実は、頭の中でガラガラポンが
回っているだけの人も結構いる





 日本社会では、「少数意見の尊重」と学校で教えられ、あるいは行政や企業が「みなさまから幅広くご意見を頂戴して…」などと表向きは謙っていうのをそのまま真に受けて、行政や企業自分の意見にもそれだけの価値を認めているのだ、と勘違いしがちです。実際、行政や企業が一目置くような意見というのは、その中のごく一部に過ぎません。ホンネでは、「ほとんどの意見は大して参考にならないが、それでもまとまった数になると世論の動向を測る上では参考になる」程度にしか思っていないでしょう。
 ひとつひとつの意見すべてに高い価値があると認めているわけではなく、その何割かは「話しにならないレベル」なのも間違いありません。「少数意見の尊重」にしても、「少数意見が正しいこともあるので慎重に検討しよう」という意味であって、「少数意見は必ず正しい」といっているわけではありません。

 以前、「世界に一つだけの花」という曲がヒットしましたが、そんなこともあって余計に「どんなに自分が少数派であったとしても自分こそ正しくて、自分こそ価値がある」みたいな間違った認識が社会全体に広まった感があります。「ナンバーワンではなくオンリーワン」という歌詞は、偏差値教育からはじき出されたコンプレックスまみれの人からすれば、非常に癒しの言葉として心に響いたのは間違いないでしょう(=ヒットにつながった要素のひとつ)。
 「ナンバーワンではなくオンリーワン」とは、つまりはどんなにズレている人に対しても「あなたは間違っていない」といっているのに等しく、確かに世の中には「真のオンリーワン」も実際にいますから、人生の選択として「ナンバーワンではなくオンリーワンを目指そう」と訴えてもいいわけですが、社会全体でそれに該当する人の割合は高くないと私は思います。結果はすぐには出ないとはいえ、ほとんど場合は「ひとりよがりなオンリーワン」で終わることの方が多いと考えられます。

 この曲の「花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた」「ひとそれぞれ好みはあるけれど どれもみんなきれいだね」「この中で誰が一番だなんて争うこともしないで」…という歌詞に対して、「花屋に並んでいる花は、生産農家で汚い花ははじかれ、よりきれいな花だけを選別した上で出荷しているわけだから、競争に勝ち抜いた花である」みたいな指摘をするネット記事を先日読みました。この記事では、オンリーワンとして今の自分に満足するのではなく、さらに自分を磨いていくことが重要と説いていました。確かにその通りです。

 お花畑的な理想論にすがって満足したところで、世の中が競争社会というのは紛れもない事実ですし、これからも変わらないでしょう。花屋の店先に並ぶ花にしても、どんなに個性的な美しさがあっても売れなければ、結局、花屋さんは次回から仕入れるのをやめて、より多く売れる花にシフトしていくでしょう。そういう社会の中にあって、それでもオンリーワンとして輝ける人も確かにいるでしょうが、それを目指すには少なくとも徹底的に考え抜き徹底的に努力して、ほかの誰も達していない境地に立つ必要があります。
 自分の頭に浮かんだ、いかにもそれっぽい答えがきっと正しいと思い込むだけで、オンリーワンとして存在感を示せるなんて、あまりに図々しいし、なおかつ脳天気過ぎます。

 私は、普段から多くの人の意見を読み聞きする中で、人々の物事の判断方法に根本的な欠陥があることに気づきました。本項その7記事にも少しつながってくる話しですが、頭の中にあるガラガラポン(回転式くじ引き機)が回って出た玉の色で判断するみたいな判断方法をしている人が結構いる…ということです。
 本来は、その判断に必要な情報を集めた上で、時には自分が絶対に正しいと思っていることでさえ、一度は疑ってみて、とにかく徹底的に考え抜き、しかも常に論理的に演繹(えんえき)を重ねて結論を出すのが、本来あるべき方法ですが、それを実践するのは、とてもめんどうで時間もかかりますし、専門的な内容では、素人がいくら考えても限界があります。それよりも頭の中のガラガラポンが回って出てきた玉の色が「きっと正しい答えだ」と信じ込む方がはるかに簡単です。

 頭の中のガラガラポンとは、本項その3記事でも書いたゲシュタルト効果とイコールでもあります。脳は、自分が持っている情報がどんなに少なくて空白だらけだったとしても、その空白部分を自動的にいかにもそれっぽく埋めて、勝手に判断してしまう性質があり、これをゲシュタルト効果と呼びます。
 それは、便利な反面、非常に危険な機能でもあります。実は、まるでわかっていないことなのに自分の脳が、自動的にポンと答えを出してくるので、多くの人はその答えがきっと正しいと思い込んでしまうわけですが、それは単に頭の中のガラガラポンが回って、いわばテキトーに玉が出ているに過ぎませんし、また往々にして自分にとって都合がいい玉を脳が無意識のうちに選びがちだったりもします。しかも多くの人は、自分の頭がそういう非常にいい加減な方法で答えを出している事実にまるで気づいていないどころか、その答えに自信満々だったりするわけです。なんかもう世も末という感じです。
 敢えていえば、大して重要ではないことに関しては、時にテキトーにガラガラポンで答えを出しちゃってもいいんですが、あくまで「ガラガラポンで出した答え」だということをきちんと自ら認識しておくことが最低条件になります。

 ガラガラポンで判断しているか否か、を判定するには、ご本人にそう判断した根拠を聞いてみるだけで、すぐにわかります。ガラガラポンが回っているだけの人は、それに対して「なんとなく」くらいのことしかいえません。あるいは理由程度のことを少しはいえても、根拠といえるような理路整然とした説明は、まず間違いなくできないでしょうね。

 ガラガラポン思考方法から脱するには、自分が出した答えがあったとしても「その根拠は何か」と自問自答して冷静に振り返ってみることです。自分が正しいと思い込んでいることでも根拠を考え直すことで、実は根拠らしい根拠がないことに気づけるかもしれません。そこで、もう一度考え直すことで、より正解に近づけることも可能となります。
 そういうことを慎重に繰り返してこそ、オンリーワンとして輝ける可能性が生まれるのであって、ガラガラポンだけで判断するような人がオンリーワンとして輝けるとは到底思えません。







 




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