Nature
日記
 2006年8月〜2007年7月
過去の日記目次
2007年7月29日(日)
ブルーベリー
 実家の庭の一角にはブルーベリーを何本も植えてあり、今の時期は毎日のように甘酸っぱい果実を収穫している。うまい具合に野鳥たちにも気づかれず、すべて無事に収穫できていたのだが、10日ほど前についにヒヨドリに見つかってしまった。そこで、すぐに園芸用のネットで覆って防御したところ、直後にまたヒヨドリがやってきた。窓から見ているとネットの中に侵入できないので、ピーピー寂しそうに鳴いていた。残念でした! その後、代わりに菜園のトマトを何度かつつかれたが、こちらもホームセンターで鳥除けグッズを買ってきて対策したので、被害はなくなった。
 写真は昨日の朝に収穫したブルーベリー。摘み立てのブルーベリーを入れたヨーグルトが、最近の朝食。これをヒヨドリごときにやるわけにはいかないぜ。

 
2007年7月21日(土)
菜園に巨大幼虫現る!
 昨日の夕方、雨上がりの実家の菜園に行ってみると、園芸用のネットに棒状の物体が張り付いているのに気づいた。ん? なんだ。少し離れた位置から見ても妙に大きい。なんとなくいやな予感がして近づいてみると、やっぱり! それは目をそむけたくなるほどの巨大幼虫。うわ〜、なんじゃ、この大きさは。いったい、どこからいらっしゃったのか。しかも、よく見るとお尻にはトゲトゲ付きの尻尾のようなものまである。気持ち悪いことこの上ない。何の幼虫か、まだ調べていないので詳細は不明だが、これほどの大きさのイモムシ、カブトムシの幼虫を除けば私は初めて見たぞ。

 でも、そもそも幼虫ってなんで気持ち悪いのかな。カブトムシの幼虫も大きくて気持ち悪いが、あれが成虫になると気持ち悪いとは思わない。幼虫というのは昆虫の変態過程と理屈ではわかっていても、人間の根源的な心理としては得体が知れない感じがするからだろうか。おそらく「気持ち悪い」というのは、人間の自己防衛的な感情で、得たいが知れないものにはどんな危険が潜んでいるかわかないから近づきたくない心理が働く仕組みが形成されたのではないかと想像するが、どうなんだろうな。現実には正体がわかっていても、その中に危険が潜んでいることはいっぱいあるのにね。人間の自己防衛能力もまだまだか…。いや人間というひとつの生物種だけが必要以上の自己防衛能力を獲得すると生態系のバランスが崩れる(すでに崩れているけど)から、それ以上は進化せずに「ほどほど」になっているとするのは考え過ぎかなぁ。もしそうであればリスクに対して思考停止している人が、世の中にある程度の割合で存在する理由も説明がつくんだけどね(笑)。



お尻のトゲトゲ尻尾。こうしてアップにすると、まるで短足の犬の下半身のようだな。
2007年7月14日(土)
カーナビ調査
 先日、車で出かけたあと実家近くに戻ってくると、後部ガラスに「カーナビ調査中」という紙を貼った車が前を走っていた。見ると所沢ナンバー。所沢からわざわざ調査に来ているのか、それとも車の登録が所沢というだけで広島に調査拠点があるのかは不明だが。
 私が最初に付けたカーナビの情報量はイマイチだったし、たまに間違いもあったけど、最近のカーナビはかなりのレベルになっていると感じる。それは、このような地道な現地調査の上に成り立っているのだろうな。その車を見かけたのは、町の中心部ではなく、地元の人しか通らない道。こんなところまで実走調査をするのかと、ちょっと驚いた。こんな超マイナー道路まで調べていたのでは、広島市全体を調査するだけでもかなり手間がかかるのではないか。いやはや、ご苦労様というほかない。でも、それだけカーナビが普及し、きめ細かな情報への需要があるということだろう。


2007年6月25日(月)
日立ハイテクの顕微鏡がほしい
 先日、テレビ番組で電子レンジ大の箱型の顕微鏡が登場。おやっと思って見ていると試料を処理もしないで、そのまま入れている。しかもその画像はまるで電子顕微鏡のように鮮明。す、すごい!そういえば以前、電子顕微鏡も個人で購入できるくらい安くなっているという新聞記事を読んだ記憶があった。顕微鏡の分野も技術の進歩がめざましいらしい。早速ネットで検索してみると、すぐに日立ハイテクの「MiniscopeTM-1000」という製品であることが判明。電子顕微鏡では観察する試料を前もって金属蒸着などの処理をするが、この顕微鏡はその必要がないという。これはめちゃくちゃ魅力的だ。でも値段は高そうだなぁ、とさらに調べたところ、なんと定価は500万円。これじゃとても無理。手が届く範囲をはるかに超えている。

