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日記
 2018年8月〜2020年7月
過去の日記目次
2020年7月6日(月)
都知事選
 東京都知事選は、現職の小池氏が再選された。小池氏といえば、学歴詐称疑惑に迫った『女帝 小池百合子』の評価も高いようだ。しかし、ほかの候補者が当選する可能性はほぼないだろうと思っていたので、予想通りの結果である。私は政治家として評価しているわけでもないが(この人の評価は難しい)、小池氏に匹敵する対抗馬がいなかったのは大きい。

 小池氏の学歴詐称疑惑は、その後、当のカイロ大が、「1952年生まれのコイケユリコ氏が、1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」との声明を出したのは、みなさんご存じの通り。学歴詐称疑惑を追及している人たちが、これにどう反応するのか興味津々だったが、いくつかの反論記事を読んでも無理な論理としかいえないものばかりで、あまり説得力を感じなかった。

 結局、本当のことはわからないが、仮に小池氏が学歴詐称をしていたとしても、都知事としてちゃんと仕事をしてくれるのなら、カイロ大を卒業していようと中退していようと、そこは大した問題じゃない…と有権者が判断したということだろう。

 大体、都知事選の直前に『女帝 小池百合子』という本を出版するというのも、実にあざとい。一見、正義を気取っているが、要は「一番金儲けができる」タイミングを計った以外の何ものでもない。そりゃあ、いくらジャーナリズムとかなんとかカッコつけても、結局「金儲け」のために出版事業をしている出版社としては、そう考えるのは当然といえば当然の話で、私が担当編集者でもやはりそのタイミングでの発売を計画すると思うけど(笑)、第三者としての視点から見れば、魂胆みえみえ。そんな魂胆にまんまと嵌るかよ。

 それにしてもテレビ番組で「主な候補者」として名前が挙がる人以外の人は、本心から「ひょっとすると自分が当選するかも」と思って立候補しているのだろうか、と毎回、都知事選のたびに思う。どう考えても当選するとは思えない人まで立候補されている。当選するとは思っていないけど、名前を売る絶好のチャンス…というのなら、まだ理解できるが、「当選するかも」とマジで思って立候補しているとしたら、それだけで現状把握能力に疑問符しかつかない。そんな自分の立ち位置を正確に把握できない人が都知事なんてあり得ない。

 今回、第5位に迫った桜井誠氏って、例の在特会の人だろ。あんなことしている人が18万票も獲得するのもねぇ。確かに韓国という国は、北朝鮮と同様に異常な国だが、韓国人すべてを悪と見なすのも、かなり問題がある。日本を好意的に見てくれている韓国人まで敵にまわす必要がどこにあるのだろうか。

 れいわ新選組の山本太郎氏は、障害者を国会に送ったり、結局、「奇策」レベル。「障害者自身の声を国会に届ける」というと、いかにも素晴らしいことのように思えるが、一人では動けないような人が無理して議員になるよりも全国の障害者の声を代表する健常者が議員になればいいだけの話しでは?
 コロナに感染すると命にかかわるといって国会を休むのはやむを得ないかもしれないけど、多額の税金をかけて国会議事堂を改修したりするほどの価値が本当に彼らにあるのかね。ほかの議員と同様に、彼らが議員としてちゃんと仕事をしているかどうか、それこそマスコミは検証するべきである。税金が投入される議員である以上、障害者だからといって割り引いて見る必要は一切ない。

 ついでに書くと、前回の都知事選に出馬した鳥越俊太郎氏は、もともと疑問符しか付かない人だったが、あの選挙で完全に化けの皮が剥がれてしまった。選挙運動中に都政とは関係ない国政レベルの話しばかりして、実は都政に関してはほとんど知識がないのがバレちゃった。しかも落選したあとの氏の発言。「実は自分も当選するとは思っていなかった」。負け惜しみから出た言葉だろうけど、本人も当選するとは思っていなかった人に票を入れた有権者に対して随分失礼な話しである。コロナ禍の最中も、県外移動の自粛が求められていた中にあって、「コロナは騒ぎすぎだと思っているので妻と下田に旅行に行った」とか平気でいってるアホな人である。表向きの見た目に対して中身がないのは、もはや明白。前回、都知事選で落選させた東京都の有権者の判断は正しい。



2020年7月4日(土)
「夜の街」だけが責められるのは不公平なのか?
 新型コロナウィルス感染者が、再び増加に転じている。ある程度、想像していた事態だが、今後、感染者数がどう推移していくか気がかりな状況ではある。
 小池都知事は、2日の緊急記者会見で、都内の感染経路では「夜の街」関連が約4割を占めていることを明らかにした。その報道を受けて、夜に営業している飲食店関係者からは「夜の街だけが責められるのは辛い」とか、ほかにも「ウィルスは昼と夜を区別しているわけではない」「朝の満員電車の方がよほど濃厚接触では?」といった意見があるらしい。

 しかし「夜の街」が名指しされるのは理由がある。前述したように実際に感染経路を調べると、夜に営業する飲食店で感染した例が4割もあったからだろう。感染経路の分類で最も多いのは「不明」の53%なので、感染経路が判明している事例では最大。よって「夜の街」が名指しされるのはやむを得ない。

 またランチ営業する飲食店ではコロナに感染しないわけではないが、ランチに要する時間はせいぜい20〜30分と比較的短時間なのに対して、夜の飲み食いは、ほとんどの場合、1時間以上になると思われる。とすれば感染リスクがどうしてもランチよりも高くなるだろう…と想像できる。実際に感染経路の調査では、昼の飲食店が上がってこないのを考えれば、夜の飲食店よりもリスクは低いものと考えられる。

 一方、満員電車の場合は、確かに他人との間隔でいえば、「夜の街」よりも接近せざるを得ないのも間違いないが、そのリスクは時間にも左右されるはずだ。いくら首都圏の通勤電車でも始発駅からぎゅうぎゅうの満員状態になるわけではなく、始発駅を出る頃にはガラガラだったはずで、首都圏のターミナル駅に近づくに従い、混雑度は上がっていく。なので、ぎゅうぎゅうの満員状態になる時間はせいぜい30分くらいではないか。それでも他人との間隔要素でいえば、「夜の街」と比べれば、より濃厚接触を強いられるともいえるが、一方で時間要素でいえば、「夜の街」よりも短くてすむとも考えられる。

 仮に満員電車で感染したとしても、感染経路として追えないので、「不明」の中に入ってしまい、どちらの方がリスクが高いかについては今のところ何もいえないのだろう。接触確認アプリの利用者が大幅に増えれば、それについて何かいえる日がくるかもしれないが。



 
2020年6月30日(火)
最近のニュースで感じたこと
あおり運転罰則強化の改正道路交通法が施行

 今日からあおり運転の厳罰化が盛り込まれた改正道路交通法が施行された。それ自体は大変よい方向だと思う。常軌を逸したあおり運転は世の中からなくすべきである。ただ、その一方で、あおり運転が社会問題化して以降、あおられる側の問題については、なぜかスルーされているようにも感じる。
 もちろん高速道路上で無理矢理停車させたり、暴力をふるったりというのは論外である。しかし、一方であおられる側に何の問題もないと自動的にみなす風潮にも違和感を覚える。念のために申し上げておくと、あおられる側すべてに何らかの問題がある、といっているわけではない。

 常磐道の件で逮捕された宮崎文夫容疑者は、なぜあそこまで怒り狂っていたのだろうか。確かに高速道路上で無理矢理停車させるようなことを平気でする人だから、まともな人じゃないと思うよ。でも、あそこまで怒り狂っていたというのは、それなりの理由があった可能性もある。
 繰り返しテレビ番組で流れた、あの「ドライブレコーダー映像」を見るだけでは、圧倒的に宮崎容疑者が悪いように見えるが、そこに至る経緯については映像からは判断できない。勝手な想像だが、私はあおられた被害者の車が、追い越し車線をマイペースで走り続けた可能性も十分にある、とちょっと思った。だからといって、宮崎容疑者の行為が正当化される理由にならないのはいうまでもないが、あおられる側の問題も明確にしないと、こうしたトラブルを解消させることはできないと思う。

 私は、近年、高速道路における運転者のレベルが、以前よりも低下していると感じている。その一番の理由は、追い越し車線を延々と走り続ける車を見かける機会が増えたからである。本来、渋滞時でなければ、追い越し車線とは前車を追い越す際に一定区間利用するための車線なので、追い越しが終われば走行車線に戻らなければならない。これをせずに追い越し車線を長距離走行すると道路交通法違反となり、取り締まり対象となる。その距離はおおむね2キロとされ、このことは意外と知られていないようだが、高速道路の交通違反取締り件数のなかでも最高速度違反に次いで摘発件数の多い違反らしい。

 実際に高速道路上で見かける「追い越し車線を延々と走り続ける車」というのは、周囲の車の流れを一切見ていないかのようであり、後に金魚のフンのように後続車を引き連れるような状態であっても、まったくのマイペースで走っている車が多い。比較的空いていれば、走行車線側から追い抜くことも可能だが、混んでいれば早く行きたくても前をノロノロと塞がれ、しかも走行車線に戻れるタイミングでもそれをせずにさらに追い越し車線を走り続けられたら、頭に来る人も当然出てくるはずだ。ちなみに走行車線側を追い抜いた場合、追い抜いてから追い越し車線に移るとこれも道交法違反になるそうだ。なので追い抜いたあと、しばらく走行車線を走った方がよいとのことである。

 あおり運転に関するテレビ番組で、こうした指摘が一切ないのもどうかと思う。あおられる側の問題も指摘すれば、まるであおり運転を擁護しているように見えるからだろうが、こういう運転も、あおり運転ほどではないにしろ、やはり問題としかいえない。仮に法律で決まっていなくても、追い越したら走行車線に早々と戻り、早く行きたい車に車線を譲ってあげるのが、至極当たり前の社会人としてのマナーではないだろうか。


