| イージス艦と清徳丸の衝突事故で見えてくるもの/2008年3月10日
自民党の大前議員が「交通事故のようなもの。他の漁船が(イージス艦を)かわしているのに、あの船だけかわしていない。重大な過失があの船にあるが、そのことについて一言も触れられていない」と述べたことが、ネット上では話題になり、賛否両論さまざまな意見が飛び交っている。圧倒的に反論の方が多いのだが、私も大前議員とまったく同じことを考えていた。重大な過失があるかどうかはともかく、この意見はおおむね正論だと思う。
反対意見を読むと「何を考えてしゃべっているのか?相手は行方不明なんですよ」「相手は亡くなってるのに、その発言はどうかと思う」「公の場で言う事ではない」などがあるが、要は感情論。少し冷静に考えてみたい。もし相手の船がイージス艦ではなく、ほかの船だったら、みなさんはどう感じるだろうか。
1もし相手も同じ漁船だったら
2もし相手が外国の被災地に送る支援物資を積んだ貨物船だったら
3もし相手がアメリカ軍の軍艦だったら
4もし相手が北朝鮮の貨物船だったら
複雑な要因が重なって発生する事故を単純にほかの船に置き換えて比較できない面もあるが、相手の船が違うだけでまったく同じ条件で事故が発生し、同じような結果になったと想定する時、それで事故に対する印象が変わるとしたら、あなたは感情だけで物事を判断していると断言できる。1や2であれば、なんとなく「不幸な偶発事故」のように思え、それが3や4になると反発も手伝って「善良な漁民が犠牲になった許し難い事故」に変わってしまうのは、やはり問題がある。これでは真実を見極めることを放棄しているのに等しい。相手がどういう立場の船かというのは、どちらにどの程度の割合で事故責任があるか、という話とは一切関係しないのだ。
船舶の航行には、車とは異なる国際的な規則もあるようで、今回の事故の場合は、回避義務があるのはイージス艦の方だったのは間違いないようだ。だが、危険に直面した時も規則を守ることを第一に考える人はあまりいない。車でも、例えば一時停止がある交差点にスピードを出した車が突っ込んでくるのが見えた時、それと交差する自分の車が走っている道路が優先道路だからといって、そのまま交差点に進入する人はいないだろう。理不尽に感じながらも、停止して相手の車をやり過ごし事故を回避する。たとえ信号があって自分の方が青だったとしても、やはり危険を感じれば停止するのが普通だ。今回の事故も同じことがいえる。確かにイージス艦が充分に注意し、早めに回避していれば事故は起こらなかったのは間違いない。だが、清徳丸の方もイージス艦が接近しているのはわかっていたはずだ。その証拠に清徳丸と一緒に航行していたなかまの漁船は、危険を感じて回避している。だが、清徳丸はなぜか回避しなかった(もしくは回避が遅れた)。清徳丸の方に主な事故原因があるといっているわけではない。衝突事故は、一方が100パーセント悪くて、一方は何の問題もない、ということはむしろ少ない。つまり清徳丸の方にも多少なりとも問題があったということだ。結果的に漁師の親子が行方不明になられたのはお気の毒ではあるし、漁師のその人となりがテレビで紹介されると、みんな同情する。その気持ちもよくわかるが、その漁師がどんなにいい人であろうと、逆に極悪人であろうと、あるいは行方不明になろうと、ケガだけで済んでいたとしても責任の一端があることは揺るがない。
今回のイージス艦と漁船の事故だけでなく、沖縄の少女暴行事件などに対する世論の反応を見ていると、私はそこに共通するものを感じる。簡単にいえば「感情的二分法」とでもいおうか。
本来、世論というのは感情的に判断すべきではない話を感情だけで、あるいは感情に大きく影響されて判断する傾向がある上に、本サイトでも何度かふれてきたデジタル的思考法、つまり物事の判断を二択や三択という単純な選択肢に分けて、そのどれに当てはまるかという判断しかしない傾向が顕著なのだ。世間一般の多くの人は、頭の中に「正しい」と「間違い」、あるいは「問題がある」と「問題がない」というように、2、3の受け皿しか用意しない。彼らは物事について判断するとき、どの皿に入れるのが適当か、ということしか考えない。例えば沖縄の事件では、被害少女は「問題はない」という皿に入れる。だから自分とは違う反論を聞いたとき、少女を「問題がある」皿に入れるように受け取り、「少女の方にも問題がある」という反対意見は、いつの間にか「少女の方に問題がある」にとり違えていたりする。これは頭の中に単純な二分法しか存在しない証拠だ。
価値観、着眼点、知識の有無など、みんな違うのだから、異なる意見が出てくるのは当然なのだが、意見がくい違う理由のひとつに、一方がこうしたデジタル思考法しかできない人ということも実は多いのである。意見が異なる人を説得する時、これに当てはまらないか見極め、もしそうであれば、その思考法の矛盾をついていくと、案外、相手は簡単に折れるかもしれない。
私は、今回の事故の詳細を聞けば聞くほど、清徳丸がなぜ直前まで回避しなかったのか、という点にまったく触れず「あたご」の方ばかり責め立てるマスコミにも違和感を感じていた。だから大前議員の発言を聞き、「やはり、同じことを考えていた人はいたのか」と少し安心した。むしろその発言に対して、ピントのずれた感情的な反論の方が多いことに日本の行く末を案じる。
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