| オリンピックエンブレム問題で考えたこと/2015年9月3日
結局、一度は決定したエンブレムの使用は中止され、新たに選定されることになったが、それにしても後味が悪い。私が何よりも問題視するのは、一見、盗作のように見える佐野氏ではなく、むしろそれを声高に糾弾する一般人の方である。これってSTAP細胞の時とすごく似ている。STAP細胞問題に関しては、本サイトでも繰り返し取り上げ、小保方さんへ対する世論の批判は過剰過ぎることを、その理由とともに書いたが、今回の件はそれとほぼ同じ状態だと思う。
さて、オリンピックエンブレムの問題は、みなさんもよくご存じの通り次の4点からなる。
@ エンブレム決定案が、ベルギーの劇場ロゴと似ていた
A トートバッグデザインに盗作疑惑
B エンブレム当初案も、タイポグラファーのポスターと似ていた
C エンブレム展開案に使われていた写真の盗用疑惑
本来、こうしたことは、それぞれ中身を精査し分けて考えなくてはならないはずだ。例えば警察が容疑者の複数の容疑を捜査する際、ひとつの容疑がクロと判明したからといって、同時にほかの容疑もクロと判断されることはない。それぞれの容疑も詳しく調べた上で、すべての容疑がクロとなることもあれば、一部の容疑だけがクロと判断されることもあるはずだ。今回の問題で世論は、疑惑が出れば出るほど印象を悪化させ→佐野はパクリばかりしている→日本の恥だ…とすべての疑惑をセットにして極めて短絡的に反応している。4点のうち、いくつかはあくまで「疑惑」に過ぎず、マスコミもその点を考慮して慎重な言い回しをしていることも多いのに、その言い回しの行間を読み取ることすらもできない一般人が、無責任な安全圏から正義を気取って(実はおもしろがってるだけ)佐野氏を糾弾し、それでもって世論が形成されているわけだ。実に恐ろしい状態だと思う。
結論からいえば、私が完全にアウトと判断するのは、上記4点のうちAだけである。まず@だが、この件でベルギーの劇場ロゴと並べて比較する映像を見せられて、「あ、ホントだ!! すごく似てるじゃないか。佐野はパクったな」と思った人は、全員、確実にデザインに関して何の知識もない人と断言してよい。
よく考えてみよう。今回のエンブレムのように丸や四角の至極単純な形の組み合わせで、しかもアルファベットという至極ありきたりの文字をイメージして作られたデザインであれば、当然、盗作しようという意図がなくても似たデザインが生まれやすい。ネット上では、こうした観点から有名な企業のロゴやマークにも、非常によく似た例があることを指摘しているサイトもあった。例えば、ホンダのマークとヒュンダイのマークも似ている…など。
参考
http://tocana.jp/2015/08/post_7109_entry.html
http://webbiz.hateblo.jp/entry/2015/08/01/224242
世界中にこれだけ膨大なマークやロゴがあれば、デザイナーに悪意がなくてもどうしても似てしまうことが発生する。今回は、オリンピックエンブレムだからこそ、徹底的に検証されて似たものを探し出されただけだと思う。科学史を塗り替えるほどの世界的に注目された内容だからこそ、徹底的に検証されたSTAP細胞論文と同じだ。何も指摘されていない無名のデザインには何の問題もなくて、佐野氏に突出した問題があったわけではない。
彼らは、ベルギーのデザイナーが提訴したというのを聞いて「やっぱり!」と思うわけだが、私は、ベルギーのデザイナーとしてはオリンピックエンブレムという全世界的に注目されている内容だけに名前を売る絶好の機会と考えた結果だと見ている。口では「私のオリジナリティーが盗まれた」とか、いろいろいうだろうが、プロのデザイナーなのだから本音では「単純な形の組み合わせでは、意図しなくてもデザインが似てしまうことがある」ことくらい理解しているはずだ。それもわかった上で、仮に裁判で負けても自分にとっては名前が売れて有利になると考えて提訴したのだろう。
そもそも論として、ベルギー劇場ロゴは、佐野氏のような一流の実績を持つプロのデザイナーが、盗作してでも真似たいほどの魅力的なデザインだろうか? ということである。ベルギーのデザイナーには申し訳ないが、私はまったくピンと来ない。
おそらく将来、このベルギーのデザイナーや、日本のテレビ番組で今回のような件は自分にはまったく無関係であり、「あくまで私は佐野氏を叩く世間一般の味方です」みたいな顔をして偉そうなことをいってる「デザインの専門家」も、いずれ今の佐野氏と同じ立場に立たさせる可能性は十分にある。この問題はそういうことまでも含んでいる。
また、「プロならデザイン案を出す前にしっかり調べろ」という批判もあったが、商標登録されたものを調べるのは比較的容易だろうが、いくらネットで画像検索ができるといっても、検索で類似デザインが100%上がってこない可能性もあるのではないか? 以上のことは、Bについても同じことがいえる。
次にCについては、一見、佐野氏の疑惑をさらに強固なものにしそうだが、デザイン業界やメディア業界にいる人であれば、「内部資料として作ったものが公になってしまった」という佐野氏の説明にある程度、納得したはずだ。あくまで関係者しか目にしない原案であれば、ネット上の画像をちょっと拝借して使うことは普通にある。これを「盗用」と切り捨てるのは、どう考えても行き過ぎだ。
AについてもCと同じような原案に過ぎなかったものを、うっかり最終デザインとしてクライアントに納品してしまった可能性がある。私は、出版業界でデザイナーとも一緒に仕事をしてきた経験から、頻繁に発生することはないにしても十分にあり得る話だと思った。
