Nature
日記
 2005年8月〜2006年7月
過去の日記目次
2006年7月14日(金)
この天気誰か何とかしてくれ
 今年は妙な天候続き。冬は積雪が多く、春もなかなか気温が上がらない変な天候だと思っていたら梅雨に入るとグズグズ天気。例年ならば梅雨時といえども数日間は晴れや曇りの日が続くこともあるのだが、今年はメリハリがないというか何というか、曇り時々雨の天気予報ばかり。この時期、取材したい場所はいろいろあるのだが、何と6月11日以後、一度も取材に行けなかった。デスクワークがいくつか入っていたものの、それにしても今年は春から天候条件が悪く思うように取材できない。特に6月以降は1日か2日、何とか曇りになりそうな日もあったが、微妙な天気だと行くのをためらわれる。結局、経費がかかるだけで無駄骨になり得るからだ。何としても取材しなければならない理由があれば、わずかな可能性にかけて行くこともあるのだが…。
 とにかくスッキリとした夏の青空が恋しい。早く梅雨が明けてほしいが、来週も予報だとグズグズ天気。おーい、そろそろ何とかしてくれよ。と声を出しても仕方ないか。


2006年7月11日(火)
昨夜の番組と敵基地攻撃論
 昨日、放映されたNHKスペシャル「危機と闘うA軍事転用の戦慄・ロボット」は衝撃的な内容だった。米軍の無人偵察機は本国にいながらにしてリアルタイムで映像を見ながら衛星回線で遠隔操縦が可能で、しかもミサイルを搭載しているので攻撃もできるという。今年3月にはこの無人偵察機が、イラクで深夜、武装勢力が道路に爆薬を仕掛けている現場を発見したので、そのままミサイル攻撃して3人を殺害したとか。その映像にも驚いた。だが一番怖いのは、同様の技術をテロリストや北朝鮮のような国が手に入れることだ。

 平和ボケしちゃってる人が多い日本国民も最近のテポドン騒動で、少しは危機意識をもつようになったかもしれないが、世界の常識とはまだかなりのズレがあるのではないだろうか。だからといって軍事増強と叫ぶつもりはまったくないのだが、昨日のニュースで話題になった敵基地攻撃論というのは実際にするかどうかは別にして、当然の選択肢のひとつだと私は思う。外交努力、外交努力というが、日本は文明国なのだから敵基地攻撃の前には可能な限りの外交努力をするのは当然だ。だが相手が北朝鮮のような国の場合、外交努力だけで解決できるとは限らない。話し合いが決裂し、最悪相手が攻撃に踏み切ろうとした場合、お手上げ状態のまま攻撃されるのを待つだけでいいのだろうか。国家の危機にアメリカ軍にしか頼れないというのも情けない。そんなことをすれば全面戦争になると公明党の神崎代表がいっていたが、先に攻撃しなかったとしても攻撃を受ければ日米対北朝鮮で戦争になるのは間違いない。ならば攻撃を受ける前に先制攻撃をし被害を少しでも減らす方が得策とはいえないか。あくまで相手が日本を攻撃する意志が明白で外交努力も水泡に帰した最悪の場合に限って、そういう選択も取り得る状況にしておく方がいい。もちろん慎重に議論する必要はあろうが、検討すべき議題だ。ただ北朝鮮が日本やアメリカを攻撃してくる可能性は小さいと思うけどね。北朝鮮は本当に妙な国だが、そこまでバカじゃないだろう。自分たちが先に攻撃したら、早かれ遅かれ自国の国土が焦土と化すのは明白。高級酒を飲んでいい生活をしたい金正日が、そんな自殺行為を選択するとは思えない。その影響力が弱くなり軍が暴走したら怖いけどね。

 社民党や共産党が反対するのは聞かなくてもわかっている。どうせすべて反対なんだから。だが、この手の話に盲目的に反対する人というのはリスク管理という発想が欠如している。すぐに戦前の日本と結びつけて軍拡だと騒ぐのも安易すぎる。最悪の事態をも想定するというのが国家の安全保障というものだろう。最悪の事態にどうするか、という話に「一種の先制攻撃論だからダメ」というだけでは答えになっていない。ではどうするのか、という問いに「外交努力で」というのだろうが、それすらもダメだったとき一体全体どういう手段で対応しろというのか。その先は黙っちゃっておしまいか、話を元に戻すってとこが関の山だろう。

 以前、社民党のおばさん議員が、諜報活動には国際条約で対応すればいい、なんて呑気なことをテレビで喋っていた。たとえ、そんな条約を提案してものってくる国があるはずがない。中国のように国益のためなら何でもアリという国に、そんなお人好し外交で対応できるわけがないのである。

 
2006年7月4日(火)
セールス電話
 セールス電話は鬱陶しい。今しがたも石材店から電話がかかってきた。それほど頻繁というわけでもないが、購入する可能性が100パーセントあり得ないものをいくら勧誘されても100パーセント時間のムダだ。また前夜遅くまで仕事をして翌朝遅くまで寝ていたら電話の音で起こされ、出てみたらセールスの電話ということもあった。そんな時は、めちゃくちゃ頭にくる。石材店、畳店、不動産会社等々、本当に迷惑な限りだ。ただ私の場合はセールス電話がかかってきたら相手が長々とセールストークをする機会をまったく与えない。買うことがあり得ないセールストークを我慢して聞いても何の意味もなく、こちらも時間のムダだが、向こうも実は時間のムダ。私のように買う可能性がゼロの人に説明する時間があったら、別の買う可能性がある人に1人でも多くの人に電話をかける方が効率がいいはず。だからそんな電話は即お断り。つまり「○○石材店と申しますが」と相手がいったら、すぐに「結構です」といって電話を切る。石材店なら墓石のセールスに決まっている。石材店が原稿の依頼をしてくることなんて絶対にないから仕事関係でないのはいうまでもない。今なら墓石が2割引だろう何だろうが、そんな説明をいくら聞いてもまったくムダ。