※本サイトでもファビコンが表示されるように設定しました。旧IEでは表示されませんが、EdgeやGoogle Chrome FireFoxなどでは表示されます。


2020年5月30日(土)
フィッシングメール
 ここ数日の間に、私が持っているいくつかのメールアドレスのうち、ふたつのメールアドレス宛にアマゾンから「Amazon.co.jp にご登録のアカウント(名前、パスワード、その他個人情報)の確認」と題する以下のような文のメールが送られてきた。


Аmazon お客様

残念ながら、あなたのアカウント
Аmazon を更新できませんでした。
これは、カードが期限切れになったか。請求先住所が変更されたなど、さまざまな理由で発生する可能性があります。

アカウント情報の一部が誤っている故に、お客様のアカウントを維持するため

Аmazon 情報を確認する必要・ェあります。今アカウントを確認できます。
Аmazon ログイン

なお、24時間以内にご確認がない場合、誠に遺憾ながら、アカウントをロックさせていただくことを警告いたします。

パスワードを変更した覚えがない場合は、至急(03)-5757-5252までお電話ください。

お知らせ:

● パスワードは誰にも教えないでください。

● 個人情報と関係がなく、推測しにくいパスワードを作成してください。大文字と小文字、数字、および記号を必ず使用してください。

● オンラインアカウントごとに、異なるパスワードを使用してください。

どうぞよろしくお願いいたします。

Аmazon




 最初に送られてきたアドレスは、本サイト専用のもので、私がアマゾンに登録しているアドレスではないため、明らかにおかしい。さっさと削除して終了。ところが昨日は、その登録アドレスにも同様のメールが届く。一瞬「えっ」と思ったが、数日前のメールと内容が同じで、すぐに「またフィッシングメールだな」と見抜くことができた。しかも、文章をよく見れば、怪しさ満点。Amazonの「A」だけがなぜか全角になっていたり、「必要・ェあります」となっていたり、そもそも「残念ながら、あなたのアカウント Аmazon を更新できませんでした」と文章自体も変。アドレスは、確かに「〜@amazon.co.jp」なのだが、ログインのリンク先は、https://www.amazon.co.jp/〜ではなく、全然違うURLなので、フィッシングメール決定。こんな低レベルなメールなんか、無視無視。

 こういう詐欺をする連中というのは、バカで無能でクレージーで、しかもオタンコナスのチンチクリンで、いい点が何ひとつとしてない糞レベルで、生きる価値もなければ、何かの権利を主張する資格すらもなく、人間としてのポテンシャルでいえば、マイナス1那由他(=10の60乗を示す単位)くらいの異次元の有害ゴミ野郎で、真っ先に新型コロナに感染してあの世にとっとと行って欲しい候補ナンバーワンのひとりであること間違いなし。
 そんなレベルなので、前世は、きっと犬のウンコだったはずだ。もとは犬のウンコのくせにいっぱしの人間のフリをしてメールなんか送ってくるな!! しっしっ、オレ様に近づいてくるんじゃねぇよ。



2020年5月29日(金)
特別定額給付金キターッ!! 
  広島市で給付金のネット申請開始となった13日に即手続き。行政サイトによると、25日から順次振り込まれるとのことだったが、今日銀行に行って記帳してみると、ちゃんと振り込まれていた。しかも振り込みがあったのは、先週の金曜日22日。
 マイナンバーカードは、昨年申請して、すでに作ってあったので、その点はよかったのだが、マイナポータルを見て、カードリーダーが必要ということを知り、一瞬唖然。でも考えてみれば以前買って持っていることに気づく。しばらく使っていなかったので完全に忘れていた。ただその機種は、今回の申請で使うためには、ふたつのプログラムをダウンロードする必要があるらしい。あーめんどくせぇな。
 でも結局、それでカードリーダーでマイナンバーカードの認証がすんで無事手続きができた。申請開始から数時間後だったので、振り込みは遅い方ではないだろうとは思ったが、意外と迅速だった。財源が国債でも、どうせ、いずれ国民が負担することになるわけで、単純に喜んでいいのかどうかという疑問は残るが、率直にいって、これはありがたいというしかない。

 ついでにいうと、政府の決めたことすべてに文句を付けないと気が済まない野党やマスコミによる「マイナンバーカードネガティプキャンペーン」にまだ踊らされているみなさんは、今回の件を機に、それに疑問を持った方がいいと思うね。

 さらにいえば安倍政権批判にご熱心なみなさんは、「アベが決めた給付金なんか受け取れるか!」といって、ぜひ拒否してほしい。それくらいの気骨があるのであれば、「実に素晴らしい。あなたこそホンモノ中のホンモノです!」と、今ならもれなくボクちんが絶賛して差しあげます(笑)。


2020年5月20日(水)
外務省
 昨日は、公証人役場と法務局をハシゴして、帰宅後には外務省に電話をする。1ヶ月前には想像もしていなかった場所へアクセスや電話をすることになろうとは、人生はわからんもんだな。

 外務省に電話って何のためかだって? そりゃ、先日、某国大使就任の要請を受けたもんで、茂木くんに「ボクちんは、そんなめんどうな役回りはゴメンです」と丁重にお断りするために決まってるじゃん(笑)。

 本当はアポスティーユ申請に関して、1点確認する必要があったためだが、あっさりOKといわれて安心する。えっ!? アポステーユって何かだって。まあ、アポストロフィーエスの親戚みたいなものだと思ってもらえれば、たぶん大体合っているよ(笑)。



2020年5月6日(水)
アマビエ
 新型コロナウイルスの感染拡大により、アマビエのイラストをSNSに投稿することが流行っているらしい。厚生労働省の公式ツイッターでもアマビエのGIF画像がアップされ、「そんな暇があるのなら、ほかにすることいくらでもあるだろ」と批判集中だったらしいが、その正否はともかく、アマビエはもはや厚生労働省のお墨付きまで得ているというわけだ。

 アマビエとは、江戸時代後期の弘化3年(1846)に肥後国(熊本県)の海に現れ、疫病の流行を予言し、その姿を描いた絵を見るだけで疫病除けになると人々に伝えたとされる妖怪(正確には「幻獣」)である。

 それにしても妖怪の中でも超マイナーな部類に入るアマビエが、新型コロナウィルスCOVID-19の世界的流行によって、174年もの時を経て、現代のネット世界に蘇ることになろうとは、いくら予言が得意のアマビエでも予想外だったに違いない。

 しかし、ついでに書いておくと、近年、江戸時代の文献研究が進むにつれて、わかってきたことがあるという。実は江戸時代には、豊凶や疫病についての予言をする妖怪(予言獣)は、アマビコ(阿磨比古・天日子)と呼ばれたことの方が多く、アマビエの呼称を確認できる資料は一枚の瓦版しかないという。そのため、アマビエはアマビコの誤記との説もあるらしい(出典『日本の幻獣図譜』 湯本豪一・著/東京美術2018)。

 裏付け資料が多いアマビコではなく、そんな少々疑問符が付くアマビエの方が取り上げられて流行ってしまうのもやっぱり、どこか不正確なネットの世界らしいといえそうだ。



2020年4月23日(木)
市中感染率
 慶応大学病院のサイトには、「4月13日から4月19日の期間に行われた術前および入院前PCR検査において、新型コロナウイルス感染症以外の治療を目的とした無症状の患者さんのうち5.97%の陽性者(4人/67人中)が確認されました」とあり、都内の市中感染状況もこれに近い可能性がある。現在、都内の感染者数を人口比で計算すると、0.02%だが、もしそれが6%ということになると、実際の感染者は300倍もいることになる。

 同様に広島県の感染者数を人口比で計算すると0.005%だが、推定の市中感染率は1.5%になり、広島市では0.0055%に対して1.65%ということになる。つまり、スーパーに買い物に行ったとき、もし仮に店内に100人くらい客がいれば、都内ではそのうち6人、広島市内でも2人弱の感染者がいる可能性があることになる。

 各市町村人口に対して、確認されている感染者数から感染率を計算し、それと都内の6%という市中感染率を比較することで、お住まいのエリアにおけるリスクを判断する上で参考になるかもしれない。ただし慶応大学病院におけるPCR検査結果は、今の段階ではあくまで参考値に過ぎない点は留意する必要がある。



2020年4月18日(土)
アクセスカウンター
 昨年6月14日付けの日記で書いた本サイトにおけるアクセスカウンター差分数値とアクセス解析によるページリクエスト数の結構な食い違いに関して、記事では、アクセスカウンターの設置タグに問題があったと推定したわけだが、どうもそういうわけでもないようだ。というのも、設置タグを修正したにも関わらず、その後も大きな違いが解消しないからである。

 例えば、昨日一日のアクセスカウンターは「317」だが、アクセス解析でページリクエスト数を見てみると「1268」。実は年間通してのページリクエスト数はここ数年、毎年30〜35万件もある。一方、昨年についていえば更新を随分サボってしまったため、見かけ上のアクセスカウンターもそれに合わせて数値が大幅に低下。一見、理に叶った結果のように見えるのだが、アクセス解析でページリクエスト数を確認すると、実は例年よりも大幅に増えて、昨年度は45万件だった。おそらく1訪問者あたりに閲覧ページ数が増えているのだろう。

 アクセスカウンターは、かなり大雑把な目安でしかないのはいうまでもなく、訪問者数でカウントしてあるサイトもあれば、トップページだけでカウントしてあるサイトもあり、あるいは同一IPアドレスではカウントしない設定もある。一方で本サイトでは、全ページのアクセス件数でカウントできるように全ページに設置タグを置いてあるため、故に「アクセスカウンター差分数値=ページリクエスト数」ということになるわけだ。つまり、サイト間でアクセスカウンター数値の比較をしても人気の度合について何かいえるわけでもないことになる。アクセスカウンターは、かなり大雑把な比較しかできないのだ。

 もしかすると設置タグによるアクセスカウンターは、特定時間内に複数アクセスが重なった場合でも1アクセスとしかカウントされない…みたいな感度に問題があるのかもしれない。そういう原因であれば、アクセス解析で見る限りの矛盾も説明できる。

 どっちにしても本サイトでは、閲覧の実態をより把握しやすいように全ページにおける正確なアクセス数を表示させたい。

 ということで、今後は時々、アクセス解析によるページリクエスト数通りになるようにアクセスカウンターに差分数値を追加していくことにした。


2020年3月18日(水)
新型コロナウィルスに関してさらに思ったこと(2)
 週刊誌やテレビなどの日本のメディアも、ようやく季節性インフルエンザウィルスの死者が、実は例年すごい数だったことにようやく気づき始めたようだが、「まさか、そんなに死んでいるとは思わなかった」とホンネでは驚いたものの、「いや〜まったく知りませんでした」とはいえないので、整合性を保つために、なんとか思いついたのがこれ。


新型コロナウィルスは、ワクチンも治療薬もないので
我々メディアは騒いでいるんです!!


