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私の登山原点 北アルプス・乗鞍岳+中央アルプス

撮影年月日:1967年7月〜1968年7月

 若い頃から幕営縦走するような山ヤだった両親は、私が生まれると、当然のように山に連れて行った。おそらく1才くらいの時だと思うが、かなり初期の頃に母におんぶされて、どこかの山に登った記憶もうっすらと残っている。どこまで本当の記憶か不明だが、とにかく自分は苦痛なのをひたすら我慢していて、中腹の開けた場所で地面に寝かされておむつを換えられたような気がする。最近、古い写真を調べると、それは広島の白木山だったようだ。

 その後、3才の時に乗鞍岳や広島の比婆山に、4才の時に中央アルプスなどに登っており、これらの山々が私の登山原点といえそうである。乗鞍も中央アルプスも幕営山行だったので、好むと好まざるとに関わらず山の世界を早々に体験することになった。一種の「刷り込み」みたいなもので、大人になっても山好きな人間になるのは、ある意味、当然なのかもしれない。
 とはいえ、中央アルプスは少し覚えているが、乗鞍の記憶はほとんど残っていない。覚えているのは、乗鞍に行く前、幼稚園の先生に「夏休みは乗鞍岳に行くんだ」と自慢したら「あら〜、いいわね」といわれたこと。そして母と近所の個人商店のような小さなスーパーへ行き、そこでコーヒーか紅茶にミルクと砂糖がセットになったスティック状のインスタント粉末を山行用に買ったことだけ。そんなどうでもいいことは印象に残っているのに肝心の山の記憶がないのはなぜなんだろうなぁ??
 当時は、そんな小さな子を高山に連れて来る人はほとんどいなかったので、ほかの登山者から頻繁に注目されて「ボク、自分で歩いてえらいねぇ」などと声をかけられたそうである。



ほらな、ちゃんと自分で歩いてるだろ。乗鞍岳で母の後を追う私。ちなみにリュックの中身はチョコレート1箱だったようだ。原版のスライドフィルムは退色し、カビも生えているが、PC上で補正した。以下も同じ



乗鞍岳で幕営した翌朝、朝日を浴びながら母と私。ちなみに当時は、今のような幕営指定地なんてものは一切なかったので、登山者はみんな自分の好きなところで幕営していた。背景から考えると、おそらく乗鞍大雪渓付近と思われる



「あれが穂高連峰よ」と教えられたこの時のことは今でも鮮明に記憶している…まあウソですけどね。それはともかく右側に見えている未舗装の道路は、今でいう乗鞍エコーライン(県道84号)である。この道路は戦時中、乗鞍岳山頂に陸軍のレーダー施設を建設するために作られ、のちに乗鞍観光の主要アクセス道路として舗装整備された。現在は通年マイカー規制され、大型ハイブリットバスが山麓とを結んでいるわけだが、当時はまだガタガタ道を小さなボンネットバスが走っていた。



雪が残る春の比婆山で。今はほとんど見かけないキスリング型ザックが昔を物語る…


 
中央アルプスから上松へ下るコース途中で。前にも後にも倒木があるのは、前夜、幕営地に濁流が押し寄せるほど天候が荒れに荒れたことによるものと思われる(左)。昔から高山植物の中でもコバイケイソウは有毒植物であるにも関わらず不思議と親近感を感じていたのだが、乗鞍で撮影されたこの写真を見つけて、ようやく理由がわかった。オイラとコバイケイソウのつきあいはこの時にまで遡るからだな(笑)。「これがコバイケイソウよ」と教えられたことは今でも鮮明に記憶している…まあ、やっぱりウソですけどね(右)。





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