| 鼻出しマスク男から見えてくる日本社会の問題/2021年1月22日
大学入学共通テストで、マスクから鼻を出していることを試験監督官から繰り返し注意され、7回目で失格となり、さらにトイレに立てこもって警察に逮捕されちゃった件。49才という成熟した大人でありながら、まぁなんという駄々っ子ぶりだろうか。
脳科学者の茂木健一郎氏が、「杓子定規のロボット試験監督による人権侵害だと私には思える」と、当受験生ではなく、試験監督官の方を批判されているのだが、名指しこそはしていないが、これに反論している記事があった。
「鼻マスク受験」で報道されないこと
現場の試験監督官の判断ではなく、より高次の判断が介在しているはずというのは、おそらくその通りだろう。当受験生は、毎日新聞の取材に「メガネが曇るから」と理由を述べたらしいが、記事には試験監督官が「マスクが必要ない別室での受験」も提示したのに拒否したともあり、これが事実であれば「人権侵害」との批判は当たらない。メガネが曇るのなら別室に行けば、簡単に解決する。それさえも拒否した理由って何だろう?
「何の深い洞察も顧慮もないマスコミの(例によって各社デスクの)端折りすぎで訳の分からない記事が出回っており、目を覆わざるを得ません」との指摘は、今に始まった話しでもない。マスコミ報道の公平性、正確性は、一般の人が想像しているほど、すべての記事がご立派なものではなく、簡単に言うと「玉石混淆」「ケースバイケース」だろうな。
記事は、大学側の人が書いたものなので、大学側の視点を改めて認識させてもらったが、同時にマスコミ報道を読んだだけでは、この認識は決して得られなかっただろうと、ふと思った。結局、マスコミ報道というのは、ひとつの側面に過ぎないことがよくわかる。
それにしても長野のホテルやピーチ機で、マスクを拒否し、挙げ句の果てに職場からも解雇されちゃった例の大迷惑男もそうだが、異次元の行動をとる人が近年、増えている気がする。この背景には何があるのだろうか。
今の中国や、戦前の日本のように国家が絶大な力を持ち,民衆を統制する社会が決して健全とは思えないが、一方で国家の力によって有無をいわせずにコロナを抑え込んでしまった中国が、ちょっとばかしうらやましく思えてしまう自分がいる。日本では、民主主義が成熟し、個人の意見を尊重し過ぎた弊害として、こういう人物が出始めて来たという面もあるのではないか。
コロナを抑え込むためには、みんながひとつの方向に足並みを揃えないとできない。しかし、子どもの頃から個人の意見が尊重される社会にどっぷりと浸かって育った人間は、足並みを揃えて問題解決を図ることよりも、自分の都合や信念の方を優先したりする。
結局、突き詰めれば科学リテラシーがないことと論理能力や協調性が弱いことに帰着するともいえるが、日本社会では個人の意見を尊重し過ぎてコロナ対策が不十分となり、その結果として、もしかすると死ななくてもすんだかもしれない人がコロナに感染して死んでいても、そのことよりも個人の意見の方が尊重されていることになる。これってどうよ、と私なんかは思ってしまう。人の命よりも個人の意見の方が重いのかよ。
このことは本項の前記事にもつながる。堀江貴文を批判しないマスコミは、結局、人の命よりも自社の利益を優先していることにならないのか?
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