Nature
日記
 2013年8月~2014年7月
過去の日記目次
2014年7月30日(水)
広島大学へ
 昨日は、両親と広島大学東広島キャンパスへ行ってきた。ここにある広島大学総合博物館には、もう随分前から実家所有の化石標本を多数、寄託してあるのだが、私は一度もその展示を見たことがなかった。そこで今回、初めて見学させて頂くことに。
 博物館スタッフの方々にも久しぶりにお会いし、オオサンショウウオの生息調査もされているS先生からオオサンショウウオを取り巻く現状について詳しくお話を伺うことができた。県内では、生息個体数が多い地域もあるようだが、分布域全体で見ると「危険な状態」だそうだ。交雑種の存在など、まだまだ問題は多いことを再認識した。
 ついでにキャンパス内の湿地に続く観察路「発見の小径」でサイジョウコウホネを撮影し、帰途に就く。

広島大学総合博物館ウェブサイトは、こちら




緑豊かな広々としたキャンパス。


広島大学総合博物館


館内の展示はわかりやすく工夫されている。この撮影後、外国の団体さんが来館され、館内はインターナショナルな状況に。


展示されている化石標本のひとつ、ウミユリ。


中央図書館にも化石の展示コーナーがあり、うちの化石についての説明板が設置されている。ありがたいことに私の名前も…。

2014年7月29日(火)
いきなり使用不可に
 先々週くらいのことだが、実家のエプソン製カラーレーザー複合機のトナーがなくなったので、いつもの事務機器販売会社に発注すると、「製造終了になり、もう在庫がない」との電話連絡が…。ええーーっ。つまりそれって「もう複合機が使えません」と宣言されたに等しい。純正トナーにこだわらなければ、使えないこともないだろうが、いろいろ検討した結果、最新機に買い換えることに。家電量販店にも足を運び、値段を比較したが、買い換えキャンペーン中で5年間の保守サービスパック付きだった、その事務機器販売会社で購入することにした。その新しいカラーレーザー複合機が、昨日、搬入された。1時間半かけて搬入設置が完了。古い複合機さん、10年間ありがとう。
 それにしても本体自体は問題なく動いていたのに、まさかまさかのトナー製造終了。メーカーとしては、本体の使用者が年毎にどんどん減っていき、やがてトナーを作ってもペイしなくなれば、当然、製造終了にせざるを得ないのもわかるけど、それにしても予想外の事態だった。トナー製造終了にすれば、買い換えてくれるだろう…という販売戦略もあるのだろう。十年間なら、まあ、悪くないか。


2014年7月28日(月)
暑中お見舞い申し上げます
2014年7月16日(水)
某渓谷へ
 昨日の午前中は、広島市郊外の某渓谷へ。ここには、ある植物が自生しており、例年であれば開花してもおかしくない時期。しかし今年は開花が遅れているともいわれ、まだ早いようにも思ったが、念のため行ってみることにした。
 現地に到着。道路から10mほど急斜面を登ると、目的の植物が見えてきた。ところが、花茎を立ち上げたばかりで、苞葉に隠れて蕾すら出ていない。ありゃー。全然早い。これなら開花は1週間~10日後くらいかな? 空振りに終わって、早々に帰途に就く。帰路、梅雨時とも思えない青空が広がり、しばし快適なドライブとなった。



数日前、北広島町の八幡高原で見かけたカラスアゲハ。花はハンカイソウ。

2014年7月12日(土)
かぶれとSFTSウィルス
 10日ほど前、島根県の山中に野生ランを見に行ったあと、帰宅してから右手首がかぶれて、やたら痒い。少し時間をおいて、左手やひざの内側などにも発疹が出た。市販のかぶれ止めクリームを塗ったのだが、どうもそれが合わなかったようで、水ぶくれが出来て、赤くただれたようになり、かえって酷くなってしまった。それで先日、近所の皮膚科病院を受診。注射を1本打ってもらい、薬をもらってくる。
 医師の説明によると、食べ物のアレルギーのように体内に原因であれば、すぐに発疹が全身に出るが、かぶれなら時間差で身体の部分的にしか出ない。しかも原因物質が血管を通して運ばれて離れたところにも発疹が出るのが特徴とのこと。…あ~なるほど。そりゃそうだろうな、と納得。アレルギーは一切ないし、山に行った直後だったから、運悪く何か炎症を起こす成分をもつ植物に触ってしまったのだろうとは思っていたが、この説明はわかりやすい。
 そして山に行くのなら、ダニにも気を付けなさい…と例のSFTSウィルスについても、わざわざ専門書を出してきて説明してくれた。重要なのは、身体にダニが食い付いていても絶対にとってはダメで、必ず病院でとってもらうようにとのこと。その理由は、人間の血を吸っているうちはダニ体内からウィルスが入り込むことはないが、ダニをとると皮膚に口器だけが残ったままになり、とった瞬間にダニから唾液が体内に逆流し、この際にウィルスに感染する可能性があるからだという。ダニは病院でとってとらわなければならないことは、私も知ってはいたが、その理由までは知らなかった。なるほどね、そりゃ確かにそうだな。
 SFTSウィルス感染による死亡例があるのは、すでに報道されている通りだが、医師によると治療薬もないので、万一感染したら体力勝負になるとのことだ。
 かぶれは、その後、注射と薬が効いたようで、みるみる改善したが、山でかぶれたことって記憶の範囲では一度もない。

 と、そんなことがあった直後、父が庭仕事をしている時にダニに食い付かれた。皮膚科医師から説明してもらったばかりだったので、同じ病院に行き、軽い手術(メスで切って2針縫う)で取り除いてもらった。これなら安心だ。

参考→Wikipedia「重症熱性血小板減少症候群ウイルス



2014年7月11日(金)
台風接近
 台風8号の来襲に備えて、庭木にロープを張ったりする作業を終えたあと、火曜~木曜はソメイヨシノとビャクレンの剪定作業を手伝う。「剪定」というと枝を何本か切り落とすくらいと思われそうだが、かなり大がかりな作業になった。うちのソメイヨシノとビャクレンは、結構大きく生長しており、万一、強風で倒れると自宅や近所に被害を及ぼす可能性があり、台風対策もあって、ここらで少し高さを抑えようということになった。
 それで父が木に登り、大きな枝をバッサバッサと切り落とし、私と母で、枝と葉を分けて処理する作業を続けた。肝心の台風は、結局南に反れ、しかも四国山地という屏風の御陰か、広島は雨どころか、ずっと曇り時々晴という台風接近中とも思えない変な天気。しかも異様な無風状態で蒸し暑さが続き、木曜日の夕方になってようやく少し風が出たくらいだった。強い台風ということで、対策を急いだ割に風も吹かずに拍子抜けした。
 それにしても久しぶりの肉体労働。3日間、いい汗をかいた。



庭を埋める大量のビャクレンの葉。これでも、かなり整理して減っている。奥にあるのは、葉を取り外した枝の山。


その結果、坊主にされたビャクレン。背景の青空は台風接近中とも思えない。

2014年6月22日(日)
刊行予告
 来月、『日本湿原紀行』(信濃毎日新聞社。A5判・224頁・1700円+税)という本が刊行になる。春から作業を続けていたのだが、金曜日の夕方、ようやくほぼ手を離れた。
 本書では、全国に無数にある湿原の中から、①景観が素晴らしい、②木道などの受け入れ体制が整っている、③比較的容易に訪問できる…という条件に合う、北は北海道・利尻島から南は鹿児島県・屋久島に至るまで特にお勧めの41ヶ所を紹介し、さらにそれ以外の湿原も「その他の湿原」として簡単に写真と説明文で70ヶ所取り上げた。単純に計算すると111ヶ所ということになるが、実際は1ヶ所で2つ以上の湿原を取り上げていることもあるので、総掲載湿原数はもっと多いはず。
 よりビジュアルな紙面づくりに徹した反面、等高線が入った緻密でわかりやすい地図など、情報面でも不足がないように心がけたよ。著者としても自信をもってお勧めできる本に仕上がったと自負してる。興味がある方はぜひ!


2014年6月18日(水)
今週のSTAP細胞
 第3者による調査結果が公表されたり、若山教授の会見とかあって、まだまだ目を離せないなぁ。若山教授が提供したマウスから作られたSTAP細胞ではないことが明らかになって、確かに何らかのミスがあったのは間違いないだろう。しかし、残念ながらその調査結果でもって、先日の笹井さんの反論をくつがえすことはできないんだな。
 ES細胞が混入したのではないか、という指摘もあるけど、笹井さんの反論は、結構説得力がある内容で、それだけではすべてを説明できない。笹井さんの説明を聞くと、確かに何らかの未知の現象の可能性を感じさせる。ここは、目の前にある、いかにもそれっぽい結論に早急に結びつけるのではなく、慎重に徹底的に検証してほしい。

  
2014年6月14日(土)
天生・仙石原・成東
 火曜日に広島県内の渓谷巡りをしたことはすでに書いた通りだが、水曜日の夕方に広島を発ち、木曜は岐阜県飛騨市と白川村の境にある天生湿原へ。天生峠から湿原まで登って、9時過ぎには下山。白川郷から東海北陸道と東名道を経由して箱根の仙石原にも立ち寄り、1ヶ月ぶりの自宅へ。そして昨日の午前中は、朝4時に起床して千葉の成東まで往復。というわけで、今週は、あっちこっちに足をのばし、大変充実した1週間だった。目的はほぼクリア!!


天生湿原に群生するコバイケイソウ


成東湿原で見かけたニホンカナヘビ


アオサギ。成東湿原近くの水田にて。

2014年6月11日(水)
渓谷へ
 昨日は、県内の某渓谷2ヶ所を半日でハシゴする。最初の渓谷は、往復で8キロも歩いたが、途中、いろいろな植物もあって飽きることはない。二つ目の渓谷では、河原で茶色の翅が美しいミヤマカワトンボ数匹がひらひらと飛び交う。カメラを向けると逃げてしまうが、青い金属光沢のオスが、どうやら事情を察してくれたらしくて(笑)、私の前でしばらくポーズをとってくれて撮影も可能となった。目的のものもいろいろ撮影できたし、大変充実した一日となった。


河原の岩にとまる、茶色の翅と青い金属光沢が美しいミヤマカワトンボ♂
2014年6月10日(火)
昨日の収穫
 昨日は、午前中、ここ数日間かかりきりだった本の再校作業を終え、午後からジャガイモの収穫作業を手伝う。鍬を使って、ジャガイモを傷つけないように掘り出す。梅雨の薄曇りとはいえ、少し蒸し暑かった上に久々の農作業ということにあって汗だくに。しかし、写真のように「北あかり」も「メークイン」もどちらもとてもよい出来だった。おそらく全部で50kgくらいはあるだろう。


細長いのはメークイン、丸いのが北あかりだす。

2014年6月9日(月)
7桁のぞろ目
 昨日午後6時過ぎ、本サイトのアクセスカウンターが1並びの7桁ぞろ目になった。5桁のときも6桁のときもぞろ目は何度もあったはずだけど、その少し前か、その瞬間にトップページを見ていなければ意識しないし、そんなこともあって過去のぞろ目って、まるで記憶にない。そもそもアクセスカウンターの数字って、今のレンタルサーバでは自由に設定できるので、故意に作ろうと思えば何桁でも作れちゃうんだけど、本サイトのカウンターは、9年間の地道な積み重ねによるもの。それだけになんだか貴重に見えちゃう。

2014年6月8日(日)
今朝の収穫
 今朝は梅の実の収穫をする。といっても木は一本だけなので、10分ほどで終了。しかし、数は少ないと思ったのだが、一個一個もぎ取っていくと、隠れている実が次々に見つかり、結果的に1キロほどの収穫になった。梅の実といえば、梅干しや梅酒などに加工できるが、母は、今年は梅味噌を作るといっていた。


そのうち梅味噌に加工されそうなウメの実のみなさん。右下の実はでかい!
2014年6月6日(金)
新聞記事効果で増刷決定
 先月のことだが、私のことが新聞で取り上げられた。といっても悪いことをしたわけじゃなくて(笑)、北海道新聞の人物紹介欄「ひと2014」で「道内の登山口ガイド本を出版した」という内容で『北海道登山口情報350』(北海道新聞社)とともに紹介された。
 わざわざ札幌の本社に出向いたわけじゃなくて東京支社でインタビューを受けて記事にして頂いた。その効果はかなり大きく、なんと刊行から約1ヶ月で増刷が決定した。記事の効果、す、すごい。
 北海道は、ほかの地方よりも林道走行の機会が多いことなどもあって、アクセスや登山口情報の需要が高いだろうことは、ある程度予想していたが、それに記事掲載がうまく効いたのだろう。
 計60日間に及ぶ取材とそれを本にまとめていく作業は膨大だったが、頑張った甲斐があったというものだ。毎日毎日、ただひたすら400ヶ所近い登山口を目指すという単調な取材を思い出すと喜びもひとしおである。


2014年6月1日(日)
今朝の収穫
 今の時期、実家ではタケノコがニョキニョキ出てくるので、一日おきくらいに収穫。朝採りのタケノコが、夕飯のおかずになるというわけだ。しかし、その一方でやっかいな存在であることも間違いない。竹が畑にまで侵入してくると、それはそれで大問題。以前、父が徹底的に竹の根を除去し、竹林との間の地中に竹の根が入れないような遮断壁を埋めたので、今のところ畑は守られているのだが、「タケノコの恩恵」といういいことばかりじゃない。そのバランスが難しい。

2014年5月31日(土)
山林内で接近されて緊張
 昨日、広島市郊外の訪れる人も稀な山林内で、ある植物を撮影していた時のことだ。ちょっとした気配を感じ、カメラから目を離してあたりを見回した。誰か来たのかな…とも思ったのだが、人が歩いてくる足音とか話し声は聞こえない。「気のせいか」と思う間もなく、ふと視線をやった先に動物がこちらに近づいてくるのが見えた。撮影していた場所は、小さな沢の左岸側だったが、そのすぐ下の沢を茶色い動物が小走りに近づいてくる。木立の間から垣間見えたその姿から野良犬かと思った。ところが、その動物は沢から上がって、わずか5~6m先にひょっこり現れた。うわっ。イノシシだ。割と大きな個体で、私には気づいていないようだった。「パン」と手を叩くと、慌てて倒木の上をジャンプして逃走。あ、しまった。写真撮ればよかったな…と思ったがあとの祭り。ただカメラは三脚に固定していたので、取り外したりしているとイノシシに気づかれて、やはり逃げられていただろう。しかも逆光だったので、たとえ撮影できたとしても影のようにしか撮れなかったのは間違いない。

 子供の頃、実家周辺には夜間、時々出没していたし、近くの畑では近年まで被害があったようだが、最近は聞かない。かつて神戸の六甲山では、よく見たし、山中で鉢合わせしたこともある。また何年か前に西宮市の甲山森林公園でも座り込んでいるでかいイノシシを見たけど、広島市内で間近に見たのは初めてだ。ああいう場所で一人きりで何かの野生動物、たとえそれがイノシシだとしても、やはり接近されると緊張する。


2014年5月19日(月)
前回17日記事の補足
 17日記事を読んで下さった方の中には、ひょっとすると記事に矛盾があるように受け取られた方がいるかもしれないので、補足説明をしておきたい。

 茂木氏の意見に対して「日本社会が右往左往しないレベルになってからにしてほしい」とし、次の段落では、「風評被害がいかに出ようとも福島県民がいかに迷惑に感じようとも、福島県民の健康と、場合によっては命にも関わることなのだから、徹底的に真実を公にすべきだ」と私は書いた
 一見すると矛盾しているようにも読めるので、「社会が成熟するまで意見をいうべきではないのか、それとも徹底的にいうべきなのか、どっちだよ」と思った人もいるかもしれない。

 社会にはいろいろな意見があって、当然、鼻血と原発事故の放射線を結びつける意見もあれば、それに否定的な意見もある。茂木氏は科学者なのだから、マンガ作者のような人に因果関係を証明できないことくらい見抜いているはずで、だからこそ「特別驚かなかった」という言い方をされているのだと思う。

 素人さんが個人レベルで何をいおうと勝手だが、たとえマンガ雑誌のような基本的にフィクションで成立している媒体においてでも、フィクションとノンフィクションとの境界も曖昧なままに鼻血と原発事故の放射線を関連付けて描写したとすれば、当然、受け取り手である読者は、それを深刻に捉える可能性は十分にある(=風評被害の発生)。であれば安易に素人意見を大部数の雑誌で垂れ流すべきではない。せめて日本社会が右往左往しないレベル(マンガ作者に因果関係を証明できるわけがないことを冷静に見抜けるレベル)になってからにしてほしい、と私は考えるわけだ。

 一方で高い検証能力を有する専門家が、十分な調査検討の末に鼻血と原発事故の放射線に因果関係があることを科学的に証明した上であれば、何かに遠慮する必要は一切なく徹底的に真実を公にすべきだ…ということ。つまり情報の発信者によって、いい場合もあればダメな場合もあるということが言いたかったわけよ。わかってくれたかな~。

2014年5月17日(土)
最近のニュースで感じたこと
鼻血描写のマンガについ

 マンガ「美味しんぼ」の福島原発事故と関連づける鼻血描写がされ、それが福島の風評被害につながるとして批判の嵐になっている一件。ネット記事でいろいろな人の意見を読んだ。例えば脳科学者の茂木健一郎氏は、「右往左往する社会の方が問題」と主張されているようで、確かにそういう面もあると思うが、たとえそうだとしても今の日本社会が右往左往する社会である以上、右往左往してしまうことを前提に物事を考えない方にも同様に問題があると私は思う。社会の方に問題があるのだから、美味しんぼの作者には問題がないのではなくて、それをやるのなら日本社会が右往左往しないレベルになってからにしてほしい。

 私の考えは次の通りである。もし、福島県民に本当に鼻血を出す人が多くて、しかもそれが福島原発事故による放射線に起因するのであれば、風評被害がいかに出ようとも福島県民がいかに迷惑に感じようとも、福島県民の健康と、場合によっては命にも関わることなのだから、徹底的に真実を公にすべきだ。これは何ひとつ間違っていない。

 が、しかーし。ネット記事でも誰一人はっきり指摘していないけど、この問題の根幹とは、「そもそもこの作者に鼻血と放射線の因果関係を証明する能力があるのか」ということに尽きる。「2年間にわたり福島を取材して真実をすくいとった」といっても、結局できることといえば、せいぜい鼻血が出た人の体験談を聞くとか、鼻血が出た人を数えるくらいだろう。あとよくて、自説に都合のいい専門家を探してきて意見を聞く程度。たとえ福島で毎日鼻血が出る人が人口100人あたり30人いたとしても、それだけでは放射線の影響と早計に結論づけることはできない。影響がない遠方の他県での調査と比較するとか、たとえ比較しても福島が一番多かったとしても、単に震災のストレスとか、あるいは福島原発事故とは無関係の何らかの地域特有の因子に原因がある可能性もないとはいえない。ひょっとするとその割合は原発事故前と大差ない可能性だってある。

 鼻血と放射線の因果関係を科学的に証明することが、マンガ作者のような人に可能とは思えない。たとえ専門家であったとしてもそのハードルは高い。仮に専門家にそう主張する人がいたとしても、自分はなぜその専門家の意見に賛同するのかということも含めて説明できなければならない。その説明すらもできない人が、しゃしゃり出て風評被害を作り出すようなことをすべきではない。
 美味しんぼの作者がどういう経歴をお持ちなのか知らないが、おそらくそういう「科学的な結論の詰め方」を学んだ経験は皆無だと思う。はっきりいっちゃえば「素人さんの暴走」のようにしか私には見えない。

 よく一般の人でも見られることだが、何かを調べて自分なりの結論を出して「調べてみると、こうだった」ということってあると思う。一般の人は「調べてみた」ことで、それが自分の意見の価値を高めているように勝手にみなすことがよくあるけど、そもそも「調べる」ことにも個人の能力差があるし、調べる内容にも難度の違いがある。能力がない人が難度の高い内容をいくら調べても真実に迫ることはできない。一般の人の「調べてみた」うちには、自分にとって都合のいい情報だけを抽出しただけでも「調べた」うちに入るというお粗末なことも多い。「調べる」とは、まずはあらゆる情報や可能性を抽出した上で、自分はまっさらな心の状態でもって、自分にとって不都合なことも含めて公平な視点から徹底的に可能性を検証し、真実を探し出す作業のことを本来は指す(あるいは指すべき)。そういう視点がこの作者にあったのだろうか。

 たとえ私が放射線の専門家で、福島県民の鼻血と原発事故の放射線に関連性があると疑っていたとしても、それを公にするには徹底的に理論武装してから臨むだろうが、この作者にそんなことが可能とは思えない。前双葉町長が自分の鼻血写真をあたかも証拠写真であるかのようにブログに掲載されたそうだが、そんなものが証拠のうちに入ると考えるようなお粗末極まりない人物の意見を取り入れる作者も、同様に程度が知れるというものである。要は鼻血の原因はいろいろあって、確かに放射線もそのひとつかもしれないけど、なぜ放射線と結びつけたのかという専門家も納得させられる根拠が絶対に必要。それがなければ、単なる個人のイメージの話でしかない。

 編集部の「因果関係を断定しているわけではない」というコメントには心底失笑したな。確かに編集部がいいそうなコメントだと思った。一応はなんだかご立派に見える編集長が考えに考えて出した「言い訳コメント」だろうが、こういうコメントを堂々と出す編集長も程度が知れるだろ。そんなレベルで、たかがマンガ作者やマンガ雑誌が偉そうにジャーナリズム気取りかよ。

 それにしても小保方問題では「早く根拠を出せ」と専門家のみなさんは随分批判的だったのに、こういう素人さんには随分優しいんだね~(笑)。小保方問題は誰かに被害が及ぶという性質のものではないが、一方、このマンガ作者のやっていることは被害が及びかねない話。それなのに、こういう人にはなんで、「早く根拠を出せ」と批判しないのだろうか。表立って聞こえてこないだけなのかは知らんけど。


