| 中国の反日運動について/2005年5月5日
このところ一時のような激しいデモは見られず、少し落ち着いたかのように見える中国の反日運動だが、中国国内における反日の根深さに驚くばかりである。過去に中国に対してひどいことをしたのだから仕方ないと見る向きもあるのかもしれないが、常軌を逸していると感じた人も多いだろう。すでに60年も前のことで、我々の世代からすれば2代、3代も前のこと。日本が同じような国策に傾いているのならいざ知らず、戦後一貫して平和主義を通してきたことや、ODA(その有効性についてはともかく)や民間の国際支援のことを抜きにして、日本はけしからんといわれてもねぇ。中国は国内に向けて日本から多額の援助を受けていることをほとんど何もいっていないから反日運動をしている連中はそんなことも知らず、ただやみくもに反日と叫ぶばかり。現実とかけ離れた行為は、ただ中国の奇異さが目立つばかりで、あまり賢明とは思えない。
先日、テレビで反日運動に参加した人のインタビューを見た。「日本は謝罪しないから」というのに対して「小泉さんが謝罪しましたよね」とインタビュアーがいうと「心から謝罪していないと聞いた」だと。自分で確認もせず、その映像を見てもいないでそう決めつける。では中国政府の方が間違っている、と誰かがいったら素直に「あぁ、そうなのか」と納得するのか。通訳のニュアンスの違いがあるのかもしれないが、随分稚拙な印象を受けた。まぁ、投石などをする連中はただのバカというのはいうまでもないが、そうでなくてもこの程度なのだ。だいたい日本製品不買運動というのが、実は自国にとっても不利益になることは、少し頭が働く人ならすぐに理解できるだろうが、そんなことにも気づかないのである。表面的で単純な思考。見えるものだけを見えたとおりにしか判断できない未熟さだけが際だっている。今は、日本製品の多くが中国国内で中国人によって作られていることも多いばかりか、日本国内で作られている製品ですら中国で部品を作っている場合も多い。第二次世界大戦のころじゃあるまいし、中国対日本として、その間に線をひいて日本の企業を困らせれば日本人だけが困る、というような単純な問題ではないだろうのに。
また私がいつも思うのは頭が悪い連中に限って、中国人とか、日本人とか、そういう単純な区分けにしたがる傾向があるということだ。しかし、現実には日本人にもバカはいるが、中国人にもバカはいる。逆に日本人にも尊敬に値する人がいれば、中国人にも尊敬に値する人がいる。つまりは○○人であるかどうか、ではなく、重要なのはそれぞれの個人がどうであるか、ということであろう。そんなことは一切斟酌せず、一概に○○人ということで判断を下すのは、まったくおかしなことである。そんな大ざっぱな見方や考え方は実にお粗末としかいえない。アメリカ人だからけしからんとか、そのアメリカに協力しているから日本人もけしからん、というアルカイダと同じ、恐ろしく前時代的で未熟な発想である。
日本は大人だと思う。アメリカに原爆を落とされても、未来の方を選んだ。中国や韓国のように、原爆を落とし、空爆を繰り返して民間人を殺戮したアメリカはけしからん。断固アメリカ拒否という風にはならなかった。原爆投下についてアメリカ人は戦争を終わらせるためだったというが、当時日本はすでにソ連に戦争終結のための仲介を依頼していた段階で、もちろんそれが無駄だったのはいうまでもないが、日本の情報がアメリカに筒抜けだったことを考えれば、アメリカも当然そのことを知っていたはずである。だとすれば、多数の市民の犠牲を省みることもなく原爆を、しかも2発も落とさなければならない相応の理由があったとは思えない。それでも戦後ずっと、日本は過去は過去として割り切り、未来の方を見続けてきた。
ただ原爆によって戦後処理におけるアメリカの政治的立場が強くなり、朝鮮半島のような悲惨な国家分断を避けられた、ということはいえるのかもしれない。広島出身の私からいえば、非常に複雑な思いがある。しかし広島と長崎の多数の市民の犠牲のもと、結果的にはそれが日本という国にとってはプラスに働いたのかもしれない。
ところで国とか民族とかいうことに多くの人は熱くなりやすい傾向がある。だが、その区切り方もただの分類方法のひとつとしかいえないと私は思う。視点をかえれば、いかようにも変化することを認識すべきである。例えば、私は広島県出身で、今は神奈川県に住んでいる。もし仮に神奈川県民の誰かからひどいことをされたからといって、神奈川県民全員を許さないとか、けしからんなどとはみじんも思わない。それはおそらく中国人だって同じだろう。北京の人が広州でひどい目に遭ったからといって広州の人全員を恨まないはずだ。過去の戦争では、中国対日本という構図になったから、国という単位に視点が向かうのはわからなくはないが、本来は中国で悪いことをした日本人だけを問題にすべきであって、現代に生きている日本人ひとりひとりが、過去に中国を侵略するように望んだわけでもないし、日本人だからという理由で、すべてひっくるめてしまうことを妥当とする客観的根拠は何もないといわざるを得ない。逆に地球という単位で考えれば、日本人も中国人も同じ地球人という見方だってできる。何に基準を置くかによっても視点は変わってくる。それだけのことでしかない。もう少し視野を広げた価値観をもつべきだ。
