Nature
会社ゴッコの記録
雑記帳

設立
/1980年

設立場所/広島市中区

起業目的/写真現像薬の研究開発・販売

社員数/6名

第17話

PAX PHOTO CHEMICAL

 私の会社ゴッコを紹介する、このコーナー。前回に続いて、今回は高校の時に友人たちと作った「PAX PHOTO CHEMICAL」です。

■長巻きフィルムの切り売り
 当時はデジカメもなく、部活動用の撮影では、カラーフィルムよりもコストが安いモノクロフィルムの出番は結構多かったように思います。それは写真部だけではなく、新聞部、生物部、天文地学部などでも同じでした。
 そんな環境下にあったので、もともと私は友人などを相手にしてモノクロフィルムの切り売りをしていました。実はモノクロフィルムは、通常の1本単位のフィルムとは別に長さ30.5メートルの長巻きでも販売されています(最近はデジカメに押されて生産終了になっていることが多い)。それを専用のローダーに詰めておけば、暗室でなくても空のパトローネに一定の長さのフィルムを装填できます。この長巻きフィルムは1個3500円前後しますが、1本あたりの単価で比較すると単品のフィルムを買うよりも安くすむので、需要があると考えたわけです。
 販売するのは校内だけですが、それでも友人が部の先輩から注文を受けてきてくれたり、一定の顧客を確保していました。もともと薄利ですから、儲けといっても大した金額ではありませんでしたが、顧客からは重宝がられていました。
 しかし、こずかいも知れている高校生が3500円前後もする長巻きフィルムを購入するのは、いずれ回収できるとはいえ、きつい出費です。そこで同じクラスの友人にも出資してもらって4人で買い、利益を配分するようになりました。ついでにそれっぽい会社の名前を付けよう、ということになって「総合商社AZM」という会社が誕生しました。名前だけは大きく出たもんですが、いうまでもなく取り扱い品はフィルムのみですちなみにAZMとは、私の名前に由来しています。

 そんな折、新聞部の部長をしていた友人Tが、「部員がいなくて廃部寸前なんだ。頼むから新聞部に入ってくれ」と懇願してきました。そこで我々は、「じゃあ、フィルム買ってくれたら4人で入部してやるよ」と、もう足下を見まくって、一人で一括20本という大量受注に成功したのでした(笑)。念のために断っておくと、あくまでTの個人的な購入であって、部費で買わせたわけではありません。
 以降、新聞部の部室は、部活動は何もしていないのに放課後の「暇つぶし」に便利な部屋と化しました。しかも天文地学部部長をしていたNや生物部にも籍を置くAも出入りしてましたから、フィルム販売の拠点としても便利だったわけです。

■一浴現像定着液INPAXの開発
 一方、フィルム販売とは別に、新聞部部長のTと私は、フィルム現像にも興味をもっていました。すでに現像やプリントは自分でやっていましたから、それよりもさらにマニアックな分野に関するものでした。ある時、Tが「おもしろい現像液の処方を見つけた」といってきました。それは、モノクロフィルム現像の専門書に載っていた「一浴現像定着液」の処方でした。モノクロフィルム現像は、現像→停止→定着という3段階の処理が必要なんですが、それが一度にすむというわけですから、これはスゴイと思うのは当然です。なんとしてもこれを作ってみたいということになって、Tは、わさわざ高価な化学天秤ばかりを自腹で購入し、さらに我々は当時、広島市で一番品揃えのよかった写真店に行き、単品の写真薬品を買い集め、唯一在庫がなかったフェリドンという薬品は、一瓶でも結構な値段(4000円くらいしました)でしたが、お金を出し合って発注・購入しました。

 ところが、そんな苦労をして、いざその処方通りに試したところ、全然うまく現像できませんでした。でも、それで諦めないところが、我々のバカなところです。じゃあ、独自の方法で作ってみよう、ということになり、現像液処方に定着に必要なチオ硫酸ナトリウムを加えてみたり、実験を繰り返しました。でも、何度やっても失敗の連続。もう諦めようか、という空気になりかけた頃、まったく期待していなかった処方で処理して現像タンクを開けてみたら、何とスッキリと像が抜けたフィルムが姿を現したのです。「おぉぉぉーっ、ついにできた〜っ」と二人して驚喜しました。研究開発って、こういうところがおもしろいんだろうな、と思ったものでした。