2014年5月15日(木)
某希少植物の探索
 先週の金曜日、岡山と島根を2件取材して、夕方、久しぶりの実家へ。帰宅後も仕事続きだが、その合間を縫って、昨日は県北にある某山に登ってきた。目的はある植物の探索。目当ての植物は、割とあっさり見つけることができた。例年であればこの時期に開花しているはずだが、今年は寒い日が続いているので遅れているようだ。花茎を立ち上げて蕾が出た段階だった。昨年の葉がだらだらと広がっているが、新しい葉はまだ巻いた状態である。
 数株あるとの情報だったが、あたりを隈無く探しても見つけられたのは、たったの1株だけ。あっただけでもよかったと思うべきか。1週間ほどして再訪してみる予定だ。
 実はこの山には以前にもほぼ同時期に登ったことがあるが、そんな植物が自生しているとは、まったく知らなかった。この情報を教えて下さったのは、金曜日、島根県の取材地で偶然、出会って立ち話しした方だった。とにかく貴重な情報に感謝である。聞いたときは、極めて予想外で驚愕した。やっぱ、あるところにはあるんだねぇ。
 その取材地で取材を終え、一旦はもう帰ろうとしたのだが、ある事情から考え直して戻ったところ、その人に出会うことができた。つまり、もしこの時にそのまま帰宅していたら、この情報を得ることはできなかったわけだ。運がいいといえばそれまでだが、割とそういうことって、これまでもあるんだよね。



登山道沿いに咲くスミレサイシン

2014年5月8日(木)
熊倉山
 秩父の熊倉山で、このところ2件、遭難報道が相次いだ。3月には男性2人が道に迷って遭難し、のちに無事救助。そして一昨日も熊倉山で男性が道に迷って自ら110番通報。警察が捜して、こちらも無事に発見されたらしい。
 熊倉山は、2年前のちょうど今頃に登った。やせ尾根のアップダウンが続き、結構ハードな登りだった。アカヤシオの見ごろに合わせて訪問したのだが、予想していたよりかは数が少なかった。
 それにしても道迷いの遭難が続くということは、迷いやすい山ということか。私は最短コースを往復しただけで、それほど難路とは思わなかったが、コースによってはそうなのかもしれない。次に登ることがあるのかないのかまったくわからないし、仮にあったとしても相当先の話だろうが、気を付けることにしよう。



木の根が張る険しい登路



稜線上に咲くアカヤシオ。ある程度は見られるが、数は多くはない。


熊倉山山頂に着いた。昼飯喰って早々に下山。

2014年5月6日(火)
NHKスペシャル「超常現象」
 少し前のことだが、3月24日に放送されたNHKスペシャル「超常現象」は、大変興味深く見た。BSプレミアムで以前から放送されていた「ザ・プレミアム超常現象」を地上派用に編集し直したもので、さらに新しい内容も追加して、一昨日、科学番組「サイエンスゼロ」でも超能力が取り上げられた。最近、この手の分野のNHKの取り組みは目を見張るものがある。ひと昔前なら、「怪しい代物」と切り捨てられていたわけだが、「どうもそうとも断言できない」と、ようやく流れが変わって来ているということだろう。こういう内容を先進的に鋭く嗅ぎ分け、番組にまとめる能力は、さすがNHKである。

 これらの番組は、常識では考えられない「超常現象」的な事象例を取り上げた意欲作で、「信じるor信じない」的な安っぽいオカルト番組風の作りではなく、説得力のある取り上げ方だったのも好感が持てた。単なる偶然とは切り捨てられない生まれ変わりの事例とか、乱数発生器に説明できない乱れが生じることから人の意識が量子に作用するとする仮説など、大変興味深かった。

 本来、こうした姿勢は当たり前の話。人間は基本的に「井の中の蛙」なので薄っぺらな自分の知識と照らし合わせて「そんなのあり得ない」という結論を出しやすい。バカに限って、人類も自分も世界のほとんどを知っていると勘違いしやすいし、人類が知っていることよりも知らないことの方が圧倒的に多いということさえ知らないわけだ。しかも、さらに最悪なことに超常現象を否定することがイコール科学的な姿勢だと思い込んでいる救いがたいバカっぷりである。

 大体、未知の事象すべてが、科学的にあり得そうな事例ばかりであると勝手に見なす方がどうかしている。むしろ、そうではない場合も含まれていると考える方が自然なはずで、その中にある「常識では考えられない事象」を安易に「きっとデタラメだ」と切り捨ててしまっては、本当の正体を知る機会を逸してしまう。わからないものは、それがなんであろうとも検証し解明することこそが科学なのであり、安易に切り捨てることが科学的姿勢とは私は思わない。

 世の中にある一見怪しいもの、例えば幽霊や超能力、UFOのようなものでさえ、可能であればまずは科学の俎上に上げて検証することは非常に大切なことだと、私はずっと考えていた。同じように考える科学者が世界にはいっぱいいて、大変興味深い研究をされていることがわかって、溜飲を下げる思いがした。


2014年5月4日(日)
ダイオウグソクムシは魚…
 毎日新聞の元村有希子記者といえば、最近のSTAP細胞論文問題でテレビのコメンテーターでお見かけすることが多いが、昨夜の某テレビ番組で、こんなことをおっしゃってた。「私、ダイオウグソクムシが好きなんです。餌を食べないという魚…」。サ、サカナ???????
 現在の所属はナントカ委員みたいな肩書きだったと思うけど、近年、毎日新聞の環境科学部記者として科学系のコメントをされることも多かったお立場で、いくらなんでも「ダイオウグソクムシは魚」はねぇだろ。正直驚いたなぁ。この人、理系だとばかり思っていたけど、調べてみると九州大学教育学部卒なんだね。テレビのコメントを聞いていると、一度だけ「ん?」と引っかかったことがあるくらいで、的確な指摘も多々されていると思うけど、「ダイオウグソクムシは魚」発言で、なんかSTAP細胞問題を鋭く切り込む姿が霞んできた。
 まあ、確かにひと言で「科学」といっても、ものすごく幅広い分野。私なんかも弱い分野は多々あるわけで、オールマイティな人なんて、ほとんどいないのも間違いないけど、科学系のコメントを売りにしている人が、いくらなんでも甲殻類と魚類のような素人目でも区別できる違いをごっちゃにするのはまずいんじゃないか。個人ブログで「うっかり」ならともかく。
 元村さん、そんなことでは小保方さんのミスを上から目線で批判できないよ。これも小保方さん批判と同じ視点からいえば「環境科学部記者として、あるいはテレビ番組の科学系コメンテーターとして甲殻類と魚類を区別できないのはあり得ない」ってことになるのでは?
 昨夜のテレビ番組を見ていた全国の生物系大学出身者全員が、確実にズッコケたと思うな。


 
2014年5月2日(金)
最近のニュースで感じたこと
理研調査委員の論文にも疑義が指摘される

 京大の山中教授まで謝罪会見したかと思えば(山中さんの場合は謝罪する必要は一切ないと思うけど、でも自らの重い立場を考えてのことだったのだろう)、今度は理研調査委員3人の過去の論文にも疑義が指摘されているという。それにしても次々にいろいろなことが出てくるよなぁ。だけどねぇ、私が4月7日の日記で次のように指摘したことは、あながち間違っていなかったことになる。

「たぶん実験ノートをきちんと付けていないとか、普段からコピペですませちゃってる研究者って、我々外部の人間が想像するよりも多いと私は想像する。ほとんどの論文は、徹底的に検証されることがないからバレていないだけだと思うな」

 …な、ボクちんの見立ては正しかったろ。

 この件って、たぶんほとんどの人は勘違いしていると思うけど、小保方さんや石井委員長の研究が杜撰だとか、理研や日本の研究者のレベルが低いってことじゃない(日本の研究者にあるのなら、海外の研究者にも必ず似たようなことが多々あるはず)。いや、視点を変えれば、確かに杜撰のうちに入るかもしれないけど、そうとも言い切れない。石井委員長が問題なのは、過去の論文内容じゃなくて、自分も似たようなことをやっていながら、他人の行為は「捏造」呼ばわりしちゃたことである。

 小保方さん論文にいろいろ問題が発覚したとき、専門家みんなが「これはダメだ」とか「論文としてあり得ない」みたいな意見を述べ、それを見聞きした視聴者は、「科学の世界では、昔から絶対にやってはいけない行為とされてきたことを小保方さんはやっちゃったのだ」と思っただろうけど、それは少し違うと思う。まあ、こういう言い方が適切かどうかわからないが、要は「建前と本音」みたいなことだと思う。

 実験ノートにしろ、院生以上の人は使ってたかどうかまでは知らないけど、ボクちんが大学生だった頃、少なくとも学部生の卒論実験において、専用の実験ノートを使うようにという指導は一切なかった。たぶん、データの捏造とか不正とかの問題が出てきて、より厳密にデータを扱おうという機運が高まって、科学界の常識も徐々に厳しくなっているということだろう。

 それに、どの分野・業界でも共通する話だが、やっていいことと悪いことの境界って、どこかに一本の線を引けるような話じゃなくて、その間には「微妙な部分」もある。微妙な部分について表向きは、「やってはダメ」といいつつも、ホンネでは「まあ、実際は微妙だよな」みたいなことって、どの分野・業界にもあると思う。

 画像の切り貼りにしても、「結果自体は変わらないのだから、まあ、これくらいいいか」みたいな。しかも広く注目されることがないフツーの論文では、第3者が細かくチェックしないので、これまでは表沙汰にはならなかっただけ。確かに厳密にいえば、それもいいことじゃないんだけど、結果が捏造されているわけじゃないから、表沙汰にならなくても科学の進歩自体に直接影響することはない。

 ネットで疑義を指摘している人って、半分は「正しい科学の進歩のため」という正義からの行動だと思うけど、残り半分は「おもしろがってやってる」と思われても仕方ない。自分が指摘したことが報道され、立派な先生方の立場が危うくなっているのを見るのは、快感もあるだろう。まあ、確かに捏造はあってはならないと思うので、徹底的にチェックして徹底的に指摘するのもいいと思うけど、あまり行き過ぎると研究者を必要以上に萎縮させてしまう。っていうか、小保方問題で、多くの研究者は、すでに萎縮してると思う。そりゃそうだろ。要はマスコミが勝手に騒いで持ち上げた結果、ちょっとしたミスが発覚した途端、「おまえに注目を浴びる資格はない」とばかりに叩きまくり。だけど、小保方さんを勝手に注目される人間に仕立てたのは、おまえらだろ。確かに理研にもいろいろ思惑はあった。しかし、理研は小保方さんを必要以上にメディアに露出させる考えまではなかったはずだ。

 その後の経緯は説明するまでもないが、ああいう個人攻撃と会見までさせて、科学音痴でバカなマスコミと国民に散々好き勝手にいわれ、それを見ていた研究者が、自分も同じ目には遭いたくない、と萎縮しないわけがない。つまり、無能なマスコミは日本の科学発展の足を引っ張ることしかできないというわけだ(特に週刊誌は無能かつ有害)。しかも自らが科学発展の足を引っ張っていることすら十分に理解していないか、それとも理解はしているけど、自分たちの媒体が売れるのなら、あとは知ったこっちゃないかのいずれかだろう。どっちにしても本当に吐き気がするほどクソぶりである。


2014年4月29日(火)
都内へ
 昨日は、都内へ行ってきた。代々木上原から地下鉄千代田線に乗るのは、かなり久しぶりだ。
 国会議事堂前で降りて虎ノ門の方へ下る。あのあたりって国会議事堂もあるし議員会館もあるので、各施設の入口や周辺だけでなく、交差点にも警察官がいて物々しい。首相官邸も見えて、「あーテレビで見た通りだ」と、ありきたりの感想を抱く。あの周辺って、あんな坂があるとは知らなかったなぁ。東京に出てきてからもう随分になるのに、知らないことって結構ある。実は昔、勤務していた会社は、ずっと神田神保町にあったが、辞める少し前にアメリカ大使館の近所に移ったので、虎ノ門ってしばらく通勤した場所なんだけど、多少知っているのは会社周辺のごくわずかなエリアだけ。それ以外に足をのぱすことは皆無なので、やっぱり意外と知らない。1時間ほどの用件のあと、帰途に就く。


2014年4月26日(土)
最近のニュースで感じたこと
理研・石井委員長辞任

 小保方さんの行為を「捏造」呼ばわりしておいて、自分も似たようなことをしているのが発覚した石井委員長。しっかし、こんな呆れた話、聞いたことねぇな。「科学的には問題ない」…確かにそうかもしれないが、小保方さんとの判断の違いをもっと説得力ある形で示してからお辞めになるべきでは? 

 小保方さんの問題については、マスコミは主に自然科学系の専門家の意見ばかり載せていたけど、私はヒューマンエラーの専門家にも意見を聞くべきだったと思っている。自然科学系の専門家というのは、ご専門の分野や論文作成については、もちろん詳しいと思うが、人間がどういう原因でどういうミスをしてしまうのか、という視点や知識はあまりない。当然、PCソフトの落とし穴や特性もご存じない。だから、そういうことに詳しい専門家の意見が必要だったと思う。

 こういうミスは、別の分野・業界でも共通する内容でもある。私も長年に渡り、出版業界に身を置いているので、さまざまなエラー事例を見てきた(編集作業は細かい作業の連続なので、ミスが生じやすい)。よく似た2点の写真とキャプションが気づかないうちに入れ替わっていたり、以前作って組み込んだ外字がソフトのバージョンアップによって対応できずに完全に抜けてしまったなど、PCソフト上のエラーやヒューマンエラーなど、その例は枚挙にいとまがない。中には想定を越えるエラーもあった。
 出版について何も知らない人から見れば、校正ゲラのチェックなんて一回見れば間違いを100パーセント拾える…と考える人も多いだろうが、実際はそんなに甘いもんじゃない。いくらプロの校正マンがじっくり確認しても見落としは何パーセントかの確率で発生する。当然、文字量が増えれば、見落とし件数は増えるわけだ。しかも、それ以外の細かい確認項目が多ければ多いほど、そちらに気をとられて、普段なら絶対に気づくはずの明らかな間違いを見落とすこともある。ヒューマンエラーとはそういうものである。

 石井委員長の論文は、ミスによって画像が差し変わったわけではなく、意図したものだが、小保方さんの電気泳動実験画像の件と、やってることはほぼ同じ。石井委員長は、実験ノートの真正画像を理研のサイトに掲載しているというが、小保方さんの場合と本質的には大差ないと私は考えている。

 先日の笹井副センター長の会見で、国民もマスコミも自分たちが勝手に描いていたイメージと現実が違うことにようやく気づいたのだろう。笹井さんが、「論文撤回に同意している」という話を聞いて、きっとSTAP細胞自体も否定するか、あるいはそれに近いことをいうのかと思っていたら、さにあらず「有力な仮説」だと断言し、しかもその根拠を説明したので、ようやく「あれっ!? 否定しないんだ」とビックリ。ってことは小保方さんは、本当にSTAP細胞を見つけてるんじゃないかと思い始めたというおマヌケぶりである。

 今回の件でわかったこと。

・メディアの評価はいろいろ。特に週刊誌は昔から劣悪という評価だが、さらにそれをより強固なものにした。週刊誌編集部は人間のクズの集まり。社会にとって有害でしかない。ネット記事は、当然のことながら玉石混淆。テレビは番組にもよるだろうが、私が見た範囲では、慎重な姿勢に終始し、よく分析し全般の印象は悪くない番組もあった。一方でテレビのコメンテーターがいかにアホなのかはよくわかった。中でもテリー伊藤という人は、コメンテーターとしての価値はない。コメンテーターというのは、一般視聴者よりも深い知識と視点から発言できてこそ価値がある。ただ単に報道内容だけを参考に自分が勝手に抱いた印象だけで何かを語るのなら一般視聴者と何ら変わりはない。科学知識がカラッポのくせに科学系の問題に関してわかったようなことはいわない方が身のためだろう。以前から意見がよく変遷すると指摘されていた人だが、今回もまったく同じだ。やっぱり見た目以上にバカだった。

・サイエンスライターというと、なんか専門ぽいけど、実はピンキリだということもよくわかった。

2014年4月17日(木)
最近のニュースで感じたこと
笹井副センター長の会見を見て

 大変、理路整然と話されていて、バランスのとれた、よくできた会見だったと思う。またSTAP細胞についても説得力のある説明だった。小保方さんへの配慮があったのもよかったと思う。
 4段階の最後しか関わっていないと説明されたことを「責任逃れともとれる」という報道もあったが、じゃあなにか、本当に4段階の最後しか関わっていないのに「私はすべての段階に関わり、すべての責任は私にあります」とウソをいえば満足したのかよ。すべての段階に関わっているという何らかの根拠があるにも関わらず、「4段階の最後しか関わっていない」とウソをいったとしたら、完全に「責任逃れ」といえるけど、本当に4段階の最後しか関わっていなければ、そういうしかねぇじゃんか。そう受け取られないように笹井さんは、わざわざ細かい時期まで出して説明したのに、その意味が理解できなかったらしい。

 某テレビ番組でアナウンサーが「小保方さんは完全にハシゴを外された」といってたのにも笑っちゃった。だ・か・らね。笹井さんが、「検証する価値のある有力な仮説だ」といってるってことは、「捏造によって作り出されたウソではない」ということだから。小保方さんにとっては「援護射撃」にしかならない。

 この一件で最も重要な点は、何度もいうけど、「結果が捏造されたわけではない」ということである。つまり論文の柱となる論理に博士論文の画像や切り貼りは影響していないのだ。博士論文の画像や切り貼りの情報が前提となって、それでもって論理構成がされ都合のいい結果が導かれていたら完全にアウトだが、そうではないってこと(=悪意のある捏造ではない)。問題なのは、ミスが多いので論文自体の信頼性が揺らいでいることであって、この非常に重要な違いを理解していない人があまりに多すぎる。

 ある女性キャスターが、「男性は、小保方さんに優しすぎる」と発言されたそうだが、この発言は半分は正しいが、半分は間違っている。小保方さんがきれいな人なので、余計に男性からの同情意見があることは間違いないだろうが、おそらくこのキャスターは、この重要な違いを理解していないと思う。

 小保方さんは、もしかすると人類にとって極めて有効となる大発見をしているかもしれないのに、科学音痴でおバカ極まりない日本国の国民とマスコミに散々叩かれて、本当に気の毒である。私は深く同情する。もし私がその立場なら、祖国・日本を捨てるくらいの決心をするかもしれない。笹井さんの説明の意味すらも理解できず、本当に吐き気がするほど頭が悪い。小保方さんのことを「思い込みの激しい才女」と評する報道もあったが、マスコミの思い込みの方がよほど激しくて病的である。

 笹井さんの説明は、これまで小保方さんを叩いてきた様々な人たちの眼力のなさを証明したに等しい。まあ、少なくとも科学の問題に関して眼力なんかあるわけないんだけどさ。ほとんどの人は、頭の中でガラガラポンが回ってるだけなんだから(笑)。

 マスコミで意見を求められる専門家も、STAP細胞があるかないか、最終的にどっちにころぶかわからない状態であれば、信頼性が第一の科学の世界にあっては、変に勘ぐられないためにも小保方さんを擁護するよりも批判的なコメントの方に傾きやすいと思う。自分の研究室に、実験ノートをきちんとつけていなかったり、コピペが発覚しちゃった大学院生が仮にいたとしても、「うちの研究室にもいますから珍しくありません」とは口が裂けてもいわんだろ。研究室の信頼性にも関わってくるし、彼らの就職にも悪影響が出かねないだろうから。そういう面も私はあると思うね。

2014年4月7日(月)
最近のニュースで感じたこと
STAP細胞論文その後2

 この1ヶ月、近年稀に見る忙しさだった。そんなわけで、しばらくロクに更新もできなかったわけだが、この週末でいくつかの仕事が手を離れた。まだ完全に脱してはいないが、久々に日記書いとくよ。
 
 STAP細胞の件は、その後いろいろなことがあり、それに関して書きたいこともあったが、まるで叶わなかった。
 先日、理研が発表した最終報告について。う~ん。正直、理研の論理もよくわからんね。小保方さんは、すでに調査委員会に正しい写真を提出しているそうだが、実験ノートに詳細な記録がなく科学的な追跡ができないから「捏造と判断した」って何じゃそりゃ~。科学的な追跡ができないから提出された写真が正しいかどうか検証できないというのは間違っていない。しかし、そこからいえるのは、検証ができないのだから「捏造か単なるミスか」の判断もつかないはず。それを「クロ」と断言しちゃうのは、別の意図があるとしか思えないね。小保方さんが猛反論したくなるのもわかる。

 それに現時点では、故意にデータを捏造したとまでいえないにも関わらず、週刊誌の小保方さんの個人攻撃も劣悪だね。買う気もないし読む気もないけど、新聞広告を見て最悪だと思った。もはや犯罪レベルで、もしSTAP細胞が「やっぱりありました」ってことになったら、週刊誌の編集長はどう謝罪する気なのだろうか。小保方さんは人権侵害として週刊誌を訴えるべきだと思う。

 誰か週刊誌編集長のプライベートをネットで暴いてやれよ。自分も似たようなことしてるんだから、まさかダメとはいわんだろ(笑)。一応、勉強してそれなりの大学は出て、名の通った出版社に就職し、それなりの地位を得ました。でも、きっと育ちは悪いんだろう。そもそも科学的な詰めが恐ろしいほど甘っちょろい文系回路しかオツムにないにも関わらず、自分たちもこうい科学の問題に関して、いっぱしの判断ができると思っているのも爆笑ものだね。世間一般の意見も「なんだかな~」って代物が多くて、iPS細胞移植手術デタラメ森口と同列で語っているのも、少なくともバカなのを自ら証明してる。

 週刊誌の記者も世間一般も、中身を検証する能力の欠片もないのはいうまでもない。そういう人たちが、どういう判断をしてるかっていうと、要は「ガラガラポン」(回転式くじ引き機)みたいなもんだから。頭の中でガラガラポンが回って、赤玉が出るか、白玉が出るかみたいな話であって、仮に赤玉が出たとしても、なぜ赤玉が出たのかは本人にもよくわからない(笑)。彼らは、一応はいろんな情報を集めてみるが、結局のところ頭の中でガラガラポンが回って黒玉が出てきた。だから「ウン。これは捏造だ」と判定しているみたいな感じかな。仮に判断の根拠を求めてみると、きっとこういうはずだ。「なんとなく」。