あくまで想像の域を出ないが、原案でクライアント側のOKをもらって、そのあとにオリジナルのイラストと差し替える予定だったのに、複数の仕事をかかえていたスタッフが、ほかの案件の進行と混同してしまって最終デザインとしてそのまま納品してしまった。あるいは、オリジナルのイラストと差し替えた最終デザインも作ったのに、納品する際にPC内の同じフォルダーに保管しておいた「原案デザインファイル」と「最終デザインファイル」をうっかり間違えてしまった…とかね。
その可能性もあるのに、佐野氏の事務所が日常的にパクリばかりしているかのように批判するのは、現時点ではかなり違和感がある。ただ、Aについてはすでにクライアントが使用しているので、佐野氏側に悪意がなかったとしても、結果論としてはアウトなのは間違いないと思うが…。
ネット上の記事に目を通すと、私と同じような冷静な意見の持ち主も結構いるようだ。あるイラストレーターの方が書いた以下の記事は、まったくもってその通りだと思った。
http://www.mag2.com/p/news/27248
以下、特に同意したい部分を引用しておくと…(特に赤字太字部分は「激しく同意!!」。この記事を書いた人に握手を求めたいほどだ)
で、この件で最もガッカリしたのは、まさかと思ってた人までがすっかり釣られてしまって叩きに加わってること。
氏と「同類」に見られたくないための過剰反応かもしれないけど。マスコミまでがおもしろおかしく紹介してるし、「今回のオリンピックは何でも叩き放題ですよ〜!」って共通認識になっちゃったらしい。
なんちゅうか、ここまでくると佐野氏の件はどうでもよくなってて、大勢の人が安全な場所から個人を叩き続けて、恥ずかしいとも思わない風潮が嫌すぎ。
「民度が低い」としか言いようがない。足元の地面が崩れていく感じ。それに、落ち度がなくとも自分も叩かれる側になるかもという恐怖。騒いでる大半の人にこの恐怖はないだろうけど、それが「安全圏から叩く」なのだ。
ところで、僕はグラフィックデザインは多少知ってるから、専門家ではない文化人や芸能人など著名人たちのあまりにも的外れなコメントにあきれた。ってことは、誰もが専門外のことについてはデタラメを言ってる可能性がある。「わかんないのなら首をつっこむな」だ。そのへん肝に銘じたい。
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「まさかと思っていた人たち」が具体的に誰を指すのか不明だが、私が同様に感じた人を一人挙げるとすれば、教育評論家の「尾木ママ」こと、尾木直樹氏である。この人は佐野氏のことを「日本の恥」と斬り捨てているそうだが、まあ、テレビなどで意見を求められることが増えるにつれ、専門外のことでも自分は正しい判断ができると勘違いされているのだろう。この人は、教育問題では的確なことをいわれていると思うし、人間としては優しい心の持ち主だろうとも思うが、私のこれまでの勝手な印象をいわせてもらえば、教育問題以外のコメントでは70才近い年齢の割に薄っぺらいと感じることが多い。
それはともかく、この記事の当初配信のタイトルは、『パクリ疑惑で佐野研二郎氏を叩く「何も分かっていない」人たち』だったのだが、記事最初に触れられているように変更されている。当初タイトルもそんなに内容とズレてないと思うが、どっちにしてもこの記事の指摘は同意する部分が多い。
別のQAサイトでも、デザイナーだという回答者が「この問題は、デザインの理解が非常に低いレベルの者同士でのやり取りだと思います」と書かれていたが、それとも重なる。そして、まるで別分野のことではあるが、私がSTAP細胞におけるマスコミや世間の反応に心底驚き、「あー、こいつら何もわかっていない」と大いに呆れ、目眩がしまくったことにも重なってくる(マスコミも世論も本当にバカ丸出しだった)。
世間一般の人たちは、誰でも判断できる社会一般のことと、専門知識がないと判断できない専門性の高いこととの区別がついておらず、どんなことでも自分たちはジャッジを下せると思っている。おそらく自分自身の学歴や職業の専門性が高くないので、その落差がどれほど大きいか、ということに想像力がまるで働かないのだろう。当然、専門性の高いことに関しては、そもそも判断云々以前に判断に必要な要素をすべて想起することすらできないし、従って正しい判断自体ができるはずもないのに、自分と同様の意見を見聞きしただけで自信満々になり、平気でズレたことを口している。みんな自分と同じ意見だ…多くの人が同じ意見ということは、やっぱり自分の意見は正しい…と。でも、その多くの人もあなたと同じく、その分野のド素人さんなのだ。素人の意見がネットやメディアによって結びついて拡大し、巨大なバイアスが作られてしまっている実態にまるで気付いてもいない。
こういうモンスターみたいな人たちでも大きな集団になると、あたかも神の声の如く「自分たちこそ正しい意見」とばかりに世論を形成し、しかも困ったことにテレビなどで意見を求められるオピニオンリーダーさえも、そういう巨大な世論に媚びて、どこか慎重で遠慮した物言いをしたりする。でも、それって権力者に対して批判を遠慮するのと同じことではないか? その昔、どこの国でも権力者の声は「正しいもの」として誰もが批判や反論ができなかった。それが問題とされて民主主義が生まれたわけだが、今度は逆に世間一般の声が権力者と同じく無条件に正しいものと見なされ、それに反論できない空気が生まれている。本来は、どちらか一方を無条件に正しいとみなすこと自体が大いなる勘違いなのではないのかと、私は思うのだが…。これは、最近の安保法制や原発反対の世論についても、まったく同じことがいえる。
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