| どうして文系リベラルはこうも非論理、非合理、非科学なのか/2024年9月22日
少し前にある精神科医師が寄稿されていた記事(こちら)を読んだ。ご指摘は、まさに仰る通りだと思ったのだが、本稿では特に以下の引用部分について取り上げたい。私には似た経験はないが、そもそも世の中の実態って「こんなもの」だろうことは、とっくの昔から薄々、気づいてはいた。しかし、この記事を読んで、改めて現実はかなりヤバいレベルにあると認識し直した次第だ。
(以下、引用)
個人的な経験に少しだけ触れさせてほしい。私は2011年の東日本大震災・原発事故に衝撃を受け、2012年に福島県南相馬市に移住し、専門である精神科医療を中心に活動しながら、時に小文を発表している。移住当所、被災地の窮乏を訴え、国や東京電力等の姿勢の至らないところを指摘する文章を発表し、一定の注目を集めたことがあった。
やがて現地での放射線被ばくによる直接的な健康被害の影響はきわめて小さいとする研究結果が公表されるようになった。その研究内容は、私には十分に正当な科学的方法を用いて得られたように思え、信用に値すると考えた。そしてそれは、現地で生活して経験していた内容とも矛盾しなかった。
しかし、「原発事故後の放射線被ばくによる直接的な健康被害は小さい」と訴えることは、リベラル派のコミュニティに属する人々の神経を逆なでする内容だった。それでも、医学部で教育を受けたものとしての良心や、地域の復興を願う人々の熱意に触れていたこともあり、そのような内容を発信した。その結果、リベラル派の友人たちとの関係は疎遠になった。明確に批判されたこともある。また、それまで私に敬意を示してくれた人の中には、態度を変化させて見下す態度を示すようになった人もいる。
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リベラル派の負の洗礼とでもいうべき、この医師の経験。いや〜。それにしてもスゴイ人たちがいるものである。あ、念のためにいっておくと、決して褒めてませんからね。改めていうまでもないが、人間が物事を判断する方法には、「感情」と「理性」の2通りがあり、世の中には、理性でしか答えを出せないことの方がむしろ多いのだが、それどころか理性で答えを出す方法があることすら認識していない人たちが一定数いることに言葉を失う。放射線の健康被害みたいなことは、どう考えても感情で答えを出すことではなく、理性でしか答えは出せないと思うのだが、何ひとつ疑問にも思わず、感情だけで一刀両断し、明らかに高い関連知識をもつ医師の見解よりも、知識がほとんどない自分の、しかも感情だけで頭に浮かんだ印象の方がきっと正しいし優れているに違いないと信じて疑わない。この病的な姿勢には目眩しかしない。こんな人たちと対峙しなければならなかった、この医師にも大いに同情するしかない。
アフリカにエボラ出血熱の治療や感染対策で赴く医師も、人間である以上、「感情」だけで考えれば恐ろしいはずだ。それは当然だろう。万一、感染すれば自分も死ぬかもしれない。平気な人は一人もいないはずだ。しかし、自分がもつ医学の知識や感染対策の知識を元に「こういう点に気を付ければ感染して死ぬことはない」といった「理性」が働き、加えて使命感もあって赴かれていることと思う。
つまり、人間の脳には「感情」で答えを出す領域と「理性」で答えを出す領域があり、その両方をうまく使いこなすことこそ「知性」といえるだろう。
医師は、医学知識を有するだけでなく、こうした「理性」を鍛える訓練を徹底的に受けている人たちである。ところが、大変残念なことに「理性」を鍛える訓練を生まれてこの方、あまり受けていない人たちもいる。彼らは知識もなければ「理性」で物事を考える習慣すらもないので、残っているのは「感情」しかない。なので何の疑問にも思わず、感情だけでもって答えを出すわけだ。しかも自分の頭が出した答えなので、絶対に正しいと信じて疑わない(失笑)。自分も間違うことがある、という当たり前の事実に気づけるほどの「知性」がなければ、こうした状況が生まれること自体、不思議でもなんでもない。
「感情で答えを出す」というと、一応は聞こえがいいが、わかりやすくいうと、頭の中のガラガラポンを回して、出た玉の色で答えを出すようなもの。彼らは自らの感情に従って自らが望む答えをまず先に決めてから、そのあとにもっともらしい理由を探す、という方法をとる。自らにとっておもしろくない意見こそ、実は正しい可能性はないのかと、冷静に立ち止まって考えたりする習慣は、そもそもない。しかもそういう不都合な現実をなにがなんでも認めたくない。なんとしても自分も医師と対等に話ができる、あるいはそれ以上の存在と思いたくて仕方がない。私の感性でいうと、あんまり関わりたくない類の人たちというのは間違いなさそうだ。
それにしても、彼ら文系リベラルな方々は、どうしてこうも非論理、非合理、非科学なんだろうね。感情だけで答えを出すしかない人たちだから、当然そうなるか。理系のリベラルはまだ理解する余地があるが、文系リベラルはさすがにヤバイ。想像を絶する、もはや有害レベルである。文系リベラルのトンチンカンな言動がなくなるだけで、世の中の問題の半分は避けられると思うんだけどね。
ちなみに日本のメディアには、文系リベラルが多い。情報発信のプロがこんな状態なので、本来は簡単にすむことでも問題が発生するし、本来はスムーズに事が運ぶようなことでも、ややこしくなってしまっていることにみなさん気づいてますかね。
この記事でも、こう指摘している。
日本の大手メディアが、放射線被ばくの直接的な健康被害について、非科学的な喧伝を行ったことに加担したのは、やはり責任を問われるべき事態である。それが福島県産の農作物・海産物に与えた影響が、風評被害として指摘されていることは、多くの人がすでにご存知のことだろう。
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ですよね。つまり本来はそんなに恐れなくていいにも関わらず、メディアが非科学的に宣伝したことで、福島県の余計な風評被害が生まれ、中国にいいように政治利用され、事故後13年たってもまだ、処理水についても無意味な騒動が続いている。そのために、本来は不要なはずの、ものすごく無駄な労力を多くの人たちが強いられている。
文系リベラルなメディアは、そもそも政府を批判するのが大好き。なぜなら「仕事してます」感を出せるし、存在感も高まる。しかも、同じくリベラルの人たちから高く評価され媒体も売れ、デメリットは何ひとつない。しかし、肝心の科学知識はお粗末なので、無用な騒動を次々に作り出しては、社会をかき回すだけかき回しておいて、あとは知らん顔。間違っていても訂正もしなければ謝罪もしないが、政治家が問題を起こすと徹底的に非を認めさせようと糾弾する。なにこれ。一体、何様のつもりなんだろうね。確かに政治家もいろいろ問題があるのは事実だが、日本の場合はメディアにも相当に問題があるといわざるを得ない。おそらく理系の人はほぼ全員が、この事実に気づいて、「ダメだ。こりゃ」とうんざりしていると想像する。毎日、文系リベラルなメディアが垂れ流す情報に接していれば科学知識が実にお寒いことくらい普通、気づくよ。
最後にひとつ、念を押しておくと、「放射線=そんなに心配しなくていい」わけではないからね。あくまで「福島原発事故の放射線=そんなに心配しなくていい」だからね。ここを勘違いするのも相当に危険なことだ。
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