Nature
世論という実はいい加減なものの正体〜新型インフルエンザから禁煙学会の一件に至るまで、その違和感の背後にあるもの〜/2013年11月03日

 本サイト2013年9月22日の日記で経済学者・池田信夫氏の記事をリンクした上で、池田氏の意見に同感であると書いた。この記事の中で池田氏は、「禁煙学会の要望書について『バカなことをいうな』という反応が多いのは意外だった」と書かれているのだが、私も氏と同じように世間一般の反応に驚いたうちのひとりである。私が読む限り、禁煙学会の主張は十分に納得できるものであり、むしろその主張をまるで変人扱いしている意見の方がよほど異常に映ったわけだが、考えてみれば、これと同じように世間一般の反応に驚くことが、近年増えていることにふと気づいた。

 それは新型インフルエンザや口蹄疫のときもそうだったし、原発事故に対する反応も同じである。このズレって一体何なんだろう。いろいろ考えていくに従い、ようやくピンときた。あーきっとそういうことなんだろうなって。そういう世論形成の一翼を担っている評論家みたいなオピニオンリーダーはもちろんだが、マスコミ関係者も含めて、全員、誰もそれに気づいていないし、当然その分野の専門家は世論のズレに危機感をもっているはずだが、専門家といえども世論を修正するのは容易ではないのだろう。

 私が考えた理由は次の通りである。

 新型インフルエンザにしても原発の放射線にしても、あるいはタバコの害にしてもそうなのだが、本来は判断に必要な情報を集め、問題の中身をしっかりと正確に理解した上でないと判断できるはずもないことでも、とりあえず自分の持っている薄っぺらな知識と漠然としたイメージだけで人間はなんらかの判断を下そうとする性質があることと無関係ではないと思われる。なぜ人間にはそういう性質が備わっているのか。それは生きる上で「わからない」ばかりで答えを出せないままだと先に進めないことも多いからだろう。

 たとえていうと、登山の途中、地図にない三叉路で立ち止まって、右か左かと延々悩んでいるわけにもいかないのと同じで、判断材料がなくてもどちらかを選ぶ選択をしないと先には進めない。人生なんて、そんな悩ましい分岐点だらけなわけだが、わずかな情報だけを頼りに「右が正しい」と考えたり、あるいは直感的に「左が正しい」と判断したりする。誰しも外面はいっぱしの判断をしているように気取ってはいるが、その程度の根拠だけで判断していることも多いのが実態だろう。

 新型インフルエンザにしろ原発の放射線にしろ、自分の知識や社会常識で判断できる内容ではないので、それらをいくら駆使して考えても答えは出ない。とはいえ自分なりに何らかの答えは出したいので、頭の中に漠然と浮かんだイメージに加えてマスコミやネット情報、ほかの人の意見などを参考にすることになる。で、それらの情報を見聞きした上で、有名なマスコミの情報だから正しいと考えたり、ネット上で自分と同意見を見つけて、ますます自分の意見に自信を深めたりする。しかし、実はその意見を述べている人がどういう知識を持っていて、その問題を判断するのに本当に適しているかどうかなんて重要な点に関心が寄せられることはまずない。文系の評論家が科学の問題に関してトンチンカンなコメントをしていても、「テレビにも出ている評論家のいうことだから、きっと正しい」という具合である。

 また例えば素粒子に関することみたいに誰が見ても高度な専門的な内容では、自分にはとても判断できないと謙虚に考えるわけだが、世の中の問題というのは、専門的な部分と一般常識の部分との境界線が曖昧なものもいっぱいあって、外見は一般常識の範囲にあるように見えても、その中に専門的な部分がモザイクのように入り込んでいることもある。しかし一般の人にはそのモザイク部分の見分けがつかないので、自分でも判断できる範囲だと勘違いしやすい。その典型がタバコ問題である。

 ほとんどの人は、自分が判断材料に使う情報の中に信憑性の低い情報も含まれていても、すべてをごちゃ混ぜにしたまま、テキトーに判断している。タバコの害にしても医学知識どころか科学知識もほぼゼロなので、自分がこれまでに聞いたタバコが害になる話も参考にしながら、でもまわりにいっぱいいる喫煙者が全員病気になっていない現実も勘案しつつ(本当は大して意味もない事実なのだが)、たぶんタバコの害とはこんなところだろうと、無意識のうちにリスク評価を10段階の真ん中くらいに勝手に決めちゃったりする。

 その一方で内科医は、実際に喫煙による肺ガン患者やニコチン中毒患者の現実を目の前で何人も診ている上に、疫学調査の結果やその意味はもちろん、タバコに含まれるどういう物質がどれほどリスクがあるのかについても精通しているので、彼らよりもリスク評価を高く見積もるわけだ。この認識の違いこそが、禁煙学会と世論とのズレを生んでいる。より高いリスクに対しては、メディアにおける扱いも慎重にすべきと考えるのは当たり前の話である。

 禁煙学会の一件で「バカなことをいうな」という感想をもった人々は、実はこれが科学の問題であることすらもわかってはおらず、薄っぺらな知識を元にして自分で勝手に位置づけた低めのリスク評価を基準にして判断しているところが大問題なのだ。さらにいえば同意見の人が多いのを確認して余計に自信を深め、自信満々に意見を述べたりするわけだが、「同意見の人は自分と同じく科学に疎くてレベルが低いだけ」という事実にも気づいていないお粗末ぶりである。

 医学・生物系の専門家の中にも禁煙学会を批判する人がいたのも承知しているが、肝心なのは、その全員がタバコの害の実態を知るはずもない(実際の患者を診たことがない)分野の専門家であることに気づいた方がいいだろう。少なくとも内科医で、禁煙学会を批判する人は、おそらくほとんどいなかったのではないか。文系メディアが、医学・生物系ということで専門家を一緒くたにしちゃうのも実に困ったもので、彼らはこういう詰めが恐ろしいほどに甘い。

 このようなバイアスは、ネットによって一層拍車がかかったようにも感じる。なぜなら、今までは埋もれていた個人の意見が公になりやすくなり、それが同じ意見をもつ者どうしの自信を深めるように作用すると考えられるからである。たとえバイアスのかかった意見でも大多数を占めれば、それが世論となる。世論という一見、見識あるように見える意見であっても、割といいかげんな判断が元になっている場合があることをご理解頂けるのではないだろうか。

 ただし私自身は例外というつもりは毛頭なく、知識が薄い分野に関することだと、やはり同じような判断を知らず知らずのうちにしてしまう可能性は十分にある。たぶん、それは専門家でも専門外の分野になると同じだろう。しかし、そういうバイアスがかかる可能性があるのをまったく認識していない人と比較すれば天と地ほどの違いがある。

 どちらにしても今の日本社会における世論とは、末恐ろしい状況になりつつあるにも関わらず、それを軌道修正する役割のマスコミが、修正するどころか、せっせせっせとバイアスの元を生んでいる。まあ、はっきりいっちゃえば目も当てられない呆れた状況であることは間違いない。




 
最近思うこと