「自分は絶対正しい」と思い込んでいる 人を信用してはいけない |
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多かれ少なかれ、誰しも自分の考えは基本的に正しいと考えがちであり、このスタンスから外れている人はほとんどいないと思われます。ただ、そのスタンス自体は同じだとしても、考えの成熟度も、自分の考えに対する執着度も人によりいろいろです。自分の考えでさえも一度は疑ってみた上で結論を出す人であれば、まだいいのですが、そういう過程を経ずに自分の頭に浮かんだことはすべて自動的に「正しい」と思い込んでしまう人(=メタ認知能力が低く、自分の考えが正しいことに執着する人)は大いに問題があります。どちらかというと、あまり賢くない人ほど、そう思い込んでしまう傾向が高いように私は感じています。なぜなら賢くない人(=能力が低い人)ほど、自分自身の問題点を冷静に分析し、軌道修正できる能力自体も低いと想像できるからです。 さまざまな意見を持つ100人の人がいたとして、その100人全員が正しいなんて論理的にあり得ません。その正解率はケースバイケースで、8割の場合もあれば、1割しかない場合も当然あるでしょう。つまり、たとえ自分がいくら正しいと思っていても、蓋を開けてみたら間違いだったことも何割かの確率(正解率は個人差がある)で発生するのは当たり前の話しです。 しかし、ほとんどの人は、そういう自分にとって不都合で不愉快な現実は想像すらしたくありません(脳が無意識のうちに回避することもある)。そんな現実よりも、「きっと自分の考えは正しい」というハッピーな結果だけを想像している方が圧倒的に気分爽快です。誰がなんといおうと、そう思いたいしそう信じたい。自分の頭が間違った答えを出しているかもしれない現実に真正面から向き合いたくない。なぜなら、それに向き合うということは、同時にこれまでの人生で自分が間違った選択をしてしまっているかもしれないことにも向き合わないといけないからです。そんな気が重いことは考えたくないし、できれば避けたい。ただ、ひたすら「自分の考えはきっと正しい」と思いたいし信じたい。 そんな人も多々いる一方で、過去に自分が絶対正しいと思っていたことが結果的に間違いだった苦い経験から、それに真正面から向き合おうと考える人もいます。そういう人は、もともと自分の認知を客観的に認知する「メタ認知能力」に長けており、早くから「自分にも間違いがある」ことに気づいています。そういう人は仮に他人と意見対立した場合でも、「もしかして自分の方に間違いはないのか」と、ふと冷静に立ち止まり、相手の意見にも一理あるかもしれないと耳を傾けられるわけですが、メタ認知能力に欠ける人は、とにかく自分の考えは絶対正しいし、他人の方が絶対間違いだと徹底的に決めつけています。それは時として病的なほどです。 「メタ認知能力に欠ける」とは、わかりやすくいうと「お利口さんじゃない」ということなんですが、彼らは、本項その4の記事でも書いた通り、お利口さんじゃないがゆえにダニング=クルーガー効果も遺憾なく発揮してきます。つまり能力の低い人は、自分自身の能力さえ適正に評価できないし、他人の能力も適正に評価できないため、その結果、自分自身を過大評価してしまい、余計に「自分の考えは絶対正しい」と思い込みやすいことになります。 ところで世の中のいろいろな人たちの中で一番困るのは「お利口さんじゃない中高年男性」だと私は思っています。お利口さんじゃない人は、性別に関わらず、どの世代でも困ることに違いはありませんが、中でも特に中高年男性が困ります。自分もその「中高年男性」の範疇に入るので、余計にお利口さんじゃない中高年男性の言動が目に余ると感じるのかもしれません。 お利口さんじゃない中高年女性も、やっぱり困ることは困るんですが、男性ホルモンの影響による闘争心が男性ほどではないため、多少なりとも協調性があって、しかも男性と比べれば勘が鋭い分、まだマシです。でも、お利口さんじゃない中高年男性はいけません。お利口さんじゃないために往々にして鈍感でメタ認知能力にも欠け、しかも、なまじ人生経験だけは豊富なので自信過剰になりやすく、そのため「自分は絶対正しい」と思い込んでいて、もう自信満々にだれかれとなく自分の意見をゴリ押しして来ます。 だったら冷静に反論して論破すればいい…なんてことをいう甘い考えの人もいるでしょうが、彼らは、お利口さんじゃないがゆえに、その分メンツだけは一流で、どんなに冷静に反論し、仮に論破したところで、彼らの年齢の方が上であればあるほど、自分のメンツやコンプレックスにも結びついて、余計に自分の非は認めたくない強い感情を生むわけです(=「若造に負けられるか」笑)。
