| 頭の中に「根拠」という言葉が存在しない人々/2015年11月29日
宇都宮市であった重度の糖尿病男児が亡くなった事件。男児の両親にインスリン注射を止めるようにいったという自称・祈祷師の男が逮捕されたそうだが、それにしても驚愕だ。いくら子供の健康のことを真剣に考え「わらをもすがる思い」だったとしても、今時、医師よりもこんな珍妙な自称・祈祷師のいうことの方を信じる人がいるとはね〜。
腹の中に悪霊がいる。そいつを退散させれば、この子の病気は治る。えっ、そうなんですか。じゃあ、あなたのいう通りにします!! …という会話があったのかなかったのかは知らないが、それにしてもあり得ん話だろ。
普段から感じていることだが、「根拠」という言葉が頭の中に明確に存在していないとしか思えない人は実際よくいらっしゃる。例えば、何かのことについて「自分はこう思う」と意見を主張するにしても、そのあとに理由が続かない。理由まで喋っていると長くなるので省略することもあると思うが、「根拠がなきゃ説得力ねぇーよ」といいたくなるような場面でも根拠が語られない。それがいつも…となると、物事を論理的に考える能力や習慣がないとしか思えない。
頭の中に「根拠」がない人は、このような詐欺師に騙される可能性が高い。もし私が男児の親なら、この祈祷師がそういったとしても、すぐに「で、あなたがそう仰る根拠とはなんでしょう?」って聞くけどね。まあ、どうせ根拠ともいえない根拠くらいしかいえないだろうし、それならそれで何も言い返せないところまでとことん追い込んでやるけどね(笑)。
ところで自分の意見にその理由まで付け加える人は、まだマシなんだけど、注意しなきゃいけないのは、そういう人の中には、理由があること自体が自信につながっている単純な人が結構いるということだ。オレは、こう考える。だって、これこれこうだろっ…と自信満々。でも、違う意見の持ち主もあなたと同じように理由くらいはあるのだ。重要なのは、こうした異論の中にあって、本当に自分の意見が最も優れていると客観的にいえるかどうかなのだ。
他人の異論に対して最初から偏見の目で見るのではなく、少なくとも一度は公平な視点から検証し、異論に一理あれば自分の意見を修正して取り入れ、異論の方がやはり違うと考えるのであれば、その根拠をきちんと用意することが絶対に必要。そういう複数の異論に対して同様の過程を経た上での「自分の意見」であれば自信満々に語っても納得してあげるのだが、この過程をすっ飛ばす人って結構多いのだ。
そもそもテレビなどで意見を語る文化人もマスコミも、一応はみんな最初は公平な視点から出発して、それぞれ自分の意見というものを持っているように見えるが、実はそれほどじゃないと思うんだよね。一度は口にした自分の意見を変えるのが格好悪いので変えたくないとか、自分にとって都合のいい意見は絶対に変えたくないとか…ね。まあ、みんな、ご立派なことを主張していても所詮そんなもんだよ。特に重要なのは、どんなことをしても意見を曲げたくない人と議論してもまったくの無意味で時間の無駄ってことは、よーく胆に命じておこう(笑)。
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