 だけど、これほど簡単に電子顕微鏡に匹敵する高解像度の画像を得られる顕微鏡が登場(発売は2年前みたい)したことは、今後大いに期待できる。もっと安くなれば、学校や個人でも購入したいと思う人はでてくるんじゃないか。さすがに500万は無理だが、もう少し性能が劣ってもいいので、せめて100万くらいにしてほしい。それなら同程度の値段の超望遠レンズを買うよりもずっと魅力的だ。日立ハイテクさん。ぜひもっと安価なタイプを出してくれ。TM-1000にはノートパソコンも付属しているようだけど、あれもなくていい。ソフトだけにして、とにかくコストダウンを考えてほしい。もっといえば国が援助して学校教育の場に導入を進めてもいいんじゃないか。これは科学教育という意味からも大きいと思うのだが、どうだろう。つまり生徒たちが持ち寄った試料を拡大すると、実は複雑で繊細なミクロワールドが広がっているってことを目の前で体験できれば科学への興味もわくというもんだ。その効果は光学顕微鏡の比じゃないよ。

 私としても、この顕微鏡があれば、観察してみたいものはいろいろある。やはり一番は生物試料だな。


2007年6月22日(金)
朝日新聞の投書に唖然
 今日の朝日新聞朝刊の投書欄に「母の熱を下げてくれたナメクジ妙薬」なる投書が掲載されていた。肺炎に罹った母親にナメクジをすりつぶし水を加えドロドロして数日飲ませ続けていたところ、熱が下がって危機を脱したとあった。一読して、これはまずいだろうと思った。昔からナメクジを使った民間療法は、いろいろある。だが現在では広東住血線虫などの寄生虫がいる可能性があるので生のまま口に入れるのは危険とされている。投書を寄せたのは90才の男性。この知識が誰かの役に立てばいいと思い、わざわざ手紙を書かれたのだろう。だから、この人を責める気にはなれない。だが大いに呆れるのは、この投書を何の疑問も感じずに掲載した新聞記者である。この民間療法を新聞で紹介しても問題ないのか。ナメクジが肺炎に効くことに科学的な根拠はあるのか、新聞記者なら、それくらいのこと思い浮かばなきゃダメだろう。広東住血線虫というのを知っているかどうかの話ではない。「これは専門家に確認してから掲載しよう」そう考えられない新聞記者が実在していることが信じられない。

 朝日新聞といえば「ジャーナリスト宣言」ってテレビでCMやってなかったっけ? ジャーナリストって真実を追究するプロじゃないのかね。まあねぇ、世の中にはジャーナリストと名乗っているわりにショぼい主張をしている人もいるもんな。特に科学に関わる話では、それが顕著だから今さら驚かないけど。

 それに薬効があるかないか簡単にいえることではない。肺炎の熱が下がったのは本当にナメクジの成分が効いたのか。投書には「医者から手厚い治療を受けていたのに高熱が下がらなかった」とあるが、治療の効果がすぐに現れるとは限らない。効いたのは医者の治療の方だったのかもしれない。ナメクジを飲んでなくても熱は下がった可能性だってある。熱が下がったこととナメクジを関連づけるには根拠が必要であって、それがなければナメクジに薬効があるとはいえない。ナメクジに含まれる成分が肺炎に効いた可能性もなくはないが、寄生虫に感染するリスクを考えれば、治療法として問題があることに変わりないのである。この投書を読んだ肺炎患者が、早速実践していなければいいのだが…。

 なお朝日新聞の内容は、大阪本社版などでは異なることがある。そのため東京本社版以外には、この投書は載っていない可能性もある。


2007年6月17日(日)
サイエンスZERO
 NHK教育テレビ「サイエンスZERO」は比較的よく見る番組だが、昨夜の「驚き!江戸のテクノロジー」には感心し通しだった。当時の科学技術が、我々の想像よりはるかに進んでいたことを紹介する内容で、有名な鉄砲鍛冶が造った反射式の天体望遠鏡は、現在でも難しい技術で金属鏡素材を造り、現在に匹敵する精度で鏡面を磨いていた話や、自分たちで高度な数学(和算)の問題を作って解くのが全国的に流行っていた話など、驚きの連続だった。また当時市販されていた小型の望遠鏡にもびっくり。レンズをはずすと、その中に小さな虫眼鏡があるのだが、虫眼鏡の焦点部分には針が取り付けられ、そこに観察するものを刺して使うようになっていた。つまり望遠鏡+拡大鏡の1台2役というわけ。現代でも通用しそうな、そんな光学製品を一般の人が普通に使っていたという。

 江戸時代といえば、現金を運ぶ飛脚もいたという話を以前、別のテレビ番組でやっていた。脚色された時代劇しか知らない我々から見れば飛脚がくすねたり、追いはぎに盗られたりして届かないことも多かったんじゃないかと想像してしまうが、実は確実に届いていたという。江戸の街には木製の水道が整備されていたというし、進んだリサイクル社会だったというのも有名だが、科学技術の方もかなりのレベルというのがよくわかった。古い時代というのは何事にしても現代より劣っている、と考えるのは愚かなことだ。私たちが学ぶべきことはたくさんある。この番組を見て、つくづく江戸時代の人々のすごさに頭が下がる思いがした。

