Nature
シーシェパードの抗議活動について/2009年12月24日

 懲りもせずに、今年も日本の調査捕鯨に対して抗議活動を繰り返しているシーシェパード。欧米で彼らの活動に賛同して募金に協力する人がいるという話を聞くと、アホが多いのは日本だけじゃないんだと、逆説的だが妙に安心してしまうのも事実である。彼らの主張とは、「頭のいいクジラやイルカを捕獲するのはけしからん!」というわけだろうが、「頭のいい動物なんだから助けたい」というのは、「頭の悪い人は助けなくていい」といっているに等しい。

 専門家から絶滅の可能性が指摘されていて「クジラは絶滅の可能性がある。ゆえに捕獲はけしからん」というのであれば確かに説得力がある。私もクジラが絶滅してもいいとは思わない。でも、仮にそうだったとしても、話し合いという手段を飛び越えて、一気に暴力的な抗議活動に飛躍する意味がわからない。おそらく抗議船を接近させるような派手な活動の方が、注目され寄付が集まりやすいからだろう。

 またシーシェパードの主張というのは、生態系を理解していない人にありがちな「典型的な勘違い」ともいえる。生態系を保全するには、特定の動物だけを保護しても無意味なのだ。クジラを保護しすぎて増えると、今度はクジラがエサにしている魚は減ってしまい、ほかの生物にも次々に影響していく。生態系のことを何もわかってない連中が、自分たちの勝手な信念だけであのような暴力的な活動を行っているわけだから、賛同できる要素はどこにもない。それに賛同するということは、イコール生態系について何も理解していないことにほかならない。

 欧米に限らず日本でもそうだが、物事を表面的にしか考えられない人というのは、結構たくさんいる。シーシェパードに賛同しているパタゴニアというアウトドア用品メーカーは、まさに上辺しか見ておらず、さらにいえばアウトドア系の人にしばしば共通する「自然のことをわかっているフリをしながらも実は生態系について何も理解していない」という傾向そのものだ。パタゴニアのトップは、すなわちそういうレベルの人間ということまで透けて見えてくる。自分たちは、地球環境のためにいいことをしていると思い込んでいるわけだから、余計に始末が悪い。

 牛や豚を殺して、その肉を喰うのは問題ないが、海洋ほ乳類だけは絶対に許せないというのは意味不明である。「牛や豚は、頭が悪いから喰ってもいい」ということなのだろうか。しかし、頭の良し悪しと野生動物捕獲の可否の関係を、どのような基準で決めたのか説明できるはずもない。おそらくシーシェパードにとって海洋ほ乳類とは、「ただ単に彼らが好意的に感じる動物」ということでしかないだろう。犬のことになると、俄然、犬のすばらしさを持ち上げ、批判されると徹底的に犬の擁護に走る「お犬様教」の狂信的な信徒とでも呼びたい頭が緩いアホと同じだ。「シェパード」と名付けるくらいだから、おそらく彼らも犬が好きなんだろうな。海洋ほ乳類と犬だけは人類の友ってか。どの程度の連中か、会わなくても大体、想像つくよ。

 ところで、昨年、カナダの漁業海洋相が、シーシェパードのことを「やつらは資金提供者に寄生するペテン師」といって批判している。これが的を射ているのかどうかわからないが、もしかすると海洋ほ乳類の捕獲をすべての国がやめたら、彼らは困るのかもしれない。寄付で運営しているわけだから、シーシェパードの構成員は、それで喰ってるのは間違いないだろう。活動する目的がなくなれば、団体としての存在理由がなくなり、収入源を絶たれてしまうわけだ。本音をいえば日本が調査捕鯨を続けてくれる方が都合がいいのかもしれない。でも万一目的がなくなったとしても別の問題を新たに探し出し、何も見えていないおバカさんたちに訴えて、またまた寄生するだけかも(笑)。

 捕鯨問題というのは、「自然や環境保護を優先する反捕鯨国」対「捕鯨を文化とする捕鯨国」という構図に見えがちだが、実は大いに政治利用されてきた経緯がある。アメリカの主張というのは、政治目的でクジラを利用しているに過ぎず、海洋ほ乳類にやさしいわけでもなんでもない。あからさまなダブスタを平然と持ち出し、それを日本などの捕鯨国に突きつけているのが実態である。




 
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