専門外の素人の見立ては間違っている
可能性が高いと謙虚に考えた方が無難






 世の中には専門知識がないと判断できないことはいっぱいありますよね。医学なんて特にそうですが、理系・文系問わず、すべての専門分野において多かれ少なかれ、何かの判断をする際には専門知識が必要であり、専門外の素人が薄っぺらな知識を元に見立てをしても、大抵の場合、正解とズレているのは当たり前のことです。

 この指摘は、専門分野に身を置いている人であれば、おそらくほぼ100%の割合で容易に納得してもらえると思います。なぜなら専門分野に身を置いている人(特に専門性の高い分野なら、なおさら)は、これまでに専門外の素人からズレまくった意見をいろいろ聞かされて辟易しているので、素人がどれほどズレたことをいうものなのか、経験上知っているからです。
 しかし、世の中には自分の専門分野といえるものがまったくない人、あるいはほとんどない人もいっぱいいます。そういう人(=世論の何割かを占める人たち)は、素人からズレたことをいわれた経験が一度もないので、その落差がどれほど酷いものなのか、想像すらできないと思われます。従って専門外のことでも慎重さの欠片もなく、自分の頭に浮かんだ「ズレまくった考え」を平気で口にできるわけです。しかも、多くの場合、それでも彼らは「自信満々」なので、私なんかはホントに毎回、反吐が出そうなんですけどね。

 このことは、弓道にたとえるとわかりやすいかもしれません(アーチェリーでもいいですが)。弓道を一度もしたことがない人がいきなり弓と矢を渡されて、的めがけて矢を放っても、まず間違いなくあらぬ方向へ飛んでしまい、的に当たらないだろうことは容易に想像できます。高い確率で的の中心にピタッと矢が刺さるようにするには、日頃の訓練はもちろんですが、弓と矢の構造や材質の特性、あるいは弓を引くときの姿勢…等々、弓道全般の知識だけでなく、腕や肩、胸などの筋肉を鍛えて、さらに視力もよくないと無理な話です。

 専門分野において、素人が自分なりに答えを見立てる場合も同じことです。「正解」という的の中心に矢を当てるためには、判断に必要なその分野の知識をしっかりと有した上で、さらに細かく考えて分析を進めなければなりませんが、その分析にも訓練が必要であり、そういう知識もなければ、分析の訓練さえも積んでいないのに、自分の頭に最初に浮かんだ、いかにもそれっぽい答えが、きっと正しい(=きっと的の中心に当たっている)と思い込むのも、あまりにも脳天気過ぎる話しです。こういう人は、前述した通り、特に専門分野を持たない人に多いわけです。

 具体例を出しましょう。先日(2017年12月)、広島高裁で伊方原発運転差し止めを求める訴訟で、住民側の訴えが認められる判決が出ました。この報道を受けてネット上の意見を読んだところ、次のようなものがありました。


判決内容を読んで笑った。伊方原発まで火砕流が達するような阿蘇山の大噴火が起きれば、原発云々の前に九州の人はみんな死ぬわ。



 つまり、原発の運転を止めても無意味ということをいいたいのでしょう。一見、筋が通っているようにも思えますが、みなさんはどう感じるでしょうか。おそらくこの人は、判決内容を読んだ瞬間に自分の頭に浮かんだ、この考えに「オレって、なんて頭がいいんだろう」と思ったに違いありません。そして「いや、待てよ。確かにそうとも思えるが、間違っている可能性がないかどうか、念のためもう少し考えてみよう」と慎重で冷静な考えが微塵も浮かばなかったのも間違いないでしょう。世論も含めて、世間一般の意見の大半は、実はこのレベルに過ぎません。

 私は、関連分野のいずれの専門家でもありませんので、かなり慎重に考えてみましたが、広島高裁の判決には一定の合理性があって、半分くらいは納得できるものだとの結論に至りました。もちろん自分の考えが間違っている可能性も十分想定した上でのことです。ちなみに私は感情的な原発反対の意見にはまったく与しません。

 前述した人の意見は、要は単純過ぎると私は考えます。おそらくこの人は、阿蘇山が壊滅的な噴火をすれば、阿蘇山を中心に360度の方向へ向けて火砕流や熔岩が流れ出し、九州全土がのみ込まれる構図を勝手に思い描いているのでしょう。しかし、いくら壊滅的な噴火が発生したとしても、その可能性は高くないはずです。ほとんどの場合はいくつかの方向に火砕流や熔岩が流れ出すくらいであり、仮に南九州に大打撃を与えた6300年前の鬼界カルデラ噴火のような大噴火、あるいはそれ以上の噴火が発生して360度の方向に流れ出たとしても、そのすべての方向において九州本土末端に達するほどの規模となり、そのエリアにいる人全員が死ぬ可能性が高いとは思えません。日本史上、最悪の火山被害になることは間違いありませんが。
 もし一部の火砕流が伊方原発に達して(豊後水道を越える可能性については議論の余地あり)放射線や放射性物質が外部に漏れ出れば、運良く生き残った九州の人たちは火山禍に加えて放射線禍まで背負うことになります。もちろん阿蘇山噴火の被害が九州ほどではなかった中国・四国地方の人たちまで、放射線を浴びることになります。仮に九州の人が全員死ぬ事態になったとしても、その時点で伊方原発や九州のほかの原発がなければ、少なくとも中国・四国地方の人たちが放射線を浴びずにすむのは間違いないでしょう。

 また福島原発事故では、原子炉の冷却ができなくなり、ヘリコプターで決死の冷却水投下作戦や放水車で水をかけたりすることが可能だったわけですが、もし伊方原発で同じようなシチュエーションになった場合、それさえもできない可能性が高いと私は思います。なにより問題なのは阿蘇山から見て偏西風の風向き方向に伊方原発があるという事実です。つまり阿蘇山の火山灰は、伊方原発方向に流れる可能性が高く、原発やその周囲に火山灰が降り注げば、ヘリコプターは飛ばせず、原発周囲に放水車を配置することすらできないかもしれません。つまり、事故対策が何もできない可能性が想定できます。
 仮に原子炉自体には、直接の火山被害がなくても、冷却施設に被害があれば、原子炉を冷却できなくなり、福島原発よりも酷い炉心溶融が起きると想像されます。

 広島高裁の裁判官は、そういう想定もしているということで、ある意味、さすがプロフェッショナルともいえますが、一方で火山の専門家ではありませんので、リスクを過大に評価している可能性もあります。このような専門性の高い裁判では、法律や裁判という専門分野と、それ以外の専門分野(この場合は火山学等)の両方の知識が必要であり、非常に難しい判断が迫られます。いくらプロの裁判官でも容易ではないでしょう。

 結局、阿蘇山の壊滅的な噴火が将来、起きるか起きないかという、かなり無理な予測であり、被害が甚大であることが予想されれば、可能性が低くても対策をすべきというのは、ある意味間違っていませんが、かといって極めて可能性が低いことに過剰な対策をしすぎると、その費用はすべて電気料金に反映されますので、それはそれで問題ということになります。簡単に答えは出せない、ものすごく難しい問題です。

 素人が、どんなトンチンカンな意見をいおうと自由なわけですが、専門家でも難しい判断なのに、素人が、ちょっと考えただけで、それよりも上位の答えを出せていると勝手に思い込むのも、ホントにオメデタイと言わざるを得ません。どうせ胸を張るのなら、もっとレベルの高い意見にしてほしいものです。少なくとも同じく素人である私でも想定していることを想定していないという時点で、想像力が大したことないのがモロバレですね。






 




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