 番組の再放送が6月22日金曜日の夜7時からあるので、興味がある人はぜひご覧になるといい(BS2でも21日深夜に再放送あり)。

NHKのサイトに「サイエンスZERO・江戸のテクノロジー」の番組内容の紹介があります。


2007年6月9日(土)
17年ゼミの新聞記事にはうなった
 今月4日の朝日新聞夕刊にアメリカに生息する17年ゼミのことが記事になっていた。17年ごとに大発生するセミなのだが、今年がその発生年にあたり、70億匹の発生が予想されているという。その話もすごいのだが、一番興味をひいたのが、なぜ17年かということ。実はアメリカには13年ゼミもいるらしい。どちらもなぜ素数なのか。それについて静岡大の先生が解説されていたのだが、それを読んで思わずうなってしまった。つまり素数だと発生年が他のセミと最も重複しにくいからだという。同じ年に発生すると生育環境が競合する上に、交雑が起きて体内時計が維持できなくなるおそれもあるという。その頻度が最も少ないのが素数というわけ。11年では成長に時間が足りず、19年では長すぎるという。それで13年と17年で、いわば時間差による棲み分けができたらしいのだ。

 もちろんセミが素数を意識していたわけはないが、生物の進化とは何と巧みなのだろう。人間の体内の精緻極まるしくみにも舌を巻くが、これが自然に生じたとは…。言葉を失い、もはやうなるしかない。


2007年6月1日(金)
無題
 先週から今週にかけて、本サイトを見たという新聞社やテレビ番組制作会社などから数件のメールをもらう。テレビ番組に使うので写真を貸してほしいとか、ご要望はいろいろ。それぞれは、何の関係もないのだが、なぜかそんなメールが連続した。可能な範囲で協力したり、断ったりする。
 さて今週はずっとデスクワーク。今はまだ31日夕方だが、これからまた取材に出る。週末はなんとか天気がよさそう。


2007年5月28日(月)
先週の取材
 先週も天気に恵まれ、取材に奔走。新緑もきれいで、開花の具合もよかった。最終日、行程3時間ほどの山から下山してみると、まだ10時。近くの別の山で新緑の進み具合を確認し、登山口周辺のブナ林をまわることにする。ところが、行ってみると新緑まっさかりで、すごくいい感じ。実は10日前にも取材が終わった夕方、様子を確認しに来たのだが、その時とは打って変わって緑が進んでいて、登山口周辺だけで帰るのはもったいないと思った。翌日からは天気が下り気味になりそうだし、次の取材時にまわすと緑が濃くなり過ぎる可能性がある。その山の中腹を越える峠にある登山口に車を停めて、資料で山頂までの時間を再確認したところ充分往復できそうだったので、急遽登ってくることにした。コース中にほとんど雪は残っていなかったが、山頂手前には驚くほど多量の残雪があり、新緑と残雪の山を堪能した。下山後、そのまま高速に乗り帰宅。

 週末は単行本の校正作業があったので、ずっとデスクワーク。一度取材に出ると、しばらくは早起きになるので午前中が長い。1日のうち同じ時間を使うのに夜更かしよりも早起きの方が、なんとなく得したような気になるのは不思議だ。


2007年5月21日(月)
また取材に出ます
 この日記を書いているのは、正確には20日の夕方だが、これからまた数日間取材に出る。ネットや電話で各地の様子を確かめると、地域によっては例年よりも開花が遅れている場所もあるようで予定が狂った。しかし、この時期は一年間で一番山が美しい時期。加えて最高の花の季節でもある。数日間は晴れそうなので、場所を選べばいい取材ができそうな予感。でも、またまた日焼けしそうだ。

 週末はこの取材に出るため、雑誌の校正作業を集中的にやって宅急便で発送しておく。いつもデスクワークと取材のやりくりに頭を悩ませているけど、こればかりはいい解決策はないだろうな。


2007年5月14日(月)
ジッツオの雲台が壊れた
 先週はずっと取材で長野、新潟方面をまわる。天気はよく、新緑もすばらしかったのだが、両県にまたがる斑尾高原でジッツオの雲台が壊れるという予想もしていなかったアクシデントに遭遇。何度も強く締め付けていたため、ついに金属疲労でネジ山が破壊されてしまったようだ。まったくネジがバカになって、くるくるまわるだけ。ブレないように普段からきつく締めていたのだが、締めすぎていたのかもしれない。ただ雲台が壊れたのは、ほぼ取材が終わりかけの段階だったので、大きな問題には至らなかった。車には別のジッツオの雲台を積んでいたので、それと交換して、その後の取材も無事にこなした。だが、これが山の上だったらと思うとゾッとする。35ミリカメラは手持ちでも撮影できるが、67の方は三脚なしでは厳しい。不幸中の幸いだった。


