Nature
原発や放射能に関する情報の取捨選択方法/2012年1月26日

  今回、多くの国民が戸惑っている理由は、専門家でも安全という人もいれば危険という人もいて、どの情報を信じていいのかわからないからだろう。相互に矛盾する情報が溢れて判断がつかなければ、人間の心理として最も安全な選択肢を選びたくなるのもわからなくはないが、現状はやや過剰反応というのが私の印象である。
 あるネット記事を読んだら、冷静な分析をした上で次のように書かれていた。


データで立証されていないことにどう反応するか。リスクを大きめに想定して最大限に安全策を講じるのか、それとも必要十分な安全策を模索するのか。どちらかが単純に正しくどちらかが単純に間違っているなら、ある意味で楽です。「それは絶対的に間違っている」と客観的に判断できるデータが提示されれば、そこで議論終了です。そういうデータが得られない以上、どちらもある意味で正しいからこそ、判断は難しく厳しいのだと思います。放射能に限らず、リスク対策についての議論は得てしてそうです。データ不足の状態で自分たちの生死に関わる判断をしなくてはならないのですから、それだけにデータ以前の世界観の対立になったり、感情のぶつかり合いになりがちです。あるいは「データ」のふりをしたデマやドグマや詐欺商法に振り回されたり……。


 リスクに対する考え方としては確かにその通りなのだが、こと原発や放射能に関していえば、状況ごとにさまざまな情報が錯綜していて余計に混乱に拍車をかけているところが問題なのであって、この意見も微妙に違うかなとも思うので、少し整理してみたい。

 私も放射線の人体への影響については素人だが、日頃から他の分野でも「情報の取捨選択」というフィルターにかけて、信頼に足る情報と足らない情報を選り分けている。

 原発問題ではメディアに多くの「専門家」が登場し、それぞれ異なる立場から意見を述べて、先に書いたような「専門家でも見解が異なる」状況を生み、困惑する人が多いと思われる。だが、問題なのは「専門家」という大雑把なくくり方にある。実はテレビなどに登場する「専門家」の中には、厳密に言えば「専門外」という人も多いのだ。

 ある問題について判断したいとき、その問題のオピニオンリーダーとして最適なのはどういう立場の人なのか、よく見極めなければならない。例えば、放射線が人体にどう影響するか、という問題を判断する上で最も信頼に値するのは、放射線医学や放射線防御学の専門家である。いくら原発の問題だからといっても核物理学や原子力工学の専門家ではないし、やたら不安を煽る資源材料工学が専門のタレント教授でもない。ましてや科学の基礎もまるで理解していない、単純な「死ぬか生きるか」という白黒二分法しか頭にないアホ丸出しの俳優でもない。加えていえば、こと科学の問題になると政治・経済が専門の評論家やテレビのコメンテーターの意見でも信頼性に劣ることが多い。

 御用学者なんか信用できないという人もいるだろうが、電力村の利権に放射線医学の専門家が関係しているとは私には思えないし、彼らの意見には科学的根拠に基づいた信頼性と一貫性があって、私には違和感はない。複数の放射線医学の専門家がほぼ共通した評価をしていたら、それが最も信頼できる情報ということになる。

 低線量被曝の影響については未解明なので、それも不安を増幅させるのだろうが、ある一定以上の影響については、確実に影響がある、あるいは確率論的に影響があるということがわかっており、一方、放射線量がゼロになれば影響がゼロになるのも間違いなく、つまり未解明部分においても放射線量が低下すれば、それに従って影響も低下していくと考えるのが自然だろう。かなり余裕を見た上での基準であれば過剰に恐れる必要はまったくないと思う。

 以前、民主党の国会議員がテレビで「放射能は自然界にはないものですから」と失笑発言をしていたが、宇宙から降り注ぐ宇宙線だけでなく水や食べ物にもごく微量の放射性核種が含まれており、これらの自然放射線を世界中のあらゆる人が日常的に浴びている。それを考えれば、「原発=放射線=死」と単純に結びつけて危険を煽ったり、それを異常に恐れたりするのはあまりに幼稚ということがわかるだろう。

 ただその一方で、問題をややこしくしているのは、政府や地元自治体が出している情報に信頼性が欠けるという現状である。被災地が出す情報は信頼できると考えるのも問題で、福島県は、わずか3ヶ所のサンプルしか調べないで県内産米の安全宣言をしている。被災地の人たちは、みんな善良で信頼できるとステレオタイプに思い込むのも、ちょっと違うかなと私なんかは思っていて、確かにほとんどの人はそうだろうが、対象地域の人口が何十万人か何百万人か正確な数字は知らないが、それくらいの多くの人がいれば、その中には当然「人の健康より自分の利益を優先する人」がむしろ確実に含まれていると考えるべきだろう。

 微量な放射性核種を体内に取り込んでも問題はないと思うが、かといってわざわざ進んで取り込みたいものでもない。しかも、どれくらいの量が含まれているのか見えない場合は余計に慎重になるのも自然な感情だろう。

 一方、被災地瓦礫受け入れに関していえば、そもそも福島の瓦礫ではなく、宮城や岩手の瓦礫であり、厳しい基準を作って、途中何度も計測して基準値以下であることを確認するといっているにも関わらず感情的に反対するのは過剰反応としかいえない。

 これは、本当に意見を聞くべき専門家を見極められず、あたかもどんな意見でも広く取り上げることが健全な行為であるかのように錯覚し、本来広めるべきではない専門外の人たちが発信する歪んだ意見や間違った意見を取り上げて広めてしまったマスコミが招いた事態である。いろいろな意見を広く取り上げるというのは、ある条件の下でなら正しいが、必ずしもすべての事象に当てはまるわけではない。マスコミも素人目に怪しい情報はさすがに取り上げないと思うが、この問題と要は程度の違いでしかない。




 
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