| 自粛って、そもそも何だろうと考えざるを得なくなる本当のこと/2016年4月30日
まず最初に申し上げておくが、本項の趣旨は何も大災害時の自粛を否定することではない。その点を勘違いしないようにして頂きたい。
さて、東日本大震災や熊本地震のような大災害が発生すれば、社会全体が自粛ムードになる。行き過ぎた自粛は、むしろ被災地の足を引っ張ってしまい、今回も「自粛するよりも熊本焼酎を買って宴会でもする方が被災地のためになる」という指摘があったが、その通りだと思う。
一方、ある程度の自粛は、私自身これまでは当たり前のようにとらえ、特に考えたこともなかった。地震で家族や家を失い、悲しみに暮れている人がたくさんいるのだから、その心中をおもんぱかって、ある程度の自粛は当然…おそらく多くの人はそう考えるだろう。私もそれには同調する。しかし、熊本地震をきっかけにいろいろ考えを巡らせ、別の視点から掘り下げてみると自粛って、そもそも何だろうと考えざるを得なくなることにハタと気づかされた。
ところで日本国内の年間死亡者数は、どれくらいかご存じだろうか。厚生労働省が公表した「2014年度人口動態統計の年間推計」によると約127万人である。つまり、1年間に政令指定都市の人口に匹敵する数の人々がお亡くなりになっている。単純に計算しても毎月10万人を越える数だ。しかも年間死亡者数は昭和41年以降、ずっと増加傾向にある。当然、遺族の数となると、その十倍は軽く越えるだろう。喪に服す期間は、続柄によっても違うが、一般に両親の場合は13ヶ月、兄弟や子供、叔父叔母などの場合は3ヶ月とされ、単純に計算しても毎月、喪中に入る人が少なくとも100万人レベルで存在することになる。これは、あくまで月単位で喪中に入る人の大雑把な推計値であり、同期間に喪に服している人となると、その数倍になることは間違いない。
つまり、何もない平時でも国内に「家族を失い、悲しみに暮れながら喪に服している人々」が、月単位で少なくとも数百万レベルで存在することになる。これが東日本大震災や熊本地震の被災者数と比較して少なければ矛盾しない。平時よりも大災害の方が数が多いのだからから、普段はしなくても大災害時には社会的影響を考えて自粛する…というのは納得できる話だ。しかし東日本大震災の死亡者数に震災関連死亡者数、負傷者数、被災者数をすべて加えたとしても、平時の死亡者+遺族の数の方が圧倒的に多いのだ。せいぜいいえるのは、一度に多くの人が地震という自然災害で亡くなった、その衝撃が大きいくらいだろう。
東日本大震災や熊本地震で自粛するのが当然なのであれば、平時でも喪に服している人の「悲しみに暮れる」心中を察して自粛すべきということにならないか? 大災害と何が違うか、うまく説明できるだろうか? 地震で亡くなられた方は気の毒だが、平時に病気や事故で亡くなられた方は気の毒じゃない? 常時、数百万レベルで存在する、その遺族の心中は考えなくていい?
いうまでもないが、平時に亡くなられた方やその遺族にまで社会全体が配慮していると永遠に何もできないし、日本経済は確実に停滞・失速する。だから普段、喪に服している人の心中までは考えないことにしよう…ということなのか。もちろん私自身、普段もずっと自粛する方がいいとは思わないけどね。でも、こういうことを考えると、そもそも自粛ってなんだろうって思うわけよ。ある程度は必要だろうけど、突き詰めて考えると矛盾もある。そして誰もそれに気づいていないし、誰も「不謹慎だ」と批判しないので社会的には、とりあえずその慣例が成立しているということなのだろう。
みなさんは、どう思う?
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