2007年5月7日(月)
最近のニュースで感じたこと
東国原宮崎県知事について

 県知事になろうという志は立派なものだが、政治家としてどうなのか、というのはまったくの未知数。話題になるのは当然なんだろうけど、まわりがチヤホチし過ぎ。確かに宮崎のセールスマンとして話題作りには成功しているが、それ以外のことはまだ何もしていないに等しいし、本当に有能な政治家かどうかもわからない。それなのに宮崎県民だけでなくて多くの国民が、何をもって拍手しているのか私にはまったく理解できない。その一方で世間では政治家に高すぎる期待をし、自分が満足できなければそれだけでダメ出しする人も多い。何だか極端なんだよね。石原都知事の四男問題は、確かに誤解を招くのでよくないとは思ったけど、それだけで石原都政はダメっていうのもねえ。石原さんの実行力はかなりのものだし、トータルで見れば評価すべき要素の方が多い。3選させた都民の判断は正しい。官僚や国会議員出身者とかじゃなくて新しいタイプの人ということで東国原さんに期待した宮崎県民の気持ちもわかるけど、まだ拍手する段階じゃない。そのうち、いろいろなことが見えてくるようになると今は拍手している人の知事に対する評価も次第に変わるだろう。


アメリカが騒いでいる慰安婦問題

 あまり触れたくない話題だが、第二次大戦中に日本の一般市民を大量殺戮してきたアメリカに人権問題として日本を非難する資格があるのだろうか。空爆や原爆によって非戦闘員である一般市民の大量殺戮を繰り返すことほど、究極の人権侵害はない。イラク戦争では、武装勢力とは何の関係もない一般市民をミサイル攻撃で殺してしまったあと「武装勢力をかくまっているという情報があった」と弁明に終始していたが、「戦争を早く終わらせて自国兵士の犠牲を最小限に留めるためには、イラク一般市民の犠牲もやむを得ない」と、原爆を使用した理由と同じことをいったらどうなんだ。

 日本政府が反論したことに関して、この問題で騒いでいるホンダ議員は「それならほかの多くの国が間違っていることになる」といっていたが、日本政府の反論には直接答えず、なんだよ、それ。多数意見が間違っていることだってあるのだから日本政府の反論が間違っているというのなら、そのどこがどう間違っているのか、きちんと説明すべきだろう。それなのにこんな遠回しの反論しかしないところを見ると、要は反論できなかったのではないかと思われても仕方ない。最近になって日本政府の主張も認めた報告書が議会に提出されたようだから、少しは流れも変わるだろうが。

 慰安婦はなかったというつもりは毛頭ないし、日本政府として謝罪のコメントを出すのは、まあいいんだけど、アメリカの新聞から二枚舌と批判された安倍さんが、いいたかったことは当然はっきり主張すべきことと思う。私は安倍さんが二枚舌だとはまったく思わない。そのあたりのことをごっちゃにして、アメリカや中国、韓国のいうことを安易に認めるようなことはするべきではない。謝るべきことを謝るのは当然だが、日本人っていうのはある意味、ホントにお人好しだから、認めるべきでもないこと、あるいは本当に認めるべきなのかどうかはっきりしていないことまで、曖昧なまま認めて謝ったりするんだよね。中国や韓国、北朝鮮なんて国は「真実として認めるべきことでも、自分たちが認めたくないことは認めたがらない国民性」。そんな国に他の国と同じように接する必要はない。


2007年4月28日(土)
ウィルス対策ソフトの対策で疲れた
 2月頃にそれまで入れていたウィルス対策ソフトの2007年版を新たに購入してインストールした直後からエラーメッセージが出るようになった。忙しかったので、しばらくそのままにしていたのだが、ここ数日、再インストールしてみたり、メーカーに問い合わせて、いわれる通りにやってみたりしたのだが、やっぱり同じエラーメッセージが出る。う〜ん、お手上げ。再度メーカーに問い合わせてもいいんだけど、なんだか疲れてめんどうになってきた。昨日の人は中国か台湾の人だったみたいで、日本語はおおむね流暢だし、「このファイル削除するあるよ」なんてマンガみたいなことはいわなかったけど、時々話が微妙にズレる。「日野と申します」といったら「ヒノトさんですね」っていう具合。外国語である日本語で、あれくらい技術的な説明ができれば大したものなんだけど。諦めて別のウィルス対策ソフトと入れ替えるかな。
 ところで広島からは21日に戻ってきた。今週はほとんどデスクワーク。週末の連休も原稿書きが1本入っているので仕事。ゴールデンウィーク明けには本格的に取材に出る予定だが、もう4月末というのに、この肌寒さ何なんだろう。山も寒いかな。
 

PS
広島で撮影した写真を少しご紹介。1枚目は、うちの庭にあるカリンの木。昨年はほとんど花をつけなかったのに今年はこんなに花が咲いた。秋にはいっぱい実をつけてくれそう。



2枚目は池の段から見た比婆山。御稜がある山頂だけ黒い染みのように木が茂っているので、容易に比婆山とわかる。周辺を覆うブナも芽吹きはまだ先になりそう。この日は立烏帽子山の駐車場から、立烏帽子山と池の段をぐるっとまわっただけ。始めガスっていたが、すぐに青空が広がる。比婆山にゆかりのある私が来たので、急遽、山の神が雲をどけてくれたのかも。





