Nature

2014年1月12日配信の読売新聞ネット記事を読んで
2014年1月15日
トレイルラン関係者による相変わらずピンボケな意見


 トレイルランに関する読売新聞のネット記事を読んだ。この中で、トレイルラン大会「長谷川恒男CUP」の宮地由文実行委員長によるトレイルランが大して問題ないことにしたくてしたくてたまらないホンネ全開の、相変わらずのピンボケ反論が掲載されていた。それを読んだ感想を書いてみたい。


「トレイルランナーも登山者。健康志向で山に登っている中高年の人たちだけが登山者ではない。高齢化が進む登山界の活性化にも貢献しているはず」

 …それは確かにそうかもしれない。


「大会後に出場選手の一部も加わって、大会中に傷んだ登山道やその周辺の修復を行うなど自然保護への意識は総じて高い」


 …う〜ん。なんじゃそれ。これってざっと読むと、大会が終わったあとにトレイルラン関係者が傷んだ山の自然を大会前の状態に戻しているかのように読めるが、果たしてそういえるのかね。
 記事によると「長谷川恒男CUP」とは、あきる野市内の中学校をスタートして71.5kmを24時間以内に走るのだそうだが、71.5kmの中で、おそらく大半を占めるであろう登山道のうち、傷んだ登山道というのがどの程度の割合かは知らないが、仮に部分的だとしても、傷んだ箇所を見つけ次第、修復(それも果たして適切なものなのだろうか)しながら全コースを歩くというだけでも相当な時間を要すると思うが、そこまでしているとは到底思えない。そもそも「登山道の修復」とか、「その周辺の修復」って、具体的にどんなことを、どの程度の時間をかけてやっているのかぜひ聞いてみたいところだ。


 また、この意見でひっかかるのは「出場選手の一部も加わって」という部分だ。「一部」って全出場選手の何パーセントなんだろうかねぇ?? たとえ2、3人しか参加しなくても一部は一部だ。登山口から徒歩30分間の登山道だけを見直して、そこだけちょろっと修復しただけでも「大会中に傷んだ登山道の修復を行った」といっても間違いではない。また「大会後」とは、「直後」なのか「後日」なのかは知らないが、「直後」だとしたら、出場選手は24時間も走ったあとだけに疲れちゃって、ほとんどの人はすぐに帰っちゃうのでは? 
 「出場選手のほとんども参加して」というのなら、確かに「総じて自然保護意識は高い」といえるかもしれないが、「一部」というのなら、「出場選手の自然保護意識がそれほど高くない」ことを逆に証明しちゃってることにならないのかね?


 それに肝心なのは、いくら登山道の修復をしたからといって、それが自然保護に直結しているわけではない。無関係とまではいわないが、それは本筋ではないはずだ。「登山道の修復」みたいな枝葉的なことだけを挙げて、それでもって「自然保護をしている」と自信満々に語っているところから想像するに、この関係者は自然保護をイメージでしか考えていないとしか思えないね。たぶん、この人はいろいろなことを正確に理解していない。そんなことはないというのなら、登山道の修復と自然保護がどうつながるのか、植生への悪影響よりも登山道の修復を優先的に取り上げた理由とともにぜひ説明してほしいものだ。さらにいえば、「など」という言葉で、さらりと逃げちゃってるが、「など」の詳細な中身についてもぜひとも知りたいものである。


 トレイルランで最も懸念されるのは植物の踏みつけだと思うが、少なくともこの記事には植生への悪影響について、この関係者による対策案みたいなコメントは掲載されていない。実際にはコメントしているのに新聞記者が拾わなかったのかもしれないが、踏み荒らしというのは対策が難しい。せいぜい出場選手に「登山道沿いの植物を踏みつけないように」と注意喚起するくらいだろう。だが、タイムを気にしながら走っている参加者が、いちいち道端の植物を気にしながら走っているとも思えないし、大会後に登山道の修復はできても、傷んだ植生を元に戻すのが無理なのはいうまでもない。


 世間一般の人は、トレイルラン実行委員長みたいな肩書きがつけば、なんとなくそれなりに立派な立場みたいに見えちゃうと思うが、実は生態系などの科学知識なんかまったくありゃしないし、物事を論理的に考えたりする習慣もないに等しいのが実態。それはトレイルラン関係者に限らず、はっきりいっちゃえばアウトドア関係者ってほとんどそうなのだが、要するに彼らはなんとしてもトレイルランを続けたいということしか考えていないってこと。だから自分たちに都合のいい情報を都合よく解釈し、かといって「自然が荒廃しようが知ったことじゃない」といっちゃうとまわりに理解してもらえないので、自然保護とは直接関係ない「登山道の修復もしている」という言い訳を持ち出しているに過ぎない。これって私が徹底的に批判している犬連れ登山にも共通することだ。
 

