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日記
 2017年8月〜2018年7月
過去の日記目次
2018年7月31日(火)
最近のニュースで感じたこと
 今月初旬の話題で申し訳ないが、西日本豪雨災害の際に安倍首相をはじめとする自民党議員たちが議員宿舎で酒宴を開いていたとして問題になった、いわゆる「赤坂自民亭」について取り上げたい。直後に取り上げたかったけど、取材に忙しかったもんでね。

 この批判を表面的に読み聞きするだけだと、いかにも「西日本各地が大変な被害に遭っている最中に安倍首相と自民党議員たちが呑気に酒宴を開いていたとは、なんという不見識!! 宴会に参加していた政治家全員けしからーん!!」ということになるのだろうが、私が、それを報じるネット記事を読んで、まず思ったのは「時系列はどうなのだろうか?」ということだった。

 で、調べてみたが、赤坂自民亭が宴もたけなわだったと思われる5日夜の時点では、まだ気象庁予報部から「大雨特別警報」は発表されておらず、同日午後2時に「西日本と東日本における8日頃にかけての大雨について」という報道発表がされているだけ。その後も翌6日10時30分に「西日本と東日本における記録的な大雨について」という報道発表がされ、この時点では「大雨特別警報を発表する可能性がある」という言い方しかしていない。実際に西日本各地への大雨特別警報が発表されたのは6日の夕方から夜にかけてであった。つまり、赤坂自民亭のおよそ24時間後ということだ。その後、各地の被害が明らかになっていくわけだが、そもそも被害が出たのも結果論に過ぎない。

 被害ゼロで終わる大雨特別警報もある中、「明日には大雨が降るかもしれない」「ひょっとすると被害が出るかもしれない」というくらいの前夜の時点で、あらゆる事態を想定して酒宴も何もかも控えるべき…というのは、どう考えても行き過ぎではないか。赤坂自民亭が行われたからといって被害が出た地域に具体的にどんな不利益があったというのか? 仮にそれを控えたからといって何かプラスになることでもあるのか? 赤坂自民亭を批判する人たちは、この2点について具体例を列挙して教えて欲しいものである。

 彼らが酒宴を開いていたのは、被害が発生する24時間以上前の話であり、たとえ、どんなに派手な宴会を前夜に開こうが、翌日に被害が発生した段階で適切・迅速に政府として対応さえすれば何ら問題ないはずだ。この対応に不備があれば、批判されるのは当然だけどね。

 この件は、一般の人が勝手にイメージしているような「西日本に豪雨災害が発生している最中に、それを知った上で宴会が行われたのではない」ということである。

 こうした野党の的外れ批判やマスコミのミスリードに気づけず、「赤坂自民亭=けしからん」という人は、本当のことをいって大変申し訳ないが、一人の例外もなく全員「検証能力ゼロ」と申し上げるよりほかにない。

 おそらく、この問題がテレビで頻繁に取り上げていた時期に正義気取りで批判していたジャーナリストやコメンテーターはいっぱいいたと思うが、上記の理由からこの件を批判していた人たちを今後、信用してはいけないと思うね。だって自分自身にロクな検証能力さえもない人が、マスコミの論調だけ見て、それに安易に合わせて批判しているとしか思えないもん(=それなら一般人にもできる話し)。どう考えても信用できないじゃん。世の中には、表向きは立派に見えるニセモノがいっぱいいるんだよ。それをこういう機会にきちんと見抜かなきゃね。

 私の指摘を確かめたい人は、気象庁の7月5日から6日にかけての報道発表時系列を確認すれば、一目瞭然である。


2018年7月27日(金)
妙高山・燕新道
 今月は、取材に出たり帰ったりの繰り返し。特に先週からは約10日間の取材が続き、ずっと晴天に恵まれ、たっぷり日焼けして水曜日に帰宅した。今回は特に山岳地の取材が多かったこともあり、とにかく歩いた歩いた。いやになるほど歩きまくった〜!!

 特にハードだったのは妙高山。登頂するのは二度目だが、前回のコースとは異なる燕温泉からスタートして北地獄谷を経て山頂に立ち、長助池を経由する燕新道で下山するプランのもと燕温泉の駐車場をスタート。ところが、燕温泉街を抜けたところにある登山届入れに思わぬ表示があるのを見つけて唖然とする。妙高市が「大倉沢は通行不能」と地図付きで注意を促していた。大倉沢というのは、燕新道途中にあるため、大倉沢が通行不能ということは、すなわち燕新道で下山できないことになる。あららら…。予定のコースをたどれないのか、とガッカリ。

 それにしてもどういうことなのだろう?と思った。というのも前日、妙高高原ビジターセンターに立ち寄り、妙高山の登山道状況を確認すると、確かに大倉沢に注意を促されたが、「通行止はない」との返答だったからだ。ビジターセンターと市。どちらの見解が正しいのだろうか?

 今は早朝4時半なので双方に電話して確認することもできない。山頂からスマホで電話するか、つながらなければ往路を戻るしかない。そんなことを思いながら、とにかく登山を開始した。途中、ほかの登山者にも聞いてみたが、笹ヶ峰へ下る人や往路を戻る人ばかりで、新道の通行止に支障がある人はいなかった。

 ところが天狗堂で聞いた男性2名は、山の情報にすごく詳しい地元の人たちで、それにより事情が判明。通行不能の掲示は、登山ビギナーが事故に遭わないようにするため市が決めた予防措置であり、通行が物理的に不可能というわけではないという。もともと大倉沢に橋は架かっておらず、かつては飛び石伝いに渡れたが、昨年、豪雨で沢が荒れ、それができなくなっているらしい。ただ、靴を脱いで素足になれば徒渉は可能とのことだった。今のところ晴天続きで沢の水量は多くないだろう。昨年夏、自分も行ったが、膝下くらいの水量で靴を抜げば徒渉できた…とのことだった。つまり、ビジターセンターと市。どちらも間違っていたわけではなく、微妙な立場とニュアンスの違いに過ぎないというわけ。

 この情報を得て、予定通り燕新道で下山することにした。ただ、万一この情報が間違っていた場合は、かなりめんどうなことになるのも確かだった。大倉沢は、山頂から3〜4時間も下った、燕新道の終盤に渡る沢なので、もし徒渉できない場合は、ものすごいロス承知で往路を戻るか、やはり危険箇所がある神奈山に大きく迂回するか、黒沢池ヒュッテを経由して笹ヶ峰に下山するか。いずれにしても日があるうちに下山するのは確実に不可能になってしまう。ビバークするハメになる可能性も高い。

 山頂で話した単独行の男性登山者も燕新道で下山するとのことだったので、上記事情を話しておいた。男性は「もしダメだったら、ものすごいロスですね」といって先に下山。私も遅れて下山を開始した。

 途中までは、黒沢池ヒュッテから登ってくる登山者数名に出会ったが、その分岐を過ぎると人の気配はなくなった。おそらく登山者はみんな燕温泉登山口の注意書きを見ているはずなので燕新道経由で下る人は、ほとんどいないと思われた。特にこの時間になれば、なおのこと。足の怪我だけは注意しなければならないと気を引き締めたが、長助池以降は、なかなかハードだった。地図にあるコースタイムのようには、とても歩けなかった。笹や草が覆い気味で時に完全に隠れてしまう箇所もあるような、か細い道で、岩や石がゴロゴロしていたり、斜面ギリギリに続いていたり、しかもそんな道をいくら下っても下っても一向に大倉沢に出る気配がない。随分下って、ようやく下の方から沢音が聞こえ始めても、樹間から感じる谷の高度感は結構あって、まだまだ先としか思えない。さらに下って下って、これでもかこれでもかというくらいに下って、ようやく大倉沢に出た。

 徒渉地点を見るのは、ちょっと勇気が必要だったが、天狗堂で出会った男性たちの「内容の詳しさ」から情報精度は高いと感じ、おそらくその情報に間違いないだろうとも思ったし、しかも先行して下山した男性登山者が戻ってこないことも心強かった。意を決して見てみると、なんてことはなかった。水面から顔を出している石はほとんどないが、余裕の状況だった。これなら靴を脱ぐ必要もないと判断し、靴のままで徒渉したら、少し靴が濡れたくらいで、あっさり渡れた。あ〜よかったぜ!! それにしても状況が状況だけに、ちょっとヒヤヒヤだったのは間違いない。

 しかし、大倉沢を無事渡ってからも道のりは長かった。もううんざりを通り越して、あまりの長さに腹が立ってくるほどだ。時刻は5時をまわり、森の中は次第に薄暗くなってくる。惣滝分岐に出て、ようやくひと息。と思う間もなく、男女の登山者が後方から下ってきた。さらに燕温泉駐車場に到着して服を着替えていると、5〜6名のグループも下山したきた。その中の一人が「12時間」といっていたので、おそらく彼らも燕新道を下ってきたのだろう。登山者は誰もいないと思い込んでいたが、実は私のあとに結構、登山者が続いていたことになる。そのグループの中の女性が私を見て「お疲れ様です」と声を掛けてきたが、そういいたくなる気持ち。私もわかる。本当に無事に下山できたことに心底ホッとするほどの道だった。みなさんも本当にお疲れ様です!! それにしても長かったですね〜。


2018年6月29日(金)
ちょっとヤバかった難路再挑戦
 6月9日付の日記に書いた「ちょっとヤバかった難路」に性懲りもなく再挑戦してきた。途中でロープが切れていた箇所に対応するために30mのザイルを持参。これならロープ先の斜面も楽勝…と思っていたのだが、再度現場に行って、それが勘違いだということに気づく。

 前回、目的地間近で眼下にロープが現れたので、ここから斜面を下るのが正規コースだとばかり思い込んだのだが、実はその手前でコースが二手に分かれ、ロープ箇所で再度合流していただけで、前回見た「途中で切れているロープ」は途中で切れていたのではなく、もう一方のコース途中に掛けられたものに過ぎないことがわかった。つまり、コースがとにかく不明瞭なので、コースが二手に分かれていることも判然とせず、正規コースだと勘違いした斜面が草に完全に覆われておらずに微妙な雰囲気だったのも災いした。

 前回はロープのないコースを選択してしまったが、今回はロープがあるコースをたまたま選択してしまったためにそのことに気づいた次第。よく見るとロープ上端箇所からさらに上に向けて細い踏み跡があるのを今回、見つけた。これが正規コースのようだ。あーあ、せっかくザイルやハーネス、アッセンダーなど一式約4キロの装備を担いで来たのに無駄だったなあ…とガッカリ。

 その踏み跡をどんどんたどると、道は少し明瞭となり、まさに正規コースだと確信できた。ところがである。最後の最後。目的地まであと一歩というところで、またロープが掛けられた斜面の上に出た。ただ、ロープを降りずに直進するような踏み跡らしきものは一切見あたらないことから、前述のような二手に分かれて再度合流するコースの一方というわけでもないようである。ということは、今度こそ、このロープで下るのが正規コースとしか思えない。

 かなりの急斜面で足場も悪かったが、ロープ頼りに下ってみた。その先にはガレ場のような石がゴロゴロした幅1mくらいの道といえば道。道じゃないといえば道じゃないみたいな不明瞭な状況が河床まで続いているようだが、ロープもなければ、テープ印も一切ない。「道にしては若干疑念が残る」と迷いは消えなかったが、付近に道らしきものはこれしかない。

 で、その怪しい道を下ってみたのだが、その先に思わぬ奇観が現れ、ビックリしつつも、コースのことが気になって十分に驚く余裕もなかった。とりあえず、その奇観をカメラに収めたが、この地点の先もやっぱり曖昧な状況に変わりはなく、上から覗いても確信は得られない。しばらく迷った挙げ句、念のため下ってみることにしたが、前回の日記でも書いたように、こういう微妙な斜面って意外とヤバイ可能性がある。無理して降りたはいいが、戻る時に登れない危険性も捨てきれない。なので、せっかく持参したので念のためザイルで降りることにした。ザイルを取り付けられる太い木が近くにないため、株立ちの灌木の根元にザイルを回し、力一杯引っ張ってみて大丈夫そうなのを確認して下降。だが、下には巨岩の間から水を落とす落差5mほどの小さな滝があるばかりで、道らしきものは一切なく、河床伝いに遡上するのは完全に無理だった。

 仕方なくザイルにアッセンダーをセットして再び戻ったが、もしザイルなしで降りたら、掴める木もなく、おそらく登れなかっただろうと感じた。とりあえず今下ったところが正規コースではないということが確かめられたので、別途、直進する道がないとおかしいことになる。さすがに諦めようかとも思いかけたが、念のため付近のヤブを探索したところ、予測が的中しヤブに隠れ気味の道を発見。どうもロープで下ったところから登りに転じる道があったようなのだが、上部の岩壁から岩が崩れて、肝心の分岐箇所が消えてしまったようだ。

 ヤブの中で見つけた道を下ると、ついに目的地に到着。実は目的地は滝なのだが、私の一番の目的は滝ではなく別の物。といっても希少植物というわけでもないのだが、情報通りにおもしろい奇観を楽しめた。

 前回の失敗を教訓にピンクテープ(登山道のテープ印によく使用される粘着性のないビニールテープ)をウェストポーチに入れ、テープ末端をチャックから出しておいて、往路で道不明瞭箇所に遭遇次第、テープをスルスルと引き出し、手で必要の長さにちぎって木に結びつけることを繰り返しておいた。なので帰路はほとんど迷わずに(といっても、それでも一度コースアウトしてしまったが)無事に難路を脱した。

 ところで帰路、往路では気づかなかったものが点々とあった。それは薄ピンク色の紙の付箋。ホッチキスで笹の葉にとめられていた。あれ? 行く時にこんなものあったかな? とちょっと思った。
 難路を抜け、一般登山道を下って午後4時に登山道入口に無事に戻って来たのだが、その空き地に一台のバイクがあった。朝はなかったので、そのあとにバイクで来て、登山か山菜採りか、あるいは上流の野湯か、目的は不明だが、何らかの行動を開始した人がいたことになる。もちろん登山だとしても一般登山道の往復だけかもしれないが、前述した付箋のことがどうしても頭に引っかかって、いろいろ想像してしまった。

 というのもその付箋は、朝露や雨に濡れた形跡がなく、ホッチキスで止められたのは昨日今日のことと思われた。もしかして私が難路に進入したあとにバイクの人も進入。迷わないように付箋をホッチキスで止めながらコースをたどった。ところが前回の私と同じようにコースアウト。コースに復帰する前に私が帰路として通過したため遭遇することなく、行き違いになった。だから今もバイクの人は道なき道を迷っており、午後4時になっても登山道入口に戻れていない…とか?

 悪い方に考えればその可能性もゼロではない。ただ、どちらかというと一般登山道を往復しているだけという可能性の方が高いだろう。私が二度も進入したコースはとにかく難路。ほかにも稀に進入者はいるだろうが、数は圧倒的に少ないと思われる。付箋にしてもコース後半にはなかったので、進入を試みたが途中で断念したとも考えられる。
 こういう例って、どうするのがベターか悩ましい。これくらいの状況であれば、想像の域を出ず警察に知らせるほどでもないしなぁ。

 それにしても「上級者向け難路」のやっかいさを改めて認識させられた。「上級者向け」というと岩場での登攀技術云々と考えがちだが、実は非常にわかりにくいコースを正しくだとる技術が要求される場合もある。今回のコースはまさにそれ。加えて灌木に回したザイルが途中で外れて滑落するとか、河床に取り残されるとか…悪い方に考えるといくらでも最悪のパータンが頭に浮かぶ。単独行なので慎重に行動したつもりだが、結局は運にも左右される。

 一度ですむところを二度手間になってしまったが、二度とも無事に帰還できたことは、とにかくよかった。


2018年6月22日(金)
MSM
 MSMは、植物に含まれる有機硫黄、メチル・スルフォニル・メタンの略。主に炎症の緩和などに効果があるとされ、近年注目されている物質。私も十年以上前からMSMを含んだクリーム(カナダ製)を使っているが、確かに効果があり、今や欠かせないものになっている。先日もなくなったので、新たに購入したが1本約7000円もするので、買うときは「それにしても高いな〜」と毎回思ってしまうのだが、ないと困るし、一度買うと忘れるほどあるのでネット注文した(アマゾンでも買える)。
 クリームは、もちろん外用だが、内用のパウダーもあり、こちらは国内製薬会社の商品を買っている(カナダ製のようにハーブ成分が入っていない分、安価なので助かる)。MSMパウダーは、関節炎のような炎症や花粉症にも効果があるほか、口内環境を衛生的に保つ働きもあり、私は先日の日記で書いたプロポリスと併用している。こちらも効果を実感する。
 
 サプリメントは、うまく使えば健康維持に有効であり、私は、近年のサプリブームの前から、もう二十年以上ずっと日常的に愛用しているが、その効果に驚くことも多い。よく薬の成分と混同している人がいるが、サプリメントの主要成分は普段も食事などで摂っているものであり(厳密に化学的にいうと、前駆体とか異性体とか、微妙に違うこともあると思うけどね)、身体にとって初めて、もしくは稀な存在である薬の成分とは根本的に違うということ。もちろん、ビタミン類やミネラル類は過剰に摂取すると害になるものもあるので注意は必要だが、全般にリスクは薬よりも低いと思われる。

 男性は亜鉛不足になりやすく、亜鉛が不足すると味覚障害のほかに皮膚や粘膜が弱くなり、特に後者の場合はそれにより風邪をひきやすくなったりする。亜鉛を正常に摂取して粘膜が健全なら、少々の細菌やウィルスに対してはブロックできるが、亜鉛不足で粘膜が弱くなると、完全にブロックできなくなり、その防御のために身体が外敵を洗い流そうと、鼻水という形になって表れるわけで、風邪をひきやすい人や、鼻水がよく出る人は亜鉛不足を疑ってみてもいいかも。もし原因がそれであれば、亜鉛サプリを服用すると劇的に改善するはずだ。サプリメントはうまく使えば、メリットは大きい。ただし、亜鉛は摂りすぎると障害が出るので、注意したい。


2018年6月15日(金)
新幹線殺傷事件その3
 ひつこいけど、今後のこともあるので、もう一回取り上げたい。ネット上でも「ほかの乗客が加勢すべきだった」という私と同じような意見は根強くあるようだ。それに対して「刃物を振り回す犯人に対して一般人は逃げるしかない」とか、「いくら応援の人がいても、新幹線の狭い通路では犯人と一対一で向き合うしかない」…などの反論が出ているらしい。それにしても、おまえらアホか!! 