2007年4月3日(火)
新しい車で広島へ
 2月24日の日記に書いた新しく買い換えた車は、予定よりも半月も遅れて先月末にようやく来た。メーカーのサイトを見ると2月の受注は当初の目標の3倍以上もあったとか。しかも私はオプションをいろいろ注文していたので、そんなこともあって遅れたのだろう。その新車に乗って、今夜自宅を出て広島の実家へ帰る。取材を兼ねて2週間ほど滞在の予定だ。
 ところで14年間も乗った前の車は、その前日、これまでの労をねぎらう意味で外側も室内もきれいに掃除してやった。新しい車に乗れるのはうれしいが、反面、愛着ある古い車のことを思うと一抹の寂しさも。思えば14年間で北は北海道から南は鹿児島まで、ホント日本全国あちこちに行ったよなあ。トラブルに困らされたこともあったけど、長い間、ありがとな。最後に先代の車の記録を…

○最北端 北海道稚内市・宗谷岬
○最南端 鹿児島県屋久町尾之間〜湯泊
○総走行距離 271050km
○乗車期間 1993年3月〜2007年3月

○主なトラブル 
 その1/南アルプス深南部の夜の林道を走行中に石で腹をこすった直後、「ガラガラ」という異常音が。仕方ないので路肩に停めてジャッキアップしたところ、シャフトの軸受けが曲がっていたので元に戻す応急処置をした。するとヒタ゜リと音が止んだので帰宅後も、しばらく修理せずに乗り続けた。 
 その2/秋田県の山岳地の悪路を走行後、山麓でオイルがもれていることに気づく。近くのガソリンスタンドで相談したが対応できないとのこと。紹介してもらった修理工場はほんの15分遅れで営業時間に間に合わず。翌日からは休日だったので、そのままにもできず大変困った。そこで試しにオイルタンクのキズ口に瞬間接着剤を無理矢理に流し込むとウソのようにオイルもれが止まった。補強のためガムテープを上から2重3重に貼って修理完了。タンクは後日、新しいものに取り替えた。

 その3/長野県飯田市の市街地を夜に走行中に急に動かなくなる。JAFを呼んだが、現場で修理はできないとのこと。ゆっくりなら何とか動くので、近くのディーラーまで先導してもらったが、すでに閉まっていた。そのまま店の前で車中泊して翌朝最初に出社した人に事情を説明。問題の部品は運良く松本の部品倉庫に在庫があったとのことで、その日の夕方には修理が終わった。

 その4/埼玉県秩父地方の山奥で、バックができなくなる。大事な取材があったが、これでは取材できないので、広い駐車場でぐるっとまわって今来た道を自宅へ戻った。自宅の駐車場は普段バックでしか入れない位置なのだが、何とか直進で入庫させる。バックして入れ直すことはできないので一発勝負だ。というのも、その日は休日だったので、すぐに修理工場の人に取りに来てもらえない。そのため休み明けまで隣の車に迷惑にならないように停めなければならなかったからだ。取材の方は後日、再度、代車で行った。

 その5/青森県白神岳登山口で下山したらバッテリーが上がってエンジンがかからなくなる。近くの人に頼んでバッテリーをつないでエンジンをかけさせてもらった。

 その6/茨城県筑波山麓の田んぼの中の狭い未舗装道路を走行中に脱輪。まわりは一面、田んぼが広がり、人家は遠く人もいないし、まだ携帯を持っていない時のことで、どこに行けば公衆電話があるかもわからない。そんな折、たまたま自転車に乗った茶髪の不良っぽい少年が通りかかり、「脱輪したんですか」と声をかけられる。見た目よりも親切な少年で、彼が教えてくれた修理工場まで15分くらい歩いてレッカー作業を頼みに行く。それで、ようやく引き上げてもらった。彼に出会わなかったら、もっと時間がかかっただろう。

○交通違反 スピード違反は、中央道、関越道、広島市、秋田県で各1回。ほか駐車禁止や追い越し禁止区間での追い越しなどは東京都千代田区、群馬県などで3〜4回。
○車中泊した回数 不明だが、相当数になるはず


2007年3月14日(水)
近況+インフルエンザ
 このところ忙しくて3週間も更新しなかったので、たいした話題はないけど日記でも書いておくか。この3週間はずっと仕事漬け。まだ完全に区切りはついていないが、大きな仕事のひとつが今日、手を離れた。初夏頃に刊行となる予定の本で、5年前にスタートし、取材だけでも丸々2年もかかった企画。これから校正作業が残っているが、一番の山場は越えた。

 ところで話は変わるが、今年は今頃になってインフルエンザが流行しているらしい。実は昨年2月にインフルエンザA型にかかって数日ダウンしたので、今シーズンは病院に行って、インフルエンザの予防注射を打ってもらった。これで感染する可能性は低くなるし、仮に感染しても軽くてすむ。注射自体は別にどうってことはないんだけど、わざわざ病院に行って、そのために延々と順番を待つのもいやだな〜となかなか行く気にならなかったのだが、12月初旬のある日、ようやく重い腰を上げて行くことにした。受付で体温を測られ、待合室で待っているとすぐに自分の名前が…。診察室へ入ると、何の説明もなく「インフルエンザの予防注射ね。はい、腕まくって」といわれ、注射を終えて受付で料金を払って病院をあとにする。病院に入ってから出るまで、たったの5分(笑)。確かに空いていたというのもあるのだが、あまりに早かったので、拍子抜けした。ちょっとくらいは予防注射の注意点とか説明してほしかったなぁ。注射程度なら早いに越したことはないから、まあいいんだけど。