 …という屁理屈。こんな屁理屈に騙されるようじゃダメですよ。確かに季節性インフルエンザウィルスにはワクチンも治療薬も存在する。検査キットも全国の医療機関の隅々にまで行き渡っている。仮に「それにより季節性インフルエンザウィルスによる死者はわずかですんでいる」という事実があるのであれば、季節性インフルエンザウィルスは騒がないが、それよりもリスクが高い新型コロナウィルスの方は騒ぐ必要がある…という理屈が成立するのだが、季節性インフルエンザウィルスはワクチンや治療薬があっても、それでも新型コロナウィルスをはるかに上回る死者が毎年出ているのだから、これを騒がないというのはどう考えても理屈が合わない。

 穿った見方をすれば、毎年例外なく流行している季節性インフルエンザウィルスまでいちいち騒いでいたら確実に経済は停滞するし、ハイリスクなのは自分たちとは関係ない高齢者ばかり。騒げば死者が減ることは理屈ではわかっていても、高齢者の命よりも経済の方が重要と、ホンネではそう思っていることの証拠といわれても仕方ない…みたいなことに、どうしてもつながってしまう話しなのだ。
 自分たちもいずれハイリスクな高齢者になって、いつの日にか、自然と立場が入れ替わることに想像力が働かないこともあるのかもしれない。しかもそれって、あっという間のことなのにね。



2020年3月9日(月)
新型コロナウィルスに関してさらに思ったこと(1)
 前東京都知事の舛添要一が、「一斉休校に特措法、首相の狙いは実効性より人気取り」と題したネット記事でこんなことを書いていた。


 政策に科学的、医学的な合理性がないこと、専門家に諮問するにしても、相反する見解を十分に聴取した上での緊張感溢れる政策決定ではなく、いわば御用学者の意見を取り入れたものにすぎないことは、厳しく批判されなければならない。
 中国における5万6000件の症例を分析したWHOの報告によれば、感染は大人から子どもへであって、子どもから感染した大人は殆どいない。また、子ども同士の感染もあまり報告されてなく、多くの患者は病院ではなく家の中で感染しているという。また、19歳以下の感染者は、全体の2.4%しかいない。




 前東京都知事とか、国際政治学者という肩書きに騙されて「なるほど。確かにそうだな」と納得するバカもいっぱいいそうだが、う〜ん。どうなんでしょうねぇ。私なんかは、読みながら疑問に感じたけどね。

 上記の理由により「一斉休校は無意味」→だから「首相の狙いは実効性より人気取り」という論法のようだが、舛添は、新型コロナウィルスが家庭に持ち込まれるルートとして、「子供が学校で感染して家庭に持ち込む」ことしか想定していない。しかし、それだけじゃないだろ。通学途中に新型コロナウィルスに感染した大人から、くしゃみ等で飛散したウィルスが子供の衣類などに付着して、感染はしないまま家庭に持ち込まれることだって十分にあるのでは? 衣類に付着したウィルスが、服の着替え時や洗濯時にまず母親に感染し、さらに同居するハイリスクの祖父母に感染する可能性はあり得ることだと思う。ウィルスが付着したり感染したりするのは、なにも学校とは限らない。休校にすることで、感染だけでなく、こういう形で家庭に持ち込まれるのを防ぐことができる。

 それにしても実にセコいことして都知事を辞めちゃった舛添が、また随分偉そうなことを書いているな。しかもズレたことを(笑)。

 私は安倍さんが一斉休校を決断した背景には、北海道知事の真似をしたというよりも台湾における新型コロナウィルス対策を参考にしたのではないかと想像している。安倍さんのすることすべてが気に入らない朝日新聞などのメディアは、「一斉休校に科学的根拠はあるのか」と徹底的に批判しているが、台湾では日本よりも早く全国一斉休校に踏み切り、新型コロナウィルスの抑え込みに今のところ成功している(台湾の感染者数は3月8日現在、わずか45人)。また感染が日本以上に拡大しているイタリアでも全国一斉休校に踏み切っている。「一斉休校は安倍政権の失政」ということにどうしてもしたい朝日新聞等のメディアは、こういう事実をおそらく記事にしないだろう。これも「報道しない自由」というわけか(笑)。

 台湾が抑え込みに成功したのは、一斉休校だけが要因ではないだろうが、安倍さんはその好結果を見て、踏み切ったのではないか。専門家の意見は聞かなかったと答弁したことも批判されているが、台湾の成功例を見れば、むしろ一斉休校をしない手はない。そもそも科学的根拠といっても、わかっていないことも多いのに科学的根拠がはっきりするのを待っていたら手遅れになる。よい先行例があれば、とりあえず同じ手を打とう…というのは間違っていないと私は思うね。

 またネットの意見を読むと、「学童保育で子供が集まれば、学校と同じになる」という意見も見られるが、そういう部分的な例外が発生するのはやむを得ないとしても、少なくとも全国の学校に子供が集まる機会を減らせば、国内の感染リスクが低下するのも間違いない。ほかにも「満員電車はいいのかよ」みたいな意見もあるが、肝心なのは「0」か「100」かじゃない。

 学校、満員電車、観光バス、コンサート会場、ライブハウス、スポーツジム、宴会…等。人が集まる、さまざまな場所ひとつひとつの感染リスクを仮に「10」として考えてみよう。上記場所の総リスクは、今のところ「70」だが、経済にあまり影響がなく、比較的対応がしやすい学校をまずは休校にするだけで、リスクを「10」減らすことができる。このすべてを「0」にするのは不可能なので、可能なものだけでもなるべく「0」にする、もしくは「0」に近づけることは、防疫という観点からも有益といえる。別に矛盾でもなんでもない。至極当たり前のことで、矛盾しているように感じるのは、そのような解釈ができない人の思考回路の問題でしかない。



2020年3月1日(日)
新型コロナウィルスと新型インフルエンザウィルスで扱いが違う理由
 前回の日記で書いた件。どうして2009年の新型インフルエンザ流行時における世論やマスコミの論調と今回はこうも違うのか、私なんかは不思議でしょうがないのだが、たぶんその理由はすごく簡単なことに起因していると思うね。

 その理由はこれだ!!

コロナウィルスはインフルエンザウィルスと違って
初めて聞く名前だから(笑)
しかも横浜のクルーズ船という劇場的話題性があったから


 2009年の時はどうして「新型インフルエンザは騒ぎすぎ」といわれたのか。それはおそらく次のようことだろうと想像する。新型インフルエンザと季節性インフルエンザの死亡者数をネット検索で比較して、アホな人々はこう思うわけだ。「あれっ!! なんだ。新型インフルエンザが騒がれているけど、死亡者数で比較すれば、季節性インフルエンザの死亡者数よりも新型インフルエンザの死亡者数の方が桁違いで少ないじゃん。季節性インフルエンザは毎年シーズン中にほとんど騒がれていないのだから、新型インフルエンザのことをここまで騒ぐ必要はない」と。

 でも正しくは季節性インフルエンザは、前回日記で書いた通り、国内で直接の死因で亡くなる人が毎年1000人、間接的な死因で亡くなる人も含めれば1万人もいるほどの、決して甘く見てはいけない感染症であって、本来は流行する度に今回の新型コロナウィルスと同じくらいに騒いでもいいくらいな話しなのだ。でも、毎年流行する感染症だから話題性に著しく乏しいし、仮にマスコミが騒いだところで、国民からは「毎年流行する季節性インフルエンザくらいのことで、またマスコミがバカみたいに騒いでいる」と思われるのがオチ。

 新型インフルエンザは、いくら「新型」が名前に付いていても、毎年流行する季節性インフルエンザと同じ「インフルエンザ」だから、親戚みたいに思えて、なんとなく安心しちゃう要素も多少はあるわけだが、新型コロナウィルスの方は初めて聞く名前で、しかも連日のマスコミ報道も加わり、特に横浜のクルーズ船を舞台にした、ウィルス禍が可視化された劇場もあったことによって、不安感が煽られ、余計に心配になるのだろう。

 特にCMで成立している民放テレビというのは、視聴者が求めるものを取り上げたいし、求めないものは取り上げたくない性質があるメディアでもある。一般の国民が不安に感じる新型コロナウィルスについては、当然、視聴者の需要に敏感に反応して取り上げる頻度も増え、それを見た人々はマスコミの取り上げ方を額面通りに受け取って「新型コロナウィルス=危険・恐ろしい・不安」と連想していくわけだが、彼らはきちんと感染者数や死亡者数などのデータを見ているわけではない。

