそうだ。対馬は対州ソバの産地で、そば処でもある。


ろくべえ(六兵衛)は、さつまいまの澱粉から作られる対馬伝統の麺料理。対馬地鶏の出汁とよく合う。麺はうどんのように太いが、短く、プリプリした食感。


人口3万人に対して、韓国からの観光客は年間18万人も来るという国境の島だけあって、観光案内板から標識、あるいは注意書きに至るまで、ほとんどのものに日本語に必ずハングルが添えられていた。写真は白嶽登山道沿いに掲げられていた立入禁止看板。


対馬の農道は、タダの農道じゃない。「韓国を望む農道」だっ。外国を望める農道って国内じゃほとんどねぇぞ。農道なのにワールドワイドってわけよ。どうよ。スゲーだろ。


2014年12月16日(火)
九州の長期取材が完了しました

上の写真は別々の3カットを合成したようにも見えるが、実は合成じゃなくて1カットの写真そのまま。出水市といえば、出水平野にものすごい数で飛来するツルで有名だが、その飛来地展望施設で撮影した写真だ。ちなみに「帰宅」といっても、まだ広島ですが。

2014年12月13日(土)
九州取材記(9)
 対馬到着の朝、見上げれば星空が広がり、快晴の予感。曇りならまたの機会にしようと思っていた白嶽にとりあえずさっと登ってくることにした。林道奥の登山口から約1時間半の登路は、やはり本州や九州本土とは違う雰囲気。見たことがない植物が白い実をつけ、聞いたこともない野鳥の甲高い鳴き声が森に響き渡る。
 山頂にはあっさり到着。対馬の複雑な海岸線などを一望して帰途に就く。この時期でも登山者は多少はいるだろうとの想像とは裏腹に結局、ほかの登山者には一度も出会うこともなく登山口に戻ってきた。

 その後は、対馬の北端近くにある環境省対馬野生生物保護センターに向かう。理由はいうまでもなくツシマヤマネコを見るためだ。係の人に案内されて飼育舎に行くと、あー、なんてことだ。頭を身体にうずめるようにして就寝中。これじゃ、絵にならないなー。まあ、基本的には夜行性だから当然かもしれないけど、せっかく会いに来てやったのにそりゃねぇだろ、とガッカリ。仕方ないので寝ている姿をカメラに収め、付近に展示してある解説板とか読んで、もう一度飼育舎の方に目をやると、ああーっ!! 起きてこっちを見てるじゃないか。慌ててカメラを構えて連写。眠そうな顔だけど、しっかりカメラ目線してくれました。
 さすがのツシマヤマネコもなんつーたってボクちんが来たから、わざわざ目を覚まして歓迎してくれたんだろうな。だってさぁ、ほかの来館者もいたにも関わらず、顔をしっかり見せてくれたのは、飼育舎の前にボクちん一人きりのわずかな間だけだったもん。絶対そうに決まってるって(笑)。

 ところでツシマヤマネコに関しては断片的な知識しかなかったが、センターを訪問して、展示パネルを読んだり、案内係の人からいろいろ教えてもらって結構意外なこともわかった。山奥に生息しているようなイメージがあるが、実は里山的な環境を好み、日中に田んぼで見かけることもあるそうだ。対馬在住者でも一度も見たことがない人もいるらしい。

 現在の推定個体数は70〜100頭とされ、絶滅危惧動物というのはいうまでもないが、一番大きい問題は交通事故死。それに加えて犬猫問題も懸念されている。放し飼いの犬にかみ殺された事例やネコ免疫不全症のイエネコからウィルスに感染した事例もあり、ネコ免疫不全ウィルス(FIV)の感染個体は、野生に戻せないので、飼育するしかないという。
 それにしても犬を放し飼いにしてツシマヤマネコをかみ殺した犬の飼い主は、それをどう思ってるんだろうねぇ。対馬に住む資格はないと私は思うね。まあ、なにもかも犬猫最優先でしか物事を考えられない人は、どこにでもいるもんだが本当に困ったもんだよ。何が困るって、そういう人って、もともとオツムの方がとっても緩くていらっしゃるので、そもそも理解してもらうこと自体が困難ってことなんだよね。いや、コレ本当だよ。



対馬の名峰・白嶽山頂に立つ。快晴のもと展望を満喫したが、下山中に曇ってしまい、あとはずっと曇天続きで、夕方から夜にかけて雨も降った。それにしても私が登っている間だけ快晴。降りたら曇りって。対馬の神様が遠路はるばるやってきた私に気を遣ってくださったのだろうか。


環境省対馬野生生物保護センターに飼育されているツシマヤマネコの♂個体。今度会う時は、ヤマネコらしいカッコいいポーズをぜひお願いします!! 耳の形、耳の向き、鼻の形、目つき、尻尾の大きさや模様…など、イエネコとの違いをセンターの人に細かく教えてもらった。これで明日からツシマヤマネコとイエネコを区別できるぞ!! あ、いや、それを区別する機会って…うーん、今後あるとは思えないけど、一応、違いは覚えておこう。


2014年12月9日(火)
九州取材記(8)
 8日は、北九州市内とその周辺を取材し、昨年夏に訪れている平尾台にも立ち寄る。当たり前だが、石灰岩が点在するカルスト台地は、すっかり枯草色になっていた。
 また今日は今日で福岡市内を取材。来春刊行予定の本だけでなく、山岳雑誌も担当している新聞社の人と福岡市郊外の登山口で待ち合わせ、取材を2時間ほど受ける。いつも撮影してばかりだが、自分が撮られるのは、やっばり緊張しちゃうし、どうも苦手だ。しかし、今回の取材の苦労話だけでなく、いろいろな話ができたし、とても楽しかった。ここ1か月間、ずっと一人きりの取材で一緒に行動してくれるのは車とカメラだけという生活が続ていたので、取材を受けて気が紛れた。
 夕方、近くのオートバックスでエンジンオイルの交換をし、汚れまくった車をコイン洗車できれいにし、さらにはガソリンも満タンにする。混雑気味の福岡市中心部を抜けて、壱岐・対馬フェリーターミナルへ。出港までの待ち時間を利用して、この日記を書いている。たった今、対馬から戻ってきたフェリーが入港したところだ。深夜0時半に福岡を発ち、明朝は対馬に初上陸し、明後日の午後まで滞在する予定。それが終われば、1ヶ月以上に及んだ九州取材も完了まであと少しだ。


平尾台のカルスト台地。昨年夏に続けて二度目の訪問。


夕方、福岡市の繁華街を抜ける道路は、どこも混雑気味。


壱岐・対馬フェリー乗り場。


その埠頭から望む港の夜景。

2014年12月7日(日)
九州取材記(7)
 3〜6日の寒気には参ったなぁ。広島県北広島町では60〜70センチもの積雪を記録したそうだが、この間に回った福岡や佐賀、長崎の比較的標高が高い登山口でも雪で真っ白になっているところがいくつもあった。

 一昨日も多良岳の標高の高い登山口に向かった。山麓は雪がまったくないにも関わらず、少しずつ高度を上げていくに従い、周囲は徐々に白くなり、とうとう車の走行跡がない真っ白い舗装林道になってしまった。しかも車の外気温計も3℃→2℃→1℃と下がっていく。なんとか0℃でとまってくれ…と願うものの、さらに−1℃に低下。しかし目的地はまだ先。あと1.5キロ。あと1キロ。あと500メートル。気は焦るが、無情にも外気温計は−2℃に。いくら四輪駆動のデリカくんでもノーマルタイヤでは、路面が凍結すればスリップするのは確実。ただ、湧き水や地下水で路面が濡れていたり凍っているような場所はなかったのでなんとかなるだろうと、そのまま進んだ。山頂手前の坂道は危険と判断。駐車スペースに車を置き、あとは徒歩で登山口の駐車場に向かう。あたりは真っ白。雪もつんつん降り、風も強い。まるで冬山にいるみたいだ。というか、本当に冬山だもんな。なんとか到着した駐車場は、もう完全に真冬の様相だった。

 取材を終え、帰ろうとして駐車スペースから車をバックで出そうとすると、タイヤが空回り。うわ〜、なんかスゲーいやな状況。でも、これくらいなら、もう慣れている。4WDロックを選択して、そろそろとアクセルを踏むと、今度はうまく脱出できた。あ〜よかった。来るときは0℃だったところも、夕刻ということもあって帰路は−1℃になっていた。少しハラハラしながら林道を下り、山麓に着いて心底、安堵する。
 
 ところが昨日は昨日でこれまた別の意味で神経をすり減らした。昨日まわったのは、長崎市周辺。とにかくイヤになるほど道が狭い。しかも土曜日ということもあって市内の幹線道路は混雑気味。狭い林道に辟易して下ったら混雑…の繰り返し。加えて路面電車も走っているせいでUターンしようと思ったらUターン禁止になっていたり、それに加えてごちゃごちゃしてわかりにくい市街地で道を間違えたことも一度や二度ではない。

 夕刻、最後の登山口に向かう途中、カーナビの指示通りに進んでいると団地の入り組んだ路地に入ってしまった。指示方向に車止めがあったり、袋小路になっていたりして、なかなか目的の方向に行けない。前方の三叉路を右折しろったって、カーナビさん、右折方向には階段しかないんですけど。右往左往し、Uターンを繰り返すが、一向に南側の県道に出れない。しかも、こういうイライラしている時に限って車が次々に後ろに付いたり、バック方向に歩行者がいたりして、余計にストレスが重なる。あー、ホントにもう!! 長崎には完敗だっ!!



3日、脊振山に続く林道はこんな状況。山頂には上がれないと判断。ここで引き返す。


佐賀県の浮嶽に向かう途中、雪がつんつん降り始めた。


林道終点にある浮嶽登山口の駐車場も真っ白。



多良岳の登山口は、完全に真冬だった。帰るときにタイヤが空回りしたのが、ここです。


2014年12月2日(火)
九州取材記(6)
 先月25日、道の駅で前回記事をアップロードしたあと、阿蘇山一帯を取材した。草千里を抜け、草ぼうぼうのすごい未舗装林道を奥に入ったりしたが、曇り空でガスもかかり阿蘇山はあまり見えない。牧場奥の登山口で車から降りてノートに取材内容を書き留めていると、表面がなんだか異様にザラつく。あれ、これって火山灰か? 小雨が降り始めると白いノート一面に黒い点々が次々に現れる。あ、やっぱりそうだ。しかし、阿蘇山では普段もこんなに火山灰が降っているのだろうかと、ふと疑問に感じたが、それ以上は考えもせずに取材を続けた。
 阿蘇山中岳東側に位置する日ノ尾峠に上がってみると、辺り一面が黒っぽく、なんとも異様な雰囲気。火口により近いせいか、先ほどの牧場奥よりも落ちてくる火山灰も多い印象だ。

 一旦、山麓に下り、昼食をとったあと、仙酔峡に向かった。ところが、その途中、前方に中岳が見えて、異常に気付いた。山頂付近から黒い噴煙がもくもくと立ち昇っているではないか! 阿蘇山が噴火している! でも山麓の街は至って平穏だった。あれ、どういうことなんだろう。結局、仙酔峡にのびる道路は閉鎖されておらず、なにごともなく普通に行けた。しかも、駐車場に着くとガラ〜ンとして、観光客の車が一台停まっているだけ。それでも駐車場からは黒い噴煙がよく見え、すごい風景。撮影したあと戻ろうとしたところ、パトカーがやってきて、警察官が登山道の方へ上がったり何かしていたようだが、それ以外に特に緊迫感を感じるものはなにもなかった。
 もう、お気づきだろうが、その後報道されている通り、阿蘇山が噴火した、まさにその日だったのだ。それほど規模の大きい噴火ではないので、規制も緩やかだったのだろうが、阿蘇山一帯を巡ったのが噴火直後だったとは、あとで知ってビックリ。 


仙酔峡の駐車場から望む阿蘇中岳の噴煙(上・下とも)





車のフロントガラスに付着した火山灰。山麓を走る車は、きれいなのに、降灰量が多い日ノ尾峠とかに上がっているせいで、私の車だけやけに汚れていた。その後、少し離れた街のガソリンスタンドで給油すると、フロントガラスを拭いてくれた店員さんが「これ、火山灰ですか?」。 「えぇ、阿蘇山です」というと「あ、確か火山規制されてましたよね」と納得していたが、噴火したことはまだ知らなかったようだ。


豊後水道に昇る朝日。大分県佐伯市にて


福岡と大分の県境上に位置する峠にひっそりと口を開けるトンネル。山麓から続く峠道は、舗装されているとはいえ、車一台分の幅員しかない行き違い困難な狭い道。一気にアクセルを踏み込まないと上がれない急坂を越え、目的の登山口に到着。すぐ上の稜線上に短いトンネルがあり、懐中電灯を持って徒歩で抜けてみた。抜けた先の大分県側はおびただしい量の落ち葉に覆われ、道路が舗装されているのか未舗装なのかもよくわからなかった。

