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昭和30年代の山 カラー編 北アルプス・大天井岳

撮影年月日:昭和36(1961)年7月23日

 両親は、私が生まれる前、主に昭和30年代に会社の山仲間とともに北アルプスや南アルプスを幕営縦走したり、山スキーをするため東北地方や北海道まで遠出したりしており、うちには当時のスライドフィルムやアルバムが今もすべて残っている。父が亡くなってから、懐かしさもあって古いスライドフィルムをスキャナーに通してデータ化。10年以上前に一部選んでスキャニングしていたが、退色も少しずつ進行しており、すべてデータ化するのなら、なるべく早い方がいいと判断した。

 さすがに60年以上前のスライドフィルムである。どれも状態がいいとは言い難い。最初、そのままスキャニングしたものの、カビや汚れが気になって、やはりクリーニングしてからデータ化することに。そのため再度やり直したりして、かなり手間がかかった。大学生の頃に買って、あまり使わずそのままになっていたコダックのフィルムクリーナーやバイオエタノールでフィルム面を掃除。カビはバイオエタノールをしみ込ませた綿棒でゴシゴシこすると、結構除去できた。ただカビ菌糸が感光乳剤層の深部にまで達しているものもあり、除去した部分の色が変色することもあったが、おおむねきれいになった。

 綿棒でこすると、どうしても細かいキズが付くが、スキャナーに通すとあまり気にならない。またデータ化しておけば、多少気になるキズがあってもあとで消すことは容易だ。なによりスキャナーの退色補正によって、比較的自然な色調に戻すことができるのは、ありがたいが、綿棒の毛がフィルム面に残っていると、そのまま写ってしまうので、エアダスターで吹き飛ばし、肉眼で残っていないか確認することを1コマ1コマ繰り返した。紙製マウントの接着剤も劣化して、半分くらいは外れかけていたので、これも修復した。私はフィルムの上下をマスキングテープで仮固定しておいて、周囲に強力タイプのスティックのりを塗って貼り直した。

 こうして久々に改めて主に父が撮影した山の写真に目を通すと、興味深かった。例えばトップ写真は、北アルプス・大天井岳にある大天井ヒュッテ入口で撮影したものだが、当時の山小屋の風情が感じられるし、続く上高地バスターミナルの写真も現在の上高地しか知らない人が見ると、どこで撮影したものかわからないだろう。

 いくつか選んで掲載する。撮影者はほとんど父なので、今回は通常の私の署名ではなく、サイト名だけ入れておいた。




父が残している登山記録手帳によると、上高地から入山し、大滝山から蝶ヶ岳、常念岳を経由して大天井岳に着いたところ。手帳の出納には宿泊代の記載がないので小屋には泊まっておらず、すべて幕営だったようだ。



上高地の明神館前と思われる。現在と同じく、当時から登山者の休憩ポイントだったのだ。現在とそう雰囲気は変わっていない。左上にちょっと写っているのが明神館。



後ろにバスが見えるので上高地バスターミナルと思われる。写真の順番から「上高地だろうな」というのはすぐにわかった。それにしても登山者の服装の地味なこと。今は普通にあるコントラストが高い鮮やかな色は皆無。キスリングザックも当然、帆布製なので薄茶色。余計に地味さに拍車がかかっている。当時の登山者に現代の登山者のスタイルを見せたら、ビックリ仰天するだろうな。



槍ヶ岳直下の殺生小屋。



常念岳から大天井岳に向かう途中。槍ヶ岳を望む縦走路を行く。昔ながらのキスリングザックが、いかにも「昭和」である。当時の登山者は、その多くが幅が広いキスリングザックを使っていたなんて、今の若い登山者は知らないだろうね。



昭和37(1962)年5月。比婆山での幕営の様子。写っているのは、私が中学生の頃まで使っていたテントで、今も倉庫にある。父の手帳には、「ナイロン 東レ 1404番」「ビニロン 倉敷 8100番」という材料指定の記述やテントの寸法を書き込んだ手書きの図が残っている。母によるとテントを作る業者に発注して縫ってもらい、支柱は知り合いの機械メーカーが飛行機にも使うジュラルミンで特別に作ってくれたもので、その寸法も書いてあった。当時、テントの市販品があったのかなかったのかは知らないが、少なくとも広島では容易に買える状況ではなかったのだろう。もちろん今のようなドーム型テントなんて、さらに時代が経過した80年代にならないと出てこないので、テントといえば、こんな三角型しかなかった。



昭和36(1961)年4月。立山の春登山の時に撮影した写真。私は上高地同様に立山も繰り返し訪れているが、ここが立山のどこで撮影されたものか見てもわからなかった。父の手帳には、劔御前荘や雷鳥荘の文字が見えるが、雪上車も写っている上に森林限界を超えていないようなので、弥陀ヶ原だろうか。



槍ヶ岳を望む母を父が撮影したもの。雪渓があるのでピッケル持参。今では夏山にピッケルを持ってくる人はいないだろうけど、温暖化と無縁だったので雪渓の量も現在よりもはるかに多かったのだろう。当時は標準装備だったようだ。別カットの上高地の写真を見ると、ほかにもザックにピッケルを付けた登山者が結構写っている。



雨のため停滞中のテントで。夏休みをめいっぱい使っての登山計画もあって、父の記録手帳には7泊8日みたいな日程がいくつか書かれている。なので途中で雨に遭って2日間の停滞もあったりしたようだ。



山スキーで訪れた北海道・ニセコ高原の国鉄山の家。



この写真だけは40年代。昭和43(1968)年8月16日。中央アルプスから下山した上松駅で。山じゃないけど載せておく。母と4才の私。今はまったく見ることもない旧タイプの電話ボックスが懐かしい。




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