 そもそも週刊誌なんて正義じゃなくて、要は「ただの金儲け」だからね。だから何でもアリなのであって、みんなの党の渡辺代表の件を最初に報道したのも週刊誌とはいえ、それは正義に基づいているわけじゃないから。売れるから報道しているだけ。みんなもそういうことに気づこうね。

 ところで理研といえば、雲の上の存在みたいなところがあって、私が今回の件を信用したのもマスコミが報道したからじゃなくて、「理研だから」というところも確かにあった。しかし、この一件で、その雲の上の存在も意外と雑なんだなという驚きの実態が見えてしまった。小保方さんも確かに雑だと思う。しかし、研究歴が長い共著者がそれに気づいて、もっと前に軌道修正することもできたのではないか? 文献情報のコピペは気づけないだろうが、ほかのことでは気づけると思うな。それは本当に不思議な点だ。

 それに、たぶん実験ノートをきちんと付けていないとか、普段からコピペですませちゃってる研究者って、我々外部の人間が想像するよりも多いと私は想像する。ほとんどの論文は、徹底的に検証されることがないからバレていないだけだと思うな。

 コピペはダメといっても、問題なのは、コピペのあとにそのままにしちゃうことであって、手間を省略できるという点でいえば、コピペにも大きな利点があり、手入力して間違うよりも、コピペによって省力し、内容の確認に時間をかける方がベターともいえる。誤解を恐れずにいうと、必ずしも「コピペ=悪」じゃないと思う。
 小保方さんは、忙しいだけあって、うまく省力しようとしてコピペしたあとに自分の論文内容に合わせて手直しするのを忘れただけのようにも見える。なぜなら疑惑の目が向けられている点は、すべてものすごく単純なものばかりだからだ。意図した捏造であれば、そもそもバレないように手を加えるはず。それをまったくしていないのは、何より「悪意はなかった」という証拠だ。画像の切り貼りにしても、意図しているのであれば、普通は切り貼りの境界線が目立たなくなるように手を加えるだろう。画像ソフトがあれば、比較的簡単な作業で可能なはずで、それさえしていないのは意図していないからだ。

 ところで、すっかり忘れていたが、ボクちんもほんのちょっとだけ理研と接点があった。大学の卒論実験で、実は理研にお世話になっていることを今回の一件で久々に思い出したぞ。
 大量培養した乳酸菌を理研本部の凍結乾燥装置で乾燥粉末にしてもらい、菌体からDNAを抽出したことがあった。つまり、ボクちんが無事卒業できたのは理研のお陰といえるかも!? うーん、そこまでいっちゃうと言い過ぎだね。貢献度は、せいぜい5パーセントくらいかな。いやっ!! 消費税増税を記念して、8パーセントということにしておいてあげよう(笑)。


2014年3月12日(水)
最近のニュースで感じたこと
STAP細胞論文その後

 なんか予想以上の事態になっているなぁ。現時点でそもそもSTAP細胞がなかったかのような「捏造疑惑」とまでいうのは、明らかに言い過ぎだが、ここまでいろいろ出てくると疑惑をもたれても仕方ない。若山教授が愕然としたという肝心のSTAP細胞写真の件とか、博士論文のコピペ指摘は、確かによくないねぇ。ただ、それがあまりに単純すぎるので、かえって意図したわけではないように見えるのも確かだが。
 私の勝手な想像だか、STAP細胞ができたのは事実だが、それを補強する根拠を求められて、再提出を焦ったとか…そういうことじゃないのかな。理研以外で再現実験にほとんど成功していないといっても、現時点ではまだなんともいえないし、ひょっとすると小保方チームさえ気づいていない、何らかの未知の因子が影響している可能性とかも考えられるんじゃないか。ネットでは「きっとかっぽう着を着ないとSTAP細胞はできないのさ」というジョークがあったけど、うーん、確かにその可能性はあるかもね(笑)。

 それに一見、きれいに見える科学界もひと皮むけば、いろいろあるだろうし。将来性のある研究なら文部科学省から科研費がごっそり出るわけだし、そういうお金の話にもつながっていく。当然、ほかの万能細胞の研究者にしてみれば、表向きは「すばらしい研究」と賛辞を送るだろうけど、内心おもしろくないのも事実。それは自分が苦労している研究の価値が下がるだけでなく、その研究費の減少にも影響しかねない話だから。
 STAP細胞の存在がおもしろくない人はそれだけじゃない。iPS細胞の研究にすでに莫大な研究費を投下している世界中の国や企業の研究機関とかさ、あるいは国家挙げての大絶賛の結果、疑惑どころじゃなくて、捏造だったことがバレちゃった科学者を生んだ韓国の研究者は、日本の研究者の成果だけに余計におもしろくないだろうし、国内で見ても、大学間とか、あるいは医学系と非医学系の研究者間とか、そういう視点からおもしろくないと思う人は必ずいる。そういう妬みも手伝って、徹底的に論文内容を精査した人がいたんだろう。だからといって、今回の一件に関して背後にそういう思惑が働いた結果という気は毛頭ないし、たとえそうだとしても、そういう人たちから指摘されないような論文にしなきゃダメなわけで、そういう意味ではわきが甘かったとはいえるんじゃないか。目の付け所はすごくいいだけに、ちょっと残念。


2014年3月8日(土)
最近のニュースで感じたこと
偽ベートーベン騒動その2

 佐村河内氏の記者会見の様子をテレビでチラッと見た。「騙された!」「けしからん!」と批判の嵐だが、偽ベートーベンのCDを買った被害者の方々…ということで、ひとくくりにしちゃうのは、ちょっと違うと思うね。
 確かに「全聾の作曲家が作る曲とはどんなものなんだろう」と興味を覚えてCDを買った人は、騙された被害者といってよい。しかしテレビやラジオから流れてきた曲を聴いて「あ、いい曲だな。CD買おう」と思った人の中で、もし怒っている人がいたとしたら、なんで怒っているのか、私なんかにはよくわからない。だって曲を気に入って買ったんだろ。それを作ったのが、本人だろうが、ゴーストライターだろうが、曲がいいのならどっちでもいいじゃん。後者に該当する人が何割くらいいるのか知らないが、つまりCD買った人全員が被害者というわけではない。

 今回の記者会見で佐村河内氏のウソを追及するノンフィクション作家が、「全く誠意を感じられない。謝る一方で名誉毀損で訴えるとか、むちゃくちゃな論理だ。(作曲という)大前提がうそで、全て虚構と認めているのに訴訟はあり得ない。何をやろうとしているのか」と批判されたそうだ。
 うーん。なんだかね。偽ベートーベンの肩をもつ気はさらさらないけど、じゃあ、自分が「それは違う」と感じた批判さえも、すべて「みなさんのおっしゃる通りです」と平謝りしなきゃならんのかね? 佐村河内氏の主張と新垣氏の主張のどちらが正しいのか、そこはまた別の話だが、「反論したから誠意を感じない」という、このノンフィクション作家に対しても「どういう論理だよ」っていいたいね。

 要は、自分は全聾の作曲家とウソをいって、みなさんを確かに騙しました。申し訳ございません。しかし新垣氏が「耳が聞こえないと感じたことは一度もない」といったことに関しては絶対に違う。そこは自分としては許せない…ということだろ。その主張が正しいか否かではなく、彼がそう主張すること自体に問題はなく、誠意云々とは関係しない。佐村河内氏の聴覚にまったく問題がないことが医学的に証明されているのであれば、確かに「不誠実」といえるが、現時点では証明はされていない。だから、現時点でその発言をもって「誠意を感じられない」とか「むちゃくちゃな論理」というのは違うだろ。このノンフィクション作家は、そのあたりを頭の中でクリアに整理できていない印象を受ける。テレビ報道などの耳鼻咽喉科医師の証言も影響して「実際は耳が聞こえている」と思い込んでいるのだろうが、現時点でそこまで断言はできない。まあ、世の中で聞く「論理」とか「理詰め」とかの中の半分くらいは「どこがだよ」っていいたい代物なんだけど、これも同じだね。

 もうひとつ私が思うのは、偽ベートーベンのウソを追及する週刊誌というと正義のように見えるが、週刊誌も割といいかげんで、センセーショナルに取り上げられた過去の記事のすべてが真実とは思えないし、実際に裁判になって週刊誌を刊行する出版社側が負けたことは何度もあるはずだ。

 偽ベートーベンのウソはけしからんが、週刊誌のウソはなぜ許されるのか。ウソ情報を信じて週刊誌を買った読者は、佐村河内氏のウソを信じてCDを買った被害者とどう違うのか? 『週刊文春』に記事を書いているらしい、このノンフィクション作家にぜひお聞きしたいものである。週刊誌をウソだらけという気はなく、確かに真実の報道もある。しかし、おそらく佐村河内氏の主張もウソだらけではなく真実もある。そういう意味においては、両者どっちもどっちでは? たぶん、この答えは、読者は週刊誌にはウソも含まれているだろうとわかった上で(みんな週刊誌にウソが含まれていることを少なくとも薄々くらいは気づいている)買っているのと、「全聾の作曲家がまさかウソとは思わなかった」という認識の違いなんだろうな。それと佐村河内氏は「故意にウソを付いた」といえるが、週刊誌は少なくとも表向きは「故意じゃなくて結果論」という言い訳も成立するかもしれないね。佐村河内氏のしたことは確かにけしからん。でも、似たようなことをしている(というと言い過ぎか?)週刊誌に正義を気取られてボロクソに叩かれている佐村河内氏もちょっと気の毒に思えてきた(笑)。


2014年3月7日(金)
ぐりとぐら
 先月末の新聞に「ぐりとぐらの絵本誕生50年記念」という記事が出ていた。あー、そうか。そりゃそうだよなー。だって、ボクちんがお子ちゃまだった頃にすでにあったもん。記事によると『ぐりとぐら』は月刊絵本「こどものとも」1963年12月号で第1作が発表されたとある。福音館書店の「こどものとも」と「かがくのとも」は、幼稚園~小学低学年に購読していて、うろ覚えだか、確か「かがくのとも」は創刊号から買っていたように思う。ちなみに今でも実家にすべてダンボール箱に入れて保管されている。
 『ぐりとぐら』が「こどものとも」で刊行された時はまだ生まれていないので、買ったのは絵本化されたものだったが、お気に入りの絵本のひとつだった。福音館は、加古里子(知らない人のために付記しておくと「かこさとし」という男性絵本作家)の『かわ』とか『海』のような秀逸な科学絵本もあって、今にして思うと自然科学に興味を覚えるきっかけになったような気もする。ほかの絵本のレベルも格段に高くて、その後も延々と売れているのも当然だろう。近年の絵本事情は知らないけど、1960代後半~1970年代前半って、名作といえる絵本が多数生まれて、日本の絵本文化の柱になっているような気がするけど、実際どうなんだろうな。

 ところで記事によると『ぐりとぐら』は、フランスの絵本に出てくる「グリッグルグラ」という歌声を参考にして付けたそうだ(作者の中川季枝子氏談)。野ネズミのぐりとぐらが、森で大きな卵を見つけてカステラを作るというストーリーだが、がっ、しかーし。ネズミに対してあれほど巨大な卵というのは、ダチョウか恐竜の卵くらいだろ。しかも森に落ちていた得体の知れない巨大な卵を食おうなんて、どういう神経してんだよ。まあ、ネズミの衛生観念なんてそんなものか。食用に適する卵だとしてもだよ、割ってみたら腐ってたとか、有精卵ですでに幼体に成長していたとか、あるいは親に見つかって攻撃され流血の惨事に…とか。いろいろツッコミたくなろうというもんだろ(笑)。


2014年2月19日(水)
最近のニュースで感じたこと
STAP細胞論文の不自然な画像報道

 STAP細胞論文に不自然な画像があるとの指摘を受けて、理研やネイチャー誌が検証するという。そんな報道に接して、ES細胞論文で画像を反転させるなどして結果を捏造した韓国ソウル大の黄禹錫教授と関連付けた感想も見受けられるが、たとえ不自然な画像があったとしても、単なるケアレスミスだろうな。

 その理由は単純だ。万能細胞の研究者なら黄教授の一件とその後の経緯はよく知っているはずで、仮に意図したとしてもよりによって黄教授と同じことをするわけがないってこと。さらにいえば、理系の研究者なら全員が想定できることだが、あれほどの研究成果であれば、当然、注目を浴びて世界中の研究者が再現実験を試みるだろうことも容易に想像される。黄教授の場合は、それをわかってはいたが、周囲からのすさまじい期待圧に耐えかねて、ついやってしまったということだから。つまり捏造なら、すぐにバレる…というだけの話だ。複数の名のある研究者も名を連ねる論文において、ちょっと考えにくい。再現実験の成功例もあることから考えても、多量の画像データの中から、うっかり無関係の画像を選んでしまったという単なるケアレスミスとしか思えない。黄教授の一件では、割と雑な捏造だったので早い段階からバレてしまったわけで、もし意図して捏造するのなら、黄教授の轍を踏まないようにもっと手の込んだことするよ。そんなのイマドキの画像ソフトがあれば、ちょちょいのちょいだろ。

 膨大な写真データを扱う私でも同じようなことはある。自分が撮影したといっても、万単位で写真を撮影していると、過去に撮影した写真すべてを記憶できない。どこでどう撮影したか勘違いしたり、忘れたりすることはよくあることだ。なんたってミスが付きものの人間がすることだからだからね。


安倍さんの天ぷら会食批判

 民主党の元国会議員が批判したそうな。どうして、こうも下らないんだろうな。もっとマシな批判をしろ。「何も口にできず、寒い中耐えている人がいるというのに」って、何それ。大雪のために立ち往生した人は気の毒だと思うよ。でもだからといって、一国の総理大臣がどうして、その境遇に合わせなきゃいけないんだろう。安倍さんが対策を指示せずに呑気に天ぷらを喰ってたのだとしたら問題だが、指示した上であれば、そのあとにどこで何を喰おうとどうだっていいだろ。天丼ならまだしも、高級天ぷら店だからダメって意味不明。批判しているオメェは、じゃあ立ち往生した人たちや停電集落の人たちをおもんぱかって、当然、2日間暖房を消して風呂にも入らず何も食べなかったんだよな?



2014年2月18日(火)
遅れて届いた15日朝刊の記事を読んで
 大雪のため東名道で大渋滞が発生したことはすでに報道されている通りだが、その影響は早速現れた。15日の朝、新聞が届いていない。あれ? 配達ミスかな…と思ったが、すぐに「ひょっとして雪の影響かも」と気づいた。新聞店に電話すると、やはりそうだった。結局、15日午後に「be」という土曜日に付いてくる別刷紙とチラシだけ先に来て、翌16日朝には15日夕刊と16日朝刊が一緒に届くという変則事態に。その夕方にようやく15日の朝刊が遅れて配達された。
 15日朝刊を配送するトラックが東名の大渋滞に巻き込まれたので、その後の配送は東名を避けて一般道を経由したため、結果的に配達の順番が狂ってしまったということのようだ。
 報道によると1ミリも動かない車内で2泊したというから、まさに「歴史的に最悪な大渋滞」といえるんじゃないだろうか。

 その大変な状況から抜け出し、関係者のみなさんの努力で1日半遅れで届いた「ありがたい15日朝刊」をめくっていて、映画監督でテレビディレクターの是枝裕和氏インタビュー記事「二分法の世界観」に目がとまった。私の考えと違うところもあるけど、特に以下の部分はまさにその通りだと思った。ここ最近、本サイトで書いたことにも共通する指摘で同感だ。


「同調圧の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんなに楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」


 まったくもって仰る通りである。ネット意見を読むと、言いたい放題に意見を書いているように見えるが、それは匿名だからこそ。ホンネでは「自分なりの解釈を加えることに対する不安」が常にあるので、実名ではおおっぴらに自分の意見を述べられない不満が、匿名というネットの世界で、そのはけ口になっているだけだと思うね。たぶん実名前提になると、とたんに黙っちゃう人も多いはず。

 ただし、なんでもかんでも自分の頭に浮かんだことをオリジナリティな価値のある意見みたいにいえばいいってもんでもなくて、重要なのはまさに「自分の頭でものを考える訓練を積んでいる」こと。訓練を積んでいないと、いくら声高に自分の主張をしても訓練を積んでいる人から見れば、薄っぺらい印象しか残らないということだ。

 社会人はみんな「自分の確固たる考え」を持っているように見えるが、実は「自分なりの解釈を加えることに対する不安」が常にあるので、気づかれないようにチラチラとほかの多くの人の言動を伺って、「無難な意見」を見極め、それを自分の意見として採用する…みたいな人って結構いると思う。他人の意見を参考にするのは大いに結構なんだけど、行き過ぎるのも問題で、それは同時に先日の本欄でも書いた通り、多数決が間違っている場合に、それを見抜くことができないことにもつながる。

 有名メディアがいってることだから正しいとか、有名人の意見だから正しいとか、そういうのって思考停止としかいえない。自分でものを考える…というのは、自分で意識してやらないと、ただ漫然と社会生活を送っているだけでは絶対に無理。日本では、社会人であれば、なぜか自動的に「みんなそこそこのレベル」みたいに見なす風潮があるけど、いくら年くってても考えてない人は恐ろしいほど何も考えていないし、若くても考えている人は感心するほどよく考えている。年を重ねるに従い、見えないものが見えてくるようになるのも事実だけどね。

2014年2月13日(木)
最近のニュースで感じたこと
偽ベートーベン騒動

 広島出身だそうだが、私はほとんど知らなかった。そういえば、チラッと何かのテレビで見たかも…くらいの認識しかなかった。NHKでもその絶賛番組を作っていたというのも今回初めて知った。
 被曝二世で全聾。それなのに素晴らしい曲を作り出す稀代の作曲家。確かにマスコミが食い付きそうな素材だよな。でもテレビで流れた過去のインタビュー映像を見たけど、なんとなく違和感を感じたのは私だけじゃないだろう。確かにデタラメが発覚したあとだけに先入観もあるかもしれないけど、なんか人間として重厚なものを感じない。芸術家特有のオーラみたいなものがない。サングラスと帽子に隠されて見た目ではなんともいえないけど、話す内容を聞いたとたん「うーん。どうなんだろう。この人」といわずにおれないみたいな…。
 この一件の責任は本人とゴーストライターだけではなく、その宣伝に荷担したマスコミにもある。ありがちな「我々は基本的に性善説に立ってる」みたいなバカ丸出しな言い訳はしない方がいい。それってマスコミの存在価値を自ら否定するに等しい。完全にアウトだろ。


2014年2月11日(火)
最近のニュースで感じたこと
都知事選の結果と脱原発

 あーやっぱりね。主な候補のうち、一番支持を得られそうな舛添さんが当選するだろうと思っていたけど、その通りの結果に終わったなー。細川さんは、小泉さんという支持者を得たとはいえ、可能性は低いと思っていた。田母神さんは国会議員ならともかく、都知事というのはちょっと違和感があるので、やはり可能性は低いと思っていた。同じように考えた都民も多かったのかも。

 正直、小泉さんが、郵政選挙の時と同じような手法で臨んだのも感心しなかった。脱原発という、わかりやすい争点にしようとしたのだろうけど、その説明を聞いてもあまり説得力を感じなかった。
 国のトップが方針を決めれば、いろいろな知恵が出てきて、必ず脱原発が実現するって、確かにそうなる可能性もないとはいわないけど、そうならない可能性も否定できない。仮に世界一の技術者がそう断言したとしても、理想通りにいかないのが技術というもの。政治家としては有能だったと思うけど、技術に関しては素人さんの直感だけで「絶対できる」といわれてもねぇ。同じように核のゴミ処理も、いろいろな知恵が出てきて、あっさり解決する可能性もないとはいえないだろ。まあ、確かに原発というのは、理想的な発電手段とは思わないので、私なんかはいずれはなくす方がいいと思ってるけどさ。
 ノルウェーの核ゴミ施設を見学したりして、小泉さんなりの直感も働いたんだろうけど、なぜそういえるのか、という根拠もないまま、原発即ゼロにしたあとに、代替がうまくいかなかった場合のリスクを無視してまで、その直感に賭ける気にはならない…というのが、大方の都民の見方だったのでは? 

 ついでにいわせてもらうと、世間一般の人たちが、原発議論において「原発 イコール 福島原発」みたいな視点で物をよくいってるけど、単純化しすぎていて話にならないって思うね。それって「深刻なトラブルを起こしやすい車が見つかった イコール すべての車は危険である」と同レベルだろ。「ほかの原発でも津波が来たら、また同じことが起きる」って、また随分な論理の飛躍。ほかの原発が事故前の福島原発と同レベルの対策しかされていないのなら、確かにそういえるかもしれないけどさ。そうじゃねぇだろ。


2014年2月9日(日)
デジタルマイクロピペット
 小保方効果で、かっぽう着が見直されているそうだが、ほかにもいろいろ影響がありそうだね。例えばムーミンとかさ。テレビの実験室映像では、ムーミンとスナフキン、それにニョロニョロのイラストしか映らなかったけど、ひとつだけ気になったのは、冷蔵庫に貼るべきなのは、やっぱモランじゃねぇか。モランのイラスト貼っとけば、冷蔵庫の冷え具合も万全なはずだよ。だってさぁ、モランって寂しすぎて心が寒いために周囲まで凍り付かせちゃうんだぜ。どう考えても冷蔵庫向きのキャラクターだろ(笑)。

 あと小保方さんが慣れた手つきで使っていたデジタルマイクロピペット(ごく微量の液体を正確に量り採る器具)もついでに注目されるんじゃないか。オイラも大学時代は実験でよく使ってたけど、その後完全にご無沙汰。しかし、あの映像を見て、そもそもアレっていくらくらいするものなのかなぁ…と思って検索してみたら、ギルソンでも国産でも2~4万円だった。なんだ意外と安いんだな。オイラも購入して日常生活で使おうかな。

 「そんなもん何に使うんだよ」とかいってるソコのチミ~。用途はいろいろあるぞ。よく考えてみてほしい。そうねぇ。例えば、寿司とか喰う時、小皿に必要量だけ正確に醤油を移せれば経済的だし地球環境にも優しいってもんよ。
 とにかくオイラは細かい性格のA型なもんで、「小さじ少々」とか「醤油少々」とかみたいな大雑派なことは大っ嫌いなのだっ。大体「少々」ってなんなんだよっ。個人差が含まれる「少々」みたいな曖昧な表現には断固反対!!