 しかしデータを見ると、これまでの状況を見る限り新型コロナウィルスが、新型インフルエンザウィルスや季節性インフルエンザウィルスと比較して突出してリスクが高いようには今のところ見えない。とはいえ、1人でも死者が減るのであれば、騒がないよりも騒いだ方がいいんじゃないかと、私なんかは思うけどね。

 全国一律の休校措置も、政権にこれだけで「思い切った対策をした」と満足されても困るわけだが、子供の重症例は少ないといっても、子供を介して新型コロナウィルスを高齢者がいる家庭に持ち込む可能性を極力排除するという意味では、私は英断だと思う。
 いろいろ批判する人もいるが、もし全国一律の休校措置を検討はしたものの、結局見送って大流行に至った場合。あと出しジャンケンがお得意のマスコミは、「あのとき、どうして全国一律の休校措置という思い切った決断をしなかったのか」と批判されるのではないか。こういう判断は少しでも早い方がいい。最初に休校措置を決断した北海道知事も素晴らしいが、安倍さんの決断も支持したい。もしかすると日本では抑え込むのに成功するのではないかと期待させるトップの決断である。


2020年2月12日(水)
もはや世も末? 新型コロナウィルス禍!!
 このところテレビをつければ、どの番組でも話題といえば新型コロナウィルスに関するものばかり。横浜のクルーズ船はその象徴といえる。おそらく我々が知らないところで、すでに国内でもヒト−ヒト感染も起こっていると想像され、感染がさらに広がるのは間違いないだろう。

 それにしても、私が思うのは2009年の新型インフルエンザ流行時における世論やマスコミの論調と今回のそれとの違いである。あのときは、週刊誌が中心となって「新型インフルエンザは騒ぎすぎ」との論調が増え、世論もそれに大いに影響を受けた感があるが、両者を比較すれば、整合性がとれているとは思えない。

 厚生労働省は、2010年1月3日に日本における新型インフルエンザの死亡者数として203人という数字を発表している。おそらく間接的な死因も含めた超過死亡概念でいえば、少なくともその数倍はいただろう。一方、今回の新型コロナウィルスによる国内の死者は今のところゼロである(2月12日現在。14日報道の通り、その後国内初の死者が出ている)。もちろん分母(=感染者数)が桁違いに異なるので、どちらが高リスクかなんてことは軽々しくいえないわけだし、さらにいえば毎年例外なく流行している季節性インフルエンザについていえば、その国内死者数は年間約1000人(同様に超過死亡概念でいえば年間約1万人)とされる(厚生労働省の新型インフルエンザに関するQ&Aページより)。

 そして現在、アメリカでは季節性インフルエンザが猛威をふるっており、すでに死亡者数は約1万人を超えているといわれるが、この件に関する報道といえば日本では完全スルーで、話題の中心は新型コロナウィルスばかり。「これってどうよ」って私なんかは感じるのだ。

 もしかすると今回もいくつかのメディアが「騒ぎすぎ」という報道をすると、一転「なんとなくそういう気もしてきたな〜」みたいな世論が形成されていくんじゃないか。日本という国も国民もホントに情緒的で、どっちにころぶかは科学的なデータじゃなくて、マスコミの論調も含めた、その時々の雰囲気次第というわけよ(笑)。

 念のためにいっておくと、新型コロナウィルスは新型インフルエンザウィルスや季節性インフルエンザウィルスと比べて死亡者数が少ないので、「今回は騒ぎすぎ」というつもりはまったくない。新型コロナウィルスも新型インフルエンザウィルスも重篤な患者が出て、中には亡くなる人もいるわけだから、安心しすぎて、人々の感染症対策が疎かになるのも問題だと思う。
 新型インフルエンザ流行時、日本が諸外国と比べても死亡率が低かったのは、新型インフルエンザのリスクが思ったよりも低かったからではなく、日本人のある意味、ちょっと神経質な性格が、手洗いなどの対策につながったことに起因する可能性は十分にあると思うね。



2020年1月1日(水)
あけましておめでとうございます
2019年12月26日(木)
デュアルディスプレイ
 ほとんどのPCでは、簡単にデュアルディスプレイができるなんて恥ずかしながら知らなかったなぁ。専用の接続装置みたいなものが必要なのかと思っていた。最近になって、ようやくその事実に気づく。ボクちんのPC裏面には、ディスプレイを接続しているDVI端子以外に予備のDVI端子、アナログのD-sub端子はもちろん、DisplayPort端子やHDMI端子はひと通り付いている。2台目のディスプレイをいずれかの端子に接続してPCの設定を変更すればいいだけみたいだ。こんなに簡単にデュアルディスプレイにできることを、どーちて誰かもっと早く教えてくれなかったんだよ〜。

 ここ最近の作業でもディスプレイをもっと広く使えればいいのに、と何度思ったことか。で、早速、余っているディスプレイを予備のDVI端子やD-sub端子につないでみたのだが、なぜかディスプレイを認識しない。試しにノートパソコンでやってみると、すぐに認識されデュアルディスプレイにできた。ところが肝心のメインPCではうまくいかないのだ。

 う〜ん。なんでだろ。そこでHDMI端子につないでみることにしたのだが、そのケーブルがない。アマゾンか家電量販店で買おうかと思っていた矢先、たまたまダイソーで300円のHDMIケーブルが売られているのを発見。しかも長さは1.5m。当然、Made in Chinaだが、まさに飛びつくように買ってきてつないでみると、おおーっ、デュアルディスプレイになった〜!! 作業効率もかなり改善しそうだ。

 それにしても1.5mのHDMIケーブルって、アマゾンでも1000円くらいはするのに、金メッキプラグで300円なんて、ダイソー恐るべし。ちなみに同じ売り場に300円のワイヤレスマウスもあったぞ!!


2019年6月14日(金)
アクセスカウンターに30万件追加しました
 以前からずっと本サイトのアクセス解析を見ていて、特定の1ヶ月間のおけるアクセスカウンターの差分数値とアクセス解析によるページリクエスト数に結構な違いがあり、前者が後者の7割くらいな月もあれば、4割にも満たないこともあり、その原因がずっと謎だった。両者の数値はイコールになるとは限らないが、本来はほぼ同数になるのが自然だ。

 その理由が、ひょんなことから判明。数日前からアクセスカウンターが表示されなくなる事象が発生したため、プロバイダーに問い合わせたところ、すでに3年前からアクセスカウンターの設置タグの形式が変更になっているのに、私が未対応だったことが理由らしい。変更後もしばらく使えていたわけだが、今回、サーバーが変わったために非表示になってしまったようだ。

 こういう場合、いちいちページひとつひとつを開いて修正することを繰り返していたら埒があかない。どう考えてもHTLMソースで直接、置換しちゃう方が早い。実は以前にもサーバーが変更になったことで同様の事例があり、やはり問い合わせて、同じ方法で置換して修正したことがあったのだが、今回、その時に実は結構な修正モレがあったことに気がついた。

 つまり前回以前の設置タグの形式がそのまま残っているページが存在していたということは、当然ながらそのページはアクセスがあってもカウントされないわけで、これがアクセスカウンターの差分数値とアクセス解析によるページリクエスト数の大きな差を生んでいたのだろう。

 というわけで、すべて新しい設置タグの形式に修正した上で、トップページのアクセスカウンターに過去の未カウント分「292574」を追加しておいた。いきなり約30万件も増えたのは、そういう理由です。


2019年6月9日(日)
またまたご無沙汰です
 前回更新からまたしても随分、更新をサボってしまったなあ。4月に新刊が出て以来、いろいろ忙しかったもんでね。実家の諸懸案もろもろの処理とか、初めてやる手続きとかもあって、なかなかサイトの更新作業まで頭がまわらなかった。
 その間も何度か取材にもいったが、今年は例年よりも寒いせいか、開花が10日ほど遅いようで、予定が狂う狂う。まあ、早いよりかはマシなのだが、昨日も某所の花を撮影しようと先月末以来、2度目の訪問をしたのだが、さすがにそろそろ咲いているだろうと思って期待に胸を膨らませて行ってみると、まだ蕾のままだった。例年なら先月下旬には咲いているはずなのに、ひとつだけ、わずかにほころんでいる程度。といっても山野草ではなく木の花。しかも誰も注目しない、やや特殊な種類だけに開花に合わせて訪問するのは難しい。

2019年2月19日(火)
ご無沙汰です
 それにしてもサイト開設以来、これほど更新を疎かにしたことはなかったかも。昨年11月以来、今春に出る本のためにずっと集中してきたためだ。今回の企画は、今までとはちょっと違う内容で、作業量も多い。でも、その分、結構おもしろい内容になったと思う。昨日、その再校を戻して、ようやくひと息。完全に手が離れるのは、もう少し先だが、とりあえず日記を更新しておくことにした。

2019年1月6日(日)
部分日食

2019.01.06 10h21m20s。SIGMA APO50-500mmf4.5-6.3 DG OS HSM + 2×teleconverter+NikonD800


 広島は、ちょっと雲が多かったが、なんとか雲の隙間を突いて撮影できた。今日、部分日食があることはまったく認識していなかったので、金環食の時に買ったND100000フィルターは持ち帰っていなかった。そこでND8+ND32フィルターを2枚重ねにして望遠レンズ前にテープで貼り付けて、2倍テレコンバーターで1000mmにして撮影。まあ、薄雲がかかっていたので、それくらいでもなんとかなった。今日は曇りで見れないと思っていたので、日食の途中で太陽が顔を出したのに気づいて、慌ててカメラをセッティングした次第。食の最大となる時間を若干過ぎているが、とりあえず1点アップしとくよ。

