Nature
犬連れ登山を考える

犬連れ登山者と一般登山者の判断傾向を確証バイアス、集団極性化、右脳的思考という3つの用語で説明する

〜犬連れ登山者がアホ丸出しであるにも関わらず
あれほど自信過剰な理由と、一般登山者が無関心な理由を探る〜

 犬連れ登山者の意見を読んで、どれもこれもアホ丸出しの意見ばかりなのに、なぜあそこまで自信たっぷりなのか、呆れると同時に不思議に感じたことはないだろうか。もともと、あまりお利口さんではない人たちといっても、普通の感覚が少しでもあれば、あそこまでアホな反論はできないだろう。
 一方、一般登山者は、本来、自然を守りたいという意識が高い人も多いはずだが、なぜ犬連れ登山に対しては、ほとんど無関心で無反応なのか、これも不思議に感じている人は多いと思う。本来、生態系への悪影響があると聞けば、「よくない」と考えるのが、普通の常識をもつ人の当たり前の反応のはずだ。犬連れ登山者も一般登山者も、生物や生態系の知識に乏しいのは間違いないが、この背景には別の面も絡んでいるように思う。これを説明するには、「確証バイアス」、「集団極性化」、「右脳的思考」という3つの用語がキーワードとなる。

 まず「確証バイアス」と「集団極性化」という用語から説明しよう。最近読んだ本に、たまたまこのふたつの心理学用語が取り上げられていたのだが、私は「おもしろいほどに、そのまま犬連れ登山者に当てはまる」ことに気がついた。逆に言えば、犬連れ登山者というのは「確証バイアス」と「集団極性化」が意味するところの、定石通りの反応をしているということである。


◆確証バイアスとは?
 一旦、信念ができあがると、自分の信念が正しいと思えるように見聞きすることを偏った方法でふるいにかけること。



◆集団極性化とは?
 信念を共有する人々が集まってグループを形成すると、自分たちの信念が正しいことにいっそう自信を深め、物の見方が極端になること。



 誰しも陥る可能性がある落とし穴であり、我々犬連れ登山反対派も十分に注意しなくてはならないことだが、特に集団極性化についての説明は、犬連れ登山者(特に日本アウトドア犬協会)のために作られた用語ではないかと錯覚しそうなほどで、あまりにもぴったりしすぎて笑っちゃうだろう。でも、この説明は、犬連れ登山とは何の関係もないある本の中で説明されていた文章を、ほぼそのまま引用したものである。犬連れ登山者の判断傾向が、あれほど偏っているにも関わらず自信過剰でいられるのは、確証バイアスと集団極性化という用語によって実に簡単に説明できることが、ご理解いただけたと思う。


 最後に「右脳的思考」だが、右脳というのは、直感、感性、芸術、イメージを司り、一方の左脳は、論理、理性、言語、計算を司るとされる。脳の機能は、こんな形で二分できるほど単純ではないともいわれるが、ここでは便宜的に右脳・左脳という言葉を使って説明したいと思う。
 何事も右脳(つまり論理ではなくイメージ)で判断していると、時として的外れで頓珍漢な意見(冷静に考えれば明らかにおかしい)を生み出すこともある。本来、物事を適切に判断するには、判断する対象に合わせて右脳・左脳を使い分けることが必要であり、もし仮に右脳が的外れな結論を出しても、左脳も働かせて再検証することで、矛盾や間違いに気づいて修正もできるわけだ。もちろん状況や対象によっては右脳・左脳の立場が逆になることもあり得るだろう。しかし右脳を優先させて判断する習慣しかない人は、的外れな結論に陥ってもそれに気づくことはない。当然のことながら左脳が働けば、時には結論が180度変わることも知らないからである。
 人それぞれ得手不得手があり、右脳的思考に優れている人、左脳的思考に優れている人がいるのは当然なのだが、どちらかというと一般には右脳を優先させて物事を判断している人の方が圧倒的に多いように感じる。例えば、選挙で投票する人を選ぶとき、9割の人は立候補者の印象で決めているというアンケート結果がある。つまり立候補者の公約や政策方針ではなく、立候補者の印象やイメージで決めているというのだ。これは、右脳で判断する習慣を付けている人がいかに多いか、その明らかな証拠といえるだろう。
 この傾向は犬連れ登山者にも一般登山者にも、そのまま当てはまる。本来、生態系にどんな影響があるか、という問題は、印象やイメージで判断する話ではない。完全に科学の対象であり、論理でしか判断できないはずたが、犬連れ登山者も一般登山者も、それを論理ではなく、自分の印象で判断しているということだ。もちろん彼らに、その自覚はなく、ごく正常な判断をしていると思い込んでいるのだろう。特にほとんどの犬連れ登山者というのは、おそらく物事の判断をすべて右脳で行っている人と断言できるかもしれない。本来は左脳で考えなければならない対象を右脳で考えるからこそ、あれほど頓珍漢な意見になるのであり、自分が一生懸命考えた上でのことだから自信もたっぷりになるわけだが、実は一生懸命考えたのは右脳だけで、左脳は開店休業状態なのである。そこが極めて問題なのだが、彼らがそれに気づくことはない。


 右脳的思考回路で物事を判断する様を、ゼロを中心に左右にプラスとマイナスの目盛りがついたメーターにたとえて説明しよう。例えば、食品添加物である化合物Aには、発がん性が疑われる、という研究結果をニュースで聞いたとしよう。これを聞いた人の右脳では、ゼロの位置にあった針が、途端にマイナス側に大きく振れ、人によっては振り切れるほどの過剰反応になり、Aが添加された食品を敬遠するようになる。一般の人にとって化合物Aというのは、もともと何の印象もないから、針は当然ゼロからのスタートになり、ニュースのイメージのまま簡単に針はマイナス側に移動する。その一方、犬連れ登山の場合だが、もともと犬には、従順、かわいい、やさしい、癒される、盲導犬のように人間にも役に立つ動物といった「いいイメージ」の方が大きく、犬連れ登山の問題点を聞く前から、すでにプラス側に針が大きく振れているわけだ。いくら犬連れ登山の問題点を専門家が指摘して針が多少は戻ったとしても、マイナス側に振れることはない。だから犬連れ登山者も一般登山者も何をいってもピンと来ないわけだし、無関心で無反応ということになる。だが、そもそも先にもいったように生態系や生物に関する問題というのは科学の対象であり、自分の印象で判断することではない。犬がもつ「愛すべき性質」とは完全に切り離して判断しなければならない。右脳のメーターで判断することが、そもそも大きな間違いなのだが、右脳でしか物事を判断したことのない人にいくらいっても伝わらないだろう。



 日本アウトドア犬協会にしろ、シェルパ斉藤にしろ、犬連れ登山者というのは、ほぼ共通して右脳でしか物事を判断できない人たちである。左脳でしか判断できないことを右脳で理解させようとしても到底無理だろう。なぜなら彼らの判断の元になっているのは、客観的な事実ではなく、自分の印象だからである。そして犬への溺愛ぶりがさらに進んである意味、宗教のような様相を帯びてくると、その印象はさらに強烈なものへと変わり、もはや手に負えない事態になる。野田知佑やシェルパ斉藤の姿勢は、もはや宗教である。そのうち、もっとひどいことにならないかと私は懸念している。



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