2007年2月24日(土)
車の買い換え
 1993年に購入し、以後14年間も乗り続けたわが愛車だったが、ついに買い換えることにした。これまでも検討しなかったわけではなかったが、今の車は車中泊がしやすいように後部座席に網戸を自作して取り付けたり、ほかにもいろいろと工夫を加えており、車を買い換えるとそれをゼロから整備しなおさなければならないということが大きかった。加えて「これだ!」といえるほど、ほしい車が見あたらなかったこともある。何年か前に候補として考えた車はあった。だが、購入を見送った最大の理由は、後部座席の窓を全開にできない点。車中泊で網戸にして寝ることが多いので、全開にできないのは致命的だ。条件が揃った車が出てくるまで中古車で中継させようかとも思ったが、それでもやっぱり惹かれる車はない。結局、今のオンポロ車を乗り続けることになった。

 14年間で走行距離は271000キロ。今回、購入することになったディーラーの営業マンにそのことを伝えると「それはすごいですねぇ。私が知る中でも、かつて30万キロという車がありましたけど、それに次いで二番目ですよ」といっていた。これほど長期間乗ってやれば、車も本望だろう。

 プライベートでしか乗らなかった時期から一転、仕事のため乗るようになると走行距離もぐんぐん増え、また仕事の性質上、悪路を走ることも多くなった。取材は、まさに車なくして成り立たない。フリーになって以降のことを思い出すと、愛着ある今の車を手放すのは抵抗もある。しかし14年前というと、エアバックも高級車にしか装備されていない時期だから、当然エアバックはないし、今は走行には何の問題もないが、次第に故障頻度が上昇することも想像される。さすがにそろそろ限界だろう。だが買い換えを決めた最大の理由は、ようやく惹かれる車が発売されたことだ。一昨年くらいから候補として考えていた車がフルモデルチェンジして発売されるという情報があった。一時、昨年2006年内に出るという話もあって、ずっと期待していたのだが、のびのびになり、ようやく今春発売となった。後部座席の窓も開くし、そのほかの条件もほぼクリアしていたので、飛びつくように購入を決めた。しかも、ありがたいことにオプションで網戸もあったので、作り直す必要もない。これは、もう文句のつけようがない。これまで今の車の担当営業マン(東京のディーラー)にも、広島の実家近くのディーラーの営業マンにも、後部座席の窓が開かないのはダメだとか、網戸をなぜオプションで作らないのかとか、さんざん意見しておいたので、もしかするとそれが少しは効いたのかも。唯一残念なのはテーブルのオプションがなかったことだが、これはそのうち取り外しが可能なものを自作しようかと思っている。普通の人と比較すると、車の購入を決める条件はかなり違うんだろうなあ(笑)。

 今月前半、購入のためのもろもろの手続きをすませたので、来月中旬には新しい車が来るのだが、今の車よりひとまわり大きく、慣れるまでしばらく時間がかかりそう。悪路を走る機会が多いので当然4WDだが、なるべく狭い山道とかは走らないようにしたい。今の車は張り出した木の枝が車体をこすろうが、石を跳ね上げて当たろうが、まったく意に介さなかったのだが、さすがに同じことはできないよな〜。


2007年2月7日(水)
連載
 ずっと続けていた雑誌の連載がついに終わることになった。今月頭に発売になった号で最終回。2000年に始まり、約7年弱。計78回もの長期連載だった。今月から原稿を書かなくてすむわけだが、肩の荷が下りたような、でもちょっと寂しいような複雑な心境。そういえば、この連載のお話しを頂いたのは、群馬県の山にいた時だった。林道を下山中に携帯電話で家の留守電を確かめるとメッセージがあったので、その場で編集部に電話を入れた。すると「連載をしませんか」というお話し。詳しい内容について林道の路肩に腰を下ろして山の風景を眺めながら聞いたのが、昨日のことのようだ。あれから毎月毎月書き続けてきたわけだが、今思えばネタが尽きないようにするのが一番大変だったかも。とにかく、この連載のお陰でいろいろなところに行けたし、取り上げた信州のある施設が私が書いた記事をそのまま転載してホームページで紹介してくれたこともあった。また何より私自身の勉強にもなった。ともかく貴重な機会を与えてくれた出版社に感謝したい。


