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イギリスの園芸学者が絶賛した
クリンソウ
サクラソウ科
Primula japonica
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  北海道、本州、四国に分布し、山地の湿っぽい場所に生える多年草。5〜6月ごろ、高さ40〜80cmの花茎を上げ、直径2〜2.5cmの紅紫色の花を2〜5段に渡って車輪状に多数咲かせる。日本産サクラソウ属の中でも、このような形質はクリンソウだけで、丈が一番高く見栄えもよい。葉は長さ15〜40cmもあり、根ぎわに集まる。表面にはしわがあり、縁には細かいきょ歯が見られる。花が終わると球形のさく果が実り、成熟とともに上部が割れて茶色い種子を散らす。
 名前の由来はいくつかの説があるが、有力なのは花が九層になって輪生することに因むとする説。ほかにも花が咲く姿が五重の塔の九輪に似ているからという説もある。

 今から百六十年ほど前の江戸時代末期に来日したイギリスの園芸学者は、のちに書き記した著書の中で、「日本で見た植物の中で最も美しかったのはクリンソウだった」とし、さらに「サクラソウ属の女王」とまで絶賛したそうだ。ヨーロッパ産のサクラソウ属は黄色の花をつけるものが多いから単に物珍しかっただけ、という反論も聞こえてきそうだが、仮にそうだったとしても、クリンソウは世界に通用する魅力があるといっても過言ではない。
 確かに花の色は鮮やかな赤紫色だし、名前の通り花を幾重にも重ねるように咲かせるため、華やかな印象がある。それにも関わらず盗掘で激減したサクラソウに対して、こちらは割とよく目にし群生することも多い。ある意味、「秘密の花園」を作りやすい植物で、群生していてもそれほど珍しくないともいえる。

 例えば、栃木県日光市・中禅寺湖畔にある群生地は、なかなか見事だ。湖西岸の千手ヶ原にあるため、湖畔の道を徒歩で向かうか、あるいはハイブリットバスに乗り換えなければならないが、訪れてみる価値は十分。ミズナラなどの木々に覆われた千手ヶ原にクリンソウ群生地が点在している。

 一帯の群生地を観察して、おもしろいことに気づいた。ここには中禅寺湖に注ぐ外山沢川と柳沢川の2本の川が、わずか300mほど隔てて流れているが、それぞれの川の周囲に生えるクリンソウに違いが見られるのである。外山沢川沿いのそれは普通の赤紫色の花のみ。一方、柳沢川沿いには、なぜか白花が目につく。何らかの変異によって白花が咲くことは特別珍しくはないし、クリンソウの花色は変異に富むともいわれるが、それにしても、後者のクリンソウ群生地ほど白花が多いのはちょっと奇妙でもある。

 もしかするとふたつの川に群生するクリンソウの由来は異なるのではないか。そう感じて、以前このあたりに詳しい地元の人に電話取材したことがあった。その方の話によると昔、付近にロックガーデンが作られていたことがあり、そこにはクリンソウも植えられていたという。あくまで推測に過ぎないが、ここにあった園芸品種の白花クリンソウが柳沢川沿いに広く拡大繁殖したとも想像できる。一方の外山沢川のものは自生品なので赤紫色の花しか見られないのではないだろうか。

 近年、ここ千手ヶ原のクリンソウ群生は拡大しているという。日光では野生シカが増えすぎて植物の食害が問題化しているが、シカはクリンソウの若芽を食べないため他の植物を抑えて増加しているそうだ(一説には若芽は食べないが花芽は食べるとか、最近では花も葉も食べているという話もある)。そういえば日光に隣接してシカの多い足尾の庚申山でも何カ所か見事な群生があったし、仙台在住の知人の情報によれば、やはりシカの食害が問題になっている宮城県の金華山島でもクリンソウの群生が見られるという。これらはシカの増えすぎによる歪んだ生態系が作り出した産物。群生は美しいが、決して健全な自然が見せる景観とはいい難い。



中禅寺湖・千手ヶ原の外山沢川沿いに群生するクリンソウ。数年前に再訪したところ、同じ場所とは思えないほどにクリンソウはほとんど消滅していた。



1994年に庚申山で見かけたクリンソウ群生。ここも近年、再訪したが、クリンソウはパラパラとしか咲いていなかった。その年だけたまたま少なかったのか、それとも群落が衰退したのかは不明だ。



中禅寺湖・千手ヶ原の柳沢川沿いの群落。外山沢川沿いと対照的に白花や「しぼり」品種が多い。自生というよりも園芸的な要素を強く感じる。

自生のクリンソウ・花。長野県佐久穂町・八千穂高原(左)。中禅寺湖・柳沢川沿いに見られる「しぼり」品種の花(右)。



  
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