Nature
偽ベートーベン騒動について感じたこと〜告発記事を書いたノンフィクション作家にも相当な違和感を覚える〜/2014年3月10日

 日記に引き続き、ひつこいけど、このネタ、もう一回行きます。繰り返しになるけど、今の平均的なマスコミ報道やネット意見もちょっと違うと思う。肝心の部分をよく見ていない。何度もいうけど、別に偽ベートーベンの肩をもつ気はさらさらない。しかし社会に一番必要なのが真理だとすれば、現在、マスコミも含めて世間一般の人が抱く印象もかなり安易すぎると思う。

 今日もテレビ番組で記者会見の様子が繰り返し話題になっていた。そこでクローズアップされたのは、偽ベートーベン告発記事を書いたというノンフィクション作家・神山典士氏が質問をし、佐村河内氏がそれに即答したかのように見える部分について。確かに壮大なウソをついていた佐村河内氏を徹底的に疑う気持ちはわかる。しかし、あのやりとりでもって「聞こえてるじゃん。やっぱりおまえは大ウソツキだ」と断罪するのは、恐ろしく単純すぎるし、この作家のピンボケな正義気取りも鼻につく。

 都合よく編集されたものではなく、最初から最後まで未編集で収録された記者会見の様子をよく確認してみよう。あのやりとりは正確には以下の通りである。



神山 「えーと先ほど、あー、障害者に対する思いにウソはなかったという話がありますが、えーと佐村河内さん、確か去年の10月のサントリーホールでのコンサートのあと、義手のバイオリニストのみっくんに対して自分に謝るのか、あるいはバイオリンをもうやめるのかというメールをうっていますが、今考えれば笑止千万のメールなんですが、あれはどういう思いで自分にどういう力があって、ひとりの女の子の運命を左右しようとしたんでしょうか。またそれに対する謝罪の言葉をまだ聞けてないんですが」

佐村河内 「どういうことですか。どういうことですか。あの何を謝ればと」

神山 「まだ手話通訳終わってませんよ」(ほかの記者・カメラマンからの嘲笑)「全部聞いてからの方がいいんじゃないですか」

佐村河内 「は? 僕は今おっしゃったことに対して話しているわけです。何を僕がみくちゃん…」

神山 「目と目を見てやりましょう。僕と口話してください」

佐村河内 「あのーそういうふざけたことはやめてもらえませんか。科学的な検査がそこに出てきているじゃないですか」

神山 「聞こえるというね」

佐村河内 「もう、みなさん、本当にすみません。質問もう結構です」

(やりとりはさらに続くが省略)




 そもそも神山氏の質問の意味もよくわからないが、この質問の間、佐村河内氏はほぼずっと手話通訳者の方を見ているのは、まず確認できる。手話通訳が完全に終わってなくても「謝罪」という手話が出た時点で反応したとしても不思議ではない。神山氏は「謝罪」という言葉が手話通訳されていないことを確認した上でいっているのだろうか? それに佐村河内氏は、全聾ではないが、ゆがんだ感じで聞こえることもあるといっている。つまり、声の波長などの条件次第で部分的に聞こえたとしても、それはなんら矛盾しないだろ。

 この神山という作家も世の中にはよくいる典型的で単純な二分法発想しかできない人みたいなんで、そういうのも本当に困るんだけど、「聴覚障害者=耳が聞こえない」「健常者=耳が聞こえる」というふたつの選択肢しか頭にない。しかし聴覚障害というのは、そんなに単純じゃないだろう。例えば高音なら聞こえるけど、低音なら全然聞こえないとかさ。それでも聴覚障害の範疇に入ると思うけど、この場合は、声が高音の人が話す内容なら理解できるわけで、第三者から見れば健常者どおしの会話にしか見えないわけよ。この神山という作家は、そういう可能性を微塵も考慮していない。っていうか、なんとして佐村河内氏に「大ウソツキ」という烙印を押したくて押したくて仕方ないという印象すら受ける。そりゃそうだろうよ。自分は「正義の人」をアピールできて格好いいし、自分を売り込める最大のチャンス。しかも、この一件がまた話題になれば、彼にとっては仕事とお金に結びつくわけだから。

 マスコミもこういう程度の低い作家の茶番にそのまま載せられるんじゃなくて、肝心なのはそこじゃないだろ。佐村河内氏が記者会見に持参した診断書の信憑性がどの程度あって、どういう医師が診断し、本当に正しい結果を出しているのか。診断書に書かれていたらしい「感音性難聴」がどういうもので、佐村河内氏の言動と照らし合わせて妥当なものなのかどうか。そこを検証するべきでは? この論点は結局突き詰めると医学の問題なんだよ。それわかっているのかね? そういう分析の詰めが概して甘い文系作家の薄っぺらい正義気取りにも吐き気がする。佐村河内氏の聴覚がどういう状況にあるのか、医学の知識もない信州大学人文学部卒の作家にそんな言葉のやり取りだけで検証なんかできるわけがない。

 似たような感想を抱いた人はほかにもいたみたいで、あるネット記事にはこうあった。



あらかじめ断っておくが、多くの関係者を騙し、聴覚障害者に肩身の狭い思いをさせ、社会保障制度を悪用した佐村河内氏を擁護する気は毛頭ない。ただ、このウソツキを叩くことに終始し、当事者でもないのに謝罪を強要するかのようなマスコミの報道姿勢はいかがなものか。佐村河内氏と質問者の“ボケ・ツッコミ”に反応してせせら笑いしていた会場の記者たちに対し、薄ら寒さを覚えたのは筆者だけではあるまい。

(中略)

 しかし、そもそもこのウソツキを「現代のベートーベン」などと持ち上げていたのは一体誰なのか。あるいは、せいぜい十数万人の、権威に弱いクラシック音楽ファンの間でしか知られていなかったこのウソツキのウソが明らかになるまで傍観していながら、謝罪会見となった途端、200人以上で取り囲んで断罪し、嘲笑を浴びせ、トップニュースに仕立てあげようとする姿勢は何なのか。正義ぶってはいるが、安全圏から集団で弱い者いじめを楽しんでいるようにしか見えない。



 私はその通りだと思う。要は、ホンモノの音楽を自分は見抜けるみたいに気取って、佐村河内氏を取り上げ宣伝しちゃったことで、それがウソとわかったと同時に佐村河内氏だけでなくマスコミ自らの程度もまたバレちゃったわけだ。だから余計に佐村河内氏が腹立たしく、佐村河内いじめにつながっているようにしか見えない。私は、佐村河内氏のウソも確かに許せないが、この神山典士というノンフィクション作家が正義を気取って、マスコミで一定の地位を保っていることにも「おぞましさ」を覚える。緻密な分析と公平な視点を感じないこの人に正義を気取る資格はない。



参考情報

@意図して編集されたYouTubeはこちら

Aより正確に現場のやりとりを確認できる未編集のYouTubeはこちら
問題のやりとりは14:00あたりから

※@を編集した人は真実よりも話題性を重視している程度の低いニセモノであり、本来マスコミにいるべき人ではない。肝心の部分をカットし、佐村河内氏が即答したように見せる演出をしているのが非常によくわかる代物である。




 
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