 ってなワケで、醤油だってμℓ(マイクロリットル)単位でチョー正確に醤油差しから出せれば便利に決まってるじゃん。まあ、一人前の寿司を喰うのに必要な醤油の量となると、ミリリットル単位のガラスピペットと組み合わせることになるだろうが、もし必要量が5125μℓだった場合は、どう考えてもデジタルマイクロピペットがないと量れないだろ(笑)。
 「いや、ガラスピペットの誤差を考えれば、その方法で正確に5125μℓを量り採ることはできない」みたいな本当の指摘を大まじめにしちゃダメだよ~ん。


 
2014年2月2日(日)
STAP細胞
 理化学研究所のSTAP細胞は、いろいろな意味で感心したね。世紀の大発見をするのは、大抵、中高年の大学教授みたいな人と相場が決まっているけど、そうじゃなくて30才の女性だったこと。そして常識を覆す斬新な発想から生まれていることが何より素晴らしい。日本の科学界にも優秀な人材がしっかり育っているなぁ。

 結果的にすごい発見に至ったわけだけど、その結果もさることながら、その過程にも注目したい。なぜ、マウスの細胞を弱酸性溶液に浸してみようと思ったのか詳しい経緯は不明だが、おそらく意図して試してみたのだろう。ほかの研究者は、まさかそんな単純な方法で作れるとは想像もしていなかったが、彼女は「ひょっとして」と思って念のために試してみた…。それが素晴らしい結果につながったように見受けられる。
 報道では結果ばかりが注目され、確かにそれはその通りなんだけど、それを生み出せたのは、何よりも柔軟な発想が元になっていることにも注目するべきで、ここも重要なポイントなのだ。他人の意見や先入観に影響され過ぎる人では、おそらくこういう発想は生まれないだろう。

 彼女が「最初は誰にも信じてもらえなかった」と語っていたが、実は科学史を振り返ると同じようなことが繰り返されている。なぜなら歴史に残る大発見というのは、誰にも真似できないことだけに最初は理解されにくい。一方、研究には勘違いやミスもいっぱいある。だからにわかに信じがたい結果が出ると、大抵はきっと何かの間違いだろうと見なされがちだ。しかし、それらの中にはひょっとすると真実が含まれているかもしれないことにも留意すべきで、それを直感的に見抜く能力も研究者には必要かもしれない。
 万能細胞に至る道のりはすごく複雑で、それにたどり着くのは容易ではない…と研究者全員が思っていた。でも実はそうじゃなくて、意外と単純だったわけだ(人間の細胞でも同じことが可能かどうかは、まだ不明だが)。

 私は、万能細胞について考えたことはもちろんないが、「押してダメなら引いてみな」じゃないけど、昔からこういう常識を切り捨てる発想はすごく重要だと思っていた。なぜなら人間は何かに集中して取り組んでいると、次第に発想の柔軟性が失われ、自分でも気づかないうちに固定観念にとらわれやすいからだ。だから常に自分自身の考える方向についても、時々客観的に「ほかの可能性はないのか」と、ふと冷静になって徹底的に考え直してみることはとても重要だと考えていた。おそらく彼女もこういう考え方ができる人なのだろう。

 みんな一団となって右の方へ向かう。何も考えず、自分もその流れに合わせるのは簡単だ。でも、左の方が正しいということはないのか。日常生活でも何でもいえることだが、こういう視点は常に忘れないようにしておきたいし、みんなが右だと主張していても、「いや、これこれこういう理由で左だ」と反論することに躊躇してはいけない。ただし、それは100パーセント論理的でなければならないのはいうまでもない。

 中学2年生の時のこと。理科の授業で先生が尋ねた。「答えがAだと思う人、手を挙げて」。するとクラスのほぼ全員が手を挙げた。「ではBだと思う人は?」それに手を挙げたのは私一人だけだった。その質問の内容は忘れてしまったが、見た目はいかにもAっぽい。だからほとんどの生徒はAが答えだと思ったのだろう。一人だけBの方に手を挙げるのは、ちょっとだけ勇気がいった。でも、正解はBだった。先生が「日野くんはどうしてBが正しいと思ったのですか?」と聞かれ、私は自分が考えたままのことを説明したが、それがまさに正しい理由だった。
 この時のことは、とてもいい経験になった。クラスの大多数が選んだ答えが、実は間違っていて、自分の考えの方が正しかったわけで、つまり多数決みたいな方法論が正しいとは限らないことを体験的に学べたからだ。

 表面的なものや大多数の意見こそ真実だと思い込んでいる人に新しいものを生み出せる可能性は低い。今回の発見で、それに気づいた人もたくさんいたはずだ。そういう意味においてもいいニュースだった。

 
2014年1月28日(火)
最近のニュースで感じたこと
NHK新会長の発言について

 NHKの籾井勝人新会長が就任会見で、慰安婦問題について「どこの国にもあったこと」などと述べた一件。フツーの論理回路が頭に備わっている人なら当然導き出す答えだろう。特定秘密保護法に関しての発言とかも、私が思っていた通りのことを述べられていて、すんなり読めたね。実にまともな意見である。
 それに対して声高に批判する人たちが、論点をずらして批判していることにも気づこうね。簡単なことなのだ。その意見が間違いだといいたいのなら、どこの国にもなかった(日本軍にしかなかった)証拠を揃えて「これに反論してみよ」と迫ればいいだけのこと。その最も重要な部分をなぜスルーするのか、ぜひ教えてほしい。籾井発言を批判する記事に何本か目を通したが、その論点に真正面から向き合って批判している記事はただの1本もなかったぞ(笑)。

 彼らの記事内容をよく読んでみると「その発言は問題だ、問題だ」とまくし立ててるだけで、「どこが、どう、なぜ問題なのか」は誰もいっていないことに気づく。せいぜい政治的中立であるべき公共放送のトップが政治的な発言をするのはけしからん…くらいだろ。それは確かにそうかもしれないが、発言の内容自体は間違っていない。籾井発言を批判している人たちは、結局「最初に答えありき」の、まわりが期待する通りの批判しかできない次元の低いニセモノ。自ら真理を見出す能力もなければ見識もなく、「大人の事情」ってやつに左右されて記事を書いているに過ぎない。

 いかにも論理に弱い日本人らしい「妙な空気の読み方」とでもいえばいいのだろうか。あるいは、それが真実じゃなくても、とりあえず自分が格好良く見えそうな、あるいは薄っぺらなバカが満足しそうな方に歩み寄って正義を気取るみたいなところって確かにあると思うね。そもそも日本という国家の名誉よりも自分の立場の方を優先するって、私はジャーナリスト云々以前に人間としてカスだとしか思わんね。そんな連中がえっらそーによくも正義面できるもんだ。

 彼らには、「権力とは悪である」というあまりに単純すぎて、しかもガチガチに凝り固まった古くさい権力観しかない。つまり、表向きはいろいろいってるけど、表面に纏った紛らわしいものをバッサバッサとはぎ取っていくと、その根幹には「権力批判=正義」という、恐ろしいほど単純な構図しかないのだ。国家が絶大な力を持ち(当時の世界情勢を考えれば、私はそれもやむなしとも思うのだが)、国民が小さくなっていた先の大戦中ならそういう方針でもいいと思うんだけど、国や政府をどれほど批判しても怖いものなしの今の時代にそんなもんで正義を気取られてもねぇ。時代遅れで的外れとしか思えんな。


2014年1月22日(水)
KitKat
 昨日、テレビでチョコレート菓子のKitKatが、「きっと勝つ」につながるとして受験生の5人に1人が験担ぎで試験会場に持って行くことを紹介していた。メーカーも受験専用バージョンを作って市場に投入しているそうだ。
 その昔、受験生だったオイラも験を担ぎたい気持ちは痛いほどわかるけど、KitKatを「きっと勝つ」と読むよりも、「浪人生になる道をきっとカット」とそのまま読む方がいいような…。でも、それじゃあ「希望大学試験にきっと勝つ」よりも消極的だからダメかなぁ。逆に「希望大学への道をきっとカット」という悪い方に読むこともできると思うんだけどなぁ(笑)。
 まあ、こういうのって受験生本人が、身体的にも精神的にもいい状態で試験に臨むことの方が大切。たかがチョコレート菓子に、あなたの運命を左右させるような力はないですよ、残念ながら。せいぜい糖分が脳の栄養になる…程度だろ。それよりも神社のお守りの方がまだプラスの効力がありそうだよ。だってさぁ、KitKatの背後には、販売戦略を練っているネスレ日本株式会社の営業担当者(たぶん、フツーのおっさん)しかいないけど、お守りの背後には、なんたって神様がいるんだぞ。どっちがスゴイかいうまでもないだろっ!!
 共通一次世代からのつまらない進言でした。


2014年1月11日(土)
音声編集ソフト
 前回、書いた「日本巌窟王」の一件以来、古い音楽テープのことが気になり、再生できるうちになるべく全部、PCに音楽ファイルとして取り込んでおこうと思い始めた。しかし、中には音量が低いものや音質が悪いものがある。これ何とかならないかなぁ。そこでネット上の音声編集用のフリーソフトを検索し、そのうち2、3のソフトをダウンロードして使ってみると、結構すごいものがあった。このソフトを使うと、音量の低い音源を適正な音量に一発変換したり、雑音を消したり、前後の不要な部分をトリミングしたり、予想以上のことが簡単にできちゃうのだ。
 今は毎日ひと仕事終えた夜にテープからPCに音源を取り込む作業を少しずつ進めている。カセットテープもビデオテープ同様、経年劣化するだろうし、いずれ手元にあるデッキも使えなくなり、市場からもなくなる可能性もあるので、早めに音楽ファイル化しちゃおうというわけだ。音質が悪いものは編集ソフトで調整すれば、普通に聴けるレベルになる(中には厳しいものもあるが)。昔の曲は当時を思い出してちょっと懐かしいし、久しぶりなので新鮮に感じる。

かなり使える音声編集ソフト→WavePad音声編集ソフト
※個人的な非営利利用なら無料(ありがたい!!)。


2014年1月5日(日)
日本巌窟王
 私は大学生以降、気になったテレビ番組は結構徹底的にビデオに録画してきた方で、一時はビデオデッキ3台と数百本のVHSテープを所有していた。これらのテープは、十年くらい前にほぼすべてDVDにコピーし(一部劣化して再生できないものもあった)、邪魔になるのでマザーテープの方は破棄した。とはいえDVDにしてもほとんど見る機会はないが、今もそのまま保管している。
 ところで、それより前の中学生~高校生の頃は、最初の家庭用ビデオテッキが出る前後くらいの時期で、まだまだ高価だった。当然、実家にはなかったのでテレビとカセットデッキをモノラル録音用ケーブルでつないで、好きだった番組オープニングテーマやエンディングテーマを録音するくらいだった。1970年代末~1980年代前半のそれは、カセットテープに録音し、その後PCに取り込んで保管してある。今にして思えば、特にNHKではマイナー番組でも結構優れたテーマ曲がよくあったものだが、数十年前のマイナー番組テーマ曲だけに今ではもう完全に聴くことはできないので、そんな方法でも録音しておいて正解だったかもしれない。こちらは懐かしさもあって、たまに聴くこともある。

 しかし、そんな中にあって、すごく好きだったにも関わらず、唯一録音し損ねたオープニングテーマがあった。それは中学生の時にNHKでやっていたテレビドラマ『日本巌窟王』のそれである。アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』を日本の江戸時代に置き換えた時代劇で、毎回かかさず見るほど内容もよかったが、そのテーマ曲が好きだった。
 とにかく音源がないので覚えておくよりほかに方法がない。そこで以後30年以上にわたって時々、口ずさんではメロディーの記憶を延々と維持してきたわけだ(笑)。その後、NHKのアーカイブ番組で取り上げられ、その時にオープニングテーマも少し流れたことはあったが、ちゃんと聴ける音源はなかった(近年、他局で再放送されたようだが)。
 過去にも何度か検索してみたが、まったくヒットしない。昨日、ふとそのことを思い出し、久しぶりに検索してみると、なんとYouTubeにオープニングテーマをアップしてくれた人がいたのである。あ~、なんと素晴らしい人だろう。久々に(放映後初)最初から最後まで聴けてよかったな~。やっぱりいい曲だ。YouTubeのコメント欄にも「名曲」と書いている人がいるけど、本当にそうだな。
 ところが、この記事を書くにあたり、古いテープを出してきて何本か聴いてみたら、聴き始めて2曲目になんと、あっさり流れてきた。あれ!? 録音し損ねたと思っていたら、ちゃんと録音してた。うーん、さすがオレ様は抜かりねぇなー。ただ音質はYouTubeの方がいい。音質が悪いので聴かなくなり、そのテープのことはすっかり忘れてしまったようだ。

 どちらにしても作曲された坂田晃一先生! ぜひ何かのアルバムに採用してもらえませんかね。絶対買います!!

こんな曲です→日本巌窟王オープニングテーマ


2014年1月1日(水)
新年あけましておめでとうございます

2013年12月30日(月)
最近のニュースで感じたこと
安倍さん靖国神社参拝

 安倍さんが靖国神社を参拝したのはよかったと思う。朝日新聞は当然のように批判記事を掲載し、読者の声欄でも批判する投書をこれでもかとばかりに並べていたが(笑)、その中には予想した通り「相手がいやがることをすべきではない」という相変わらずのピンボケ意見があった。
 中国や韓国はいやがって批判しているのではない。もともとは政治カードとして意図して利用し始め、そのカードをより強力なものにするために自国の国民に向けて広く反靖国神社キャンペーンを行った。その結果として国民も政府と一緒になって批判しているだけのことで、昔は日本の政治家が靖国に参拝しても中韓の政府も国民もまったく無関心だったのだ。

 それにだ。「相手がいやがることをすべきではない」という日本人は、自国の政府批判も結構だが、中韓にも同じことをいうべきである。中韓では何かあるたびに日の丸を燃やしたり、反日運動で日系商店を破壊したり、日本の国民がいやがることをよくしているが、あれに対しても「日本人がいやがることをすべきではない」とぜひとも声をあげて頂きたい。中韓が日本国民がいやがることをしている以上、中韓の言い分を一方的に日本が配慮する必要はない。

 南スーダンで韓国軍から緊急要請された実弾提供を「いや足りている」といったり、「すぐに返す」といったり、あの件を見るだけで韓国という国がいかに国家として三流であるかよくわかる。韓国の方から依頼しておいて感謝の言葉もないのは、そもそも人間としてどうなんだろうねぇ。
 ほかのごく標準的な国々(日本も含めて)と同様に中国も韓国も勝手に同レベルとみなした上で、「そんなフツーの国々である中韓を批判するのは、なんか右翼っぽい」みたいな低レベルな視点から、中韓批判をうんざりした眼で見ている、現状認識能力に大いに疑問符が付く薄っぺらい日本人が時々いるのも困ったものである。

 まあ、1億2千万人もいる日本人全員が中韓批判するわけないし、多様な意見があるのはむしろ自然なことではあるが、その多様な意見が生まれる背景としては、価値観の違いもあるけど、結局は知識と能力の違いに集約される。だからといって「オレ様は知識も能力も100パーセントだっ!!」…といっているわけでは、もちろんないけどね。ただ、社会人であれば誰しも時事問題に関心が高く、問題の内容にも精通した上で自分自身の意見を持っているかのように見えてしまうが、実はそれほどでもなくて「みんな割と大雑派で細かい内容までは知らない」というのも実態としてあると思うね。

2013年12月28日(土)
最近のニュースで感じたこと
特定秘密保護法成立

 マスコミの批判もわからないことはないが、私はやや過剰という印象をもつ。おそらく十年後、この法律のことはほとんどの国民の記憶から消えているだろう。自称・ジャーナリストたちは、法案に反対することがジャーナリストとしての証であるかのようにこぞって反対声明を出す。それを見た国民は、有名なジャーナリストが懸念を表明しているということは「きっと大変なことなんだ」と不安を増幅させるわけだ。あたかも戦前のように国家が国民を監視し、ちょっとしたことでも警察に逮捕される時代が到来するかのような(笑)。いや、マスコミのいう懸念がすべて的外れとは思わないが、少し冷静に見た方がいい部分もあると思う。

 世間一般の人たちは、概して肩書きみたいなものに弱いところがあって、何らかの立派そうな肩書きがついていると、一律で「権威」もしくは「権威に近いもの」と自動的に思い込みやすい。マスコミ関係者やジャーナリストは、確かに一般の人よりもある部分では知識があり、人によってはある程度の分析能力も有しているだろう。しかし、実際はひとりひとり持っている知識も能力も結構バラバラで、ある分野にはすごく詳しくても、別の分野になるとスッカラカンだったりする。この問題で最も重要な点は、そのほぼ全員が国家のインテリジェンスに関しての専門家ではない(=その視点からの検証能力が低い)という点である。

 マスコミはまるで特定秘密保護法は政治家や官僚にとって都合の悪い情報を隠すためであるかのように報道しているが、そうではない秘密にしなければならない情報もあるはずである。「国民の知る権利」という御旗をふりかずさと、正義の主張ように見えてしまうが、例えば自衛隊の諜報能力とか、政府がもつすべての情報を国民が知る必要はなく、むしろ公になることで国家・国民に危険が及ぶことだってあるはずだ。
 制度をきちんと整備し、何十年後かに原則すべての情報を公開するということであれば、そこまで騒ぎ立てる必要はないと思う。マスコミは過剰に煽り立てるのではなく、それよりも制度がきちんと整うか、さらに定期的にその制度が健全に機能しているかを検証することの方に力を注ぐべきだと思う。

2013年12月24日(火)
水洗タンク修理
 昨日は、トイレの水洗タンクの注水が止まらなくなる事態が発生。水を流したあと、いつまでたっても「ジャー」という音がしっぱなし。止まる気配がない。なんか変だぞと思ってタンクのフタを開けてみると、止水ゴムボールの支柱が折れてボールが弁から外れていた。以前にもちょっとしたトラブルがあって自分で修理したことがあり、本来はアパートの管理会社に申し出るべきだけど、わずかなトラブルだったので自分で直しちゃったのだ。その時にもタンク内を見ているわけだが、もともと支柱がどうなっていたのか、まるで記憶にない。しかしどうも弁のわきに立っていたプラスチックパイプの支柱が劣化して、割れてしまったようだ。まるでカッターで切ったかのようにきれいに割れていたので、最初、割れたことに気づかなかったくらいだ。
 さてどうしょう。要は支柱を元に位置に戻せば直る話だ。今回も年末のこの時期に管理会社に連絡して、水道屋に来てもらって…というのもめんどうだったので、とりあえず自分で直すことにした。支柱パイプの内側に継ぎ足しパイプを差し込んで折れていた根元部分と接合する修理プランが一番簡単で確実そうだ。
 支柱パイプの内径にぴったり入るものを探してみると、すぐに手頃なプラスチックキャップに目がとまった。あ、これでいいや。試しにパイプに差し込んでみるとピッタリ。工作用の細密ノコギリでキャップを適当な長さに切断しヤスリがけした上で、瞬間接着剤で支柱パイプと根元部分を貼り付けて作業は完了。しばらく使用してみないと何ともいえないが、たぶん大丈夫だろう。
 休日の朝イチで、思わぬ作業をするハメになったけど、あっさり解決した(…と思う)。ついでに大・小で水量を変えるしくみとかもわかった。なるほどね~。よく考えてあるなぁ。


2013年12月21日(土)
都知事選と口蹄疫失政
 猪瀬東京都知事が辞任されるとのことだが、次は誰がなるか興味深い。いろいろな人の名前が挙がっていて、その中に東国原の名前もあるのは、まあお笑いだね。確かに2011年の都知事選で170万票も獲得したのは事実かもしれないが、有権者がいかに盲目かを物語っているだけの話だ。私はまったく評価しない。なぜ評価しないのか。それは、東国原の口蹄疫対策がタダの失政だったからである。同様の指摘をネットその他で見たことは残念ながら一度もないが(私が知る限りでは某週刊誌のネット配信の記事において遠まわしな表現で、そのようにも読める短い記述が一度あったくらい)、私は当時から現在に至るまで次のように考えている。

 口蹄疫は感染力が高く、最初の感染が判明した時点で、可能な限りあらゆる対策をしなければならなかった。それをせずに呑気に酪農家の説得に時間をかけてしまったために、その間に感染を広げてしまい、本来は殺さなくてすんだはずの牛までも大量に殺処分しなければならない事態を招くなど、むしろ被害を拡大させる原因を作ったと思われるからだ。酪農家の意向を尊重し説得に時間をかける…一見、県民目線の素晴らしい対応のように見えるが、もっと早く対策をしていれば、ああいう事態にならずにすんだ可能性もあった。つまり、結果として自分自身の尻ぬぐいを寝ずにやっている東国原を見て、マスコミも国民も「東国原知事は頑張ってるなぁ」と評価したわけだ。実に間抜けな話である。

 県職員の中にも獣医学的見地から「すぐにあらゆる対策をすべき」と進言した人もいたはずだが、東国原はその意味を理解できなかったか、あるいは「酪農家を説得する時間くらいは大丈夫だろう」と勝手に判断して進言を無視したのか、それとも理解はしたが、そんなことをすれば酪農家の反発を招き、国民からは理解してもらえず、自分にとってマイナスになると政治家としての保身を第一に考えたのか、いずれかの可能性しかない。
 私が政治家として信頼するのは、こういう場合に「それを実行すると政治家としての自分のイメージは損なわれるかもしれないが、しかしそれでも真理や社会全体の利益の方を優先しよう」という自分のことは二の次にして正しい判断ができる人である。東国原はそうじゃなかった。かえって口蹄疫の被害を拡大させてしまっただけである。

