| 田母神・前航空幕僚長の論文と日本近代史について/2008年11月7日
田母神・前航空幕僚長が民間の懸賞公募に書いた論文の一件。私はネット上で公開されている、この論文を読んでみたが、話のスジは通っており、それほど違和感は感じなかった。ただ、もし私が「日本は侵略国家であったのか」と問われれば、「そのように受け取られても仕方ない部分もあった」と答えるだろう。少なくとも大戦中の日本の行為すべてが悪であったかのような意見にはまったく賛同しない。
論文の中で、田母神氏はこういっている。「もし日本が侵略国家であったというのなら、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」。これはおっしゃる通りだと思う。私も以前から中国や東南アジアに進出したのは日本だけでなく、オランダやフランスなどの欧米の列強各国も同様であったはずなのに、なぜ日本だけが叩かれるのか理解できなかった。
確かに今回の一件は、文民統制という観点からは微妙な点もあったかもしれないが、マスコミの批判を聞いていると、「大戦中の日本の侵略を正当化している」という論文の概要だけで、まるでアレルギー反応のごとく短絡的に批判するばかりで、それ以外に問題視しているのは防衛省が定年退職とした経緯についてのみであり、どの新聞もテレビも論文の内容について詳しく検証はしていない。結論だけ批判するのは簡単だが、批判するのであれば、引用している個別の内容についても具体的に取り上げ、その何がどう間違いなのかも含めて批判すべきではないのか。その批判をしていないということは、実はその部分にも真実があるからではないのか。それが真実であるということはわかっていても、それを公言すると、今、一斉に批判されている田母神氏を擁護しているようにも聞こえ、しかもあの3ヶ国からの批判もありそうで、いろいろやっかいだからとか、そういう理由であまり触れたがらないだけではないのか、とさえ思ってしまう。
この機会に、私が日本近代史に対して感じていることを書いてみようと思う。こういうことを書くと、一律で「右寄り」という烙印を押す薄っぺらで単細胞な方もたくさんいらっしゃると思うが、それでも敢えて書いてみたい。
・日本が太平洋戦争を始めたこと
私は大部分の日本人の太平洋戦争に関する認識というのは、真珠湾攻撃から始まっていると感じている。それ以前にどういう経緯があったかについては、思考停止している人がほとんどである。だから日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、あの悲惨な太平洋戦争が始まり、ドイツと共に世界中に迷惑をかけて申し訳ないという具合である。そこには、なぜ日本が戦争に踏み切らざるを得なかったのか、という視点は皆無だ。
太平洋戦争以前にどういう経緯があったのか、もう一度、日本史の教科書を開いてみよう。その経緯の中で日本がとった政策すべてに問題がなかったとはいわないが、要は資源などを求めて東南アジアなどに進出していた欧米列強が、日本も同じように進出してきて権益を拡大するのをおもしろくない、と考えたことが、そもそもの発端である。なぜ欧米列強はよくて日本はダメだったのか。簡単なことである。日本人は、自分たちよりも下に見ていた黄色人種だったからである(もちろん教科書には、そんなこと書いていないが)。
こうした欧米列強の思惑が、のちに日米通商条約の破棄、さらにはABCD包囲陣につながり、資源を海外に頼っていた日本はジリ貧になっていく。アメリカ政府は、経済制裁により日本の対外進出を抑えようとしたというが、資源がないから進出しているのに、経済制裁とは話の辻褄が合わない。
当時の日本では軍部が台頭し、その力が強かったことを考えると、アメリカのいわれるがままに対外進出をやめると思う方がどうかしている。私は、むしろ日本が対外進出をやめないことを想定した上で、アメリカは故意に経済制裁に踏み切ったのだろうと考えている。日本が到底受け入れるはずもないハル・ノートにしてもそうである。つまり日本の方から先に拳を上げるような状況を作り出したということだ。このことは、田母神氏の論文にも同様の指摘がある。
たとえとしては適当ではないかもしれないが、敢えていえば、さんざん悪口をいわれ貶され、いよいよ我慢の限界に達して拳を振り下ろしたら、「おまえの方が先に暴力をふるったのだ。オレじゃないぞ」と騒ぎ立てるようなものである。先に戦争を始めた方が悪い。確かにそうかもしれない。だが、その原因を作ったのは誰なのか。そういう視点もなく、日本が先に戦争を始めたからと一方的に反省するのもどうかと思う。いや戦争の反省はしなければならない。戦争は絶対にしてはならない。だが日本だけではなく、欧米各国も反省しなければならない。日本を含めアジア各国を差別し、戦争の原因を作り出したことを。
・真珠湾攻撃と原爆投下
