キャンプに行く朝、広島県庁前でボーイスカウト(カブスカウト)の同じ班のなかまたちと写った記念写真(1974年9月)。一番左端が当時、小学五年生だった私です。久しぶりに子供の頃の写真を見て、現在の体型と比較しつつ「オレも子供の頃は、普通に細かったんだな〜」としみじみ。やっぱ、もう少しダイエットしなきゃな〜(笑)



 小学校3年生から5年生までボーイスカウトに所属しており、町内に団があったので、毎週日曜(通常は午前中のみ)に歩いて通っていました。ここでロープの結び方やボーイスカウト流のゲームなど、いろいろなことを教えてもらいました。年間を通してさまざまな行事や活動があって、今にして思い返すと、とても楽しかった記憶ばかりです。
 8月には「舎営」と呼ばれる合宿もありました。もともとボーイスカウトは、イギリスの退役軍人が創設したものなので、制服に縫い付ける軍隊の階級章のようなもの(正確には履修ステップを示すもの)があったり、「舎営」という言葉もどことなく軍隊的ですが、例えば、現在のボーイスカウト広島県連盟の名誉連盟長は、広島県知事が務めていることからもわかるように活動は健全そのものです。

 ところで私にとって2度目の舎営は、広島湾に浮かぶ似島(にのしま)で行われました。仲のいいなかまたちとの寝起きは楽しい反面、真夏の炎天下に島を歩いて一周する「遠征」では、バテてしまって歩けなくなり、陸上自衛隊のレンジャー部隊に在籍していたという体格のいいリーダーにおぶってもらったこともありました。途中から父兄(今でいうデンリーダー)として参加していた父が替わり、誰もいない静かな海辺にぽつんと立つ小さなお店で、ジュースを買ってもらって飲み、少し息を吹き返したものです。


宿舎から遠征に出発する前(左)。似島の海岸線に続く道(右)。1973年8月


 私は汗っかきなので身体から水分が出てしまいやすくて、子供の頃は暑さに弱かったのですが、本当は不足しただけ、こまめに適度な水分補給をすればバテることはなく、これは今では暑さ対策の常識となっていますが、しかし当時、ボーイスカウトでも「バテても水を飲ましてはいけない」という大学山岳部と同じような間違った考え方がまだあったように思います。
 普通の人よりも多めに水分を用意しておかないとバテてしまうことが、この時の経験からよくわかっていたので、登山をするようになってからは常に水分対策が頭にありました。かつて真夏の頸城山塊の山に登ったとき、本当にちょっとヤバかったことが一度ありましたが、それ以外はどんな炎天下の登山も問題なくこなしています。これもある意味、ボーイスカウトの経験が役に立っているといえるかもしれません。

 ちなみにボーイスカウトというのは、中国や北朝鮮など一部の国を除く全世界的な組織で、共通していることも多いようですが、各国で違うところもあるようです。ブラジルで母が撮影した写真の中に、カブスカウト(ボーイスカウトのうち小学校5年生以下をいう)の少年たちを写したものがありました。それを見ると日本の制服とはまったく違っていました。

ブラジルのカブスカウト制服


 
 

Nature
こんなことが ありましたとさ
雑記帳

第11話

ボーイスカウトの記憶