2014年11月25日(火)
九州取材記(5)
 今日は朝から雨。今回の取材で初めての本格的な雨。逆にいえば3週間連続で天気に恵まれたということである。さて現在は、道の駅阿蘇にいる。天気予報によると午前中には雨はやむとのことなので、それまでの間に日記でも書いておくか。

 九州は子供の頃から何度も訪れ、昨年も数日間来ているが、今回のように長期に滞在するのは初めて。あちこちを巡って、いろいろ感じたことがあるが、そのひとつは全般にドライバーのマナーがいいということ。
 どこの地方にいっても後続車がどんなに急いでいようが、後ろにいかに車の列ができようが、「ワレカンセズ」でマイペースで走るチンタラカーって、よくいるものだ。大抵は農家の爺さん運転の軽トラか、じゃなかったら同乗者とのおしゃべりに夢中のおばさん運転の軽自動車と相場が決まっているものだが、九州に来てからというもの、前を走っている車に追いつくと、路肩に寄って道を譲ってくれる車の確率がほかの地方よりも圧倒的に多いように思った。もちろん急接近して煽ったり、「先にいかせろ」とパッシングとかはしていないにも関わらず…である。今のところトラックは、ほぼ百パーセント。必ずといっていいほど、左ウィンカーを出して譲ってくれる。
 また狭い道路で行き違いになる時、道を譲られ、礼代わりに軽いクラクションを鳴らすと、向こうも軽いクラクションで返礼してくれる確率が高いのも感じた。ほかにも右折時に、直進対向車が道を譲ってくれたり、九州はそういうことが多い印象である。たまたま優良ドライバーに遭遇しただけかもしれないけどね。

 それからコインランドリーやドラッグストアがほかの地方よりも多いように感じた。今のところコインランドリーは一度も探さずにすんでいる。またある町には大型ドラッグストア3軒が並んでいたところもあった。加えてパンコーナーが充実している九州のコンビニチェーン「エブリ ワン」、熊本周辺に多いコンビニスタイルの弁当屋「おべんとうのヒライ」。どちらも長期取材の身には重宝してる。



熊本県上天草町の次郎丸嶽。登山口の駐車場には、広島や山口ナンバーの車も停まっていた。


熊本県美里町・福城寺山門の紅葉。

2014年11月24日(月)
九州取材記(4)
 この取材中、ある仕事の校正と重なった。PDFは取材先でもメールで受け取れ、内容の確認はPC画面上でも十分に可能だが、場合によっては、実家に戻って対応しなければならないかも…と気をもんでいた。ところが、今回はそうした問題もなく、あっさり一連の作業が無事に終わった。先方の担当者が、取材中という状況に気をつかって、いろいろ配慮して下さったのも大いに助かった。とにかく無事にすんでホッとしているところだ。
 
 さて、連休中も当然のことながら取材は継続中。23日は阿蘇周辺をまわったが、どこも車が多かった。しかし絶好の行楽日和ということもあり、秋空のもと雄大な風景を堪能した。
 その後、最後の取材対象地に向かう途中のこと。もう日没間際で時間ギリギリ。暮れゆく山里から狭い舗装林道を進む。こういう時に限って「うわ〜。なんじゃこの道は…」といいたくなるような林道に遭遇するものだが、今日も例外ではなく、狭い上につづら折りの急坂。しかも撮影できる時間内に到着したいと気も焦る。そんな時、林道を大きな動物一頭が悠然と横切り斜面を下った。車をとめて斜面下をそっと覗き込むと、親子と思われるイノシシ5〜6頭が群れていた。カメラを構える間もなく気付かれて逃げられてしまったが、親らしき個体は結構でかかったぞ。

 ところで九州のツキノワグマ地域個体群は、すでに絶滅しているというのが定説になっているが、ある山域の登山口には「○月○日、登山者がクマらしき動物を目撃したとの情報があり、念のためクマにも注意してください」という張り紙が各所に張られていた。わざわざ、そんな対応までするということは、信憑性がある目撃情報だったのだろうか。もし九州のツキノワグマが生き残っていたとしたら、ちょっとワクワクする話だけどな。


撮影順は若干、前後するが、屋久島から本土に戻ったあと、鹿児島県曽於市で見かけた夕日。田畑と林が広がる大地にあっという間に沈んでいった。


俵山付近の道路から阿蘇山を遠望する。この写真では表現しきれないが、阿蘇の雄大なカルデラ地形は何度見ても圧倒される。


福岡県大牟田市・三池山で見かけた派手な色使いの石像。周囲を竹林に覆われた狭い舗装林道沿いあった。見た人は、誰しも一瞬ギョッとするだろうな。撮影している時も、大きな眼でギョロリと睨まれたような気がした。もういい子にするから、許して〜!!


2014年11月22日(土)
九州取材記(3)
 宮崎県椎葉村の取材を終えて、隣の熊本県五木村に抜けた時のことだ。峠を越えたところで、まさかのパンクという事態に見舞われた。次の取材対象地に気をとられ、車をスタートさせた直後、運悪く路面の割と大きな石に強く当たってしまったようで、左前輪から「ガツン!!」という音が。あっ、今のちょっとヤバイかも…と思う間もなく、「パタパタ」という異音が。あーこりゃ絶対パンクだ。車を止めて降りてみると、タイヤを見る前から「シュ〜」という空気が抜ける音が聞こえてきた。もう絶対確実。見てみるとタイヤ側面に亀裂が入っていた。
 もう、やっちゃったものは仕方ない。路肩に車を寄せ、ジャッキアップ。昨年、北海道でもパンクを経験しているので、今回はスムーズに予備タイヤと交換できた。精神的余裕もあったので、証拠写真も撮っておいたよ。
 実は北海道でパンクしたタイヤを車内に置く際、汚れたタイヤを包むものがなくて困ったことがあった。そこで帰宅後、タイヤを丸ごと包める大きな厚手ビニール袋を買っておいたのだが、それが早速役立った。

 しかし、九州の背骨みたいな山岳地のど真ん中だけにすぐにカーショップがある市街地というわけにはいかない。取材予定を中止し、最も近い人吉市まで出て今日のうちにタイヤを交換することにした。カーナビで検索して一番近いショップへ。2時間くらいかけて、人吉市に着いたのは夕方。目的のショップはすぐにわかったが、想像していたような大きなタイヤ専門店ではなく個人経営の店。在庫が気になったが、一応聞いてみることに。店の主人はタイヤのサイズを見て「在庫はないので取り寄せになる」と即答。すぐに手配してくれ、、しかも、あっという間にタイヤが届き、予想以上のスピードでパンク問題は解決。うーん手際がいいなぁ〜。
 タイヤが届くまでの間、「取材で九州各地をまわっている」とか「しかもすべて車中泊」という話にご主人と奥さんが感心して聞いてくれたり、とてもいい人だった。ところが、その店を出て近くのコンビニに立ち寄り、たまたまテールゲートを開けたところ、店の工具が置きっぱなし。ありゃりゃ…と思ったが、持ち帰るわけにもいかないので、また店に行って工具を返してきた。

 その後、再び来た道を戻り、山麓の五木村へ。やれやれ、とんだハプニングで疲れちゃったなー。五木温泉に立ち寄り、湯につかると元気が出てきた。昨日は、その五木村周辺を丸1日取材。夕方、そこを離れ、今は天草にいる。



隣の熊本県五木村に抜ける峠道から見た宮崎県椎葉村の風景。山の斜面や台地に民家が点在する典型的な山間集落だが、深い谷の奥、山懐に抱かれた地だけに、いつの時代にどうやって人々が暮らすようになったのか知りたくなる。



あーあ。まさかのパンク。まだ6000キロしか走ってないのに新品タイヤ代もったいないな〜。石を正面から乗り越えれば問題はなかったと思うが、外側に寄っていたために衝撃を吸収しきれずに亀裂が入ってしまったのだろう。タイヤショップの人も、山間部の人は割とよく路面の石に当ててパンクさせる、といっていた。舗装されている道路だが、落石由来の石がパラパラと落ちているような道だからだろう。これからは注意しよう。

2014年11月19日(水)
九州取材記(2)
 引き続き都農町からアップする。今日は車内で、数日前にメールで送られてきた別の仕事のPDF校正と確認作業をしなければならないので、取材開始は少し遅くすることにした。
 ところで昨日は、宮崎県椎葉村や西米良村周辺の取材をする。実は今日と明日も椎葉村周辺の取材を予定しているのだが、とにかく国道や県道も山間部の険しい地形に続く「うねうね道」であるのに加えて、そこからさらに奥に続く村道や林道も、これまたすごい「うねうね道」。あまりに長いうねうね道に、頭の中まで「うねうね」になりそうだ。
 今回の取材ですごい悪路もすでに経験しているが、付近の林道は比較的路面が安定しているか、意外なことに10キロもある林道が全線コンクリート舗装されていたこともあり、ほとんど未舗装だった北海道と比べれば、状況はよい。山ならどこも似たように見えるが、地方により林道もいろいろだ。そういうこともわかっておもしろい。

 昨日、林道の段差を乗り越える時に車体後部から軋む音がするようになった。ひょっとして路面の石に当たった時に底部の部品がの位置がずれて、ほかの部品と接触するようになったのかも…と不安になった。今までは軋む音などしたことはなかった。そこで午後の早い時間で取材を切り上げ宮崎市内まで出て、オートバックスでエンジンオイルの交換のついでに見てもらったところ、問題はなさそうとのこと。長く乗っていると、どうしても部品の劣化などで軋むことはあるとのことでひとまず安心したが、走行上はなんの問題もないとはいえ、今度ディラーでも相談してみようかな。



屋久島から鹿児島に戻るフェリーからは西に沈む夕日がきれいだった。裾野を広げる開聞岳と運搬船のシルエット。


ツワブキの花に吸蜜に訪れたアサギマダラ? 鹿児島県肝付町の海岸沿いにうねうねと続く県道では、カーブを曲がるたびに蝶数頭が行く手に乱舞し、まさに南国の楽園のよう。錦江町から肝付町へ抜ける十数キロの県道区間で出会った対向車はたったの2台。11月とも思えない温暖な気温。右手眼下には青々とした大海が広がる…。


その狭い県道を抜け出たところで、美しい砂浜が見えた。立ち寄ってみたくなり、道路わきのスペースに車を置き、どこか懐かしい雰囲気が漂う小さな集落の路地を進むと、視界が開けて砂浜に出た。おお、白砂青松…。いや、松林はないけど、「我は海の子」のメロディが似合いそうな、のどかで静かな浜辺には、地元の人がひとりふたりいるだけ。この空間に身を置いているだけで、すべての煩わしい日常を忘れてしまいそうだ。肝付町・辺塚海岸にて(上・下とも)。





近くには、JAXAの内之浦宇宙空間観測所もある。せっかくだから立ち寄ってみた。自由に入れるわけではないが、入口の守衛室で名前を記入すると、見学できるエリアを説明してくれ、車で敷地を一巡できる。写真は34mパラボラアンテナ。


展示されているミューロケットとバックはロケット整備塔。最近ではイプシロンロケットを打ち上げたのが、ここだ。

2014年11月18日(火)
九州取材記(1)
 今月は、九州の長期取材。第1日目、打ち合わせのため福岡へ。天神は大学受験の時に来て以来だが、やっぱ福岡は大都市だな〜。
 その後、大分から宮崎、鹿児島へ南下し、途中、山にも登ったりして、先週は屋久島に4日間滞在し、12日は白谷雲水峡を歩いてきた。これで4回目の散策になるが、今回はやけに外国人が多かった。お国がどちらかは知らないが、2人連れの中年女性は、フランス語で会話していた。道で行き違いになる時、「こんにちわ」と挨拶すると、みなさん、普通に日本語で「こんにちわ」と返してくれる。道を譲ると、ヒゲもじゃの厳つい男性もニコッとして「アリガトウゴザイマス」。さすが世界自然遺産の島だけあって、世界的に注目されるのは理解できるが、以前よりも外国人の訪問者数が増えているのだろうか。
 13日、屋久島を離れ、14〜15日は鹿児島の大隅半島や薩摩半島を巡った。今は宮崎県都農町にいる。屋久島以降の写真はまた機会を見てアップするが、この記事も本当はもっと早くアップする予定だったのだが、屋久島から鹿児島に戻って、県内あちこちで高速データ通信に接続しようとしたのだが、どうも通信エリアとか端末とかではなく、ノートPCの方に問題があったみたいで、ずっと接続できず今日になってしまった。