 ちなみに記事には環境省の国立公園課長による次のようなコメントも掲載されている。

「トレラン大会による自然への影響は、高山と低山、植生の脆弱(ぜいじゃく)性、歩道の幅や土壌の硬度など様々な条件により異なる。コース設定、参加者数や混雑度、運営者から参加者に対する自然への配慮要請の内容なども影響する」


 まあ、環境省なんだから当然といえば当然の、何ら違和感がないごく常識的なコメントである。実際に環境省がどういう対策ができるかは別の問題だが、このコメントは正しいといえるだろう。こういう視点からトレイルランの問題点を検証し、自ら軌道修正できるようであれば、トレイルランを全否定しないが、現状のトレイルラン関係者のレベルから見れば、まったくもって信用するに値しない。今回の関係者のコメントも、前回取り上げたコメント(「登山靴よりも柔らかい靴なので、走るというだけで自然を傷めるとはいえない」は爆笑モノ)と比べれば、多少はマシというくらいの話であって、相変わらずピンボケ反論としかいえない代物である。





環境への影響について考える
2009年9月17日付 朝日新聞東京本社版記事
トレイルラン関係者の的外れな意見

 トレイルラン(トレイルランニング)というのは、登山道を走ってタイムを競うスポーツで、近年人気が高まっているという。しかし登山道を走るため、ほかの登山者に対して危険が及んだり、生態系への悪影響が懸念されることから否定的な意見も根強くあり、トレイルランの大会が中止に追い込まれた例もあるようだ。2009年9月17日付の朝日新聞東京本社版に、こうしたトレイルラン論争に関する記事が出ていた。その中にトレイルラン関係者の意見が載っていたのだが、相変わらずアウトドア系の人らしいピンボケ意見で、思わず笑ってしまった。その意見とは次のようなものである。

 「登山は重い荷物を背負って硬い靴で歩くが、トレイルランは軽装で軟らかい靴を使う。走るというだけで、自然を傷めるとは言えない」

  さて、みなさんはこの意見を読んでどう思われただろうか。読めば何となく一理あるようにも思えてくるが、実はイメージに基づくだけの、かなり的外れな意見といわざるを得ない。アウトドア系の人というのは、あたかも生態系や自然についてわかっているような素振りをしたがるものだが、実はあまりわかっておらず、かなりボヤ〜ッとした認識しか持ち合わせていないことが多い。この人の意見も要は自分たちに都合のいい部分だけを持ち出しているに過ぎず、物事を厳密に分析する姿勢と論理性に欠けている。この意見のどこがおかしいのか、説明しておこう。
 山岳団体などは、安全面のほかに貴重な高山植物などに対する踏み荒らしを懸念して反対していると思われる。確かに登山者の場合でも踏み荒らしは懸念される。しかしトレイルランの場合は軽装で軟らかい靴を使うから踏み荒らしの懸念がなくなるわけではない。
 よく考えてみよう。おそらく植物は、種類によっても違うだろうが、平均的な成人体重の何分の一程度でも踏まれればダメージを受けるはずである。荷物が重い登山者に限らず、軽装のトレイルランナーでも一度でも踏んでしまえば、植物がダメージを受ける踏み圧の限界値を簡単に越えてしまうということだ。つまり軽装で軟らかい靴だから植物がダメージを受けないわけではないのである。そもそも「軟らかい靴」といっても、靴底に厚さ10センチのスポンジが貼り付けてあるというのなら確かに植物に対するダメージは低下するだろうが、そうではないだろう。靴底の堅さなんて登山靴と大差ないはずだ。靴が軟らかいというのは、底以外の部分が軟らかいに過ぎないのではないか。むしろ「歩いて踏みつける」よりも「走って踏みつける」方が、植物には体重以外の加重もかかることになりダメージは大きいと考えられる。これは30キロで走る車よりも60キロで走る車の方が衝突したときのダメージが大きいことを考えれば容易に理解できるだろう。
 トレイルランの大会では、たとえ軽装であっても一時期に大勢が同じコースを走るわけで、生態系への影響、特に踏み荒らしという観点から判断すると、登山者よりもむしろ大きいと見るべきである。