 東国原自身、県知事を辞めたあとにこんなことをいっていた。宮崎県に帰って偶然、久しぶりに知っている県職員に会ったら、「どこかよそよそしかった」と。それだけで宮崎県庁内の東国原評がおおよそ伺い知れるというものである。また元東京地検特捜部長の河上和雄氏が、テレビ番組で東国原本人を前にして「あなたの人気はマスコミによって作られたもの」ときっぱり言われたそうだが、私はその通りであると考えている。

 それに日本維新の会を抜けたあとに石原共同代表の悪口をマスコミにペラペラしゃべるのも頂けない。そりゃあ、石原さんくらいだと東国原の薄っぺらい中身を見抜いているだろうさ。思ったほど自分が石原さんから評価されなかった不満もあるんだろうが、なんかみっともない。


2013年12月18日(水)
最近のニュースで感じたこと
 北朝鮮の張成沢処刑のニュースは衝撃的だった。世界中の北朝鮮ウォッチャーの誰ひとり想定していなかった事態ではないのか。本当の理由は不明だが、うーん、やっぱりあの国は理解を超えてるなぁ。まあ韓国でさえ理解不能なのだから北朝鮮を理解できるわけねぇか。
 金正恩はお飾りに過ぎないという指摘は、ある程度正しいと思うが、仮に金正恩の指示だとしたら、北朝鮮の将来に期待しても無駄かもしれないな。北朝鮮の国民は表向きは張成沢批判をするだろうが、人間としてホンネでどう感じているかはまた別の問題。それに中韓も含めて世界中の人々をドン引きさせただけで、国家としてのデメリットも相当にデカイと思うけどな。
 恐怖で押さえ込む政治が安定的に長続きするとは思えないが、とはいえ意外と長持ちしてるのも事実で、それも不思議なんだよな。中国もアメリカも北朝鮮が崩壊したらしたで大いに困ることが延命につながっているのかもね。


2013年12月17日(火)
大源太山
 上越国境の谷川連峰・大源太山(だいげんたさん)に登った登山者が下山しないという報道があった。麓の町でも2日で1mも雪が積もるような気象条件。山ではもっと積雪があったはず。予想を超えて天候が悪化したのかもしれないが、そんな状況の冬山に登ろうというのは、ちょっと判断が甘いんじゃないか。たとえ登る時はトレースがあったとしても、あの天候なら確実にトレースが消え、どこが登山ルートかさえ判然としなくなるはず。別パーティがいるとは思えないので、わずか2人で、1m以上もの新雪をラッセルするのは相当厳しい。
 無理をしないで早めに下山を諦め、安全な場所で雪洞でも掘って体力を温存していればいいのだが、今後の天候回復のタイミングとどの程度の食料や燃料を持っているかにもかかってくる。
 オレなら写真撮影が目的ということもあって冬山でも極力快晴日を選ぶので、たとえ登山口に到着したあとでも状況が悪化すれば中止にするけどなぁ。せっかく来たのだからと無理したのだろうか。どういう装備で入山したのかは不明だが、とにかく無事に見つかることを祈りたい。

 ついでに大源太山を知らない人のために22年前の5月に登った時の写真を。



中腹の登山道沿いを流れる清冽な清流。


目指す大源太山山頂が見えてきた。35ミリカメラと中判カメラ一式、加えて三脚まであって荷物は重く、しかもなかなかハードな登りで、この頃はグロッキー気味だった。アイゼンを付けたり外したり…を繰り返したような記憶がある。

2013年12月15日(日)
犬連れ登山とエキノコックス
 一昨日は、北海道の某森林管理署に電話して担当者の人と犬連れ登山問題に関して少し意見交換した。森林管理署という役所は、もともと私の中では印象がいいのだけれど、今回も有益な話ができた。電話するきっかけになったのは、その森林管理署が管轄する某山で、麓の人が頻繁に犬や猫を連れて山に登っていて、登山道や山頂に犬や猫がいる写真をブログに多数アップしているのを偶然見たからである。しかも、その人は呆れたことに「○○自然塾」というネイチャースクールもやってるみたいで、まあ、単に感染症のリスクについて何も知らないだけだろうが、自然について他者に教える立場の人間が野生動物のリスクを上げる行為をネットで広く宣伝しているのも、まったくもって「バカここに極まれり」と申し上げるよりほかはない。しかも普段も放し飼いにしていて、登山者に勝手について山に登ったりもしているようなのだ。

◆北海道では犬の放し飼いでエキノコックス感染リスクが上がる
 北海道の場合、犬の放し飼いはマナー云々よりも飼い主自らへのエキノコックス感染のリスクを上げるだけの愚かな行為でもある。十年ほど前、私は特に犬連れ登山の犬から飼い主にエキノコックスが感染する危険性を懸念し、道庁に電話して質問したことがあるが、自然保護課はエキノコックスについて何も知らないようで、まともな答えは得られず、「少々お待ち下さい」といわれて散々待たされた挙げ句に電話口に出た別部署の女性担当者は、犬を悪者にしたくないオーラ全開で、「犬にリードさえつけていれば、元気な野ネズミ(筆者注:主にエゾヤチネズミやエゾアカネズミ)を捕まえること自体容易ではなく、飼い主が気づかないところでエキノコックスの幼虫を持つ野ネズミを食べて犬に感染し、さらに犬から飼い主である人間に感染することはあまり考えられない」と説明していた。私はそれを聞いて半分は納得できたが、残り半分は納得できなかった。詳しいことは省略するが、そんなに安易に断言しちゃっていいのかなって疑問に感じたのだが、犬を悪者にしたくない人に何をいっても無駄と思ったので、それ以上の質問は諦めた。
 しかし、その後、おそらく私が懸念した通りの事例が実際に発生したのだろう。最近では北海道保健福祉部が「エキノコックスは犬からも人に感染します」というパンフレットを作成して注意を促している(下の写真参照)。実例がなければ、可能性がある、という言い方しかしないはず。「感染します」と断言しているのは、犬から人間へ感染した例があったことになる。パンフレットの内容は、野ネズミは体長10センチほどと小さいので犬種によっては容易に飲み込んでしまう可能性があり、それによって犬に感染し、その犬の糞から何かのきっかけで飼い主にも経口感染する可能性があるので、放し飼いをしないように呼びかけるものである。それは飼い主が犬をきちんと制御できて、野ネズミを食べさせないようにできれば…という前提であることはいうまでもない。飼い主が犬を制御できず、野ネズミを食べるのをやめさせられなければ、放し飼い同様にリスクは残る。
 こうした状況を見れば、結果的には道庁の担当者よりも私の想像力の方が勝っていたといえるかもしれない。

 ちなみにキタキツネやイヌはエキノコックスの終宿主で、野ネズミやヒトは中間宿主である。終宿主はエキノコックスに感染しても大きな症状が出ることはないが、ヒトの場合は潜伏期が5~10年と長く、自覚症状が出た時には進行していて、肝臓が次第に膨れてくる、寄生範囲が脳や骨にも広がるなどの重篤な結果に陥り死に至る。ただ、エキノコックスの卵は紫外線や熱に弱く(夏場の紫外線であれば死滅するともいわれている)、感染力も高くはないが、注意が必要であることに違いはない。なお、Wikipediaの「エキノコックス症」ページには、エキノコックスに感染して臓器に多数の嚢胞が生じた、目をそむけたくなるような野ネズミの解剖写真がページの下の方に掲載されている。



↑北海道保健福祉部が配布している犬から人にエキノコックスが感染することに注意を促すパンフレット。


◆ペット規制判断の実態とは
 それはともかく、私はかねてからペット規制対応と無対応の山や湿原をいろいろ見てきて、そこに何らかの判断基準みたいなものが存在するように思えなかった。例えば北海道ではサロベツ原野は木道へのペット連れ込みは禁止されている。一方、この某山のように禁止されていない山も多いわけだが、これはサロベツ原野に特に絶滅危惧動物が多く、この山にはありきたりの動物しかいないのではなくて、両者の野生動物相に極端な違いはなく担当者の認識次第で対応が分かれているだけだろうと考えていた。その点を指摘したところ森林管理署の人も「そうだと思う」といっていた。つまり専門家がひとつひとつの事例を検討した結果ではなく、割と適当に決められているということだ。しかしだからといって、ペット規制が間違っているわけではなく、むしろもっと規制すべきなのに、全体的にはまだまだ甘いという話であるので、そこを勘違いしてはいけない。

 こういう説明をしても、相手によってはまるで話が通じないこともよくあるのだが(正直いって思考回路がド文系の人には意味を理解してもらうこと自体が困難な場合も多い)、この森林管理署は少なくとも山岳地へのペット連れ込みには犬の感染症が野生動物に感染するリスクや、犬に吠えられて刺激されたヒグマが攻撃してくるリスクがあることもよくご存じで、話はスムーズに進んだ。これまでは未対応だったが、それは問題ないと判断しているわけではなく、森林管理署としてペット規制について、今後検討してみるとのことだった。


◆犬連れ登山には本州以南をエキノコックス感染エリアにする危険性も
 ところで、さらに懸念することがあるので触れておく。最近は犬も家族という認識が広がり、道外の人が車に犬を載せて北海道を訪問することも多いはずだが、エキノコックスという北海道特有の特殊事情自体知らない人も相当いると思われる。しかも北海道でエキノコックスに感染した犬を本州に連れて帰り、散歩の途中で放置した糞から野ネズミなどに感染が広がっていく可能性も十分考えられる。つまり、道外の人が犬連れで北海道を旅行すること(特にノーリードでの犬連れ登山)は、未感染エリアである本州以南を感染エリアにしてしまう危険性さえあるということだ。北海道も昔は未感染エリアだった。それが今では全域に広がってしまったことを考えれば、本州もそうならない保証はない。

 「犬を連れて旅をしよう」と宣伝しているバカメディアが、そのあたりのことを正確に理解しているはずもない(仮に説明しても理解してもらえるかすら疑問。だって、ああいう連中ってのは、もともと科学音痴のバカなんだから)。もし感染エリアになれば人の命に関わるだけでなく、北海道同様に今は飲用できる渓流の水が飲めなくなり、特定の水場だけでしか飲めなくなるかもしれない。厚生労働省は、感染エリアが広がる危険性を強く警告しているようだが、その警告がどこまで一般旅行者に伝わっているか、甚だ疑問である。
 そんな状況を考えれば、こうしたリスクをもっと広報したり、犬を規制する必要があると思うが、先に説明した道庁の職員のように個人的に犬を悪者にしたくない人とか(笑)、それこそペット産業全盛の時代に水をさす、こういう「不都合な真実」が大っぴらになるのを嫌う立場の人とかもいて(怒)、結果的に国民の目から遠ざかっているということもあるかもしれない。

 はっきりいって世の中なんて一枚皮を剥がしてみれば頭も悪けりゃモラルすらもなく、口先ではカッコいいので自然は大切といい、でも本心では自分が一番大切と思っているクソ野郎ばっかしだからね。表向きは偉そうなことをいっていても、要は自然を守ることよりも金儲け優先ってことだよ(具体例=ビーパル、ヤマケイ等のオワコン雑誌)。しかもそういう判断をしているのがスッカラカンとくりゃ、余計に頭に来るってもんだろ!!

2013年12月11日(水)
USB差し込み時のイライラ
 今やプリンターやデジタルカメラなど、USBによってPCに接続するデバイスはいっぱいあるわけだが、あれって最初に設計した人は、よりスムーズに使うためのひと工夫と想像力がなさすぎるって常々思っていた。確かにUSBの形状をよく観察すれば、どちら向きに差し込めばいいかわからないことはないけど、イチイチ中の形状を確認して差し込まなければならないのは、すごくめんどくさい。機器によっても向きが違うし、一見してどっちが表でどっちが裏かもわかりにくい。差し込もうとすると逆だったり、入らなくて「あれ? 逆か」と反対側にして再度差し込もうとすると、やっぱり入らなくて、もう一度裏返して差し込んでみると入ったり…。コンセントとプラグのように一発で差し込めればいいのにそうじゃない。
 同じようなイライラを、おそらく全世界のPCユーザーのほぼ全員が、毎日のように繰り返しているんじゃないか。国際規格としてUSBのオスとメスのどちらか側に統一して印を付けるという決まりでも設定しておけば解決するのに、ああいう表裏が区別つかないものを平気で世の中に普及させた奴って、どういうバカなんだろうな。
 USBを差し込もうとして入らなくて逆にするという、1回1回はわずかなタイムロスでも、全世界のPCユーザーが毎日のように繰り返すロス全体を考えると、ものすごい経済損失じゃないか。USBというのはすごい発明なのかどうなのか知らんが、そういう点に想像力が及ばなかった設計者は、バッカじゃねぇのって思うわけよ。
 PC関係のプラグって基本的にすべて使いにくい。使いやすさを追求していない。極端なことをいうと暗闇で手探りで差し込もうとしても差し込めるくらいに、例えばメス側入口に誘導部を設るとかさぁ、なんか工夫できるだろ。
 おそらくそんな声はかねてからあったのだろう。次世代USBは表裏どちらからでも差し込めるようになるらしいが、それがデバイス全体に行き渡るまでにはまた時間がかかるし、今のUSBでは解決しない。そこで私はUSBのオスメスすべてに赤い小さな丸シールを貼り付けている。これで入らなくて逆にするイライラは減少した。



こんな感じでPC本体、ノートPCなどすべてのUSBに赤丸シールが貼ってある。これで一発でUSBの表裏を合わせられる。真似したい人は真似してもいいけど、特許使用料は貼り付け1件につき1億円だからね~。

2013年11月30日(土)
死後の世界
 一昨日、フジデレビの臨死体験を取り上げた番組はすごかった。見ていて鳥肌が立った。臨死体験をしたのはアメリカの著名な脳神経外科医。幼い頃から科学で証明できないものは信じなかった彼は、当然のことながら死後の世界を完全に否定していた。しかし、自らの臨死体験によってその考えを180度変えたという。彼が死後の世界の存在を確信するようになった理由は十分に納得できるものだった。

 この医師は赤ん坊の時に実の親と生き別れ、育ての親の元で養子として育てられた。やがて長い年月を経て、ついに実の両親との再会を果たす。しかし、その翌年、54才の時に細菌性髄膜炎で昏睡状態となり臨死体験をする。その臨死体験とは、美しい世界で見知らぬ女性に出会い、帰るように促された…というものだった。7日ぶりに奇跡的に意識が戻り、無事退院。その後、実の両親から、36才の若さですでに亡くなっていた妹の写真が郵送されてきた。それをひと目見て驚愕する。臨死体験中に出会った女性は、まさに一度も会ったことがなかった実の妹だったのだ。彼が昏睡状態にあった時、まだ妹の顔は知らなかった。しかもこの時、彼の脳は炎症が全体に広がり、活動をほとんど停止した状態にあった。だから古い記憶から呼び起こされた幻覚ではなく、死後の世界が存在するとしか思えない…と彼はいう。
 脳の専門家自身が体験したことでもあり、高い説得力を有する証言であるのは間違いなさそうだ。

 ところで今年、週刊現代3月16日号に「東大病院の救急部長が語る死後の世界」という記事が掲載された。新聞広告で知り、興味深く感じて買って読んでみた。臨床医として多くの「死」に立ち会ってきた、その医師は「医療の現場では、最新医学でもまったく説明のつかない事象に満ちており、医学的に見て助かりそうな人が突然亡くなり、死にそうな人が奇跡的に回復し、肉体的には死んでいるはずなのに何日も生き続けている人がいる─こうした事例を数多く見るにつけ、私は次第に、人間の生死には我々の理解を超えた「何か」が働いているのではないかと考えざるを得なくなったのです」と語る。
 そして「現在、我々人間が解明できている『世界』はごく一部でしかありません。言ってみれば、人間は巨大なゾウの身体の上を這い回っているアリに過ぎません。アリがいくらゾウの体を探検したり、研究をしたところで、結局、それはミクロな発見でしかありません。マクロなゾウの全体像は、アリの能力では決してつかみきれない。それと同じことなんです」とも。まったくもって仰るとおり!! 純粋な論理でもって現象に真摯に向き合う「本物の科学者」は、科学を熟知しているからこそ、その限界も知っているということだ。科学はこの世のすべてを理解している…というのは、実は科学を知らないニセモノがいう台詞に過ぎない。まさに我が意を得たりである。
 さらに「一回きりの人生しか生きられないというのでは、あまりに理不尽としか思えない。しかし人には霊魂があり、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしているということになる。この考え方に立つ方が多くの人がより幸せになるのではないでしょうか」と結ぶ。


 お二人とも先入観なしに柔軟な発想で物事をよく観察され、よく考えられている…と感じた。私は霊魂も死後の世界も否定しない人間だが、これらの体験や意見に接することができたのはよかったと思う。特にアメリカの脳神経外科医の臨死体験例は、少なくとも死後の世界が存在する可能性が、これまでよりも高まったといってもいいかもしれない。それくらいの衝撃的な内容だ。

2013年11月29日(金)
新生児取り違え
 60年前の出生直後に病院で取り違えられていたなんて、こんなことがあっていいのだろうか。「悲哀」という言葉で、簡単に片付けるわけにはいかない。これまでもあったことだが、それにしても恐ろしいほどの重大なケアレスミスである。わずかなミスで、二人の人間の60年という人生をまるで違ったものにしちゃったわけだ。特に今回の場合は、当時、間違えた張本人の看護士もすでに故人になっている可能性が高そうだし、もしそうであるとしたら、ご本人は自分がそんな重大なミスをしたことに気づかないまま人生を終えているわけだ。医療関係者でなくても、誰でも他人の人生に影響するようなミスをすることは十分にあり得るわけだが、病院というのは、些細なミスが重大な結果に直結しやすい。またちょっと気になるのは、そのうっかりミスが本当に1回だけだったのかという点である。
 取り違えられていた男性が、記者会見で、「初めはまさか病院がそんなミスをするとは思わなかった」と仰っていたが、患者を間違えて別人の健康な臓器を切り取ったり、右肺と左肺を間違えたり…という医療ミスが時々あることからすれば、新生児の取り違えがゼロであるはずがない。おそらく今回の報道をきっかけにして闇に埋もれていた同様の事案が、今後いくつか出てくるだろう。


2013年11月26日(火)
立山の雪崩
 立山で雪崩により7名もの死者が出た報道には驚いた。何とも言葉がないが、NHKのニュースで上空から現場を撮影した映像を見て気になったことがある。それは、雪崩発生地点最上部の新雪斜面に山スキーヤーの滑走跡がくっきり残され、滑走跡の半分が雪崩によってきれいに切り取られたように消えていたことだ。報道では、ごく簡単に触れただけだったが、弱層の上に雪が積もった斜面において、人が徒歩かスキーで横切ったりすると、わずかな過重や衝撃がきっかけとなって弱層を境にして上部の積雪が崩れて雪崩が発生する可能性があるといわれている。つまり、あの雪崩は人為的要因も加わって起こった可能性も疑われるということだ。山スキーヤーが滑走しなくても、いずれ発生したかもしれないが、もしそれが原因だとしたら、何とも罪なことである。
 イマドキの登山者や山スキーヤーに、そういう雪崩の知識を期待してもまったくの無駄なのだが、それにしても本当に人事ではないなー。実に恐ろしい。山の素人に殺されたくねぇぞ!!


2013年11月22日(金)
小さな旅
 今月に入ってから、本サイトの山岳記「ボッカさん」のアクセスがなぜか増えて不思議に思っていた。昨日、ある仕事の確認で片品村観光協会のサイトを見ていて、その理由が判明した。今月初旬に尾瀬のボッカさんを取り上げた番組が放送されたのが原因のようだった。その番組とはNHKの「小さな旅・尾瀬を背負いて」。なるへそ! だったら納得。番組を見て「ボッカさん」を検索した人が見てくれたのだろう。
 ところでNHKの「小さな旅」って今もやってるというのは知らなかったなぁ。見なくなったと思ったら日曜日の朝8時に移っていたようだ。それにしても長寿番組だよな。私が大学進学のため上京したときにすでにやっていた。当時は関東ローカル番組で「関東甲信越・小さな旅」だった。時々、山旅を取り上げていたので、よく見ていた。今もあのテーマ曲を聞くと旅情をそそられ、どこかに行きたくなる。


2013年11月19日(火)
アイソン彗星接近
 「世紀の大彗星」ともいわれるアイソン彗星が近づいている。今月29日に太陽に最接近するが、それまでに明るさがどう変化するかに注目している。一時は満月よりも明るくなると予想もされたこともあって、かなり期待していたのだが、残念ながらそこまでの明るさにはならないようだ。
 本当はしっかりした天体望遠鏡でドアップ撮影したいところだが、それは無理なので、200ミリくらいの望遠レンズでガイド撮影するしかないだろうな。ただ、ガイド撮影とて高校生以後まったくのご無沙汰状態だし、いろいろ準備も必要。しかも撮影に適した場所を探して行く手間とか考えると、ちょっと迷っちゃうな。中学生の時に買った、もはや骨董品レベルのタカハシ製4センチポータブル赤道儀は未だに持っていて、たぶんそれを使って撮影は十分可能だと思うが…。最悪、三脚に広角~標準レンズを装着したカメラで固定バルブ撮影でもいいんだけど、せっかくアイソン彗星が太陽目指して遠路遙々やってくるわけだから、やはりその姿を格好良く激写したいしな~。


2013年11月18日(月)
ポジフィルムのデータ化
 かつて取材といえば、ポジフィルムを多めに持参し、数ヶ月ごとにまとめて現像に出していたものだが、5年くらい前から完全にデジタルカメラに移行。今やフィルムカメラ自体、売り払って手元にはないが、撮りためたポジは、まだまだ写真原稿として使える。
 確かに風景写真みたいに経年変化するものは使用する内容によっては賞味期限も考慮しなければならないものの、植物写真みたいなものは経年変化することはないので、劣化さえなければ数十年後でも問題なく使用できる。
 ポジの劣化や退色は、昔に比べればその耐性が格段に上がり、私が過去に撮影した1980年代のポジを見ても、あまり退色感を感じないことも多い。その一方で1990年代後半のもので、少し変色した気がするものもあり、おそらくフィルム自体の耐性、現像時の使用薬品、あるいは保管環境…などの諸条件の微妙なバラツキに原因があるのだろう。そんなこともあって、なるべく劣化する前にデジタルデータ化しようと思い始めた。

 そこですでに1年以上前からポジをスキャナーに通してデータ化する作業を時々、気が向いた時に続けている。退色はデータ上で補正できるが、カビみたいな変化が発生する前に、なるべく新しいうちにデータ化しておけばあとあと手間がかからないし、バックアップ的な意味だけでなく、メール添付で入稿できるなど、いろいろ利点も多いからだ。

 私は、ライブラリーに預けてある分も含めれば過去に撮影した35ミリと中判合わせて、ざっと計算して15万カットくらいのポジを所有しているが、重複しているカットも多く必要なものだけに限定すれば、それほど困難な作業ではないと思っている。まあ目標としては時々ヒマを見つけて作業して5年後くらいに完了するのを目指すつもりだ。


2013年11月13日(水)
わが広島県にもくまモンみたいなキャラクターがほしい
 広島県も「おしい」は「おいしい」の一歩手前ということで「おしい!広島県」という観光PRやってるけど、やっぱ、くまモンみたいな存在感抜群のキャラクターがほしいところだ。しょうがねぇからオイラが考えてやるよ。

 そうねぇ。えーと。クマもんを大いに参考にさせてもらって「くまもと → くまもん」ってことは「ひろしま → ひろしまん」。 広島県限定で平和を守る正義の味方・ヒロシマン!! これっきゃない!!