2007年1月22日(月)
最近のニュースで感じたこと
不二家のこと

 工場で新しい材料を次々に積んで、上から順番に使っていたという。しかも下の方の材料を使うときは賞味期限を確認していなかったとか。う〜ん、怖っ! でも、似たようなことは日常生活でもある。例えばレストランや喫茶店のテーブルに置かれた砂糖や調味料入れ。出すところが上にあって、下から継ぎ足すタイプの容器は、古い方から使っていくから問題ないが、上から出して上から継ぎ足す容器では同じことが起こりうる。砂糖や調味料はあまり賞味期限に神経質になる必要はないだろうし、液体なら混ざり合うから多少安心できるが、そうでなければ下の方のはいつのものかわからない。たまにカレー専門店とかで福神漬けなどを容器に常備して自由にとれるようになっているお店があるが、あれも下の方は大丈夫なんだろうか、っていつも思っていた。お店の人も空にしないように注意して頻繁に継ぎ足しているはずだが、それが逆に怖い。底の方のものはいつまでも使われないまま古くなっている可能性があるからだ。もちろん、それはお店に限らず家庭でも同じ。入れる部分と出す部分が同じ容器では、時々完全に使い切るか、入れ替えるときに下の古い部分と入れ替えるくらいのことも必要だろう。

 それにしても不二家は立ち直れるのだろうか。きちんと衛生管理してまじめに働いていた従業員の人は気の毒だが、これほど次々に問題が発覚すれば、消費者の信頼が元に戻るのはかなり難しいと思う。明らかに雪印と同じ道を歩みかけている。

 食の安全というのは、実はいろいろなところに落とし穴がある。大学生の時、微生物学実験で、大学近くの弁当屋で買ったおにぎりをサンプルにして雑菌の培養をしたことがある。その結果はびっくり。予想に反して色とりどりのコロニーがシャーレの培地上を埋め尽くしたからだ。ほかのサンプルよりもひどく、その弁当屋の衛生管理に疑問を感じざるを得なかった。食中毒を出していないからといって衛生管理がしっかりしているとは限らないのだ。同じ弁当屋のおにぎりのうち、梅干しの具のものはほかの具よりも雑菌は少なかったが、これは梅干しが酸性であることによって雑菌の繁殖が抑えられただけのことで、弁当屋の衛生管理の善し悪しとは無関係だ。このように表に出てこないだけで、不十分な衛生管理しかしていない食品会社や店舗は結構あるのではないか。


「あるある大事典」のデータ捏造

 データ捏造というのは論外だが、消費者ももう少し賢くなった方がいい。以前から「あるある大事典」に限らず、テレビであれが身体にいい、これが身体にいいとやると、すぐに飛びついて、スーパーで売り切れることが何度も繰り返されてきた。でもそれはテレビで取り上げた直後だけで、数日もすれば落ち着き、やがては話題にもならなくなる。数年前にはやはり「あるある大事典」で、皮付きピーナッツがいいと紹介された翌日、スーパーの皮付きピーナッツの棚が空になっていたことがあったが、今ではまったくそんなことはないどころか、身体の何にいいのかさえ忘れ去られている。それは、いかにテレビの情報に煽られているかということだし、そこから見えてくるのはあんまり賢くない消費者の姿だけ。栄養というのは、バランスを考えることも大切なのに、テレビの情報だけしか目に入らず、それに一直線っていう人が多いのには困ったものだわ、まったく。

 今回はダイエットに関わる情報だったから余計に注目を浴びたのだろうけど、特定の食品が身体にいいというテレビの情報に煽られるのはいい加減やめたらどうなんだろう。結局、どの食品にも身体にいい成分が含まれているということであって、つまり、いろいろな食品をバランスよく食べるのが一番大切なことなのだ。それに、そろそろ気づこうよ。


2007年1月13日(土)
クズの籠作り
 年が明けたあとも、しばらく仕事続き。今週に入ってようやく落ち着く。遅ればせながらの休息日。まだ広島の実家にいるので、年賀状も見ていない。返信は来週早々帰宅してからになりそうなので、それまでどうかお許しを。
 さて今日の午前中は、裏山から取ってきたクズのつるを使った母の籠作りの手伝いをした。わが家では昔からクズの籠を折に触れて作って利用してきた。結構耐久性もあって、20年前に作った籠もいまだに使っているほどだ。数日前にもひとつ作り、今日のは今年に入って2つ目。作り方は以下の通りだ。


タテ・ヨコ3本ずつくらい(本数は籠の大きさによって増減させる)のつるを十字に交差させるが、互い違いに編んでいくためには奇数にする必要があるので、半分の長さのつるを1本加える。ひとりで編むときは十字の上に重石を置いておくと編みやすい。こうして縦糸となるつるの間を、横糸となる別のつるでぐるぐる編んでいく。


半分ほど編んだところ。つるが足らなくなれば、末端は内側にくる位置でそのままにして、新しいつるを続けていく。


クズの籠が完成したところ。今日作ったのは取っ手のないタイプにしたが、左右の縦糸数本をそのまま残して上で束ねてつるで巻けば取っ手をつけることも簡単。取っ手をつけない時は、縦糸を互い違いに編み込んで縁を処理してもいいし、数センチ残して切り、上のようにつるでかがってもいい。

 
花の鉢を入れると、ますます籠が生きてくる。野趣を感じさせるので、ゆがんでいたり、隙間がある方がいい。右は取っ手のあるタイプ。


2007年1月2日(火)
年末の寸景
 ほとんどどこにもいかなかったので絵になるものはないが、帰省した26日以後に撮影した写真を掲載。
 29日は西日本各地でも雪が積もったようだが、広島でも数センチの積雪があり、わが家の庭木もうっすら雪化粧した。