こんなことして恥ずかしくないの?
2008年10月8日
有名大学「山の会」による落書き

 本項では、以前、スプレーで山の岩や立ち木に落書きする悪質な例を取り上げたが、落書きするのは、あのような問題人物ばかりではないようだ。昨年、私は、有名大学の「山の会」が公共施設のトイレに書いた落書きを見かけた。場所は長野県松本市・乗鞍高原の観光センター前駐車場にあるトイレ。乗鞍高原や乗鞍岳の観光や登山の拠点にもなっている駐車場なので、トイレの利用者は極めて多い。その中に下の写真のような落書きが油性マーカーでデカデカと書かれていた。本当にこの「山の会」関係者が書いたのかどうかまではわからないが、状況からすると、やはりその可能性が高いといわざるを得ないだろう。堂々と自分たちの大学名や会の名前まで書いているところからして、悪いことをしている意識はなく、ごく気軽な気持ちで書いたのかもしれない。
 ところで随分前のことだが、ヤマケイで、山小屋(やはりトイレだったように思う)に書かれた落書きの写真が掲載されたことがあった。大学山岳部の名前入りだったために、それを見たOBが問題視し、落書きした部員を引き連れて、わざわざ落書きを消しに行き、山小屋に謝罪したそうだ。これは当然の対応といえるだろう。ここに書かれている早稲田大学、明治大学、中央大学の「山の会」OBのみなさん。後輩たちが、こんなことしてますけど、どうしますか。
 そういえば、昨年、イタリアの文化財に落書きした日本の大学生のことが、取り上げられ批判されていた。大学生くらいじゃ、まだまだガキんちょだってことは、自分のことを思い返してもそう思うけど、昨今の大学生は、相対的にレベルが低下しているのは間違いないだろう。麻薬所持で逮捕される有名大学の学生もいるくらいだからねぇ。まあ、それに比べれば落書きなんてかわいいもんだが、でも、こんな落書きして何が楽しいの? 自分たちの会の名前をこんな形で露出させて、満足したってわけ? 一応いっとくけど、このトイレを利用した人のほとんどは、この落書きを見て誰も「へぇ〜早稲田、明治、中央大学の山の会のみなさんは、軽井沢族なんだ〜。いい身分だねぇ」なんて感心する人はひとりもいないってこと。「こんなところに落書きして、有名大学ったってレベル低いなぁ。早稲田、明治、中央大学ってそんなもんかよ」って思って終わりだよ。しかも、恥ずかしい思いをするのは、山の会OBだけじゃない。大学OBも恥ずかしい思いをするんですよ。わかってますか?



男性トイレの小便器前、そのど真ん中に堂々と書かれた落書き


その落書きアップ。「W間(?)は軽井沢族(早大&明大&中大 山の会)」とある。それがどうした。おまえらが軽井沢族だろうが何だろうが知ったこっちゃない。こいつら本当に偏差値高いのかね。どう考えても疑わしいぞ




マナーゼロの山菜採り
2008年6月16日
ゴミを放置していく人間に山の恵みを得る資格なし

 取材で訪れた青森県某所の林道で見かけた光景である。そこは山麓から車で約40分も未舗装の悪路を走らなければ行けない場所なのだが、ちょうど峠に位置するあたりに大量のゴミが散在していた。ゴミの内容は雨合羽、ゴム長靴、調味料の容器など、ほとんど山菜採りを思わせるものばかりで、別の一角にはタケノコの皮が大量に放置されていた。場所からしてもゴミの内容からしても、山菜採りに来た人の仕業なのは間違いなさそうだ。
 不要になったものをそのまま捨てて行く神経に絶句したくなるが、そもそも山菜採りが好きな若者なんてあまり聞かないから、ゴミを捨てていったのは、いい年をした大人なのだろう。東北地方の片田舎の、しかも山の奥で見かけた光景だが、こんなところにも日本人のモラル崩壊の一端が垣間見えてくる。彼らに山の恵みを得る資格がないのはいうまでもないが、許せないのは、こういうクズに限って事故もなく無事に下山してくることだ。私が山の神なら少しぐらい痛い目に遭わせるんだけどなぁ(笑)。そのうち何らかの形で自分の身に返ってくるだろうけどね。



このゴミの量。こんなに捨ててよく平気だよな。いつか森林管理署の人が気づいて片付けるかもしれないけど、自分たちのゴミを他人に処理させることに何も感じないのかね。悪いけど、何らかの脳の病気じゃないかってオレなんかは思いたくなるよ。だって普通の人なら、こんなことできないもん。一度、脳神経外科か、精神科の病院に行って診察してもらえば?


植物だから、そのうち腐っていい肥やしになるってか。美しい自然を楽しみに登山のために来る人にとっては、こんなもの見るのは不快でしかない。それにビニールやプラスチックは腐らないんですけど。




草を刈ったのは撮影のためか
2006年8月5日
湿原遊歩道わきの草が刈り取られていた

 霧ヶ峰の八島ヶ原湿原を訪れたところ、遊歩道わきの草が80センチ四方程度に刈り取られていた。広くはないが国定公園内でこんな行為が許されるはずもない。おそらく撮影のためではないかと思われるが、刈り取らなくても撮影にそれほど支障はないだろう。いったいどういう理由でそこまで手間をかけて草を刈り取ったのか。まったく腹立たしい。撮影のためだとすれば、こんなことをしなければまともな写真が撮れない、そのカメラマンの技術がいかに低いかという証拠でしかないし、こんなカメラマンに自然の写真を撮る資格なしだ。