鹿児島フェリーふ頭には早朝に到着。屋久島行きのフェリーは、今回で5回目の乗船。


錦江湾に停泊中の海上自衛隊の潜水艦を発見!! オーストラリアから10隻も受注予定という「そうりゅう型」かな? 写真を拡大すると旭日旗がはためいていた。


屋久島の林道では、大きなヒカゲヘゴが葉を広げ、さすがに亜熱帯の島だけあって、本州や九州本土とは様相がまったく違う。確かに屋久島はこの時期でも比較的暖かい。もちろん朝や夜は冷え込むが、日中はTシャツ一枚でも平気な気温になることも。実は取材初期の頃、真冬のような夜の寒さで喉がおかしくなっていたが、屋久島の暖かさに助けられ、回復してきた。


ヤクシマザル(ヤクザル)。無関心を装っていても、時折、しっかり私を見ていた。やはり彼らにとってみれば、私は「要警戒対象」なんだろうな。西部林道にて。


ヤクシカ♂。この個体は、比較的近距離からカメラを構えても、あまり警戒せず、いい感じでしばらくポーズをとってくれた。撮影を終えたあと、「モデルになってくれて、ありがとね」というと、「どういたしまして」と返事してくれた(ような気がした・笑)。同じく西部林道で


種類は不明だが、マムシグサのなかまの集合果。普通は、果実ひとつひとつの大きさが大体揃うものだが、この株はなんかグロテスクな状況になっていた。どことなく気持ち悪さが目を惹いたのでカメラを向けてみた。白谷雲水峡にて


2014年11月1日(土)
本島等・元長崎市長死去
 本島等・元長崎市長が亡くなられたそうだ。1988年に市議会の答弁で「天皇の戦争責任はあると思う」と発言したことで、右翼団体から銃撃を受けたものの一命をとりとめた。
 本島市長は、相当な物議を醸すことはわかった上で発言されたのだろう。私は、当時、物怖じしない市長の発言に感心したものである。天皇の名の下に国民を戦争にかり出した以上、昭和天皇に戦争責任の一端があるのは当たり前の話だ。ただし「天皇は君臨すれど統治せず」である。つまり、天皇の意志に従った結果ではないので、天皇に全責任があるわけではない…と私は思う。というか戦争責任は、軍部はもちろんだが、日本軍の勝利を熱狂的に支持した国民にもあると思うね。
 本島市長は、のちに「天皇についての自由な発言ができずして、日本の民主主義の発展は期待できない」と述べられたそうだが、まったくもって仰る通りである。

 ある会社の採用試験で「民主主義について」という題の小論文が出されたことがある。そこで本島市長の天皇の戦争責任発言と、その後に巻き起こった議論について意見をまとめたのだが、その内容がある程度、評価されたみたいで、その会社から採用通知をもらった。結局、悩みに悩んで別の会社に就職したのだが、そんなこともあって本島市長は私の中では強く印象に残っている。ご冥福をお祈りしたい。


2014年10月30日(木)
驚愕の報道
 昨夜遅く、あるネット記事をひと目見て驚愕した。「東京農業大学応用生物科学部教授S容疑者 覚醒剤所持容疑で逮捕」。S教授とは、私にとって大学時代の研究室の後輩。すでに複数の記事で実名報道されているので、ここでイニシャルにしてもあまり意味はないが、さすがに私が名前を晒すのは忍びない。

 S君は、私が4年生の時、同じ研究室に所属し親友だったH君の下に付いていた3年生で、卒業時にS君がセッティングしてくれて私と私の下に付いていたK君とともに4人で食事をしたこともあった。
 彼は、とても優秀で、世渡りがうまいタイプ。研究者に向いており、おそらく大学の教員になるだろうと私は感じていたが、四十代で母校の教授になったことは知らなかった。それほどに優秀な彼が、なんで…と絶句するよりほかにない。まず間違いなく懲戒免職になると思われ、自分がこれまで築き上げてきた努力すべてを無駄にするようなことをなんでしちゃったのだろうか。若いだけに教授職というのが強いストレスだったのかもしれないが、それをやっちゃおしまいだろうに…。

 あまりにショッキングな報道だけに昨夜はなかなか寝付けなかった。いろいろなことが頭を駆け巡り、S君のことを考えた。母校のサイトに載っている彼のページ。写真を見ても、もはや当時の面影はないが、その経歴からは彼の優秀さが垣間見えてくる。家族に心労をかけ、自分自身の経歴を台無しにして、やはり「愚か」という言葉しか思い浮かばない。人生なんて一寸先は闇とはいえ、彼の場合は、自分の選択次第で簡単に避けられることなのに…。大変残念な結果である。
 昨日は、大学に激震が走ったことだろう。気の毒なのは彼の下で来春までに卒業論文、修士論文、博士論文を仕上げるために日々実験を繰り返している学生たちだ。まさか担当教授が逮捕されるなんて想像もしていなかったはず。彼らを支援する体制を早く整えてほしい。


2014年10月28日(火)
今日の一枚(4)
 今日の写真は、ジョウビタキの♀。秋の日差しの中、何を思う?


2014年10月19日(日)
新設学部に敢えて農学部
 金曜日の朝日新聞に京都市の龍谷大学が、来春に農学部の開設を予定していることが記事になっていて、農学部出身者としては興味深く読んだ。
 私が受験生や大学生だった頃、農学部はあくまで農学部だった。いくら農業とは直接関係しない研究をやっていても農学部だった。しかし、それでは世間、特に受験生に向けてのアピールにならないと考えられるようになり、実態に合わせてわかりやすく、なおかつもっとカッコイイ名前に変えようという動きになった。私の母校も再編され、昔は「農学部」のみだったのだが、現在は細かく学部が分割されて「応用生物科学部」という名称に変わっている。やっていることは大差ないと思うが、やはり、そんなことをしてでも受験生を増やし、優秀な学生を採りたいのだろう。

 そんな中、龍谷大学は、近隣の大学と競合する上に多額の投資が必要となる「バイオ」をウリにするのではなく、あくまで土作りをして植物を栽培する「本流の農学部」にこだわったという。それでも農学部は農場が必要となるなど、コストがかかるが、私立大学では少ないため、国公立大学農学部との併願先としても注目を集めているそうだ。
 あ〜、そうなんだよね。農学部系を志願する受験生の選択肢は限られるから、確かに新設の農学部は、彼らにとって朗報だろう。新設大学や新設学部として、すごくありがちな看護学部や薬学部とかじゃなくて、敢えて農学部を選ぶ…。なかなかおもしろい選択じゃないか。

 たぶん、この記事を読んでいるほとんどの人は知らないと思うので、簡単に説明しておくと、本来の農学部というのは、ものすごく広い分野をまとめた学部で、育種学や土壌学、肥料学のような完全に農業に関わる分野はもちろんながら、バイオサイエンスや食品製造学、発酵学、栄養学、環境保全学、造園学、森林学、あるいは農業機械学のような工学系、農業経済学のような文系分野までも包括している。さらには大学によっては獣医学までも含まれる。
 つまり農学部だからといって、研究対象がすべて農業に関わる内容というわけではない。今でこそ「バイオ技術」といえば、いろんな学部でやっているが、もともとは農学部の十八番である。


2014年10月17日(金)
御嶽山捜索打ち切り
 御嶽山の行方不明者捜索活動が打ち切りになるという。時期的に考えてやむを得ないだろう。無理して隊員の滑落などで二次被害が出てしまってからでは遅い。この時期の3000m級の高地における捜索活動は、相当に厳しいものと想像する。しかも、あの火山灰のぬかるみ…。自衛隊、消防、警察の合同捜索隊の献身的な活動には、本当に頭が下がる。あの苛酷な環境下での捜索に対して、もっと感謝の言葉があってもいい。

2014年10月16日(木)
エボラ出血熱
 世界的に感染拡大しそうなエボラ出血熱。アメリカでも二次感染が発生したようだが、最初の患者を数時間に渡って隔離もせずに放置していたというのも驚くよりほかはない。病院関係者もどうかしてるな。その程度の認識で大丈夫かよ。

 感染が拡大すると、人類にとって歴史上、最悪の事態になる可能性もある。空気感染しないのは、せめてもの幸いだが、「日本は無関係で安全」とは、もはやいえなくなった。空港での検疫を強化したというが、結局、それでも完全に防ぐことはできない。日本にもリベリアからの渡航者が結構来ているようだし、「検疫を強化」みたいな悠長なことをいっていないで、せめて感染国から未感染国への渡航規制、渡航自粛みたいな世界的な対策とかするべきじゃないか。

 日本でも感染者が出たときのための準備が進んでいるそうだが、BSL(バイオセーフティーレベル)3の実験施設しか運用されていない…ということを今回の件で調べて初めて知った。日本にもBSL4の実験施設があることはあるが、周辺住民の反対もあって稼働していないようだ。というよりも、そもそも私が一応は微生物を扱う現場にいた大学生の頃は、P2とかP4とか呼んでいたので、「あれ!? いつの間にか呼び方がBSLに変わっている」とビックリしたのだが…。BSLとは、病原体や微生物を扱う実験施設の格付けで、エボラ出血熱のようにリスクが高い病原体は、BSL4の実験施設でしか取り扱えない。

 日本では国立感染症研究所と理化学研究所筑波研究所にBSL4があるようだが、いづれも周辺住民の反対でBSL3でしか運用できていないそうだ。まあ、危険な病原体を扱う研究所が近くにあれば、反対したい気持ちもわからんでもないが、そうやって「あれもダメ。これもダメ」と反対ばかりしていては、結局、危険な病原体の研究が進まずに、こういう事態になったときに対応ができないとか、遅れることにもつながり、最終的にはやっぱりリスク(自分自身も含めて人の命に関わる)につながるわけよ。

 それにまあねぇ。何度もいうようだけど、世間一般の科学知識なんて劣悪なレベルで、そういう人たちは、あらゆることを理解した上で反対してるわけじゃなくて、薄っぺら知識とイメージだけで、「なんか危険そうだ。とりあえず反対しておこう」みたいなレベルで反対しているに過ぎない。

 とりあえず社会人として自立しているというだけで、自分にも判断できる能力があると自動的に思っちゃうようだけど、確かにみんな社会生活を数十年に渡って経験してきた社会生活の達人ではあるので、社会一般の事案であれば、判断できると思うが、こういう100パーセント高度な科学の問題に関して、そもそも的確な判断ができるわけがないのである。せいぜい病原体に関する本を何冊か読んでみた→微生物の専門用語も覚えたし、だからオレには病原体の知識がある…みたいなレベル。それでも何も知らない人よりかは幾分マシなくらいで、勝手に自分の知識や能力を十段階の「5」くらいはあるだろう…とみなすわけだが、実際は「1」以下。というよりも、その土台としてあるべき、科学の基礎知識すら空っぽなわけよ。判断できるわけがない…といいたいのわかるだろ。

 我が日本国の国民は、さすがに西アフリカの人たちよりも知性と教養は高いだろうが、それを笑っていられないレベルであるのも事実である。それは原発事故後の放射線リスクに対するバカ騒ぎやSTAP細胞問題に対するアホすぎる反応とか見れば、もう一目瞭然。マスコミも世間一般もとにかく劣悪。「世も末」レベル。



2014年10月15日(水)
私がよくいっている二分法発想の問題点ってこういうことです
 ネットで「松本人志が霊能者をニセモノだと気づいた瞬間が秀逸!」という記事を見かけた。これを一読した私の感想を書いてみたい。


 (以下、記事からの引用)
「『人の死がわかる』『霊もはらえる』という人がいた。その人がしょっちゅう(ウチに)訪ねてきて、言うことをちょこちょこ聞いてしまったりする自分がいた。ただ、その人と会食の日にドタキャンされて」

「『知人が亡くなった』と。それで『お前、人の死わかるって言ってたのに』」

 アレッ、こいつ違うわ! …と、目が覚めたと語る。



 まず霊能力に対する私の考えだが、おそらく、そういう能力というのは現実に存在するだろう(細かい理由説明は省略)。ただ、霊能者と称して利益を得るために活動している人のほとんどは信用に値しないくらいに思っておく方がいいかもしれない。なぜなら、霊能者が「あそこに霊が見える」といったところで、それが本当かどうか一般人でも科学者でも誰も検証することはできない。発言を検証できないということは、ニセモノでもバレにくい。つまりニセモノが参入しやすく、活動を継続しやすいと考えられるからである。すべてニセモノとまではいわないが、その可能性は当然、考慮すべきだ。

 もし、仮に霊能者と称する人が私に近づいてきたとしても、会うこともないし、従って信用することもない。これは私の勝手な想像だが、本物の霊能者がいたとしても、自分の方から誰かに近づいていくような営業活動ってしないと思うんだよね〜(笑)。本物だからこそ、営業活動をしなくても喰っていけるってこと。まあ、「本物なんだけど駆け出しで名前が売れていないので、やむを得ず」という状況もあるだろうけどさ。

 さて、本題に入ろう。松本さんは、なかなか頭がいい人という印象があるが、この件についていえば、「ニセモノと気づいた瞬間が秀逸」とベタボメするほどじゃないだろ。普通、「アレ?」って思うだろ。どう考えても。何も感じない方がアホだ。

 ただ厳密にいえば、松本さんの判断も正しいとはいえない。あ、いや、霊能者の肩をもつ気はさらさらないんだけど、少し違うんだな。もし、この霊能者が、「私はすべての人の死を予知できる」と胸を張っていたとしたら、完全にアウト。しかし「人の死がわかる」のが8割くらいだというのなら、残念ながら矛盾はしないのだ。松本さんがドタキャンされた理由である「知人がなくなった」のが、予知できない残り2割の一例の可能性だってあり得るからである。ただ、そういう予知できない例が重なってくると信用度が低下するのは間違いないけどさ。

 明日の天気を予報するのがお仕事の気象予報士が、「明日は土砂降りになりそうです」といってたのに晴れちゃった。だから、その気象予報士はニセモノといえるのだろうか。気象予報士の予報は大体は当たると思うが、すべてを当ててるわけではないだろう。それと同じことでは? 

