| 小保方会見で私が考えたこと(1)〜小保方さんの主張はそれなりにスジが通っている〜/2014年04月11日
すべてではないが、小保方さんの記者会見を見た。あの会見を見た専門家からは厳しい意見が相次いでいるようだが、私は小保方さんの主張には、それなりにスジが通っていて、そんなにおかしなことはいっていないと考えている。…なんてことをいうと「おまえは普段から科学リテラシーとかいってるくせに、根拠を提示しなかった、あの記者会見を認めるのか? 専門家はみんな否定的な意見しかいってないじゃないか」とツッコまれそうだが、私はその専門家の意見も少し違うと思うのだ。確かにSTAP細胞に対する疑惑を晴らすには、専門家が納得する科学的な根拠を示すしかない。それは絶対に間違いないし、その部分は一切否定しない。
しかし、その一方で私はこうも思う。専門家は、みんな科学の視点からしか見ていないし、それは科学者なのだから当然のことではあるんだけど、この一件は科学的な側面だけではなく、いろいろな要素が絡み合っている。確かに本質はSTAP細胞という完全な科学の範疇の問題には違いないが、それだけで判断してしまっては真実には迫れないと考えている。
◆例えば専門家のこんな意見…
「世紀の大発見の要ともいえる重要な写真を取り違えるなんてあり得ない。それはアルバムに自分の子供の写真を貼ろうとして、うっかり他人の子供の写真を貼っちゃうようなものだ」
仰りたいことはよくわかるけど、私は少し違うと思う。どういうことか説明しよう。このページは、ホームページビルダーで作っているが、写真と文章をセットにするという意味では、パワーポイントと同じようなもの。そのホームページビルダーで、例えば山を写した写真ファイル「img100」を挿入したページを作ったとする。その後、新たに海を写した写真で新しいページを作成・保存する時、たまたま写真ファイル名が同じ「img100」だった場合、以前のバージョンでは、上書きするか、しないかの選択画面すら表示されず問答無用に旧ファイルが上書きされてしまっていた(その後のバージョンで選択画面が表示されるように改善された)。つまり、このことは自分の意図しないところで、最初のページの山の写真が、自動的に海の写真に差し変わってしまうことを意味している。
この例のように掲載写真の内容がまるで異なれば、差し変わってもすぐに気づくだろうし、掲載点数が多くても写真のアスペクト比(タテ・ヨコの寸法比)が異なる画像であれば、タテかヨコのどちらかが延びるか縮むかした変型画像になるので、気づくだろうが、よく似た画像で、しかもアスペクト比が近ければ気づけない可能性もある。
小保方さんが使っていたパワーポイントでは、こうしたことが起こり得るのかどうか知らないが、そうでないとしても次のような場合も想定される。
@ソフト上ではなく、フォルダ上で不要な画像を整理削除した時にうっかり真正画像も一緒に削除してしまった。しかし本人はそれに気づかない。A後日、ソフト上でページを確認したところ、画像が表示されないことで画像ファイルをうっかり削除したことに初めて気づく。Bそこで別のフォルダに保管してあった真正の元画像をその画像内容をしっかり確認して、再度、ソフト上で貼り付ければ問題ないのだが、そうではなく、別フォルダ内に並んでいるファイルの中からファイル名だけ確認して、ソフト用フォルダにコピーした場合、ファイル名が似ていれば、本人が意図していなくても真正画像ではない別の画像と差し変わってしまう可能性があり、さらにソフト上で本人がそのページを見ていたとしても、よく似た画像でアスペクト比も近ければ、差し変わったことに気づけない可能性がある。それは本人でさえ認識していないところで発生しているのだからなおさらだろう。
そもそも最初に画像を挿入する際に画像内容を確認せずファイル名だけで見て挿入し、たまたま真正画像と似た画像だったので見落とした可能性と、上記のようなある意味、ソフトの特性というか欠点みたいな部分に起因し、彼女もそれに気づいていない可能性もあるかもしれない。
このようなことは、論文用原稿用紙に手書きし、写真も紙プリントを紙に貼り付けて論文を作っていた、ひと昔前の作業では起きにくいことだが、論文もPCで書くようになると、しっかり注意して作業をしないと、このような画像の差し変わりが自分が意図していないところで発生する可能性がある。
それでも、やはり重要な写真を間違えるのはおかしいという意見もあるだろうが、そもそも私は細胞写真のようなものを自分の子供に喩えるのも、やや行き過ぎた喩えだと思っていて、いくら重要な写真とはいえ、その写真を見ただけで、STAP細胞の存在に納得する研究者はひとりもいない。しかも似たような色で染色された細胞の顕微鏡写真であれば、本人でさえ間違えることはあり得る。なぜなら細胞の顕微鏡写真なんて、どれも似ていて、いくらバイオサイエンスの研究者が自分で撮影した重要な写真であっても、この複雑かつ似たような絵柄の細かい部分まで正確に記憶しているわけがない。
本人でさえ間違えることがあり得る理由をもうひとつ説明しよう。こういう否定的意見をいっているのは大学の教授クラスの人だと思うが、彼らは研究室のトップなのだから、論文を投稿するかしないか、投稿するにしても、いつどのタイミングで出すのかも含めて自分で決められるし、経験も豊富だから精神的な余裕もあるだろうが、彼女はそうではない。おそらく理研上層部のいろいろな思惑もあって、ネイチャー投稿を決められ、あの若さでその執筆の大半を任された。笹井副センター長のバックアップもあったとはいえ、明らかに彼女の経験からすれば、荷が重すぎる状況であり、しかもネイチャー投稿という初めての体験。いろいろなところに気をとられて、上記のような原因だったのかそうでないかは知らないが、何らかのミスで本人が意図しない形で「画像の差し変わり」が発生したのを見落としたとしても、それを責めるのは酷だと思う。
免許取り立てで車を運転して幹線道路に出たとき、信号や標識、歩行者の動きにやたら目がいき、おまけにクラッチ操作やハンドル操作にも気をとられて、ガチガチに緊張。ゆっくり車窓の光景を楽しむ余裕がなかったことは、免許を持っている人はみんな経験していると思うが、それと似ていると思う。そんな状況で、うっかり一方通行標識を見落として路地を逆走。パトカーに呼び止められ「あなた、免許持ってるんでしょ。じゃあ、この道が一方通行ってことくらいわかるよね」と叱られた。確かにそういわれると「仰る通りです」というしかないが、でも、いくら自分は注意していても、ほかにも多数気をとられることがあれば「うっかり」ミスをしてしまうもの。それは人間であれば誰しもあり得ることではないか。
「世紀の大発見の写真を間違えるなんてあり得ない」…確かにそうだけど、それは「精神的に余裕がある場合」が条件になる。
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