Nature
自分のテストはきっと高得点だとみんな勝手に思い込んでいる/2016年1月23日

 タイトルだけでは意味がわからないと思うので説明しよう。以前、本サイトでも書いたことがあるが、誰しも自分の考えは基本的に正しいと思っている。なぜなら、そういう前提でないと生きられないからだろう。これは人間の性(さが)みたいなもので、たとえ学者であっても逃れることはできない。でも物事の判断を別のものに置き換えて考えてみると、まったく違う側面が見えてくる。

 世の中には、複雑すぎて時間を経ても正解を判定できないことも多いし、正解がひとつとは限らないこともよくある。そこで「時間が経過すれば白黒の判定ができる事案」だけで考えてみたい。であれば当然、テストのように答え合わせができるし、点数化もできるわけだ。もし本当に「自分の考えは基本的に正しい」のが真実だとしたら、みんながみんなテストの点数が高得点ということになる。でも、それは論理的にあり得ない。異なる意見というのは、基本的に背反しているわけだから「すべての意見が正しい確率は0%」と断言できる。

 自分はこの件に関してはこう思う。別の件についてはこう考える。みんなそんな風に、さまざまな事に対して考えを持っていて、みんな基本的にその考えは正しいと思い込んでいる。中には、「結論ではなく暫定的な意見」とか、「自信に乏しい意見」ということもあるだろうが、総じていえば「自分の考えは正しい」という基本姿勢から外れている人はまずいないだろう。でも自分という視点ではなく、少し高い位置から自分も含めて複数の人を俯瞰するように考えてみると、みんなが100点満点、もしくは高得点というのは絶対にあり得ないことに気付く。

 例えばである。社会問題でも政治問題でも、なんでもいいのだが、問題(イ)〜(ヘ)についてAさんからJさんまでの10人に意見を聞いたとしよう。当然、同意見もあれば、十人十色でそれぞれ意見が分かれることもあろう。そこで何年か経過して結果がすべて揃った時点で検証したら、仮に次のような結果だったとしよう。


 ●問題(イ)

 Aさんの意見…a 正解!
 Bさんの意見…b 正解!
 Cさんの意見…c
 Dさんの意見…d 正解!
 Eさんの意見…e
 Fさんの意見…f
 Gさんの意見…g 正解!
 Hさんの意見…h 正解!
 Iさんの意見…i 正解!
 Jさんの意見…j 正解!


 ●問題(ロ)

 Aさんの意見…a'
 Bさんの意見…b'
 Cさんの意見…c'
 Dさんの意見…d'
 Eさんの意見…e' 正解!
 Fさんの意見…f'
 Gさんの意見…g'
 Hさんの意見…h'
 Iさんの意見…i'
 Jさんの意見…j' 


 ●問題(ハ)

 Aさんの意見…a'' 正解!
 Bさんの意見…b'' 正解!
 Cさんの意見…c'' 正解!
 Dさんの意見…d'' 正解!
 Eさんの意見…e''
 Fさんの意見…f''
 Gさんの意見…g'' 正解!
 Hさんの意見…h''
 Iさんの意見…i'' 正解!
 Jさんの意見…j''

 

 ●問題(ニ)

 Aさんの意見…a'''
 Bさんの意見…b''' 正解!
 Cさんの意見…c''' 正解!
 Dさんの意見…d''' 正解!
 Eさんの意見…e'''
 Fさんの意見…f'''
 Gさんの意見…g''' 正解!
 Hさんの意見…h''' 正解!
 Iさんの意見…i''' 正解!
 Jさんの意見…j''' 正解!


 ●問題(ホ)

 Aさんの意見…a''''
 Bさんの意見…b'''' 正解!
 Cさんの意見…c''''
 Dさんの意見…d''' 正解!'
 Eさんの意見…e''''
 Fさんの意見…f''''
 Gさんの意見…g'''' 正解!
 Hさんの意見…h'''' 正解!
 Iさんの意見…i''''
 Jさんの意見…j''''


 ●問題(へ)

 Aさんの意見…a'''''
 Bさんの意見…b''''' 正解!
 Cさんの意見…c''''' 正解!
 Dさんの意見…d'''''
 Eさんの意見…e'''''
 Fさんの意見…f'''''
 Gさんの意見…g''''' 正解!
 Hさんの意見…h'''''
 Iさんの意見…i'''''
 Jさんの意見…j'''''



 検証以前は、みんな自分の意見は正しいと思っていたのに、おそらく実際に検証してみると、このような自分の認識・予想とは異なる結果になることの方が多いと想像される。確かにBさんのように正解率5/6で8割以上正しかった人もいれば、Eさんのように正解率1/6の人、あるいはFさんのように正解がひとつもなくて0点の人もいるわけだ。