2019年1月2日(水)
あけましておめでとうございます

アケオメ
コトヨロ














2018年11月5日(月)
10月9日付本項記事は正しいか
 勝手な推測だが、10月9日付の本項記事「虹を出現させたのは神様なのか」で、私が「○○教信者の平均年齢(※)とか、高リスクの病気罹患率とか、死亡事故の遭遇率とか調べれば、本当に神様が信者を守っているかいないか、身も蓋もないが一発でわかると思うんだよね」と書いたのを読んだ人のうち、おそらくほとんどの人が、「なるほどそうだな」と同意して下さったのではないか。「必ずしもそうともいえないんじゃないか」と冷静に考えられた人って、どれほどいただろうか。(※部分は「平均寿命」とすべきでした)
 こんなことを書くと、「私自身、あとで何かに気づいた」とか、「誰かに指摘されて気づいた」と思われそうだが、そういう事実はなく、実は最初からそのこともわかった上で、「どうせ個人サイトの日記。その程度の論理でも、なんとなく正しく聞こえて、それなりの記事になりゃ、それでいいか」と思ったに過ぎない。

 あの記事を読んで「なるほどそうだな」と思ったみなさん。書いた本人がいうのもなんだが、心にストンと落ちるようなことをいわれて、即それを「喝破」みたいな言葉で受け入れるようじゃダメですね。一見、鋭い指摘と思っても、念のために「本当にそうだろうか」と疑ってみましたか? あの程度の論理に騙されるようじゃ、完全に落第です。もし、私が悪徳業者であれば、完全にあなたを騙すことが可能です(笑)。

 どういうことか説明しよう。神様が信者を守っているかどうか、とりあえず○○教信者が特定の病気にどの程度の割合で罹患しているか、罹患率を調べてみたとする。もし全国平均と同じか、もしくは少し高かった場合は、一見、神様が信者を守っていないように見えるし、逆に全国平均よりも低ければ、一見、神様が信者を守っているように見える。

 しかし、病気罹患率は、例えば都道府県単位で集計しても、ある程度のバラツキが生じるものだ。もしA県ではそれが10%、B県では7%、全国平均は8.5%だった場合。仮に○○教信者の罹患率が8.5%だったとしても、A県に居住する信者が大半であれば、「神様は信者を少しは守っているかもしれない」ことになり、それがB県だと「神様は信者をまったく守っていないかもしれない」ことにもなる。

 もちろん罹患率に差が生まれたのは、そもそも神様云々ではなくて、前者の場合、例えば、○○教が推奨する食事が医学的・栄養学的に理想に近いとか、修行で身体を動かすことが健康につながっているとかの可能性もあるし、後者の場合も逆に何らかの特有の事情がリスクにつながっている可能性もあり得る。
 たとえ全国規模の宗教団体であっても、信者が居住する都道府県の割合に偏りがあれば、正確な判断は難しくなる。また信者に子供が少なくて、高齢者が多ければ、当然、罹患率も全国平均よりも高くなるだろうことも想像される。そもそも全国データには赤ん坊や幼児も含まれるが、○○教の信者となると、未成年も少しはいるとしても、どちらかというと大人の年齢層に偏りがちで、赤ん坊や幼児はまったく含まれない、もしくはほとんど含まれないとも推察される。つまり、それぞれの母集団の年齢層に偏りがあるため、対比してもあまり意味がないともいえる。

 もしかすると神様は、信者の運命をちょこちょこいじくって、微妙に修正することもあることはあるが、あまり顕著なことをするのも神様の世界では禁じられていて、運命をいじるにしてもちょっとだけ…という可能性もないとはいえない。その場合、信者を守った結果が、都道府県単位等で調べたときのバラツキ範囲内で収まる可能性もあり得る。従って統計的なデータをいくら解析しても、少なくとも「神様が信者を顕著過ぎるほどに守っているかどうか」については答えが出せるが、「神様は信者を少しは守っている」または「神様は信者をまったく守っていない」について、どちらも断言するのは論理的に不可能ということになる。ご理解頂けましたかな? だから宗教は、安泰なんですね(笑)。


2018年10月27日(土)
予感
 この1週間も主に長野県内を巡って来たが、最終日に長野と群馬の県境にある峠に行くと、紅葉は完全に終っていてゴーゴーと風が吹き荒れ、まるで真冬のように寒かった。往復1時間半くらいのコースを歩いたのだが、薄手ではあるもののダウンジャケットを着てちょうどいいくらいの気温だった。

 今回は、図書館での資料探索も目的のひとつ。火曜日も長野市内にある県立長野図書館に3時間も入り浸り、最終日も先述の取材のあとに群馬県中之条町のツインプラザ図書館に立ち寄ったのだが、どちらの図書館もさすがに地元だけのことはある。いろいろ思わぬ資料を見つけることができた。中には、「あっ!! ○○のことが載っている!!」と目を丸くしたほどの大発見もあった。

 しかも今回は、訪問する前からある予感があった。図書館で資料を探していると、見知らぬ人から「○○のことをお探しですか?」と声を掛けられる…という予感である。そんな気がずっとしていたが、県立長野図書館ではそういうことはなかった。ところが中之条町のツインプラザ図書館でその予感が見事に的中した。

 司書の方に「○○に関する資料は、あの棚以外にありますか?」と聞いたのだが、「○○の資料は、あの棚だけですね」とのこと。さらに探索しようと棚に戻ったところ、私と司書のやり取りが耳に入ったらしい男性からまさに予感通りに声を掛けられた。私が「特に○○のことを調べている」というと、「それなら詳しい人を知っている」といわれ、館外に出て直接電話して替わって下さった。詳しい人とお話ができて、疑問点がひとつ解決。そのあとも地元でも知られていない貴重な情報をいろいろ教えてもらって、大変有益な時間となった。

 それにしても予感が的中したことは、どう捉えればいいのだろう。どうも最近、こういう予感通りになることが多くて、ちょっと怖いほどなのだが、これが何を意味するのか、まったくわからない。実は、本項9月9日付日記「貴重な情報」で書いたことと同じ件なのだが、そこでも書いたようにあまりに偶然すぎて、何かの意志が働いているとしか思えないことが続いている。まあ、何にしろ、悪い予感が的中しているわけではないのでよしとしよう。

 今年もあちこち取材したが、今回の取材をもって、ようやくひと通り終了。これからデスクワークが春まで続きそうだ。
  


2018年10月15日(月)
アッシュの社会実験
 数日前の朝日新聞科学欄。「ユリイカ!」(ギリシャ語で「見つけた!」みたいな時に使う感嘆詞)というコラムに「アッシュの社会実験」を応用して子供がロボットの同調圧力にどう影響されるか調べた結果が載っていた。子供に被験者になってもらい、3体のロボットを側に置いて質問にそれぞれ解答させたところ、子供一人で答えたときは正解率8割を越えていたのに、ロボット3体が故意に不正解を答える状況下に置くと子供の正解率は7割に下がったという。

 かねてより私は、世論というのも割といい加減で、マスコミの論調等に自分でも意識しないうちに影響されてしまうようなところが人々に普通にあると感じていた。それについて本サイトでも書いたことがあるが、想像していた通り、それを実験で確かめられていることがわかって「やはりそうか」と思った次第だ。

 もちろん、いろいろな意見に触れて自分の意見を軌道修正するようなことはあっていいと思うが、バイアスがかかった大多数の意見であっても、そのバイアスに気づかないまま、知らず知らずのうちに影響されてしまうのは、やはり問題だろう。

 「アッシュの社会実験」は、ポーランド出身でのちにアメリカに亡命した心理学者ソロモン・アッシュが行った実験で、自分だけで考えるときは正確な判断ができても、集団の中では、その大多数意見につられて誤判断をしてしまう人間の傾向を明らかにした実験として心理学では有名らしい。歴史を振り返っても(例えば、ドイツにおけるナチス党支持拡大とかね)、これは容易に納得できる話しであり、本サイトでも繰り返し「大多数の意見が正しいとは限らない」ことを指摘しているが、「アッシュの社会実験」もその根拠のひとつになりそうである。

 テレビ番組で、例えば政治家の失言を取り上げ、それに対してどう思ったか、と司会者が数名のコメンテーター一人一人に意見を聞くような場面って、よくある。そもそも番組の雰囲気として、最初からその政治家批判一色になっているような場合。コメンテーター全員が、その政治家批判を繰り広げたあとに、最後に意見を聞かれたコメンテーターが自分のホンネに忠実に従って「いや。私は特に問題があるとは思いません」とは極めていいにくいはずだ。あまりに番組の雰囲気とズレたことをいうと、次回からコメンテーターとして呼ばれなくなるかもしれない(=収入が減る)…とか、いろいろな不都合も頭に浮かんでくるに違いない。なので自分のホンネとは違うことをいわざるを得ないこともあるのではないか。
 こういう「あまり好ましくない忖度」って、世の中にはいっぱいある…と私は密かに想像している。近頃も官僚の忖度が批判されたが、程度の違いはあるにせよ、誰にでも「忖度」はあって、それがさらなるバイアスにつながるだろうことも容易に想像できる。

 心理学が解明していることを知れば知るほど、人間がいかに、いい加減な存在かよくわかる。みんな自分だけは正しい判断を下していると思い込んでいるし、それは時に病的なレベルだったりするわけだが、どんなエリートだろうと、どんな社会的地位がある人だろうと、個人差はもちろんあるにせよ、その実態は、ほぼ例外なく全員が予想以上にバイアスだらけなのも間違いないだろう。ほとんどのバイアスは気づかれないまま、もしくは気づいてもスルーして終わっていると思うね。

 実はロクな根拠がないにも関わらず、いかにもそれっぽい答えがきっと正しいと思い込んでいる人って結構、普通にいる。肝心なのは、まずはそのバイアスまみれの事実を真正面から受け入れ、「では、どうすればバイアスを減らせるか」をきちんと考えられるかどうかだ。それを考えられるようになるだけでも、確実にバイアスを減らすことができると思う。まあ、私も偉そうなことはいえませんけどね(笑)。



