| そもそも日本国民は本当に賢いのか(笑)〜「森友問題」「加計問題」で見えてくる本当のこと〜/2017年7月29日
それにしても、このところずっとテレビを入れれば「森友学園」と「加計学園」関連の話題ばっかり。あまりの繰り返し報道で、私なんかは「学園アレルギー」になりそうだ。食傷気味なのを通り越して、吐き気さえもよおしてくる。
連日の報道によって、安倍政権の支持率は急落とのことだが、そもそもこのふたつは、これほど長期に渡って国会やマスコミで取り上げなければならないほどのことなのか、私にはまるで理解不能。野党もマスコミも、今に始まったことではないが、本当の国民の利益ではなく、倒閣が目的化してしまっているようにしか感じられない。
別に安倍さんを擁護するつもりもないが、ほかに重要なことはいくらでもあるだろう。北朝鮮のICBMの方が、日本としては、はるかに重大懸念事案だと思うが(アメリカが北朝鮮に対して軍事行動をとる可能性が増すという意味で)、日本の国民もマスコミも頭の中の論理と優先順位がおかしいとしか思えんわ。
報道内容をいくら読み込んでも、「森友問題」は、結局のところ、安倍さんの知らないところで周りが「忖度」しただけの話であり(それも問題といえば確かに問題だろうが)、「加計問題」についても、待てど暮らせど「100%アウト」といえる証拠は何ひとつ出てきていない。朝日新聞等による「前川・文部科学省前事務次官=正義の人」大絶賛キャンペーンには呆れ果てるばかり。かつての「SEALDs=若い人による新しくて素晴らしい行動」大絶賛キャンペーンと同じ手法にしか見えない。
その一方で加戸・前愛媛県知事の重要証言は完全スルー(朝日新聞では、詳報ページでは取り上げているが、肝心の本文では触れていない)。「報道しない自由」は、言い得て妙だが、このどこか真実を報道するのが社会的使命のマスコミのあるべき姿といえるのだろうか。
その朝日新聞自身が、今年6月17日に共謀罪関連記事で、ジャーナリストの津田大介さんによる鋭い指摘を掲載していた。私が、「まったくその通りだ」と感じた部分を抜き出してみると…。( )は私が補足した部分。
@ (現代は)客観的な事実より、感情的な訴えかけの方が世論形成に影響を与える時代。
A (ネットユーザーは)自分が信じたい結論が先にあり、それに合致する情報を探し出す。
B 朝日新聞も「共謀罪」を厳しく批判していたが、マスコミが否定した事実ほど信用する傾向にある人が3割程度いるというデータもある。
私は、かなり鋭い指摘と見た。まあ、Aについては、私も似たような指摘をしたことがあるが、Bについていえば、「あーいるいる。こういうバカ」と我が意を得たりという思いだ。こんな鋭くてまともな意見を取り上げる朝日新聞も、まだ捨てたもんじゃないと思うと同時に、Aについては朝日新聞自身にも当てはまることではないのか。自分(朝日新聞)が信じたい結論(前川=正義。安倍政権=悪)が先にあり、それに合致する情報を探し出しては報道する。もちろん信じたい結論を真っ向から否定する、自分にとって都合が悪い情報(加戸証言)については、「報道しない自由もある」というわけだろう(笑)。
本サイト「世の中のホント」でも指摘したように、おそらくほとんどの人は、真理を最優先させて物事を判断する習慣自体ないはずだ。真理を最優先させると、世の中には自分にとって都合が悪い話ばっかり。それにイチイチ、バカ正直に真理を優先したところで、自分自身に何のメリットもなく、それどころか「渡世」とは自分にとってのメリットをいかに勝ち取るか、ということに尽きる…と考える人も多いはず。ただ、そういう人は決して正しいことをいわないわけじゃない。自分の欲求に敵対しないことに関しては正しいことをいえば正義面できるというメリットもある。欲求に敵対しないことだから、もともと自分にマイナスはなく、その上で正義面できればカッコ付けられてプラスになる(実はみんな、多かれ少なかれ正義面したいし、正しいことも時々いうことによって、自分の都合でもって発言しても誤魔化しやすい)。だから何割かは正しいことをいっている可能性もあるし、全体としてはそれによってそこそこバランスがとれたりする。
イデオロギーの違いとは、突き詰めれば実は意外と簡単なことなのではないか、とも思える。左派の人はもともと政府とか政治家とか権力者みたいなものが理屈抜きで大嫌いで、仮に「非常に善良なる権力者」がこの世のどこかに実在していたとしても、やっぱり嫌いであり(なぜなら自分こそ正しいと思いたいから)、そんな悪の権化であってほしい巨大権力に反発する自分に酔っているだけであり、右派の人はその逆というだけではないか、とさえ思えてくる。左だろうと右だろうと、自分の好き嫌いが自らの判断に大きく影響していることを客観的に認識すらできないのか、あるいはたとえ認識できていたとしても、それに後ろめたさは一切感じない偽善者かのどちらかが大半ではないか。
自分よりも社会全体にとって一番プラスになることを優先的に選択できる人なんて、むしろ少数派だろう。口では格好いいので「世のため人のため」といいながら、行動が伴っていないのは、政治家であろうと一般人であろうとよく見りゃわかるってもんよ。
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本当に真理を最優先させる価値観を持っていれば、@〜Bすべて絶対にあり得ないはず。真理を最優先するということは、ゼロベース思考でもってより公平に考えようと努力することだが、そうではなくて自分が信じたい結論が先にあり、それに合致する情報を探し出すようなことでさえ平気でできるというわけだ。このどこが、立派な国民といえるのだろうか?