 刃物を振り回す犯人に対しては、仮に警察官でも盾も警棒も拳銃も防刃チョッキもない丸腰なら何もできない。一般人なら余計に無理。重要なのは次の点だ。
 この事件の報道で「梅田さんが犯人の小島を背後から羽交い締めして刃物を持った両手を押さえつけていた」との目撃者の証言があったが、その瞬間がものすごく重要なタイミングだった。わずかな時間でも確実に犯人の動きを封じていた、その状況の重要さを一瞬で見抜いて、まわりにいたほかの乗客が、即座に駆けつけて犯人の両手を押さえつけるのに力を貸すべきだった。その状況は、なにかのきっかけで逆転する可能性もある(実際、列車が揺れたのがきっかけで梅田さんは転倒してしまったらしい)。だから駆けつけるのは即座である必要がある。迷ったりするヒマはない。

 この時、力を貸すのは何も男性でなくても女性でもよかった。女性でも十分、犯人の動きを止めることができただろう。「腕力のない女性には無理」といわれそうだが、仮に梅田さんが20kg、小島が21kgの力だった場合。わずか1kgの力の差で形勢が逆転しそうだったとしても、女性がその4分の1のわずか5kgの力でも手を貸せば、25kg対21kgということになり、小島の動きを封じることができた。そもそも腕力がありそうにない小島の動きを止めのは、複数の人の力があれば難しくないと想像される。それを左右の手でそれぞれ誰かが手を貸し、さらに腕力のある男性が力尽くで刃物をもぎ取ればよかった。複数の乗客が力を合わせれば、負傷者2名だけで事件は一件落着だったかもしれない。梅田さんは死なずにすんだかもしれない。

 梅田さんも自分でなんとかできると思わずに「誰か手を貸して下さい」といってもよかったのではないか。せっかく、そういうチャンスを梅田さんが作ったにも関わらず、こういうことに想像力が一瞬で働かない12号車の乗客。12号車でも、もみ合いの現場から離れていた乗客には責任はないかもしれないが、特に梅田さんと小島が激しくもみあった周辺の乗客が、結果的に梅田さんを見殺しにしたというと言い過ぎだろうか。
 こういう時に一瞬の機転が利かず、ただ「キャー」といって逃げるしか能がないのもどうなんでしょうねぇ。


2018年6月14日(木)
山岳奇譚
 11日。アクセスが集中してカウンターがすごいことになった。何事かと思って翌日、アクセス解析のページを見たら、本サイト「山岳奇譚」へのアクセスだった。特に「甘利山・椹池の湖底に突き刺さった鉄剣の謎」ページは、その後も合わせて、3日間に4516件もアクセスがあった。

 過去にも似たようなアクセス集中は何度もあったので、驚かないが、近年はヤマケイの『山怪』がベストセラーとなったこともあり、それを見た他社も類似本を出したりして、山の不思議な話が注目されやすくなっていることはあるのかも。

 ちなみに『山怪』は、私も読んだけど、どこがいいのかよくわからなかった。ちっとも怖くない話しばかりで、こんなものを絶賛している読者の程度が知れると思ったけどね。1980〜1990年代のヤマケイにあった読者投稿の「山の不思議な話」の方がよほど引き込まれる内容が多かった。それを一切知らない今時の読者なら、こんなもんでも満足するんだ…ということがわかって、それはそれで勉強になったけどね。

 この企画はヤマケイが出したことでベストセラーになっただけの話し。日本の登山者は「ヤマケイが出すものは無条件にスゴイ」「ヤマケイに載っているものは自動的に正しい」と思い込むような次元の低いレベルだからこそ商品として成功した。もし、この企画が他社だったら、ここまで売れなかっただろう。つまり裏を返せば、日本の登山者は、「ヤマケイ自体の問題に気づくことはほぼ無理」とイコールでもある。それだけレベルは低いってこと。そんなもんで、○○岳を踏破したくらいのことで胸を張らない方がいい。

 まあ、それはともかく。私はもともと不思議な話や怖い話が好きで、それが本当の話しかどうかというよりも、そのストーリーの雰囲気を楽しむことが好きだった。特に山を舞台とした不思議な話や怖い話は、特別な雰囲気があって、すごく引き込まれた。それは登山を本格的にやり始めた大学生の頃からで、いろいろな本に目を通して、山の不思議な話や怖い話を探し出し、それらの体験談をまとめた私家版『山岳奇譚集1』『山岳奇譚集2』を作ったことさえある。実は本サイト「山岳奇譚」は、この本がベースになっている。

 もちろん印刷業者に発注したわけではなく、ワープロで紙出力して、それを切り貼りでケント紙の版下を作り、コンビニのコピーサービスで両面コピー。最後に手作業で週刊誌綴じ製本し、小口側をカッターで断裁すれば完成である。部数は何度かに分けて作り、一巻につき計30部くらいで、友人や会社の同僚などに無料で配布した。

 中身はというと、大学時代、同学科のなかまで作った登山サークル「山徒人の会(やまとびとのかい)」の会員が実際に山で体験した話や、本や雑誌に載っていた話を集めたものなので、後者に関しては著作権上の問題にもつながるので販売することはできないわけだが、結構、幅広くおもしろい話を収集できたと思う。

 当時、引き込まれる話も多いのに、誰も関心を持たないなんて、それこそ不思議だなと思ったものだ。加えて今のような仕事をするようになってのち、『岳人』誌が東京新聞から出ていた頃に当時の編集長から何か企画を出してくれといわれ、いくつか提案したのだが、その中に「山の不思議な話」を挙げたところ、「ちょっとねぇ…」と取り合ってもらえなかった。絶対に読者受けするのになんでだろうな…と思ったものだが、あれから随分時間が経過して、ようやく「山の不思議な話ブーム」が到来。本サイト『山岳奇譚』もサイト開設以来、ずっと高いアクセス数を維持しており、一般の関心の高さが伺える。やはり自分の着眼点は間違っていなかったと思う次第である。

 結局、表向きはみな立派なプロに見える編集者でも、何が受けるか、何が売れるか、何に着眼するか、というのは、はっきりいってその人の印象にも大きく左右され、商品価値を見抜く能力も一様に高いわけではなくて、もちろん人にもよるが「意外とそうでもない」のも事実だと思っている。例えば、大手出版社の編集者は、みんな自分の企画が高部数を記録した時、それを100%自分の力によると思い込んでいると思うが、その売り上げに結びつく大半の要素は、編集者の企画力よりも会社の力による場合も多いと私は思うね。そもそも日本の出版業界は、規模の大きな出版社の方が儲かるしくみになっている。業界自体がフェアじゃないのだ。それを毎回、自分の力だと勘違いしないことだね。

私家版『山岳奇譚集1』(左。A5版。108頁。1992年12月13日初版)。『山岳奇譚集2』(右。A5版。152頁。1995年8月初版)。表紙は極厚のトレーシングペーパーを使用し、裏の写真が透けて見えるようになっている。


『山岳奇譚集』本文見本。モノクロコピーとはいえ、見開き写真を入れて、口絵ページも。


『山岳奇譚集』本文見本。体験談の舞台となった場所を地図で指し示した。地図版下も手書き地図+ワープロ文字の切り貼りで作成。


2018年6月13日(水)
新幹線殺傷事件その2
 事件の詳細がわかるにつれて、やっぱり誰も助けようととなかったことにものすごく引っかかる。12号車の男女比はわからないが、もしかすると女性の方が多かったのかもしれない。もちろん女性が対応するのは無理だろう。「キャー」と叫んで逃げることしかできない人たちや「手の震えが止まらなかった」という人たちに何かを求めても無理な話。でも、ちょっと勇気がある複数の男性でもいれば、状況はまるで変わっていたのではないかと思わずにいられない。

 被害者の梅田さんと犯人の小島は激しくもみ合っていたというが、別の報道によると「その間に車掌が乗客を避難させた」という。何それ。車掌が誘導しなくたって乗客は逃げるだろ。乗客を避難させてしまったことで、本来は梅田さんを助けられる男性までも現場からいなくなったのではないのか。そんなことよりも車掌は梅田さんに加勢することを優先すべきだった。というよりも車内で暴れる人が出た場合に備えて、サスタマとか何かの対応機材がなかったのかよ。サスタマでもあって、車掌が呑気に乗客を避難させるよりも小島を取り押さえることを優先していれば、梅田さんは死なずにすんだのではないか。

 テレビでは、その一部始終を目撃したという12号車の男性が饒舌に状況を語っていたが、なんか不愉快。「助けよう」としたけれど、その男性の前には避難する女性客がいっぱいいて、結果的に動けなかったのかもしれないが、目撃談を聞いても結局は「えっ? 私ですか? 自分は無関係に決まってるじゃないですか」みたいな意識しか感じられなかった。

 一部報道によると被害に遭った梅田さんは東大卒・東大大学院修了という極めて優秀な人だったようだが、こんな正義感にあふれる優秀な人の方が亡くなり、どうしようもない頭がおかしいクズの方が生き残る。しかも、まわりで見ている人は全員逃げ出すか、もしくはタダの傍観者に徹して何もしなかった。社会全体が劣化していることを示す象徴ともいえるんじゃないか。

 先日、フジデレビの番組を見ていたら、小田原署の前からの中継でディレクターが、「梅田さんが立ち向かったおかげで、多くの乗客が助かった、救われたという見方と、梅田さんが立ち向かって、容疑者を刺激して、結果として最悪の事態を招いてしまった。こうした2つの見方を慎重に検討しながら捜査を進めている状況です」といっているのを聞いて、ものすごく呆れた。後者の見方が仮に警察内にあったとしても、そんな情報をわざわざいう必要があるのか。まるで梅田さんが「余計なことをした」といわんばかり。じゃなにか。小島が隣の女性に鉈を振り下ろしたのを見ても犯人を刺激するとマズいので、何もしない方がよかったとでも? まさか、そんな状況にあっても「優しく説得するべきだった」というアホなことはいわないよな。この可能性について議論している神奈川県警も頭がどうかしている。

 と思っていたら、この発言に対して批判が殺到しているという。そりゃそうだろ。まともな人なら誰が聞いても不愉快極まりない情報としか感じられない。なんかもう、この事件のすべてについて言葉がない。


2018年6月10日(日)
新幹線殺傷事件
 事件の詳細を聞いて、確かに「言葉にならないほど、イヤな事件」と感じたのは違いないが、それにしても別の意味でスッキリしない。亡くなられた男性は、凶行を止めようとして切られたという報道もある。犯人と被害者がもみ合っていた時、12号車には男性がひとりもいなかったのだろうか? 当然、同じ車内にいれば、なぜもみ合いになったか経緯は理解していたはずだ。それなのに誰も助けようとしなかったのだろうか?

 犯人は大きな刃物を持っていたというが、あくまで一人だ。被害者の男性ともみ合っている間、いくら凶悪犯でも背後は無防備になるわけで、新幹線の狭い通路という悪条件を考慮しても、犯人の背後から近づいて羽交い締めにするとか、できそうな気もするのだが、それは現場の状況を知らない人間だからこそいえる他人事意見に過ぎないのだろうか。
 こうした事件で、警察が来る前に一般人が犯人を取り押さえたこともたまに報道で聞くが、今回は本当にそれが100%無理だったのかすごく気になる。複数の男性が、協力し合えば、もしかすると男性は死なずにすんだのではないかと、どうしても想像してしまう。

 今年1月、広島市であった通り魔事件では、犯行後、逃走する犯人を複数の男子大学生が追ったという報道もあった。危険な反面、犯人を逃がすまいとした正義漢がいたことにちょっとホッとしたのも事実なのだが、今回の12号車には、残念ながら、そういう人がいなかったのかと思えてしまう。実際に大きな刃物を振り回す様子をこの目で見ると見ないのではまた違うのかもしれないが、誰も助けようとしなかったとしか思えないことにすごく引っかかる。
 
 ところで自分でも当たり前のように、こうした状況で対応するのは「男性」と決めつけてしまっているわけだが、それに理不尽さもちょっと感じるね。あれっ!? 男女平等が世界的な流れじゃないんでしたっけ!? それなのにどうしてこういう時だけ「男性の出番」になってしまうのだろうか? 「男女平等」「男女同権」という流れの割に、何かがあれば「男の子でしょ」とか「男でしょ」と都合よくいわれ、いわれる男性も全員「まあ、そうだよな〜」みたいになっている。でも男女平等というのなら、こういう決めつけもおかしいし、極論すれば、もし万が一、将来、戦争になった際には男性だけでなく女性も当然、徴兵されるべきだろうね。でも、実際問題。こういう凶悪犯に対応するのは、平均的な女性では確実に無理な話しでしょ。もちろん男性だからといって全員が可能というわけではないけどね。


2018年6月9日(土)
ちょっとヤバかった難路
 今週は、群馬、長野、岐阜をまわってきた。月曜日。群馬県内某所の「上級者向きの難路」とされるコースに初進入したのだが、のっけからやや荒れ気味で入ってわずか20mでコースアウト。コースが直角に右に曲がっているのに気づかなかった。コースに復帰後、やがて比較的明瞭な道になり、しばらくは「上級者向きというほどでもない」とも感じた。

 だが、後半は再び荒れ気味になり、笹のブッシュに入ると踏み跡さえも不明瞭で、わかりにくいったらありゃしない。かつて整備されたロープや鎖が今も点々と残っていて、それでなんとかコースが判別できる程度。近年は進入者がほとんどいないと見えて、完全に笹に覆われた箇所もあり、途中、何度もコースアウトし、しばらく進んで「あれっ! ちょっとおかしいぞ」と気づいて引き返すことを繰り返す。

 目的地まであと少しというところで、予想もしていなかった高さ20mの急斜面が眼下に現れる。大木に結びつけられたロープが一応、設置されているが、こんな急斜面なのに直径5ミリほどの細いロープが1本垂れているだけ。設置されてから時間が経過しているとも予想され、ひょっとすると劣化して体重を支えきれずに切れる可能性もある。しかもロープは斜面の途中までしかなく、無理すれば河床まで降りれなくもなさそうだが、なんとか降りたはいいけど帰路に登れなくなる可能性も十分にあり得るようにも感じられた。慎重にロープの強度を確認しながら、末端まで降りてはみたが、それ以降の斜面は無理そうだった。

 ここまで来て引き返すのは残念だったが、諦めることにした。なんといっても単独行。こういう微妙な斜面って、気をつけないと意外とヤバイ可能性がある。河床まで達するザイルでもあれば話しは別だが、頼りがいのない細ロープが斜面の途中までしかないとなると、帰りに登れない可能性も否定できない。しかも今回、三脚やレンズなどの撮影機材フル装備だったこともあり、空身では登れても荷物の重さも考慮すると、やや高リスクと判断した。

 で、いざ戻ろうとすると足場が悪く、そのままロープをつかんで登るのもやや難しいほどで、手にロープを二重三重に巻き付けては腕力で登り、またロープを巻き直しては登ることを続ける。急斜面の上端地点で早めの昼食をとり、Uターン。しかし帰路も散々、笹のブッシュに悩まされた。何度もコースアウトして、その度にあたりを見回すが、どこに正規コースがあるのか見た目まるでわからない。ちょっと待てよ。先ほど、ロープがあったのはどこだっけ? と自問自答しようとするが、いざとなると覚えていない。

 一時は本当にちょっとヤバイかも…と思いかけた。先日、遭難死した五頭連峰の親子のことが、ふと頭に浮かび、さすがに遭難死することはないにしても救助してもらうような事態になるんじゃないかと最悪の可能性まで想像してしまった。いやいや、冷静に考えれば、まだそれほどの状況じゃない。来るときは迷いながらも、ここまで達したわけだから、とにかく落ち着いて正規コースを見出そう…と自分に言い聞かせる。

 今回は、迷ったといっても短時間のことであり、精神的にそれほど追い詰められたわけではない。確かに単独行だけに不安も感じたが、笹藪に埋もれかけとはいえ、所々にあるロープか鎖さえ見つかれば、少なくともそこから慎重にコースをたどり直せば、状況は確実に脱せるはずだ。

 昔、福島県内の、道が通じていない湿原を目指して、最寄りの林道から単独行で藪コギしたことがあるが、背丈をはるかに超える視界ゼロの猛烈なブッシュに阻まれ、5m進むのでさえ困難なルート。しかも頼りのGPSナビが指し示す方向が、途中からなぜか二転三転する事態になり、なんとか中間地点の尾根に出たものの、目的の湿原はおろか、帰る方向まで見失いそうになり、マジでヤバイと思った経験がある。その時の言葉ではいい表せない不安感というのは、実際にこういう状況に置かれてみないと共感してもらうのは難しいと思うが、少なくとも今回はそれほどの状況ではないのは間違いない。その経験があったことで、むしろ冷静さを保てたようにも思う。とはいえ、今後の教訓にはなりそうだ。

