Nature
会社ゴッコの記録
雑記帳

中野越ロケット研究所

第15話

 
設立
/1975年8月

設立場所/島根県仁多郡

起業目的/ロケット飛行機、およびロケット推進の研究

社員数/10名
これが当時の発射実験を記録したノート。わが国のロケット研究史に燦然と輝く貴重な資料といえます(笑)。間違いなく重文級でしょう。えぇ、きっとそうですって。私が保証します
 私は、子供の頃からいろいろな会社(?)を作って遊んでいました。半分は遊び、でも半分は子供なりに本気でした。同じようなことをして遊んでいた人って結構いそうですが、私の会社ゴッコの履歴をご紹介しましょう(あまり興味ないでしょうが)。

 まず最初は、小学校5〜6年生の時に友人たちとロケット飛行機(正確には、ロケット花火飛行機ですけど)やロケットを飛ばそうとしていた「中野越ロケット研究所」から。5年生の夏、仲のいい友人たちと、子供だけ5人で島根県の高原にある民宿に何泊かの旅行に行きました。周囲は畑しかない、のどかな田舎でヒマをもてあまして、プラスチック製のおもちゃの車にロケット花火を取り付けて、その噴射力で走らせようと試みました。それは結局うまくいきませんでしたが、車がダメなら飛行機だということになって、中野越ロケット研究所の設立(?)にあいなったわけです。名前は、中心メンバー3人の名字から一字ずつとったもので、上に示したマークも当時決めたデザインです。
 その民宿は、わが家が毎年年末年始を過ごすスキー宿で、両親が長年懇意にしていた関係もあって実現しました。冬はスキー客で賑わう高原ですが、夏は静かそのものでした。ちょうど、田舎の祖父母のうちに遊びに行く感覚に似ていたかもしれません。周囲を高原野菜畑に囲まれ、ゆったりと時間が過ぎる真夏の高原の雰囲気は、今でも思い出します。

 さて、旅行から帰ってきてからも、たまに友人たちと集まって、厚紙と細木を組み合わせて作った飛行機にロケット花火を取り付けたり、花火から火薬を抜いて集め、もっと大きな筒に詰めたり、あるいは火薬の燃焼を増幅させようとアルコールを含ませてみたり、なんとか飛行機を飛ばそうと実験を繰り返しました。結局、あまりうまく飛びませんでしたが、それっぽい発射台を作ったり、それなりに楽しんだものです。
 ほかにもガラス製試験管の中に、子供向けのロケット本に書いてあった情報を参考に、いくつかの市販薬品や代用品を詰めて燃焼実験をやってみたこともあります。今にして思えば、結構危険なことをしていましたが、運良く爆発事故には至りませんでした。よい子のみなさんは、決して真似しないでくださいね。



かなりブレていますが、なんとか飛んだ成功例。発射台は梯子と椅子を組み合わせたものです


別の発射実験。左写真の発射台は、角材にコの字状に折り曲げたブリキ板を取り付けて私が作りました。右写真は典型的な失敗例。ほとんどは、このようにあらぬ方法へ曲がってしまい、なかなかきれいに飛びませんでした