Nature
最近の若い親が口にする気になる言葉/2006年1月8日

 以前からテレビのインタビューなどで、若い親たちが自分の子供に対して何か役に立つことをしたい、ということを話すときに使う言葉が気になっている。例えばこうだ。「息子の夢をかなえるために親としてできるだけのことをしてあげたい」という親が実に多い。私がすごく違和感を感じるのは「〜してあげたい」という部分だ。なぜなら私の両親なら決してそんないい方はしないからだ。確実に「〜してやりたい」というはずだ。

 「〜してあげたい」でも「〜してやりたい」でも要は意味するところは同じだが、決定的な違いは話者と相手との関係である。つまり「〜してあげたい」というのは、対等な相手に対して使う言葉である。それは、たとえ子供でも人間として対等に扱いたいという気持ちの表れなのであろうか。確かに友達に対してなら「〜してあげたい」でもいい。だが、自分と自分の子供は対等な関係ではないはずだ。勘違いも甚だしい。

 子供と対等に接する「友達親子」という言葉がある。一見よさそうに見えるが、いいのは子供が小さいうちだけ。やがてやってくる反抗期は、ただでさえ親がうっとおしい時期なのに「友達親子」がうまく機能するとは思えない。本当に親の経験に基づいて軌道修正が必要な時に、そんな対等な関係で子供が親の意見に耳を貸すはずもないのだ。ひとりの人間として対等に接するのは、せめて成人してからであろう。それまでは親の方が上だという前提に立った接し方をすべきだと思う。犬のしつけでもそうではないか。飼い主よりも自分の方が上位だと勘違いしている犬は、散歩の時でも飼い主を引っ張って自分の行きたいところに行こうとするし、気にいらないことがあると飼い主を噛んだりする。これは上下関係を正しく認識していないことに原因がある。犬と人間の子供を同じにみなすことはできないが、しかし同じ部分も多々あると思う。

 「〜してあげたい」という言葉は、本人はまったく意識して使っていないだろうが、実は知らず知らずのうちに親の方から階段を一段、子供の方に向かって降りていることを如実に示している。つまり親の威厳を親自身が放棄しているということではないのか。私はそのことにある種の怖さを感じる。本当にこれでいいのだろうか。

 何年か前に小・中学生向けのブランド服に熱中している自分の娘に、いつも高額な買い物をさせている親をテレビで見た。「子供の喜ぶ顔が見たいから」とニコニコ顔で話す父親。その姿を見て呆れた。時には何か買い与えて子供を喜ばせるのもいい。だが、それにも程というものがある。子供のうちに「我慢する」ということを教えるのは非常に大切なことだ。それによって、これからの人生でたとえ苦労することがあってもそれに耐えられる「耐性」が生まれるのである。小さいうちから何でも買い与え、それが当たり前だと思うようになってしまうと、耐性のない人間、ストレスを自分の中で処理できない人間になってしまう。そんな耐性を教えられないで育った人間は、大人になって自分の思い通りに事が運ばないとキレたり、自分の思い通りにするためには手段を選ばなくなるのではないか。犯罪者の中には、そんな耐性が欠如しているとしか思えない人がよくいる。そんな勘違いした親に育てられた子供が犯罪者にならなければいいけどねぇ。

 そういえば私が小学生の頃も、学校の先生に「うちの子にちゃんと躾をして下さい」というバカ親がいたが、そんなバカ親に育てられた子供も、今頃、やっぱり同じようなバカ親になってるんだろうな。まっとうな親よりもバカ親の方が目立つ今の日本。ホント、日本の将来どうなっちゃうんだろう。




 
最近思うこと