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小保方会見で私が考えたこと(2)〜小保方さんの主張はそれなりにスジが通っている〜/2014年04月13日

 私は、以前から日本のおける世論とは、極端な反応をすることが多いと感じていた。今回も、最初は「リケジョの星」とばかりに大絶賛。どうでもいい彼女愛用の指輪ブランドまで調べ上げ、それをわざわざ記事にして報道する(くっだらねー)。ところが、論文の不備が次々に発覚すると一転、批判の嵐。本来は無関係なプライベートなことまで徹底的に探してきて、「実は痛いリケジョだった」と散々こき下ろし、真実かどうかもわからない情報をもとに、記者の憶測だけで、あたかも真実であるかのように平気で記事にする(それってプロの記者としては完全にアウト)。しかも、小さくなって泣きながら謝罪しているにも関わらず、それでもなお、その前に仁王立ちになって批判を続けるわけだ。当然、自分は「ウソツキ女」を叩きのめしている正義だと酔いしれながら。

 今回の会見でも「あなたねぇ、人を騙しておいて…」みたいなきつい口調で質問をしていた記者がいたらしいが、この人は、人のことを批判する前に自分が本当にマスコミ業界にいるべき人間なのかどうか、一度考え直した方がいい。この記者は、本質的なところを何も見抜けておらず、自分では何も考えてはおらず、表面的な情報だけを取り入れて勝手に決めつけているだけだ。つまり、記者としては完全に疑問符しか付かない。

 おそらく理研の調査委員会が、捏造と判断したことだけを見て「人を騙している」と決めつけているのだろうが、本質的なところをきちんと見れば、むしろ理研の論理の方がおかしいという話であって、おそらくそれに気づいている、まともな記者もたくさんいると思うが、この記者はお気の毒なことにそれにお気づきになっていないらしい。自分の無能ぶりをテレビカメラの前で自ら大っぴらにするとは、本当にマヌケとしかいいようがない。

 それはさておき、日本の世論はなぜ、これほどまでに極端なのだろうか。その理由は簡単だ。日本人は、一致団結して集団行動するのが、なによりお得意で、それを美徳とする国民性。しかも論理的に物事を考えるのが不得手なので、「0」か「1」かみたいな単純な発想になりやすいという下地まで揃っている。何かを判断するとき、自分で考えるんじゃなくて、まず何よりも「まわりはどう判断しているか」を気にし、それを最大限参考にしながら自分の意見を決める。であれば当然、意見が同調しやすく、そういう極端な反応になりやすい。

 今回の件で最も重要な点は、「彼女は結果を捏造したわけではない」ということである。画像の切り貼りとか、いろいろ問題点や不備が指摘されているが、それはある意味、枝葉的なことであって、それがあってもなくても結果自体には影響はしない話なのだ。確かにミスが多くて信頼性を失っているのは間違いないが、だからといってSTAP細胞の存在自体が完全に否定されたわけではない。

 そもそも捏造することに何のメリットもなく、デメリットというよりも研究者生命が危機に陥るという高いリスクしかない。彼女は、数ヶ月前までは無名の研究者で、理研のユニットリーダーという研究者としては優遇され安定した立場にあり、わざわざ高いリスクをとってまでして捏造する動機は考えにくい。

 かつて石器発掘を捏造した考古学者がいたが、バイオサイエンスにおける捏造とは、考古学よりも圧倒的にハイリスクである。なぜなら考古学では、検証に時間がかかるが、バイオサイエンスの特に世界中の研究者が注目する結果では、すぐに再現実験が行われ検証されるだろうことも容易に想像される。つまり、ソウル大・黄教授の一件を知らないはずがない彼女が、捏造という手段を選ぶとは到底思えない。

 再現実験の成功者がまだいないといっても、最先端の研究では、最先端だけに珍しいことではない。また記者会見で根拠を示さなかったことを訝る専門家の意見もあるが、私は今回の記者会見でそれをオープンにすることはしないんじゃないかと思っていた。それはいろいろな理由が想定されるが、ひとつは体調も万全ではない状況で、しかも論文のミスを指摘されまくったあとだけに、やはり今度はうっかりミスをしないように…と余計に慎重になるだろうと想像したからである。

 それに記者会見では、もしウソなら、いずれ必ずバレて、余計に目も当てられない状況に陥るだろう情報を彼女は自ら積極的に発言していた。私はそこに彼女の自信を感じる。
 少なくとも世間が想像しているような「痛いリケジョがやっちまった」みたいな話じゃない。

 私は、今回の一件もiPS細胞移植手術の誤報騒動と同じで、国民とマスコミの科学音痴ぶりとバカっぷりがバレちゃっただけだと考えている。本当に呆れるほど単純で何も見えていない。
 記者たちは一応、ブランドマスメディア名が名刺に入るだけで、あたかも自分も何かの権威になったように錯覚。本当は、それほどでもないのだけれど、そう思いたくて思いたくて仕方ない。自分たちは社会を代表して検証し、正しい情報を届けている「権威」だと思い込んでいるが、国民はその自分たちを検証対象として見始めていることにまだ気づいていない。

 アウトなのは、彼女じゃなくて、単純でおバカな国民とマスコミの方であり、真理よりも組織防衛を優先した理研であり、さらにいえば、科学的な視点からしか考えられず、それ以外の想像力はあまり働かない、マスコミから意見を求められた専門家の方である。

 彼女は早稲田大学にAO入試で入ったそうだが、実にAO的な人材だと思う。一般的な研究者にあるべき姿からはやや外れていた部分もあったかもしれないが、すごく優秀で、発想もユニーク。そういう人材を拾い上げるのがAO入試の目的だとすれば、それは成功しているといっていい。今回の件は、今後は注意すればいい話であって、それでもって彼女の研究者生命を奪うようであれば、日本の科学立国としての未来はない。日本という国がアウト。それくらいの話である。
 (連載終わり)




 
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