 ただし、勘違いしないでほしいんだけど、別に霊能者を擁護したいわけじゃなくて、私のスタンスは、先にも述べたように「霊能者と称して利益を得るために活動している人のほとんどは信用に値しない」ということであって、私なら会うことさえもしないだろう。
 ここで私がいいたいのは、判断の根拠が少し論理的ではない…ということでしかないので、それを読み間違えないでほしい。

 霊能者が本物かニセモノかを見分けるには、すでに故人となっている親戚や知人がいつ亡くなったか霊能者に聞いてみるのはどう? 10人くらい聞いてみて、どれくらい的中できるかで判断しては?

 つまり、松本さんも、この記事を書いた記者も「人の死を予知できる」or「人の死を予知できない」という二択しか想定していない二分法発想しかできていないってことだね。霊能者が本物かニセモノかはともかく、こういう例で説明すれば、二分法発想の問題点も見えてくるだろ。


2014年10月13日(月)
今日の一枚(3)
 まず最初に忠告。幼虫が苦手な方は、画面をスクロールして下の方を見ない方がいいよ〜。幼虫を見ただけで顔をしかめるような方には、今日の記事は向いていない。仮にうっかり見てしまって、「うぎゃー、こんなもん載せるな!!」とお怒りになったとしても、ボクちんのせいじゃないもん。

 さて、本題に入ろう。今日の一枚は、2年前の9月に実家の菜園に植えてあったオクラの葉上にいたフタトガリコヤガ(ヤガ科)幼虫の写真である。オクラは、人間にとってもおいしいが、彼らにとってもおいしい食べ物のようで、いつの間にか葉を穴だらけにしている。憎っくき害虫といえば確かにそうなんだけど、顔を近づけて観察すると、なかなか美しい姿をしているのに気づく。しかも、近くから見ていても、それには警戒もせずに一心不乱に葉を食べている。美しい姿と生命の神秘のようなものを感じて「これは接写するしかない」と撮影した次第だ。

 それにしても、こういう幼虫を改めて観察するだけでも、いろいろなことが頭に浮かんでくる。例えば…オクラの葉上で目立つということは、鳥などの天敵に見つかりやすいはずで、幼虫のような無防備で華奢な生物にとってみれば大きなリスク。地味で目立たない方が安全なはずなのにどうして、こんな鮮やかな模様と色を選択したのだろうか。遠目で見れば、意外と目立たない可能性もあるが、身体を取り囲む3本の黄色い筋や黒い斑点にどんな意味が隠されているのか、知りたくなる。
 パラパラと生えている毛の根元には感覚細胞があって、身体の周囲を探る一種のセンサーのような機能があると想像するが、それにも増して、食草を嗅ぎ分けて見つけ出す能力も考えてみればすごいといえないか。

 人間にとっては有害な存在だが、この小さな生物の体内には、人間の科学技術をはるかに越えた能力がぎっしり詰まっているのは間違いない。




2014年10月12日(日)
今日の一枚(2)
 1992年10月17日、私はかねてから歩いてみたかった尾瀬・裏燧林道へ一人で足を踏み入れた。裏燧林道というのは、尾瀬御池から尾瀬沼へ抜ける道で、名前には「林道」とあるが、ごく普通の山道である。燧ヶ岳の中腹を巻いているので、顕著なアップダウンはなく、比較的気楽に歩ける。

 ちょうど紅葉の最盛期で、ブナは黄色やオレンジ色に輝き、木道には落ち葉がハラハラと舞い落ちる。点在する湿原の草紅葉も見事で、秋の尾瀬を堪能した。しかし、その分、魅力的な景観が多く、その度に三脚に67判カメラをセットして撮影するために予想以上に時間がかかってしまった。そのため尾瀬沼の沼尻平に出た頃は、すでに夕刻。しかも、その先の大江湿原で、これまた見事な日没に遭遇。これほどまでに時間を要するとは思ってもいなかったので、沼山峠下から出発地点の尾瀬御池へ戻るバスの最終時刻は調べていなかった。「間に合わないかもしれない」と不安になり、どうしようか迷ったが、撮影を優先した。

 少しずつ暗くなる登山道を足早に沼山峠下のバス停に向かう。途中、下ってくる男女2名と遭遇し、ちょっとホッとした。バスのことを聞いたが、最終便の時間は知らないという。おそらく彼らが最終便の乗客だったのだろう。完全に乗り遅れたのは間違いないと思われた。
 沼山峠下に出たころは、もう真っ暗。バスがあるわけない。念のためバス停の時刻表を確認すると、やはり最終便は出たあとだった。仕方ない。車を置いてある尾瀬御池まで歩くしかない。地図を見ると7〜8キロ以上ありそうなので(実際の距離は9.3キロ)、最低でも2時間。もしかすると3時間くらいか。とにかく、さらなる長時間の歩行を覚悟した。

 少し休憩したあと、御池に続く真っ暗な車道を歩き始める。重い荷物に加えて、早朝から歩きっぱなし。しかも、上空には星空が広がっているとはいえ、足下はヘッドライトが照らし出す範囲しか見えない真っ暗な車道。単調な歩行は精神的にも参ってくる。
 ところが1時間ほど歩いたところで、後からやってきた車が停って「乗っていきませんか」と声をかけてくれた。お言葉に甘えさせて頂き、ようやく長い車道歩きから開放され、本当にありがたかった。
 御池まで乗せてもらい、何度もお礼をいって下車。この時の山行は、見事な紅葉だけでなく、そんなイレギュラーな事態(といっても似たような経験は何度かあるのだが)も思い出深い。

 写真は、その裏燧林道で撮影したブナに絡みつくツルアジサイの黄葉である。苔むすブナの幹とのコントラストが印象的だった。




2014年10月11日(土)
ブラインド交換処分
 仕事部屋のブラインドは、もうしばらく前からヒモがおかしくなって、引き上げて固定できなくなっていたのだが、昨日、一度引き上げて下ろすと左側の方が途中でひっかかって完全に下りなくなってしまった。手で引っ張ってみても、うんともすんともいわない。
 これではさすがに使い物にならないので、新しいブラインドを買ってくることにした。近所のホームセンターに行くと、まったく同じ製品が売っていたので、即購入決定。自宅に戻って古いブラインドを外し、新しいのを取り付けた。同じ製品なので、カーテンレールに取り付けてあった固定金具がそのまま使えたので、わずか1分で交換完了。
 さて古いブラインドは、どう処分しよう。そのままだと大型ゴミ扱いになって有料になっちゃいそう。そこでバラバラにすることにした。薄い金属製だが、ハサミで切ってみると簡単に断裁できた。上下の太い金属棒は体重をかけて折り曲げると、あっさり4分の1サイズに。すべて大きめのゴミ袋にまとまって、あっさり解決! あとは不燃ゴミの日に排出するのみ。


2014年10月10日(金)
最近のニュースで感じたこと
ノーベル物理学賞受賞+α

 
ノーベル物理学賞を受賞された天野先生は、「自分は平均的な日本人」とおっしゃているように本当に謙虚な人だなぁ。iPS細胞の山中先生も、あれほどの偉業を成し遂げられたにもかかわらず、発言内容は謙虚なもので、人間としても大変尊敬する。ご本人の人徳といえばそれまでだが、私のこれまでの経験からいわせてもらえば、本当にスゴイ人ほど謙虚だということだ。突出して有能な人は、これまでもいろいろなことで、周囲から評価されることが多く、人間誰しも心の奥底にある「他者から評価してもらいたい」という欲求が満たされ、他者からの評価に飢えていないからだろう。であれば、自然と謙虚な姿勢になるものと想像する。

 「な、オレってスゴイだろ」みたいに自慢話ばかりゴリ押ししてくる人って、つまりは他者からの評価に飢えているだけで、コンプレックスの裏返しでしかない。本当にスゴイ人は、自分の方からわざわざ言わなくても、まわりがいくらでも評価してくれる。自分は十段階の「8」くらいだと思っているのに、まわりは「5」くらいにしか評価してくれない。その差分をなんとか埋めようとして自分で自分の価値を高めようと自慢話をするしかないのだろう。もちろん個人差はあるだろうが、他者から評価されることが多いと、それに慣れてきて、もっと評価されたいとは次第に思わなくなるものだ。
 つまり、こういう人って表向きは胸を張っていても自分が他者からの評価に飢えていることをわざわざ自分の方から大っぴらにしているに等しく、しかも、そういう構図になっていることさえも気づいていないわけだ。二重の意味でバカっぽい。

 天野先生や山中先生たちの謙虚な態度は、以上のようなことも十分理解された上でのことだろう。科学者としてもスゴイのに加えて、人間としても賢いと私は思うね。自慢タラタラでも、実力が完璧に伴っていれば、あるいはそれも許されるかもしれない。しかし、それに見合った実力を伴っていなければ、確実にアウト。失笑されて終わりだ。


2014年10月8日(水)
最近のニュースで感じたこと
イスラム過激派の戦闘参加の日本人+α

 イスラム国に戦闘員として加わるためシリア渡航を画策していた北大生がいた…という報道も驚いたが、別のイスラム過激派組織の戦闘に実際に加わっていた日本人がいたという報道はさらに驚きだった。しかしテレビの取材に答える内容は「?」。「思想的な背景はなく、ただ戦いたかった」という発言も、まったく理解不能。「民主主義で幸せは見いだせない」ことが、どうしてイスラム過激派の戦闘に加わることにつながるのだろうか。
 民主主義で幸せを見いだせないのは、民主主義という社会の制度に問題があるんじゃなくて、自分自身に問題があるのでは? そういうトンチンカンなことを平然といってのけることから考えても「あーなるほどね。きっとそういう不満を持っていそうだねぇ」という感想しか持たない。

 社会に不満を持っている人って、ほとんどの場合は、ご本人に問題があることが多いと、私は想像している。すべては自分自身を客観視できないことに始まって、それが原因で人間関係がうまくいかない。さらには人生がいい方向に進まないことにまでつながっているんじゃないのか。

 実際、私が過去に出会った人の中でも、口ではいわなくても「自分は常に正しくて、間違っているのは他人の方」と思っていることが透けて見えるような自信満々な人に限って、出つつある、あるいはすでに出ている「人生の結果」がパッとしなかったりする。ご自分の判断が本当にすべて正しいのであれば、あなたの人生の結果は、もっと立派なものでなきゃいけないのでは? とツッコミたくなる人っているよ(笑)。

 自分は正しいと思っているからこそ判断ミスをしても軌道修正できない。それを繰り返してばかりいて立派な結果を作れるわけがない、と私は思うね。私は判断ミスしてばかりだが、それを社会や他人のせいにする気はさらさらない。自分にこそ問題がある。それのみ。



ノーベル物理学賞日本人3名受賞

 いや〜、スゴイ! 実に素晴らしい。きっと某K国と某C国の国民のみなさんは、今頃、「なんでまた日本人が受賞するんだよ」って悔しがっているだろうな(笑)。タダの虚勢を張っているだけのニセモノ国家との違いが、またしても証明されただけだろ。


2014年10月7日(火)
今日の一枚(1)
 過去に撮影した写真の中からランダムに一枚を選んで時々、紹介することにしたよ。最初の一枚は、ちょうど今が見ごろにあたる北アルプス・涸沢の紅葉だ。涸沢といえば、紅葉の名所として超有名。