八島ヶ原湿原一番の景観ポイント、八島ヶ池前であることを考えると、やはり撮影のためと考えざるを得ない。右はそのアップ。



ペンキやスプレーを持参してまで落書きをしたいか 写真4点追加!
山の落書き

 2005年9月初旬、鉾立から鳥海山の御浜まで登ったときのこと。鳥海湖を望む岩に奇妙な模様の落書きを見つけた(写真1)。スプレーではなく白いペンキで書かれているところを見ると、わざわざペンキ缶とハケを持参して書いたらしい。それぞれに模様がある3つの円の中心を三角形で結んだ模様。いったい何を意味していて、誰が何のためにわざわざペンキまで持参して書いたのだろうか。落書きとしては、比較的おとなしい方だが、山の岩に落書きなんかするなよ、といいたい。



写真1 鳥海山で見かけた落書き。奥は鳥海湖


 山の落書きについては、拙著「信州・高原トレッキング」のコラムでも、私が過去に山で見かけたいくつかの落書きを取り上げたが、こうした行為をより多くの人に知っていただくため、そのコラムで掲載した写真をこのページでも紹介しておきたい。こんな落書きをして何も感じない、ちょっと頭のおかしい人が世の中には現実にいるのだ。
 まず写真2と3。山の岩に黄色いスプレーで同じ女性の名前が落書きされていた。本人が登山記念のつもりか、もしくは誰かが本人へのいやがらせのために、わざわざスプレーを持参して書いたものと思われる。ネットでこの女性の名前を検索すると、ほかの山でも同様の落書きがあることが判明。この落書き犯はほかの山でも同じことを繰り返していたと思われる。自分が山の景観をぶち壊していることに頭をかすめもしない鈍感ぶり。まぁ、どんな人物か知りようもないし知りたいとも思わないが、おおよそ見当がつくよ。

 

写真2 1997年7月24日、長野県茅野市の八子ヶ峰で見かけたスプレーで書かれた落書き


写真3 上の落書きと同じ人物によるものと思われる落書き2001年10月15日、北アルプス・焼岳にて


 実はこうした落書きは他の地方でも報告されている。私の地元、広島でも数年前に中国地方各地の山における落書きが問題となり、地元の新聞やテレビでも取り上げられたことがあった。ネットで調べると山岳会関係者の間では犯人の目星もついているようで、山岳会を除名処分になった男性が、腹いせにやっているらしいということもわかった。私自身、山口県の山で、この男性が書いたと思われる落書きを実見している(写真4)。
 また登山記念に自分の名前や日付を木の幹に彫り込む行為は、昔はよく行われていたようだが、現在でも未だに同じようなものを目にする(写真5)。自分にとっては記念のつもりでも、あとから来る人にとっては不快にしか写らない。写真5の落書きを見ても、誰も「ほぉ〜、KFっていう人が平成14年の8月21〜30日の旅行で、このブナ林を訪れたのか〜」と感心したりしない。むしろ、せっかくきれいなブナ林に落書きなんかしやがって、こいつどうしようもないアホだな、と軽蔑されて終わりだ。どの落書きの作者も、多くの人に軽蔑される行為を意味もなくせっせと続けている、まったく救いようもないバカな連中だ。
 最近、日本人のマナーが地に落ちたというのはよくいわれる。美しい竹林で知られる鎌倉の古寺でも、竹に落書きが刻まれることが近年増えてきたという。それだけではない。外国の文化財にも日本語の落書きが多いそうだ。そんな状況だから山に落書きが増えてきても何ら不思議ではない。




写真4(左) 山口県・鬼ヶ城山の登山道の立木にスプレーで書かれた落書き。これを書いた人は、品性なんて言葉とは無縁な人なんだろうな、きっと。写真5(右) 秋田県田沢湖町のブナ林で見かけたナイフのようなもので刻まれた落書き