相反するAとBという意見であっても、大抵はAにもBにもいくつかの理由があるもの。その理由を比較して、どちらがより優れているか、公平に判断できる人こそ、真理を最優先して判断できる、まともな人といえよう。
Bのような人が3割(実際はもっと多いんじゃないかとも想像するが)もいる時点で、本当に有権者に最も適切な政治家、最も適切な政策を選ぶ能力があるのか、大いに疑問符が付くような話である。正直な話、日本の国民は自分たち自身が思っているほど賢くないし、今回の件でも、現段階で安倍政権の支持率が急落すること自体、いかに国民の判断がまったく信用に値しないかの証拠でしかない。
勘違いしてはいけないのは、「加計問題」は今のところ「疑惑」でしかないということだ。「疑惑」でしかない現段階で勝手に「安倍はダメだ。支持しない」と結論づけてしまうような国民は、裁判に例えれば、決定的な証拠もないのに容疑者を犯人と決めつける裁判官みたいなもの。もし、そんな裁判官がいたとしたら、まったく信用に値しないと思うが、国民はそれと同じようなことをしているのである。こんなレベルの国民のどこが信用に値するといえるのか。
いっぱしをいくら気取っても、所詮は自分が正しいと信じたい特定のマスコミ情報やまわりの意見にも大いに影響され、残りはタダのイメージだけで判断を下しているに過ぎないし、もともと大して論理的ですらもない、ぶっちゃけ、実はかなりお粗末な集団。それが、愛しのわが日本国民というわけだ。
Bの人は、「マスコミ情報=真実」と思い込んでいるのだろうが、これもまた随分バカな話。マスコミ情報って基本的にすべて二次情報や三次情報。当たり前だが、一次情報は極めて限られる。そんな不正確な可能性もある二次情報や三次情報を無条件にすべて正しいと信じ込む人も、申し訳ないが、相当問題があると思うね。
私は、マスコミ情報とは科学の分野における専門家の見解と似たようなものだと考えている。科学に関する報道でも専門家の見解がよく取り上げられ、国民はそれを神の声のようにとられていると思うが、実はそうではなく「少なくとも私はこう考える」程度の意見表明に過ぎないことも多い。基礎的な事案では、「真実」もしくは「ほぼ真実」と断言できる場合もあるが、専門家でも見解が違うことはよくあることなのだ。
マスコミ情報もこれと同じ。「有名なマスコミの情報だから、きっと正しい」ではなく、本当のことをいえば「弊社が取材したところ、一応、こんな結果になりました」くらいの意味しかない。その情報は正しいかもしれないが、間違っている可能性もある。
なぜそういえるのか。その答えは至極簡単だ。それは複数のマスコミ情報に目を通すと、相反する内容ということが割とあるからである。A社は「真実はaだ」といい、B社は「真実はbだ」という。aとbの内容が互いに矛盾している場合、A社もB社も正しいなんてあり得ない。論理的にあり得るのは…
・正しいのはA社で、B社は間違い。
・正しいのはB社で、A社は間違い。
・A社もB社も間違い。
…この3パターンのいずれかの可能性しかない。だから特定の1社の報道しか読まない人に公平な判断はそもそも不可能なのである。昔は一家庭に一紙と決まっていて、国民の認識も偏りがちだったわけだが、今はネットにより複数の記事に触れることができる。複数の記事によく目を通し、自分が正しいと信じたい結論に固執せず、好き嫌いからはとりあえず距離を置き、あくまで真理は何か、冷静で緻密な視点で判断すること。あらゆる常識や情報は、とにかく徹底的に疑うことだ。世の中には、割とウソがまかり通っている。なぜなら、真理を最優先して物事を判断しない人が実はとても多いからにほかならない。
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