ヒロシマンの秘密その1
 ヒロシマンは、正義の味方だけど、平和を祈る土地柄を考慮して戦闘は一切しない主義なのだ。だから、悪の組織と対峙する時の得意技は…


 これだっ

説 得


ヒロシマンの秘密その2
 ヒロシマンは、仮面ライダーみたいに燃費の悪そうなバイクをバリバリいわせながら登場するのはエコではないと考えているので、専ら愛用しているのは…


 これだっ

電動アシスト自転車


 だから県東部で善良な県民に危険が迫っていても、途中充電しながら自転車をこいでチンタラ行くので、到着には3日を要する。着いた時はすでに広島県警によって事件は解決されていることも多いのであった。ついでにいうと広島に本拠地を置く指定暴力団・共政会がらみの事件には、怖いので見て見ぬふりをすることにしている(ヒロシマン談「対応はチョー無理っス」)。

 そんな愛すべき広島の新世代ヒーロー・ヒロシマンを県民は温かい目で見守っているのであった。


2013年11月9日(土)
インフルエンザ予防接種
 昨日はインフルエンザの予防接種を受けに近所の病院へ行ってきた。例年よりも少し早いが、ちょっとめんどうな事案(というほどでもないが)は思い立った時にさっさとすましちゃおうというわけだ。
 いつものことなので自宅で体温を測って行き(測ってなければ体温計を渡されて測るように求められる)、待合室で過去の接種で熱が出たことがあるかなどの問診票に記入するだけ。しかも混雑していなかったので、すぐに終わった。病院によっても子供や老人の場合も違うだろうが、接種料金は3500円だった。ちなみに健康保険は使えないので、保険証は不要。
 インフルエンザの予防接種率は高くないようだが、こういう飛沫感染する感染症というのは自分だけの自己責任ですまないことだから他人に迷惑をかけないという意味においても接種するのが望ましい。


2013年11月7日(木)
会員誌
 今年から某大手銀行の会員誌にちょっと関わらせて頂いている。今春に出た創刊号では、表紙に私の写真を使って頂き、第2号からは連載も始まった。今も来春に出る号の連載原稿を書いているところなのだが、特定企業の顧客向け情報誌なので取次の流通ルートに乗ることは一切ない。つまり通常の出版物とは、まったく別の世界ということになる。
 昨年の年末、制作担当会社の人と打ち合わせた折、創刊号の部数を聞いて驚愕した。具体的な数字は書けないが、おそらく私が過去に関わった全出版物の中で最大なのは間違いなさそうである。

 出版業界の人は、みんな業界に精通していると自認していると思うが、実は詳細に事情を知っているのは自分のまわりだけで、人脈を通して多少の情報は得られるにしても他社の内情まで詳しく知れるはずもない。ましてや市場に関係せず表に出てこない、こういう出版事情になると、おそらくほとんどの出版関係者は知らないだろう。私もこの仕事を引き受けるまで、こういう分野についての知識はまったくなかった。しかし、実際には知らないところで巨大部数の出版ビジネスが存在していたわけだ。自分が知る業界事情もまだまだ大したことないな、とちょっと反省した次第である。


2013年11月6日(水)
最近のニュースで感じたこと
くまモン赤いほっぺ紛失

 なぬ~。そりゃ国家レベルの一大事!! 近年稀に見る大事件!! 赤いフェルトを丸く切って新たに作ればいいじゃんって本当のこといってないで、みんなも探索に協力しよう。あ、でもボクちんは、お仕事が忙しいのでお断りします。(結局、県の広報戦略の一環だったみたいだけど)

 でもなぁ、そもそも九州のツキノワグマ個体群って、捕獲例は1941年以降なく、確実な目撃も1957年以降ないことから絶滅したとされている。つまり、くまモンの出自自体が、大いに疑問なんだけどなあ(笑)。くまモンのオフィシャルサイトによると、生まれたところは熊本県になっている。確かに時々目撃例もあるので生存している可能性もないわけじゃないけど、本当に熊本出身ということになれば、実は動物学上、大ニュースになっちゃうよーな話なのだっ!!  この矛盾はなんとしても熊本県庁に突きつけて、回答を迫るのだっ!!
 えっ!? くまモンには三日月模様がないのでツキノワグマじゃないって。あーそうなんだ~。じゃあ何グマなんだろう? 



山本議員、天皇に手紙

 こういう人がどうして国会議員になれるのか、そこからしてよくわからないのだが、天皇に原発問題を直訴して何の意味があるのだろう? 政治権力を持たない天皇は、いくら手紙をもらっても何ひとつできないってことをこの人はまるで知らなかったことになる。そんな人が国会議員ってどう考えても笑っちゃうよな。そもそも何度も被災地を訪れ、多くの被災者の声を直に聞いている天皇よりも自分の方が被災地の現状をよく知っているかのような前提も何か勘違いしているとしか思えない。
 しかも週刊誌に叩かれていた時期も、その背後には闇の勢力があって、それが山本太郎を潰しに来ているみたいなことを真剣に語っていたそうである。コイツ、本当にバカじゃねぇの。
 国会議員に当選したという驚きのニュースを聞いて以降、いずれ何かやらかすんじゃないかと秘かに思っていたのだが、こうも早々にその懸念を見事に実行してくれるとは、さすがに予想外だった。


 世の中には人を見る目がない人っていっぱいいる。そういう人たちが、反原発というキーワードによって、ある程度まとまれば、こういう民主主義の誤作動みたいなことが容易に起こっちゃうということなんだろう。大体、中核派から支持される人物に投票する人の気が知れない。あ、中核派といってもわかるわけねぇか。
 まあねぇ、社会人という枠組みの中で、みんな、いっぱしを気取っているけど、ぶっちゃけ、すごく大雑把にいっちゃえば世の中の半分はバカだからね。


2013年11月2日(土)
スーパーと女優
 今や大変ご活躍されている女優のAさんは、以前から広島市出身なのは知っていたが、私の郷里の隣町出身だったことは比較的最近知った(区は違うが)。芸能界にはまったく興味がないので、別にファンじゃないけど、同じ広島市出身ということで贔屓目もあるし、たぶん普段もあの天然系のままなんだろうなって割と好意的に見ている。
 ところでわが郷里には、私が高校生の頃の一時期、売場面積単位の売り上げで日本一になったことがあるスーパーがあり、のちにイオン傘下になったが、今でも値段は安いし、よく売れるので野菜も魚も新鮮ということで固定客が多く、特売日には買い物客でごった返す。一方、そのスーパーよりも値段は高いが、品質で勝負する別のスーパーも近くにあって、周辺の町の人からは、スーパーが充実しているので、うらやましがられることもしばしば。だから、隣町からわざわざ車で買い物に来る人も多い。
 そんな状況もあってか、Aさんのお母さんもそのスーパーによく買い物に来られているらしい。そっくりだから、すぐにわかるんだとか(笑)。ひょっとすると女優になられる前にご本人ともスーパーですれ違っていたりするかもしれないなあ。

 
2013年10月31日(木)
某政党からお金を頂く
 って書くと変な誤解されそうだけど(受け狙いに決まってます)、でも本当にお金を頂いてラッキー!!って話。
 取材中はいつも、ひと仕事を終えた夕方にノートPCに携帯か高速データ通信端末をつないでメール受信をしている。もちろん北海道滞在中も例外ではない。そんなある日、写真を預けている某フォトライブラリーから今月分の支払い明細が届いた。大して期待していなかったのだが、明細pdfを開けてビックリ。そこには予想を超える金額が書かれていた。金額が増えたのには当然、理由があった。昨年、愛知県で撮影した写真が、某政党のポスターや機関誌、さらには新聞広告などに複数使用されたからだった。まさか、支持していない政党からお金を頂けるとは思ってもみなかったな~。写真のご使用、誠にありがとうございます。お陰で、その日以降、しばらく気分がよかったぞ!!
 使用された写真というのは、取材途中に偶然通りかかり、きれいなので撮影したのだが、三脚を立ててじっくり撮影したわけではなくて、車の窓から身を乗り出して、手持ちでパシャパシャ撮影したうちの1カットだった。もちろん、そういう撮影の仕方であっても、ピントやブレ、構図などは何の問題もなかったからライブラリーにも預けたわけだが、逆に手間ヒマかけても全然使われないことも珍しくないし、まあ写真が使われるか否かってのは結局、運も大きいんだよね。それにしても政党に自分の写真をご使用頂いて、お金をもらったのって初めてだなあ~。しかもポスターなんぞに使って下さるとは、あーありがたやありがたや


2013年10月30日(水)
実用手前の高速増殖炉があるって知ってた?
 高速増殖炉といえば、冷却剤として水ではなく金属ナトリウムなどを代わりに使用することでウランをプルトニウムに変えて核燃料を増殖させる原子炉。日本では実験炉「もんじゅ」が有名だ。しかし、いうまでもなく「もんじゅ」はナトリウム漏れなどのトラブル続きで先が見えないし、原発大国フランスでも開発を断念したことから、技術的なハードルが相当に高いのだろうとばかり私は思っていたのだが、先月27日の朝日新聞にロシアの高速増殖炉は今のところ世界で唯一順調に発電を続けていて、実用化に向けて最終的な検証に入った…とする詳しい記事にまとめられていて驚いた。えーっ!? 順調に運転してる国があったなんて知らなかったぞ。
 記事によるとロシアでも開発の道のりは平坦ではなく、「もんじゅ」と同じようにナトリウム漏れに悩まされたそうだ。その回数はなんと27回。しかし93年を最後に起きていないという。また肝心の核燃料サイクルも完成しているわけではないようだが、「もんじゅ」から想像していた高速増殖炉の実態とは様相が随分異なるようである。
 かといって日本も「もんじゅ」を諦めるなという意味で、この話題を取り上げたわけでもないし(逆に諦めろともいわない)、原子力の是非について何かいうのは長くなるのでやめておくけど、意外な事実だった。朝日新聞のイデオロギーには同調しないのだが、科学関連の記事は本当に感心するほどレベルが高い。こういう事実を取材して記事にする能力は朝日新聞ならではと評価したい。


2013年10月29日(火)
北海道取材日記 秋編 追記
 山で捻挫したり、季節外れの積雪に遭ったり、些細なアクシデントはいろいろあったが、夏、秋合わせて計約60日にもなった北海道取材がすべて問題なく完了したのは、とにかくよかった。秋取材でも車が何のトラブルもなく順調に走ってくれたことも助かった。うちのデリカくんは、深夜や早朝でもエンジンのスターターノブを回すと、「おっ、出発ですかっ!! 待ってました~」みたいな感じで、ブルルルンって勢いよくエンジンがかかるのは、まあ当たり前だけど、ホント頼もしかったなー。あんなに遠いところまで人間や荷物を運ぶ能力があるんだから、考えてみれば車ってすごい機械だよな。しかも宿泊施設まで兼ねてくれちゃってさぁ。
 いつものことなんだけど、こういう長期取材が無事終わると、ついつい車にもねぎらいの言葉をかけてしまう。タダの機械とはいえ、昼夜を問わず、ずっと一緒に行動していると、それを越えた存在にどうしてもなっちゃうんだな。

 ところで、夏と秋に北海道へ行ってみて、それまであった「津軽海峡」というハードルがかなり低くなったような気がする。青森でさえ遠いのに、そこからさらにフェリーで4時間…と思うと、これまでなかなか気乗りしなかったのだが、半年の間に2往復もすると、意外となんてことないな…という感じだ。フェリーの乗船手続きも慣れちゃったし、たとえ遠くても、本州とはひと味違う北海道の大自然の魅力を改めて認識したので、余計にそう思えるようになった。
 来年行けるかどうかはわからないが、とにかく次回は春に訪れたいものだ。撮影したい動植物が山のようにある。


2013年10月24日(木)
北海道から帰宅しました

 一昨日午後のフェリーで函館を発ち、夕方青森に到着。東北道を一路南下し、昨日の早朝4時に北海道秋取材から無事に帰宅しました。

 写真は黒松内町にある歌才ブナ林の黄葉。ここはブナ北限地として国の天然記念物にも指定されている。予定していなかったが、時間ができたので歩いてきた。森全体が色づくにはまだまだ早く、写真のようにきれいに黄葉していたのは、ごく一部の範囲だけだった。


2013年10月21日(月)
北海道取材日記 秋編 5
 20日は、夏の取材時には休館日で見学できなかった、環境省の「ひがし大雪自然館」に立ち寄る。博物館が刊行している研究報告の中には興味深いテーマがあったので5冊購入。こういう博物館の刊行物の中には、結構おもしろいものがあるんだよね。
 それはさておき、博物館の絶滅した動物の展示にニホンカワウソの説明があり、その上にエゾオオカミの模型とともにカワウソと思われる動物の剥製が置かれていた。剥製には説明がないので、ひょっとしてこれ、ニホンカワウソの剥製なのか? ニホンカワウソにしてはちょっと大きいようにも思えたが、まさかな~と思いながら博物館の人に聞いてみると、「いや、あれは外国の近縁種で…」とのこと。あ~やっぱり。ニホンカワウソの剥製って、どこにあるのか知らないし、見たこともないが、もしそうだとしたら、この際じっくり観察しようと思っていただけにちょっとガッカリしたな。

 ところでカブトムシはもともと北海道にはいなかったが、飼育しているものが逃げ出したりして、今は普通に生息しているという解説は、まったく知らない情報だった。それにしてもこういうのって実に好ましくない。
 外国産クワガタの輸入なんか最悪な話で、あれって「疑わしきは罰せず」という実に珍妙な論理から輸入を認めた農水省は万死に値するくらいの話なのだ。裁判にたとえて考えること自体、まったく不適切で、外国産クワガタには人格はないし、彼らが輸入されるのを希望しているわけでもない。おそらく、この愚策を決めた官僚は、在来種との間に雑種ができて、遺伝子汚染が起きることも、それがどういう意味をもつのかさえ、正確に理解していないのだろう。
 よくいわれるのは、高価な外国産クワガタをわざわざ野外に逃がす人はいないっていうけど、故意じゃなくて、うっかり逃げちゃったということはあり得る話で、特に子供の場合は、その可能性が十分にある。で、実際に各地で雑種が確認されていることから見れば、それが間違いってことは火を見るよりも明らか。加えて、このようにカブトムシの例から見ても同じことがいえるのだが、農水省の方針を環境省が許容している意味もまったくもってわからんね。

 ところで北海道取材日記も今日で最後になりそうだ。明日、函館を発ち帰途に就く予定。




チミケップ湖の紅葉。この写真はそれほどよくもないが、今年の紅葉は、場所により状況はいろいろだった。ダメなところもあったが、いいところもあった。


ひがし大雪自然館の展示


糠平湖から上川に抜ける峠道で見た残雪のシラカンバ林。

2013年10月20日(日)
北海道取材日記 秋編 4
 知床五湖は、その昔、中学生の時にも歩いているが、当時とは状況が一変しているということはすでに知っていた。ヒグマの高密度生息地なので現在では一湖までは高架木道が整備され、それがない二湖~五湖を一巡するコースは、レクチャーを受けてからでないと歩けないし、ガイド同伴が条件になる時期もある。しかし、ここのルールは、それ以上だった。食べ物は一切持ち込めないばかりか、飲み物は水かお茶しか許されないのだ。おにぎりとスポーツドリンクをザックに入れていたので、車に置きに戻った。ヒグマの嗅覚は敏感なので、食べ物の匂いで引き寄せてしまうからというのは、もちろん納得できるルールだが、ちょっと想像以上だった。
 とはいえ歩き始めると、ヒグマのことはあまり気にならない。すっきりした秋晴れに恵まれ、知床連山を背景に青い水をたたえる五湖の景観を堪能した。

 フレペの滝にも行ったあと、知床自然センターの食堂で、エゾシカ肉入りのカレーを試しに食べてみた。少しクセがあるものの、エゾシカといわれないと気付かないくらいの普通の肉の食感と味だった。
 このあと昨日まで積雪のために通行止になっていた知床横断道路で知床峠まで上がり、羅臼岳の雄姿を撮影。午後、斜里市街地にある斜里町立知床博物館を見学した。今は網走の道の駅にいる。



知床五湖の一湖と冠雪した知床連山


一湖に続く高架木道。これならヒグマが近づいても安心


知床峠から望む雪化粧した羅臼岳


濤沸湖を赤く染める夕日

2013年10月19日(土)
北海道取材日記 秋編 3
 結局、17日はタイヤチェーンを買わずに取材コース順路を時計回りから反時計回りに変更して対応することにした。反時計回りなら凍結している峠道を通らなくてすむからだ。おそらく北海道に滞在する、あと数日のうちにチェーンが必要になるような新たな降雪はないだろうとの読みもあった。無駄な買い物は極力避けたい。
 旭川から道央道で南下し、苫小牧から襟裳岬へ。忠類で一泊し、翌18日は道東をぐるりとまわって夕方には知床に着いた。今はウトロの道の駅でこれを書いている。今日はこれから知床五湖を歩いてくる予定。朝いちでスタートしようかとも思ったのだが、考えてみれば朝早いと湖畔から望む知床連山が逆光になる。少し遅らせよう。観光協会に聞くと、台風の影響で紅葉が落ちているかもしれないとのことだが、せっかく来たので一巡してみたい。



すっかり秋の景色に変わっていた霧多布湿原。建物は琵琶瀬にある霧多布ナショナルトラスト


霧多布岬で見た大海原に差し込む光線


春国岱の木道から。台風被害で木道が一部通行止になっていた

2013年10月17日(木)
北海道取材日記 秋編 2
 16日は朝いちで札幌近郊の登山口へ。前日、森林管理署に入林申請し許可をもらって、普段は鍵がかけられている林道の第1ゲートを越えて3キロ先の第2ゲートまで進入する。第2ゲート前の駐車場に到着すると、その片隅に登山者のものと思われるザックがひとつ、ぽつんと置かれているのに気づいた。この日は台風の影響で雨予報。おそらく直前に置かれたものではなく、昨日以前から置きっぱなしになっているものと思われた。

 それにしても忘れ物にしては、ちょっと変だなと思った。ストックや手袋、タオルみたいなものはうっかり置き忘れても不思議ではない。しかしザックを置き忘れるのは普通はあまり考えられない。悪い方に考えると、いろいろ想像してしまうような状況である。たとえば単独行の登山者がザックを駐車場に置いて、近くのヤブの中でキジ打ちの最中に倒れたままになっている…とかね。
 第1ゲート前の駐車スペースにもこの駐車場にも車は1台も残っていないので、その可能性は低いと思ったが、バスやタクシーで来た可能性もないとはいえない。それで念のため森林管理署に伝えておいたところ、3時間ほどして携帯に連絡があった。署員が現地に赴きザックを回収したあと、ザックの持ち主から落し物の問い合わせが来たとのこと。署の方で保管していると伝えたところ、見つけてくれた人にお礼がいいたいといわれて喜ばれていたそうだ。森林管理署の方で代わりにお礼を伝えておく…ということで、わざわざ電話してくださったのだ。詳しい経緯については不明だが、傍に置いたザックを車に積み込むのをうっかり忘れて帰途に就いてしまったのだろうか。とにかく悪い結果ではなくてホッとした。

 その後、旭川を経て名寄へ北上。名寄の取材を終えた頃には、台風の影響で寒気が入り込んだらしくて雨は霙になり、見る見るうちに雪に変わって、つんつん降り始めた。おいおい、ちょっと待てよ。まだ10月中旬だぞ!!
 山間の立ち寄り湯に行くと、あたりは白く薄化粧。30分くらいなら支障はないだろうと、ひと風呂浴びて駐車場に戻ると、さらに積もっていた。
 剣淵町の道の駅で車中泊の予定だったが、明日の積雪を考えると、少しでも南下しておく方がよさそうだ。案の定、塩狩峠ではスリップして道路わきの草むらに落ちた車があったり、峠道を越えられずに立ち往生している車もあった。いくら四輪駆動でもノーマルタイヤのデリカくんでは、明朝なら越えられなかっただろう。夜のうちに越えておいたのは正解だったかもしれない。

 17日、積雪のため予定していた美瑛周辺の取材を諦め、網走へ抜けようとしたが、上川のガソリンスタンドで聞くと、この先の峠道は完全に凍結しているので、ノーマルタイヤでは無理とのアドバイスを受けて、今はとりあえずUターンして旭川郊外に戻ったところだ。オートバックスでタイヤチェーンを購入するしかないだろうな。チェーンは持ってるけど、持ってきていないし、ノーマルタイヤはまだ交換時期ではないので、4輪ともスタッドレスタイヤに替えるのは経済的ではないし。