 今回の経験でいうと、コースアウトしたのは、正規コースが直角に曲がっている場所が多かった。正規コースといっても前述したように笹や草に覆われ気味で踏み跡すら明瞭でなく、、時に完全に覆われ、道とそれ以外の区別が困難になることもあり、たまたま進行方向にそれっぽい道らしきものがあれば、どうしてもそっちに向かってしまう。特に帰路は、ほとんどが下りということもあり、道は下っていると自分でも知らず知らずのうちに思い込んでしまい、例えば正規コースが直角に曲がったあとに登りに転じている箇所では、やっぱり下り方向にコースアウトしてしまった。よくよく見れば、「あ、なんだ。こっちに続いているじゃん」とひと安心するようなところなのにも関わらず、うっかり見落としてしまう。「道を迷う」とは、こういう単純なことが最初の原因なのだろう。肝心なのは、とにかく「おかしい」と感じたら、まずは「おかしくない地点まで戻る」ことだ。絶対にそのまま進んではいけない。

 とにかく一時はどうなることかと思ったが、そんな状況を脱してからスマホを確認すると、渓谷内にも関わらず電波を拾える状況だった。とはいえ迷った地点で電波が拾えたかどうかはわからず、とにかく難路を抜けて安全圏に達して肩の荷が下りた。


2018年6月2日(土)
偏差値35
 実家がある地区では、町内会や老人会を仕切っているHさんという人がいる。「仕切っている」というと、まるでやり手で人望もあるイメージだが、その実態はどうも真逆らしい。私は面識がないが、母から聞いた話によると、「自分は広島○○大学○○学科を出ている。(近所の)○○さんも同じ大学だが、彼は○○学科」…みたいな話しをよくされているらしい。

 ご自慢の「広島○○大学」が、偏差値の高い難関大学なのであれば、誰しも「スゴイじゃないですか」と素直に驚いてあげると思うのだが、その大学は広島の人であれば、みんな知っているFランクの大学。だから、完全に失笑レベルなのだが、ご本人はどうも大卒であることが、自慢らしい(笑)。

 何年か前にその悪いイメージを払拭するために改称しているが、現在も昔と変わらず偏差値35。工学系なので一応、理系だが、理系学部のうち医・薬・理・農学系学部にFランクはゼロ、もしくはほとんどない一方で、工学系にはいくらでもある。広島でいえば、Hさんご自慢の大学がその筆頭なのだが、ご本人もその大学イメージ通りの人のようだ。

 近所の別の人が、家を新しく建て替えられたところ、Hさんがやってきて「家を新築すると、家族に大病を煩う人が出るといわれるので気をつけた方がいい」(正確にはこの広島弁バージョン)とありがたいアドバイスをして下さったそうだ。いわれた人は「気が悪い」と仰っていたらしいが、それを聞いただけで、さすが「偏差値35」だと私は思った。普通の人は思いもつかないお見事過ぎる着想にはもう舌を巻くしかない!!

 これだけで理系といっても理系にもいろいろいるんだ…ということが非常によくわかる。よーく考えてみよう。日本全国で持ち家に住んでいる世帯は膨大な数があると思うが、そのうち中古住宅を購入した件数を除けば、残りのすべては過去のいずれかの時点で新築として購入していることになる。Hさんの主張によると、新築で買った持ち家に住んでいる世帯では、過去の新築後に統計学的に有意差があるほどの割合でもって、家族に大病を患う人が出ているということになるが、そんな事実があるとは到底思えない。もし、これが事実であるのなら厚生労働省は「健康のため家を新築するのは控えましょう」と国民に注意を促すべきだ(笑)。

 簡単な話なのだ。もしそれが事実だというのなら「因果関係が認められるデータを出してみろ」という話しなのだ。でも、偏差値35の人が、そんなことに頭が回るわけがなく、これもある意味、自然な話し。勉強もできなかったけど、地頭力の方も偏差値35クラスみたいだ。

 まあ、誰が聞いても「妬み」に起因する発言としか思えない。ご本人は、それを言って、ちょっとスッキリされたかもしれないが、似たようなことを言い続けてきた結果、誰からも距離を置かれていることに今もまだお気づきになっていないのだろう。というよりも男性ホルモンの影響そのままに「自分はスゴイ」と思い込んだまま、ずっと生きてきて、「自分はスゴイ」と思い込んだまま人生を終える。でも「自分はスゴイ」といえる客観的根拠について考えたことは人生の中で一度もない…みたいな。偏差値35の大学にしか行けなくても、それについて何か考えるのはやめておこう…で済ませて来た。

 本来は若い人の模範となるべき60〜70代の年齢層でも賢くない人って時々いて(というか、半分はバカなのも紛れもない事実)、本当に驚くことがたまにある。何年か前に知り合って2ヶ月で交流をやめた60代男性もHさんと似たような感じ。典型的なメタ認知能力に欠けるタイプで、最初は「いい人」という印象だったが、段々「あれっ?」という感じに変わり、最後は「うわっ!!この人、タダのバカだ」と思うようになった。やたら自慢話と人の悪口が多くて、生まれてこの方、自分を俯瞰するように考えたことが一度もなく、「自分が一番スゴイ」と思い込んでいることだけは非常にわかりやすい人。でも、その自慢話をいくら聞いても、どこがスゴイのかもよくわからない。

 ご本人は自慢目的で話されているようなのだが、見ようによっては失敗談としか思えない話しや、まるで18、19の青年が自慢するようなレベルの話しが多くて、反吐が出そうだった。
 「自分はカメラの腕が一流」と思っていらっしゃるようなのだが、カメラの感度は50か100で撮るものだと思い込まれていて、「いつの話しだよ」とツッコミたくなるような認識の持ち主。それでもポスターレベルに拡大使用する機会もあるプロであれば、低感度で撮っておこうというのもアリだが、この人は当然、趣味の域を出ず、自分でプリントして楽しむくらいの話し。伸ばしてもA4サイズ。そもそも高感度で撮影しても気にならない写真が撮れる上位機種をお持ちではないので、自分のカメラと上位機種がどれほど違うのかもよくわかっていない。というか、カメラといえば、すべてのカメラを同列で考える、ちょっとあり得ない人。
 写真を見せてもらった時、私が感じたのは「それにしてもブレ写真が多いな」だったのだが、ISO50や100でしか撮っていないのであれば、そりゃあブレるわ。そんな状態であるにも関わらず、ご本人は「自分はプロ並みの腕」と思い込まれているようだった。

 会話の途中でさりげなく「自分は経済学部だ」と大卒ということをアピールされたりするのだが、自慢話がやたら多い人なのに大学名を敢えて外すということは、それほどご立派な大学じゃないんだろうな…ということまで透けて見えてしまう。経済学部卒でも職業は一応、技術系なのだが、それなのに「90キロを0.9トン」と平然といい(技術系なのにキロとトンは3桁違うことを認識していないなんてあり得ない)、前述したような「値段が高いカメラであればあるほど各パーツのスペックも高くて、当然イメージセンサーのスペックも高いことになり、つまり設定感度の範囲も、その許容感度もカメラ毎に違う」という技術系の人じゃなくても一般人でも認識しているようなことすら認識されていない。いくら「自分は技術系」だと胸を張っても、説得力はゼロ。しかも、元は文系のくせに読解力までなくて、平気で読み違えたりする。

 なんかもう、とにかく呆れ果てた。聞くところによると、この人は誰からも距離を置かれて孤立されているようなのだが、「さもありなん」である。

 ちなみに今、住んでいる近所にも「偏差値35」レベルのオバサンがいて、転居後間もない頃、向かいの人と立ち話をしていたところ、ツカツカと寄ってきて「あら〜、珍しいわね」。って「テメーと会ったのまだ二度目だろ」みたいな人がいるのだ(笑)。本当にバカは困ります。バカは、自分がバカだということを理解できません。なぜならバカだからです(笑)。


2018年5月29日(火)
日大アメフト部の一件に関して感じたこと
 私は普段からマスコミの論調や世論にあまり流されないように気をつけているので、多くの国民のように即、怒りに火が付いて「日大はけしからん」とはならなかった。見かけ上は確実に悪者に見える日大前監督の主張には本当に正しい部分がないのだろうか…と思ったのだ。だから最初に概略を聞いた時、のちに監督やコーチが言い訳のように語っていた「相手を壊して来いというのは、思い切って当たれの意味」だったのではないか、と私もちょっと想像していた。
 ただ、もしそうだとすれば、選手が反則したあと、前監督が厳重注意をすべきところなのに注意もしなかったどころか褒めていたらしいし、その前に「相手選手が試合に出られなくなれば、我々にとって得だ」というようなこともいっていたそうだから、この想像は当てはまらないのだろう。とはいえ、この2点の情報が本当に正しい情報なのかどうなのかは、完全に部外者である我々には確かめようがない。反則した選手が顔と名前を出して記者会見していることから、おそらくその主張にウソ偽りはないのだろうとは想像するし、しかも、その2点に対する納得できる反論がないことから、前監督に問題があるようにしか見えないのは確かだけどね。

 こんなことを書くと「おまえは、あんなロクでもない日大前監督を擁護したいのか」と叱られそうだが、私の意図はそこではなく、マスコミの論調や世論こそが正義であり、それを絶対視したり、影響され過ぎたりするのも大いに問題があると常日頃から思っていて、マスコミや世論が仮に「Aはけしからん」と批判したとすれば、必ずそれを一度は疑ってみて「本当にAはけしからんのだろうか?」「もしAの立場に立って考えたらどうなんだろうか?」「Aの主張にも一理はないのか?」「批判されているAの主張は、実は別の意図があり、それを誤解された可能性はないのか?」「もしAに問題がないとしたら、どういう可能性が考えられるか?」「Aを擁護する意見があれば、それと比較して、どちらに分があるのか?」などと裏側からも考えるようにしている。この時、重要なのは自分の都合や自分の好き嫌いからは、とりあえず離れることだ。

 私がいいたいのはそこであり、もちろんマスコミの論調や世論は必ず間違いだといっているわけではなく、100人中99人が選んだ答えがあっても、本当にそれが正しいのか、一度は疑ってみることは絶対に必要だと思っている。なぜなら、日本という国では、誰しも自分でとことん調べ、とことん考えて結論を出す人の方が少なくて、どちらかというと大多数の反応を伺って、とりあえずそれに合わせておけば自分も安心…みたいな人が多いからである。彼らは意識してそうしているわけではなく、ほとんどの人は無意識のうちに大多数の反応に影響されるみたいなところがあり、しかも日本人は集団行動がお得意であることから、その同調圧力も強いわけだが、集団行動と同調圧力が必ずしも正しいとは限らないのは、すでに歴史が証明している。

 次のような例え話で説明したい。

 あなたが、映画館で映画を鑑賞中に火災を知らせる警報音が鳴り響き、「火災が発生しました。みなさん、すみやかに避難して下さい」というアナウンスがあったとしよう。それに呼応するかのように館内には焦げ臭いにおいがしてきて、煙も入ってきた。「みんな逃げろ!」と誰かが叫ぶと、観客は慌てて立ち上がり、少し前に自分たちが入ってきた客席後方の出口へ殺到。もちろん、あなたも逃げ遅れまいと出口に向かう。しかし、出口では押し倒されてケガをした人もいたりして大混乱状態。外に逃げようにも逃げられず、火事で死にたくないと焦りまくった…。

 日本人の特性はまさにこの観客みたいなものだと思う。まわりの人が出口に向かうのを見た人たちも、それに遅れまいと出口に向かう。だから出口は大混乱。常にまわりの反応を見て、それに合わせることこそ正しいという価値観のもとで生きてきた人は、このようなパニック状態に置かれれば、やっぱり同じ反応になりやすい。

 みんなが出口に殺到して大混乱になっている様子を見たら、私なら「ほかに出口はないのか」と周囲を見回してみるけどね。よくよく見れば「避難口」を示す緑の誘導灯があるのは客席後方だけではなく銀幕の左右にもあって、その存在には誰も気づいていない…みたいなことが実際にもあり得ると思うのだ。自分では何も考えず、みんなが向かう方向こそ絶対に正しいと盲信してしまう人と、ひとつひとつの事例毎に、それが本当に正しいのか、少し立ち止まって冷静に自分で考えられる人。どちらがより正しい判断を下せる可能性が高いのか、いうまでもない。

 今回の件で、無関係の日大ラグビー部や日本体育大学にも、勘違いで批判が届いているらしい。批判する人は全員、正義気取りなんだろうが、こんなあり得ない勘違いを平気でする人もどうなんだろうねぇ。人の行為を批判する資格があるとは思えない。まあ、大体、どんな人か想像つくけどね。こんな大ポカをする人というのは、もともと能力が高くないのだろう。正規分布でいうと確実に「左側に入る人たち」。そういう人たちというのは、普段からコンプレックスも溜まりまくっており、何かの機会にそのうっぷんを晴らしたいと思っている。だから、こんな機会でもあれば「ここぞとばかりに他人を叩いて」心のバランスを保とうとする。でも、もともと能力は高くないので、日大と日体大を間違えるというあり得ない大ポカを平気でする。
 彼らは正義なんかじゃなくて、要はタダの自己中。どうせバレないと思っているけど、そりゃ、あなたがタダ単にバカだからでしょう。賢い人は、みんなあなたの本性に気づいていますよ。

 最近、実態と比較して、その批判の程度が度を過ぎていると思うことがよくあるのだが、私はその背景には、こうした能力の低い人が引きずっているコンプレックスに起因していることも多いと考えている。みなさんも似たようなことを経験したことがあるだろう。自分ではそんなに問題があると思っていなかったのに、異常に責め立ててくる人って。そういう場合、本当にあなたの行為に問題があるんじゃなくて、「誰でもいいから誰かを叩きたい」心理に起因していると、少し冷静に対処した方がいい場合もあるかもしれない。もちろん、本当にあなたに問題がある場合もあるので、フェアな視点で一応はご意見を拝聴する必要はあるけどね。その結果、タダのコンプレックス事案だと判明したら、「あーあ、この人、コンプレックス溜まりまくりだな」「きっとバカなんだろうな」と哀れみの目で見てあげよう(笑)。

 今回の日大批判には、ちょっとそういう部分もあると思うね。確かにケガをした関西学院大の選手は気の毒だし、日大前監督やコーチ、それにかえって火に油を注いじゃった学長の対応もどうかとは思うが、日大というだけでひとまとめにして「日大はけしからん」と集中砲火を浴びせ続けるのもどうなんでしょう。


2018年5月25日(金)
スクリーニング
 昨夜は変な夢を見た。会社らしき場所で自分は何かの仕事に就いているようなのだが、そこで「今度、中国奥地に行ってスクリーニングをしようと思ってるんです」と話したところ、自分も同じ仕事をして帰って来たばかりだという青年から向こうの生活のアドバイスをもらう。「中華料理だから、食事はうまいよ」といわれ、ちょっと安心する…という内容。なんじゃそりゃああ!! 

