山の航空機事故 鹿児島県鹿屋市・高隅山
撮影年月日:2014年11月9日
1985(昭和60)年8月に日本航空123便が、群馬県上野村・御巣鷹の尾根に墜落した事故は、520名もの死者を出し、日本の航空史上、最悪の大惨事であった。登山道さえもない山岳地に航空機が墜落すれば、その救出作業が困難を極めるのはいうまでもない。2018(平成30)年8月に群馬県の防災ヘリコプターが横手山北東側のガラン沢に墜落した際も、直後にはヘリコプターからホイスト降下もしただろうが、最初に徒歩で現場に向かった警察等の関係者も大変だっただろうと想像する。
日本航空123便墜落事故は、今なお多くの人々の記憶に残るが、山岳地が現場となった航空機事故は過去にもあった。2014年秋に取材で訪れた高隈山の上祓川コース登山口には、トップ写真の海上航空自衛隊遭難碑が建立され花が手向けられていた。1972(昭和47)年7月に海上自衛隊鹿屋教育航空群所属の飛行機が御岳山腹に激突する事故があり、7名の搭乗員が亡くなられたそうだ。当時はトップニュースで報道されたはずだが、すでに50年以上も経過し、事故の記憶は風化しつつある。かろうじて、こうした石碑によって、かつて悲惨な事故があったことを知ることができる。
また広島県廿日市市には、河平連山(こうひられんざん)という国土地理院地図にも山名の記載がない山があって、標高554.8mの最高峰を筆頭に9つの小ピークが連なっている。そのうち0号峰と呼ばれる岩峰は、1923(大正12)年に旧日本軍の偵察機が墜落した事故があったことに因んで別名・飛行機山と呼ばれている。
まだ日本が占領下にあった昭和27年4月には、日本航空「もく星号」が伊豆大島の三原山火口付近に墜落して、乗客・乗員37名全員が死亡する事故もあった。
ちなみに事故ではないが、丹沢山系には戦時中に墜落したB-29の残骸が、比較的近年まで地表に見える形で残っていた場所があったらしい。
|
|

高隈山は、大箆柄岳や御岳、横岳などの総称で、上祓川コース登山口はそのうち御岳登山の起点となっている。碑には「海上航空自衛隊遭難碑」とあり、下の解説板にある「海上自衛隊」ではなく「海上航空自衛隊」としたのはどんな理由なのだろう?

広島県廿日市市・河平連山の登山口を示す看板にも「飛行機山」の文字が見える。墜落現場近くには、この事故で亡くなった淺田砲兵大尉を慰霊する殉職之碑が建立されているらしい。
|