 これはセールスマンがやってきても同じだ。以前、玄関を開けたら背広姿の男性がふたり立っていたので、すぐに「結構です」といってドアを閉めたこともあった。そのあとの反応は見ていないので不明だが、たぶんあっけにとられていただろう。しかし背広姿=セールスマンとするのは、ちょっと問題かなと思い(セールスマンの場合は失礼とは思わないが、たとえば刑事の聞き込みとかほかの可能性もないとはいえないので)、それ以後は一応相手が名乗るところまでは聞くことにした。ま、それでもほとんどの場合、やはり即お断りというのは変わらないけどね。


2006年7月1日(土)
サプリメント
 数年前、ちょっとしたきっかけに手の指先の皮がむけることが何度もあった。フィールドに出ることが多いので、その分指先に物理的ストレスがかかって皮膚が弱くなっているのかと思っていた。だが、あまりに頻発するので、ひょっとして何らかの栄養障害ではないかという疑いをもった。不足すると皮膚が弱くなるものといえば、真っ先に思いつくのがコラーゲン。そこでコラーゲンをはじめ、セラミドやヒアルロン酸のサプリントを毎日摂ったところ驚くほど改善し肌もツルツルに。本来は食べ物から摂取しているはずのコラーゲンがどうやら不足していたようだ。以来、サプリメントはほかに不足しそうなDHAなどを中心に数種類をほぼ毎日とっている。ただ過剰に摂取するのもよくないので、自分に合った供給バランスを維持するのが難しいが、私の場合は、とりあえずサプリメントに表示してある1日の量の半分くらいをとり、コラーゲンの場合は皮膚の状況をみて増減したりしている。そもそも必要量というのは体重などの条件によっても変わるはずで、サプリメントに表示された1日○粒が、万人に共通するはずもない。なるべく消費量を増やしたいサプリメントメーカーとしては、やや多めの量にシフトしがちだ。そこもある程度は考慮した方がいい。

 確かにサプリメントは不足している栄養素をピンポイントで手軽に補給できる点が優れているが、勘違いしてはいけないのは、あくまで主たる栄養の補給源とすべきなのは日常の食事であって、サプリメントは「補助」ということだ。若い人の中には、サプリメントさえとっていれば食事が粗末でも健康を維持できると思っている人もいるようだが、それは間違い。なぜならサプリメントを主な栄養供給源にしてしまうとサプリメントに含まれる栄養素に偏って摂取することになり、それ以外の栄養素は摂取しにくくなるからだ。そもそも人間の身体に必要な栄養素というのはすべて解明されているわけではなく、食品中のごく微量な成分が身体の中でどのような働きをしているか未解明な部分も多い。つまりいろいろな食品をとっていれば、そんな微量成分も自然に摂取できるが、サプリメントではそれができないということなのだ。

 また、ある食品が身体にいいと聞くと、そればかり食べる人もいるようだが、これも間違いだ。以前テレビでデトックスにはまっているという主婦が、身体にいいというので、ひじきだったか何だったか正確に覚えていないが、毎日おかずにしているのを見た。それが身体にいいというのは否定しない。だが、それはその食品の長所にしか視点を置いていない行為だ。ある栄養素が含まれているから身体によくても、当然その食品にも短所、つまり含まれていない栄養素だってあるはずだ。特定の食品に偏りすぎると、その食品に足らない栄養素は不足気味になってしまい、結局健康にマイナスになってしまう。つまり栄養というのは特定の栄養素だけに視点を置くのではなく、すべての栄養のバランスがとれているか、という視点も極めて重要ということなのだ。ただ何がどの程度不足しているかというのは、栄養障害が出るほど不足しない限り、自分ではわからないから難しいのだが…。


 
2006年6月23日(金)
愛用のザック
 長い間愛用してきたバイレス(好日山荘のオリジナルブランド)のフルオープン式ザックのジッパーのかみ合わせが悪くなりスムーズに開閉しにくくなった。近くの町田店に電話で聞くと修理可能とのことだったので宅急便で送付したのだが「古すぎて同じジッパーがなく取り寄せになるため時間がかかる上、しかも機械縫いができないので職人の手縫いになり、その手間賃も余計にかかるため全部で18900円かかりそうですが、どうします?」とファックスをもらった。

 さすがに、その金額なら新しいザックが買えてお釣りがくる。このザックと同じ容量をもちフルオープン式のザックはあまりないので、本当は修理してもう少し使いたかったのだが、さすがに断念した。あらゆる山に同行してくれた愛着あるザックだったので、そのまま破棄するのはためらわれたので、着払いで送り返したもらった。今日、それがきちんと梱包され戻ってきた。好日山荘には手間をかけさせただけになってしまったが、でも、あれほど使い込んだ自社オリジナルブランドのザックを見て悪い気はしなかったと思うけどね。私はこのザックだけでなく、別のバイレスザックもポロポロになるまで使い切った。それほど愛用した、いいザックだった。でも、残念なからこのブランドはもう作らなくなってしまったようだ。好日山荘に聞くと近い形態の別ブランドのザックがあるようなので、今度買いに行くことにした。