 2001年10月2日、時折、小雨がパラつく天気の中、天気予報を信じて上高地から登る。しかし、そういう天気の平日にも関わらず山小屋は大混雑。ぎっしり詰め込まれて隣の人とピッタリ状態で、熟睡もできず、朝を迎えた。日の出前に山小屋から出てみると、雲ひとつない星空。雄大なモルゲンロートを堪能しながらシャッターを切りまくる。
 写真は朝食後、日が高くなってから撮影した涸沢カールの紅葉。赤はウラジロナナカマド、黄はダケカンバだが、それにしても色の配色といい、背景の岩峰といい、自然景観としては100点満点だ。その反面、山小屋の混雑を考えると、なかなか行く気にならない場所でもある。
 普通は2泊3日行程がお勧めだが、私は1泊2日という強行軍だったので、さすがに上高地バスターミナルに下山した頃は疲労困憊。ただ、わずか2日の取材だったにも関わらず、この取材に関連した、その後の仕事の総収入は、なんと60万円以上にもなった。もちろん紅葉のベストタイミングだったことも大きいと思う。



2014年10月6日(月)
今週のツッコミ
 先日、たまたま某番組を見ていたら、コメンテーターとして出演していた火山の専門家が、御嶽山噴火に関して意味不明なことをいっていた。今回の噴火で、噴煙が上がったときに音がしなかったが、少し遅れて音が聞こえたとする登山者の証言について意見を求められ、「そういうことはあります。雷でも光と音がズレますよね。それと同じことです」(あくまで記憶なので、正確ではないが、主旨はこんなところだった)と発言。

 はあ???????????? 何それ

 みんなも、すぐにわかったよね。雷の場合は、音よりも光の方が伝わるスピードが早いから、到達に時間差が生じる。これは当たり前。しかし、今回の噴火で音よりも噴煙が先に見えたのは、音が伝わるよりも噴煙が立ち昇るスピードの方が早ったからじゃないだろう。たまたま噴火時に爆発や崩落の発生がなく、少し遅れてそれが発生したために噴煙と音がズレただけでは? 仮に「よーいドン」で噴煙と音がスタートしたとしても、どう考えても音よりも噴煙の方が遅いに決まっている。
 慣れないテレビ番組出演で緊張されていたのかもしれないが、それにしても驚きのコメント。

 えっ!? おまえならスタジオ収録のような場で冷静にコメントできるのかだって。このオタンコナス! ボクちんなら、もっと緊張して何もしゃべられないに決まってるだろ!! あんな場所で冷静に的確なことをしゃべってる方が、どうかしてるって(笑)。

 あ、でもねぇ。みんな誰も知らないだろうが、実はボクちんはテレビ番組に出演した経験がある。観光地で取材クルーのカメラにたまたま写ったとかじゃなくて、ちゃんとしたスタジオ収録の番組に…である。しかも、それは天下のNHK教育テレビ様の番組なのだ。どーよ、スゲーだろ。驚いた?
 ただし、それって近年のことじゃなくて、今を遡ること四十数年前。ボクちんが、とってもかわいらしかった幼稚園の園児だった頃だけどな(笑)。
 でもNHK広島放送局で行われた収録中のことはほとんど覚えていない。年長組の収録が先にあって、それが終わるまでスゲー蒸し暑い待合室で延々と待たされたことだけ、かすかに覚えている。ただ、近年も2度ほど、テレビ局や番組制作会社からオファーされたこと、オファーされそうになったことはある。まあ、テレビに出るなんて死んでもイヤなんで、結果はいうまでもないが。


※すでにお気づきの通り、読みやすいように書体と色を変更しました。


2014年10月2日(木)
御嶽山噴火(2)
 前回記事は、速報だけ見て書いたのだが、その後、次々に明らかになる被害状況を知れば知るほど想像以上で言葉もない。亡くなられた方と生還者を分けたものは、位置と時間のわずかな違いでしかない。噴石が当たるか当たらないか、という残酷な現実。行動スケジュールが1時間早いか遅いだけで、生死を分けた場合も多々あったと思われる。こういう例を見れば見るほど、中央道トンネル崩落事故と同様、「運命」というものを考えざるを得ない。
 私は、御嶽山とはあまり縁がなく、過去に2度登頂しただけ。ただ、その山麓は何度も取材に訪れているし、別の火山に登ることもあるので、やはり人ごととは思えなかった。

 私が初めて御嶽山に登ったのは、1988年5月のこと。残雪を踏みしめて単独で王滝口(田の原)から王滝頂上まで往復した。天候もすっきりせず、途中、ライチョウのつがい(過去にも噴火を繰り返しているとはいえ、今回の噴火でライチョウに対する影響も懸念される)が出迎えてくれたくらいで、誰一人出会わずに雪に閉ざされた王滝頂上に立ち、そのまま早々に下山した。田の原の食堂は営業していたので、何か温かいものを食べたような記憶がある。その後、1990年8月に友人と山小屋1泊2日で登って以来、御嶽山自体には縁がない。とはいえ御嶽山の登山口には、すべて行ったことがあるので、今回の報道映像を見て、大抵は「これは○○登山口で撮影したものだな」…とすぐにわかる。

 それにしても今後は、何かできるわけでもないが火山に登る度に噴火のリスクを常に考える必要があるかもしれない。またヘルメットの重要性を再認識したので、落石を受ける可能性がある山に登る際は持参しようと思った。ある目的のために随分前に購入したものがあるが、実際に使ったのは数回のみ。だが、今後は必要に応じて着用したい。



1988年5月、八合目付近から田ノ原を見下ろす。


長野県木曽町・九蔵峠(くぞうとうげ)から望む御嶽山。2000年9月


御嶽山・摩利支天山から賽の河原と剣ヶ峰。1990年8月


御嶽山・二ノ池。1990年8月

2014年9月27日(土)
御嶽山噴火(1)
 長野県と岐阜県の境にそびえる御嶽山が7年ぶりに噴火したようだ。気象庁は噴火警戒レベルを普段の「1」から入山規制する「3」へ引き上げたそうだ。しかし、7年前の噴火は、すっかり忘れていたな。そんな最近に噴火があったっけ? …って信州の山の本も出している私がそんなこといっちゃあダメかな。
 一時期、本に載せる関係で浅間山の火山活動状況を気にしていたこともあるけど、御嶽山はあまり関係がないこともあって記憶が曖昧だなぁ。まあ、国内では、火山である以上、小規模な火山活動は割と頻繁にあるし、御嶽山が噴火しても不思議じゃないけどさ。


2014年9月20日(土)
最近のニュースで感じたこと
スコットランド独立是非投票

 たぶん反対票の方が上回るんじゃないかと予想していたら、やっぱりその通りになった。スコットランドの国民から見ると、独立のメリットとされる内容が実現するかどうかわからない不安もあったのだろう。大半の人が、不確実要素満載の独立よりも「安定した現状+自治権拡大」の方を選んでも不思議じゃない。
 それにしても一度だけという条件付きとはいえ、是非の投票を認めたキャメロン首相もすごい決断だな。世論調査で圧倒的に反対派の方が多かったという事情がなければ、さすがに実現はしていないだろうが、もうひとつは投票を認めた上で「否決」という結果を国内外に示すことで、北アイルランドの独立運動も含めて、そうした世論を封じ込める意図もあったと想像される。投票直前になって賛成・反対の割合が僅差になったのは想定外だったにしても、結果的にはイギリス政府のシナリオ通りに終わったことになる。
 しかしながら、それでも投票を認めたのはすごいことじゃないか。中国では100億パーセント絶対にあり得ないし、さすがに日本でも沖縄県民に認めることはしないだろう。イギリスの民主主義の成熟度はすごいものがある。


2014年9月19日(金)
犬連れ登山問題で大激論!!
 先週から今週にかけて、札幌市在住のSさん(58才・男性)と犬連れ登山問題に関してメールで議論を重ねる。
 Sさんは、愛犬家だが、犬連れ登山には反対のお立場なので、その可否に関してではなく、規制理由に関しての意見の違いから議論が始まった。つまり犬連れ登山反対派どうしの議論というわけである。
 実は昨年にも第1戦があって、大変有益な議論をさせて頂いており(イヤミではなく純粋な意味で)、犬の感染症に関しては確かに一般の飼い主よりもはるかによく調べておられ、かなりのインテリだろうことは感じた。ただその一方で、まず間違いなく文系の人だろうというのも、すぐにわかった。とはいえ、一般的な犬連れ登山擁護派・賛成派のチョー低レベルで劣悪な意見に比べれば、はるかに高レベルな反論であったことはまず認めておきたい。

 今回、その第2戦の議論となって、Sさんが、単に自分が犬を飼っているという事情からジステンパーウィルスのリスクを認めたくないだけではないか、と感じるようになったので、その点をSさんに指摘したところ「何故、私がジステンパー感染リスクを認めたくないとお思いなんでしょう?」との質問が来た。それに対して私が返信したのは以下の通り。



 ひとつは、愛犬家だからですよ。犬とは関係ない立場の人であれば、公平な視点から物をいえますが、Sさんは犬を飼っていらっしゃるから、その点はどうしても割り引いて考えなくちゃいけない。個人差はあるものの誰しも個人的事情に思考回路が影響するものです。犬から野生動物にジステンパーウィルスが感染することが明らかになり、しかもそれは予想以上にシビアだった場合、山に接して暮らしている自分は、犬を飼えなくなるかもしれない。それはなんとしても避けたい。そういう個人的事情から、感染症のリスクが広く知られるようになるのは都合が悪いわけです。だから、あーだこーだといって屁理屈をこねているだけですね(すでに認めているように正しいと思うご意見もあります)。Sさん自身もご自分では気づいていない「愛犬家によくあるドグマ」によって、判断が歪んでいるのではないですか?

 ふたつめは、Sさんの回答傾向ですね。健全な議論ができる人というのは、相手の回答に反論できず、論理的に筋が通っていると認めれば、そのことをきちんと言葉にします。「なるほど。よくわかりました。その部分は確かに正しい」とか。私はSさんの意見を認めたら、きちんとその旨、書いてますよね。でもSさんは、反論できないのか、議論を省略しているのかは知らないけど、都合が悪いと思われる部分はスルーしている。そういうところで、認めたくない。議論に負けたくない…的なニュアンスを感じるわけです。議論に負けたくないという時点で、私は人間としてちっこいと思いますね。真理よりも自分の立場を優先しているからです。Sさんがそれに該当するとまではいいませんが。
 



◆Sさんの反論に再度私が反論した内容を一部、転載しておくと…
(本当は、Sさんの本名も記載した上で、議論のすべてをオープンにしようと提案したのだが、なぜか嫌がられたので、匿名で一部のみとする。いうまでもなく嫌がる理由はひとつしかない)。



【反論例1】
Sさんは、高山帯では「根拠はないがリスク管理から規制が必要」といい、亜高山帯以下では「定性的定量的な根拠が必要」と仰っていますが、この判断の違いが今ひとつ、理解しがたいのですが、つまり亜高山帯以下では、リスク管理は不要…のように読めます。その根拠を教えて下さい。

【反論例2】
以前、イタチ科の動物にワクチン由来のジステンパーウィルスが感染拡大する可能性について「野生動物に感染拡大することはないとは思えません」とおっしゃっていました。それに対して今度は「現存する日本の野生動物にはジステンパーの免疫があると考えるのが合理的」と書かれている?????? 完全に矛盾してませんか? 昨年の段階とお考えが変わったのでしょうか。それとも議論に勝つのが目的のために場当たり的に意見をくるくると変えているだけでしょうか?