 こうして、やはり新聞部を拠点とする「PAX PHOTO CHEMICAL」が誕生しました。PAXとは、世界史に出てくる「Pax Romana(ローマの平和)」から、広島だから平和つながりでいいだろうと名付けものです。社長はTで、私は技術開発部長でした。当然のことながら総合商社AZMのメンバーも半ば強制的に社員に加えました。
 私とTが苦労して開発した「一浴現像定着液」は、INPAXという商品名を付け、さらに私は薬品を入れたビニール袋を熱で密封する方法(ビニール袋の密封する部分をアルミ材で挟んだ上で、末端をライターで溶かすと、きれいに密封処理できる)まで考案して発売しました。もちろん校内、つまり総合商社AZMの顧客に対してだけですが、モノクロフィルム現像定着処理が簡単にすむということで好評でした。私とNが掛け持ち在籍していた写真部の連中もさすがに驚いていたようです。
 また
化学薬品類とTの化学天秤ばかりも揃っていたので、INPAX以外にも、通常の現像液(Kodakが開発して処方を公開していたD-76など)も調合して販売していました。

■モノクロフィルムの反転現像液
 さて、PAX PHOTO CHEMICALが、次に目指したのは、モノクロフィルムの反転現像液の処方を開発することでした。つまり、通常のモノクロフィルムをポジのように現像するというものです。実は、これも元ネタがあったんです。フジフィルムのある製品説明書に「モノクロフィルムの反転現像液を開発中」という一文が載っているのに目をとめたTと私は、関心をもち、いつ頃発売されるのか聞いてみようと、高校の近所にあったフジフィルム広島支店を訪ねてみました。高校生の訪問にも丁寧で、わざわざ応接ブースに通されて営業担当者が対応してくれました。ただ、広島支店がいうには、そういう製品が発売されるという情報は聞いていないとのことでした。
 そこで、フジフィルムの向こうを張って開発しようとしたんですが、結局、実現はしませんでした。もともと写真化学の知識はないわけですから、かなり無理な話です。天文地学部長のNからカラーポジフィルムの現像処方を利用すれば可能じゃないかという案も出ましたが、結局試してみる機会はありませんでした。たぶん、それでも無理でしょうが…。またフジフィルムがその後、製品化したという話も聞いていません。

■使い捨てカメラ「カミラ」のアイデア
 ほかにも我々は、遊び半分でいろいろな企画を考えていました。その頃(1981年)は、まだ使い捨てカメラはありませんでしたが(フジフィルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」が発売されたのは1986年)、紙製の1コマ撮影の使い捨てカメラを作ってみようというアイデアも出たほどです。フジフィルムに先立つこと5年前に使い捨てカメラという発想をしたのは、結構すごいことだと思いますが、最初のプランを口にしたのがTだったかAだったか記憶は曖昧です。どちらかだったと思いますが。
 ネーミングセンスもなかなかのもので、
紙製なので名付けて「カミラ」。これも試作してみようという話になりましたが、やがて、みんな受験勉強に忙しくなって立ち消えになりました。

 当時の部室は、表向きは新聞部なのに写真薬品の匂いがするばかりか、そこで話されている内容も新聞部とは思えないものでした。でも、一応、新聞部としての活動もかろうじてやっていました。
 ところでPAX PHOTO CHEMICALの社員のうち三人は工学部へ進みましたから、やはり何らかの素養が関係していたのかもしれません。でも、化学つながりという面はあるにせよ、私は農学部へ。またINPAX開発のもうひとりの中心人物であるTは、文学部へ進んで、今は県立高校の国語の教師をしています。

※参考情報→「作る!」にも、一浴現像定着液の記事があります。