Nature

私のこれまでの編集体験で感じたことなどを好き勝手に書いたものです。

植物記
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読者からのクレームについて T
 〜登山ガイド記事の常識を知れ〜


 これまで約10年近く登山やハイキング関係のガイド記事を雑誌や書籍に書いてきたが、その間、私が出版社を経由して読者からクレームを受けたのは2件である。記事の間違いに気づいたけど、わさわざクレームまでしようと思わなかった人もいたかもしれないが、今のところそのくらいだ。
 もちろんガイド記事を書く際には充分に注意や確認もし、なるべく繰り返し現地を訪れるようにもしているが、所詮人間のすることだから思い違いもあればケアレスミスもある。それに確認といっても、頼りの地元観光協会に確認したことが、あとで間違いだったことが判明した例も何度かある。また取材時は正しくてものちに現地状況が変わったりすることもあり、ネットではリアルタイムで修正もできるが、出版物はその性質上、修正は重版時のみしかできない。つまり100パーセント完璧なガイド記事はそもそも不可能なのである。
 さて、その2件のクレームがどうだったかというと、真摯に反省しなければならないというには程遠いものだった。ひとつは、私が書いた記事を参考に初めて山登りをしたというビギナーからのものだった。歩行時間が5時間とあったので夕方には下山できると考えて、正午に登山口をスタートしたという。ところが、ガイド記事には「一般向き」とあったのに登山道は思った以上に険しくて途中で日が暮れてしまい、懐中電灯もないので真っ暗な道を泣きながら下ったという。山のことを知らない人が聞けば、何とけしからんガイド記事かということになるのだろうが、私はまったく申し訳ないとは感じなかった。この例は5時間のコースを正味5時間でこなせると考えたのが、そもそも間違いである。休憩時間や昼食時間は人によって違うから、当然その時間は歩行時間には含まれていない。これは、どの登山ガイド記事でも共通することだ。しかも歩行時間というのは人によって大きな開きがある。日頃からよく運動をしている成人男性であれば早く歩けるだろうし、小さな子供と一緒に歩けば当然スピードダウンするはずだ。同じ人物でも体調や天候によっても変わってくる。つまり誰にでも当てはまる正確な歩行時間というのは存在しないのだ。だからこそ登山やハイキングでは余裕を充分に見たスケジュールを立てる必要があるわけで、5時間のコースなら朝8時頃にスタートして、途中、昼食を食べたり休憩したりしながら、午後3時頃に下山するというのが、ごく普通のスタイルだろう。つまり正味の歩行時間は5時間だったとしても休憩時間も含めた総所要時間は約7時間くらいはかかるということなのだ。もちろん総所要時間は人によって違うから、これ以下ですむこともあれば、それ以上かかることもある。また道に迷ったり、怪我をしたりといったハプニングもないとはいえない。そんな事態が発生すれば、当然それだけ時間を消費する。そんな観点からも時間には余裕を見なければならないのだ。
 例えば、受験する日に時間ギリギリに家を出て試験会場に向かう人はいないだろう。多くの人は普段よりも時間に余裕を見て出かけるはずだ。それは、もしかすると交通機関の遅れや道を間違ったりして予定通りに会場に着けないかもしれないからであろう。登山もこれと同じ事だ。つまり何らかの事態によって予定が狂った時に、その結果が重大な事態に及ぶ可能性があれば、そうならないように時間に余裕を見る、という意味で同じことなのだ。つまり普段から似たようなことを経験していながら、登山に関してはなんで時間ギリギリの計画を組むのか、私にはまったくわからない。しかも初めての登山で。
 コースレベルを示す「一般向き」といっても、あらかじめ体力テストを受けるなど、客観的なデータをもとにしているわけではないのだから、平均をかなり下回る体力しか持ち合わせない人でも自分は一般的な体力はあると思っている場合だってあるだろうし、その逆もあり得る。「家族連れ向き」「一般向き」「健脚向き」といっても、あくまで大ざっぱな目安でしかない。
 こんなことを書くと、登山を一度もしたことがない人は何も知らないのだから、そのあたりのことを詳しく解説すべし、と感じる人もいるかもしれない。私も紙面に余裕があればなるべく当たり前のことすら書くようにしているが、自然の中で注意すべきことはこれだけじゃない。ビギナーでもあらゆる事態に対処できるようにするためには、注意点をまとめた本を丸々1冊付録につけなければならなくなってしまう。つまり道に迷ったとき、怪我や病気をしたとき、雷やクマに遭遇したときはどうするか…等々、そもそも山の中で発生する緊急事態は無数にあるのだ。それを完璧にフォローするのは不可能である。ドライブのガイド記事で「○○インターから車で1時間とありますが、この時間には途中で立ち寄るレストランの休憩時間は含まれていません」とか「渋滞に巻き込まれると、到着時間が遅れる可能性があります」といった当たり前のことをわざわざ書かない。そんなことは常識の範囲内だからだ。同じように登山・ハイキング記事にも常識の範囲というものがある。そんな常識の範囲すらも知らない人に登山ガイド記事の方がおんぶにダッコで合わせるのではなく、知らない人は自分で登山入門書を別に購入したり山岳会に入会するなどして、その常識に合わせるべく努力するべきなのだ。すべての登山ガイドに、そんなことまでみっちり解説しろ、と要求するのは無理というものだ。さらにいえば常識すら知る努力をしたくない人は、せめて自分の無知が問題に発展する可能性がある歩行時間の長いコースをいきなり選ぶのではなく、ごく短時間の初級者向きコースから初めて徐々に山に慣れていくようにすべきなのだ。だが、実際にはそんなことおかまいなしに、いきなり難易度の高い山から始めるという猛者が多いのにはただ呆れ返るばかりだ。(記事Uに続く)
 
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