 こういう質問を繰り返すにつれて、次第にSさんが真っ正面からの直球を投げ返してくることは減り、議論は終了した。つまり、Sさんが私の質問にすべて反論することはできなかったわけだ。

 人の意見というのは、一見、それなりに立派に見えることも多い。しかし、いくら見た目だけの虚勢を張ったところで、本物か、ただの虚勢かは、いずれバレちゃうものだし、そもそも虚勢を張っていること自体、背後に「虚勢を張りたい」という個人的事情があることまで透けて見えちゃって、余計にみっともない。本物の人に虚勢を張る必要はない。ニセモノだからこそ、張るのは「虚勢」しかないのである(笑)。

 ちょろっと何かを調べて表向きの知識だけは備わっていても、根本的な科学の素養や高度な論理性を備えていない文系さんが、京都大学大学院で植物病理学を修了したというTさんの反論(こちらに議論のやりとり全文掲載)さえ、あっさり論破した私にそう簡単に議論して勝てるわけがないし、それ以前の問題として「真理を第一」にしていないところで、人間としては「大したことないな」ってどうしても思ってしまう。

 それにしてもこの問題で議論して負けた(=反論できなくなる)ことって一度もないんだよね〜。ホントにバカばっかり(笑)。あ、いや、Sさんは、前述した通り、それでも高レベル。でも結局は個人的事情に影響した判断しかできていないという意味では完全にアウト。


2014年9月16日(火)
NHKスペシャル・臨死体験の謎に迫る
 「NHKスペシャル・臨死体験の謎に迫る」を見た。すでに知っている情報もあったが、世界最先端の研究者を精力的に訪ね歩き、内容もよく練られたものだった。よくできた科学番組だったと思う。

 臨死体験は、脳に備わる機能であり、決して特異な事例ではなく、人が死に際して誰しも体験し得る現象ということのようだ。立花隆さんが、ケンタッキー大学医学部・ネルソン教授に「なぜ神秘体験(臨死体験)をする能力が人間の心に備わっているのですか」と質問したのに対して教授が答えた内容が印象的だった。

「良い質問です(笑)。私も知りたいです。神秘体験は意識を現実の間で作り出される感動的で根源的な現象です。しかしその詳細はわかりません。そもそも科学はどうような仕組みなのかを追究するものです。なぜそのような仕組みが存在するのかと問われても答えられません。なぜか?という問いへの答えは、それぞれの人の信念に委ねるしかないのです」と。

 もし臨死体験が、大脳が作り出す幻覚に過ぎないと仮定すれば、そもそも死を前にした人に夢のような世界を体感させることに何の意味があるのか、という疑問が生じる。それは、哺乳類がまだ小さなネズミのような動物だった頃、大型爬虫類に捕食され続ける過程で獲得した「死の恐怖を和らげるための機能」の名残なのかもしれないが、一方でもっと深い意味があって、例えば、具体的にあの世へ魂を導くための脳のスイッチが入って、本当に魂があの世の入口まで行ってきた実体験と仮定することも可能なはずだ。

 昨年11月30日付の本欄で書いたアメリカの著名な脳神経外科医の臨死体験例も取り上げられ、本人のインタビューもあって、大変興味深かった。博士が「心は魂のようなもので、身体が死んでも生き残る」と主張する科学的根拠は十分に納得できるものであり、私たちがこれまで漠然と想像していたのは違って、脳と心は必ずしもイコールで結ばれるものではないのかもしれない。この脳神経外科医の臨死体験例は、あの世が存在する可能性が高まったといってもいいくらいの衝撃的な内容だが、もしそうであれば、臨死体験を単なる幻覚と片付けるわけにもいかない。

 意識の量を求める数式とか、将来、心をもつ機械を作れるようになるという話とか、とにかくものすごく濃い内容だった。科学はすごいところまで来ている。

 それにしてもこういう先進的な研究は、やっぱりアメリカが多いんだよな。常識に捕らわれない発想が本当にすごい。いつも他人の目を気にする日本人研究者に対して、アメリカという国は個人主義だから、他人がどう思おうと自分の信念に基づいて研究を進める人が多いのだろう。だからこそ斬新な研究・発見が生まれやすく、その中からノーベル賞級の成果にもつながる…ということだろう。誰も踏み入れていない原野に道をつけるような難度の高い研究は、やっぱり欧米の方が優れている。これは認めざるを得ない。


2014年9月10日(水)
支払い報告メール
 一昨日、取引があるフォトライブラリーから支払い報告メールが届いた。サイトにアクセスして報告書PDFを開いて見ると、金額は大したことないけど、お! 某雑誌の表紙に使用されているじゃないかっ! アマゾンでそのページを開いてみると、何年か前に私が撮影した北アルプス・八方池と白馬三山の写真がでーんと載っていた。
 書籍・雑誌中面使用(本文中に使用されること)も確かにありがたいことではあるが、それくらいなら頻繁にあること。しかし表紙に使用されるのは、本文よりもハードルが高いので、やはりうれしさは2倍くらいになる。

 自著の表紙は当然、いつも自分の写真だし、過去にも雑誌の表紙やポスターなど、ハードルがより高い印刷物に使用されたことは何度もあって、今年も某旅行雑誌の表紙や某大手銀行会員向け冊子の表紙(どちらも一部本文も担当)でも私の写真が使用されているが、今回のようなご使用はサプライズ感もあって、ありがたい限りである。

 とはいえ、風景写真のように特別技術を要さないものは、ある程度のセンスとノウハウ、それなりの機材さえあれば、あとは運次第で、素人さんでもそこそこのものが撮れるのも事実であって、それほどスゴイことじゃない。従って、そういう分野で他人がどういう写真を撮っているか、正直まったく興味がない。私が撮影ノウハウに興味を覚えるのは、ベローズ+マクロストロボを使う接写や超高速写真、天体写真のような、もっと技術を要する写真のみ。


2014年9月8日(月)
イマドキのセグロセキレイ
 昨日、窓のすぐ外側に何か白いものが一瞬横切った。ん? 今のなんだろう。窓に近づいて外を見てみると、ピピピ…という囀りとともに白い鳥2羽が飛び立った。あれ? セグロセキレイだ!! 一昨日、実家のセグロセキレイのことを日記に書いたばかりだったのに、自宅にも現れるとは! セグロセキレイって珍しい鳥じゃないけど、それにしてもタイミングがよすぎる。ひょっとして秦野のセグロセキレイは、ボクちんの日記を読んでるんじゃないか! 「広島だけじゃなくてここにもいるよ」ってことをアピールしたくて、わざわざ目に付く場所に飛来した…うん、うん、絶対そうだ! 「セグロセキレイにPCが操作できるわけねぇだろ」だと? このオタンコナス! イマドキのセグロセキレイなら、ウェアラブル端末でネット接続してるに決まってるじゃん(笑)。

 
2014年9月7日(日)
HDMI端子
 私の仕事机には、2台のデスクトップPCがなかよく並んで鎮座し、いつも電源は入れっぱなし。メインもサブもバイオで、それなりのスペックを有しているが、重いソフトに重い写真ファイルを多用することなどもあって、メモリの負荷が大きいのだろう。複数のソフトを立ち上げて作業している途中、PC付属のテレビ視聴録画ソフトを立ち上げようとすると、エラー表示が出て再起動を求められたり、で再起動すると、これまた安定するまで時間を要したり、あるいはソフトは無事に立ち上がっても録画予約した番組がメモリ負荷状況によっては録画に失敗することも時々あって本当に使いものにならなかった。
 確かに普段の在宅中は、「1日のほとんどをPCとにらめっこ状態=メモリ高負荷」というハードユーザーなので当然といえば当然かもしれない。2004年に購入して以来、今も故障することなく動いているサブPCにもテレビ視聴録画ソフトが付いているが、BS放送・地上デジタル放送には未対応。そのため別途、チューナーを付けて見れるようにしたが、録画はできない。

 BS+地上デジタル放送対応のハードディスクレコーダーを買おうかと何度も思ったが、でかい筐体を考えるとデスクやその周辺に置くところがない。十年前に買ったハードディスク+VHS+DVD3連型のレコーダーを持っているが、筐体がでかいために寝室に移動。しかも地上デジタル放送未対応なので、やっぱり使えない。しかもそれを買った時、10万くらいしたことを覚えていたので、なかなか買う気にならなかった。
 ところが先月、ヨドバシカメラのサイトを見てみると、あれ!? いつの間にか安くなっている。3〜4万円で平均クラスのものが揃っているじゃないかっ!! 近所のヤマダ電機に見に行ってみると、なななな、なんて小さいんだっ。十年前のレコーダーよりもふたまわりくらい小さくなっている。これなら机の周辺に十分置ける。よし決めた! 使い慣れた同じPanasonic製のハードディスク+ブルーレイレコーダーにしよっと。店員さん、これ下さい。だが店員さんいわく、ご使用のテレビにHDMI端子はありますか? 何それ。テレビじゃなくてメインPCに接続するつもりだが、そういえばあったような気も…。だが確証はない。この機種は通常の赤白黄色の映像・音声出力の端子はなく、HDMI端子しかありませんので、テレビにHDMI端子がないと接続できません。ええーっ。う〜ん。あったかなぁ??? 仕方なく一度帰宅しメインPCの背面を確認したところ、あった! バイオくんは、なんてエライんだっ!! ホレボレするぞっ。

 ヤマダ電機に舞い戻り、無事購入。以来、PC付属のテレビ視聴ソフトを立ち上げる必要がなくなり、テレビの視聴と録画がすごく簡単になった。ついでにメモリ環境上も好都合だ。加えてネットワーク接続で、自宅にいなくても番組予約ができるようになった。つまり、取材先や実家から自宅のハードディスクレコーダーに番組予約を入れることが可能になったわけだ。私のような立場の人間には、これは便利そうだ。このところの懸案が、たった3〜4万で解決するのなら、もっと早く買えばよかったなー。


2014年9月5日(金)
無題
朝日新聞、池上さんの連載記事掲載拒否

 朝日新聞の従軍慰安婦報道誤報の件で、池上さんが「朝日新聞は謝罪すべき」と書いた連載記事を朝日新聞が掲載拒否したそうだ。その後、社内からも批判が出て一転掲載することになり、その記事も読んだ。
 誤報したことを謝罪するのは当たり前の話で、これはマスメディア全般にもいえることだが、「普段から政治家などの他人のミスは徹底的に叩いているくせに自社のミスは簡単に認めたがらないし謝罪もしない」って、どう考えても筋が通っていない。「間違いを認めて謝罪すると、記者が記事を書くときに萎縮してしまう」みたいな言い訳をするんじゃなくて、自分たちが正義だっていいたいのなら、都合の悪いことでも素直に認めて、道理を通してこそ「正義」といえるのでは? 

 朝日新聞のイデオロギーにはまったく同調しないし、従軍慰安婦報道はまさに万死に値する大誤報。日本国の国家としての名誉を大いに傷つけておいて謝罪もしない。このどこが正義か。しかし、それを叩く週刊誌にも「おまえらもそれほどご立派じゃねぇくせに偉そうにいうな」っていいたいね。
 これまで朝日新聞をずっと購読してきたが、こういう対応を見ると、心底がっかりする。まあ、似たようなことはこれまでもあって、朝日新聞社幹部の、人間としての程度もおおよそ知れるとも思っていたが、今回の一件でも「ああ、やっぱり。そんなもんかよ」としか思えない。

 とはいえ、朝日新聞が優れているのは、なんといっても科学関連記事。iPS細胞による心臓手術誤報問題では、デタラメ森口のウソを見抜けずに大々的に報道しちゃったメディアも多数あった中で、朝日新聞は取材したものの報道を見送っている。他紙よりも科学部記者のレベルが高いのだろう。朝日新聞の優れた科学関連記事を考えると他紙に乗り換える気にはならないんだよな〜。



セグロセキレイその後

 実家に飛来していたセグロセキレイ。母に聞くと、今も毎日のように飛来しているという。通常は一羽だけだが、先日は二羽来たそうだ。雨が降る日、たまたま窓からテラスを見ると、セグロセキレイがテラスの真ん中で微動だにせずにポツンと佇んでいるのを見かけたこともある。やはり野鳥でも雨に濡れるのはイヤなんだろうな。あのね〜。そこは君んちじゃなくて、ボクちんちだから。雨宿りしたい時は、ボクちんの許可を得てね!