 スクリーニングというのは、「たくさんの中から選別する」ことだが、微生物の場合は、いろいろな場所からサンプルを採取して来て、その中に有用な微生物がいないかどうか調べる作業を指す。例えば、山を歩き回って、土壌サンプルを集め、その中から微生物を培養して株を分離。どんな性質を持っているか、調べたりするわけだ。稀に有望な株が見つかることもある。

 微生物は変異しやすく、同一種でも株によって性質は微妙に違ったりする。例えばA株ではラクトースを資化(分解して利用すること)できるが、B株では資化できない…なんてことが普通にある。

 私の卒論は、有胞子乳酸菌(生育環境を悪化させると菌内に丸い胞子を作り、菌体中央部が膨れるSporolactobacillus属など)に関するテーマだったので、スクリーニングをしたことはないが、研究室の過去の先輩の中には、スクリーニングによってプラスチック資化細菌を探そうと試みた人もいたらしい。学部生だったか院生だったか忘れたが、30年以上も前ということを考えると、なかなか先進的な着眼だったといってもいいかもしれない。
 結局、見つけることはできなかったそうだが、数年前に慶応義塾大学の研究者が大阪のリサイクル工場で採取されたサンプルの中からポリエチレンテレフタレートを資化する細菌Ideonella sakaiensisを発見している。ネット上で公開されているこの論文レビューを読むと、リサイクル工場に目を付けた理由が書かれていて、「なるほどね」と感心した。

 最近、プラスチックゴミの海洋汚染が問題になっているが、アメリカとイギリスの研究チームが、日本で見つかった、この細菌の研究を進め、新たなプラスチック分解酵素を発見したことが、先月ニュースになったばかり。細菌そのものであれば、海洋環境で生育できるのかという問題もあるし、仮に生育できたとしても、もともとその場所に存在しなかった細菌を自然環境中に広く放出してしまうことによって生態系に何らかの影響がないのかといった話しにもなってくる。しかし、酵素であれば、問題は少ないだろう。

 卒論の話しのついでに書いておくと、私は上記卒論テーマとは別のテーマを自分で選んで並行して実験を進めていた。それは、磁気と細菌の関係である。つまり磁気被曝させながら細菌を培養すると、どんな影響があるのかということ。結論から言うと、試験管に入る程度の小型磁石であっても、有機酸の生成などに変化があった。もしかすると非常に強力な磁場環境に置けば、細菌増殖の顕著な抑制や阻止、あるいは逆に促進効果があったりしないか? ということも見据えていたが、結局そこまでは至らなかった。強力な磁場なんて、そう簡単に発生させることはできないし、仮にそんな装置を入手できたとしても、研究室に置いたら確実に周囲の高価な分析装置にも影響があるのは必至。学部生の片手間な研究で、それをクリアにするのは、完全に不可能である。

 おそらく、似たような研究はどこかでやっているだろう。話題として出てこないのは、それほど顕著な違いはないということもあると思うが、細菌だけでなく微生物全般において、それぞれ磁気被曝の影響が詳しく調べられているわけではないと思うので、もしかしたら、いつか新たにおもしろい知見が出てくる可能性もなきにしもあらずである。

 ところで、磁気被曝と細菌の関係について調べたデータをどこに仕舞ったか忘れていたが、先月、実家に保管してあるのを偶然にも発見。その中には、液体クロマトグラフィーの複数データもあったのだが、何をどう調べた結果なのか、一切メモ書きがなくて(たぶん別のノートに書いていると思うが)、当然のことながら記憶もスッカラカンで、まったくわからなかった(笑)。


2018年5月23日(水)
新聞記事の切り抜き整理
 昨年秋から先月までの半年間にたまった新聞に毎日、少しずつ目を通し、今日、ようやくすべての整理が終了した。山のように積み上がっていた新聞の束もきれいに消え去って、部屋がスッキリ。
 どうせ不在にするのなら、取り置きとかじゃなくて休止にすればいいのに…といわれそうだが、新聞の切り抜きをしたいので、そういうわけにもいかないのよ。実家も同じ朝日新聞だが、実家は実家で父が切り抜きしているので、共用するわけにもいかないし。しかも、大阪版と東京版って微妙に違うのも事実。ということで、不在であっても購読を続けている。

 前にも書いたことがあるが、私は、小学生の時から現在に至るまで延々と新聞の切り抜きを続けており、昔は切り抜いた記事ひとつひとつをスクラップブックに糊で貼り付けて保存して来たが、A3対応の複合機を買ってからは、すべてPDF化して、PDF済みの切り抜き記事自体は破棄する方針に変えた。というのもPDFの方が圧倒的に便利だからだ。
 A3複合機でも収まらない1ページや見開きの大きな記事もあるが、その場合は分割して1ファイル内に複数ページになるようにスキャンしている。A4だと、かなり煩わしいだろうが、A3であれば、7〜8割の記事は1回のスキャンで収まる。

 とりあえず新聞に目を通し、保存したい記事はカッターで大雑把に切り取る。どうせあとで、スキャン範囲をPC上で矩形指定できるので、縁を丁寧に切り取る必要はない。むしろ記事の四方に余裕を持たせておく方が、スキャン時の自動露出に影響が出にくくて便利だったりする。
 切り取ったら余白に新聞日付を手書きで書いておく。たまに日付を書き忘れるが、朝日新聞デジタルのサイトでも同じ記事が公開されているので、あとで調べることも可能だ。

 そもそも朝日新聞デジタルに申し込めば、過去1年分の記事から検索してワンタッチ保存も可能ではあるが、新聞はまずは紙で読みたいし、となると毎月「新聞購読料+1000円」も払うのもなあ…と思うし、そもそも同サービスのスクラップ機能は5000件までという制約もあり、手間はかかるが、とりあえず手作業方針を継続している。この条件がさらによくなれば、サービス申し込みも検討したいけどね。

 さて、こうして切り抜いた記事が、ある程度まとまったら、複合機で1点1点スキャンしてPDFにする。この時、カラー記事は新聞特有の紙色が目立たないように色補正。モノクロ記事はモノクロスキャンするが、どちらもコントラストは少し上げておく。
 EPSON SCANでは、原稿の傾き補正や文字のテキストデータ化の指定もできるので、これをONにしておくと、少々傾いた記事でも、自動で水平にしてくれるし、テキストデータ付きのPDFにしておけば、あとでたくさんのPDFの中から目的の記事を検索することも可能だ。

 なお、PDFをどういうファイル名にするかだが、私は「新聞の日付+スキャン順の番号」にしている。例えば、2018年5月23日の記事であれば、ひとつ目は「2018.05.23.00」にし、以後は「2018.05.23.01」「2018.05.23.02」「2018.05.23.03」…と最終桁のみ変えるだけ。1日の新聞で切り抜く記事は、せいぜい1〜3件程度。それで問題はない。

 こうして2000年以降に切り抜いてPDF化した記事は、約5000件。この「新聞記事・自作アーカイブ」を利用する機会は頻繁にはないが、たまに確認したい場合、PDFの検索窓にキーワードを打ち込めば、、少し時間はかかるが、自動で探し出してくれるし、大抵、目的の記事はヒットする。

 スクラップブック等に現物の切り抜き記事を貼り付けて保管する従来型のスタイルだと、たとえ日付順に整理しておいても、目的記事の日付を記憶していない限り、探し出すのはかなり大変だし、結構、空間スペースも必要となる。しかも新聞紙だから、どうしても時間が経つにつれて変色する。一方、PDFだといくら増えてもひとつのHDDの中だけですむので、持ち運びもバックアップも容易。しかも何年経っても変色しないし、検索もできる。紙で見たければ、プリントアウトすればよい。もう、便利さは圧倒的。向かうところ敵なし!!


私の新聞記事・自作アーカイブフォルダのスクリーンショット。こんなPDFファイルが、約5000件もたまっている(もちろん、画像はその一部)。本当はスクラップブックに保存中の昔の記事もPDF化したいところだが…。たぶん、ほとんどの記事は二度と見ることはないと思うが、たまにすごく役立ったりもするので、やめられないね。


その拡大。ファイル名は、こんな感じで記事日付をベースにしている。いちいち記事内容を反映させたファイル名にしたりするよりも、よほど作業が早く、記事日付順に並べられるメリットも大きい。ただ、記事内容を見ながら探したいこともあるので、全PDFファイルをjpegファイルに変換したフォルダも用意してある。jpegだと、通して見たい時に表示スピードがPDFよりも圧倒的に早いのが利点。PDF→jpegファイル変換は、まとめて変換してくれるソフトを利用しているので、一発自動変換。


2018年5月22日(火)
諜報
 先日のNHKスペシャル「日本の諜報」。日本政府が、ネット諜報に乗り出して、すでにシステムが運用されているという内容は驚きだった。昔は、主に通信傍受だったが、今やネット諜報の時代なのだろう。でも、当然といえば当然かもしれない。国として諜報活動をしてしない方が、むしろ心配になる。日本のような国では、「国民のプライバシーが侵害される!」と騒ぎ立てる人もいっぱいいそうだが、日本政府は、あなたのような善良なタダの一般人には、まったく興味ないですってば。国民のプライバシー云々よりも内閣調査室や公安調査庁が監視対象とする国や組織の動向を正確に把握して頂くことの方が、はるかに国民の利益に合致する。

 諜報活動なんて平時も必要だが、戦争中はなおのこと。第二次大戦中、日本軍の暗号はアメリカ軍に傍受解読され、筒抜けだったとされる。イ52潜水艦で三菱重工の技術者や技術情報、そして金塊などを積み込み、大西洋上でドイツの潜水艦Uボートと合流し、荷物の受け渡しと技術者乗り換えを行う作戦があったが、アメリカ軍に内容を解読され、潜水艦名はもちろん、合流予定地、積み荷、三菱重工という技術者の所属企業名と氏名までも、すべてが筒抜けとなって、この潜水艦は、撃沈されている。大戦中は、非常に残念なことに似たようなことがたくさんあった。
 ニセ情報を故意に流して、米英がどう反応するか、何度かやってみれば、解読の有無を確認できると思うのだが、そんな余裕はなかったのだろうか。

 ちなみに一説によると、この作戦時に濃縮ウランも積み込まれていたとされる。日本でも何系統かの原爆開発計画があり、当時は日本領だった北朝鮮にはウラン鉱山があったほか、上海の闇市場で日本海軍のエージェントが大量の酸化ウランを買っていた形跡もあるとされ、実はウラン濃縮までは成功しており、それを裏付けるアメリカの機密資料も存在するという。そのウラン濃縮工場が広島にあったため、原爆投下地点として選ばれた…なんていう説もあったりする。ただ、そんな重要、かつ危険なウラン濃縮工場を空襲されるリスクが高い広島市市街地に造るとは思えないので、この説は大いに疑問ではあるが…。

 ところで開戦前の段階でアメリカは、日本軍の暗号解読に成功していたとされ、それにも関わらず、なぜ真珠湾攻撃だけは成功したのだろうか? 日本軍の暗号が筒抜けだった事実と真珠湾攻撃成功は、完全に矛盾する。真珠湾に戦艦(しかも旧型)、巡洋艦、駆逐艦しかおらず、戦略上、最も重要な空母は一隻もいなかった事実と何か関係があるのだろうか。

 一方、日本軍も当然、アメリカ軍の通信を傍受して解析はしていた。結果的に暗号解読には至らなかったが、それでもわかることもあった。通信文の中に3桁の数字が繰り返し登場し、それはB-29の機体識別番号を指すものと日本軍は見ていた。編隊単位で100番台、200番台、300番台…のまとまった数が存在しており、実際、その推測は正しかった。

 ところが、大戦末期、これまで一度も通信文の中に出てきたことがない600番台の数字が登場する。しかも、機体数はごく少数のみ。だから日本軍も「これはおかしい」と考え、「特殊任務機」と呼んだ。そして昭和20年8月6日午前2時45分、その特殊任務機がテニアン島を飛び立って日本に向かっていることも把握していた。そのうちの1機は、のちに世界中に広くその名前が知られることになったエノラ・ゲイ号である。だが、不思議なことに撃墜命令は出されなかった。特殊任務機3機は、余裕で広島上空に飛来し、任務を果たして無事帰還した。

 当時の日本政府も日本軍も原子爆弾投下なんて想像もしていなかった。だから仕方ないのだろうか? だが、ヨーロッパにいる日本海軍駐在武官から「アメリカによる原子爆弾攻撃とソ連の対日参戦」情報は、すでに海軍軍令部(日本海軍の最高統轄機関)に寄せられていたともいわれる。
 軍の高官が誰一人、600番台の特殊任務機と原子爆弾を結びつけて考えなかったとは到底思えない。おそらく、そこで情報が過小評価されたのだろうが、仮にふたつの情報を統合して判断する組織機能がなかったとしたら、国家として、かなり間抜けな話しである。いずれにしても言葉にできないほどの失望感しかない。要は、少しはわかっていたのに何もしなかったのだ。
 3日前に壊滅的な被害を受けた広島を教訓にして、少なくとも長崎への原爆投下に対しては、やろうと思えば阻止することも可能だったのではないか。広島に原子爆弾と思われる爆弾を投下した600番台の特殊任務機が、また日本に向かっている、つまり2度目の原爆投下の可能性が大であるということも軍は把握していたはずだ。

 この事例は、諜報活動と、その情報を分析する能力が、いかに国家として重要であるかを我々に教えてくれている。それは、決して戦時に限った話しではないと私は思う。
 こんなことに二度とならないように、日本政府には、しっかりと諜報活動をして頂き、それを統合・分析し、国民の生命と財産を守るべく、組織としての能力を高めて頂きたいものである。


2018年5月18日(金)
プロポリス
 先月、実家滞在中に急に冷たい飲み物が歯に滲みるようになった。あ、これはマズイ。電動超音波歯ブラシもデンタル用洗浄機も所有しており、割と口腔ケアは丁寧にしている方だとは思うが、この年齢になると虫歯よりも歯周病のリスクの方が圧倒的に高い。冷たいものが滲みる=歯周病の初期症状と考えるのが妥当だろう。歯肉が下がって葉の象牙質がむき出しになり、そこに冷たいものが刺激を与えていると考えられる。

 そこで自宅に帰ってから、かなり念入りにケアをするようにしたのだが、一時は堅いものを食べるときに特定の歯に少しばかり痛みが走るようになり、これは歯医者に行くしかないかな…とちょっと思いかけた。だが、過去にも似たようなことがあったものの、素人ケアでも痛みが消え、以後再発しなかったこともあり、今回もその時の経験と比較して同程度の状態のような気がしたので、前回と同じ対処をとりあえずしてみることにした。

 それは、プロポリスを利用する方法である。プロポリスは、ミツバチが作り出した植物由来の樹脂性物質。その産地としては、ブラジルが最も有名で、両親がしばらく住んでいたことから両親経由でプロポリスという存在を知ったのも比較的早かった。かつては両親の知人にプロポリス販売会社の人もいたことから、まとめて安く送ってもらったりもしていたが、現在は健康食品販売サイトで時々購入するくらいだ。

 プロポリスは、皮膚疾患や消化器の炎症のほかに口内炎、歯痛、歯槽膿漏などにも効くとされるが、実際に私が使用してみた感覚として、歯のトラブルには結構有効という実感を得ており、今回もプロポリスを用いたところ、直後から歯茎がシャキッとして復活したみたいな感覚になったほどである(いや、ホントに)。決して歯周病が完治したわけではないのはいうまでもないが、改善したのは間違いない。当然、個人差もあれば、原因や症状にもよるだろうが、結構いい変化を感じた。

 プロポリスを水に溶かして口の中でうがいするのが一般的な方法だろうが、私はいつも100円ショップで買ってきた長さ3センチくらいの注射針のようで、先が尖っていない金属極細パイプ付きのスポイト(ダイソーなら化粧品グッズ売り場にある)にプロポリスを吸わせて、痛みがある患部に原液をそのまま落とす独自の方法を採用している。上の歯の場合はベットに仰向けに寝っ転がり、上の歯が上向きになるようにして確実に患部にプロポリスが落ちるようにする。私は原液でも平気だが、人により体質の違いもあるので、原液を舐めてみてからの方がいいかもしれない。きついようであれば少し水で希釈すればいい。
 歯茎が弱って歯ブラシを当てると痛いところとか、滲みる歯と歯茎の間に落とすと、かなり症状が改善する。それを1日2回落とすことを数日繰り返したところ、食べるときの痛みはなくなった。もっとも、これは虫歯ではあまり効果はないだろうが、歯周病の初期症状には使えそうだ。

 重要なのは、歯茎に直接当たる金属極細パイプ先端を使用前に必ず滅菌(めっきん)すること。プロポリス自体にも強い殺菌作用があるが、患部に直にあたるので念のための処置である。確実な滅菌をするにはパイプ先端をライターの炎の中で二度三度往復させながら熱すればよい。金属が赤くなるほどになったら歯茎を火傷する危険もあるので、その有無に関わらずコップの水にさっと浸けて冷ますのも忘れずに。ただ、その作業中に先端をほかのものにうっかり当てないように注意する。またスポイトは使用後、繰り返し水を吸わせては噴出させることを繰り返して中を洗うのを忘れないようにしないと、プロポリスが管の中で固まってすぐに使えなくなるよ。

 私の勝手な解釈だが、「歯周病になりかけだが、まだ痛みは出ていない状態」と「歯周病の初期症状で痛みが出ている状態」とは、わずかな差しかないこともあって、たぶんプロポリスの殺菌作用によって歯周病菌が殺菌され、ゼロになることはないまでも、相対的な歯周病菌の数が減れば、当然歯周病菌が作り出す毒素も減って、炎症も改善するというわけよ。実際、この方法によって一時の状態は完全に脱したようである。もし、何もしないとか、歯磨きを丁寧にするくらいですませてしまったら、徐々に症状も悪化して行く可能性が高いが、これくらいの初期症状であれば、ほんのちょっと手間をかけるだけで素人処置でも食い止めることも可能と思われる。

 かつて世田谷で歯科に通った時、その歯医者は、「普段から歯茎はデンタルフロスで少々痛めつけて血が出るほどのことをしないとダメですよ」といっていた。実際、私はこの歯医者に「うわ〜痛すぎ!!」と心の中で叫びたくなるほど、デンタルフロスで力いっぱい歯間をゴシゴシ何度もやられ、口をゆすぐと真っ赤な水が出るほどだったが、痛いのはその最中と直後だけで、そのあとは意外にもスッキリして、歯茎がかえってしっかりしたような気がした。つまり、血が出るほどに刺激を与えれば、人間の身体はよくできたもので、もっと強くしようと歯茎組織を補強するので結果オーライ…ということなのだろう。私は、以来、この歯医者のアドバイスは的確だと感じて実践するようにしてきた。ただ、最近のデンタルフロスは困ったことに「痛くないもの」が多くて、硬めの歯ブラシに代用させることも多いのだが…。今回はブリッジ差し歯の隙間だったので、炎症が起きたと思われる。

 ちなみに「滅菌(めっきん)」は、よく似た漢字どうしなので間違いそうだが、減らす意味の「減」ではなく死滅の「滅」を使ってあるところがポイント。つまり菌を減らすのではなくて、細菌も含めて、すべての微生物を死滅させる意味なので、実は「殺菌」よりも強い意味がある。「殺菌」も微生物を殺す意味だが、すべての微生物を殺せるとは限らない。減らすだけの場合は「除菌」ね。つまり滅菌したら安全だが、除菌は有害な菌が残っている可能性もあるので、リスクがないわけじゃないってことよ。