先生もお金を入れず利用していた
遠足におけるチップ制トイレ利用のあり方

 先日、福島県の雄国沼を取材した時に感じたことを書こう。沼の畔にある雄国沼休憩舎の中にはチップ制トイレがある。チップ制トイレというのは、雄国沼のように維持管理が大変な山岳地などに設置されているトイレで、利用者から維持管理のための協力金を募るシステムになっている。当然、管理する人が常駐しているわけではないから入口に募金箱が置かれているだけだが、トイレを利用する人は1度につき、だいたい100円程度のお金を協力するわけだ。
 この休憩舎で休んでいると、小学生たちが遠足でやってきた。当然、子供たちも先生も休憩舎のトイレを利用していたのだが、子供たちはもちろん先生たちですらお金を募金箱に入れている人はいなかった。最初から最後までじっくり見てはいないので、中にはお金を入れた先生もいたかもしれないが、私が見た先生は入れていなかった。確かに小学生にまで協力金を払わせるのはどうかとも思うが、しかし「なぜ、ここのトイレはチップ制になっていてお金を払うように協力が求められているか」という説明をし、当然先生はお金を払って模範を見せ、みんなも大きくなったら協力しようと教えるのが、教育ではないのだろうか。確かにあくまでも「協力金」であるから払おうと払うまいと自由なのだが、(おそらく地元の)学校がそんなことでいいのだろうか。私は目の前で見ていて疑問に感じた。
 だが、これはこの学校だけの問題ではない。尾瀬を取材していても中学校や高校の団体がよくやってくる(こうした遠足や集団登山の問題は、また別の機会に書こうと思う)。尾瀬のトイレもチップ制になっているが、こうした学校の団体はトイレ利用する際はどのようにしろと生徒たちに指導しているのか、先生方に聞いてみたい。まさかチップ制トイレというのは、あくまで協力金だから払わなくてもいい、なんていっていないよな。だが、雄国沼にやってきた先生たちを見る限り、そんな常識もあまり通じないのかなと思ってしまう。
 そもそも雄国沼にしろ尾瀬にしろ、そういう場所にやってくる前に、雄国沼や尾瀬とはどういう場所で実際に行ってみたらどういうところをよく見てほしいとか、きちんとしたレクチャーなどが事前に行われているのだろうか。そんなこともしないで、ただ生徒たちを連れて歩くだけでは、観光ツアーと何ら変わりない。生徒たちが少しは自然の素晴らしさなりを感じてくれれば、それでもまだましだが。

雄国沼休憩舎内にあるチップ制トイレ入口におかれ募金箱



真意がはっきりしない
2005年6月21日
西丹沢の林道に立てられていた通行禁止看板

 今日、西丹沢の登山道を2時間ほど歩いてきたのだが、その途中気になる看板があったので報告したい。西丹沢自然教室から県道と林道を北上すると用木沢出合に着くが、その手前に下のような通行禁止看板が立てられていた。用木沢出合からは犬越路へ向けての登山道も続いており、マイナーなコース途上というわけでもない。
 林道から登山道が分かれる用木沢出合に近いことから、休日には出合の駐車スペースに車を置けなかった登山者が、この付近にも車を停めるので、駐車を遠慮してもらうために、このような看板を立てたものとも想像したが、看板の文言は「駐車禁止」ではなく「通行禁止」なのである。この通行禁止とは、車も人もダメという意味なのか。それとも車はダメだけど人はいい、という意味なのか、まるでわからない。地権者に見つかれば何かいわれるかもしれないと思いつつも私は通ったが、こういう看板は真意が計りかねるだけにちょっと困る。
 地権者と地元行政の間に何らかの問題が生じて、地権者がこのような措置に出ることは、過去にも同様の事例があるが、西丹沢自然教室と山北町役場にも聞いたが、どちらもこの看板のことは把握しておらず、従って行政や登山者との間にはトラブルなどはなかったものと思える。
 しかし西丹沢自然教室前に車を置き、30分ほど歩いたところで、こんな看板があったのでは、誰でも「えっ、ここまで歩いたのに通行禁止なの」と思うだろうし、曖昧な文言に「通っていいものかどうか」悩むだろう。そもそも本当に登山者の通行も遠慮してほしいのであれば、西丹沢自然教室にもその旨を説明し、登山者にも知らせてほしいと伝えるのがスジだろうし、看板も「私有地につき、車も人も通行禁止します」などと真意がはっきり伝わるようにするべきである。
 役場によると、この付近は民有地になっており、地権者がどんな看板を立てようと、それに対して行政が何かいうことはできないという。確かにそれはそうだろうが、そんなことも知らずに来る登山者の立場はどうなる。地権者に強制はできないが、そういう登山者の声もあり、真意をはっきりさせるように伝えることはできるというので、それでとりあえずは納得した。
 このような看板を立てることになった経緯は知らないが、西丹沢の登山コースを利用する上で通らざるを得ないので、できることなら「登山者まで通行禁止」ということにはしてほしくないものだ。