2018年10月9日(火)
虹を出現させたのは神様なのか?
 以前の話だが、書こうと思って忘れていた。今日はその話を。
 ある年の夏。某県の滝に行くと年配の女性から声をかけられて、少し話しをしたことがある。

 この滝は、神道系宗教団体がよく滝行に使っており、白装束の信者の姿を見かけることも多い。その女性も、たった今、滝行を終えたばかりだという。この日は、真夏の快晴日。私の訪問時も滝全体に太陽光線がたっぷり降り注ぎ、崖上から落ちてくるレースのカーテンのような水流もキラキラと光っていた。その女性は、今しがたの滝行の最中に経験したことを話し始めた。滝行をしていると、自分のまわりに小さな虹が出て、「あー、自分は守られているんだなぁと思った」と仰る。おそらく、ご自身が崇拝されている神様が、自分を守っている証として虹を出現させたという意味なのだろう。

 もちろん反論みたいな無神経なことはせずに「ほぅ、そうですか」といって聞き流したのだが、正直ちょっとビックリした。う〜〜〜〜〜ん。いや、その神様の存在を否定する気はないが、快晴で滝に太陽光線が降り注いでいるという条件下であれば、むしろ虹ができない方がおかしい。滝飛沫の微細な水滴ひとつひとつがプリズムの役目を果たして太陽光線を分解して七色の光となるのは当たり前の話しだ。その条件下で滝の中に入れば、必然的に周囲のどこかに虹が現れて、誰しも虹を目にすることになる。

 もし雨天や曇天であるにも関わらず虹が出現した…というのなら、「それはきっと神様のなせる技」といってあげるところだが、快晴日であれば、残念ながら神様が関わられている証拠とはいえないと思うんだよね。たとえ同条件下で無神論者100人が滝に入ったとしても、やっぱり全員が同じように虹を目にするだろう。

 なるほど〜。こういう宗教を信じる人って、こういう感じでバイアスがかかるのかと、納得した。

 ついでにいうと、この手の「○○教を信仰すれば、神様が守ってくれる」というのは宗教では、よくありがちな話しではあるが、○○教信者の平均年齢とか、高リスクの病気罹患率とか、死亡事故の遭遇率とか調べれば、本当に神様が信者を守っているかいないか、身も蓋もないが「一発でわかる」と思うんだよね(笑)。母数が少なければ信頼性は低くなるが、千や万の単位であれば、統計学的な有意差の有無を判断できる。

 もしこうした客観的なデータ上で検証して有意差があるのであれば、それは○○教が崇拝する神様が存在する可能性があるといえるかもしれないが、おそらく勝手な想像だが、日本人の平均データと大差ないと思うよ。それにだ。仮にその神様がたとえ存在していたとしても、「自分を信仰する信者だけ救う」と宣言する神様よりも、「人類はすべて平等。たとえ信者でなくても救う」と宣言する神様の方が懐が深くて徳が高いともいえないか。前者の神様は、ある意味、自己中だろ(笑)。



2018年10月2日(火)
ノーベル医学生理学賞+科研費交付の驚くべき実態
 本庶佑・京都大高等研究院特別教授が、ノーベル医学生理学賞を受賞された。実にすばらしい。日本の科学界が、世界的にもトップクラスであることをまたも証明した。大変喜ばしい。災害や犯罪の報道には気が滅入るばかりだが、これには未来への希望を感じる。

 さて、この明るいニュースのついでに書いておきたいことがある。先日、本サイト「最近思うこと」に書いた杉田水脈議員だが、LGBTに関してはとりあえず横に置いておくことにして、杉田議員の主張には私も同調したいことがある。

 それは、おそらく本庶先生もその研究において援助を受けておられるであろう科研費に関することだ。安倍首相を批判して「お前は人間じゃない。叩き切ってやる」と実に品のない演説をしたことでも有名な山口二郎・法政大学教授(ついでにいうと品のなさはお顔にも表れている)に巨額の科研費が交付されていることを杉田議員は問題視して批判されているのだが、以下サイトを読めば、その驚きの実態が垣間見えてくる。

http://www.sankei.com/politics/news/180503/plt1805030015-n1.html


 「グローバリゼーション時代におけるガバナンスの変容に関する比較研究」に対し科研費4億4577万円!? なんじゃそりゃ〜!! 私はこの分野の専門家ではないわけだから、あくまで素人。でも、その素人から見ても「グローバリゼーション時代におけるガバナンスの変容」を調べるのにこれほどの費用がかかるとはどうしても思えない。こんなクソ下らないテーマよりも、本庶先生のような人の命を救う研究こそ優遇すべきでは?

 先にリンクした記事内容を読むと、山口二郎・法政大学教授の反論の方が明らかに弱い。自分の研究にこれほどの金がどうしてかかるか、またこれほどの金をかけてでも研究する価値があるか、の説明が一切ない。記者が拾わなかったのかもしれないが、これに説得力がある説明をするのはかなり難しいのではないか。別のネット記事で中沢けい・法政大学教授が、「科研費申請の仕組みをまったく理解していない誹謗中傷の攻撃であった」と杉田議員を批判しているのだが、なんつーたって同じ大学の同僚だし、自分も同じ蜜を吸い続けたいので、そりゃ擁護するわな。申請のしくみ云々ではない。研究の内容に対して交付の金額が妥当かどうかという話しだ。

 ただでさえ理系の研究環境は厳しく、将来の日本人ノーベル賞受賞が危ぶまれているというのに、こういう大して意味がない研究しかしていない文系研究者が予算を横取りしている実態には憤慨以外の何物でもない。やはり文部科学省には文系学部の縮小を進めて頂きたい。かつてこれに対して批判が上がったが、別にゼロにしろとは誰も言っていない。要は現状の理系・文系のバランスが本当にベストなのかということだ。山口二郎・法政大学教授に巨額の科研費が交付された事実だけ見ても、これに大いに疑問符が付くのは間違いない。

 杉田議員は、自民党ということももちろんあるだろうが、理系出身なので、こういうことが余計に許せないのではないか。それは、同じ農学系出身の私も同じ思いだ。


2018年9月30日(日)
写真の位置情報削除
 私が普段愛用しているニコンD800とD700には、それぞれGPSユニットが付けっぱなしで、GPS電波さえ拾える場所であれば撮影ポイントの位置情報が常に記録されるようにしている。地図上における撮影ポイントの位置がわかると何かと好都合。森や谷の中では、電波を拾えないこともあるし、たとえ拾えてもズレることも多いが、そうでなければ非常に便利である。ただ、こうした写真をストックフォトエージェンシーに預ける際は注意が必要。自宅や実家の位置情報はまだしも、希少植物の自生地位置情報を表に出してしまうことになるからだ。といってもストックフォトエージェンシーのサイトを閲覧しても位置情報まではわからないが、いざ使用する際に原板をダウンロードすると、容易に位置情報を把握することが可能になってしまう。

 まあ、ストックフォトエージェンシーの写真を使用するのは、基本的に出版社等のマスメディア関係者なので、位置情報が悪用される可能性はかなり低いのも間違いないが、私の場合は基本的に写真の内容により、あまり好ましくない場合は削除してから預けるようにしてきた。一昨年までは、グーグルのPicasaを用いて削除してきたが、その後、Picasaは提供が終了し、地図も表示されなくなって、位置情報を削除できなくなった。

 そこで代わりにニコンのViewNXiで位置情報を削除する方法に変えたのだが、このソフトは、ユーザビリテイという観点から見るとソフト設計上に少々問題がある。まだ気づいておられない方もいるかもしれないので、注意を促しておきたい。

 ViewNXiで位置情報を削除する場合、該当写真にカーソルを合わせて「右クリック→位置情報の削除」であっさり削除できることはできるのだが、実はそれは表向きだけの話し。位置情報の削除と同時に「NKSC_PARAM」という名のフォルダが自動作成され、これは編集情報フォルダなのだが、写真をストックフォトエージェンシーに送る際に、このフォルダが邪魔だと削除すると、削除したはずの全位置情報が元に戻ってしまうのだ。

 ニコンに聞くと、「NKSC_PARAM」フォルダは、要はうっかり削除してしまった場合でも元に戻せるのが意図のようだが、このことを理解していないと、前述したような表に出してはいけない位置情報が含まれた写真をうっかり出してしまうことにつながりかねない。

 ひとつのフォルダ内にある全写真の位置情報を丸ごと削除した場合、「NKSC_PARAM」フォルダを削除したら、位置情報が復活していることに気づけると思うが、部分的だと気づけない可能性がある。というか、私の場合、まさにそれだった。右クリック「位置情報の削除」により、表向きは位置情報が消えるので、写真データ上も消えたものと思い込んでいた。ところがそうじゃなかったということだ。

 ViewNXiの使用説明書PDFの「位置情報を削除する」の欄にも今日現在の最新版を見る限り、この事実についてまったく説明がなく実に不親切。おそらくこれに気づいていないユーザーが、位置情報を削除して安心して表に出したところ、実は削除されずに残ったままってことはあり得る。ちなみにブログやホームページに位置情報付きの写真をアップしても、自動的に位置情報を含むメタデータは削除されるので心配は不要。問題は私のように原板そのものを表に出す場合だ。

 ニコンに完全に位置情報を削除する方法を聞くと、ViewNXi上で上記の方法で表向きの位置情報を削除したあと、「ファイル」→「ファイル変換」でファイルを変換すれば、位置情報を完全削除した写真ファイルを別途、作成できるという。つまりニコンとしては、原板のメタデータは常に保護するようにしておいて、うっかり原板の位置情報を削除してしまっても元に戻せるようにしているということであり、それはそれでいいのだが、「位置情報の削除」をクリックしたあとに、この点について注意を促すとか、「完全に削除したい場合は、こちら」みたいに「ファイル変換」リンクを貼っておくとかしろよ…とニコンにクレームしておいた。