2018年5月16日(水)
五頭連峰遭難
 新潟県の五頭連峰で親子が行方不明になっている件。私は、子供連れということから、父親は行動を制約され、無理な行動選択もしないだろうと考え、割と早期に発見されるのではないかと見ていたのだが、まだ見つかっていない。道を間違って「ビバークする」という電話連絡があった時、背後に沢音がしていたということは、確実に中腹の沢筋に迷い込んでいると思われ、水を補給できるのは大きな利点とはいえ、登山初心者にありがちな重大な初動ミスを犯していることは間違いなく、おそらく父親は、登山経験が少ない人だろう。
 山頂に立ったところまでは問題はなかった。その後、下山路を間違えコースアウトしたのだろうが、山頂からそれほど遠くない時点で、正規コースではないだけに「ん!? ちょっとおかしいな」と感じた瞬間が絶対にあったはずで、その時点で「とりあえず、道がはっきりしているところに戻ろう」と引き返していれば、こんな事態にはならずにすんだと思われる。たとえ、引き返す道がどんなに険しくても、このまま下れば山麓に出ると思わずに戻るのが登山の基本中の基本である。
 その後、バッテリー切れでスマホまでつながらなくなったのだろうが、遭難する前もこうした事態を見越し、もちろん遭難したあとはなおのこと、行動中は常に電源を切り、必要な時だけ入れるようにしていれば、これも防げた可能性がある。スマホが使えれば、GPS機能で、自分がいる緯度経度情報を伝えることもできた。

 五頭連峰は登ったことはないが、親子がスタートした登山口は二度行ったことがある。5月の五頭連峰であれば、まだ残雪もあるだろうし、子供連れでの食料もない長期のビバークは相当厳しいと想像される。なんとか見つかることを願いたい。

 報道以降、「遭難 なぜ見つからない」等の検索で、本サイトの関連ページが急増しているのだが、そんな話題でアクセスが増えてもちっともうれしくない。まあ、登山初心者のみなさんは、こうした事例を契機に山の恐ろしさを胆に命じるべきだね。私の過去の経験でいうと、初心者は2、3の山を経験したくらいで、山のことすべてを理解したように錯覚しやすいものなのだが、ほとんど人は実際のリスクよりも恐ろしいほどに楽観的である。


2018年5月4日(金)
スマート電源タップ
 実家滞在中や取材中は、時々、ネットワークカメラで自宅の様子を見て、無事なのを確認しているが、やはりリアルタイムで画像を見ることができれば安心感もまったく違う。中でも重要なのは宅配ボックスのそれ。
 昨年秋から半年も不在にした際、どれくらいでボックスが満杯になるか、まだ一度も経験していないためわからなかったが、ネットワークカメラ画像で確認すればいいと気楽に考えていた。もし満杯に近づいたら新聞販売店に電話して「取り置き」に切り替えてもらえば、最も容量を喰う新聞という要素は簡単に除外できる。

 …と思っていたところ、昨年12月にいきなり、よりによって重要な宅配ボックスのネットワークカメラ画像が表示されなくなった。スマホ上では、確かに「オンライン」表示になっているので、WiFi接続できなくなったわけではないようだ。この現象は、これまでも一、二度あって、その度に電源を抜き差しによってリセットさせれば簡単に回復していたのだが、この遠隔操作は不可能。仕方ないのであきらめ、翌月に新聞販売店に電話して取り置きに切り替えてもらった。
 その後も何度か確認したが、やはり画像を見ることはできなかった。ところが3月に入ってなぜか自然に復旧。画像を確認すると、宅配ボックス容量の9割くらいの状態だった。新聞をきちんと重ねて入れれば半年分でも余裕で入りそうだが、バラバラに投げ込まれるので、そこまでは入らないわけよ。とにかく新聞販売店に取り置きを依頼したタイミングは、ちょうどよかったことになる。

 そんなことがあったため、実家滞在中や取材中でもネットワークカメラ電源のオンオフを遠隔操作できるようにしたいと考えた。それを解決するには「スマート電源タップ」の導入しかない。WiFi接続できる電源タップなので、外出先からスマホで電源のオンオフができるのだ。
 早速、アマゾンで試しに1個買い求め(私が買ったのは1700円のもの)、WiFi接続してみた。何度か失敗した後、問題なく接続できて、スマホ上でオンオフできることを確認。で、さらに2個追加注文して、すべてのネットワークカメラ電源をWiFi接続でオンオフできるようにした。これで、今後、同様の問題が発生しても遠隔でリセットして復旧できるようになった。

 スマート電源タップは、ほかにも利用価値はいろいろありそうだが、もう少し様子を見てからにしたい。オンにしたあとに接続できなくなってオフにできない(あるいはその逆)ような問題が本当にないどうか、よく確認しないと、ちょっと怖いからね。


2018年4月26日(木)
虫の知らせ
 今週月曜の深夜、半年ぶりに秦野の自宅に戻ったところだが、この半年は、我が家にとって、いろいろ懸案だったことをほぼ一気に進めることができた。そのひとつが実家にダンボール約7箱分もあった父の仕事関係書類をすべて処分したこと。
 大半が設計図やそれに付随する膨大な書類で、昔のような青焼きはないが、トレペ以外はすべて普通紙なので「資源ゴミ」に該当する。しかし、ひと昔前の書類とはいえ、一応、企業の機密情報なので、近所のゴミ集積所にポンと積むわけにもいかない。そこで自己搬入できる市の資源ゴミ回収センターへ直接持ち込むことにした。センターは幸運なことに実家から比較的近い場所にあり、車に積み込んで搬入した。
 持ち込んだゴミを係員がいちいちチェックするような体勢を想像していたら、入口で名前と連絡先、搬入するゴミの種類を聞かれ、「あそこに並んでいる箱の中のうち、雑紙の箱に入れて下さい」といわれただけで、あとはそこに自分で積んで終了。

 膨大な書類の山からトレペを選り分けたり、クリップを外したり、一定量を束にして紐でくくったり、それなりに手間はかかったが、意外とあっさり解決した。ただ、最初は前述したように物が物だけにどう処分すべきか困ったのも事実。シュレッダーで細かくしようと考えたが、膨大な書類をすべてシュレッダーにかけるのはさらに膨大な時間を要す。そこで焼却処分なら確実と思い、「燃えるゴミ」の焼却工場に電話して事情を話すと、事情は理解してくれたもののトレペや青焼き以外の普通紙であれば資源ゴミとなり、こちらでは受け付けられないといわれた。そこで資源ゴミ回収センターへ電話すると、厳密には事業系ゴミともいえるようだが、家庭のゴミとして出すのであればOKとのこと。市の処理施設に直接持ち込めば、機密書類の処分でも比較的安全だろう。助かった。

 そんな書類を実家のテラスで両親と整理していた時のこと。いつものように郵便局の配達があり、封書ばかりなのに一通だけ印鑑かサインが必要といわれ、「何が来たんだろう」とちょっと身構えてしまった。だが、正体は国際郵便の書留だった。国際郵便にも書留があるとは初めて知ったが、配達の人は慣れた感じで端末をピッピッと扱っていた。

 送り主は、父がかつて関係していたブラジルの製鉄プラントで交流があったブラジル人技術者Oさんの奥様だった。中身は、知り合いに翻訳してもらったという日本語の文面で、「先日、主人が亡くなりました」と書かれていた。父も定年退職してから随分経過しているが、父や母にどうしても伝えたかったのだろう。

 Oさんご一家は、私も面識があり、大学生の時にブラジルに滞在した折、夕食に招待されて両親とともに立派なご自宅を訪問したことがあった。当時、小学生だった二人のお子さんに折り紙を教えてあげたのも昨日のことのようだ。
 今回、改めて母からいろいろ聞くと、Oさんのお父様は、鉱山のオーナーで、奥様は私たちが招待されたあと、一念発起して大学に通い直して弁護士になられたというから驚き。

 実は、その訃報を受け取る前日の夕食の際、Oさんのことがふと話題に出て、母が「お元気にされているのかしらね」といったばかりだった。これも「虫の知らせ」だったのだろうか。


2018年4月9日(月)
テレビ番組出演依頼
 先日、テレビ番組制作会社から日テレ・某番組の出演依頼をメールで頂く。「唯一無二の存在の人」とか、「変わったものを収集されてる人」とかをスタジオに招いて、トークするという内容らしい。「湿原マニア」として出て欲しいとのことだった。

 確かに滝マニアは結構いそうだが、湿原マニアは、ほとんどいないかもね。最初の著書も湿原の本だったし、それも含めて湿原関連本を計6冊も出しているので、そんなところに目を付けて下さったのだろう。テレビ番組に出演すれば、「本も売れる」好影響もありそうだけど、結局、お断りした。

 指定されたスケジュールで東京のスタジオに行けるかどうか、ロケも一日あるとのことなので、それも含めて現時点では約束できないこともあるし、そもそも視聴者受けしそうな苦労話とか、おもしろい話題とかも大してないしな。何よりテレビ番組出演なんて、ボクちんには合っていない。その確率は、軽く見積もっても1億%といったところか!!

 でも、依頼されるのは悪い気はしない。せっかく声を掛けて頂いたのに申し訳ないです。


2018年4月7日(土)
フジフィルムがモノクロフィルムと印画紙の生産と販売を終了
 フジフィルムが、ついにモノクロフィルムと印画紙の生産と販売を終了するという。予想はしていたが、ついにその日が来たかと、かつて同社のモノクロフィルムと印画紙のユーザーだった自分としては感慨深いものがある。

 中学の頃、モノクロフィルムといえば、ネオパンSSとか、ネオパンSSSだったが、高校の頃にネオパン400が出て、日常的に愛用していた。ほかにもネオパンFやミニコピーも稀に使った(その後、現在のプレストが出る頃はモノクロ写真の世界から離れていた)。

 高校入学のお祝いとして引き延ばし機や現像用品一式を親に買ってもらったので、高校〜大学時代には、ネオパン400とともに印画紙のフジブロWPも相当使用。大学に入ってから、引き延ばし機は実家に置いてあったので、夏休みなどの帰省前には、ヨドバシカメラでフジブロWPを買い込み、実家でプリントして楽しんだ。ほかに三菱製紙の月光もあったが、ウォータープルーフ処理で仕上がりがきれいなので、フジブロWPの方を多用したように記憶している。

 それからモノクロフィルムの現像液といえば、やはりフジのミクロファイン。その後、スーパープロドールも発売され、どちらも相当回数、水に溶かしては現像液を作り、フイルム現像を繰り返した。一方、印画紙の現像液といえば、トレクトール。定着液はフジフィックス。コレクトールは、昔は箱に入って2袋セットになっていたように記憶しているが、今回、検索してみると今は袋になっているんだね。知らなかった。それにしても、あ〜懐かしい。

 でも、これも時代の流れだろうな。モノクロフィルムと印画紙の世界も悪くはないけど、やっぱりデジタルの方が便利。中学生の頃はまだ引き延ばし機や現像タンク等の機材を持っていなかったので、モノクロフィルムでも撮影後に近所の写真屋に現像とプリントを依頼していた。現像の方は問題が生じることはなかったが、ある時、仕上がってきたプリントを見ると、ネガにはない筋がたくさん入っていたことがあった。
 どういうことかというと、当時でもカラープリントは、ある程度自動化されていたと思うが、モノクロプリントは需要も少ないので、現像プリントサービス会社であっても引き延ばし機でプリントする手作業だったのだろう。その作業内容は、アマチュアとまったく同じで暗室で印画紙にプリントし、現像液に浸して像が出た頃合いを見て停止液と定着液に順に浸して行くわけだが、定着液パレットの中に印画紙をそのままにしておくと、暗室用の赤ランプ光でも影響を受けて、重なり合ったほかのプリントによって、表面に露光の濃淡が生じてしまうのだ。つまりプリントの半分に重なるように別のプリントが上にあると、重なっていない部分だけ赤ランプ光の影響を受けるので、画面半分に線が入ったように画像の濃さが違うプリントに仕上がっちゃうわけ。同じことは一度ではなく、2、3回あった。

 今なら、「こんな欠陥プリントで金を取ろうなんてふざけている」と即返品するだろうが、中学生だった当時はそんなこともできず泣き寝入り。フジフィルム傘下の現像プリントサービス会社の怠慢以外の何物でもないが、ネガカラープリントの色調調整も価格競争の中でどんどんテキトーになり、実物を見た時の印象と随分違って仕上がってきたり、一度、いい色調で仕上がったので、大きなサイズに引き延ばし依頼をすると、まるで印象が違って仕上がったり、ガッカリしたことは一度や二度ではない。そんなこともあってデジタルで自分の好きな色調に調整し、それを自分でプリンターでプリントする流れになるのは当然だろう。
 大学の頃は、そんなテキトーな色調調整に我慢できず、単価は安いけど仕上がりはよくない一般的な写真店ではなく、フジフィルム製の現像プリント装置(普通乗用車よりひとまわり小さいくらいの大きさ)を導入して、ちょっとプリント単価は高い(格安写真店で1枚20円の時に1枚35円だった)が、色調調整を細かくやってくれる近所の、ちょっと専門的な写真店にプリントを依頼していた。

 将来、フィルムさえ不要になり、ASA100とか400(昔は今のようにISOではなくASAだった時期が長かった)どころじゃなくて、もっと高感度で撮影できるようになる。しかもプリントするよりもパソコンで見ることの方が多くなる…当時の自分に教えたら、ものすごく驚くだろうな〜。


2018年4月5日(木)
ダイソー
 昨年、100円ショップのダイソー創業者で現・会長は、同じ高校の出身というのを偶然、知って驚いた。へぇー、高校の先輩だったとはね〜。一昨日、その矢野会長ご本人が書かれていたネット記事を読んだところ、その記事でも高校名が触れられ、高校時代はボクシングに夢中になっていたという。その頃はプロボクサーになりたいと思っていたが、卒業後、東京のジムに入って自分の実力を思い知らされ、方針転換して大学に行くことにした…とあった。その後もいろいろ苦労されたようで、ご本人ですら「こんな会社、いつ潰れてもおかしくない」とずっと思ってきたのに、あれよあれよという間に大成長。今や世界中に約5000店も展開する企業に成長しているわけだから、人の運命なんてわからないものだ。

 もし、高校卒業後の矢野会長にプロボクサーとしての素養が十分にあれば、プロボクサーになられた可能性が高く、それがなかったことで別の人生が花開いたともいえる。夢が叶わなくても、もしかするとその夢が叶わないことで別の思わぬ「よい展開」が待っているかもしれない…と楽観的に考えることも若い人には必要だろうね。

 ダイソーは、昔に比べてレベルアップしており、確かに今も「外れ商品」もないことはないし、ひとつひとつの商品で比較すると、実はスーパーでは80円で売ってたりするものもあるわけだが、安くてよい商品も多いし、他店にはないオリジナルもあって、なかなか魅力的だ。

2018年3月29日(木)
物事の理(ことわり)
 STAP細胞の小保方さんが、また本を出版し、雑誌でもグラビアデビューされたらしい。私は、以前、小保方さんが出された本も読んでいないし、今回の本も読みたいとは思わないが、「自己顕示欲が強い女」等々の批判は当たらないと思うね。

 ネット上の反応を読むと、相変わらずアホ丸出しのものも多いが、みなさんもこれまでの人生で、的外れなことをいわれて「そうじゃねーよ!!」と強く反論したこと、反論したくなったことって一度や二度は経験していると思う。おそらく彼女は、STAP細胞の一件によって自分の人権や名誉など、自分という存在を支える根本を全否定されるほどの恐ろしいほどに圧倒的な「的外れな批判の大洪水」を一身で受けた経験をもつ類い希な人であり、「そうじゃねーよ!!」といいたいことが山のようにあるのだろう。その強い思いが、本の出版という形となって表れているものと私は想像する。

 文系の人は想像したことすらないだろうが、本サイトでも繰り返し指摘しているように文系の人の科学関連の見立てというのは、そのほとんどが的外れであり、理系でも専門外だと、文系ほどではないにしても、やはり何割かは的外れになるものである。

 それを聞いた文系の人のうち、少しはインテリで頭がまわる謙虚な人であれば、「そうなのか。では、自分の矢は、直径50センチの的から1メートルくらい外れているのかも」と思ったりするかもしれないが、実際には的が掛けられている正面の壁面どころか、左右の壁面、いや時には真後ろの壁面に矢が刺さることもあるほどのズレッぷりであり、これほどの超ヘタクソな腕前で、自分の矢がどこに刺さっているのかさえも認識できないにも関わらず、それでも大抵は「自信満々」なのが紛れもない実態である。

 文系さんの大問題とは、物事の理(ことわり)をまるで理解していないことに尽きる。その文系さんが判断する際に頼りにしがちな「世論」の中にも理系と文系がいて、さらに理系でも専門分野が分かれていることすら、あまりよく認識されておらず、そんな区別に頭がまわることもなく、ものすごく単純に「世間一般」をひとまとめにして、その大多数の反応を伺い、それこそが正しいと判断してしまう。でも、その大多数の反応を生んでいるのは、やっぱりみなさんと同じく理(ことわり)を理解していない文系の人なのである。

 小保方さんは、たとえ生物系大学出身者でも想像できない当事者しか知らない情報は当然いろいろお持ちだろうし、少しは想像力が働く生物系大学出身者でもなく、徹底的にカラッポな文系メディアの自信満々な割にトンチンカン過ぎる、真後ろの壁面に矢が刺さるような見立てに心底頭にきていても全然不思議じゃない。
 彼女の記者会見等での発言を聞いたり読んだりすると、少なくとも筋は通っていて、多少表現等に「若いゆえの未熟さ」も感じるが、バイオサイエンスの研究者なのだから当然といえば当然、物事をロジカルに考える訓練を受けているのは間違いない。そんな彼女だけに、ロジカルではない世間の反応をどう感じてきたか。想像するにあまりある。

