似たような意見をよく聞きますが、私は必ずしも賛同しません。昔も現代と同じように便利な移動手段があれば、誰もわざわざ歩かないと思います。もし電車やバスがあれば乗るでしょうし、マイカーがあれば使うはずです。昔の人が長距離でも当たり前のように歩いていたのは、ほかに方法がなかったから。それだけのことです。

 ただ、不便だらけの環境で生活していると、本人の意志とは無関係に自然と辛抱強くなるといえるかもしれません。昔はどこに行くにも基本は徒歩であり、洗濯するにも河原や井戸端へ行き、洗濯板を使って一枚一枚洗っていた。今のように車に乗れば目的地にすぐ着く。洗濯機に放りこめば、あとは自動で洗って脱水までしてくれる。そういう手段が一切なかったのですから、選択肢は極めて限られていました。こうような不便な生活に慣れていると、人生における艱難辛苦に対する耐性にもプラスに影響したかもしれません。

 しかし、人間はなるべく楽したいという欲を持っている生き物ですから、より便利になるように工夫を繰り返してきました。それは、歴史上途絶えることなく続き、特に近代に入ってからスピードはアップしています。
 よく年配者が、自分の若い頃と比較して「近頃の若者は、辛抱が足らない」と苦言を呈していますが、そういう人間が増えたのは、あなた方の世代も含めて人類が、より便利さを追求して努力してきた結果でもあるのでは? といいたくなります。
 社会全体が、より簡単便利な方向へと進めば、不便を多めに経験している年配者よりも、生まれた時から便利さに慣れ、不便が少ない環境で育ってきた若者の方が、手間がかかることを嫌って避けようとするのは、当たり前の話です。その理由をまるで人間の出来の違いみたいにとらえることで優越感を得たいのでしょうが、そんなことをいっている戦前生まれの人が、もっと遅く生まれて現代の若者となっていたら、やはり手間がかかることを嫌うようになっていたはずです。つまり、それは人間の出来の違いではなく、主に環境に原因があるということです。さらにいえば戦前生まれの人も、江戸時代や明治生まれの人から見れば「我々の世代と比べて辛抱が足らない」と映るかもしれませんよ(笑)。
 自分の若い頃の記憶というのは美化されやすく、自分よりも若い世代の足らない部分が目に付くのは世の常。ローマ時代の文献にも「近頃の若者は…」という記述が見られるそうですから、その繰り返しと考えられます。でも、社会が悪化の一途をたどっていないところを見ると、その意見は必ずしも的を射ていないといえるのではないでしょうか。

 とはいえ、どんなに便利な生活を送っていても、それでも辛抱強い人というのはいるわけですから、教育や経験、性格という要素も大きいと思われます。また人間誰しも、ある程度の適応能力を持っています。便利さに慣れきった現代の若者でも、自分の意志ではどうしようもない不便な環境に置かれれば、それなりに適応するのではないでしょうか。ただ、その適応能力が昔に比べて低下している可能性はあるかもしれません。
 

 
              
 

Nature
これって正しい?
雑記帳

第16話

昔の人は辛抱強い。長距離でも、みんな普通に歩いていた