2006年6月13日(火)
新しいカメラ
 ニコンのフィルムカメラ事業大幅縮小にともない、私が愛用しているF100も製造中止になり、残るオートフォーカスフィルムカメラはF6だけになってしまった。その発表があったあとも、特にその対応は考えていなかったのだが、まだデジタル写真データよりもポジフィルムを要望する出版社も多いので、今後のことも考え、完全に入手できなくなる前に同じF100をもう一台購入しておくことにした。その新しいF100が、今日届いた。以前から苛酷な使い方をしてきた先輩F100は、キズが付いたりして疲れた感じになっているが、さすがに新品を手に取るとキリリとしている。いづれ、コイツも同じ運命をたどるのは間違いないけどね。
 私は予備としてF80も持っているのだが、F80のウィークポイントは何と言っても露出補正が2分の1段階ということ。やはりF100のように3分の1段階の補正ができることが望ましい。F100が2台あれば、1台が故障しても、もう1台で補えるし、今後は中古を除けばフィルムカメラが入手しにくくなることを思えば、やはり必要と判断したのだ。どうせ近い将来、出版業界も完全にデジタルカメラが当たり前になる日がくるのは間違いないが、それまでまだしばらくはF100にはがんばってもらなわくてはならない。


2006年6月11日(日)
栃木・長野に
 金曜日の天気予報を見ると、週末の天気が回復しそうなので急遽、土・日曜で取材してくることに。だが土曜日、晴れたのは朝のうちだけで、すぐに曇ってしまった。取材を終え、長野へ移動。日曜日は午前中だけ取材し、早々に帰途に。小雨パラつく中、夕方帰宅。

 話は変わるが長野の取材地に移動する途中、車窓から「ヤマ犬猫病院」という動物病院の看板が目に入った。何しろ、私は自他ともに認める(?)ニホンオオカミフリーク。「ヤマイヌ」という単語には、特別反応してしまう。だから、最初「山犬・猫病院」と読んでしまった。山犬と猫を専門とする動物病院とは、随分、極端な組み合わせ。院長いわく「山犬が持ち込まれたのは先々代以降は一度もありませんけど、一応、山犬と猫が専門ってことにしています」なんちゃって。いうまでもなく本当は「ヤマ・犬猫病院」なんだろうけどさ。一枚の看板から、いろいろあり得ないことを想像してしまったわけよ。

2006年5月29日〜6月3日(月〜日)
愛知・長野・群馬に
 1週間、愛知〜長野〜群馬などをまわる。梅雨入り前の貴重な時期。天気はまぁまぁ。今回は特に山の取材が多く、結構ハード。そのうち3日間は1日2ケ所の山をハシゴ。あー、疲れた。

 5月の広島だけでなく、広島から戻る途中に滋賀、福井も取材したものの本格的な「歩く」取材は今年初めて。冬の間にためこんだ脂肪をある程度は燃焼できた。ただ例年その年の最初の取材では冬の間運動をしなかった分、体力が落ちていることを実感することが多いのだが、今年はなぜか、あまりそれを感じなかった。なぜだろう。思いあたる理由もあるが、本当のところはわからない。


2006年5月11〜24日(木〜水)
広島の実家へ
 取材も兼ねて広島の実家に約2週間ほど帰る。東名〜名神〜山陽道では、3回も覆面パトカーに捕まった車を見た。その3回とも覆面パトカーは白のセダンで、上の赤色回転灯とは別に前部のライトの間にあるふたつの赤いライトも点滅させていた。高速を走っていて特徴が似た車が後ろから近づいてきたら要注意。いや、スピードを出していて特徴がわかるほど近づいた段階なら、気づいてももう遅いか。

 さて広島滞在中は何度か取材にも出かけたが、天気は思ったほどすっきりせず、数回県内に出かけたのみ。あとは主に雑誌の原稿書きの仕事をした。ほかに庭の木に巣を作った鳥の観察(動物記「庭の木に巣をかけた鳥たち2」)と庭のナメクジ退治なども。ナメクジといっても、在来のナメクジではなく、ヨーロッパ原産で小型のチャコウラナメクジ(背中に黒いスジがあるのが特徴)。こいつは涌くように次から次にと出てくる。ナメクジ用の農薬も市販されているが、あまり化学物質を多用したくないので、ネットで退治法を調べてみたら、1漂白剤を水に溶かしてかける、2熱湯をかける、3紙コップにビールを入れて、その上にうどん粉をふりかけておくと匂いに誘引されて中でおぼれ死ぬ、などの方法が書いてあった。漂白剤は使いたくないし、熱湯はじきにさめてしまうので効率的ではない。ビールは効率的だが、あとの処理が不快だし、雨の日は使えない。そこで、ふと思いついたのが木酢液をかけるという案。ナメクジは全体が粘膜に覆われているので、効果が高いのではと考えたのだ。試しに100円ショップで買ってきたプラスチックスプレー容器に入れてナメクジにかけたところ効果てき面。

 100円ショップのスプレー容器といってもよくできていて広範囲に噴霧するだけでなく、先端のネジを回すことで水鉄砲のようにスポット攻撃もできるので、2mくらいの高い枝にいるのを見つけた時も簡単に退治できるのだ。市販の木酢液は原液のまま使うのではなく、ある程度薄めても効果がある。私の場合は木酢液:水=2:1で希釈して使用したが、もっと薄めても大丈夫かもしれない。もちろん木酢液の品質にもよるけど。木酢液は何より自然の成分なので環境への負荷が少なくてすむことだ。おそらく竹酢液でも効果は同じだろう。ナメクジに困っている人は試してみては?