 よくある批判として「自殺者が出ているのに」というものがあるが、笹井さんが自殺した理由は本人にしかわからないが、私が想像するにふたつしか考えられない。ひとつは、STAP細胞を発表した後、ほかの専門家からの指摘で笹井さん自身の見立てが間違いだということに気づき自信が喪失した。ふたつめは、週刊誌報道等による心労である。前者であったとしても小保方さんは遠因でしかなく、後者に至っては自殺の原因を作ったのは、とにかく徹底的にカラッポで、科学関連のことになると、自分たち自身では真実を追求する能力さえも十分にない文系メディアが「これほどおいしい話題はない」と見境もなく金儲けに走り、伝聞でしかないような話しを盛りに盛ったせいであり、彼女はその被害者に過ぎない。

 そもそもこの騒動も、その原因と責任は彼女にもあるが、あらかじめ論文の問題点をきちんとチェックしなかった、自殺した笹井さんも含めて共著者全員と理化学研究所にも責任がある話しであり、しかも騒動をこれほど大きくした原因と責任は、モラルもなく金儲けに走るマスコミと、その報道につられて興味本位に飛びついた世間一般にも間違いなくある。さらにいえば、文系メディアや世間一般が想像するような「すべて小保方さんに原因がある」といえるほどの単純な話しではなく、私から見ると、何か裏があるとしか思えない。もし、そうだとしたら彼女は被害者でしかない。

 「詐欺師」という批判に至っては、まあ、ド文系さんの中でも偏差値50以下のバカとしか思えんが、完全に的外れ。STAP細胞を再検証しようとして、ほかの研究者どころか、本人も再現できなかった…と聞いて、単細胞のバカは「やっぱり、小保方さんの捏造だった」と思うわけだが、本サイトでも繰り返し書いているように「彼女は結果を捏造したわけではない」のだ。ここは、ものすごく重要なポイントで、この点を理解していないバカが多すぎる。マスコミ関係者でも理解していないのは、もう呆れ果てて目眩しかしない。

 しかも生物の現象というのは、世間一般のみなさんが想像するよりも圧倒的に複雑なものであり、研究者自身も気づいていない因子が影響している可能性は十分にある。例えば、電磁波や磁場等の影響とか、あるいは実験に使用する機材の何らかの違いに影響を受けていたり…とかね。ごくわずかなので実験に影響はないとこれまでは考えられていたが、複数の因子が偶然重なる条件下では、STAP現象が起きるのかもしれない。
 実験下における「あらゆる因子」を徹底的に考慮するのは極めて困難であり、もしかするとSTAP細胞発表前の検証過程では、偶然、その条件下にあって検証に繰り返し成功した。そして小保方さん自身もそれを「コツ」だと勘違いしたが、実はそうではなく、なんらかの因子がたまたま揃っていただけの可能性もある。そして発表後にほかの研究者が追試をしても成功しなかったのは、彼らの実験室にその因子が揃っていなかったからであり、もちろんご本人による追試の場合も実験室と実験機材が変わったために成功しなかった可能性も捨てきれないわけだが、とにかく徹底的にカラッポで、そもそも物事の理(ことわり)を理解していない文系マスコミや世間一般が、その可能性について思い至るのは、もう完全に不可能な話しだ。


2018年3月27日(火)
アンザイレン
 八ヶ岳連峰の阿弥陀岳で発生した滑落事故。パーティ7名で登っていて、トップが滑落したため、アンザイレンしていた全員が一緒に滑落してしまい、死者3名という結果となってしまったようだ。ザイルでお互いを結ぶアンザイレンって、 いかにも有効な安全対策みたいな印象があるが、崖に落ちていく数十kgという成人体重を支えるのは、それなりの体勢が必要であり、体勢を整えて準備していても、必ず支えられるとは限らない。体重が軽く、筋力もない女性が、体重の重い男性を支えるのは、ほぼ無理じゃないか。しかも、体勢も整えていない状況で、いきなりでは余計に難しいと想像される。

 昔、読んだ登山技術の本には、 「稜線上でアンザイレンしていたパートナーが運悪く右側の崖に滑落したら、迷わず左側の崖に飛び降りろ」というものがあった。それなら左右で体重を支え合えるので、少なくとも両者の滑落距離はザイルの長さの半分くらいですむ…というわけ。でも、実際にそんなことを瞬時に判断してできるものなのだろうか。特に飛び降りる側が断崖絶壁だと、理屈はわかっていても躊躇してしまうのは必須。ためらっているうちにタイムアウトすれば、確実に滑落者に引きずられて自分も滑落してしまうことになる。

 このパーティのリーダーは、一人が滑落しても7名で支え合える…と思ったのかどうか知らないが、完全に想像力不足ではないだろうか。以下の図を見れば、7名のアンザイレンなんて、有効どころか危険としか思えない。



もし、仮にこのように6名と滑落者をそれぞれザイルで結んでいるのであれば、滑落者の体重は6名に分散される。滑落者の体重が60kgであれば、一人当たり10kgの負荷となり、いきなりの滑落でも余裕で支えられると考えられる。


勾配がない平坦な登山道であれば、真ん中の一人が滑落しても、前後2名で支えられるので、一人当たりの負荷は半分の30kgに分散できる。これくらいなら、支えるのもまだ可能だろう。


しかし勾配がある登山道だと、滑落者の前の人だけに滑落者の全体重がかかり、支えきれない可能性が高い。もちろん、これは均等の長さでアンザイレンしていたことが条件となるが。


今回の事故では、最初に滑落したのは一番目の人とのことなので、まず最初に滑落した一番目の全体重が二番目にかかることになるが、当然支えきれず二番目も滑落。すると三番目は一番目と二番目の合計体重がかかることになり、やはり支えきれず…と次々に続き、七番目に至っては、残り6名全員の体重が負荷としてかかることになり、結局、全員が滑落してしまったのだろう。

 このことは、こうような図にして、よく考えれば、登山技術に詳しいか詳しくないかとは関係なしに想像できる範囲のことだと思うが、今回のパーティ全員が、7名をアンザイレンすることのリスクについて、誰も気づかなかったのだろう。春季の阿弥陀岳南稜という難ルートに挑む割に杜撰すぎないだろうか。それはそれである意味、驚愕ともいえる。


2018年3月26日(月)
ヌカザス山
 先日、奥多摩で発生した山岳遭難で、「三頭山とヌカザス山の間で遭難」との報道がされたからだろう。カタカナの山名も珍しいと思った人が多数いたとみえて、「ヌカザス山 由来」等で検索して本サイト「山岳記84 カタカナ地名の由来」のアクセスが翌日分も含めて計約1850件もあった(現在は鎮静化)。
 このページでは、残念ながらヌカザス山の由来については触れていないが、「おもしろいカタカナ地名」の一例としてヌカザス山も挙げていたことからアクセスにつながったものと考えられる。

 三省堂『日本山名事典』を開くと、ヌカザス山は載っているが、ここでもカタカナ表記されて、漢字名は併記されておらず由来は不明。そもそも「ぬ」から始まる山名は断然少なくて、同書でも「ぬ」のページはわずか4ページ弱しかない。
 ヌカザス山は、かつて奥多摩湖から三頭山に登った際に通過したことがある。ルートの印象は多少記憶に残っているものの、ヌカザス山山頂がどんなところだったか、完全に忘却。改めて当時のアルバムを見て、ようやく記憶が蘇った。ひらがな表記の山名を示すプレートが立てられているだけの尾根上の地味なピークだった。ちなみにヌカザス山の手前(北側)には、やはりカタカナ表記の「イヨ山」がある。


ヌカザス山山頂。1985年5月撮影。画面全体に筋状の模様が出ているが、これは「絹目プリント」をたまたま選んでしまったためだ。スキャナーに通すと、どうしても絹目模様も一緒に出てしまう。しまった! 将来のデジタル化を見据えて、すべて「光沢」にしておくべだった(当時の登山アルバムはすべてデジタル化してある)。写真の標識はひらがな表記だが、30年以上前もやはり漢字表記ではなかったことがわかる。



2018年3月20日(火)
最近のニュースで感じたこと
至学館大学・谷岡学長の会見

 レスリングのパワハラ問題で、先日、至学館大学の谷岡学長が会見で伊調さんに対して「そもそも選手なんですか」と発言したことに対して批判が集中しているが、その前後の発言から推察すると、学長である自分としては、伊調さんがしばらく休むという話しを以前聞いたままで、その後、練習を再開したとも聞いていない。従って、まだ休んでいる(=今はまだ選手に復帰していない)とばかり思っていた。自分は伊調さんが東京オリンピックを目指しているかどうかさえも知らない。それなのに今回の件で、まるで大学が悪意でもって伊調さんに練習場を使わせないよう意地悪をしているかのような批判の電話がたくさんかかってきて頭にきている…ということをいいたかったのだろう。

 学長が指摘していた「伊調さんは言葉が足らない」「ぶっきらぼう」。「監督はくどい」「言葉はいっぱいしゃべるけど文脈がはっきりしない」ことから「コミュニケーションギャップ」が生じたのもおそらく事実だろう。でも学長も会見で少し言葉が足らなかったのかなとも思う。

 谷岡学長には、伊調さんや監督に対しての敬意がない…と批判するマスコミもあるけど、それなら「安倍やめろ!」と批判する連中に対しても「一国の首相に対して敬意がない」とぜひとも批判して頂きたいものだ。金メダリストやその指導者には敬意を払う必要があるが、政治家(特に自分が嫌いな政治家に対して)には敬意を払う必要はなくて何をいってもOKなのか。そうだというのなら、その理由を理路整然と説明してほしいものだ。あの程度で「敬意がない」と批判するのであれば、一般人もマスコミも似たようなレベルの発言は、普段からいくらでもしていると思うけどね。

 ただ、栄監督には練習場使用についてどうこういえるパワーがある人間ではないからパワパラはなかったかのような発言は完全に違うだろうね。権限がなくても、それなりの立場であれば威張ることはいくらでもできる。というか、権限という真のパワーがないからこそ、威張ったり怒鳴ったりすることで自分を大きく見せたい人は割と普通に存在している。特にスポーツの世界では多いだろうと想像する。本当は「自分を大きく見せたい」という個人的欲求に起因しているのに、本人も「選手のため」と錯覚していたりする。本当に「選手のため」という場合もあるかもしれないが、中には常識から逸脱している人も当然いるだろう。栄監督がそれに該当するかどうかは定かではないが。


2018年2月3日(土)
阪大・京大の追加合格
 それにしてもヒドイ話しだな。追加合格になった人は、せっかく他校の生活に慣れた頃になって、まさかの追加合格通知が来て、どうするべきか大いに悩んだのは間違いない。今もまだ答えが出ていない人もいるだろうね。
 今回、たまたま一流大学の入試ミスだったから大きなニュースになったわけだが、過去、日本中で毎年繰り返されてきた国内全大学、全高校、その他もろもろの全入学試験が100%完璧に行われたとは思えない。出題内容自体に問題はなくても採点でミスが生じる可能性は否定できないだろう。

 どこかで人知れず、なんらかのミスが発生していて、誰も気づかず見落とされたままってことは、レアケースながらも実際あるんじゃないか。ほとんどの入学試験では二重チェックをしていると思うが、それでも見落とされている可能性がゼロとは思えない。今回のような事例を見てしまうと、余計に合否に影響するようなミスが、これまで日本国内で一切なかったとは到底思えなくなってくる…。

 入学試験って人の人生に影響することだから、入試関係者のみなさんには、ぜひとも慎重にも慎重を期して頂きたいものだ。将来は、出題内容と採点をAIにも確認させるような方式になっていけば、ミスは防げるかもね。


2018年1月1日(月)
あけましておめでとうございます
2017年12月30日(土)
立憲民主党躍進
 それにしても10月の衆議院議員選挙結果は意外な結果だったなぁ。誰しも自民党は惨敗するだろうと思っていたはずだが、蓋を開けてみればまさかまさかの圧勝だった。「モリ・カケ問題」におけるマスコミの印象操作にもあまり影響されず、意外と国民は冷静だったといえるかもね。麻生さんがホンネをついもらしちゃった「北朝鮮」要素も確かに大きいだろうな。

 その一方、最初は枝野議員がたった一人で立ち上げた立憲民主党も予想に反して大躍進。民進党がそのまま希望の党へ合流するかも…という流れの中で、ひとり筋を通したということで、あの石原さんでさえ「枝野は男を上げた」と評していたし、おそらく多くの有権者も、この点を高く評価したのだろう。

 だが、丹念にマスコミ情報に目を通している人は、みんな気づいていると思うが、これは「日本の有権者が、ろくにマスコミ情報に目を通していない」証拠としかいえないと思うね。どういうことかというと、枝野議員に「男を上げた」と評価できる要素は、何もないからである。

 希望の党へ合流することの是非が話し合われた民進党の会合で、枝野議員はそれに賛成しているのである。もし、ここで枝野議員が「政治信条が異なるので、希望の党に合流することはできない」と、ひとり異を唱え、民進党を去って新しい党を立ち上げたのであれば、「枝野議員は筋を通した」といえるし、私もその男気を高く評価したい。しかし、実際はそうではなくて、一度は希望の党への合流に賛成しているのだ。ところが、希望の党の小池東京都知事から「排除」されてしまい、やむを得ず立憲民主党を立ち上げたに過ぎない。このどこが、「筋を通した」ことになるのだろうか。

 立憲民主党支持者が、ろくすっぽマスコミ情報に目を通していないことまでわかる話しであり、彼らは、枝野議員の男気は表向きそう見えるだけということにも当然、今もまだ気づいていないだろう。上記事実は一部マスコミで報道され、それに対する反論が一切聞こえてこない点から考えると、おそらく事実だろう。日本の有権者の、現状を正確に把握する能力が、いかにお寒い状態か、よくわかる話しである。

 こうした事実すらも気づかない政治音痴の有権者によって立憲民主党が支持されるのを見た「風見鶏議員」たちが、あっさり民進党を捨て、立憲民主党へ次々に移って行くのも笑っちゃう話しであり、同時に見苦しい話しでもある。自分の政治信条よりも、選挙に勝つことを優先しているようにしか見えない。結局、いくら見かけだけの支持率が高い政党に移籍しても、議員自身は民進党にいた時と何も変わらないわけで、そういうことに有権者はもっと目を向けるべきだろう。



2017年12月29日(金)
秘書
 今年もいろいろあったげと、ボクちんが一番印象に残ったことといえば…

  これだっ
 ↓

このハゲーッ!!
ちーがーうーだろ!!


 日本中のハゲを敵にまわしてしまった大名言…あ、いや、失敬…大暴言として歴史に残ることは間違いないし、ここはやはり今年の「新語・流行語大賞」に選ぶべきだったと思うな。
 テレビでは、そんなことをいわれた男性秘書を「被害者の方」と呼んでいたけど、言った本人の豊田・元議員もある意味、被害者。五十ン才にもなって、あり得ない「大ポカ」ばかりする秘書に怒り心頭に達するのは、当たり前の話しで、いくばくかの同情も禁じ得ない。しかも、このネタを最初に週刊誌に持ち込んだというのも、この秘書の人間性まで垣間見えてくる。
 もし、この秘書が優秀だったら、怒り狂う必要もなく、豊田・元議員は今も議員を続けられていた可能性が高いともいえ、そういう意味ではちょっとばかり気の毒ともいえる。こういう暴言を吐く人が国会議員というのも、確かにその資質に疑問符が付くのも間違いないけどね。

 ただ、その一方で豊田・元議員は、逆説的ながらも日本中のハゲを救ったともいえると思うね。どういうことかというと、これまではダイレクトに「ハゲ」と呼ぶしかなかったものを、これからは「豊田議員の秘書のような」というオブラートで包んだソフトな表現方法が可能になったのも間違いない(笑)。こういう全国民が知っているタイムリーな話題を元にすれば、そんな遠回しのいい方でも、日本中で「豊田議員の秘書のような=ハゲ」を認識してもらえるようになったともいえ、ハゲの人権にも配慮した、人に暖かい日本社会がついに到来したことになる。なんと素晴らしいことではないか。豊田・元議員最大の功績といっても過言ではない!!

 まあ、大体、髪の毛の状態くらいのことで、バカにしたり(ボクちんは決してハゲをバカにしておりません!!)、ハゲご本人が気にするのも実に下らない話しだ。そんな表向きの状態どうこうよりも中身の方がはるかに重要。
 植物を見よ。茎や葉、花、果実…等々の各部位がツルツルのものもあれば、ボーボーに毛が生えているものなど、多種多様。しかし、彼らはそんな違いをお互いに一切気にしない。多少の例外はあるにせよ、それと同じでいいんじゃないか。


2017年12月28日(木)
青島みかん
 実家には、ユズ、大実ユズ、夏みかん、八朔、レモン、メイヤー、スダチ、キンカン、シークワーサー、サマーオレンジ、青島みかん、石地みかん…計12種類の柑橘類を植えている。このうち石地みかんはまだ植えてから時間が経っていないので未収穫だが、ほかの柑橘は年により波があるとはいえ、全体では毎年、かなりの量の収穫がある。今年は大実ユズ、八朔、夏みかん、キンカンが大豊作だった。もちろん八朔やみかんは生食するし、ユズやレモン、スダチ、シークワーサーは、料理にも使えば、果汁を搾って利用したりもするわけだが、何年か前に植えた青島みかんも今年くらいから結構な量でとれるようになった。

 みかんといえば、冬の定番。炬燵の上に置かれたみかんは、日本の冬らしい風景といえるが、スーパーで売られているみかんは、当たり外れがあって、あまりおいしくないものもある。実は、みかん生産地・広島県内よりも関東圏のスーパーで売られているみかんの方が、同じ広島県産でも味がいいような気がずっとしていた。おそらく上得意先である関東地方や関西地方の卸業者に質のいいものが流れ、県内で流通しているものは二流品の方が多いということも実際あるんじゃないか。

 そんな中、うちの青島みかんは、ホームセンターで苗木を買ってきた普通の品種に過ぎないが、適度な酸味があって味がすごくいい。私の印象では「過去に食べたみかんの中でも、うちの青島みかんが一番おいしい」と思えるほど。
 みかんにありがちな「腐りやすさ」もなく、腐ったことは一度もない。実の大きさにバラつきがあるので、その時の腹具合に合わせて大きさを選べるのも都合がいい。唯一、種があるのは欠点だが(たまに種がない実もある)、その欠点を帳消しにするほどおいしいのだ。

 苗木代金の元を完全にとって、おそらく来年以降、スーパーでみかんを買う必要はあまりないだろう。管理に手間がほとんどかからないのに、おいしいみかんを作ってくれる青島みかんちゃんに感謝である。今年の収穫分はかなりの量だったが、ほぼ完食した。来年もおいしいみかんを期待しております!!


