Nature
山岳記
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ペンキ印 頸城山塊・金山など

撮影年月日:2007年8月12日など

 山における「道案内の表示」というのは、何も道標だけではない。ガレ場のように本来のルートをはずれやすい場所では、間隔を置いていちいち道標を立てるわけにはいかないから、専らペンキ印が用いられる。本サイト「斬る!」で、山の落書きを取り上げたが、あのような落書きとは違って、必要最低限に限られ、しかも道迷いや遭難防止のために大いに役に立っており、これも大変有効な「道案内の一種」といえるだろう。しかもペンキ印は、何年かおきに書き直す必要もあり、ペンキ印を見れば、地元行政か山小屋の善意かはわからないが、登山道を管理している人の存在に気づかされる。

 何年か前、登山ルートにこうしたペンキ印を個人が勝手に書き込む事件が、北アルプスの北鎌尾根で発生した。ここはエキスパート向けの難路だが、そんな岩場に、何を思ったのか、やたら多量のペンキ印が付けられ、しかも間違った印まである始末で、警察も捜査に乗り出して犯人が特定されたそうだ。ところが警察が、なぜダメなのか説明しても、一向に理解してくれなかったそうだ。

 最近、山だけに限らず、この手の常軌を逸した行為をする人が目につくようになったが、実はこういう人たちというのは、結構、中高年の男性が多いのである。北海道の国立公園内登山道で勝手に草を刈った人がいて(おそらく善意で)、捕まえてみると登山道の管理とは何の関係もない年配の一般男性だったようだ。ほかにも国定公園の国有林内で、立派な老木を勝手に切った人がいたという話を聞いたことがあるが、これも年配の男性だったそうだ。

 根拠も希薄なのに、なぜか自分の考えには自信たっぷりという人が多く、これも「自分を客観的に見られない」典型的な例だろう。何をいっても「近所迷惑」ということが理解できないゴミ屋敷の主人と同じで、これは「犬に何か問題があるはずない」と狂信的に思い込んでいる犬連れ登山者にも共通する。思考は完全に停止し、常識も知識も希薄であるにも関わらず、妙な自信だけはご立派すぎるほどに備わっているのだから、いやはや困ったものである。

関連情報→本サイト山岳記「テープ印



一見すると、正規の登山道なのかそうではないのか、迷いそうな場所である。しかし、岩に赤丸がつけられていることで、ここが登山道であることがはっきりする。有効なペンキ印といえるだろう。頸城山塊・金山登山道で。



蓼科山山頂は、写真のように岩がゴロゴロ堆積して比較的広いため、ガスがかかれば方向がわからなくなる。そのため目立つ黄色の矢印は安心感がある。



ある程度、わかりやすい場所でも、ちょっと地名や印が書かれていることで、よりコースを確信できることもある。写真はどちらも北アルプス・焼岳で見かけたもの



山には、うっかり間違って入り込みそうな枝道や獣道もある。そんな時、バツ印ひとつあれば、それを防ぐことができる。こうした入口に木の枝をゲート代わりに置く慣習もあるが、以前ある山で、正規の登山道なのに誰かが勘違いして枝を置き、そのせいで散々迷ったことがある。そういう可能性があることも頭の隅に置いておきたいが、ペンキ印の場合は、その登山道を管理している人が書いたものだから間違いの可能性は低いだろう(左)。岩に書かれた「ガンバ」の文字。必要か不必要か微妙な例かもしれないが、登山者への励ましの言葉であり、1カ所くらいなら許容範囲だろう。登山道管理者の暖かい言葉に、「よしがんばろう」という気にもなってくるのでは? これが、あちこちに頻繁に書かれていたら、ちょっと問題だけどね(右)。どちらもトップ写真と同じく頸城山塊・金山登山道にて




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