2006年5月5日(金)
ゴールデンウィーク
 世間では今はゴールデンウィークのまっただ中。みなさん、さまざまなレジャーを満喫しているんだろうな。ちなみに私は今年も原稿書きの仕事だ。年末年始同様、毎年そうなので何も感じない。どうせどこに行っても人で混雑しているんだろうし、仕事がなくても出かける気にはならない。今日(この記事を書いているのは4日)も朝から原稿書きに追われ、今、気晴らしにこれを書いている。同じ「書く」ことなのに気晴らしというのも変だが、やっぱ仕事とホームページの更新作業は違う。


2006年4月13日(木)
新手の詐欺か?
 先月のことだが、実家に聞いたこともない「山陽○○」という会社から頼んでもいない資料を送るので代金を支払うようにという電話がかかってきたそうだ。母が断固拒否したところ「いいえ、何といわれても受け取りの拒否はできませんから」とだけいって電話は一方的に切れたという。私はそれを聞いておそらく実際に何か送付されてくることはないだろうと感じたが、その日会社から帰ってきた父も、やはり同じ意見だったようだ。一体全体、どんな手段で何を送りつけてくるのか不明だが、郵便にしろ宅急便にしろ受け取り拒否のできないものなどない。わざわざ電話をかけてきたのは、どういう反応をするか確認するのが目的だったのだろう。仮に宅急便が代引きで届いても拒否すればそれまでの話で、結局、送料は送った方が支払うはめになる。だから先に送付先の反応を確かめて、はっきり拒否しなかったり慌てたりする人だけをターゲットにしようという魂胆なのだろう。あれからもうすでに数週間も経過しているが、思った通り実家には何も送られていない。悪いけどウチはあんたらが思いつく程度の低レベルの詐欺にはひっかからないよ。

 だいたい詐欺をしようと考える連中というのは、いっとき金儲けができたとしても所詮その人生はお粗末なものだろう。必ずやそのツケは自分に返ってくる。私が心底不思議に思うのは、そんなことを繰り返した人生を終えるときに本当に自分の人生に満足して死ねるのだろうか、ということだ。ま、そんなこと考えたこともないんだろうけど国民の税金をまるで自分の金のように使いまくる一部の官僚や特殊法人の幹部にも、私はまったく同じ感想を抱く。

 だが、もうひとつ思うのは、このような詐欺に簡単に引っかかってしまう人にも問題があるということだ。詐欺にひっかかる人は、被害者であると同時にその犯罪を助長させている一因にもなっていることに気づくべきだ。オレオレ詐欺で、警察官役の犯人から弁護士を紹介しますから、といわれて「弁護士を紹介してもらって助かった」といわれた通りに金を振り込むっつうのもねぇ。警察官が弁護士を紹介するわけねぇだろ。オレオレ詐欺も初期の頃に騙された人には同情するが、これほど話題になっていながら、しかも報道されている通りの方法で、やはり騙されてしまう人にはもう何もいうことはない。


2006年3月26日(日)
最近のニュースで感じたこと
WBC日本優勝

 普段、プロ野球にまったく興味がない私ですら興奮した。メキシコがアメリカを破ったという幸運もあったが、一度は諦めかけた優勝を執念で獲得した王ジャパンチームはたいしたものだ。何より、あれだけのプレッシャーの中、あれだけのプレーができることに尊敬の念すら覚えた。日本もすごかったが、ほかの国のチームもいいプレーを見せてくれた。イチローはその発言から韓国メディアからバッシングされたが、よくぞ言ってくれた。あれくらいのこと、はっきり言えばいい。

 唯一不愉快だったのは、試合後の韓国野球連盟関係者による「日本ははずかしい優勝をした」という発言。そんな品のない発言は国際社会から軽蔑されるだけ、ということがわからないのだから救いようがない。確かにWBCの規則は公平とはいえない。韓国の不満も理解するが、規則は試合前からわかっていたはずだ。その規則のもとに試合を始めたのだから、あとからゴチャゴチャ文句をつけることの方がよほど「はずかしい」。その規則に不満があったのなら、なぜ試合が始まるもっと前に規則を決めたアメリカに抗議しなかったのだろうか。一度納得しておきながら結果が気にくわないからといって、日本の優勝にケチをつけるとは呆れ返る。もし日本と韓国の立場が逆で、日本の野球関係者が「韓国ははずかしい優勝をした」といったら頭から蒸気を噴き出して猛反発するんだろ、どうせ。こんな幼稚な発言には、どこにも理性や品性を感じない。韓国のイメージダウンにつながっていることにも気づかないんだから、どうしようもない。


杉村太蔵議員の結婚

 委員会を抜けだして小泉総理に結婚の報告に行ったとか。マスコミの取材を受けて、結婚相手の詳細に質問が及ぶと「プライベートのことですから」と逃げていたが、結婚の報告はプライベートではないのか。そもそも委員会よりも優先すべきことなのだろうか。私にはとてもそうとは思えない。

 杉村議員がどれくらい結婚相手のことを好きかなんてどうでもいい話だよ。そんなことを聞きにわざわざインタビューに行くマスコミも程度が知れるが、テレビカメラの前で「好きで、好きで…」ってねぇ、おまえはタレントか。う〜ん、やっぱりタダのバカだ。今後いくら議員として修行しても、大物になるとは思えない。次の選挙で比例区ならどうかわからんが、小選挙区なら確実に落ちるな。


2006年3月6日(月)
わかりやすい反応
 昨夜放送されたNHKスペシャル「巨樹・生命の不思議 緑の魔境・和賀山塊」を見た。本サイト「にっぽん全国 巨樹めぐり」でも紹介している日本一のブナと日本一のクリなどが登場。2004年7月に日本一のクリを訪問したとき、クリ近くの斜面にカメラ用の雲台らしきものが麻袋に包まれて斜面に固定されていてNHKの名前で「撮影に使うので触らないで下さい」と書かれた札がついていたのを覚えているが、なかなか放送されないので見落としたのかと思っていたら、この番組のためだったのだ。四季を追った映像も、雲台を固定しなければならない理由といえそう。だが日本一のブナの方はどうやって撮影したのだろう。高所の幹を舐めるように撮影し、途中で背景の季節が変わる懲りよう。手間がかかっていることだけはよくわかった。
 ところで番組終了後30分ほどして、本サイトのページ単位のアクセスカウンター(非公開)を確認すると、「巨樹」のページだけ普段の1週間分のアクセス数が記録されていた。当然といえば当然か。わかりやすい反応だ。