「私有地 通行禁止です」と書かれた看板


上の看板の手前には「私道通行止」と書かれた看板も




常識を疑う絶滅危惧種の標本コレクター
某県における標本マニアの実態

 私の知人に絶滅危惧種調査に関わる人がいるのだが、その人から聞いた話。絶滅危惧種調査というのは、国全体だけでなく、各都道府県単位でも行われていて、これは某県における調査でのことだ。関係者が集まって、ある絶滅危惧植物の自生地を調査したという。当然、そこには植物の研究者も多く参加していたのだが、こういう人たちの中には、標本マニアまがいの研究者もいて、調査が終わったあと、こっそりその自生地を再び仲間とともに訪ねて絶滅危惧種を標本として採取していたというのだ。しかも、その絶滅危惧種を研究する上で標本が不可欠というのなら、まだわかるが、彼らの目的は自分の標本を充実させるためでしかないのである。つまり要はコレクションなのだ。さらにいえば自分のコレクションのために自生地情報を知りたくて調査に参加していたのではないかという疑いも出てくる。植物の研究者でありながら、研究者の風上にもおけない連中が現実に存在するのである。
 世の中には、絶滅危惧種が絶滅してしまわないように地道な努力を続けている人もいる。だが、一方でこのような連中もいることも知って頂きたい。これでは植物研究者という仮面を付けた盗掘者である。
 こういう実話は、専門分野の影の話であるから、余計に表に出てこない。しかし、おそらくこの県に限ったことではなく、他県でも多かれ少なかれ似たような話があるものと私は想像する。彼らの心の内では「絶滅危惧種といったって、全国には何千株もある。私の標本を充実させるためには、そのうちの1株くらい採ったって、大きな影響はない」というような言い訳があるのだろう。だが、それなら、登山者がほんの出来心で高山植物を一株二株持ち帰る「お土産盗掘」を批判できるのか。彼らも同じような言い訳のもと、そういう行為に及んでいたはず。これでは「お土産盗掘」をする連中とレベルがまったく同じではないか。植物の研究者として恥ずかしくないのか。
 研究者からして、こういうレベルだから、一般の人々にそれ以上のモラルを求めても無駄である。この話を教えてくれた知人は「信じられない」と嘆いていたが、私もまったく同感である。




最近のモラルの低い登山者を斬る!
某県某山における登山者の実態

 この話は私が直接遭遇したことではない。取材の過程で現地管理者の方から聞いた話である。某県某山の、ある登山口。ここは厳密には民有地で、管理人が常駐しているようなちゃんとしたキャンプ場になっているのだが、数年前に私が初めて取材したときは、民有地ながらも登山者の便もはかってくれていた。ところが、先日最近の状況を確認しようと電話すると、近年あまりに登山者のマナーが悪く、ついにはキャンプ場は利用者以外の立入を禁止し、登山道自体も地元行政の判断で通行禁止にせざるを得ない状況になってしまったという。キャンプ場の方も「できればこういうことはしたくなかった」と私に話してくれた。
 ここの登山口には登山者専用の駐車場はない。従って、キャンプ場にお願いして車を置かせてもらうしかなかった。私が初めて取材したときも、あらかじめ電話を入れ許可をもらって車を停めさせてもらった。本来、営利目的のキャンプ場側にしてみれば無関係の登山者にまで配慮しなければならない理由はまったくないのだが、ここは好意でそれをしてくれていたのだ。だから登山者すべてが、私と同じようにマナーよくしていれば、何の問題にもならなかったはずだ。
 その醜態とはこうである。キャンプ場に無断で車を停める。ゲート前に車を勝手に停めるので、作業車がゲートを開けて通行しようとすると車が邪魔になって通れない。キャンプ場の施設を勝手に利用する。ゴミをキャンプ場内に放置して行く。さらにはキャンプ場内の植物を盗掘する。最後の例は、ある植物も100株も採っていたところを見つけたので、現行犯逮捕されたそうだが、それにしても登山者のマナーも地に落ちたと思うのは私だけではあるまい。
 さらに地元支所にも登山者に関する苦情が寄せられていた。地元のタクシーが、近くにある別の登山口に何時に下山するので配車してほしいという依頼を受けた。その時間になっても下山して来ず、その後3時間も待たされた挙げ句、別の登山口に下山したのが判明したという。道に迷ったのか、わかっていて別の登山口に降りたのか知りようもないが、どちらにしてもレベルを疑う。道を間違えるほど、ふたつの登山口は近くもない。

 ひと昔前は、登山といえば知的レベルの高い趣味であった。だからそれを趣味にしている人も、それ相応の常識人ばかりだった。昔は「登山をする人に悪い人はいない」という言葉まであった。だが、昨今は登山も悪い意味で大衆化してしまった感がある。レベルが落ちた、というのが私の正直な感想である。ここで紹介した数々の醜態は、登山者云々の問題ではない。それ以前の問題であろう。
 マナーよく利用していれば、今後もみんなが気持ちよく、この登山口と登山道を利用できたのに、レベルの低いバカ登山者のせいで、それができなくなってしまった。こういう連中に「登山者」という言葉を使うのも抵抗がある。登山者なんかじゃない。ただのバカだ。バカは山に来るな。遊園地にでも行って満足してろ。