日本人が原爆投下のことを持ち出すと、アメリカ人は決まって「パールハーバーを忘れるな」という。だが、真珠湾攻撃の仕返しに原爆投下とは随分滅茶苦茶な話である。真珠湾攻撃によるアメリカ軍の死者数は約2340人、民間人は約50人ほどである。一方、広島・長崎の死者数は、未だに正確な数字は不明なほどで、20万人を越えるのは確実と見られている。しかもその被害のほとんどは、非戦闘員である一般市民である。アメリカは自分たちが攻撃されたら、その100倍の仕返しを、しかも戦闘員ではなく一般市民に対して行うのが正しいことだと思っているらしい。
原爆投下を正当化する意見がアメリカ人の中には根強くあるが、それに対して私は問いたい。本当に原爆投下がアメリカ軍の兵士や日本の大多数の一般市民の戦死者をこれ以上出さないためであったのなら、なぜ投下する前に日本に対して大量殺戮兵器である原爆を使用する準備があることを通告し、ポツダム宣言を受け入れるように勧告しなかったのか。その上で、もし日本が勧告を無視したら、まず一発目を落とすという手順を踏むべきだろう。それなら、まだ理屈が通るが、実際はそうではなかった。しかも1発目のわずか3日後には2発目を落としたことを考えれば、戦死者をこれ以上出さないためという主張も実に空虚にしか聞こえない。原爆投下を正当化するのなら、この質問に答えていただきたい。
アメリカは要は原爆を使いたかったのだ。その威力を全世界に見せつけることで、アメリカの国際的な立場をより強固なものにしたかったのだ。日本の20万人もの一般市民の命など、アメリカの国益を前にすれば、吹けば飛ぶようなものだったのだろう。
・南京事件
南京事件と呼ばれるものは、実際にあったと思う。ただ、それは中国政府が大宣伝を繰り返している30万人もの一般市民に対して行われた「南京大虐殺」のようなものではなく、2〜3万人の捕虜に対して行われたものだということだ。当時の作戦に参加していた別々の部隊に所属する複数の兵士の日記に、ほぼ同様の記録が残されていることから、私はこれが真実であろうと推測する。一般市民が殺害された例もあったかもしれないが、それは一部だったのではないか。なぜなら中国政府の主張は、被害者数が年を追うごとに不自然に増加していることや、研究者の検証によりその証拠とされる写真が合成や修正が加えられたものばかりであることが確認されており、著しく信頼性に欠けるからである。このことは、最近の毒餃子事件における中国側のデタラメな対応を考えれば、充分にあり得る話である。
南京事件の存在自体を否定する人もいて、例えば当時の南京在住者が、そのような殺戮を目撃したことも聞いたこともないと証言していることを根拠に挙げているが、それはおそらく当たらない。なぜなら大量の捕虜の処置に困った日本軍が人目につかない郊外の川原に連れ出して、機関銃などで殺害し、遺体を川に流すなどして処理してしまったからである。
確かにいくら一般市民でなく捕虜であったとしても随分残酷な話であるし、国際法上重大な問題があるのはいうまでもない。もし、私が日本軍の指揮官なら法律云々以前に人間としてできなかっただろう。不幸なのは、あまりに中国軍の捕虜が多く、しかも敵地で収容施設もない。仮に収容施設があったとしても、食事などのことを考えると、数十人や数百人規模ならなんとかなっても、数万人規模になると対応は極めて困難だ。当然、対応できないからと解放するわけにもいかない。しかも処遇に対する不満が捕虜の間に広がり始めた、という状況下であれば、やむを得なかった面もあるのではないか。ひどいように聞こえるかも知れないが、相手をやるか、自分がやられるかという究極の選択しかない戦場にあっては、これしか方法がなかったのだろう。数万もの捕虜の暴動が起きれば、ヘタをすれば戦局が変わる可能性だってある。中国軍の捕虜にも同情するが、そうせざるを得ない状況に追い込まれた日本軍にも同情する。
従って南京事件について日本軍の残虐性をことさら強調するのは、間違いである。おそらく日本軍の中にも悪人がいて、一般市民を殺害したり、女性をレイプした例もあっただろう。だが、それは全世界、戦場に巻き込まれたあらゆる地域で繰り返されてきたことである。南京における日本軍の、こうした悪行ばかり責め立てる人がいるが(しかも日本人でありながら)、そういう人は終戦前後、ソ満国境を越えて進軍してきたソ連軍が、満州の日本人開拓団の村々で何をしたのか、同じように取り上げて批判すべきである。ソ連兵は、抵抗する男性を殺害し、若い女性を探し出して暴行した。そんな女性の中には、ソ連兵の子供を身ごもり、井戸に身を投げて自殺した人もいたという。こういう事実には、なぜか目をつむり、南京事件ばかりを取り上げるというのは、正義のためというよりも別の意図があるものと、見なさざるを得ない。日本人はひどいことをしたかもしれないが、一方で日本人はひどいこともされているのである。どうして前者のことばかり取り上げて、後者のことには一切触れないのか、甚だ疑問である。
・日本はアジア各国で本当にひどいことばかりしたのか