 
2006年2月10日(金)
登山靴のソール張り替え
 数年来使用して来た登山靴のソールがすり減って岩場などですべりやすくなっていたので、先月、靴を買ったICI石井スポーツに宅急便で送ってソール張り替えの依頼をしたところ、今日、すっかり靴底が新しくなって戻ってきた。
 私が履いているのはケイランドの布製登山靴だが、最近の登山靴によく見られるソールとアッパーがゴムで圧着補強されているタイプなので、メーカーに戻して張り替えてもらうことになる。そのため仕上がってくるまで約1ケ月弱も要するが、これくらいの時間がかかるのは知っていたので、使用する機会が少ない冬季を待って張り替えたわけだ。費用も12600円とそこそこかかるが、歩きやすさと安全にはかえられない。新しいソールになったので、今度山で履くのが楽しみになってきた。

2006年2月7日(火)
最近のニュースで感じたこと
ホリエモンの逮捕

 手のひらを返したようなマスコミの変化には笑った。それまでは大いにもてはやしていたくせに逮捕されたら、まるで「悪の権化」とでもいわんばかりの堀江たたき。前からわかっていたはずなのに、今ごろになって実はこんな非常識なこともいっていたとか、ホント笑っちゃうぜ。そんなこと逮捕される前にいえよ。


ど根性大根・大ちゃん

 兵庫県相生市の道路でアスファルトをやぶって生えてきたことで話題になったど根性大根。折られてなくなったあと折れた部分が戻され、その後市役所で水耕栽培されて復活を目指していたのだが、土に戻したところみるみる弱ってしまったという。そこで市はバイオテクノロジーで復活させるべく組織培養の手段をとることにしたとか。バカバカしいにもほどがある。組織培養して復活させるのに、いったいいくらかかるのだろうか。市職員の募金で、というのならまだしもだが、たぶん税金でまかなわれるんだろう。ど根性といったって、たまたま生育環境が合っていたから生えただけで、大根に「アスファルトをものともせずに生えてやる〜」と、根性で生えたはずがないのである。その生命力には感心するが、それはこの大根だけがすごいんじゃなくて、ほかの大根でも同じだろう。そもそも、ほかの大多数の大根は単なる食材として、切り刻み食べ残されたらあっさりと捨てたりしているくせに。そんな下らないことに使う金があるのなら本当に危機に瀕している絶滅危惧植物のために使うべきだろう。なんなんだよ。この異常さは。バカじゃないの。平和ボケにもほどがある。


東横インの問題

 東横イン社長が3回目の謝罪会見をしたあと、身障者団体が抗議のためお話をしたいと電話したら、断られたという。テレビでの論調はそんな東横イン本社の対応から真摯に反省していないのでは、ということだったが、私が東横インの担当者でもまず間違いなく断る。確かに東横イン社長の1回目の会見は感心したものではなかったが、その後反省して違反改造は直すといっているのである。それでもまだけしからん、話しをさせろ、という方もどうかしている。それに全国の身障者団体が一斉に抗議しているのは想像に容易い。それなのにすべての団体に会うのがスジとは私は思わない。もし未だに社長が「そんなに悪いことしてないと思うんだけどなぁ」なんてこといっていたら、抗議の会見を申し込むのも当然と思うが。そんなことよりも、この話題をマスコミが取り上げなくなったあと、身障者用の施設が継続されているかどうかとか、東横イン以外にはないのか、という検証を続ける方が賢明と思うけどね。


2006年1月15日(日)
秋山郷の豪雪と江戸時代の援助
 豪雪のため国道が通行止めになり集落が孤立していることから連日、テレビで長野県栄村の秋山郷が取り上げられている。ここは険しい山々に囲まれた奥深い場所にあるだけに、今年のように雪が降ると大きく影響を受けてしまう。関係するみなさんの苦労は相当なものだろう。

 秋山郷は昔から厳しい環境下にあり米もとれなかったから、何度も飢饉に見舞われたという。以前、秋山郷の土産物屋で買った本に書かれていたことを今回の件でふと思い出した。

 天保の大飢饉の時のこと。秋山郷の悲惨な状況を目にした庄屋が、飢饉に苦しむ人たちを救うため、少し離れた村に住んでいた大地主に援助をしてほしいとお願いに足を運んだ。時代劇に登場する大地主といえば性悪と相場が決まっているが、この地主はたいへん人徳のある人で、庄屋の話を聞くと援助を快諾。お米とお金の援助を得た庄屋は身を挺して、飢饉に苦しむ家々を訪ねて配ってまわったという。その後も長年に渡って援助は続けられたそうだ。秋山郷には、その偉業をたたえる碑が建っているというが、ひとつの山村に伝わる古い時代の話だから地元の人以外に知られることもない。だが江戸時代にあって、そんな人道支援を続けた人がいたことに私は感動した。もちろん援助を続けることができたのは、それなりの財力があったからだろうが、いつの時代にも、すごい人というのはいるものだ。

 その点、現代にあっては、いざとなると県や国が援助に動いてくれる。まだまだ不十分とは思うが、昔のことを思うとなんやかんや言っても、進歩した社会になったものだ。これからも後退することだけはないように願うばかりだ。