 先日、ストックフォトエージェンシーに写真を送る間際にその事実に気づき、慌てて対応したために希少植物の位置情報をうっかり表に出してしまうことは避けられたが、昨年送った写真は、ViewNXiで削除したはずなのに実は削除されていなかったことが今回判明。仕方なく各ストックフォトエージェンシーに事情を説明して、位置情報の削除をお願いしたり、すでに先方の整理番号が振られている該当写真ファイルを送り返してもらい、こちらで削除する…ということをしなければななくなった。

 ちなみにViewNXiを用いなくても、位置情報の削除は可能だ。Macでは、できないようだし、ウィンドウズでも作業効率は、あまりよくないが、フォルダ上で該当写真のjpegファイルを右クリックして一番下のプロパティを選択→「詳細」を選択→一番下の「プロパティや個人情報を削除」を選択→「プロパティの削除」のラジオボタンで2段目の「このファイルから次のプロパティを削除」を選択→「説明」欄や「元の場所」欄などのプロパティ情報の下の方に「GPS」欄があり、ここの緯度、経度、高度にチェックボタンを入れてOKをクリックすれば削除できる。ただし、この方法は完全削除であり、ViewNXiのように元には戻せないので要注意である。


2018年9月29日(土)
ソープネット
 もう随分前のことだが、実家近所のスーパー内にある独立系の100均で、たまたま見かけて買ったソープネット(3袋入りで1セット)。つまり石けんを入れるネット状の袋(紐で口を縛れる)なのだが、これがまた随分便利なのだ。石けんは、使い続けて小さくなると泡立ちにくいし、薄くなって二つに割れたり、そんな状態の石けんを新しい石けんにくっつけようとしても、なかなかくっつかないし、くっついてもすぐに外れてしまう。つまり、小さくなった石けんの扱いって、意外と困っておられる方って多いのではないだろうか。

 ところがソープネットがあれば、小さくなった石けんと新しい石けんをまとめて入れておけるので、無理なく石けんを完全に使い切れる。昔、ミカンを5個くらいまとめて売られていたネット袋に石けんを入れて水道栓に結びつけることがよくされていたが、これだといかにもミカン袋の再利用感モロ出しだが、専用のソープネットなら見た目もきれい。しかも商品にもよるかもしれないが、比較的保水力があるネットを使ったものだと、前回使用時の水で石けんの表面が適度に濡れた状態が続いて軟らかくなり、次に使うときに非常に泡立ちしやすいメリットもある。

 ちなみにダイソーにあるかどうかは不明だが、少なくとも私は店舗で見たことはない。ただ、アマゾンで検索すると、いくつも出品されている。おそらく、100%チャイナ製だろう。最初のアイデアが日本の企業か、中国の企業かは知らないが、なかなかいいところに目を付けておられますな。


2018年9月22日(土)
強酸性
 今週も3日間ほど、群馬→長野→山梨をハシゴしてきた。1日目は、谷を遡行して前回の日記に書いた買ったばかりのデジタルph計と以前から持っていた赤外線放射デジタル温度計(非接触型だが、付属の計測端末で直でも測れる)で、途中の数カ所で両者の数値を計測してきた。
 谷を遡行してphと温度を測るって何を? とかいっているそこのチミ。バーカ。アホ。このオタンコナス。おまえのかぁちゃん、出べそ〜!! そんなもん言わずもがなだろ。
 
 この谷の概略は昔から知ってはいたが、実際に現場に行って計測してみると、最もスゴイ数値が出たポイントでph1.09、温度57.1℃を記録した。ph1.09ということは、つまり強酸性というわけだね。秋田の玉川温泉は、ph1.05で酸性度では日本一だが、それにほぼ匹敵するということだよ。いや、これって結構スゴイことだ。しかも周囲には奇観が形成され、狭いニッポンとはいえ、まだまだ知らない場所、行ってみてビックリする場所は意外とあるもんだな…とつくづく思った次第だ。

 それにしても渓流靴じゃなくて登山靴を選択してしまったのは大失敗だった。最初は渓流靴も持参して、入渓の際に履き替えようと思っていた。しかし私の場合、撮影機材が嵩をとるので渓流靴も持参すれば余計に荷物が増える。なので登山靴だけにしたのだが、ソールのグリップがあまり効かなくて何度も滑ってころぶし、沢の中を進めば早いのに沢を巻かなければならなかったりして、ホントに後悔した。意外にも沢がナメる岩盤は、酸のためにぬめりが生じないため、登山靴でも滑らないが、乾いた岩盤はツルッと滑る。渓流靴ならフェルト底なので滑らないからね。仕舞いには、少々の徒渉では、濡れるの承知でバシャバシャ沢に入ったが、取材先では濡れた登山靴を乾かすことはできず、しかも最終日の午後以降、取材から帰ったあとも小雨続きで、登山靴はまだ濡れたままなんだな。


2018年9月13日(木)
デジタルph計
 近々、取材先でphを計りたい事情があって、アマゾンでチャイナ製のデジタルph計を購入。なんとたったの1300円。それにしてもアマゾンは、こうした格安チャイナ製品を多数取り扱っていて、これまでも国産メーカー品は高くて購入を控えてきたネットワークカメラのほか、デジタルキッチンスケールやレーザー距離計、非接触型赤外線放射温度計…等、これ幸いと買っているが、意外にも今のところハズレはひとつもない。
 まあ、今回のph計もいつまで壊れずに使えるかはわからないが、とりあえずコップに石けん水を入れて試験的に計ってみたらアルカリの数値を示し、水で薄めると徐々に数値が下がったので、とりあえずは使えそうだ(実に大雑把な検証・笑)。

 ところでボクちんは、大学時代、研究室の高価なph計のガラス製電極をうっかり割って壊したことが二度もあることが常々自慢のひとつなのだが(笑)、そんなこともあってph計の取り扱いにはまるっきり自信がない。しかし購入した製品は、あくまで携帯用なので筐体スリット部分に隠れ気味に電極が配置されている設計なので、これなら大丈夫そうだ。

 研究室に置かれているような高精度ph計のガラス製電極は、棒状のガラス電極が剥き出しなので、ph測定中にうっかりビーカーの底へ軽く落としただけでパリンとあっけなく割れてしまう。そんな脆いものなのに当時、電極1本数万円もした。もちろん学生であるボクちんが弁済したわけではなくて研究室の予算から充てられて終わったけどね。ちなみにほかにも割った学生は何人もいるので、ボクちんだけではないけどね。

 「だったらプラスチックのプロテクターでも付ければいいのに」とか思っているそこのチミ。バーカ。アホ。このオタンコナス。おまえのかぁちゃん、出べそ〜!!

 もし複雑な形状をしたプロテクターを付ければ、計るたびにプロテクターを外して、丁寧に洗わない限り、前に測定した溶液の成分が残留していて、次回測定の溶液に混じっちゃうのも大問題だろ。いちいちプロテクターだけ外して洗っていると、その作業中に電極が割れるリスクもある。いくら脆くてもガラス電極を剥き出しにしておいて、測定前にそこだけ蒸留水で洗い流す方が安全だし簡単というわけよ。わかったか! このチンチクリン!!

 それにしても取材先でphを計るって何を? って、それは明かせない。絶対に極秘なのだっ。いくら根掘り葉掘り聞いても無駄です。ボクちんの口を割らせるのは、かのKGBでも不可能と昔からいわれております!! なので、たとえ金を積まれても話せません!! ただし金額によっては、喜んで前向きに検討させて頂きま〜す(笑)。 


2018年9月9日(日)
貴重な情報
 先月末から5日まで8日間の取材。先月13日の日記で「近々、すぐ下流側の某所へ取材で行く予定もある」と書いた某所にも行ってきた。その某所は、実はちょっといわく付きの場所で、その「いわく」に関して私の知らない情報をもっと入手したいと思っていた。そのハードルは結構高いかも…とも想像していたのだが、あっさり解決した。というのもたまたま詳しい人と話ができて、貴重な情報を得られたからだ。

 その某所へ行く前日。天気がすぐれず、本来、取材したかった候補地を諦めて、別の優先度が高くない候補地を仕方なく取材したのだが、その取材を終えて車に戻ったところ、駐車スペースに一台の車が入って来た。降りてきた年配の男性と少し立ち話。「地元の山のことに詳しいですか?」「いや。あまり知らない。私よりもあの人が詳しいよ」といわれた方を見ると、ちょうど2人連れの男性がこちらに向かって歩いて来られるところだった。その一方の方が詳しいらしい。その絶妙過ぎるタイミングも、あとでよくよく考えれば、ちょっと怖いほどである。

 「○○谷のことでお聞きしたいのですが。戦前にあった○○事件って、ご存じですよね? その詳しい資料を探しているのですが、その事件に触れた本とか知りませんか?」と実はあまり期待もせずに聞いてみたのだが、「それなら『○○』という本に載っていると思う」と即答。しかも私も昔読んだことがある某山岳小説のタイトルを出して、「あの小説はその事件をモチーフに書かれたものだ」という私がまったく知らない情報まで教えてもらった。さすがに山に詳しい人だけはある。すごい情報が次々に出てくる。

 すぐその足で地元の図書館に行き、探してもらうとあっさりその本も見つかり、中には教えてもらった通り、貴重な情報が触れてあった。やった〜!! こういう情報がほしかったんだ!! と一人大喜び。

 これは幸先がいい。この流れで現地にも早速行こうと、翌日取材を決行。なにより谷に出るまでが、これまたなかなかの難路だったが、谷自体の遡行は思ったほどではなく、渓流靴に履き替えて意外とあっさり目的地に着いた。取材対象物は、登山地図によっては表記されているが、ネットで検索しても画像がヒットしない。そのためどんなものかわからず、現地で見つけられるか少し不安だったが、これもあっさり見つかった。

