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信仰の山1 御嶽山など

撮影年月日:1990年8月12日など

 ウェストンによって近代アルピニズムがもたらされる以前、日本の高い山は、登る山ではなくて信仰の対象だった。山麓から望まれる白い峰々に崇高さを見い出し、そこに神がおられると考えるのは、ごく自然なことといえるかもしれない。確かに高い頂を天に向けてそびえる山には、人間界を超越した場所にも思えてくる。だから北海道を除けば、大抵の高い山は信仰の対象になっているわけだ。中でも信仰色が強いのは、月山や御嶽山あたりだろうか。これらの山では、今でも白装束に身を包んで信仰登山をする人を見かける。また木曽御嶽山は、中腹にもおびただしい石碑があちこちに並び、登山道沿いにも古い石像や石碑が多く、どことなく、ほかの山域とは違う空気を感じさせる。

 20年近く前のこと。夏に御嶽山に登ったことがある。剣ヶ峰の御嶽神社前に着くと、ちょうど神事が行われているところだった。中心に座る人物は、長々と祝詞を唱えていたが、やがてトランス状態に陥り、倒れ込んで左右の人に支えられていた。不思議な光景を目撃して、さすが信仰の山だと妙に納得したことがある。

 ところで一般庶民が、北アルプスのような高い山に登るようになったのは明治以降と思っている人が圧倒的に多いだろうが、これは正しくない。同じく信仰の山として知られる立山は、開山されたのが平安時代と古く、江戸時代に入ると全国的に立山信仰が布教されて一般庶民の立山登拝がさかんになった。山麓の芦峅寺(あしくらじ)から弥陀ヶ原を経由する登山道だけでなく、山麓や室堂にも宿坊が作られ、宿坊には「仲語(ちゅうご)」と呼ばれる案内人もいて、受け入れ体制がしっかり整っていたようだ。しかも山麓では登山案内絵図まで販売されており、最初は黒刷りだったが、江戸後期には多色刷りになっていたというからスゴイ。江戸時代の最盛期には、ひと夏で6000人もの人々が、雄山に登拝していたそうだ。

関連情報→本サイト山岳記「山の神」「信仰の山2



御嶽山・剣ヶ峰頂上。神社前で行われていた神事の様子


御嶽山登山道には、信仰の山を感じされるものが、点々と置かれている。王滝口登山道にて(左)と黒沢口登山道にて(右)


御嶽山の登山道を行く白装束のみなさん(左)。山形県・月山。月山中の宮前でも信仰登山をする人たちがたくさん(右)。こうして比較すると、白装束のスタイルにも違いがあるらしい。御嶽山では袴状だが、月山はズボン状なんだね。ズボンといっていいのか、わからないが…


同じく月山・月山中の宮で見かけた風車と石仏群。背後に見えるのは月山山頂(左)。月山・弥陀ヶ原を歩く白装束のみなさん(右)


江戸時代から信仰登拝が行われていた立山・雄山山頂(左)とその山頂に鎮座する雄山神社・峰本社(右)。峰本社の写真は1992年撮影(左の山頂写真は2008年撮影)のもので、万延元年(1860)に建築されて以来、約135年も厳しい風雨にさらされていたが、この後1996年に建て替えられている。新しい社殿の写真もあるが、敢えて古い方を掲載してみた。現代にあっても雄山山頂の社殿前で頭を垂れ、峰々にこだまする祝詞を聞くと、営々と続けられてきた信仰の歴史の重みとともに、なぜか立山の神の存在を認めたくなる不思議な感覚に陥る。「ここには神がおわす」、そういいたくなる雰囲気が確かにある



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