| 「異論のススメ」とマスコミの裏側/2017年11月16日
朝日新聞で連載中の京都大学名誉教授・佐伯啓思先生による「異論のススメ」は、鋭い指摘が多い。今年8月4日には「森友・加計問題めぐる報道 事実を利用するメディア」と題して、次のように書かれていた。私がその約1週間前に本ページで書いた内容とも重なり、「その通りだッ」とポンと膝を叩きたい衝動にかられたほどである。少し長い引用だが、読んでいない人はぜひ読んでほしい。
実際、この5ヵ月以上にわたって、ほとんど連日、野党もマスメディアもこの問題を取り上げ続けてきた。テレビの報道番組や報道バラエティーを見れば、連日、加計学園の名がでてきて、今治に計画された小さな大学がいまや全国でもっとも知名度の高い大学になってしまった。
半年近くにわたって新聞紙上の1面を占拠し続けた問題となると、通常は、国家の方向を左右する大問題である。果たして、今治に計画される獣医学部が日本の将来を左右するだろうか、などと皮肉をいいたくなるほどの大きな扱いであった。
様々な不透明な経緯はあったにせよ、加計学園問題がそれほど重大問題だとは私には思われない。ただここで私が関心をもつのは、この問題が「事実」をめぐってどうにもならない泥沼に陥ってしまったように見える点である。
とりわけ、メディアは「事実]を御旗にしている。「事実」といえば、一見、客観的で確定的なものに見える。そこで、野党もメディアも、文科省の内部メールを持ち出して、これを「事実」とし、官邸が文科省に圧力をかけたという。そうでないなら、「ない」という「事実」を出せ、という。出せないのは、安倍首相が「お友達」の便宜をはかるために圧力をかけたからではないか、という。メディアが連日、そんな報道をしているうちに内閣支持率が急落していったのである。
この先、何かのっぴきならない「事実」がでればともかく、現状では、確かな「事実」などどこにもない。そして、安倍首相が加計学園の便宜をはかり圧力をかけたといった「事実」はでるはずもなかろう。すべては藪の中なのである。しかし、野党もメディアも、政府側が説明できないのは、「事実」を隠蔽しようとしているからだ、という。私にはまったく無謀な論理だとしか思われない。冗談だが、かりに便宜をはかっだとして、それを「事実」をあげて説明せよ、といわれても難しいだろう。そもそも「口利き」や「圧力」は証拠など残さないだろう。
しかも、野党もメディアも、実は「事実」だけを報道しているわけではない。個人的事情によって行政を歪めたと推測し、その推測を根拠に、政府の説明責任を追及しているのである。「事実」報道の客観性を唱えるメディアが頼っているのは、「事実」ではなく「推測」である。この推測を突き崩す「事実」を提出できない政府を攻撃する、というのだ。しかし、政府からすれば「ない」という「事実」を証明することなど不可能であろう。
(後略)
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お見事である。論理的な思考方法を自らのものとして獲得している人は、こういう説明がスラスラとできる。あまり論理的な思考方法が得意じゃない人でも、このように説明されれば、加計問題の本質が理解しやすいのではないか。
野党とマスコミは「問題だ、問題だ」といいながら、100%アウトといえる証拠を何ひとつ出すことができなかった。そこで「我々の推測が間違っているというのなら、その証拠を出せ」と政府に迫っているのである。でも、仮に政府に何の問題がなくても、これを証明するなんて論理的に不可能な話しなのだ。安倍政権を批判しているマスコミと野党関係者のほとんどが、この点を理解していない。
結局、マスコミも野党も政権批判をしてナンボ。マスコミは、仮に「現政権は素晴らしい」という報道ばかりをしたとすると、大本営発表を大絶賛していた戦前のメディアと同じに見えてしまうので、批判ばかりする方が、自らの存在価値を高めるので都合がいい。野党も与党批判という立ち位置の方が、政権に批判的な人の受け皿になりやすいので票を集めやすいし、「我々も与党のみなさんと同じ考えです」では存在感が低下する。