2006年1月6日(金)
HDD・DVDレコーダーのアクシデント
 私は録画したDVDには、とりあえず付箋に簡単な内容を書いて貼っておくのだが、昨日、HDD・DVDレコーダーに付箋を貼ったままのDVDを入れて追加録画したところ、中で付箋が外れて飛ぶ音がした。おそらくDVDが回転する時に上部の部品に引っかかってはずれたのだろう。このままにしておくと故障の原因にもなるから回収することにしたのだが、ことはそれほど簡単じゃなかった。VHSレコーダーなら、フタを上げれば中が丸見えだからピンセットで取れるが、DVDレコーダーのトレイを出しても隙間はほとんどなく中は見えない。仕方なく、ネジを外してケースを開けてみた。ところが開けてガッカリ。なんとDVDレコーダー部分だけ、これまたボックスになっていて、さらにネジを外して開けるハメに。上部の板を上げると、ちょうど付箋が見えたので、ピンセットで取りだした。今度からは付箋を外してレコーダーに入れるようにしなければ。やれやれ。とんだアクシデントだった。


2005年12月12日(月)
オールインワンプリンターの修理
 1週間ほど前、EPSONのオールインワンプリンターが故障。これまで一度も試したことがなかったDVDへの印刷をしたところ、印刷が終わってもいつまでたっても「印刷終了」の表示にならず、トレイを引き出すと「紙詰まり」のエラーが出てしまう。電源を切って再度印刷ということを繰り返していたら、ついには普通のコピーやプリンターとして使用してもエラーが出るようになってしまった。そこで近所のヤマダ電機に持ち込み、修理を依頼。修理が混む時期なので2〜3週間かかるかもしれないということで、「仕事に支障が出るが仕方ないか」と諦めていたら何と1週間もたたないうちに修理が終わったとの連絡。今日、早速受け取りに行ってきた。何らかの問題もあったようで補償期間中の無償修理ですんだ。とにかく迅速な対応に助かった。

 
2005年12月7日(水)
ピックアップリペアサービス
 PENTAX67Uのカメラが、夏ごろから不調で、220フィルムを入れていても、半分しか撮影していないのにリセットになってしまい、それ以上撮影できなくなることが時折発生。しかし取材に忙しい時期だから修理にも出せず、たまにフィルムを丸々半分無駄にしながらも、そのまま使用し続けた。旧タイプの67も予備として持っているので、こちらを使う手もあったのだが、やはり67Uの方が使いやすいし、いつも症状が出るわけではないので、修理はあとまわしにしたのだ。
 
で、ようやくシーズンオフとなり取材に行く必要も少なくなったので、一昨日、ネットでペンタックスのピックアップリペアサービスに申し込みをしておいたのだが、今日、予約した時間帯きっちりに日通が引き取りに来てくれた。このサービスを利用するのは、今回で2度目だ。

 このサービスが優れているのは、わざわざカメラ店やメーカーのサービスセンターに持ち込まなくても、指定の日にち(ある程度の時間指定も可能)に運送会社から引き取りに来てくれて、修理が終わったら代引きで修理代と引き替えに受け取れるというもの。「○○円以上は見積もり」という指定もできるし、家にいながらにして修理に出せるという実に便利なサービスだ。

 かつてニコンのカメラが故障したら、新宿のサービスセンターに出しに行き、修理が終わったら受け取りに行くということを何度も経験してうんざりしているので、このサービスのありがたさを実感する。ニコンをはじめ、ほかのメーカーはどうか知らないが、もしまだなら、やはり同様のサービスを取り入れるべきだろう。客が持ち込むのを座って待つのが当然というのは、ユーザーを第一に考えているとは言い難い。昔なら、諸環境が整っていなかったから無理だったのは理解するが、今はこうしたサービスを行う環境が整っているはずだ。ほかのカメラメーカーもペンタックスに見習ってほしい。そして何よりペンタックスのユーザーサービス精神に拍手を送りたい。


2005年12月6日(火)
臓器提供意志カード
 今日、郵便局に振り込みに行ったところ、窓口に置かれた「臓器提供意志カード」が目に入った。カードができたころから意志カードを持ち歩くべきだと思っていたので、ちょうどいい機会だ。1部頂いて来た。前はカードだけだったが、最近はカード2部にシールとパンフレットがセットになってビニール袋に入っており、意志を書き込んだシールは免許証や保険証にも貼れるようになっていた。

 私は基本的に臓器提供は積極的にすべきと思っているので、すべての箇所に丸で囲み、その他の項目には「すべて」と書いて、1部はいつも持参している財布に、もう1部は車の運転席上部にあるカードホルダーの見える位置に差し込んでおいた。

 私の年齢では、「死」について考えることはあまりないが、とはいっても絶対にあり得ないことではない。もし事故などで万一のことがあった場合を考えてみると、死んでしまえば自分の身体は単なる細胞の塊に過ぎない。その臓器を移植すれば、命が助かる人が現実に多数存在することを思えば、移植拒否して灰にしてしまうのは、あまりにもったいないし、灰にしてしまうよりも移植された人の身体の中で自分の一部が生き続けることの方がずっといい。それに移植される人というのは、その臓器のありがたさを健康な人の何十倍、何百倍も身にしみてわかっているはずだ。きっと負担をかけず、死ぬまで大切に使ってくれるだろう。

 もちろん、そんな事態にならないことを願うが、万一の場合は臓器を無駄なく利用して、ひとりでも多くの人の救命に役立ててほしい、それが私の考えだ。

 
2005年12月5日(月)
フリーソフト
 最近使い始めて、重宝しているフリーソフトがある。それはID Managerと呼ばれるIDやパスワードなどを一括管理できるソフトで、これまではネットショッピングやユーザー登録などで登録したパスワード情報は、別にまとめてファイルを作って記録していたが、これだと安全に管理できて、しかもシンプルなので使いやすい。ひとつのパスワードさえ覚えておけば、このファイルを開くことができるので、あとはその中から必要なIDやパスワードをコピーして張り付けるだけ。ネットショッヒングだけでなく、プロバイダーにスパムメールのブロック条件を追加したりする際に、極めて便利になった。