2017年12月8日(金)
シンギュラリティ飴
 常々、感じていることだが、企業の商品開発担当のみなさんは、その科学知識を別の方向にも活かすべきだと思う。今回はその提案をしたい。

 いうまでもなく科学は、現在でも商品開発に大いに利用されている。製薬会社が、薬の効果をより高めようとして、新しい成分を研究して配合したりすることは日常的に行われている。
 例えば、研究の結果、風邪薬にイソプロピルアンチピリンを配合することになり、その略でパッケージに「IPA配合」とか書いて商品の価値をアピールしたりする。もっとも、それを見て「IPA=イソプロピルアンチピリン」とわかる人や、さらにはイソプロピルアンチピリンの薬理作用まで知っていて「そろそろ製薬会社が風邪薬にイソプロピルアンチピリンを配合するんじゃないかと思っていたけど、やはりそうか!!」と理解できる人は、せいぜい薬学部出身者の何割かくらいだろうが、そんな科学の利用方法は当たり前過ぎて話題としてはつまらない。もっとダイレクトな使い方もできるんじゃないか…とボクちんなんかは常日頃から思っているわけよ。

 例えば…そうねぇ。


◆ボクちんが提案する商品企画案その1

「シンギュラリティ飴」

 シンギュラリティとは、技術的特異点のこと。AIの発達で人類の進歩が飛躍的に変わる境界をこう呼ぶ。このタイムリーな要素を製菓業界にも活かさない手はない。そこでだ。ボクちんが考えた企画案。その名も「シンギュラリティ飴」だっ!
 シンギュラリティ飴は、最初は普通のレモン味だが、ある一定時間舐め続けると、ついに味の特異点に達して、まさかまさかの「イカの塩辛味」に変わるという斬新なアメ玉。いいアイデアでしょ。UHA味覚糖さんとかに売り込むかな。



◆ボクちんが提案する商品企画案その2

「エントロピーチョコ」

 エントロピーとは? Wikipediaの該当ページの説明を読んでもわけがわからないので、見ても無駄。次のようなたとえ話をすることで説明としたい。もし理系出身のリケジョママが、息子の子供部屋に入ってみたとしよう。すると部屋中に物が散らかっていた。リケジョママなら、きっとこういう。いや、特に理学部物理学科出身であれば、絶対に次のようにいってほしい!!

「まあ〜なんてことでしょう!! エントロピーの増大だわっ」と(笑)。

 つまり秩序あるものが、無秩序に変化することだが、これをチョコレートにも活かしたい。エントロピーチョコは、一見普通の板チョコが真空パックに入っている。開封して置いておくと1時間くらいのうちに徐々にひと口サイズにバラバラになり、食べやすくなる。しかし、すぐに食べないと、さらに分解が進み、最後にはココアパウダーと化してしまうチョコレートなのだっ。空気中の酸素と結合して酸化分解が進む成分を適度に配合するところが、開発のポイントである。ただし技術的ハードルが極めて高いので、開発担当のみなさんの努力に期待したい。どっちにしても宇宙の法則にもつながるエントロピーの増大を間近に体感できる、いいアイデアでしょ(笑)。明治製菓さんとかに売り込むかな。



◆ボクちんが提案する商品企画案その3

 これは冗談じゃなくて本当にそう思うのだが、商品のデザインにももっと科学要素があってもいい。例えば、化学構造式って見ようによっては視覚的にもおもしろい。いや、数学や物理学の計算式でもいい。

 例えば、必須アミノ酸・トリプトファンの構造式とか、あるいは酵母の電顕写真やT2ファージのイラストを商品デザインに使ったりとかね。科学は、そういう方向にもっと利用すべきだと思うんだよね〜。大学時代に試験対策で暗記したこともあるビタミンB12の構造式を胸の部分にデザインとしてあしらったTシャツがあれば、ボクちんなら買うね(ただし値段は千円程度なのが絶対条件だけどな)。えっ、ほかに買う人、誰もいないって!? いや、意外とおもしろがって買う人いるって。

 企業の商品開発担当のみなさん、どうでしょう?



2017年11月13日(月)
パブロフの犬
 先日、ネット記事を読んでいたら、こんなことを書いている人がいた。

「旧日本軍=悪」という「パブロフの犬」

 …うまいこというなあ。そうそう。こういう単純な人ってよくいるよ。

 「パブロフの犬」とは、ロシアの生理学者イワン・パブロフが行った実験にちなむもの。犬にエサを与えるときに必ずベルを鳴らす実験を何度も繰り返すと、やがてエサがなくてもベルを鳴らしただけで犬がよだれをたらすようになったことから、生物に「条件反射」という学習メカニズムが備わっていることに気づいた。そこから条件反射のたとえとして、「パブロフの犬」はしばしば用いられる。特定の犬を指すものではない。

 でも「パブロフの犬」は、それだけじゃない。ほかにもまだまだあるよ。

・「軍隊=平和を脅かす悪」という「パブロフの犬」
・「自衛隊=平和を脅かす悪」という「パブロフの犬」
・「武器=平和を脅かす悪」という「パブロフの犬」

さらには左派マスコミにおもしろいように共通する点↓
・「権力=悪」という「パブロフの犬」
・「権力者=裏で何か悪いことをしているはず」という「パブロフの犬」
・「政権=裏で何か悪いことをしているはず」という「パブロフの犬」
・「政治家=裏で何か悪いことをしているはず」という「パブロフの犬」
・「自分=正義」という「パブロフの犬」

最近は特に…
・「安倍政権=戦争を企む悪」という「パブロフの犬」

逆に…
・「民主党・民進党=能なし政党」という「パブロフの犬」
・「朝日新聞=読む価値なしの売国新聞」という「パブロフの犬」

一方で…
・「マスコミが騒いでいる=きっと大問題」という「パブロフの犬」

その逆も…
・「マスコミが無反応=きっと大した問題ではない」という「パブロフの犬」


 すべてに共通することだが、本当にすべてがそう断言できることなのか、冷静に詳細に検討しないで、自分にとって「そうであってほしいと望む結論」を安易に選択してしまう人は、まさに「パブロフの犬」で判断していることが極めて多い。

 結局、多くの人は、自分自身が、ずっとそればっかり使い続けているので疑問にすら思わず、もう手垢まみれになっている二分法や定性的な思考方法が、実は重大な欠陥品であることに気づいてもいない。

 二分法や定性的な思考回路の持ち主は、ひとつの言葉でまとめられるものは、その中身も同質であると勝手に見なしやすいのが特徴。それこそ重大な問題といえ、上記の例すべてにおいて共通することだ。

 旧日本軍軍人の中には、確かに倫理的に悪いことをした人もいただろう。でも、旧日本軍のしたこと、すべてが悪かったわけではない。人間として立派な将校や兵士もいっぱいいた。なにより明治以降の国際情勢の中で、強力な軍隊が存在することによって、日本が欧米の植民地になるのを防いだ大きな利点があったことは間違いない。

 当たり前だが、世の中のすべてのものには光と影がある。いい点もあれば、悪い点もある。その両者を対等に比較して、冷静かつフェアな視点から評価しないのは、極めて問題だと思うね。

 「Aは、正義か悪か」…みたいな二分法で物事を判断している人は、意外に多い。そのどちらでもない可能性とか、条件によっては有益だが、別の条件では有害とか…そういう可能性を微塵も顧みず、白か黒かみたいな答えの引き出しをふたつしか用意しないで、どちらか一方の答えしか選べないものと勝手に思い込んでいる。それが、どう考えてもおかしいことはいうまでもない。にも関わらず現実にこうした欠陥品の思考方法しか持ち合わせていない人って多いのだ。
 もっといわせてもらえば多くの文系の人におもしろいように定量的な視点が欠落するのは、紛れもない事実である(理系の私からすれば、天地がひっくり返るほどのものすごい驚き)。

 「旧日本軍=悪」という単純な結論を選択したい人は、旧日本軍とか、政治権力とか、国家とかいうものが単に嫌いなだけ。本当に公平な視点から検証したことすらないはずだ。とにかく理屈抜きで、そういうものが嫌いなのだ。だから、たとえ反証があったとしても、それを絶対に認めたくない。そんなもんでカッコつけて公平面するなといいたいね。

 もっと世界に視野を広げると、往々として紛争当事者が、こうした二分法思考回路しか持ち合わせていないことによる弊害も大きい。実に困ったものだと思う。

 
2017年11月4日(土)
今週の取材
 今週は4日間、主に信州をまわった。台風の影響で紅葉がイマイチかも…と心配したが、思ったほど落葉しておらず、きれいなところも多かった。そのため予定通りの取材ができた。来春刊行予定の本のための取材だったが、これですべて完了。
 昨日は昨日で、その企画の打ち合わせに神田神保町へ行ってきた。神田神保町といえば、いうまでもなく「本の街」。かつて勤務していた出版社が近くにあったし、大学生の頃からよく通っていた街ではあるが、かなりご無沙汰。前回はいつ来たのか覚えていないが、もうかれこれ二十数年ぶりかもしれない。休日ということに加えて、ブックフェスティバル開催期間中ということもあって、人でごったがえしていた。
 それにしても新宿に出るのも久しぶりで、都営新宿線新宿駅に向かおうとして「あれ?どこだっけ」と迷ってしまった(笑)。 



長野県辰野町・横川渓谷支流(上・下とも)。





2017年10月14日(土)
北海道取材日記 7

山頂部にわずかに冠雪し、紅葉しかけた羊蹄山(ようていざん)。最近は「羊蹄山」と呼ばれることが多いが、私としては「後方羊蹄山(しりべしやま)」の方がしっくりくる。



10月2日正午前、函館フェリーターミナルから青函フェリーに乗船。ターミナルの位置は、前回と変わっていた。ところで北海道最後の食事は、今回もラッキーピエロのハンバーガー。テイクアウトで注文したが、結構待たされてフェリーの時間が刻々と迫って少々焦ったぜ。まあ、十分に間に合ったけどな。でもフェリーの乗船手続きをすませてから、列に並んだ車の中でちょっと急ぎ気味に喰うハメに。



さらば北海道の大地よ! ありがとう北海道で出会ったみなさん! 

2017年10月12日(木)
北海道取材日記 6
 9月30日は、野幌森林公園にある北海道博物館を見学。以前は北海道開拓記念館という名称で、2013年に渡道した時も見ているが、その後、展示内容を刷新し、改称して再オープンしたというので、どんなに変わったのか見てみたかったのだ。
 以前の北海道開拓記念館も圧倒的な資料が収集展示されて見応えがあったが、新しい北海道博物館も展示内容がよく練られ、かなりよかった。9時半の開館に合わせて入館し、出たのは12時半。つまり3時間も館内に滞在。結構、展示解説を細かく丁寧に読んでいると、かなり時間を要してしまった。

 やはり私としてはアイヌに関する展示が興味深かった。記念館の時も見ているが、「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」は改めて見てもやはり圧巻で、展示品は模写と複製とはいえ目を惹かれた。

 「夷酋列像」とは、江戸時代に松前藩家老で画家としても知られる蠣崎波響(かきざきはきょう)によってクナシリ(国後島)とメナシ(知床半島から根室半島にかけての地域)周辺のアイヌの有力者12名の姿を描いた肖像画。蠣崎は本人を目の前にして描いたわけではなく、想像だけで描いたと思われる有力者もいて、しかもアイヌが履かない靴を履いているなど、誇張や嘘がかなり混じっていることが研究者から指摘されている。しかしそれを差し引いても圧巻といわざるを得ない。

 ネット上でも見れます→こちら
 Wikipedia「夷酋列像」のページ→こちら


 当時の松前藩は、アイヌが和人の横暴に対して蜂起したクナシリ・メナシの戦いなどがあって、幕府から統治能力に疑問を持たれていたという。そんな藩の危機的状況を打破するために藩主が蠣崎に命じて描かせたとされる。つまり豪華な衣装を纏い、いかにも屈強そうなアイヌの有力者たちでさえ松前藩には協力的であり、アイヌともうまくやっている=松前藩には統治能力がある…ということをアピールする狙いがあったわけだ。
 そのため蠣崎はこの絵を持参して上洛し、時の光格天皇をはじめ、諸藩の大名たちにも見せて称賛を受け、模写も多く作られたという。原画は33年前にフランスのブザンソン美術館で発見されているが、北海道博物館にあるのは広島新田藩(現在の広島県安芸高田市にあった広島藩の支藩)の藩士が描いた模写だそうだ。

 アイヌ民族は、江戸時代は松前藩の圧政や商人の横暴に苦しみ(江戸時代初期の頃は、アイヌがロシアに協力するようになると困るので、丁寧に扱えという家康の命もあったらしいが)、明治に入って開拓が進む中でも苦難の歴史をたどって来た人たちである。
 明治政府が制定した北海道旧土人保護法は、表向きは「保護法」と聞こえはいいが、アイヌの財産の搾取と風習の禁止が目的の法律ともいわれ、なにより信じ難いのはそんな前時代的な名称の法律がようやく廃止されたのが、なんと平成9年(1997)ということである。

 現在、アイヌは混血が進み、純粋なアイヌはほとんどいないともいわれる。道内にアイヌだけが暮らす集落が点々とあるわけではなく、アイヌの血を受け継いだ人たちが、日本人としてごく普通の生活を送っている。
 私は北海道をより魅力的にしているのはアイヌの要素も極めて大きいと思っていて、その冴えたるものがアイヌ語地名だと考えている。アイヌ語地名は、その場所の特徴をそのまま地名にしており、由来がわかりやすいこと、そして何よりアイヌ語の響きが美しいことである。もし道内地名のすべてが普通の日本語地名だったら、なんとつまらないことか。

 アイヌは高い倫理性をもつ民族で、自然観も素晴らしい。単なるエキゾチックな興味本位の視点ではなく、その文化には強く惹きつけられる。




30日の朝は札幌市郊外へ、ちょっと足をのばす。そこで見かけた定山渓天狗岳。



野幌森林公園にある北海道博物館。



北海道博物館の展示品のひとつ。函館市で出土した縄文時代後期の土偶(複製)。本州では縄文文化のあとに弥生文化に引き継がれるが、北海道では独自の続縄文文化、オホーツク文化、擦文(さつもん)文化へと移行する。



北海道博物館館内の展示。


2017年10月11日(水)
北海道取材日記 5
 9月27日は、焼尻島(やぎしりとう)に日帰りで渡ってきた。焼尻島というのは、道北の日本海側にある周囲12キロの島。すぐ西隣には天売島(てうりとう)も浮かぶが、同じく道北にある利尻島や礼文島と比べれば、どちらもずっと小さい島である。

 朝からあまりすっきりしない天気。前々日の天気予報では「曇」だったのに、当日朝の予報は「午前中は曇、午後から雨」に変わり、少し迷ったが決行することにして車を駐車場に置いて羽幌フェリーターミナルへ。
 チケットを買おうとする直前、「午後の便は、運休を検討中です」とのアナウンスがあった。午後は海が荒れるという予想なのだろう。今はオフシーズンなので1日2往復のフェリーしかない。そこで朝の便で島に渡り、約1時間半の往復便の合間に取材をさっとすませる効率的なプランを考えた。それなら正午過ぎには羽幌に戻れるので、午後はまた別の取材ができる。
 しかし朝の便が島に行ったきりとなると、そうはいかない。戻ってくる便も「午後の便」に含まれるのか、おそらく含まれないだろうとは思ったものの、ちょっと心配になり、チケットを買うときに確認してみると、戻ってくる便は予定通り運行し、午後に羽幌を出る便が運休する可能性があるとのこと。雨が降り出す前になんとかなるだろうと判断。今日を逃すと、数日後になる可能性もあるので乗船することにした。

 いざ船が出ると、海は荒れ気味で思った以上に揺れる。さらに沖合に出るともっと揺れ始めた。「航走車両は大丈夫なのだろうか」と心配になるほどの揺れ方で、客室の窓から見える水平線は大きく前後に傾き、なおかつ窓全体が海になったり空になったりもした(左右にも揺れるという意味)。さらに客室の高さに達するほどのものすごい波しぶきが何度も上がった。とにかく立っていられないほどの揺れ方で、特に船が大きな波を乗り越えたあとに、ぐーんと一気に下がるときの、まるで重力が半分消失したかのような感覚は最悪だった。

 乗船するまで「船酔い」なんて頭をかすめもしなかったが、さすがに徐々に船酔いしそうになった。ほかの乗客は、こんな時期だから観光客はほとんどおらず、みんな島の関係者ばかりのようで、慣れているようだった。私は、客室で座っていると本当に船酔いしそうだったので、廊下で立ったまま、ひざを曲げたりのばしたり…を繰り返す上下の動きによって、船の揺れを感じにくいようにして、やり過ごすことにした(結構効果があった)。しかしそれでも一度トイレに入ったときに吐きそうになったが、なんとか吐かずに我慢して焼尻に到着。1時間の揺れが終わってホッとしたものの、帰路もまた同じ揺れが待っているかと思うと気が重かった。

