Nature
禁煙学会の一件について/2013年9月11日

 NPO法人日本禁煙学会という団体が、ジブリ最新作『風たちぬ』に喫煙シーンが多いのを問題視して、要望書を送ったということが最近テレビやネットなどで取り上げられている。いろいろな人の意見を見聞きすると総じて禁煙学会に対する批判の方が多いようだ。確かにアニメ映画の表現のひとつとして喫煙をちょっと用いるくらいであれば、あまり神経質に問題視しなくても…と思わないでもないが、禁煙学会の主張にも私は一理あると感じる。念のためにいっておくと、私は禁煙学会という団体があるのをこのニュースを読むまではまったく知らなかった。また私は非喫煙者でタバコは迷惑以外の何物でもないと思っているが、彼らの肩をもつ事情は特にないことも先に断っておく。

 先日、実家でテレビを見ていたら俳優の津川雅彦氏が、学会を批判して「この人たちは文化というものをわかっていない」「そんなことをいっていたらテレビや映画の殺人シーンもダメなのかということになる」(記憶頼りなので不正確かもしれないが、主旨はこんなところだった)と批判していた。ほかのことでは津川氏のまっとうな意見には賛同することも多いのだが、この件についていえば少し違うと思った。

 まず前者の意見だが、逆に津川氏は科学をわかってはいらっしゃらないだろう。タバコに害があることくらい知っているとおっしゃるだろうが、タバコのどういう成分がどれほど有害なのか、科学的根拠と因果関係の違い、さらには疫学の意味も含めて、勝手な想像で申し訳ないが、おそらく正確に理解されていないはずだ。これは学会を批判している、ほとんどの文化人、評論家にもほぼ共通する点であるが、つまりタバコの害を「漠然としたイメージ」でしかとられていないということだ。タバコの害を漠然としたイメージでしかとられていない方々が、メディアにおける喫煙シーンの是非についてどうして何かをいえるのか、私にはそもそもそれがよくわからない。なぜなら是非を論じる際には、害の程度も正確に把握することが前提となるはずだからである。

 また後者の意見については、私は次のように考える。映画やドラマでの殺人や暴力シーンも同じだが、要は大人への影響というよりも子供への影響が懸念されるという点に尽きる。ほとんどの人が社会通念上、決して認められない行為、許されない行為と認識している殺人や暴力シーンであれば、大人も子供もみんな、実際にはよくないことはわかっているから、それがすぐに社会的な影響へとつながっていくことはないだろうが(※)、喫煙という正否が微妙なものであれば殺人や暴力シーンよりも影響は生じやすいと私は想像する(ここが重要なポイント)。

※ただ、それが頻繁に繰り返されたときの社会的な影響については、子供だけでなく大人の場合ですら検証の必要は多分にある



 子供たちは、タバコが健康に悪影響があることは漠然と知っているだろうが、喫煙は殺人や暴力と違って成人になれば法的に問題があるわけでもなく、まわりにも大人の喫煙者はいっぱいいる。しかも、大好きなジブリ映画にも喫煙シーンが出てくる。そういう環境にずっとさらされていると、知らず知らずのうちに「喫煙してもそれほど問題ない」という間違った認識が生まれ、今すぐはなくても将来の喫煙につながる可能性もないとはいえないだろう。重要なのは、子供全員がそうならないとしても、何パーセントかは、同様のシーンを繰り返し見ることで、その影響によって喫煙に走る可能性があるという点だ。

 たとえ「風たちぬ」の喫煙シーンだけでは、大きな影響はないとしても、同様のシーンが今後繰り返され、それをきっかけに喫煙→肺ガンともなれば、命にも関わってくる話でもあり、「表現の自由」を盾に学会を批判するのもどうかと思う。私たちの社会では、人の命は時になによりも重いとされ、原発や戦争みたいなことでは、それを最優先事項として語られることも多いわけだが、同じ人の命に関わるタバコでは、なぜか「表現の自由」の方が優先されるのもおかしな話だ。

 また「当時、タバコに害があることは誰も知らずに多くの男たちは普通に吸っていた。時代考証の結果だから喫煙シーンも必要」という意見もあるが、当時もすべての男性がタバコを吸っていたわけではないのだから、喫煙シーンが時代考証上、絶対に必要というわけでもないだろう。特に学会が指摘する「結核患者の前で喫煙するシーン」というのは、確かにあまり好ましくないと私は考える。

 ところでネット記事の中に、フリーライターの赤木智弘という人が、学会を次のように批判されていたものを見かけた。



 こうした批判が多方面からあったからだろうか、日本禁煙学会は条約を盾にするのを避け、映画などの作品によって子供たちが喫煙をすることが問題だとする「日本禁煙学会の見解」を出した。

 ところが、要望書では法令遵守求めていたのに、見解では子供の喫煙問題が中心になっており、作品の責任については「製作者の意図したものであるにせよないにせよ、結果的に「プロダクト・プレイスメント」の効果をもたらしています」という、ひどく曖昧な態度に変質してしまっている。

 そしてなにより、この変質によって、結局この団体がアニメ作品を「子供が見るもの」としてしか認識していないことが明らかになってしまった。

 日本においてはアニメーションは決して子供だけのものではなく、幅広い年齢層を対象とした作品として成立している。それを単純に「アニメーションだから子供ばかりが見るのだろう」という憶測の上で批判をするのは、作品に対する侮辱に他ならない。


※前後は省略。記事全文もついでに読まれるといい↓<br>
http://blogos.com/article/68298/


 この記事には「今回の抗議は日本禁煙学会による売名行為であると考えている」とあるが、なぜそう考えたのか、納得できる根拠はどこにも書かれていない。また学会が説明した「子供の喫煙」について、学会の意見が違うと思うのなら、なぜ真っ正面から反論しないのだろうか。スルーした理由をぜひ教えてほしい。加えていうなら最初の要望書では法令遵守を求めていたのに、見解では「子供の喫煙」が中心になったことは変質の証拠…という、やや無理がある論法にもなっている。

 学会の要望書も見解もどちらも読んだが、私には違和感はなかった。医学の知識がある人であれば、当然、そういう判断をするだろうというものである。
 学会はアニメ映画を子供だけが見るとはいっていないだろう。「大人だけでなく子供も見るから問題だ」ということでは? まあねぇ〜、科学を知らない文系の人の思考傾向は、多分に二分法的で定性的なんだけど、この記事により、このライターは二分法の思考回路しか持ち合わせていないことが明らかになってしまった(笑)。二分法の思考回路しか持ち合わせない人にタバコのことで何かいう資格があるのかね。このライターは、私のこの批判の意味も理解できないのでは? 

 こんなことを書くと、反論できない代わりに養老孟司や茂木健一郎の名前を出す人もいそうだが、彼らが禁煙運動を批判しているのは、科学とは無関係な別の要素が関係しているだけのことだ。

 タバコの諸問題というのは、半分は科学の問題なのである。その部分に疎い文系ライターが上から目線で「日本禁煙学会は、『子供のため』という御旗を闇雲に振りかざすのではなく、もう少し相手に対する敬意をもって活動を行ったほうがいいのではないかと、老婆心ながら忠告させていただく」…って偉そうによういうわ。禁煙学会の主張を詳しく読むと、科学に精通した人物が書いていることが容易にわかる。はっきりいって、このフリーライターよりもはるかに上だ。正面からディベートすれば、そのレベルを計る能力さえもない科学の素人が太刀打ちできる相手じゃない。




 
最近思うこと