2014年9月4日(木)
オバケページ
 みんなには大して興味もない問題だよ〜ん。本サイトの中で2年以上に渡って、ずっとページ単位アクセス数の首位を断トツでキープしているオバケページがある。それはどのページでしょう? オバケだけに山岳奇譚のページと思うでしょ。ブー残念。実は、ちょっと意外かもしれないが「動物記 動物注意標識」のページ。必ず毎日というわけではないが、かなりの確率でアクセス数トップを維持。このページだけで、月に約1000件のアクセスがある(ここ3ヶ月の平均値)。動物記全体では月に約3000件なので、その3分の1を占めていることになる。全国の珍しい動物注意標識をすべて私ひとりで探してまとめたページなので、類似サイトもごく少なく、物珍しさもあるのだろう。
 先月には、都内の小学校に通う女の子から「自由研究に標識の写真を使ってもいいですか?」というメールをもらう。メールを書いたのは親御さんかもしれないが、いろいろな人が見てくれているんだなぁと改めて思った。
 それにしても自然系のサイトなのに、アクセス数第1位ページは直接、自然には関係していない内容というのもなぁ。まあ、いいか。


 ちなみにアクセスが多いのは…
(ここ3ヶ月の平均値。秋〜冬は確実に低下する)

 植物記…約8000件/月
 山岳記…約2000件/月
 山岳奇譚…約5000件/月
 作る…約1000件/月
 
 サイト全体…約30000件/月  (トップページに表示される日単位のアクセス数に比べて、やや多めで矛盾しているが、アクセス解析ではこうなっている)

 植物記は多いけど、今のところ全部で430ページもあるので、ページ単位で見れば、それほどでもない。むしろ山岳奇譚の方がすごいかも。まあ、みんな怖い話好きだもんね。


 最近特にアクセスが増えているのは…

 動物記 ヒトスジシマカ デング熱報道の影響もあるかもしれないが、7月から増加していたから直接の要因ではなさそう。

 山岳記 熊撃退スプレーの処分方法 きっとみんな、熊撃退スプレーの処分方法に困っていたんだね。でも、いっとくけどこの処分方法を考えたのは私だから。情報の転載はしてもいいけど、まるで自分が考えたかのように紹介したらプンスカだからなっ!! 「情報元:Nature Log」くらい書いとけよ!! トウガラシ成分を水に溶かして処分するなんて、輸入販売元さえも気づかなかった(おそらく製造元も)、我ながら実に素晴らしいアイデア(自画自賛・笑)。「農学部農芸化学科卒」の本領発揮だろ。


2014年9月2日(火)
日記のアクセス数
 本欄「日記」ページの月単位総アクセス数が、なぜか先月は過去最高になった。う〜ん。確かに先月1ヶ月間に書いた記事は少ない方ではないが、なんでだろ? ひとつ可能性としてあるのは、STAP細胞を擁護したい人たちが見ているとか、そんなことかな。まあ、サイト全体でもアクセスは増加傾向にあるので、日記のアクセスが増えても不思議ではないのだが、それにしてもコラ! 人の日記を読むヒマがあったら、ほかにすることいくらでもあるだろ! なんちゅー無駄な時間…あ、いや冗談です。そんなこと微塵も思っていましぇ〜ん。お忙しい中、わざわざアクセスして読んで下さるみなさんに感謝してばかりの毎日です。えぇ、ホントです。必要なら神明にだって誓っちゃいますし、なんなら100円賭けてもいいです。感謝感激アメアラレですってば。

 そうだ! ほかにも要因があるぞ。これまでの日記では自分ことを「私」「オレ」「オイラ」とか書いていたのだが、「ボクちん」と呼ぶようになった頃とアクセス増加のタイミングが重なる。つまり「ボクちん」という言葉の響きに共感する人が思った以上に多かったということじゃないか。なるほどっ。そういうことかっ!! 
 だが、ちょっと待て。自分もブログで「ボクちん」を使おうと思っているそこのチミ。「ボクちん」は、最も早く「ボクちん」を使用したボクちんに優先権があるので、ボクちん以外の人が「ボクちん」を使いたい場合は、ボクちんに「ボクちん使用許可」をもらう必要があるのだっ(あー説明するだけで疲れる)。それを忘れてもらっちゃ困るな〜。
 ちょっと偉そうな響きがある「私」とか「オレ」に比べて、「ボクちん」は、子供レベルの腰の低くさを感じさせる融和的精神の発露。質実剛健を旨とする日本男子なら、自分のことはやっぱ「ボクちん」と呼ぶのがいいと思うぞ。


 
2014年9月1日(月)
今週のSTAP細胞
 STAP細胞検証実験の中間報告が発表された。今のところ再現性は確認できていないとのことだが、その発表を聞いても私は特別驚かない。それよりも毎度のことながら文系メディアさんが垂れ流す記事のピンボケぶりは相変わらずだな…と呆れるばかり。より正確にいえば、必ずしもSTAP細胞存在の可能性が低くなったというわけでもないのだが、まあ、表面的なことでしか判断できない文系メディアさんに正確な報道を期待してもまったくの無駄。
 重要なのは、小保方さんが主張する「コツ」を実践した時に結果がどう変わるかということに尽きる。小保方さんが参加した実験で好結果が得られなければ、その時に初めて「STAP現象には再現性がない」といえる話なのだ。

 文系記者のみなさんは、科学関連のことで記事を書く場合、複数の専門家にも意見を聞くなどして、もっと慎重に検証した方がいい。
 よ〜く考えてみよう。例えばである。野球やサッカーに関する記事を書く時、試合の経緯や概略だけ説明するのならまだしも、選手のプレーや監督の采配の善し悪しまで論評するとしたら、当然のことながら野球やサッカーのルールを熟知していることが必要なのはいうまでもなく、さらに選手や監督に関する十分な知識を有し、さらに独自の緻密な分析や視点もあって、ようやく多くの野球通・サッカー通の読者が満足する記事を提供できるはず。それらがなければ読者が呆れる低レベルな記事になることは火を見るよりも明らか。それと同じことで、科学の基礎知識すらも知らない文系記者に的を射た科学関連の記事を書けるわけがないのである。ちょろっと何かを取材したくらいで、自分にもそれなりのレベルの記事が書けると思うのは、勘違いも甚だしい。もちろん文系メディアであっても優れた記事や番組もあることはあるけどね。

 日本における科学関連記事がどうかといえば、野球のルールすらも知らない野球音痴の記者が野球の試合や選手のプレーについて、どうのこうのと論評している記事が社会的に通用している状況と似たようなものだと思えばわかりやすい。こういうことに喩えれば、いかに低レベルな状況がまかり通っているのか、ご理解頂けるのでは? しかも日本社会が救いようがないほど劣悪なのは、科学の基礎知識すらも知らない文系記者が得意満面で書き綴ったおマヌケ記事に金を払って、ありがたく拝読し、「なるほど〜。そうだったのか〜」と納得している程度の世間一般の人たちによって世論が形成されているという点である。

 ネットの発達で世間一般の、特に低レベルな意見を容易に知れるようになって、心底「ダメだこりゃ」と思ったね。そもそも何がいいたいのか、よくわからないヘタクソな文章を読むのも正直しんどいが、「爆笑」「失笑」「劣悪」「もはや一般人も無知ゆえの有害レベル」…という言葉が次々に浮かぶ。本当のことをもっといえば、知識もない。想像力もない。薄っぺらで、とにかく単純。自分の立ち位置を冷静かつ正確に認識しようとする謙虚さすらもない。しょーもない論理ともいえない論理を振りかざし、それでも自分の考えは絶対に正しいという自信だけは超一流。こういう人たちに原発の放射線やタバコの発癌物質、感染症のリスク等々…の問題に正しい認識を持てるわけがない。なぜって物事の判断には「論理」と「直感」の二通りがあるわけだが、前者は必要な情報を熟知した上でしか機能しない。そのため知識がない自分たちは必然的に後者の方でしか判断できないことすらも理解していない呆れたレベルだからである。

 「直感」というと聞こえがいいが、前にも書いた通り、要は頭の中でガラガラポン(回転式くじ引き機)がまわって、出てきた玉の色で判断しているのと大差ないか、もしくはそれよりかは多少はマシかもしれないくらいの話。科学の問題に関して「直感」だけで判断されても説得力はゼロ。というよりも根本的なことをまったく理解していないバカ丸出しレベル。


2014年8月26日(火)
私は栃木県那須塩原市に土地を所有しているらしい
 すごくラッキーな報告がある。まったく知らなかったのだが、どうやら私は栃木県那須塩原市に土地を所有しているらしい。というのも先日、以下のような電話がかかってきたからだ。

「もしもし。私、○○不動産の△△と申します。日野さまが栃木県那須塩原市××に所有されている土地のことで、お電話させて頂きました」

…な、どう考えても栃木県那須塩原市に私名義の土地があるってことだろ。だってさぁ、なんたって不動産売買のプロが認めてるんだもん。絶対確実な証拠だろ。いや〜、いつの間にか、行ったこともない場所の土地が自分のものになっていたとは、さすがに私自身も知らなかったぞ。

 それにしてもちょっとばかし残念なのは、「はぁ? そんなところに土地を持ってませんけど」ってありきたりの返事じゃなくて、「あぁ、あの土地ね。即金で10億なら売ってあげてもいいよ」くらいのことを言えばよかったなぁ(笑)。


2014年8月23日(土)
ポジフィルムのデータ化
 以前にも書いたポジフィルムのデータ化作業。うんざりしながらも、時折時間を見つけては黙々と続けている。所有する膨大なポジの大半をデータ化しちゃおう…という壮大な(?)計画で、いつ終わるかも、そもそも仕事上、それだけの手間をかけるだけのメリットがあるかどうかも不明だ(笑)。まあ、メリットは間違いなくある。ただ、そのメリットは完了するのが早ければ早いほど高い。

 これまでずっと、十年前に購入したスキャナーを使っていたのだが、手作業でチンタラやっていたのでは埒があかないということで、先々月、やむなくエプソン製の最新型スキャナーを導入。これによって自動でプレビュー+サムネイル表示が可能となって、サクサク、スキャンできるようになった。
 1カットごとにポジ袋に入れて整理してある写真の取り込みを試験的にやってみたが、スリーブ用フィルムホルダに1カットごとにバラバラにセットしても、ほぼ完璧に読み取ってくれることが判明。しかもどのくらいのトリミングをするか、という選択もできるので、縁を含めた広めの設定も可能。
 今月からはスリーブのまま保管している2002年〜2008年の取材写真の取り込みを始めた。スリーブ1本1本をセットしてプレビュー。写真の向きだけちょこちょこと修正し、スキャンボタンを押せば、あとは自動で最後まで取り込んでくれる。これは大変ありがたい。お蔭で取り込み作業が、かなり早くなった。

 その速さに気をよくして、さらにもう一台買って最新型スキャナー2台体制で一気に作業を進めようかとも思い、試験的にそのスキャナーをノートPCにつないでやってみたところ、しばらくしてメモリがいっぱいになって取り込めなくなってしまった。メモリ開放の処理をしてもなぜか、スキャンできない理由は、私くらいのPC知識では理解不能。で諦めた。メインPCのメモリは12GBあり、データ処理に余裕があるので進められるが、ノートPCの方はそこまでのメモリを装着していないので、重いデータ処理が必要となる連続作業は難しいということなのだろう。ひょっとすると何らかの対処方法があるのかもしれないが…。


2014年8月21日(木)
広島土砂災害
 昨日未明に発生した広島の土砂災害。実家は何事もなかったが、昨夜、2度も停電し、ものすごい雷雨だったと母がいっていた。被害があった地区は、実家からも近く、割と頻繁に買い物にも行く郊外型店舗が並ぶエリアのすぐ近くだけに驚きも大きい。局地的な豪雨をもたらした雨雲が少しずれていたら、実家周辺に被害が出たかもしれない。まったくもって人事ではない。
 夜、しかも停電している最中の豪雨と土石流という最悪の状況。たとえ避難を呼びかけられても、真っ暗な道路を懐中電灯で照らしながら無事に避難できるものなのか。もし道路に濁流が流れていれば、道路と水路の境界がわからず、誤って水路に落ちたりとか…そんなリスクも十分考えられる。こういう場合、たとえ避難勧告があったとしても、どう判断すべきなのか非常に難しい。家に留まっても避難しても、どちらもリスクがある。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。


2014年8月19日(火)
今週のSTAP細胞(3)
私はSTAP細胞の存在を信じているわけではない

 ところで私がこれまで小保方さんを擁護してきたのは、STAP細胞の存在を信じているからではないし、ましてやタレント並みの美女だからでもない。仮に小保方さんが男性だったとしても同じように擁護しただろう。性別・容姿と能力・実績にはなんの因果関係もないのだから当たり前の話だ。また近い将来、STAP細胞の検証結果が発表され、完全否定された時のために予防線を張っているわけでもなんでもなくて、科学の問題に関して「信じる or 信じない」という情緒的な二分法で答えを求めること自体に問題がある。
 笹井さんの記者会見の時に記者から「STAP細胞の存在を信じていますか」との質問が出て、それに対して「科学というのは宗教ではありませんので、信じるということはない。確度の問題」と仰っていたのが、まさにそう。

 私が小保方さんを擁護するのは、現状に照らして考えるとマスコミや一部専門家の執拗な批判が異常に映ったからであり、可能性がある以上、徹底的に検証してシロクロがはっきりするまでは、安易に全否定すべきではないと考えたからである。STAP細胞が存在すると、難病患者の治療にも役立てられるなど、利点はとてつもなく大きいので、ぜひあってほしいとは思っているが、信じているわけではない。

 ネット上の匿名意見でも、あたかも自分は科学の側に立っているかのようにいっぱしを気取りながらも、STAP細胞論文で指摘された切り貼り等の内容は、論文の柱となる論理に影響していない…という重要な点を読み取れていない呆れたものも散見される。前にも書いたことがあるが、STAP細胞論文問題で最も重要なのは、この点に尽きる。科学の作法に従っていなかったという落ち度は確かにあったのだが、電気泳動実験写真の切り貼りは、都合のよい結果を導き出すために行われた「捏造」ではない。つまり論文の信頼性は失われているが、STAP細胞の存在が完全に否定されたわけではない。竹市・理研CDBセンター長がインタビューに答えて、「可能性が1パーセントでもあるのなら検証すべき」といわれたのは正しい判断だと思う。


2014年8月18日(月)
今週のSTAP細胞(2)
STAP細胞があると都合が悪い方々?

