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世の中のウソ


その5
専門家の意見も鵜呑みにせずによく吟味しよう

 
例えば健康のことを自分なりに判断する時、医学の専門家の意見を誰しも一番参考にするだろう。だが「専門家」という言葉に騙されて、そのまま鵜呑みにしない方がいいこともある。専門家といっても、その幅は実に広い。しかもますます専門分野の細分化・専門化が進んでいるのが現状である。そんなことも背景にあって、残念ながら専門家の意見の中にも、時折、いろいろな錯誤が含まれていることがある。
 

@知識は充分だが、想像力や論理力に疎い場合
 専門家が自分の研究を進めて行く過程では、想像力や論理力はそれほど必要ではない。大学院生程度の想像力や論理力でも専門家として充分やっていけると私は思っている。その理由は、専門家が特に想像力や論理力に優れているとは思えないからだ。
 ところが、自分の専門分野を一般的な対象に置き換えて考えるような場面になると、知識だけでなく想像力や論理力も要求されるから、その程度によっては結論が大きく左右されることがある。つまり知識があっても想像力や論理力が弱ければ、ピントがずれることも往々にしてあるということ。実際、専門家の意見を読んでみると、ほかの大半の専門家の意見とはズレたことを主張されている人も現実にはいらっしゃる。それはほかの専門家が気づかなかった優れた着眼点があるからというよりも、単に想像力が足らず、必要な要素を見落としていることに起因するように見受けられる。
 例を出そう。昨年、アウトドア雑誌のビーパルに、ある学者が取り上げられ、地球温暖化について語られていた。その人は「気温が上昇しても植物の場合は生育地が移動するだけだから大きな問題ではない」といわれていた。おそらくこれに賛同する植物学者は皆無だろう。植物の生育に適した環境というのは、この学者がいうほど単純ではない。確かにありふれた環境で生育できる植物の場合は、気温が上昇した分、より北上するとか、あるいは標高が高い場所に移動するだけで種を存続させられるかもしれない。だが、厳しい生育条件を要求する植物では、移動先に生育に適した環境があるとは限らない。このような植物では、適した生育地がないために、やがては絶滅もしくはそれに近い状態になる可能性が高い。そもそも亜高山帯や高山帯にしか生育できない高山植物の場合は、それよりも「上」は限られているし、至仏山や早池峰山の蛇紋岩帯に生育する特殊な高山植物の場合は、生育可能な環境は極めて限定される。これは好塩基性植物など、特異な環境下でしか生きられない植物にも共通していえることだ。この状況のどこが「植物は大きな問題ではない」のか。知識の有無というよりも、むしろ想像力の欠如による錯誤としかいいようがない意見である。
 私がインタビュアーなら、すかさずこの疑問をぶつけるが、それを「なるほど」と納得してそのまま記事にしてしまうところが、なんともビーパルらしい。こんな意見を平然と掲載していてもビーパルの場合は「ああ、またか」としか思わないが…。


A専門分野が変われば結果も変わる?!
 だが知識、想像力、論理力が完璧でも、それでも正しい結論とはいえないことがあるから注意しなくてはならない。「専門家」というと同じように聞こえるが、専門分野が変われば結果がガラリと変わることもあるからだ。どういうことか、わかりやすい例を出して説明しよう。
 阪神大震災の時、阪神高速道路の高架橋が倒壊したことは、おそらく誰しも強烈な記憶として残っていると思うが、それによって亡くなられた人の遺族が阪神高速道路公団を相手取って起こされた裁判でのこと。裁判では、高架橋に設計上の問題があったかなかったかがひとつの争点になった。そこで構造力学の専門家により高架橋の設計図が精査され、設計上の問題はなかったと結論づけられた。
 これを聞いて「道路公団に責任はなかった」と感じる人が多いかもしれない。ところが実際の裁判では、これで終わらなかった。材料工学の専門家から反論が出たのである。簡単にいえば仮に設計上の問題はなくても、施工に問題があれば倒壊する可能性があるという指摘だった。
 倒れた高架橋を調べると、鉄筋の組み方に問題がある支柱が見つかった。本来、コンクリート構造物では、鉄筋の長さが足らなければ、途中で溶接して継ぎ足すが、もし複数の鉄筋を同じ位置で継ぎ足して溶接すると、その部分だけ強度が低下する。従って鉄筋ごとに溶接位置をずらす施工上の規則があるという。材料工学の専門家は、それが守られていない支柱があることを問題にしたのだ。結局、裁判では、犠牲者が出た支柱の鉄筋には問題がなかったことから道路公団や施工業者の責任は追及されなかったようだが、これは専門分野が変われば視点も変わり、それによって結論が逆になることもあり得ることを示している。


[まとめ]
 これらの話から「専門家の意見」にも、いろいろなバイアスがかかる可能性があることがよくわかると思う。つまり専門家に意見を求める時、どの分野の誰に聞くのが妥当なのか。その意見は、ほかの専門家にも広く共有されている信頼のおけるものなのか。専門分野によって見方が異なるということはないのか。複数の異論が出たとき、どの意見を採用するのが適当なのか。以上の点を考慮してよく考えなければ、真実には近づけない。逆にいえば専門家の意見だからといっても、そのまま鵜呑みにはできないということだ。複数の専門家の意見を聞き、よく吟味する。これは一般の人には難しいことだが、どんな分野でも必要なことだと思う。


関連情報→本サイト世の中のホント「基礎的内容でなければ、専門家によって見解の相違があるのがむしろ普通