| プロメテウスの罠〜東電は福島原発から撤退しようとしていた〜/2012年2月17日
朝日新聞で今年1月から続いている連載記事「プロメテウスの罠」は、人類に火を与えたギリシャ神話の神族に因むものだが、これを読むと津波が福島原発を襲ったあとの経緯について、これまでのどの報道よりも詳しく追っていて、これぞジャーナリズムと評価したい記事だった。
昨年、枝野さんが、東電が福島原発の事故対応を諦めて、同原発から撤退したいと一時申し出ていたことをあかし、それを東電社長が否定した報道があったことを記憶している人は多いだろう。…で、両者の主張は完全に相反しているが実際のところはどうだったのだろう? と私はずっと気になっていたのだ。一方、福島原発で緊急事態が続いていた時、菅さんが東電本店に乗り込んだことについて、ほとんどのマスコミは批判的で「総理大臣が乗り込んできたら、事故対応に右往左往している東電関係者はみんな萎縮してかえって事態を悪化させる」みたいな意見もあった。私は、マスコミも知らないよほどの事情があったのではないかと想像し、その辺の理由をきちんと調べもせずに表面的な行動だけ見てとりあえず批判するマスコミの安易さに「またか」と呆れたりしたのだが、それに「プロメテウスの罠」は見事に答えてくれていた。
「プロメテウスの罠・官邸の5日間」を読むと、これまでのマスコミ報道では見えてこなかった官邸の緊迫感が伝わってくる。事態を詳しく知らない国民と違い、いろいろな情報を集約している当事者がいかに動いていたのかよくわかった。100点満点ではないかもしれないが、あそこまで動いていれば、私は原発事故の対応に当たった政府関係者に「日本の危機を救ってくれてありがとう。本当にご苦労様でした」とねぎらいたい。
確かに東京電力は政府に対して「厳しい状況で、もうやるべきことはない。撤退したい」と伝えていたことは、間違いないようである。3月15日午前3時、海江田経産大臣、枝野官房長官、細野首相補佐官らから「東京電力が原発事故現場から撤退したいといっています」と報告を受けた菅さんは「撤退したらどうなるのか分かってんのか。そんなのあり得ない」「こんなことでは外国から侵略されるぞ」と即座に否定し、撤退を食い止めるためには東電に乗り込むしかないという話になったようだ。午前4時には東電の清水社長が官邸に呼ばれ、超法規的に東電本店という民間企業内から直接指揮をする方針が伝えられている。午前5時35分には菅さんは東電本店に乗り込み、東電幹部らを前にこう訓示したという。
「(前半部分省略)皆さんは当事者です。命を賭けて下さい。逃げても逃げ切れない。情報伝達が遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、萎縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のことと共に、5時間先、10時間先、1日先、1週間先を読み、行動することが大事だ。金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれないときに、撤退はあり得ない。会長、社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる─」
おそらく福島原発の視察も自ら危険な現場に行くことで覚悟を見せる意味もあったのではないか、という気もする。菅さんが有能な総理大臣だったといえるかどうかは正直よくわからない。マスコミ報道を見ると、それに疑問を感じる部分もなくはない。だが、「政治主導」を表明している政権に対して、自分たちの利権を維持したい官僚が全面的にサポートするとは思えない。素人政党を手玉にとるのはそれほど難しくないはずだ。
国民は、100点満点の政治家でなければ政治家ではないといわんばかりに、次から次に出てくる総理大臣のどこかに欠点を見つけては、「民意」という御旗を振りかざして、いい気になって片っ端から否定し続けているだけという感もある。政治家をボロクソにいえるほど頭がいいとも思えない単細胞に限って、ここぞとばかりに批判している。これは国民だけでなくマスコミにもいえることだ。もちろん私自身も広い意味ではマスコミ業界の人間だし、マスコミ報道にも正しい部分が多々あってマスコミの意義も十分理解している。でも政治家が100点満点ではないのと同様にマスコミも100点満点ではない。政治を監視するのがマスコミの使命だといいたいマスコミ関係者は多いと思うが、そのマスコミにも監視が必要なのが実態である(マスコミ報道にもよくバイアスがかかっていてウソを含んでいるから)。
菅さんは総理大臣全体の職務についていえば、問題もあったかもしれないが、私は福島原発事故対応では評価するべきだと考えている。その最大の功績が、東電に乗り込み、撤退を阻止したことだ。なぜ菅さんは、そこまでの行動に出たのか。それは菅さん自身が東京工業大学の応用物理学科を出て、専門家の説明を受けなくても、もし撤退すれば東日本全域がどういう事態になるか、ほかの政治家や官僚よりもはるかに理解していたからだろう。
最近、菅さんの行動を間近に見ていた政府関係者が「福島原発の事故対応で怒鳴ってばかりの菅さんを見て、トップとしての資質に疑問をもった」と語られているが、トップというのは場合によっては怒鳴ることも必要ではないか。冷静を装っていると事態の緊迫性がまわりに伝わらないともいえる。怒鳴っていても頭の中は冷静を保っていれば何ら問題はない。菅さんは事態を理解し危機感をもったからこそ強い口調になったのだろうと、私は理解した。一方、この政府関係者が冷静でいられたのは、原子力分野の知識がまるでなかったから。おそらくそれだけのことだ。以前、テレビで原子力工学の専門家が、福島原発事故よりも何年も前に政府関係者に原発の問題点を指摘したところ、「まるでピンときていないようでした」と語られていたことにも重なる。
大多数の国民にもいえることだが、科学音痴・技術音痴の素人というのは、右か左か、どちらか一方にしか頭の中の針がふれないものである。本当に危険なことにまるでピンとこないか、でなければ反原発団体や反原発の文化人のように大して問題がないことでも過剰に反応するかのいずれかである。なぜなら根拠も不明で最低限の検証もせずにたまたま接して取り入れた情報だけを元にして、しかも自分の願望もごちゃ混ぜのままに情緒的に判断しているに過ぎないからである。その情報次第で頭の中の針が、右に行ったり左に行ったりしているだけというのが実態だろう。
枝野さんもいわれていたが、私は東日本大震災の時に菅さんが総理大臣で本当によかったと考えている。これが、原子力分野にまるで知識がない総理大臣だったら、東電の撤退に対して同じような対応ができたのか疑問が残るからだ。総理大臣のようなハイクラスの能力を要求される仕事だと、すべての問題に理想的な対応ができると期待しても無理だろう。ほかの分野での手腕はわからないが、国のトップが原子力分野の知識がある程度あったからこそ、東日本全体がゴーストタウン化する最悪の事態を避けられたのだと私は思う。
「プロメテウスの罠」を読むと、実は昨年3月、大地震に続けて日本という国にとって歴史的な大危機を一度迎えたこと、そしてそれはギリギリのところで回避されたことがわかる。本店の指示にも従わず、独断で注水を続けるなど、命がけの対応を続けた福島原発の吉田所長はもちろん評価されるべきだが、東電を撤退させなかった菅さんも同様に評価されるべきだと思う。
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