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奇岩5 条溝石 広島県庄原市・烏帽子山

撮影年月日:1993年10月9日+2004年5月7日+2019年6月19日

 過去に私が目にした奇岩のうち、形態分類できそうなものの紹介は前回で終わり。今回からは、知る限りほかに例がない個性的な奇岩を個別に取り上げたい。まずは広島の条溝石(じょうこうせき)から。

 広島県庄原市(ほとんどの写真が撮影時は西城町)、比婆山連峰の烏帽子山山頂には、ご覧のように大きな岩の表面に深い溝がいく筋も刻まれ、人の手によって加工されたとしか思えない条溝石がある。

 この巨石に刻まれた深い溝には、制作者のどんな意図が隠されているのだろうか。解説板で指摘しているように数本の横溝と交差するように掘られている一本の縦溝を南東方向に延長すると、隣の比婆山山頂に達する。つまり比婆山山頂の方向を示すためではないか、との説が有力ではないかと思う。晴れていれば、条溝石の縦溝がなくても目と鼻の先に見えるので、一目瞭然なのだが、ガスがかかっていれば確かに目安になるし、溝が掘られた時代には、ひょっとすると烏帽子山山頂は木に覆われて比婆山が見えなかった、もしくは見えにくかった可能性もある。中国山地はたたら製鉄に使う薪を得るために伐採が繰り返されてきたが、それ以前は山頂も原生林に覆われていただろうし、原生林でなくても二次林が一時的に展望を遮っていた時期があったかもしれない。そうであれば目立つ岩に溝を掘って、その方向を示そうとしたとしても不思議ではない。

 比婆山がどういう山か知らない人は、たかだか標高1264mの山頂の方向を隣の山で示す必要なんかあるの? と思われるだろうが、記紀に詳しい人であれば、すぐに気づかれるはずだ。

 比婆山は、古事記において日本神話の女神・伊邪那美命(いざなみのみこと)を葬った山として登場する。そのため古くは「美古登山(みことやま)」「御山(みせん)」とも呼ばれ、神聖な山とされてきた経緯がある。山頂には御陵と呼ばれる磐座(いわくら。神がおられる場所のことで、自然の岩が指すことが多い)があり、特にガスがかかると幽玄な雰囲気に包まれる。明治9年頃には毎日数千人、時には1万人以上の人が登拝していたという。当時、すでに複数の登拝道があったようだが、備後西口からの道は平成23年(2011)に比婆山古道として復元整備された。この道を登るには車利用が前提となるが、県民の森〜出雲峠〜烏帽子山を経由する標準的なコースと違って、信仰の歴史を感じながら古道を登るのも一興かもしれない。

 その昔、御陵まで登れない人が、当時は木立に覆われていた手前の烏帽子山山頂から条溝石が指し示す方向に向かって拝礼していた。そういう考えると、溝が掘られた理由もごく自然であり納得できる。巨石に掘っておけば、指し示す方向が経年変化でズレることもないし、当時は、登拝者向けの案内板がそばに立っており、そこに比婆山と条溝石との関係が解説されていたかもしれない。




数本の横溝と一本の縦溝が掘られた条溝石。以下掲載の現地解説板には、「自然の節理」との説も紹介されているが、ここで「自然の」をわざわざ付ける意味はよくわからない。「自然の摂理」とは意味がまるで違うでしょ。どっちにしても節理ではないと思うけどね。撮影1993年。



横から見たところ。横溝は側面にも掘られていることがわかる。以後3点の写真はいずれも撮影2003年。



条溝石の端から広角レンズで撮影してみた。奥に見える山が比婆山。こうして見ると、縦溝は比婆山山頂を示しているとしか思えない。ただ、「では横溝にはどんな意味があるのか」ということにもなるのだが…。



現地解説板。写真の解説文は読みにくいと思うので、テキストにしておくと「比婆山一帯には人工的に刻んだとも思われる不思議な巨石が数多く発見されている。この謎の巨石には、幅5〜10cm、深さ2〜5cmの溝が規則正しく刻まれており、なかでも、ここ、烏帽子山の条溝石は、縦の溝がまっすぐに比婆山御陵をさしていることがはっきりとわかる。自然の節理によるものとも、御陵にかかわる古代信仰の名残、呪術習俗の跡とも言われているが、はっきりしたことはわからない。」と書かれているが、あんまり感心しない文章で「なかでも、ここ、烏帽子山の条溝石は、」の部分は必要ないと思うんだけど。



ガスがかかった比婆山御陵。中央の岩が伊邪那美命が埋葬されたとされる磐座。今でもその周囲には立ち入りを制限する柵が設置されている。撮影1993年。



備後西口の比婆山古道入口。巨大な石板の標識が目を惹く。撮影2019年。





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