フロントガラスに吹きつける雪。士別市付近の国道で


雪景色の美瑛町市街地。


道道沿いの駐車場も真っ白。深夜から早朝にかけて除雪車が行き来して朝には道路の雪はほとんどなくなっていた。

2013年10月15日(火)
北海道取材日記 秋編 1
 先週から北海道に滞在中だが、早くも2日目に雨になり、終日ざぁざぁと降り続けて丸一日何もできなかった。その後も道南をまわるが、4日目にも雨になり、秋の天気は変わりやすいとはいえ、今のところ天気にはあまり恵まれていない。

 また北海道に渡った当日には、夏の取材も含めて北海道で走行した全林道の中で最悪の林道にも遭遇。それは国道から8キロも続く道で、途中、左にカーブする上り坂でアクセルを踏み込んでも前に進まず空回りし、押し戻される状況に「?」と思って降りて確認したら、雨で刻まれた深い溝の中に気付かないうちに左側の前輪と後輪を進入させてしまっていて、右前輪が十センチほど宙に浮いていた。すぐ手前にあった案内板に気をとられてしまって溝を見落としたらしい。
 前にも秋田の未舗装林道で似たような状況に陥り、自力脱出できずJAFに救援してもらったことがあったので、その時の体験が頭をよぎった。なんとしても同じ事態だけは絶対に避けたい。なぜなら仮に脱出できずに救援を依頼することになった場合、ここは市街地から遠い深山の中。現場はもちろんのこと、たとえ国道まで歩いて降りても、そこでも携帯が通じない可能性があった。そうなると、事態はかなり厄介だ。
 心の中で「こういう時こそ、テンパってはダメだ。冷静に冷静に」と自らにいい聞かせながら「4WD LOCK」を選択し脱出を試みる。とりあえずソロソロとバックさせてみたら、スタッグもせずに脱出に成功。「あ~よかった」と心底、安堵する。
 ほかにも石だらけの箇所があったり、路面の左右に深い雨溝が2本できていて、溝をまたぐこともできず、溝の間を抜けるしかない箇所もあった。しかも溝の間は車幅ギリギリ。溝に落ちないように注意しながら通り抜けたが、同じ場所を帰路も通らなければならないので、ヒヤヒヤも2倍。とにかくスゴイ道だった。こういう悪路を走るときはホントに神経をすり減らすんだよね~。

 深夜青森発のフェリーではエンジンの振動でよく寝れなかったこともあって、この日は寝不足。加えてこのような悪路に神経を使いまくったせいで無事に国道に戻ってきたら、どっと疲れが出てしまった。まだ1時過ぎだったが、このまま取材を続ける気力も失われ、近くの駐車場で爆睡。適度な冷涼気温だったこともあって、すごく気持ちよく寝てスッキリした。




マッターホルンのような駒ヶ岳。煙突のような岩塔がなんともスゴイ。


島牧村の賀老の滝。日本の滝100選に選ばれた名瀑。

2013年10月7日(月)
ストレスで頭がハゲになりそうだっ…という話
 私は、まったく知らなかったのだが、2年前の3.11以後に体内に取り込んでしまった放射性物質を排出させる手段として「米とぎ汁乳酸菌」なる方法がネット上で話題になり、多くの人が実践していたらしい。そういうネット記事を昨日たまたま目にした。今日はその話を。

 その方法というのは、米のとぎ汁をペットボトルに入れて常温で1週間寝かした上で、塩や黒砂糖を加えて作る。それを飲用すると、培養された乳酸菌・光合成細菌・酵母が体内の放射性物質を排出するのだという。これに対して、当時も専門家からは疑問視する意見が相次いだそうだが、これを考案・推奨している人物は「米とぎ汁の乳酸菌は,世界一強力な発酵菌群を含有しているのだ」といって反論しているとか。

 この反論はネット記事に載っていたものなので、正確に拾っていない可能性もあるが、もし発言のままとしたら、これだけで「?」である。「米とぎ汁は、世界一強力な発酵菌群を含有している」というのなら、まだ意味が理解できる。しかし「米とぎ汁の乳酸菌は,世界一強力な発酵菌群を含有している」では、意味不明だ。なぜなら、乳酸菌の中に別の発酵菌群が含まれている…つまり菌の中に別の菌群があるといっているようにしか読めないからだ。記者がうっかり書き間違えた可能性もあるが、発言通りだとしたら意味がまったくわからん。

 そもそも「米とぎ汁」を常温で1週間寝かすと、乳酸菌だけでなく有害な雑菌も一緒に繁殖する可能性が高い。それは専門家の否定的な見解通りである。しかし、この方法を実践し、自分だけでなく乳児や子供に飲ませてる人々が大勢存在するらしい事実を知って唖然とした。

 うーーーーーーーーん。なんじゃ、そりゃあああああ。〈目眩〉〈目眩〉〈目眩〉〈目眩〉〈目眩〉〈目眩〉〈頭痛〉〈頭痛〉〈頭痛〉〈頭痛〉〈頭痛〉〈吐き気〉〈吐き気〉〈吐き気〉〈吐き気〉〈吐き気〉。その事実を聞くだけでストレスが溜まって血尿が出そうだぞ。いや!! 極度のストレスで、頭がハゲちょろけになりそうだっ。やばい!! いくらアデランスやリーブ21があるといっても、ま、まだハゲにはなりたくないっ。……しっかし、それにしても、なんかもう末法の世だな。

 これまでも何度も指摘してきたことだが、世間一般の科学音痴ぶりなんて、とにかく「すさまじいレベル」だってことに気づいた方がいいだろうね。まずは自分たちのレベルを正しく認識することから始めよう。そうじゃないと、自らの健康や命に対するリスクを避けることすらできない。

 「乳酸菌の大量培養装置を手がける会社関係者」という肩書きだけを見れば、なんとなく微生物の知識がある人物のように見えるが、微生物どころか、科学の基礎知識すらも持たない人物であろう…と私は単純にそう感じた。それでネット上に掲載されていた略歴を見て、「あーやっぱりね」と思った。立教大学法学部卒。それなら、ある意味、理解できる。どういう経緯でそういう自信がついちゃったのか知らないが、きちんとした科学教育を受けたこともなく、どこかの大学で専門家の指導を受けながら微生物の研究をしたこともない法学部卒の人物であれば、そういうイタイ言動をしても不思議ではない。
 こういう視点で正体を見抜けず、自らの健康を損ないかねない有害行為をせっせせっせと手間暇かけてやり続けているバカは、ほっとこう。たとえ食中毒で死んでも、自己責任だろ。ただ、自分で判断できないうちに親から有害液体を飲まされる子供は本当に気の毒だけどね。

 ところで、もうそろそろ北海道へ出発する予定。紅葉の様子などは、追々アップします。秋はヒグマがサケとか採りに川に出てきそうだしな。とにかく気を付けよう。ヒグマを激写したい反面、実際面と向かってお会いするのは勇気がいりそうだしな~。


2013年10月1日(火)
自宅に戻った
 昨日早朝に実家を出て一路、山陽道を東進。名神道から外れて、途中、福井県敦賀市で2ヶ所寄り道取材して、夕方、久しぶりに秦野の自宅に戻った。広島県内のICでは、高速道路と料金所を結ぶ接続道路上で、何かの事故があったらしくIC自体が閉鎖されていた以外は、事故も渋滞もなくスイスイ流れた。近年は新名神道から伊勢湾岸道へ抜けるルートばかり通るので、伊吹山を望むあたりは久しぶりでちょっと新鮮に感じた。

 今年は実家に帰ったり北海道、九州、四国へ行ったりで、自宅を不在にする期間が実に多った。不在中はいつも、新聞はあとで目を通したいこともあって「取り置き」を依頼し、帰宅後にどさっと持ってきてもらうのだが、北海道から帰宅して受け取ると1ヶ月半という長期間にも関わらず、ひと目見ただけで異様に少ないことに気づいた。調べてみると、やっぱり! 抜けてるわ抜けてるわ。よくもそんないい加減な「取り置き」をしておきながら、平然と「これがすべてです」と持ってくるよな。たとえ1日分抜けていたとしても定期購読料から差し引くのがスジって話で、適当に取り置きしておいて、通常の購読料を取ろうなんて図々しい。
 すぐさま新聞販売店に電話して、不足分は翌日、持ってきてくれたが、6月下旬の抜け分はもう販売店内になかったようだ。おそらく神奈川県内の支社に連絡するなどして探してくれているのだろうが、その後すぐに、また不在ということになったので、未だにその結果は知らない。ないならないで仕方ないが、その分は来月の購読料から差し引いてもらわないとね。
 今回、帰宅したので取り置き分を持ってきてもらおうかと思ったのだが、実は近々再び北海道に行く予定なので、そのあとにまとめて受け取ることにした。今回の北海道行きは、北海道の大自然に魅了されてまた行きたくなった…という話ではなく、夏の取材中からそのつもりだった。一度にすべて終わらせるのは無理だったこともあるし、紅葉期の北海道を取材したかった別の事情もある。そんなわけで「北海道取材日記 秋編」も近々スタートします。ただし、今回は2週間程度なのでそんなに更新できないと思うけどね。


 
2013年9月29日(日)
びっくり
 ちょっと前のことだが、かなり驚いたことがあった。それは某大手製薬会社の現社長が、実は知っている人だったからである。その会社の主力商品の名前は、日本人なら誰でも知っている超有名企業である。
 昔、近所に住まれていて、お母さんは母とも親しかった。私よりも何歳か上くらいで、母は下の名前で「○○くん」と呼んでいた。大学卒業後に渡米されて就職されたことまでは聞いていた。それが、久しぶりにその名前を聞いたと思ったら、なんと大手製薬会社の社長に就任されていたわけだから驚かないわけにはいかない。その会社のサイトを見てみると、確かに「社長からのご挨拶」みたいなページに写真入りで掲載されていた。
 私が知る人の中で出世頭かもしれないな。社会的地位とか名誉とか、あまり関心がない私から見れば、「大企業のトップなんて大変そうだなあ」という感想しか持たないが、どちらにしてもかなりすごいことには間違いない。今後もご活躍を期待するばかりである。


2013年9月22日(日)
最近のニュースで感じたこと
東京五輪開催決定

 2020年のオリンピック開催都市に東京が決定した。やはりどうなるか気になって、早朝5時にPCのテレビを起動させて投票結果を見守った。決定した瞬間、やはり日本人としてうれしかった。それにしても前回、立候補した時の世論もマスコミも至って批判的だったのに、この盛り上がりは一体なんなんだろうね。立候補を批判していたテレビ局は、オリンピック関連の番組をまさか組んだりしないだろうな(笑)。批判するのは大いに結構。だが、最後までその姿勢を貫き通して頂きたいものだ。

 前回は、施設整備に金がかかることを挙げて「無駄遣い」との批判もあった。しかし、単に箱物に金がかかって国や都の支出が増える…という単純な構図ではなく、世界的に注目される世紀の祭典であれば、景気にも影響するだろうし、経済効果も大きいはずで、要は「費用対効果」で判断すべきだと思うんだけどな。


宮崎駿監督引退

 ジブリの宮崎監督が引退されるそうだ。映画館に足を運んだことは一度もないが、監督の作品はどれも夢があり、楽しませてもらった。思えば大学の入学式の直前、東京のアパートで、劇場公開中から評判が高く、天声人語でも好意的に取り上げられていた『風の谷のナウシカ』の、最初のテレビ放映を見て感動したことも昨日のことのようだ。本物のアニメ映画を作るプロ職人が、引退されるのは残念な一方、いろいろな意味で「もういいんじゃないか」とも思う。

 先日、朝日新聞にジブリの鈴木プロデューサーのインタビュー記事が載っていて、「改憲=戦争」みたいなことを語られていて、「この人は、そういう単純な人なんだ」ということがわかって、急にジブリに対するイメージが変わった。宮崎監督も同じく「護憲・反原発」という考えらしい。決して「護憲」論者を全否定するわけでもないのだが、「護憲」を語るのなら、もっとレベルの高い視点で物をいうべきで、これが著名人の意見かと思うと唖然とする。

 昨日、ある病院長のブログを読んでいたら、『風立ちぬ』の喫煙シーンを問題視した上で、「政治的な発言では、完全にお花畑の宮崎駿」と書かれていた。確かに鈴木プロデューサーと単純すぎる「護憲」を語り合うようでは、そう思われても仕方ない。

 ついでにいうと原発事故に関してはまともな主張をされている経済学者の池田信夫氏が、「タバコに甘い日本人」で書かれている内容は、私の認識とも一致し、まさに「我が意を得たり」という思いである。そこで宮崎監督を批判されているのだが、これも当たっていると思った。私は宮崎作品が好きではあるが、それと同時に池田氏の意見にも共感する。

 大広告主JTの顔色を伺うメディアが、禁煙学会を批判的に取り上げるのは、ある意味、非常にわかりやすい。そしてメディアに多用されることで懐が潤う科学者も、そんなメディアの事情を察してメディア寄りの発言をするわけである。それは科学的に正しいからではなく、自分にとって都合がいいからというだけなのだ。そういう不正義の科学者がいっぱいいることも知っておいた方がいい。

2013年9月19日(木)
鞆の浦へ
 昨日は両親と広島県福山市の鞆の浦へ行ってきた。鞆の浦といえば、宮崎監督が長期滞在して『崖の上のポニョ』の構想を練った場所としても知られる。近年は行き違い困難な狭い県道で慢性的な渋滞が発生することから、その緩和のために橋を架けるか、トンネルにするかで地域を二分する論争になったところでもある。歴史的には海援隊のいろは丸が沈没したあと、坂本龍馬らが上陸した場所でもあり、沖合の仙酔島とを結ぶ市営渡船は「平成いろは丸」という名前が付けられていた。
 島の入り江には、美しい白砂が広がり、いたって穏やかな海はいかにも瀬戸内らしい。一方、鞆の浦には、古い商家や民家が軒を連ね、ひと昔前の風情たっぷり。また国産大豆、無添加、しかも古い製法でこだわりの手作り豆腐を作る豆腐店もあった。その豆腐を買ってみたが、すごくうまかったなぁ~。
 このあと岡山県にちょっと足をのばし、浅口市の国立天文台岡山天体物理観測所と岡山天文博物館へ。博物館は月曜休だと思っていたのだが、連休の関係で代替休館中。しかし天文台の主力、188センチ反射望遠鏡はドーム内を見学できた。かつて中学生の時にも訪問したことがあるが、博物館は建て替えられて様子が変わっていた。天文台には、国内最大の3.8メートル反射望遠鏡を新たに建設することが決っているそうだ。




仙酔島に到着した平成いろは丸。写真対岸が鞆の浦



仙酔島の美しい砂浜。いかにも瀬戸内らしい風景である



鞆の浦の古い町並み。石畳が続く路地裏は風情がある



国立天文台岡山天体物理観測所の188cm反射望遠鏡

2013年9月12日(木)
故障
 北海道取材では、あれほど未舗装林道を走ったにも関わらず、張り出した枝先でこすった跡が多少ついたくらいで、車はほぼ無傷。またタイヤがパンクしたのが一度あった以外は故障もなかった。ところが、撮影機材の方はそうはいかなかった。

 釧路湿原の木道でのこと。三脚を広げて雲台に三脚座で180mmマクロだけ取り付けた状態で、別のカメラに交換しようとしたところ、重心のバランスが悪かったらしくて、手を放した直後にレンズごと倒れてしまった。一瞬のことだったので手で支えることもできず、レンズは先端の方を下にして木道に激突。うわーっ、やっちまった!! と青くなった。確実にレンズが壊れただろうと恐る恐る拾い上げてみると、フードがひび割れていただけで、レンズは無傷。オートフォーカスもちゃんと機能する。あーよかった。不幸中の幸いだな。フードのひび割れは接着剤では直せなかったので、帰宅後に新しいものをメーカーの直販ウェブショップで購入した(約3000円)。
 でもレンズトラブルはそれだけではなかった。大雪山では、旭岳から下って、あと少しでロープウェイ山頂駅というところで、突然マクロレンズのオートフォーカスが動かなくなる。マニュアルフォーカスは使えたので、以降はマニュアルで撮影を続けた。広島に帰ったあとも取材で使わなければならないので修理に出せず、九州四国取材でも、マニュアルのまま使い続けたのだが、2日目には今度は常用ズームレンズの手ぶれ補正がおかしくなった。ガタガタと震動して手ぶれ補正どころではないのだ。手ぶれ補正スイッチをオフにすると撮影は可能だったので、そのまま使用し、広島に戻ってからマクロレンズと共に修理に出す(どちらもタムロン)。
 そのレンズは昨日、修理が終わってメーカーから返送されてきた。保証期間内だったので無料。しかも発送から返送まで8日というのは比較的迅速な対応である。ありがたい。故障の原因は、何かにぶつけた…ということではないのだが、6月に購入してからの2ヶ月間、一般的な使用環境に比べれば苛酷だったということもあるかもしれない。
 また北海道取材中にはカメラのD700のグリップラバー2枚が剥がれかけるというトラブルも発生。取材中はなんとかそのまま使用し、帰宅後にニコンに聞くとラバーの貼り替えだけでも7000円はかかるとのことだったので、自分で接着剤を塗って修理した。

 そして昨日は、実家の大型冷蔵庫がいきなり故障して冷えなくなった。もうかなり古いので修理ではなく買い換えることに。実家には大型冷蔵庫がもう1台あるので、とりあえず大きな支障はなかった。うちの場合は、もう一方の冷蔵庫に移動させ、入りきらないものは発砲スチロールボックス3個にスーパーで氷をもらってきて、新しい冷蔵庫が届くまで一時的に保管することで対応したのが、いきなり壊れると冷蔵・冷凍食品の取り扱いに大いに困ることを実感した。



2013年9月10日(火)
新しいHDDを認識しない!
 このところHDDの整理増設作業をしている。昨年末に突然NASにアクセスできなくなり、データを救出した直後に壊れた一件以来、バックアップはより慎重にしていたのだが、さらに完全な体制に進化させようというわけ。
 重要なのは自宅だけでなく実家にも完全なバックアップ体制を構築すること。実家にもバックアップしておけば、仮に自宅が火事や地震などに見舞われても、データを守ることができる。それで以前から壊れたNASからHDD本体を取り出し、フォーマットしてそのまま実家用のバックアップHDDとして使っていたが、その2TBHDDがそろそろ一杯になってきた。そこで1週間ほど前、ウエスタンデジタル社製の3TBHDD本体をアマゾンで購入(1万円は安い!)し、いつものように直付けしてみた。ところが、なぜかHDDを認識しない。ななな…なぜだろう?? いろいろやってみたが、やっぱり認識せず、商品を返品しようかとも思ったりした。しかし密封されたHDDを開封しているので、全額が戻ってこない可能性もある。
 そこでさらに調べて、ようやくひとつの方法に行き当たる。「コンピュータ」から右クリックで「管理」を選択。その「記憶域」の「ディスクの管理」で、「新しいシンプルボリュームを作成する」をクリックし、項目を選択(必ずドライブ文字を割り当てること。割り当てないと認識されない)。さらに表左側のディスク(1とか5とかの数字)部分を右クリックして、GPTディスクに変換を選択すれば、右半分の「未割り当て」も可能な範囲ですべて「正常(プライマリパーティション)」に変更できる。すると、ようやくHDDが認識されるようになって一件落着。さらにあ~、そういうことなのね。PCがHDDを認識しない理由はいろいろあるみたいだけど、今回は、意外と簡単な操作で解決した。
 今は、膨大な撮影データを移動させたり、コピーしたりを繰り返している。またバックアップフォルダがごっそり抜けてしまう事態を避けるために、表計算ソフトで撮影データ台帳みたいなものをつくり、確実にバックアップしたことやフォルダ内のファイル数まで確認した上で記載するようにした。これでフォルダがもれることはまずないだろう。
 またさらに東芝製の外付3TBHDDも購入し、全体の保管環境も少しわかりやすく整理することに。それにしてもどんどん増えていく一方のHDD。今後、容量単位のコストは低下する一方だろうが、膨大なデータをどう確実に管理していくかが課題だろうな。



デジタル写真データ保管台帳はこんな感じっす。

2013年9月1日(日)
九州・四国へ
 お盆休み明けに広島へ帰り、先週は九州と四国へ行ってきた。といっても九州2日、四国2日の駆け足取材だったが、おおむね天気にも恵まれ、ほぼ予定通りに無事終了。

 ところで北海道では、なぜか神奈川県から来たという人によく出会った。前の日記でも書いた樽前山山麓で出会った人、利尻山でしばらく一緒に登った人。道の駅で話しかけられた車中泊ドライブの人。加えて、雨竜沼で一緒に登った人も「義理の弟が相模原にいる」とおっしゃっていた。うーん、神奈川県の人口が東京都に次いで多いということはあるにしても、おもしろいように神奈川県つながりの人と出会う機会が多かった。
 「私は神奈川県から来たんですが…」といわれ、「えっ、そうなんですか。私も神奈川県から来ました」っていうと、「あっそうなの。神奈川のどこ?」…みたいな感じで話が盛り上がった。そして今回も九重の坊ヶツルで、たまたま立ち話した人がこれまた神奈川県民だった。ここまで連続するのもすごいなぁ。

 金曜日の午前中、石鎚山系の取材対象地から下山。車を出してほどなく雨が降り始める。前日の天気予報では、なんとか保ちそう感じだったが、予報よりも早く台風が接近しているのだろう。本当は愛媛・高知県境の山にも続けて登るつもりだったが、天候はさらに悪化するだろうと予想し、中止することにした。
 正午頃、面河の山岳博物館を見学したあと、カーナビに実家を目的地設定をしたときに表示された予想到着時刻は午後4時。久万高原町から広島までなら、そんなに時間はかからないだろうと思ったのだが、それは甘かった。面河から黒森峠を越えて東温市へ抜ける国道494号は、山の中にウネウネと続く行き違い困難な狭い道で、やたら時間がかかった。とにかく、行っても行っても険しい山の中。しかもガスって視界も不良。本当に市街地に出るのだろうか…とつい不安になるほどの道だった。
 東温市市街地へ出て、コンビニで遅めの昼食。雨にかすむ瀬戸内の島々を見ながら、しまなみ街道を抜けて山陽道へ。広島の実家に着いたのは、カーナビの予想時間よりわずか20分早いだけだった。




九重山群・坊ヶツルの渓流と平治岳


乗船した九四オレンジフェリー。大分の臼杵と愛媛の八幡浜を結ぶ。車両甲板から客室へ上がるのが階段じゃなくてエスカレーターだったのはびっくりした。

2013年8月23日(金)
北海道取材日記 追記4
 …で、結局、最終的にはこういうことになった

取材期間 2013年6月25日~8月9日 46泊47日

自動車走行距離 14300km

ガソリン代合計 213330円

撮影データ総量 1.2TB


 46泊47日という記録は、前回1995年の北海道旅行の35泊36日を更新して、人生最長の旅となった。


道の駅は、ほとんどが快適な環境だった。夜も静かで熟睡できた。清々しい朝を迎えて、今日も一日、取材がんばるぞ…という気にさせてもらった


出発前、ずっと積みっぱなしになっている物を精査して、不要はものは降ろし、必要なものだけにする。先代の車には、屋根の上にルーフボックスを取り付けていたので、結構いろいろなものを積み込めたのだが、今の車は室内は広いものの、ルーフボックスはないので、あまり余裕がなかったというのもある。ただしザックは大中小の3つを持参。取材資料となる北海道関係の本はカバーをはずし、プラスチックボックスにずらーっと並べてほとんど持参した。ただそうするとタイトルが見えなくなるのでフセンを貼って上から見てもすぐにわかるようにしておいた。また洗濯がしばらくできない可能性も考えて、多めに替え衣類を持参したが、結局、予備分は一度も使わなかった。撮影データを保管するポータブルHDDは1.5TBと1TBのものを用意したが、途中で1TBのものが一杯になりそうになったこともあり、深川市の家電量販店で1.5TBのものを追加購入し、3重の保管体制にした。加えてポータブルHDDの車内保管場所も3つとも別々にするなど、データを無事に持ち帰るという点では、徹底的な対策をしていた(データが失われると取材の意味そのものが喪失してしまうため)。



海が見える駐車場で、PC作業。カメラからデータを一旦、PCに転送してから、3台のHDDに再度転送するため結構、時間がかかる。フィルムカメラの頃は一切なかった作業で、それに費やされる時間は相当なもの。特にD800はデータ量が大きいので、余計に手間がかかった。



原野と放牧場の中に一直線に続くガラガラの道。北海道の道を走る時は、「カントリーロード」のBGMが似合う。それもジョン・デンバーの原曲「Take Me Home, Country Roads」ではなく、「耳をすませば」の日本語版の方がいい。

♪ カントリーロード この道ずっと行けば、あの町に続いてる気がする カントリーロード…

あの切ないメロディーが、北の大地の風景にすぅーとしみ込んで行く。前回、北海道を巡った時もそうだったが、今回もこのBGMに元気づけられ、長~い運転もこなすことができた気がする。




登山口で偶然出会い、道内の山事情をいろいろ教えて下さった森林管理署の方、登山中に紛失したストックの3段目を見つけて、「これ、落とされませんでした?」と渡して下さった登山者の方、雨竜沼湿原の登山口で挨拶し、なんとなく気が合って一緒に登り、話がはずんだ滝川市から来たという登山者の方…等々。取材先や山で出会ったみなさん。お陰様で大変、いい思い出を胸に帰途に就くことができました。ありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう!!

