Nature

私のこれまでの編集体験で感じたことなどを好き勝手に書いたものです。

植物記
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一見、正論そうだが、おかしな写真家の主張


 これは出版社にいたときの体験。編集部で、ある写真家から借用した写真を1点紛失した。編集部内でなくしたのか、印刷会社がなくしたのか定かではないが、とにかく見あたらない。で、そのことで当人と電話で話しした時のことだ。実は、その写真家の父親も写真家で、やがて電話口の相手は当人から父親に変わった。その時、父親から電話口でいわれたのが「我々は命がけで写真を撮っているんです」という言葉。つまり命がけで撮っている写真を紛失したのだから、それなりの誠意を見せろ、ということらしい。一見それは正論のように聞こえる。だが、そうだろうか。私はおかしな論理だと感じた。確かに普段命がけで写真を撮っているかもしれない。それくらい作品作りに強い思い入れがある、それは否定しない。だが、おそらく「命がけで写真を撮っていることもある」という方がより正確だろう。我々が紛失した写真は、その辺の里山的な場所によく見られる木の花の写真だったように記憶している。人跡未踏の深山の岩壁にしか生えない稀少種の写真ならともかく、車で乗り付けて労なく撮れる写真まで命がけで撮っているはずもない。もしこういう写真まで命がけというのなら、一体全体どういう方法で写真を撮っているのか不思議に思う。
 「この写真は命がけで撮っているのだから、写真使用料は普段の2倍3倍にしてほしい」とか「紛失した場合はその何十倍の賠償をしろ」という理屈はわからなくはない。だが、命がけで撮っていることもあるのだから自分が撮影したすべての写真はそれに見合う対応をしろ、とはおかしな主張である。もし、そうであるのなら、たいして珍しくもない種類の木の花の写真を命がけで撮っているために紛失したときに高額の賠償を要求される、その写真家の写真をわざわざ使わない。そんな条件を要求しない、まっとうな写真家が、ほかにいくらでもいるというもんだ。
 一部の写真家は、写真を紛失したときに、まるで鬼の首でも取ったかのように弁償しろ弁償しろというが、私はその姿勢はちょっとおかしいと感じている。確かに所有権は写真家にあるのだから、それを紛失したとき弁償を要求するのはあるいは当然なのかもしれない。だが、編集側からいわせてもらえば、それは自分たちの権利ばかり主張しているようにしか思えない。紛失した写真を弁償することが出版社の義務であるというのなら、その前に写真家は自分たちの義務をきちっと果たしてからそういう主張をすべきである。タイトルに自信たっぷりに書き込んだ種名。だがよく調べると間違いということも珍しくもない。まさかプロの写真家だからブレやピンボケはないだろうと、高倍率のルーペで確認するとブレブレだったり。そういうカットがある程度の頻度で現れるところを見ると自分でピントやブレのチェックもろくにしていないとしか思えない。ピントやブレのチェックは出版社側もするべきことだが、写真家はしなくていいという理屈はおかしい。必要最低限のチェックをせずに得意先に仕事の成果を出す会社があるだろうか。そんないい加減な会社は世の中には存在しない。いや、仮にあったとしても信頼を失い、そのうち仕事がなくなるだろう。それと同じ事だ。そういうさまざまな写真家のミスによって出版社が被る不利益についても、もう少し思いを馳せるべきである。
 確かに種名の間違いというのは、専門家でないのだからある程度はやむを得ない。このことはまた別の機会に説明したいが、生物全般の種名、特に植物は一般に思われているようにシロクロがはっきりしていて、誰が見てもAという植物はAだし、Bという植物はBである、というわけではない。そういう複雑で難しい面も多々ある。それは理解する。私も過去にうっかりも含めて、いくつかの種名を間違えたことはある。だが、それも程度の問題だ。どの一般的な図鑑にも載っていて、ちょっと確認すればすむのに、それすらしないで発生するミスは論外であろう。そんな間違いを平気で犯す写真家に、出版社側のミスを追求する権利はない。種名に自信がないカットは自信ありげに出さないか、そのことを断ってから出版社に出すべきである。掲載した写真の責任は出版社側にもあるが、同時にタイトルに書き込んだ内容の責任は写真家にある。そういう点については、まるで無頓着で、出版社側の寛容さに期待しているのに、逆の立場になると写真家の当然の権利とばかりに出版社の責任を追及する。どう考えてもアンバランスだ。
 現在、私は、当時とまるで反対の立場になった。私の方が写真を提供する側になったのである。こうして私が思うのは、たぶん仕事を頂戴している出版社は、それがおいしい仕事であろうとなかろうと、ありがたい存在だということだ。もちろんいうべきことはいうことにしているが、だからといって、たかが何点かの写真を紛失したことに対して普段の恩を忘れて、弁償しろという気にはならない。私は自分が撮影している写真の内容はタイトルも含めて完璧とは思っていない。種名などの記載には気を使うが、それでも間違えたり、タイトルシールの貼り間違いもないとはいえない。また原稿を書くことも多く、もちろん必要以上に注意はしているが、人間のすることだから、うっかりもあれば勘違いもある。それは出版社側もまったく同じ。だからこそ出版社側のミスにも寛容である。
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