相手の方が本当に間違っているというのなら、感情的にならずに冷静に理路整然と反論をすればいいだけのことだと思いますが、お利口さんじゃない彼らに、それを実践するのはそもそも不可能なんです。で、結局、彼らとしては例えば「実に不愉快だ!」とか、「その言い草はなんだ! 失礼じゃないか」とか、その怒りの理由が的を射ているかどうかはともかく、なんやかんやいって怒り出す手段しか残っていないわけです。「怒り出す」とは、お利口さんじゃない中高年男性に残された唯一の最終兵器というわけです(笑)。みなさんの中には、まだそういう事例を経験していない人もいるかもしれませんが、大丈夫です。お利口さんじゃない中高年男性は世の中にいっぱいいますので、そのうち否が応でも対峙する機会が、必ずやってきます(笑)。 彼らは、お利口さんじゃないがゆえに子供の頃からコンプレックスも溜まりまくっています。なので「なるほど。わかった。確かにあなたのいう通りだ」とフェアな視点から自らの非を認めるようなことは絶対にできません。ものすごく面倒くさい人たちというのがご理解頂けると思います。 私は、幸運なことに出版業界で長年仕事をして来て、近年ますます改めて「よかったなー」としみじみ思うことが多いです。いうまでもなく出版業界は、どちらかというと高学歴のインテリ業界です。インテリ業界といっても、主に文系の人たちから構成されている業界なので、そういう意味では時々、ビックリすることもあることはあるのですが(逆に私の方がビックリされていることもあると想像されるので、お互い様です・笑)、それでも社会全体で比較すれば、日本の文系インテリのレベルは高くて、優秀な人は本当に感心するほど優秀です。彼らは当然、頭がいいだけあって、いろいろなことをイチイチ説明しなくてもすでに理解しているし、自分の立ち位置もきちんとわきまえています。つまり彼らと日常的に仕事をするという意味では「ストレスがほとんどない」のは間違いありません。むしろ業界以外の世界に属する「インテリじゃない人」と話す機会などに稀にものすごく驚くことがあります。 みなさんの中にも経験されている人も多々いらっしゃると思いますが、いや〜、ホントにすごいレベルの「お利口さんじゃない中高年男性」って現実にいらっしゃるんですよ〜。とにかくスゴイです。世界観が根底から覆るほどのスゴ過ぎるレベルです(笑)。 考えてみれば、それも当たり前のことです。ぶっちゃけ子供の頃にバカだった人は、50、60、70になっても、やっぱりバカなんです。いかに年齢を重ねて、いくらいっぱしを気取っても、結局、バカはいくら年を重ねてもやっぱり最後までバカなんです。おそらく、ごく低い確率で「子供の頃はバカだったが、その後メキメキと頭角を現した」というような例外もあるでしょうが、大枠では、年を重ねたからといって頭の総合偏差値に大きな変動はないとみる方が自然です。 ン十年も生きてきた、少なくとも人生の達人であるため、ご本人は、「若い頃はできなかったことでも、今はできるようになった」とか、いろいろ自負されているわけですが、でもそれは、同世代、あるいは同世代以上のほぼ100%の割合で他人にも当てはまります。つまり、いくら「若い頃はできなかったことも、今はできるようになった」ことが事実だとしても、それがイコール「同世代の中で自分だけ偏差値が上がっている」とは限りません。同世代の中における自分の偏差値は、生涯を通じて大差ないことも多いでしょう。なぜなら、まわりの同世代の人も年齢を重ねるにつれて、同じように若い頃はできなかったことができるようになっているため、相対的な自分の偏差値は変わらないことも往々にしてあるからです。バカなだけにそういう現実に冷静に頭が回ることも無理でしょうね。 「自分は絶対正しい」と思い込んでいるのは、お利口さんじゃない中高年男性だけではなく、あらゆる世代にいらっしゃいますが、一方で本当に高い確率で正しい答えばかり出している人もいるかもしれません。