 つい最近、ニュースになった縄文杉の事件。これほどの生命の神秘ともいえる日本の宝にキズをつけることに何も感じない恐ろしいほどの鈍感さ。最近は頭がおかしいとしか思えない連中が本当に増殖しているという気がするが、こういう連中に限って自分は普通だと思ってるんだから余計に始末が悪い。しかしパソコンに例えれば、人間として必要最低限の「プログラム」が欠如しているわけで、私に言わせれば精神を病んでいる病人にしか思えない。




カメラマンにもおバカな人はいる
2003年6月26日
長野県・美ヶ原高原で遭遇したカメラマン

 美ヶ原の武石峰側には、レンゲツツジの大群生地として知られているが、その取材の時のことである。時々、車を停めながら県道沿いのレンゲツツジ群生を撮影していた。ある場所で県道に立って撮影していたところ、100メートル以上も離れた所から中年の男性がトコトコ歩いてきた。初めは私が目的とはまるで思わなかったのだが、どうやら私が目的だったようだ。つまり向こうでカメラをセットして、晴れるのを待っていたら、その撮ろうとしていた構図の中に、私が車を停めてしまったようなのだ。それで「カメラを向けている我々に配慮くらいしろ。しかも停めた車のガラスが太陽光を反射してまぶしい」とわざわざ文句を言いに来たのであった。これだけ聞くとカメラを向けている人への配慮が足りないように見える私の方に問題がある、と考える人がいるかもしれないが、私はそうは思わない。
 これは逆の立場で私も経験があることだが、人気撮影ポイントで撮影していると、人がカメラを向けている目の前わずか1〜数メートルのところでカメラをセッティングし始める人がたまにいる。自分が邪魔になることにまるで想像力が働かないようなのだ。それは写真家の中にも同じような体験をして腹が立った、ということを書いている人もいるから、どうやら私だけではないようだ。
 私の体験では、北アルプスの涸沢で、カールに向かって何人もの人が一列になってカメラを向けていたところ、青年がそのわずか2メートルほど前に立って堂々と三脚を広げ始めた。即座に注意したのはいうまでもないが、そういうことは現実に体験する。
 この例のように数メートルとか、せいぜい数十メートル先であれば、邪魔になるかもしれないとか、カメラの構図の中に入っているかもしれない、という想像が働く方がむしろ普通である。それはカメラがどちらを向いているか近い距離から確認できるからで、私の場合、微妙なときは、邪魔になりませんか、と声をかけることもある。そんな状況なら配慮をするのが常識である。だが、100メートル以上も離れていれば、人物が立っているのはわかるが、カメラがどちらを向いているかもわからない。しかも、そこが誰しもカメラを向ける有名な撮影ポイントならまだしも、あくまで県道沿いである。さらにいえばレンズによって画角はまるで違う。逆に聞きたいが、遠くからカメラにつけられたレンズを見ただけで、どこからどこまで構図に入っているかわかるのだろうか。このオッサンはどうやらそれがわかる特殊な能力をお持ちのようで、自分にはそれが判断つくから、その判断をしようとしない人を見ると「けしからん」と感じるのかもしれないが(笑)、普通の人にそれを要求するのは無理というもの。望遠レンズかもしれないし、広角レンズかもしれない。もし対角魚眼レンズをつけていたら、その周辺にいるかなり多くの人が、それに配慮しなければならないことになる。また無粋な県道の白いガードレールを堂々と入れるような、センスを疑う構図にしているなんて想像できないっスよ。
 だが、それだけではない。このオッサンは、さらに特殊な能力をお持ちのようなのだ。「車のガラスが反射してまぶしい」のだそうだから自分の車のガラスが、どこの方向から見たとき反射しているかまでも判断できるようなのである。人のことを怒れるのだから、自分は絶対に判断できるに決まっている。まともな神経の持ち主であれば自分はできないのに人のことを怒れるはずがない。それにしても、そんな難しいことがわかるとは、すごい能力だわ。感心する。
 私にはこのオッサンのような能力はない。確かにガラスの反射はまぶしいのでイライラするが、故意に反射させているわけではないし、自分の車のガラスがどこに向かって反射しているのかは普通の人は想像もつかない。

 風貌だけはいっちょ前だったが、あまり深く物事を考える習慣がないらしい。表面的な物の見方しかできない人は世の中にゴマンといるから、別に珍しくはないが、それにしても表面的な見方しかできない人だ。自分が腹が立ったら、違う側面についても頭を巡らせることもせず、最初に頭に浮かんだ思いだけで突っ走ってしまうタイプと想像した。私も撮影していて、構図の中に人が入ってきたり、車が入ってくることはごく普通にある。だが、私の方が先にカメラを向けていたのだから、あとから来る方が配慮をするのが当然と怒ったりはしない。私の場合は辛抱強く移動してくれるのを待つか、その場所での撮影をあきらめる。どうしても撮影したい場合は、事情を説明して撮影させてほしいと、移動をお願いすることもごく稀にある。この場合でも、あくまで「お願い」である。もちろん、先に説明した数メートル先に堂々と立つ人の例のように状況によっては、呆れることもあるけど。
 このような、おバカなカメラマンは、ほかでも遭遇したことがある。そのうち、このページで詳しく書きたいと思う。