だから、仮にホンネでは「評価できる」と思っていても褒めにくいし、褒めたくもない。しかもマスコミといっても、ほとんどがサラリーマンによって構成されている。サラリーマンの悲しい性で、自分が出世するには、たとえ自分の考えと違っていても「上司の方針」「社の方針」とズレたことは書けない。左寄りの上司の下にいれば、政権に批判的な記事を書く方が、上司からの評価も上がる…というわけだ。仮に上司の考えと違う内容の記事を書いても却下されれば、掲載を認めてもらえる内容に書き直すしかない。上司の意向がどこまで反映されるかは、社によっても違うだろうが、記者だけでなく、その上司の個人的なイデオロギーが記事の内容に影響する可能性は十分にある。
そして政権に批判的な新聞は、当然のことながら政権に批判的な読者によって読まれている。つまり、読者を満足させることを考えれば、どうしても政権に批判的な内容に偏りやすい。それにより読者が満足すれば新聞購読契約を続けてもらえる(=利益の維持)。この経済的な理由は極めて大きいと想像できる。
しかも「加計学園は問題だ、問題だ」と一度でも公に言い出したら最後、「ありゃりゃ。加計問題は考えていたほどの大問題ではなかったみたいです。いや〜。今回は失敗しました。我々の勇み足です。すみません」と、本当のことは死んでも口に出せないのだ。だから「そんなはずはない。きっと叩けば、どこかで埃が出るに違いない」と、ひたすらこの問題に必死にしがみつくしかないわけだ。政治家の失敗は徹底的に批判するが、自分たちの失敗は認めたくない。もちろん、彼らの頭の中に「加計問題を追及することが、本当に国民の利益につながるだろうか」という冷静な疑問が浮かぶことはない。国民の本当の利益なんかどうでもいいのだ。とにかく加計問題を大問題に仕立て上げて、自分たちマスコミの成果だと強調したいし、自分たちの失敗を失敗として認めたくない。そのためには、国民の利益なんか二の次なのである。
「加計問題に100%アウトといえる証拠は何もない」「加計問題に法的な問題は何もない」といってみたところで、彼らはきっとこういう。
「でも、多くの国民が納得していない以上、この問題はまだまだ追及するべきだ」と。
しかし、それは納得していない国民の多くが、マスコミに簡単に踊らされる程度のタダのおバカさんというだけのこと。加計問題に納得していない国民は、要はほかのことでもマスコミが騒げば、みな問題に見えてしまう思考停止の方々。もしくは仮に問題ではなくても政権批判をしたいだけの偽善者ともいえる。もちろん、こういうマスコミの裏側を見抜く能力さえもない。
実は、彼らはマスコミにとって、非常に御しやすい対象でもある。マスコミが世論を誘導したい時の、強力な先導役になってくれる。彼らは、本当にそれは真理だろうか…なんて立ち止まって考えたことすらない。マスコミ情報はすべて真実であり、それが自分に都合のいい内容や信じたい内容なら、なおさら正しいと思いたいし、その情報に大いに影響されて自分の頭が「加計学園は問題だ」との答えを出したら、「きっとその答えも正しい」と思いたいのだ。…もうお笑い以外の何物でもない。
私は、従来から保守的な考え方の持ち主で、朝日新聞のイデオロギーはまったく相容れないが、私が朝日新聞を購読し続けている最大の理由は、科学関連記事が非常に優れていることに尽きる。その一方で次のようにも考えている。
朝日新聞は確かに慰安婦問題捏造報道を見ればわかるように極めて問題が多いのも事実だが、評価は記事ごとに異なる。鋭い指摘の記事も多く、すべてが左寄りの内容とも思わない。そして、もうひとつ。保守的な自分の考えと真反対の朝日新聞を読むことによって、バランスを取ろうとも考えるからである。私は、どちらかというと産経新聞の内容に同調することが多いが、なにもかも保守的な答えが正しいわけがないとも思っていて、両論を読んで自分で判断したいと考えているからである。結果、その答えが保守的な内容だとしても、あくまで私の頭の中では論理と真理が最上位にある。
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