Nature

 自然公園財団(各地のビジターセンターの運営などを行っている環境省の外郭団体)のある職員が、以前、ご自身のブログで、犬連れ登山問題に関して「みなさんも考えて下さい」と呼びかけていた。私は、これを読んで、正直がっかりした。そして犬連れ登山問題の本質を、まるでわかっていない人だと感じた。
 自然公園の一般利用者にそう呼びかけることが、一体なぜいけないんだ、当然のことではないかと思う人も多いだろうが、それは違う。この人は、「犬が潜在的に保有する病原体が野生動物に感染流行する危険があるので犬連れ登山は控えるべき」という野生動物の専門家の意見があることも知った上で、そう書かれていたのだが、そうであればなおさらおかしい。どういうことか説明しよう。


 もし犬連れ登山が、他者の迷惑になるかならないか、というマナーの問題であるのなら、この発言は正しい。というよりも、そう呼びかけるしかない。マナーというのは人が迷惑に感じることを避けるということであり、より多くの人が迷惑と感じるのならマナーとして犬連れ登山は避けるべきという判断になるわけだし、ごく一部の人が迷惑としか感じていないのなら犬連れ登山の禁止措置までしなくてもいいという判断になるだろう。つまり、もし犬連れ登山問題があくまでマナーの問題であるのなら、その行司役は「一般利用者の声」なのだ。
 だが、犬から野生動物への感染症流行による大量死、さらには絶滅する可能性が、専門家によって指摘された段階で、一般利用者の声で考える問題ではなくなったのである。マナー云々よりも野生動物の大量死や絶滅を防ぐことの方がはるかに重大かつ優先すべきことなのはいうまでもない。このような100パーセント科学の問題に一般利用者の意見は不要であり、あくまで行司役は専門家なのだ。一般利用者に意見を聞いても構わないが、その結果をどういう対策を行うかという判断に反映させる必要はまったくない。
 これは厚生労働省の感染症対策の担当者が、国民に向かって「新型インフルエンザが大流行する可能性が高いとする専門家の意見がありますが、どうするのがいいでしょうか。みなさんも考えて下さい」と呼びかけているようなものなのである。もし本当にそうだとしたら感染症対策の担当者として不適であり、即刻適任者と替わっていただきたい。だが世界中、そんなことを国民に呼びかけている国など存在しない。
 鳥の体内で変異してヒトにも感染する能力をつけた新型インフルエンザが国民に感染流行しないように行う対策も、犬が潜在的に保有する病原体が、野生動物の間に感染流行しないように行う対策も、危険性の程度など細かな違いはあるが、どちらも感染症対策の問題なのである。そういう高度な知識でもって判断しなければならない問題に、そもそも感染症とは何であるかもよく理解していない、それどころか生物学や生態学の基礎知識もろくに知らない一般利用者の意見など聞くに値しない。幸いにも日本の厚生労働省はそこまで低レベルではないので、新型インフルエンザについて国民に向かって「みなさんも考えて下さい」なんて呑気なことを呼びかけたりしていない。いろいろ不備も多いが、それでも専門家の意見に従って着々と進めているのが、実情だ。
 だが、この職員は同じ感染症対策の問題である犬連れ登山問題に対して専門家の意見はなおざりして、一般利用者の意見にも同等もしくはそれ以上の価値があるといわんばかりに「みなさんも考えて下さい」と呼びかけているのである。私は、何も犬連れ登山の危険性を訴える専門家の意見をそのまま鵜呑みにしろとはいっていない。専門家はそういうが、自分が担当するエリアでは、どうなんだろう、という疑問があってもおかしくない。もし私がこの職員なら、そのエリアの野生動物に詳しい専門家と野生動物の感染症に詳しい専門家を集めて議論してもらい、その結果に従って判断を下す。その判断に一般利用者の意見は不要だ。それが担当者としてすべきことなのであり、決して「みなさんも考えて下さい」と呼びかけることではない。呼びかけるべきなのは、専門家の判断に従って決定した方針の理由を説明することとそれへの協力を求めることだろう。
 勝手な想像で申し訳ないが、この方はおそらく文系大学のご出身なのだろう。自然科学系大学出身者なら、生物系学部でなくても、少なくとも科学の問題(行司役が専門家であること)かそうでないかの区別くらいはつく。「みなさんも考えて下さい」というような発想はまず出てこないだろう。ご担当エリアの自然情報にはお詳しいと思うが、そういう知識と、犬連れ登山問題の本質を理解できるかどうかというのは、あまり関係しない。


 自然公園財団にしろ環境省の地方事務所にしろ、名称の聞こえはいいが、残念ながらおおむねこんな感じだ。私が10年ほど前、電話で意見を聞いた環境省の某地方事務所も「いろいろ利用者の意見も聞いて…」とのことだった。だが、当時から野生動物への脅威になるという意見はあった。環境省の地方事務所がすべきことは、そんなことを言い訳にして何もしないことではなく、専門家を招集して検討してもらうことのはずだ。だが、この地方事務所は、担当エリアでその後も何の対策もしていない。一概にはいえないが、この問題についていえば森林管理署の方が、よほど問題の本質をよく理解され、適切な対策をされていると私は感じている。


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