何かある度に中国や韓国はこういって日本を批判する。そういわれると何もいえなくなって、ひたすら頭を下げる日本人。だが、果たしてそうだろうか。確かに前項でも触れたように、現地の人にひどいことをした日本兵もいただろう。だが、それをもって、日本はひどいことばかりしたというのは論理的ではない。それをいうなら今日、中国の犯罪組織が、日本国内で悪行の数々をしているからといって、日本にいる中国人すべてが悪いことをしているというようなものである。
日本はアジア諸国で散々ひどいことをしたというが、特に批判しているのは、例の3ヶ国だけである。そんなことをいうと、「インドネシアでも台湾でも日本が嫌いという人はいますよ」と反論する人が決まっているわけだが、これほどアホ丸出しの反論はない。どこの国でも特定の国について聞くと全員が好き、あるいは全員が嫌い、などということがあるはずがない。重要なのは、国民の大多数がどう感じているか、ということだろう。例外があるのは当たり前だ。
例えば台湾は、日本に統治されていたにもかかわらず中国や韓国と比較して断然親日的だが、それはなぜなのか。本当に日本がアジア諸国でひどいことをしたというのなら、台湾が親日的なのはあり得ないはずではないのか。
コメンテーターとして、しばしばテレビにも登場される台湾出身の金美齢氏が、ある本の中でインタビュアーに対して次のように述べられている。
「台湾では、戦後、日本時代を懐かしんで、『リップンチェンシン(日本精神)』という言葉が使われるようになりました。それは、旧日本軍などが使っていた国粋主義的な意味合いではなく、清潔、公平、誠実、信頼、責任感といった人間が生きていく上で守るべく倫理、美徳といったものを総称した言葉なんですね。今は、日本との関わりを離れて、例えば、台湾人を指して『あの人はリップンチェンシンで商売をしている』という風に使います。反対語として、インチキはするわ、お金が万能だわ、汚職は大変だし…というやり方を『中国式』といいます。どちらも台湾人が作った言葉です」
金氏は、小学校6年生まで日本の統治時代を経験し、この文の最初の方では「日本の教育を受け、心情としても日本人だった」とも述べられている。もし日本の統治が悪であったのなら、こういう発言は生まれてこないはずだし、そもそも現在、日本での居住を選択されることもなかったはずではないのか。
田母神氏の論文にも、日本は京城や台北にも帝国大学を設立し、陸軍士官学校にも朝鮮人や中国人の入学を認めたとある。もし日本が侵略者としてアジア諸国に進出したのであれば、現地に帝国大学を作る必要もなければ、相手国の人を陸軍士官学校に入学させるはずもない。むしろ搾取に終始したはずである。私も帝国大学のことは以前から同じことを感じていた。だが、ほかにもある。南満州鉄道を走っていた機関車のアジア号は、国内の機関車よりも性能がよく高速だったという。これも日本が搾取だけ考えていたのであれば、侵略国の鉄道のために多額の開発製造資金を投じるようなことはせず、国内の中古機関車を持ち込む程度で済ますはずではないのか。
中国は度々、大戦中の日本の行いばかり批判するが、輸入超過の事態を改善するという目的のためにアヘンを大量に持ち込み、あれほどアヘン中毒患者を生んだ原因を作ったイギリスには、何も感じないらしい。つまり同じ黄色人種の日本人に何かされるのはおもしろくないが、欧米人から何かされても仕方ないということらしい。確かに清の時代のことだから昔の話だが、アヘン戦争というのは、イギリスのどこが紳士の国なんだといいたくなるような話だろう。
こういう話をすると、いまさら60年も前のことを蒸し返して、中国や韓国から批判されるくらいなら、仮にそうだったとしても黙ってればいいと考える人も多いだろう。だが、そうだろうか。もし自分が誠心誠意がんばっていたことを、全否定され、お前のやったことはすべて悪だ、といわれたら、そうですかって簡単に引き下がるだろうか。私なら言葉にできないほど悔しく感じると思う。当時の日本人の中には、それぞれの国でいい仕事をしようとかんばった人もたくさんいたはずだ。そういう人の思いをすべて無視するかのように目の前のめんどうな問題を優先して真実の方に蓋をする。そもそも中国や韓国なんて国は、1のことを10にして主張するような国である。一方、日本は10のことも1しかいわない。この現状でバランスが取れていると考える日本人もどうかしている。私はこういう点を見ても、日本人は論理に弱いと感じるのだ。論理に弱いから、真実に対する執着もあまりないのだろう。さらにいえば、特にマスコミ関係者によく見られるのが、自分の国に都合の悪いことでも積極的に発言することが、あたかも自分が公平であることの証明になっていると考えているアホが結構いるってことだ。だが、公平といえるのは、それが事実であればの話だ。事実でないのなら、これほど愚かなことはない。
あと従軍慰安婦についても書こうと思ったが、さすがに長くなりすぎたので、これで終了にしたい。この件については、いつか機会があれば触れたいと思う。
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