 港にレンタサイクル屋があることはネットで調べてあったが、実際に行ってみると、もう今年の観光シーズンは終わったということらしくて閉店していた。仕方なく徒歩で取材対象地へ行き、さっと取材をすませる。本当はもう少し落ち着いて取材したかったが、時間がなく、帰りの便を乗り過ごした上にもし午後の便が運休してしまったら、今日中に帰れなくなってしまうので、余計に急がざるを得なかった。

 予定通り取材を終えて港に戻り、便に間に合った。船が焼尻を出て、いよいよかと…と覚悟。また上下運動でなんとかやり過ごそう、と思っていたのだが…。あれっ! なんか大丈夫っぽい! なぜか朝の便のように揺れない。少し揺れるが、これくらいなら全然OKだ。結局、何事もなく羽幌に戻ってきて、かなり拍子抜けした。この時点で午後の便は運休が決定していたが、一時的に波の状態は朝より安定していたようだ。こんなに短時間の間に変わるとはね。

 羽幌を発ち、午後は雨竜町方面に向かった。





羽幌フェリーターミナル。ここから羽幌〜焼尻〜天売を結ぶ羽幌沿岸フェリーに乗船。



船酔いしそうになりながらも、無事に焼尻島に到着。オフシーズンということもあるだろうが、予想していたよりも閑散として、売店も閉まっていて何もない印象。ただフェリーの乗船客は結構いた。写真は焼尻島フェリーターミナル。



観光案内所の人に教えてもらった最短コースの階段を上がって振り返ると、フェリーはまだ出港していなかった。フェリーは続けて隣の天売島に向かう。



焼尻島の見どころのひとつが、オンコ(イチイ)の原生林だ。原生林内を一巡した。



帰路のフェリーから見た焼尻島。本当に平坦な島だ。左端に少し見えているのは天売島。



羽幌フェリーターミナルに戻ってきた頃は太陽も顔を出した。岸壁にはなぜか救急車が待機。どうも島の救急患者がフェリーに乗船していたようだ。



羽幌沿岸フェリー「おろろん2」。オロロンとは、天売島に生息するウミガラスの方言名で、その鳴き声に由来。オロロン鳥(ちょう)と呼ばれる。


2017年10月10日(火)
北海道取材日記 4

太平洋岸にある湧洞沼付近で見かけた朝霧に煙る原野



9月25日午後、陸別の取材を終え、稚内方面に向けて約200キロもの距離を移動する途中の光景。今回の取材では、次の取材地へ向かうのに100〜200キロもの移動が何度もあった。いくら交通量の少ないガラガラ道路とはいえ、高速道路ではなく一般道である。これほどの長距離の一般道による移動は、さすがに長くてしんどかった。



翌9月26日は快晴。稚内市のメグマ沼湿原の木道で撮影。花は閉じ気味のホロムイリンドウ1株のみ。でも彼方には利尻山がよく見えた。奧に見える白い建物は稚内空港ターミナルビル。



隣接するメグマ沼。駐車場から見下ろす。



メグマ沼湿原を散策中、稚内空港の航空機用特殊消防車が滑走路上を行ったり来たりしているのがよく見えた。何かあったのかと思ってしまったが、1台、また1台と戻っていった。訓練だったのだろうか。



サロベツ湿原センターに屋外展示されている泥炭掘削船。かつてはこの船によって湿原の泥炭が採取され、工場に送られてピートモスの原料として利用されていた。



下サロベツ原野園地の展望台から望む幌延ビジターセンターと広大な下サロベツ原野。奧に見えるのは利尻島。あたりは、すっかり秋の気配。



サロベツ原野にずらりと並ぶ風力発電所群。かつて本項日記で掲載した写真と同じ風力発電所。


2017年10月9日(月)
北海道取材日記 3
 当たり前だが、取材旅行は、どこの地方であっても常に自然との出会い、植物との出会い、動物との出会い、そして人との出会いである。まあ、ボクちんは日頃の行いが大変よいので(笑)、毎度毎度いい出会いに恵まれているのだが、今回も、いろいろといい出会いがあった。

 あるビジターセンターに立ち寄った。オフシーズンのお昼時ということもあって、ちょうど入館者は誰もおらず、女性スタッフの人と何気ない会話をしているうちに話しがはずみ、いろいろ貴重な情報をたくさん聞くことができた。以前にも立ち寄ったことがあったので、ざっと館内の展示を見るだけで短時間で出ようと思っていたのだが、結局2時間も滞在。私のためだけに2時間も対応して下さったスタッフの方に感謝である。その山の現状、環境保全の難しさ、固有種の危機的状況、地域の課題、さらにはアイヌ民族や地域の子供たちに対する環境教育のことまで話しが及び、知らない情報も多々あって、「えーっ!!そうなんですか」と驚くこともしばしば。また機会があれば、お伺いして、まだまだお話をお聞きしたいと思うほど。

 また別の某公共施設を訪れた時も幸運だった。その日は土砂降り。駐車場でしばらく待って、小降りになってから施設に向かう。こんな日なので来館者は誰もいない。事務所には初老の男性がひとり。実は以前、ある企画で写真をお借りした方だった。そのことも覚えておられ、いろいろ話しを聞くことができた。その方は、近年、周辺エリアで新種の植物を見つけておられる植物の専門家で、以前から一度お会いしてお話をお聞きしたいと思っていたので、いい機会になった。
 ある山に自生する町名を冠したキンポウゲ科の植物(品種)について、春の開花時に行けば、割と容易に見つけられると想像していたのだが、そうではないことがわかった。一般登山者もその登山道沿いで見られるものをそれだと勘違いしているが、実は登山道から外れたわかりにくい場所に生えている一群を指し、登山道沿いにあるものは母種の小型種に過ぎないとか。まだ結論は出ていないが、某山に生えるサクラソウ科の植物は新種の可能性がある…というような専門家ならではの情報をいくつか教えてもらう。さらに植物の関する貴重な資料を3冊も頂戴し、恐縮しながら施設をあとにした。来館者が多い時であれば、なかなか話しはできなかったと思うが、偶然の悪天候がプラスに作用。本当にラッキーだった。

 釧路湿原でもいい出会いがあり、それによって初めてタンチョウを見ることができた(そのうち動物記でアップします)。北海道に限らず、日本中、どこでも親切な人がたくさんいて、私の取材なんか特にそうだが、偶然のいい出会いに助けられることが本当に多い。お会いできたみなさんに感謝!



2017年10月6日(金)
北海道取材日記 2
 時系列が前後するが、9月15日早朝に乗船した青函フェリーでは、意外なことがあった。午前7時頃、けたたましい音が船内に響きわたった。函館到着を知らせるには早過ぎるし、何かの案内放送なのだろうか。客室にはまだ寝ている人もいるのに何もこんな大きな音をさせなくても…とちょっと思った。だが、それはJアラートだった。北朝鮮がミサイルを発射したことを知らせる警報音だったのだ。
 船内のテレビでは、「北海道方面に向けて発射された」と繰り返しいっている。ミサイルが途中で故障して、私が乗っている青函フェリーに運悪く落下命中する確率なんてほぼゼロに等しいことはわかっていても、さすがにいい気分はしない。報道を受けて客室から出て、外を見上げる人もいた。

 フェリー船内でもJアラートがちゃんと機能することはわかったが、せっかくの北海道取材旅行の記念すべき初日に北朝鮮はまったくもって余計なことをしてくれるぜ!


2017年10月4日(水)
北海道取材日記 1
 先月中旬から18日間、北海道へ行っていた。北海道に長期滞在するのはフリーになる前の旅行も合わせれば4回目。ある程度、慣れているとはいえ、今回もなかなかハードな日々だった。渡道した直後に襲来した台風18号は、道内でもさまざまな被害をもたらしたが、私自身はなんてこともなく無事にかわした。雨で丸一日停滞した時は、富良野市郊外の駐車場で過ごしたが、何度か一時的に土砂降りになり、周辺の木がザワザワしたくらいで、あっけないくらいだった。

 しかし、台風一過の翌日にその駐車場からさほど離れていない取材対象地に向かうと、早速、台風の被害に直面。入林申請して進入した林道で、倒木に遭遇したのだ。それほど太いものではなかったので、こういう時のために車にいつも積んであるノコギリで難なく排除に成功。あーよかった…と思う間もなく、2本目の倒木が…。この木も太くなかったので、ノコギリでギコギコ。わずか数分で排除。
 ところが、続いて3本目が見えてきて唖然。車を降りて近づくと、直径30センチはある大木。完全に林道を塞ぐように倒れていて、よく切れるとはいえ、私の折りたたみ式ノコギリで切断するのはとても無理そうだ。やむなく車を置いて徒歩で奧に入ることにした。

 入林申請した森林管理署にスマホで電話すると、これから管内の台風被害確認と修復に向かう予定だが、私がいる林道は午後になりそうだとのこと。まあ、そうだろうな。車の距離計で入口のゲートから1.1キロ地点というのは把握していたので、それを伝えると、登山道入口までは、あと1〜2キロだろうと教えてもらう。それくらいなら徒歩で余裕で行ける距離だ。
 取材目的は申請時に伝えてあったので、林道途中の駐車スペースに車を置いて徒歩で入りたいことを話して了承を得る。ちょうどすぐ手前にスペースがあったので、車を置き、カメラとスマホ、取材ノート類など、最低限の必要品だけザックに入れて歩き始める。倒木の反対側に出るのでさえ難儀したが、なんとかクリア。しかし、しばらく歩いてから、クマ対策グッズを何も持ってこなかったことに気づく。早朝なので、あまり気分はよくなかったが、時々手を叩きながら林道を奧へ。
 懸念した通り、倒木はこの先にもまだまだあった。その度に倒木をくぐったり、脇を抜けたりの繰り返し。林道終点までなんとか往復して車に戻った。あーやれやれ。

 それにしても昨日、丸一日滞在した駐車場ではそれほど台風のすごさを感じなかったのだが、わずか20キロしか離れていない、この林道周辺では大木が倒れるほどの暴風雨が吹き荒れていたことになる。地形や標高によっても、風の強さは変わるのだろうが、そのあまりの違いに驚いた。




台風が北海道に上陸した9月18日の夕方には、雨も上がり、虹が出た。



取材対象地近くの道道では、倒木が電線の上に。切断はしていなかったが、本文で書いた取材のあとに再び通ると、もう早速、北海道電力の作業車が到着して復旧作業が開始されていた。



件の林道に進入すると、1本目の倒木に遭遇。これくらいの細い木なら、切断も容易。



2本目の倒木。これも短時間で排除できた。



3本目の倒木。これはさすがに無理。チェーンソーならともかく、手作業のノコギリなら、かなりの労力を要する。ひと目見て排除を諦めて、徒歩で入ることに。



徒歩で林道を歩き始めると、またまた倒木…。この先にも数本あった。



2017年9月9日(土)
今日の一枚(14)

 薄くガスが立ちこめた森に朝日が差し込み、ありきたりの舗装林道が幻想的な雰囲気に包まれていた。昨日、広島県北部の某山で撮影。

2017年8月20日(日)
対馬にニホンカワウソが生息か!
 対馬で野生のカワウソが撮影されたという報道には、ものすごく驚いた。朝鮮半島のユーラシアカワウソが渡ってきた可能性と、もともと生息していたニホンカワウソの可能性があるそうだが、ボクちんとしては期待も込めてニホンカワウソの方に一票を入れたい。

 というも韓国からユーラシアカワウソが渡ってきたとは、ちょっと思えないからである。対馬〜韓国は、直線距離で約50キロも離れている。いくら泳ぎが得意のカワウソでも、さすがにこの距離は無理じゃないか。そもそも普段の行動範囲の陸地から離れて、長時間、海を泳いでくるなんて、カワウソの生態や能力としてあり得るのだろうか。

 泳ぎがあまり得意ではない動物が、運悪く沖合に流され、流木などに捕まって、50キロもの遠方に生きたまま流れ着いた…なんて話でさえ過去に聞いたことはないが、カワウソはなんといっても泳ぎが得意だ。普段の行動範囲から一時的に沖合に流されても、通常であれば自分のテリトリーの陸地に戻ろうとするだろう。暴風雨などの不可抗力で、それができなかった可能性もあるが、見つかったカワウソの糞はオスとメスのものだったとされる。つまり、そんな非常に稀な事例が、ほぼ同時に複数頭に起こっていた確率なんて相当に低いと考えざるを得ない。
 となると韓国からユーラシアカワウソが偶然に流れ着いたのではなく、ニホンカワウソがもとも生息していた可能性の方が、高いように思える。

 環境省の調査で、見つかったカワウソの糞を分析したところ、ユーラシアカワウソの結果が出たというが、四国などでニホンカワウソがまだ目撃されていた頃は、現在のようなDNA解析技術が発達する前のことであるから、比較対照に使える試料もデータもほとんどないのではないか。つまり、「これが正真正銘のニホンカワウソの遺伝情報」と呼べるものさえ、今のところ国内に存在しないということだ。だから、たとえ現段階で糞からユーラシアカワウソという結果が出たとしても、これだけではまだ朝鮮半島由来のユーラシアカワウソと断言はできないと思う。

 それにしても、もしニホンカワウソだったら、動物学上の歴史的な大発見といえる。数年前にも愛媛県でニホンカワウソが生き残っている可能性について話題になったが、対馬というのは意外だった。しかし、対馬ならあり得そうだ。対馬は市街地から一歩離れれば、未開発の山林が続き、海岸線も急峻で人間の目に触れにくいエリアも広い。そんなところで、密かにニホンカワウソが種をつないでいたとしても、まったく不思議ではない。もし、ニホンカワウソだとすると、数頭しかいない可能性は低く、100頭以上の、ある程度まとまった数で生息しているだろう(数頭では、数十年もの長期に渡る種の継続は困難)。


2017年8月18日(金)
科学の再現性とメディアのバイアス
 一昨日の朝日新聞に掲載されていた記事「科学とは 揺らぐ見極め」は、ようやく、こんなまともな指摘がメディアから出てくるようになったか、という思いで読んだ。記事にはこうある。

   英科学誌ネイチャーで2014年に発表されたSTAP細胞。多くの研究者が追試に挑んだが再現できず、同誌は「真実ではないことを立証した」と結論づけたことは記憶に新しい。
 その科学の再現性を巡って、昨年同誌はあるアンケート結果を掲載した。研究者1576人の回答を分析すると、70%以上が他の科学者の実験結果を再現しようとして失敗した経験を持ち、自身の実験結果の再現に失敗したことがある人も半数以上に上った−−。 実際、生命科学の研究では、追試ですぐに再現できないことも多いという。
 京都大・IPS細胞研究所の八代欺寿・特定准教授(幹細胞生物学)は「研究室が引っ越して実験を再開すると、従前のデータが出なくなることがあると言われる。また対象が微細になるほど、培養皿の揺すり方や培養液の注ぎ方など、操作の細かい違いに影響を受けやすい」と指摘する。
 
 
   

 そもそも科学の大前提は、「再現性」である。再現性とは、この記事トップでも触れている通り、「第三者が再現でき、事象をすべて説明できること」だ。STAP細胞の件では、当時、報道も世論もSTAP細胞を誰も再現できなかったということは、やっぱり小保方さんの捏造だった」みたいな結論になっていた感があるが、私は「そう結論づけるのはあまりに早計」と感じていた。その証拠に2014年12月22日付けの本欄で…
 生物の現象というのは、世間一般の人が想像するよりもはるかに複雑で、ひとすじ縄ではいかないものである。一度は提唱された仮説が、再現できなかった前例なんていくらでもあるし、当の研究者すらも気づいていない未知の因子によって結果が変わる可能性は十分にある。それだけ生物の世界は奥が深いということだ。

…と書いたが、まさに今回の朝日新聞が指摘する内容と合致していることをご理解頂けるかと思う。

 STAP細胞が話題になっていた時期に今回の朝日新聞記事のような極めて鋭い指摘を複数のメディアが出してくるようであれば、「さすがに日本のメディアは、レベルが高い」と大絶賛して差し上げるのだが、当時、こうした指摘はほぼゼロだったといってよく(というか、専門家からさえも聞かれなかった)、それどころか、あまりに的外れな文系コメンテーターの発言とかもあって、呆れたことの方が多かった。
 先日、「最近思うこと」で書いた内容にもつながる話だが、私がメディア情報を鵜呑みにしないのは、実際にメディア情報の中にこうしたバイアスが割とよく存在するからだ(特に科学関連の情報で目に付く)。


 文系メティアはもちろんながら、世間一般の人々は、世の中の現実とは自分が持っている過去の知識や経験で想像できる範囲をはるかに超えていることにいい加減、お気づきになったらどうだろうか。

 正直な話、STAP細胞のような高度な内容については、すべてのメディアを含めて、みなさん自身には結論を出す能力さえもないし(もちろん私にもない)、それどころか自分がよく知らないことに関しては、空気しか読めないし、実際、空気しか読まないまま勝手に結論を出していることも多いはず。これこそ多くの人に共通する紛れもない実態であり、何もSTAP細胞に限らず、理系・文系のあらゆる専門分野においてもいえることである。

 しかも「空気を読む対象」が、メディアを含めて自分以外の大多数の人になっている点が最大の問題であって、ある程度、情報の取捨選択をするだけで、もう少し真実に近づけるのだが、ほとんどの人はそれさえもあまり気づいていない。





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