しかし、それは希有な事例でしょう。ほとんどの場合、「自分は絶対正しいと思い込んでいる人」と「バカ」とほぼイコールで結ばれます。なぜそういえるのか、非常にわかりやすい図で説明したいと思います。 「自分は絶対正しい」という認識が、いかに ■10人の判断事例を検証してみた仮想結果 AさんからKさんまで10人(Iは故意に外しました)に判断事例1〜6についての意見を聞いてとりまとめ、後日、各人の判断が正しかったか否かを検証したところ、例えば以下の結果になったとします。ほとんどの場合、この仮想結果のように正解と不正解が入り乱れる結果になることの方が多いと考えられます。でも、検証する以前は、みんな自分の判断は基本的には正しいと思い込んでいたはずです。なぜなら、誰もがみんな、その判断が正しいと考えたからこそ、その判断をしているはずだからです。「自信がない判断」とか「よくわからないので、あくまで暫定的な判断」という場合もあるでしょうが、基本的には、みんな「自分の判断は正しい」というスタンスのはずです。ただ、よく理解しておかなければいけないのは、そう思っているあなた以外の全員もあなたと同様に基本的には「自分の考えは正しい」というスタンスであるという事実です。 しかし、実際は異なる意見を持つ人全員が正しいなんてあり得ません。以下の仮想結果で考えると、確かにDさんは6事例中5例で正解を出しており、正解率83%という高成績を出していますが、ほかの人は正解率50%以下という成績で、Cさんに至ってはひとつも正解がなくて正解率0%です。いくら、みんながみんな「自分の判断は正しい」というお花畑的なスタンスであったとしても、現実は、大半の人にとって予想外の冷酷な結果で終わることも多々あると想像できます。
■正解率0%のCさんが、検証前に抱いていた妄想をわかりやすく図にすると… 検証前、正解率0%のCさんは、誰がどれほどの正解を出しているかまでは予想できないまでも、以下の黒字「正解」のように自分以外の誰かがある程度の割合で正解しているかもしれないことくらいは予想しながらも、特に自分自身については、きっと赤字「正解」のような結果になっているとのオメデタイ妄想を膨らませていたことになります。しかし現実はそんな脳天気な予想とは真逆の結果だったわけです。このように本来は、正解率が決して高くないにも関わらず、それでもCさんと同様に「自分は絶対正しい」との妄想の世界に生きている人は現実に存在しています。でも、「自分は絶対正しい」=「すべての判断事例で正解を出している」なんて、ほとんどの場合、その可能性は極めて低いという現実にいい加減、真正面から向き合うべきでしょうね。
■それどころか脳天気なCさんは、以下のようにすべての事例で自分一人だけが正解を出している可能性でさえ、十分にあり得ると日常的に妄想している。ただし、その根拠は何もない(笑)
以上のことから考えれば、「自分は絶対正しいと思い込んでいる人=バカ」ということが、一目瞭然でしょう。普通の人が、100のうち10くらいは考えを巡らせた上で結論を出すのに対して、中には100のうち70〜80くらい徹底的に考えを巡らせる人もいます。後者に該当する人が、さらに自らの判断を後日、ひとつひとつ検証して自分の判断の正しさを証明した上で、その結果「自分は絶対正しい」という認識を持つに至ったというのなら、まあ納得してあげますが、ほとんどのお利口さんじゃない中高年男性の場合は、そんな努力をするわけでもなく、ただ単に「自分の考えはきっと正しい」と闇雲に思いたいだけであり、ロクな根拠すらありません。彼らは、威勢のいいことを自分でいってみて自分で満足するレベルがほとんどです。「自分は絶対正しい」のが、本当に事実であれば、あなたの人生の結果は、もっと立派なものでなきゃいけないのでは? …とツッコミたくなるほど、社会全体で見た時にパッとしない境遇にある人にむしろ多い印象です。その裏返しで自分自身に向かって「自分は絶対正しい」といい聞かせて、なんとか自信を維持しているみたいで、返って無様に見えるのは私だけでしょうか。 こんなレベルなのにどうして「自分は絶対正しい」と思えるのか、私なんかにいわせれば不思議で不思議で仕方ありませんね。 こういう超低レベルな妄想を自信満々に抱いている人を信用なんかできるわけがありませんし、信用してはいけません。非常に危険です。 |