 ところで○○谷を舞台とした○○事件のことを知ったのは、今から30年以上前のことだが、まさかその○○谷に来ることが自分の人生の中にあるとは想像もしていなかったので、いざ来てみると感慨深いものがある。ほとんど人が来ない場所なので、もちろん誰にも出会わず、夕方4時半、無事に車に戻った。

 それにしても前日、もし天気がよければ、確実に別の取材候補地に向かったはずなので、その方にお会いして貴重な情報を得ることはできなかっただろう。いや、直前の取材を終えて車に戻るのが5分早くても5分遅くても、やはり無理だっただろう。まるで映画の撮影のようにカチンコを鳴らして「ハイ! スタート」みたいなタイミングでお会いできたわけだ。あまりに絶妙過ぎる幸運に恵まれ、予想以上のスピードで一気に現地取材まで完了してしまって、ふと思わずにいられなかった。これって誰かの意志なのではないか。その意志が私を導いてくれたのではないか…と。

 それはともかく今回の取材では、ほかにも幸運が重なり、すごい情報を得られた。それは、ある取材対象地に向かった時のこと。実はここはすでに取材は済んでいたが、些細なあることを確認するために再訪した。帰りがけに近くで農作業している男性に声をかけて、その場所についていくつか質問させてもらったのだが、話しの流れで「山が好きで、よく山に行っている」という話題になり、さらに希少種のトガクシショウマ群生地を渓流釣りの際に偶然見つけた…というようなことまで教えてもらうとは、当初は想像もしていなかった。いや〜。なんか怖いほどである。今後の取材予定に絶対に組み込みたい、すごく有益な情報をいくつも頂いた。畑のわきの道端で登山地図を広げて、「この橋と沢の間の…」みたいな説明をしてもらい、必死でメモを取り続けた。しかも、そんな話しに2時間も付き合って頂いた上に収穫したばかりのミニトマトまで頂いて、すっかり恐縮し通しで帰途に就いたのだった。

 
2018年8月23日(木)
金農フィーバー
 秋田の県立金足農業高校が、決勝戦まで勝ち進み、日本中でフィーバーが巻き起こるのは当然だろうな。広島県代表の広陵は、春の優勝3回、春夏合わせて準優勝が7回もある野球名門校だが、今年は初戦で敗退したので、甲子園での結果を気にすることはなかったが、それでも金農の活躍は目を見張るものがあった。夏の甲子園を大いに盛り上げたのは間違いないだろう。全国の中学校から優秀な生徒を集める私立の野球名門校も多々ある中、そういうことを一切していない純粋に地元の生徒だけで勝負に臨む県立高校。しかも、もし優勝すれば初めて東北地方に優勝旗が持ち帰られることになり、フィーバーしないわけがない。

 春も優勝した野球名門校・大阪桐蔭には申し訳ないが、決勝戦では私も影ながら金農の方を応援していた。結果、大敗してしまったとはいえ、よくがんばったと思う。テレビで秋田のみなさんが「感動をありがとう」といっていたけど、その気持ちはすごくわかる。

 ただ、今日読んだ朝日新聞のネット記事には、準々決勝で金農にサヨナラ負けを喫した対戦相手の監督が、「相手を応援する球場の雰囲気にものみ込まれた」とのコメントが載っていて、記事では「甲子園の判官びいき、度が過ぎないか」とあって、確かにそれも問題だなと思った次第である。

 決勝戦以後のニュースでも優勝した大阪桐蔭よりも金農の方が扱いが大きく、今日の民放のニュースでは、帰郷した大阪桐蔭のことはひとことも触れず、金農の報告会について時間を割いて取り上げていた。まあ、金農の方が話題性があるということだろうが、大阪桐蔭も金農と同様にがんばって史上初となる「春夏連覇2度達成」という偉業を達成したというのに、この扱いの差はなんだろう? いくら各地から優秀な生徒を集めた純粋な地元の野球部ともいえない野球名門校で、昔のPLみたいな、ある意味「耳タコ」状態の大阪桐蔭とはいえ、さすがに同情してしまいそうだ。


2018年8月15日(水)
今日の一枚(15)

 立山・室堂周辺にご生息の「すっごい見る目があるライチョウさん」です。8月10日の日記を読んで、「近づいて来たのはタダの偶然だろ」と思ったら、大間違い。このライチョウさんは、遊歩道を横断する前にホントにマジでボクちんを二度三度見て確認していた!! その結果、「この人なら近づいても危害を加えられない」と思ったに違いない。
 ところでチミたちが、仮にこのライチョウさんの前に来ても、まず信用されることはないからね。そこを勘違いしたらイカンよ。ボクちんだから信用して、ものすごく近寄って来たんだからね。チミたちなら無理無理。絶対、ひと目見て「コイツは信用できない」と飛んで逃げるって(笑)。
 それにしてもこの凛々しい横顔を見よ。野生の気迫を感じるのは、ボクちんだけではないだろう。

2018年8月13日(月)
防災ヘリ墜落
 群馬県の防災ヘリが墜落した事故。あの墜落現場は、6〜8月に3度も足を運んだ場所にも近く、渋峠にも6月に行ったばかり。近々、すぐ下流側の某所へ取材で行く予定もあるなど、今年は頻繁に訪れているエリアだったこともあって余計に驚いた。
 テレビ報道で、自衛隊や消防、警察関係者が山へ入っていく映像が何度も流れたが、あそこは長野県山ノ内町側なので、一部テレビ局の「群馬県中之条町」というテロップは間違い。でも、こうしたテレビが伝える映像によって、墜落現場が横手山の東側というよりも北側寄りなのではないか、ということがわかる。横手山の東側なのであれば、通常は渋峠付近から入る方が近いはずだからだ。
 あれだけの人が現場に入れば、今はもう道になっているだろうが、 地上から救助に向かった最初の部隊はヤブコギが相当大変だったろうと思う。

 それにしても昨年、長野県の防災ヘリも墜落したばかり。近年、ヘリの墜落事故が多いような気がするが、今回は何が原因だったのだろうか。


2018年8月10日(金)
立山でまたライチョウ親子と遭遇
 先週から日曜日にかけて、また取材に行ってきた。2日は久しぶりに立山へ。先々週、乗鞍でライチョウをたっぷり撮影したばかりだが、登る前から、なぜか今回もライチョウに会えそうな予感がビリビリくる。

 室堂バスターミナルを出て、ほかの登山者のあとに続いて一ノ越に向かう途中。右手の草地から「クゥ、クゥ…」という鳴き声が聞こえてきた。これは、ライチョウに違いないと、その方向に目をやると、やっぱりいた!! 今回もヒナ数頭を引き連れたメスが草むらの中で餌を探しているではないか。

 先行する登山者たちは、その声に気づかず、あるいは気づいてもライチョウに興味がないのか、みんな素通り(ほとんど前者だろうけどね)。私が最初に気づいて望遠ズームレンズで撮影していると、それを見た後続の登山者たちも必然的にライチョウに気づいて、「お〜、ライチョウがいる!!」といってスマホで撮影し始めた。でも、若い登山者のみなさんは、夢中で撮影しても不思議じゃないのにマナーがよくて、先に撮影している私にもきちんとした配慮があって感心したぞ。

 ライチョウ親子は、そんな登山者集団に怯えるでもなく、逃げるでもなく、警戒する様子すらもなく、我々がカメラを構えている登山道を横断。その際、メスの親鳥は、何人もいる登山者の中でボクちんに最も近づいてきて、目と鼻の先にまでやってきた。とにかく手をのばせば確実に捕まえられそうな、距離にして60〜70センチくらいにまで接近してきて、結構ビックリした。チラッと見上げることはあっても、警戒する様子が微塵もない。本当に人間を恐れていない。というか、信用し切っているという感じ。つまり、過去にこのライチョウが遭遇した登山者のマナーが完璧だったという証拠かもしれないが、ここまで警戒しないことはいいことなのかどうか。
 この時、50〜500mmのズームレンズで連写していたが、あまりに距離が近いので、一時、立ち上がったほどだが、ライチョウが最接近した時の写真をあとで確認すると、焦点距離65mmで撮っていた。つまり、標準レンズクラスの画角でも画面一杯に撮れるくらいに近かったってことだ。

 まあ、確かにライチョウは人間を恐れないのは事実としても、一方で「善良な人間かどうか」を一瞬で見抜いている可能性もあるかもね。つまり野生動物はその動物的直感で「この人間は危なそう」とか「この人間は害を及ぼさない」みたいなことが、きっとわかるんだよ。ヒナを守らなくちゃいけない親鳥は、特にその直感が研ぎ澄まされていて、害がなさそうな善良な人間を本能的に選んで寄ってくるに決まってるじゃん。ボクちんを一番に選んで近づいて来たライチョウさんは、それにしてもすっごい見る目があるわ〜。さっすがに国の特別天然記念物に指定されていることだけはある(よ〜わからんが・笑)!! とにかく誰が何といおうと、ライチョウさんはエライ!! その高すぎる見識に心底ホレボレするっ!

 隣で撮影していた登山者から「これ、メスですよね」と聞かれ、「そうですよ。メスの方が見かける機会が多いので、オスならよかったんですけどね」と、うっかりライチョウの目の前でいってしまった。しまった〜!! せっかく近づいてきてくれたメスの前で、ついホンネが口に出てしまった。大変失礼しました!! 発言撤回です。オスの方がいいなんて、微塵も思っていません!! ライチョウ親子のみなさんとお会いできたことに今も感涙にむせぶ毎日です。気を悪くされたら申し訳ございません。心の底から猛省しておりますので、次回もぜひ出て来て頂けると幸甚至極でございま〜す!!



接近時の写真。このあと、さらに近づいて来た。さっと手をのばせば、確実にライチョウの首ねっこを捕まえられただろう。私の遭遇経験の中では、もっとも近い遭遇なのは間違いない。


2018年8月7日(火)
暑中お見舞い申し上げます





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