2013年8月17日(土)
北海道取材日記 追記3
 取材中に撮影した、そのほかの写真をまとめてご紹介。


知床で見たヒグマ映像を大公開!! 車載ハイビジョンビデオカメラが捉えたヒグマの姿に注目。画面中央、路面上の黒い点がそれ。この時点では150mくらいの距離だ


ヒグマ拡大①


ヒグマ拡大②。「きっと2脚が斜めになったテーブルが道路に置いてあったんでしょ」とかいわれそう。ムカつく~。はっきりしてなくて悪かったな。


ヒグマ拡大③。こっちの方がわかりやすいかな。「サルじゃないの?」って、北海道にはサルはいません!!



ニセコのストーンサークル(環状列石)。後は後方羊蹄山。ここは中学生の時に両親とドライブの途中に訪れたことがある。何かの資料を見て遺跡の存在を知り、現地で探したのになかなか見つからなかった。たまたま近くで畑仕事しているおばあさんに聞いてみると、「それなら、うちの畑の中にある」と案内してもらったことがあった。遺跡を見て、しばらく世間話をして帰る時に「お茶でもどうぞ」と誘って頂いたのを遠慮して失礼したことも思い出される。同じドライブで訪れた秋田・大湯ストーンサークルと合わせて、夏休みの自由研究テーマにしたのだった。そのためか、環状列石という言葉には今でも反応しちゃうんだよな~。

今回、懐かしさ半分で再度訪れてみた。周辺は随分開発されていて、私の記憶も曖昧ではあるが、当時の面影はまったくなくて、「あれ!? こんな場所だったっけ」と驚いた。ただ写真左手に写っている石碑は、変わらず当時のまま。




誰も知らないだろうが、これが礼文島だけに伝わるネコの品種・レブンネコである。古い時代にサハリンを経由して伝わったアムール川流域を起源とする大陸系のネコで、大陸では完全に廃れ、今では礼文島だけにごく少数の子孫が飼育されるだけになってしまった貴重なネコである。そのレブンネコに偶然遭遇したので激写した。…って、信じちゃった人誰ですか~? ウソだぴょ~ん。あ、礼文島で撮影したのはホント。江戸屋山道(えどやさんどう)で遭遇したこのネコは、反対側から歩いてきた私に気づくやいなや、警戒心むき出しで、左側をすり抜けようとしたので、イジワルして私も左側へ寄ってみると、慌てて右側に方向を変えて、逃げるようにすり抜けていった。何、警戒してんのよ~。とって喰うわけねぇだろ。小汚いタダのネコに興味ねぇよ(笑)






日記でも書いた利尻山で土砂降りに遭遇した翌日、駐車場で濡れたザックや登山靴を乾かす。曇天で時折、小雨がパラつく天気だったが、ある程度は乾かすことに成功。テールゲートにぶら下げている赤いのはザックカバー。「ふんどし」じゃないよ。



取材旅行の心強い味方、コインランドリー。写真は、たまたま見つけた美幌町のコインランドリーだが、携帯電話のiモードのタウンページで検索して行くこともしばしばだった。ただ、そこに表示された電話番号でカーナビ検索すると、店舗ではなくて、離れたところにある経営者の自宅が表示されることも…。コインランドリーは基本的に無人なので、連絡先は経営者宅になっているからだろう。

ところで美唄市のクリーニング店併設のコインランドリーでは、少し大きめの1回700円の洗濯機に入れようかどうしようかと、洗濯物を入れた大きなビニール袋を持って右往左往していると、お店の人が親切に「それくらいの量なら、隣の400円の洗濯機で大丈夫ですよ」とアドバイスしてくれた。こんなこと中国では絶対にないだろうな。逆ならあるだろうけど。あ~日本に生まれてよかったぜ。




北海道のコンビニといえば、このマーク。セイコーマート様だっ。いや~取材旅行中、本当にお世話になりました。っていうかお世話もたっぷりさせて頂きました。今頃、札幌市の本社では、オイラが毎日のように買い物したことによる7月の売り上げアップに喜んでいると思うな~(笑)。セイコーマートには、かつ丼とか、カレーとかを店内調理する「ホットシェフ」があるんだけど、どのメニューもとってもうまかった。日高地方の店で一度しか見なかったが、ホットシェフの麻婆丼は絶品だった。セブンイレブンのそれよりもうまかった。もう一度喰いてぇなぁ~。

北海道には、セブンイレブンやローソンもあるが、セイコーマートは田舎にも結構出店していて、前回の時は、利尻礼文にはコンビニが一軒もなかったが、今回訪問してみると礼文に1軒、利尻には3軒、セイコーマートができていた。とにかく便利で大いに助かった。ありがとうセイコーマート!!

ちなみにレジで精算するときに「クラブ会員カードありますか?」って必ず聞かれる。その度に「ありません」っていうんだけど、毎回毎回、なんとなく疎外感というか、寂しいというか。オイラも道民のみなさんと同じセイコーマートのクラブ会員になりたい!! といっても考えてみれば使う機会は非常に限られているなー。じゃ、いいや。


2013年8月15日(木)
北海道取材日記 追記2 ~取材旅行中に体験したちょっと奇妙な話~
タイヤチェーンをした4輪駆動車

 北海道取材を開始してまもない6月下旬のこと。とある登山口に到着すると、1台の4輪駆動車が停まっていた。間違いなく登山者のものだろう。人の姿はなかったので、すでに山へ出発したものと思われた。ひと通り周辺を取材して帰ろうとした時、再度その車をなにげなく見て、「あれ!?」と思った。4輪すべてにタイヤチェーンが巻かれていたからである。私が来るとき、さすがに林道には雪はまったく残っていなかった。つまり、昨日今日に来た車ではなく、4~5月頃の残雪期か、晩秋~初冬の雪が積もり始める頃に来て、何らかの理由でそのまま放置された、ということになる。
 タイヤチェーンは古いタイプの金属製で、すでにさび付いていた。ナンバーは地元のものだった。この車の運転手に何があったのか不明だが、おそらく登山が目的でここまで来て、車に乗って帰れない事態が生じてしまったのだろう。車が故障して動かなくなって仕方なく歩いて帰ったのか、それとも山で遭難したのか。林道には時々、森林管理署の人も来ているはずだから、この車のことを地元の人も気づいていないということはまずないと思うが、それにしても運転者が無事なのかどうか気になる状況ではある。


誰もいないのに暖かい…

 これも取材初期の頃の話。しとしと小雨降る日、とある登山口に向かった。そこはしばらく未舗装林道で山奥に入った場所にあり、きれいな無人小屋も建っている。周辺の写真を撮影し、いざその小屋に入ってみて異変に気づいた。部屋の中が暖かい…。部屋の中央に据え置かれた槇ストーブに手をかざしてみると高温になっているのがわかった。初夏とはいえ、この日は肌寒くてストーブがあってもいいくらいの気温ではある。しかし、小屋前の広場にあるのは私の車だけ。小屋には誰もいないのである。市街地からも遠く、徒歩でやってくる人がいるはずもない。ということは、ストーブを付けた人はどこへ行ったのだろうか。そもそも、この日は登山するような天気ではない。
 確かに無料の山小屋に一泊して、ちょっとしたアウトドアライフを楽しむ人もいてもおかしくない。短時間だから問題ないだろうとストーブを付けたままにして、市街地へ車で買い物にでも降りたのだろうと解釈したのだが…。


尋常ではない異音

 北海道には、道の駅とは別に北海道開発局が整備した「駐車公園」なる施設があちこちに点在している。駐車場とトイレだけの、いわば道の駅の簡易タイプみたいな施設で、これがなかなか便利でありがたい。
 そんなとある駐車公園で車中泊しようとした時の体験である。そこは市街地から離れていて、駐車場にはオレンジ色のナトリウム灯が3つ4つ灯ってはいるが、夜になると寂しい感じのするところである。しかし眺めはよく、ほかの車は皆無で、静かでいいと気に入った。到着したのはまだ日がある時間帯で、車を停めて、すぐにエンジンを切り、車内でカメラの撮影データをPCに転送する作業などをずっとしていた。そして暗くなってから横になったのだが、しばらくしたころ、ちょっとした異変に気づいた。
 音がするのである。それも周辺からではなく、明らかに車から発せられている。確かにエンジンを切った直後は、エンジンの熱が冷める時に音がするし、そのあとも気温の変化などで、多少の音がするのはわかっている。だが、エンジンを切ってからすでに4時間は経過している。しかも、そういう音とは異質なのである。
 最初、「ん! 今の音なんだ?」と、ちょっと気にはなったが、大して深く考えもしなかった。だが、音は頻繁にし始めて、さすがに「ちょっとおかしい」と思うようになった。
 音といっても同じ音が繰り返されるわけではない。車体上部に何かがぶつかるような「パン」という音もあれば、車の下の方から金属部品の上に何か硬い物がころがるような変な音もあって、発生する場所も一定していない。
 「パン」という音は、ナトリウム灯に寄ってきて周囲を飛び交う虫が車に当たっているのだろうと思い、外に出て見上げてみたが、意外にもナトリウム灯の周囲には一匹も虫は舞っていなかった。あるいは何かの小動物が寄ってきて、車の下の方に潜り込んだのだろうかと思ったりもしたが、ドアの開け閉めの音で逃げるだろうし、仮にそうだとしたら音がするのは車の下からだけのはず。しかも短時間の間に車の前後から音が連続することもあり得ない。そんなことは一度も経験したことはないし、聞いたこともない。そもそも小動物がいるような様子はなく、そういう感じの音ではないのだ。ちなみに空は晴れて星が見え、微風状態だったので、当然、雨や風による音ではない。また駐車場の周囲に木はなく、木の実や葉などが風で落ちてきて車に当たって音がした可能性もゼロである。念のため車の周囲も見てまわったのだが、何も落ちていなかった。
 それでも音を無視して寝ようとしたのだが、あまりに奇妙な音が続き、ちょっと尋常ではない…と感じて、さすがにこのままここで寝る気がしなくなって、少し離れた道の駅に移動したのだが、そこで異音はピタリとやんだ。その後も何度も車中泊したが、車から同じような異音がしたことは一度もなかった。つまり、あの場所に何らかの原因があったとしか思えないが、いくら考えても納得いく原因は見つけられていない。

2013年8月14日(水)
北海道取材日記 追記1
 8月8日の午前中、ニセコ方面を少し取材したあと、五色温泉で早めのひと風呂。スッキリしたあと、国道を南下し函館へ。
 函館といえば、前回、たまたまラッキーピエロという小さなハンバーガー店を見かけて、なんとなく「うまそうだなぁ」と食べてみたら、予想通りスゲーうまくて、帰る時も再度立ち寄ったことがあった。今回もせっかく函館に来たのだから食べたいと思っていた。北海道に着いた日は、まだ早朝だったので断念したのだが、かつては小さな店だったのに大きくなって、しかも途中、何店か見かけるほどに規模が拡大していた。結局、北海道最後の日になってしまったが、ラッキーピエロ本店に立ち寄り、遅めの昼食とした。平日、しかもランチタイムを過ぎているにも関わらず店内は人でいっぱい。順番待ちするほどだった。テイクアウトで車で食べたが、やっぱりうまいなぁ~。日頃、マクドナルドとかモスバーガーとかを利用することは皆無なので、ハンバーガー自体、久しぶりということもあるが、やっぱりラッキーピエロのハンバーガーは絶品だぜ。

 函館フェリーターミナルには早めに到着。フェリー前の航走車両待機場所に行くとまだ1台もおらず一番だった。
 帰路のフェリーも車でいっぱい。夜10時に青森に到着。国道を南下し、十和田の道の駅で一泊。翌日、ちょっと立ち寄りしてから9時頃には東北道に入ったが、少し前から雨が降り出し、東北道を南下する頃は、土砂降りに変わった。途中のSAでチラ見したテレビニュースでは、秋田はすごい豪雨で災害が発生する可能性が極めて高いといっていたが、土石流が発生して死者も出ているというのは帰宅してから知った。確かに岩手県内を南下する頃は、すごい土砂降りだったが、秋田ではもっと降っていたのだろう。
 岩手南部に達する頃は小降りになり、栃木あたりからは日も差すようになったが、高速は混雑気味。途中、事故渋滞にもひっかかり、ようやく圏央道の高尾山ICを出たのは4時過ぎ。だが、それ以降の一般道も連休前日の夕方ということもあってか大混雑。深夜なら1時間で通り抜けられる距離を3時間以上もかかって7時半にようやく自宅にたどり着いた。
 北海道のガラガラの道路ばかり走ったあとだけに、首都圏の車の異常な多さにはウンザリ。しかも、久しぶりの自宅でくつろげるとはいえ、北海道の、朝夕はちょっと寒いくらいの気温に慣れてしまっていたこともあって、うだるような暑い夜には余計に参ってしまった。う~、北海道へ戻りたいよ~!!



ラッキーピエロのハンバーガーで遅めの昼食。テーブルは、ハンドルに固定できるもので、以前、広島のオートバックスで見かけて飛びついた一品。運転席の横に置いとけば、車でコンビニ弁当を食べる時など、さっと取り出しセットできるので便利なのだ。


これが乗船した青函フェリー


一番乗りだったので、先頭になった。このフェリーは、船の前後に乗り降りゲートがあるタイプ。


岩手県内の東北道の土砂降りの様子。車載ハイビジョンビデオカメラで撮影した動画から切り取ったもの。この頃は猛烈に雨が降っていて、ワイパーはもちろん最速。タイヤがハイドロプレーニング現象でスリップしないように2WDから4WDにチェンジ!! 10時頃なのに、まるで夕方のように暗かった。

2013年8月12日(月)
残暑お見舞い申し上げます
2013年8月8日(木)
北海道取材日記 7
 長かったようで、でもあっという間だった北海道取材旅行。それもいよいよ終わりに近づいてきた。取材日記もこれで最後になりそうだ。書き足らなかったことは、帰宅してから追記したい。

 さて、前回、稚内で記事をアップロードしてから早や10日。結局、その日のうちに礼文に渡る。天気予報は芳しくなかったが、晴れ予報をずっと待っているわけにもいかないので、渡っちゃうことにしたのだ。
 礼文滞在中、予報通り、曇りが続いたが、少し青空が見えることもあって、まあまあの取材結果。29日には利尻へ移動。かつて利尻礼文を訪れたとき、利尻→礼文航路のフェリーはガラガラで、乗船した車はたったの4台だったのが印象に残っているが、時期的な理由なのか、訪問者が増えているのかはわからないが、今回の礼文→利尻フェリーはマイカーやトラックで満車だった。

 利尻では2日目の午後には青空が広がり、利尻山もよく見え、予想外の条件に気をよくしたのだが、3日目の利尻山登山では、散々な目に逢った。確かに快晴はまったく期待していなかった。晴れでも曇りでも利尻山の固有種を撮影できればいい…くらいな感じで、2度目の利尻山登山を開始した。
 まずまずのペースで山頂に立ち、リシリヒナゲシやリシリブシ、リシリリンドウなども無事に撮影完了。しかし、一番の目的だったボタンキンバイはすでに終わっていたようで、一輪も咲いていなかった。実は前回の時もほぼ同時期だったのだが、九合目付近の斜面に黄色い花がびっしりと咲いているのが遠目に見えた。その群生地に小径が続いていて、そこに降りて写真を撮っている人がいたのも記憶に残っている。だが、その時は、何の花なのか確認もせずに通り過ぎてしまったのだが、実はこの遠目に見えた花こそがボタンキンバイだった。ボタンキンバイは利尻山の固有種で、後日見落としたことに気づき、がっくり。そんな経緯もあって、なんとしてもいつかリベンジしたいと思い続けてきたのだが、今年は開花時期を過ぎていたようだ。加えて以前見た時は草原の斜面だった群生地は、今回再訪してみると、かつての群生地の真ん中にV字状の崩壊亀裂が入り、無残な姿に変わっていた。利尻山の土壌はザクザクして崩れやすく、前回、リシリヒナゲシを撮影した場所もどこかわからないくらいに変貌していた。
 登る途中も一度、雨に逢ったが、一時的なので折り畳み傘でしのぎ、特に支障はなかった。ところが、九合目まで下山したころから再び雨が降り始める。どうせ一時的だろうと予想したのは甘かった。ほどなく叩きつけるような勢いの本降りになり、登山道に濁流がザアーザアーと流れ始めるほどの事態に。その濁流の中を時に足を取られながら、必死に下山した。ほかにも登山者がいたので、さほど不安は感じなかったが、みんな予想外の雨に参っていたようだった。
 土砂降りの中、石がゴロゴロして歩きにくい登山道を延々と下ること約4時間。北麓野営場の登山口にたどり着いたころは、もう死ぬほどヘトヘト。近くの立ち寄り湯で、なんとか息を吹き返した。
 
 翌日、利尻を離れ稚内に戻り、2日は雨竜沼湿原、3日は大雪山へ。この2日間はピーカンだったので最高だった。大雪山は前回、黒岳から裏旭まで縦走し、幕営したあと往路を引き返したことがあるが、曇天だったのでイマイチ魅力がわからなかった。しかし今回はスッキリと晴れ、峰々の眺めもすばらしく、裾合平にびっしりと咲くチングルマなどの花もベストで、大雪山を堪能させてもらった。

 4日と5日は釧路・根室方面を再度まわったのだが、底が比較的やわらかい長靴で落石岬の石が多いデコボコ道を歩いているうちに足に痛みが。夕張岳で捻挫したところが、完全には治っておらず、石の凹凸によって刺激されてしまったようだ。今回の捻挫はちょっと特殊な痛め方をしており、足の甲全体がほとんど動かないように固定される登山靴を履いていると何の問題もなく長時間でも歩けるが、長靴のようなやわらかい靴だと固定されないので、路面の条件が悪いと痛めたところが刺激されてしまう…ということのようだ。
 利尻、雨竜沼、大雪などを散々歩きまくってもまったく問題なかったのだが、靴の条件が変わるとあっさり痛みが再発してしまった。関節ではなく内部の筋肉を傷めているだけなのは間違いないが、でも登山靴でも歩けない事態にならなかったのは不幸中の幸いだろうな。



礼文島の桃岩遊歩道


礼文から利尻へ渡るフェリーから望む利尻山


ガスが湧き立つ利尻山稜線。奥に見える小屋は避難小屋


利尻山山頂に群生するイブキトラノオ


日本海に沈む夕日。8月1日、稚内から雨竜町へ向けて日本海沿岸を南下する途中、夕日がきれいだったので海沿いに続く国道路肩の駐車スペースに車を止めて、三脚に望遠レンズで海に吸い込まれる夕日を撮影。大抵の夕日は日没の瞬間に雲に隠れてしまうものだが、この日は雲に邪魔されることもなく、水平線の彼方に融けていく太陽を望むことができた。


大雪山の雪渓に昇る朝日


大雪山・裾合平を覆うチングルマ


野付半島のトドワラ

 




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