 でも、繰り返しもう一度いうが、検証前は全員が自分の考えは基本的に正しいと思い込んでいたわけだ。上図でいうと、すべて不正解で0点だったFさんの場合、ご本人の頭の中では、検証以前は自分だけすべてに「正解!」印が付いていると思い込んでいる構図を想像すれば、いかにオメデタイ&あり得ない発想か、よくわかるだろう。結果からいうとBさんの認識はほぼ正しかったといってよいが、EさんやFさんの判断はまるでズレていたことになる。ただEさんはトータルの正解率は低いが、問題(ロ)では残り全員が不正解だったのに一人だけ正解を出している。こんなことは現実にもあり得るだろう。

 世の中の実態もこの仮想結果と似ていて、問題の難易度にもよるが、単純に考えても半数程度の人の正解率はおそらく5割以下であろうと推察できる。
 本来、物事の判断には、緻密な情報や論理性など、複数の要素が必要なことも多く、誰でも優れた判断ができるわけではない。しかも、おそらくほとんどの人は、主にマスメディアやネットから得たわずかな情報だけを判断材料にして、よく熟慮もせずに自分の頭に浮かんだことが正しい答えだと思い込んでいる。しかも前回の記事でも書いたように多少なりとも理由があったり、あるいは同意見の人を得たりすると、もう絶対的な確信に変わっちゃったりする。しかし「わずかな情報だけを判断材料にして熟慮もせずに頭に浮かんだことを自分の意見としている人」が、「多くの情報を判断材料にして熟慮の上に論理的に答えを出している人」よりも優れた答えを導き出せるわけがないのだ。しかも自分の意見に理由があるといっても、探せば好都合な情報がひとつやふたつ必ずあるもので、重要なのは「理由が存在する」ことではなくて「複数の理由の中で、最も優れた理由であると客観的にいえるかどうか」だ。

 世の中には自分の考えに自信満々という人がよくいらっしゃる。どちらかというと女性よりも男性に。若い人よりも中高年の年齢層に多い。例えば超難関大学の出身者とか、医師とか弁護士、大企業の重役みたいな社会的にハイクラスな人とか、その自信の背景にそれなりの根拠がある人が自信満々というのなら、まあ、半分は納得してあげるのだが、私の過去の経験をいわせてもらえば、どちらかというと社会的にパッとしない境遇の、しかもあまり聡明な印象を受けない人に限ってバカみたいに自信満々という印象がある。鼻持ちならない自信過剰なエリートも当然いるだろうが、むしろ賢い人ほど、自分の意見に慎重で「自分にも間違いがある」ことを知っている。誰かに教えられなくても、そのことにとっくの昔に気付いている。そういうことに冷静に頭が回る人だからこそ「賢い」のだ。

 そんな人は、メタ認知能力が高いことが多い。メタ認知とは、心理学や脳科学で使われる用語で、つまり「高次の認知」。自己の認知を客観的にとらえる能力をメタ認知能力という。自分の判断は常に正しくて、間違っているのはすべて他人の方と思い込むような人は、メタ認知能力が低い典型例。逆に自分の問題点を客観的に気づける人はメタ認知能力が高いことになる。自分の問題点を客観的に認識できれば、軌道修正もできる。実は間違いだらけなのに自分は絶対に正しいと思い込み、軌道修正もできず脱線したまま、これが正しい道だといつまでも盲信して生きていく人よりも、自分の問題点は早々に気づいて軌道修正できる人の方が、失敗にもつながりにくいし、プラスの結果を生むのは間違いない。

 おそらく正解率が平均以下の人は、認識や知識などのどこかに問題があって、その結果、間違った判断をしたとしても頭の中でスルーし、「気付かなかった」「見なかった」ことにし、そんな不愉快なことよりも自分にとって都合のいい正解例・成功例だけを記憶に留め、次からもやっばり「自分の判断はきっと正しい」という前提で、前回の間違いを引き起こした問題を修正することもなく、やっぱり同じ判断ミスを延々と繰り返す。

 自分の判断における過去の正否の割合なんて考えたこともないし、そんな人生の成績表みたいなことに絶対に真っ正面から向き合いたくない。「オレの判断は、きっと正しい」とただひたすら思い込みたい。たとえ虚勢であっても、そう胸を張りたい。というか、彼らにはそうするしかないのだ。たとえ見かけだけだとしても自信を保持するにはそれしか方法がないからだ。

 メタ認知能力に優れた人は、早い段階から自分に真っ正面から向き合っているので、すでに自分のいい面悪い面をよく知っている。だからいつ何時向き合っても怖くない。しかしメタ認知能力に欠ける人は、これまで自分に真っ正面から向き合ったことがないので、実は自分をよく知らないし、自分に向き合うということがどういうことなのかすらよくわかっていない。たとえ理解したとしても今さら怖くてできないのだろう。




 
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