常識をはるかに逸脱した無神経な登山者
1994年10月8日
北アルプス・五竜山荘で遭遇したおバカちゃん


 秋の後立山連峰を1泊2日で楽しんだときのこと。八方尾根から唐松岳へ登り、五竜山荘で一泊した。その夜のことである。消灯後だというのにロビーで野球中継を聞きながら騒いでいる中高年グループがいた。実はその連中は、少し前に「どこそこの山で出会った登山者が無神経で…」となかまとしゃべっていたのを私は覚えていた。それが、舌の根も乾かないうちに、このざまだ。てめぇらこそ無神経だ! といってやりたいくらいだった。実はこの日は日本シリーズ最終戦で、巨人と西武(だったかな?)のどちらが日本一か決定する日だった。だから、その中継を夜遅くまでラジオで聞いて、巨人がヒットでも打とうものなら、「やった〜」などと大きな声で騒ぎまくっていた。しかも、さらに信じられないことだが、そのうちのひとりが、部屋に戻ってきて寝床の中でラジオを聞き始めたのである。いっておくがイヤホンでじゃない、まったく絶句したくなるが、スピーカーで音を垂れ流して聞いていたのである。野球中継楽しみたけりゃ、山なんか来んな。このオタンコナス!
 もちろん、あきれるのは、まわりの宿泊者の迷惑について頭をかすめもしない当人たちだが、そんな連中に対して何ら注意もしない小屋の無対応ぶりにも同じくらいあきれた。まさか常連客で、小屋の従業員と一緒に騒いでいたんじゃないだろうな。今となっては知りようもないが、もしかするとその可能性もなくはない。ひと事いってやろうかとも思ったが、まわりの宿泊者はみんなおとなしく寝ていて私が注意すればかえって、せっかく寝ている人を起こすことになるのでやめたが、それにしてもこういう信じられないおバカちゃんが実在するのである。
 山では熟睡できるかどうか、というのは重要だ。ましてや秋の北アルプスである。私はこの連中のせいで寝鼻をくじかれ、ぐっすり寝れず翌日は体調もすぐれないまま遠見尾根をくだったが、それにしてもこの鈍感ぶりはなんなんだろうね。
 みなさんは山小屋で野球中継を聴けて、本当によかったねぇ。きっといい思い出になったでしょうね。うらやましいですよ。私にはそんなおバカな行為は、「やらないと殺す」といわれてもできないですわ。
 無神経もここまでくれば天然記念物級。この連中は、きっと同じようなことを各地の山小屋で繰り返しているんだろうけど、誰か頼むから目を覚ませてやってくれ。一度、谷底に突き落としたら、ひょっとすると脳みそが正常に戻るかもね。

 だが、このようなことはさすがに稀だ。私の経験でもここまでひどい例はほかに経験したことがない。幕営地で夜遅くまでドンチャン騒ぎする連中に迷惑したという話は、たまに聞く。昔だったらそんなことをやらかすのは学生だったりしたのだが、最近は中高年がその主役というのはどういうことなんだろうね。中高年登山者数が増えたために、相対的にこういうレベルの低い連中も含まれるようになってしまった、ということなんだろうけど世も末だ。
 
 ところで山小屋で閉口することが多いのは、むしろイビキである。宿泊者には中高年が多いから、随分すごい人がいるのである。まるで動物でも入り込んだんじゃないかと思うほどのすさまじいイビキということもある。こういう人と同室になってしまったら、もはや天災に遭ってしまったとあきらめるよりほかに手はない。
 確かにある程度のイビキは仕方ない。だが、私は思う。イビキをかく人は大抵は自分がイビキをかくことを認識しているはずだ。だとすれば、せめてまわりの人が寝入ってから眠りに就くくらいの配慮があってもいい。だが、現実にはイビキをかく人に限って部屋で一番先に寝るのである。まわりの人に迷惑をかけるのを知っていて、よくもまぁ、のんきに熟睡できるもんだわ。こういう人たちも珍しい山の天然記念物に決定!でも本物の天然記念物と違って、一刻も早く絶滅してほしい天然記念物であることはいうまでもない。






















                     







斬る!

ここでは日本の自然環境によからぬ行為を繰り返す不逞の輩のほか、私が山で遭遇したモラルの低い登山者など、あらゆる実話を公表します。