それに過去のことをいつまでも忘れないのは勝手だが、あまりに過去にとらわれてばかりでは、何の建設的な結果も生まないし、中国にとっても不幸なことだ。それは韓国についても同じ事がいえる。一部の中国人や韓国人も、ひとつの視点や価値観に凝り固まって、ちがう視点や価値観にも真実があるのではないか、ということをみじんも検証せず、政府やマスコミが煽る情報だけが絶対に正しいと盲信している。「独島は韓国のものだ」と叫んでいる連中も、おそらく韓国、日本の互いの主張を対比させて検証したことすらないはずである。もちろんそれは一部の日本人にも当てはまるが、そういう検証をした上で、やはり日本の主張は間違っているというのならいざ知らず、ただそういう主張をしている政府などの意見をそのまま取り入れて主張しているに過ぎない。そんな主張を聞き入れなければならない理由はない。
話は変わるが、今はどうか知らないが、少し前の韓国のメディアでは、日本のことを紹介するとき、必ずといっていいほど、ひと事余計なコメントがついていた。例えば、日本の祭りを紹介する場面では、「多くの人で非常に賑わっていましたが、我が国の祭りとは異なり、センスのかけらもないようです」といった否定的な内容である。最近、日本にやってくる韓国の俳優は非常に大人に見える。むしろ日本人俳優よりも大人という印象すら受ける。だが、もし日本だけでなく諸外国に行ってインタビューを受けた時に、相手の国のことをけなし、自国の素晴らしさばかりいうようであれば、日本だろうが欧米だろうがバカにされるだけである。それなのに韓国のメディアは、ずっとそういうレベルことをやり続けてきたのである。先日の反日運動は韓国にも飛び火したが、それを理由に交流行事などを中止するようなレベルなのである。日本では、そういう韓国の対応はけしからんと、韓国人タレントの出演を見合わせたテレビ局があっただろうか。まるで子供。到底、大人の対応とはいえない。
ここまで日本のあらゆることに関して否定的なことをいうところをみると、逆に日本に対して相当なコンプレックスがあるとしか思えない。例えば日本ではどこかの発展途上国が日本よりも劣っていると、ことさらに強調したりしないのと同じく、普通、人どうしでも、自分よりも明らかに何かについて劣っていると感じている人に向かって、わざわざそのことを口に出したりはしない。しかし、その逆の場合は、現実では勝てないのでせめて口では何とかしてやろう、という心理が働き、そういうことを口に出してしまうのである。私自身の経験でも、過去に何かにつけて、私と比較して自分の方が勝っているとわざわざ口に出すバカがいたが、私はそれに対してイチイチ反論しなかった。コンプレックスが元になっているのはいうまでもないからである。相手は自分では気づいてもいないのだが、実はそんなことをいったと同時に自分の方が内心では負けていると思っていることを認めたに等しいのだ。また何かにつけて自慢をしたがる人というのも、似たようなもの。普段、自分が思っているほどまわりの人間や世の中が評価してくれない、というフラストレーションがたまっているから、それを消化するために自らが、自らの評価を上げようとして自慢するのである。私は自慢することが多い人を見ると、普段自分の評価に満足していないんだな、と可哀想に思ってしまう。むしろ、こんなことはいわないで、勝つ努力を密かに続ける方がはるかに得策だと思うのだが。あなたは気づいていないけど、賢い人はみんなあなたの心のうちを読みとってますよ、と教えてあげたい。
ま、今は韓流ブームとやらで、韓国人の自尊心もある程度は癒されたことだろう。これからは少しは欧米や日本なみに大人になるべきだ。だが、韓国人の中にも外国をよく知る人ほど自国の醜さに気づいている。私はそんな人が書いた本を何冊か読んだが、私がこれまで韓国について感じていたことをものの見事に指摘していて、韓国人の中にも同じように感じていた人がいたのかと、びっくりした。私にはこういう考え方、見方の方が、はるかに健全に感じる。
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