 フリーソフトは、結局のところ使用は自己責任ということになるが、このソフトのように完成度の高い、ありがたいソフトがあるのも事実。私がほかに愛用しているのは、超有名なカシミールのほか、時間計算ができる電卓ソフトや元号・西暦変換ができるソフト、白地図ソフトなど。いずれも仕事の上で非常に重宝している。作った人に心から感謝したい。


2005年12月1日(木)
箱根へ


久々に乗車した箱根登山鉄道。箱根湯本駅にて。運転手さん邪魔なんですけど(上)。大文字焼きが行われる明星ケ岳の斜面。展望は抜群(下)
 取材のため、朝6時前、自宅を出発し、小田原経由で箱根に向かう。目的地は箱根の明星ケ岳。強羅駅付近で駐車場を探す。民間の有料駐車場はあったが、朝早いので管理しているお店が開いておらず、置くことができなかった。仕方ないので湯本へ再び下って、駅周辺にある有料駐車場を利用。箱根登山鉄道で再び強羅へ戻った。
 箱根登山鉄道は久々の乗車。大学生のころ、友人と箱根の山に登りに来たときに何度も利用したことを懐かしく思い出した。スイッチバックがあったのも忘れていた。のんびり斜面を登って行く電車に揺られながら、やがて強羅着。
 しかし、登山道を登り始めると、天気予報では快晴のはずが、次第に雲が増えてきた。富士山も一部しか見えず、がっかり。でも、大文字焼きが行われる場所からは、箱根の山などがよく見えた。
 明星ケ岳に立ったあと稜線をたどり、明神ケ岳には向かわず、宮城野へそのまま下山。わずか3時間の山旅。というか山散歩ってとこか。帰りはバスで湯本駅へ。結局6時間弱で駐車料金は2400円だった。高っ!
 ちなみに強羅の民間有料駐車場なら1日1000円。店が開くのを待ってもよかったが、何時に開くかもわからず、定休日かもしれないし、やむを得ない。


2005年11月16日(水)
近所のネコ

以前、エサをほしそうにしていたので、パンをやったら見向きもしなかった。ムカつく〜。この日もエサをほしそうにしていたが、「おまえな〜。この間、せっかくエサをやったのに食べなかっただろう。だからもうエサは、やらないよ」とはっきり宣言しておいた。「えっ、マジっすか」という顔をするネコ。
 以前、広島の実家にやってくるオニヤンマのことを動物記で書いたが、秦野の自宅の方には、たまに近所のネコ(毛並みがきれいなので、おそらく飼い猫)がやってくる。この日、窓を開けて掃除していたら、ネコが窓の外から首を長くして中を覗いていた。このネコちゃん、頻繁に来るわけでもないのだが、時折姿を見せて、「ニャーニャー」いって甘えてくる。以前、窓の外を通り過ぎたので「あっ、ネコちゃん!」と独り言のようにいうと、その声に反応してUターン。窓際にまで寄ってきた。このネコは自分がネコであることを認識しているらしい(たぶん声に反応しただけだろうけど)。
 遊んでほしそうだったので、ちょっとだけ「棒遊び」をしてやった。ネコは動く物を追う習性があるので、顔の前で棒を小刻みに動かすと、それを目で追い始める。棒を右にやると、右を向き、左にやると、左に向く。ぐるりと円を描けば顔を回すというわけ。それをしばらくやって遊んで(からかって)やった。やがて興味を失って棒を追わなくなるが、私にとって生意気なネコをからかう趣味のひとつだ(笑)。


2005年11月3日(木)
オゾン発生器
 昨日、実家からオゾン発生器が送られてきた。家庭用電源につないでスイッチを入れるとオゾンを発生させる器械で、室内空気の浄化や殺菌、あるいは食品に付着した農薬などの有害物質除去などに効果があるという。母が使ってみて「明らかに食品の味がよくなる」という。確かにオゾンに殺菌作用があるのは、大学卒業後15年を越えてすっかり化学とご無沙汰している私の知識と照らしても納得できる。ただ、その器械の能力も未知数で、「ホンマかいな〜」と半信半疑だったのだが、届いた器械を試してみて、確かに違う。予想以上にすごい。水道水を入れたやかんにオゾンを10分ほどブクブクと入れただけで、明らかに味がまろやかになり、その水でご飯を炊くと、久しく嗅いでいなかった本来のご飯の香りがするのだ。また室内で1時間程度発生させると、部屋の匂いが完全になくなったのも驚きだった。結構高価な値段なのだが、これはその値段に見合う価値がある。調べてみるといろいろなメーカーが作っているらしい。値段も安い物から高い物までいろいろ。値段が高いものは発生できるオゾン濃度が高いのだろう。


2005年9月17〜19日(土〜月)
隠岐へ
 13日、長野県内を1日取材したあと、北陸道〜山陽道経由で広島へ。17〜19日は隠岐に行く。本土の七類港から高速船で、まず島前(どうぜん)の西ノ島に。国賀海岸のハイキングコースを歩き、さらに中ノ島にも足をのばす。翌18日は島後(どうご)へ渡り、島にある巨樹などを取材してまわった。半分観光、半分取材の気楽な離島の旅。島の人はみんな親切だったし、海の幸はおいしかった。広島からは遠いようで意外に近い。次はオキシャクナゲの咲くころに訪問したいものだ。