 一般の人は、権威に弱い。だから科学者の発言であれば、冷静かつ緻密に分析し、専門的な視点から公平に意見を述べているはずだと勝手に思っているだろうが、必ずしもそうとはいえない。正確にいえば、自分の立場に無関係なことではそうかもしれないし、自分に都合の悪いことでも公平なジャッジを下す人格者もいるだろうが、所詮、科学者といっても人間なのだ。自分を取り巻く諸事情に感情や判断が影響するのは、困ったことに十分にあり得る話。当然、自分が苦労してきた研究の価値が下がるとしたら不愉快に感じるし、研究予算の増減につながるのであればなおさらだろう。
 残念ながら個人的な事情から発言している科学者も実は結構いるのだ。だから、それを神の声のように聞くのではなく、そういう裏事情がないかどうか、しっかり見抜かなければならないのだが、一般の人はもちろん、文系マスコミにそんなことを期待しても無駄だと思う。

 小保方さんがなぜあれほどまでに叩かれるのか…それは小保方さんが許されないほどの悪いことをしたからではなく、科学者の強烈な嫉妬にも大きく起因していると思う。そもそも科学者といっても一生のうちに世界的な業績を残せる人は稀だ。ほとんどの人は、そこそこの業績を上げただけで研究者人生を終える。そのため、いつか自分も世界的に注目される実績を上げたいと日々努力を続けている人もたくさんいるはずだ。名声欲や出世欲といっても、それも大きな原動力でもあり、必ずしも悪いこととはいえないが、一歩間違えば「自分かわいさ」あまりに行き過ぎた言動にもつながりかねない。

 このような、もともと嫉妬が渦巻く世界において、容姿端麗な若い女性研究者が科学史を塗り替えるほどの成果を発表した…となると、当然、羨望と嫉妬の眼差しが彼女に集中する。しかし、ほどなく論文のミスが発覚したことで、安堵感とともに「ほーら、やっぱり。おまえみたいな若造にそんな成果を上げられるわけがない」というバッシングにも容易に結びつくわけだ。
 自分よりも年下というだけで、まずおもしろくないのに加えて、男性研究者の中には表立っていわないまでも、心の奥底にある「男尊女卑」の感情が頭をもたげてくる人もいるだろうし、年配の女性研究者からは、容姿端麗な若い女性研究者ということで余計に嫌われるわけだ(笑)。つまり、大した実績を上げていない研究者の立場から見れば、そんな彼女が世界的に注目される成果を出すのは、内心すごく不愉快なはずだ。その不愉快さたるや、人によっては「煮えたぎるほどの嫉妬心」と形容してもいいくらいではないか。

 分子生物学会や日本学術会議がSTAP細胞論文に関して声明を出したが、私は唐突な印象を受けた。出すのならもっと前に出すべきだろう。今さらなんで?…という気がしたのだ。わざわざ声明を出さなくても、専門家だけでなく一般人でさえSTAP細胞論文に問題があることはみんな知っている。その上で「ではシロクロはっきりさせましょう」と理研が検証作業をしているわけだから、その結果が出るまで静かに待てばいいではないか。それなのに、どうしてわざわざ声明を出したのだろうか。実に不思議である。

 過剰な批判、唐突な声明…こうした異常事態を見るにつけ、なんとしてもSTAP細胞を握りつぶしたい方々が裏でいろいろ圧力をかけているのではないか…という気さえしてくる。それが事実かそうでないのかは私にはまったく判断がつかないが、ただ確実にいえるのは、STAP細胞があると何かと都合が悪い立場の人が大勢いることだけは間違いないだろう。(続く)


2014年8月17日(日)
今週のSTAP細胞(1)
 昨日読んだ以下の記事。私がこれまでに感じていた、ほぼ同じ主旨でわかりやすく説明し、執拗に批判を続けるマスコミなどを切り捨てている。ネットの意見を読むと、いろいろ言われているようだが、私は賛同する。NHKスペシャルに関する指摘も正しいと思う。まったくもって仰る通り。よくぞ、いってくれた。

NHK、STAP問題検証番組で小保方氏捏造説を“捏造”か 崩れた論拠で構成、法令違反も


2014年8月15日(金)
NikonD800とD810
 先月下旬のことだが、ニコンからD810が発売された。ひと昔前の銀塩一眼レフカメラでは、設計開発から発売、製造終了までのスパンがすごく長かったと思うが、それにしてもデジタル一眼レフカメラはそれが短く、次々に新製品が投入されてくる。おそらくデジタルカメラでは、銀塩カメラのような機械的要素ではなく電子的要素の開発・変更が多いので短期間で新製品を仕上げられるということなのだろう。
 有効画素数3635万画素という衝撃的なスペックで登場し、当初は注文しても半年待ちだったD800の後継機なので、もはや話題性としてはイマイチだが、まずまずの内容のようだ。売り文句は「有効画素数3635万画素、光学ローパスフィルターレス仕様の新開発ニコンFXフォーマットCMOSセンサーと最新の画像処理エンジン「EXPEED 4」により、ISO64〜12800の幅広い常用感度域を実現し、高い鮮鋭感と豊かな階調性を誇る、ニコンデジタル一眼レフカメラ史上最高画質を実現しています」とのことだ。う〜ん。確かにそそられないこともない。有効画素数に変更はないが、搭載マイクがモノラルからステレオに変更されている点も、ちょっと魅力だな。ただ、私としては、それよりもGPS受信機を内蔵してほしいのだが…。

 昨年、北海道の長期取材という大きな目的もあったので、D800本体のほか、レンズ2本、車載用ノートPC、ポータブルHDDなどを新たに購入。総額50万円もの出費は痛かったが、結果的には正解だった。D800を使っていると、実はそれよりも購入価格が7万円も高かったD700を使う機会は激減。さらにAPS-CサイズのD300に至っては、まったく使わなくなった(さすがに売却するかな)。そもそも大手フォトライブラリーのうるさい受け入れ条件を当てはめれば、D300はギリギリ最低ライン。ノートリミングでjpeg50MB以上…という要求に応えるのは難しい。当然、どうせ撮るならD800で、ということになっちゃう。

 D800の何が便利かって、やっぱり圧倒的な画素数。大きな紙に出力するのでなければ、あまり意味はないという人もいそうだが、画素数がこれほどであれば、目的に合わせて容易にトリミングができる。これは大変便利。つまり仮に300mmの望遠レンズしか持っていなくても、トリミングによって500mmや600mmのレンズで撮影したものと、ほぼ同じ写真をまずまず見るに耐えられる解像度の範囲で得られるわけだ。ただ、その一方で画素が多く緻密なのでブレの許容範囲が狭く、ブレが目立ちやすいという欠点もある。

 D810の発売とともにD800は、製造終了。D800の市場状況を見ながら一定数を製造し、在庫数を見極めながらD810にあっさり切り替える…ということか。D810は今のところ市場価格は35万前後だが、D800も発売以来、30数万円から一時的に20数万円に何度となく下がったことからすれば、時間が経てば多少は安くなるかもね。さすがに買う予定はないが。


2014年8月9日(土)
笹井さんの自殺
 笹井さんの自殺報道には、言葉を失った。今後、小保方さんが検証実験を継続するのはかなり難しいのではないか。笹井さんの心の内はわからないが、小保方さんに「STAP細胞を必ず再現して下さい」というのなら絶対に死を選ぶべきではなかった。自信を喪失させる何らかの情報があったのかどうか知らないが、一方でそういう言葉を遺すところを見ると、まだ可能性を捨てていなかったともとれる。そもそもSTAP細胞に否定的な意見があるといっても、聞こえてくるのはES細胞のコンタミ(contamination。異物が混入すること。他分野でもそうだろうが、バイオ系の人は昔から「コンタミ」と省略する)みたいな実に単純なことばかり。京大の山中さんがiPS細胞を見つけるまでは、日本における再生医学のトップランナーとして活躍されていた笹井さんが、そんな初歩的なミスを見落とすとは到底信じられない。

 直前に放送されたNHKスペシャルも見たけど、それにしてもマスコミの執拗な批判に、私は強い違和感を覚える。おまえらが一度はバカ騒ぎした結果、状況が一変すると手のひらを返してまるで犯罪者扱い。「社会の問題を検証するのが我々の役目」「国民には知る権利がある」というと聞こえはいいが、過剰な批判報道の根底にあるのは、要は高い視聴率をとりたいとか、自らの媒体を売りたい…という実にいやしい理由しかない。しかも、その程度のくせに表向きは正義まで気取っているわけだ。

 笹井さんは、何度もノーベル賞候補にもなった優秀な科学者である。仮に検証実験の結果、STAP細胞の存在が否定されたとしても、再起のチャンスは十分にあった。この点は、自ら意図してデータを捏造したソウル大・黄教授の一件とは根本的に異なる点である。
 将来、日本にノーベル賞をもたらしたかもしれない科学者を死に追いやる日本のメティアは極めて罪深い。STAP細胞有無の結論はまだ出ていないにも関わらず、記者の心象だけで勝手に結論を出すばかりでなく、あたかも故意に研究成果を捏造した極悪人であるかのように叩きまくる。STAP現象を単に「仮説」として見れば、それはそれで科学的な意味があるにもかかわらず、それを一切認めず全否定。自らの心象を補強するのに都合のいい専門家を選んで番組で語らせるのもマスコミにありがちな手法だが、そういう専門家の中には「羨望と嫉妬の裏返し」としか思えない過剰な批判も散見される。
 自分たちを神だとでも勘違いしているのではないか。マスコミ関係者特有の傲慢さを感じるのは私だけではあるまい。

 自殺の主な原因かどうかはわからないが、週刊誌の一連の報道、NHKスペシャルの内容がストレスとしてさらに加わったのは間違いないだろう。ノーベル賞級の科学者を死に追いやって平然としていられるとしたら、相当に頭がおかしいといわざるを得ない。まさか自殺するとは思っていなかったのだろうが、すべては結果次第。自殺に追い込んでしまった以上、何をいおうとその責任はある。社会の悪として追及されるべきなのは、笹井さんや小保方さんではなく、「さじ加減」というものを知らない、何かを勘違いしている異常なマスコミ関係者の方ではないのか。

 NHKスペシャルの内容もまぁ、なんだかね…という代物で、小保方さんと笹井さんのメール内容まで取り上げるのは、呆れるばかりである。そもそも個人宛のメールは、本人しか見ないものであり、本人たちがメールの公開を承諾して提供したはずもない。ということは、どこの誰から、どうやって入手したものなのだろうか。理研関係者の可能性が高そうだが、本人以外の人物がメールの内容を盗み見て外部にもらすことや、それを取り上げて放送することに問題はないのだろうか。しかも、そのメールのやり取りは、STAP細胞の検証に何か有益なものをもたらす内容でもなかった。わざわざ取り上げる必然性はなく、「スキャンダルな演出を意図した」と思われても仕方ない。
 こういうところで番組制作者の程度が知れるのである。まるで低俗週刊誌のような、異常なつきまとい取材といい、あの番組内容といい、よくも公共放送を標榜できるものだ。…ということで、上記のような辛辣な番組批判を視聴者からの意見窓口であるNHKふれあいセンターに電話しておいた。


2014年8月8日(金)
自宅に戻った
 本当はまだいろいろと撮影したいものもあったが、7日夕方に実家を発ち、自宅に戻った。途中、3回くらい短距離の渋滞に遭遇したものの、ほぼ通常通りの時間で約750キロを走破した。お盆休み前というのも関係あるのか、普段の平日よりも通行量が多かった印象だ。ふたつの台風の合間に雨にもあわずに戻れてよかった。
 今回の広島滞在中は、県内や隣県に何度となく足を運び、充実した日々。まあ、半分は私にとっての「夏休み」みたいなもんだな。


2014年8月5日(火)
セグロセキレイ飛来
 数日前、出かけようと玄関を出ると、テラスから白黒の鳥が飛び立ち、すぐ先の菜園に降りた。よく見るとセグロセキレイのようだ。そっと近づいてみたが、今度は逃げようともしない。セグロセキレイって割とよく見る野鳥だが、実家に飛来したことは過去に何度かあったくらいだ。特に近年は記憶にない。

 この日以来、セグロセキレイくんは、ほぼ毎日のように飛来。同個体かどうか確認はできないが、おそらくそうだろう。何かが気に入ったようで、実家の屋根や菜園などにいる姿を何度も目撃する機会が増えている。昨日はガラス戸を開けっ放しにした居間にいたところ、ほんの数メートル先に飛来し、付近をしばらく歩きまわり、餌を探していた。近くから人間が見ていても、さほど警戒もしていないようだった。
 ははぁーん、きっとボクちんに写真を撮ってほしいってことだな! それではご希望通りにというわけで撮ってあげたよ。






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