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森喜朗会長の失言報道を読んで感じたこと/2021年2月5日

 「女性っていうのは、競争意識が強い」というのは間違い。私の人生経験からいうと、むしろ男性の方がはるかに競争意識が強い。男性ホルモンの影響を考えれば当然のことだろう。加えていうと、男性よりも勘が鋭いことが多いので、他者に配慮する目的で空気を読んだりするのも女性の方が優れている。男性は、鈍感な人の割合が女性よりも多いので、長い話しにうんざり気味のまわりの空気すらも読めずに、それでも得意満面で延々と話し続ける人も割といたりする。

 話しの長い短いは、単純に男女の違いで区別できるものではなく個人差。もちろん、女性にも話しが長い人はいるだろうよ。ただ、ややこしいテーマであれば、どうしても話しは長くなるものだし、単純に「話しが長い=迷惑」と見なすのも不適切だろう。森発言にあったラグビー協会の女性理事が、本当に無駄に長い発言をしていたどうかについては、その発言の詳細を知らないので何ともいえないが。

 ただ、問題となった発言の前後を読むと、東京五輪・パラリンピック組織委員会の女性理事たちは、「みんなわきまえておられて」とのことなので、つまり「発言が短い女性もいる」ことを認識されているようだ。それなのに「女性」という枠でひとくくりにしちゃたところが問題だし、森会長個人の見解というよりも、日本という国全体に対する国際的な評価にも影響するという意味では、確かに大問題ともいえる。

 その一方で、度々取り上げられる政治家の失言もそうだが、失言者を徹底的につるし上げる風潮にも、少し違和感を覚える。森会長の失言は、つるし上げられても仕方ないと思うが、私にはそれよも「コロナはタダの風邪」という言説を垂れ流す方がよっぽど悪質だと思うけどな。だってねえ。森発言がいくら世の中に拡散しても、国民から呆れられるだけで、同調者が増えるわけでもなければ、ましてや人が死ぬこともないが、「コロナはタダの風邪」の場合は直接または間接的に人の死につながり得るんだよ。どっちの方がより大問題なんだよ。「コロナはタダの風邪」が「表現の自由」の範囲に入るのなら、「女性は話しが長い」も同じく、その範囲に入るのでは? どうして森発言は「表現の自由」として認めないのだろうか? 勘違いしないでほしいが、私は森発言を「表現の自由」として認めるべきだといいたいわけではない。「コロナはタダの風邪」が表現の自由に該当するのであれば、森発言と何がどう違うのか説明して欲しい。

 「コロナはタダの風邪」と主張している、堀江貴文や、小林よしのりという漫画家の、まあどうしようもないバカをつるし上げもせずに、少なくとも表向きは静観しておきながら、人の死につながるわけでもない森発言は徹底的に批判するマスコミもどうなんだろうねぇ。私の感覚からいえば、老人がうっかり口を滑らせた程度の発言よりも、うっかりでもない確信犯的な発言を繰り返す堀江や小林、それに小林の本の宣伝広告で、コロナ楽観論を印象づける出版社こそ、つるし上げるべきだと思うけどね。

 Wikipediaによると小林よしのりは、福岡大学人文学部フランス語学科卒らしい。出た!! 堀江同様、やっぱり出身者のほとんどが科学リテラシーのカケラもないことで定評がある文学部。いや、正確にいえば人文学部。でも文学関係学科と同様、フランス語学科卒に科学リテラシーが備わっているとはとても思えない、そういう意味では文学部と完全に同じ。あーやっぱりそうか〜。薄々そんなところじゃないかと思っていたら、やっぱり!! なるほど納得である。

 堀江も小林も特定分野でそれなりに成功した人によく共通するバイアスそのまま。特定分野で成功した人は、その成功体験に引っ張られて、「自分は成功者なのだから、どの分野に関することでも、きっと正しい判断ができる」と勘違いしてしまいやすい。自分が社会から評価されているのは、実はその特定分野だけに過ぎないにも関わらず、おもしろいように多くの人が共通して勘違いする。

 小林は、コロナの危険性に警鐘を鳴らしてきた「羽鳥慎一モーニングショー」、および同番組に出でいた白鳳大学の岡田教授やコメンテーターの玉川徹さんを批判しているが、玉川さんが仰るとおり、最悪の事態を想定するのが、リスクマネジメントというもの。「コロナが危険と騒いでいたが、最悪の事態にはならなったじゃないか。そーれみろ」というのは、結局、漫画家以上でも以下でもない、科学音痴の文系男が勝手に妄想する結果論に過ぎない。

 小林の発言内容を読むと、コロナウィルスについても、そこそこ調べられているようではある。自分はこんなに調べた。だから自分はタダの素人じゃないと思っちゃうんだろうけど、まあ、そういう勘違いも文系の人にはよくあること。
 わかりやすくいうと彼らは、過去の自分としか対比していないのだ。過去の自分は何も知らなかったが、いろいろ調べて今はこれも知っている、あれも知っている。だから今の自分はスゴイと思っちゃうわけだが、あくまで過去の自分と比べれば、多少は知っているくらいの段階でしかなく、他者、特にその分野を専門とする専門家、あるいは専門家ではないが、その分野の大学出身者、それに準じる立場の人…等と比べて自分は「それよりも知識があるといえるだろうか」という謙虚な想像力は決して働かない。彼らは、その分野を体系的に勉強していないので、その全体像ももちろん知らない。だから自信満々に的外れな意見を主張できる。

 いくら人文学部が頑張って、いろいろ調べても、それを専門にずっとやってきた専門家を簡単に凌駕できるはずもないということには決して頭がまわらない。専門家の意見も絶対ではないが、その間違いや問題点を人文学部が指摘するのは、医学部以外の理系出身者と比べても何倍もハードルが高い、ということも、もちろん頭をかすめもしない。

 要は金儲けがしたいだけの文系男は、そもそも正確なリスク評価ができる素養がない上に、経済を重視するあまり、平気で楽観論を垂れ流すわけだが、国民が徹底的に自粛をすれば、ひょっとすると第三波も軽くてすんだかもしれないのに、その楽観論によって感染拡大につながり、人の死だけでなく、かえって経済にも余計な悪影響を及ぼしているかもしれないことには、まるでお気づきになっていない。しかもホンネはともかく、そんなバカに対しては無反応なのに、森会長の失言は徹底的に批判するマスコミも一般大衆もバランス感覚が異常だね。結局、国民世論というのは、場当たり的で、とってもエモーショナルで、物事の対比を普段から一切していないので、こんな矛盾が生じても、それをまったく気にも留めず、ただただ、自分たちこそ正しいと思い込んでいるわけだ。

 以上の点を踏まえると、つまりこういうことにならないのか?



  @ 日本国民は、そもそも口でいうほど人の命を重視していない。
    
  A 日本国民は、そもそも科学音痴以前に、どうしようもないレベルの論理音痴でもある。


 
 おそらく、このどちらかが正しい、もしくはどちらも正しいが正解だろうな。どちらも間違いである可能性はゼロ。つまり多くの日本国民は、自分と自分の家族、あるいは親しい友人・知人さえ無関係であれば、面識もない赤の他人がコロナに感染して亡くなっても正直、他人事で、無関心に近いというのがホンネではないか。そして、コロナのリスクを正確に理解できないこともあって、それよりも理解しやすく、しかも感情的に反応しやすい森会長の失言の方がよほど大問題として見えてしまうのではないか。これってどうなんでしょう。




 
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