*隠岐で印象に残ったこと
〔その1〕イカが拾える入り江
西ノ島にあるイカ寄せの浜は、イカが産卵のために大挙して押し寄せる入り江で、ここでイカを「拾って」財をなした人もいたという。今でも大物を捕獲して数万円の小遣いをかせぐ中学生もいるとか。漁業権があるわけではないので、イカを拾って漁協にもっていけば、その時の相場で買い取ってくれるそうだ。
〔その2〕動物は少ない
サルやシカ、イノシシなどの動物が隠岐にはいないというのは意外だった。オキノウサギやヤマネなどのほかに知夫里島に人間が持ち込んだタヌキが棲息するくらいだという。隠岐諸島の地史的経緯によるのだろうが、やはり離島の屋久島などにサルやシカがいることを思えば、なぜ隠岐にはこのような動物がいないのか。不思議だ。
 
 
隠岐汽船の高速船レインボー。本土と島を約1時間で結ぶ(上左)。隠岐自然館のヒオウギ貝の展示。色がきれいだった(上右)。竹島は隠岐の五箇村(現・隠岐の島町)に属する島。竹島問題は、ここではまさにごく身近な問題なのだ(下左)。島後にあるスギの巨樹・乳房杉(ちちすぎ)は、乳房状の気根が垂れ下がる珍しいスギ(下右)。
2005年8月29日〜9月2日(月〜金)
大町から栗駒・鳥海・日光へ

 29日は立山黒部アルペンルートの取材。室堂周辺を歩いたあと夕方下山し、とりあえず大町温泉郷で汗を流す。そのあと天気予報を確認すると県内は明日以降芳しくない。唯一快晴の予報が出ていた宮城の栗駒山へ急遽予定を変更して行くことにする。大町から白馬・小谷を抜け糸魚川に出る。ここから北陸道、磐越道を経由して東北道へ。栗駒山に着いたのは早朝だった。2時間程度仮眠したのち栗駒山登山。天気予報通りの快晴。まだ緑も濃くて花も咲いていたが、平日とはいえ登山者があまりに少ないのには拍子抜けした。

 その後、さらに鳥海山や日光などの取材もして2日に帰宅。日光では帰宅前に久しぶりに「湯沢屋のまんじゅう」を購入。近くの駐車場ですかさず包みを開けて食べたが、やっぱりうまい!
 ここのまんじゅうは絶品だ。まんじゅうにありがちな「くどい甘さ」もなく、適度な酸味と餡の甘さがマッチしていくらでも口に入る。私はまんじゅうは好きな方ではないが、ここのまんじゅうだけは例外。広島の両親もファンなので、地方発送で1箱送っておいた。



立山黒部アルペンルートの取材のあとに立ち寄った大町温泉郷にある薬師の湯


2005年8月16日(火)
西中国山地へ

 山口県西部にある寂地峡をふりだしに、島根の匹見峡、広島の八幡高原を1日でまわってくる。寂地峡は予想よりもはるかに急な渓谷。つづら折の遊歩道や素堀のトンネルを抜けるコース。ただし距離はごく短い。
 匹見峡沿いは離合も困難な狭い車道。また八幡高原では、訪れるたびに立ち寄る八幡湿原で咲いている花をチェック。昨年9月に訪れたときとは違う花がいろいろあって楽しめた。近くにある小さな池にもアサザの黄色い花がたくさん水面上に咲いていた。






寂地峡の登竜ノ滝
2005年8月4〜11日(木〜木)
屋久島取材

 4日から11日まで約1週間、屋久島取材。天気はまずまずだったが、島に着いて以降数日間は直前に通過した台風の影響もあって天気が不安定。一時的とはいえ毎日のように雨がパラつく。特に6日の縄文杉取材では雨に泣かされた。帰路には猛烈な土砂降りにも遭遇。まだ数回しか使っていないかった高価な高輝度発光ダイオードヘッドライトも落としちゃったし、その上、雨のせいで取材も充分にできなかった。屋久島では天気予報はあてにならないと悟る。翌々日、再取材のため再び縄文杉へ。最後の宮之浦岳登山といいホントにハードな取材の繰り返しだった。
 しかし屋久島特有の自然を存分に堪能できた充実した1週間でもあった。最終日の11日、島の土産物屋をあさり、快晴の宮之浦港を発つ。離れゆく屋久島の島影を見つめながら、「ぜひまた来たい」そう思った。屋久島の魅力あふれる自然に洗われて、心の中は屋久島上空の青空のようにとても澄み切っていた。


最終日の朝、ウミガメが産卵に来ることで知られる永田いなか浜に立ち寄ってみた。美しい純白の砂浜と青い海。沖合に浮かぶ口永良部島。そんな砂浜の入口にポツンとたたずむ一匹のニャンコ。浜辺を見つめ何を思うか。



(答え:食べ物恵んでくれる人間いねぇーかな。あー腹へった!)

2005年8月3〜4日(水・木)
屋久島へ

 取材のため広島を夕方出て、高速道路で鹿児島へ向かう。4日の深夜、鹿児島入り。埠頭で車中泊し、翌朝、屋久島行きフェリーに乗船。快晴の天気で、デッキからは桜島や開聞岳がよく見えた。湿度・気温がともに高い海風に南国に来たことを実感する。
 約4時間の船旅ののち、屋久島に到着。着いてみると先ほどまでの天気が嘘のように、あいにくの曇り空。明日からの取材がちょっと心配。



海原を突き進む折田汽船・フェリー屋久島2
2005年8月1日(月)
広島へ

 東名→名神→山陽道をひたすら走り一路、広島へ。自宅のある秦野から実家のある広島まで距離にして約830キロ、時間にして約8時間半。高速道路の料金は以前は約1万5000円だったが、深夜割引が導入されてからは深夜をまたぐようにして帰るようにしたため3割引で1万円余ですむようになった。
 以前は広島まで車で帰るのは大変と思っていたが、最近は取材で年に何度も帰るので、慣れてしまった。何より取材で帰るので、車がなくては何もできない。


                    







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