 ところで一般に広島は温暖な気候と思われているが、他の地方の人が想像するよりは雪が降る。広島県の年平均気温は東京都のそれよりも低いなんて誰も思わないだろう。しかも県北には信州あたりのスキー場に匹敵する集客力のあるスキー場もある。規模や積雪量は負けるだろうが、周辺にある競合スキー場の数が限られている上に九州地方のスキー客までも広く集めるのが、その理由だ。高速道路が整備され、九州北部からなら広島県のスキー場は日帰り圏内。県北を通る中国自動車道が、それに大きく貢献しているのは間違いない。赤字路線にも、かろうじて存在価値はある。費用対効果の程度はともかく。




30日は用事があって広島市中心部へ出かける。この日は気持ちのいい快晴。デパートなどが並ぶ八丁堀〜立町付近から見上げれば、ビルの上空は青空が広がっていた。写真は東急ハンズ広島店付近。


写真がブレちゃったけど広島の地下街・シャレオ。朝早いこともあってか、この閑散ぶり。名前に負けずおしゃれなブティックが多くて、そんなものに興味がない私にとって魅力は今ひとつ。以前の方がまだよかった。


広島だからカープとサンフレッチェ。本通り商店街にて。


実家から市中心部へ行くときに通過する広島市立基町高校(写真左の建物)。県立国泰寺高出身の私としては、まるでどこかの大学キャンパスを思わせるような基町高校前を通る度に釈然としないものを感じる。まあ、県よりも市の方がお金があるということなんだろうけど(今はどちらも財政難だろうが)、かつては同じ総合選抜グループ「市内六校」だったのに何なんだよ。この違いは。でも卒業したあとのことだから、どうでもいいことなんだけど。


どうでもいい話は置いといて、最後に実家の寸景を少々。早くも満開になったロウバイ。梅もロウバイも、春を連想させるその匂いが好き(左)。園芸植物は冬でも花をつけて健気だわ(右)。


わが家のクリスマスリース(若干時期はずれ)。この写真を撮影したあとに正月飾りに変わった(左)。すっかり葉を落とした庭のブナ(右)。



2006年12月25日(月)
帰省します
 今月はいろいろ忙しかった。思うように作業が進まずに各方面に迷惑をかけてしまった。で、この2連休もパソコンに向かってずっと仕事をしていたし、それでもまだ年末年始の休みのうちにカタをつけなければならない仕事をかかえている。
 例年、正月休みは帰省しないのだが、今年は帰省することにした。カレンダーの関係から年明け後の休みが長いこともあり、行き帰りに時間がかかるとはいえ実家で仕事をする方がいろいろ効率がいいからだ。なにより食事のことを考えなくてすむのは大きい。というわけで今夜、自宅を出て、いつものように車で帰省する。広島まで8時間半という道のりはちょっとうんざりだが、何度も車で帰っているのである程度は慣れてしまった。
 このサイトの次回更新は年明け後になると思うので、少し早いけどみなさん、よいお年を!


2006年12月23日(土)
奇妙な夢
 昨夜、奇妙な夢を見た。自分はなぜか大型客船のデッキらしき場所にいる。もう薄暗い時刻で、見上げると黒い雲が立ちこめている。手に持っている袋にはドーナツのようなお菓子があり、それを食べようとデッキの縁に行くと、一転場面が変わり、まるで未来都市のような立体的な都市を見下ろす場所に立っている。すごくチマチマした建物群と、その上空を列車のようなものが移動しているのが見えた。すると後から流暢な日本語を話すリンカーン(でも髭はなかった)に似た白人から話しかけられる。そもそも夢に出てくる人の顔までリアルに見えることは少ない。特に見ず知らずの登場人物なら、なおのこと。だが、この人の顔はなぜかよくわかった。そのあと一度目が覚めた。仕事部屋の電気を付けっぱなしにしたままだったので、電気を消してトイレに立ち、再び床についた。すると不思議なことに夢の続きが始まった。今度はその都市に降りているのだが、そこは見たこともない都市で、グレーとブルーに塗り分けられ、上部に四方向にアームがついた円柱形の大小の塔が並んでいる。未来的といえば未来的だが、あり得ないほど遠い未来ではないという印象の、整然とした美しい都市だった。そのあと場面が変わり、今度は丸っこい交通機関に乗った。それは複数の線路が何本も並行して並ぶ道路を、ウーンという電気自動車のような音が出しながら、すごいスピードで移動して行く。前方にコンテナ車のようなものが方向転換しようと道路を塞いでいると、あっという間に隣の線路に車線変更。その後も目にもとまらないスピードで追い越し、車線変更を繰り返していく。見ていて、その運転技術に舌を巻く一方で、事故を起こさないか心配になるほど。夢はこのあともまだまだ続いて、長いストーリーだったような気もするのだが、後半の記憶は曖昧だ。

 私は夢をよく見る。だが、これまでにこんなSFチックな夢を見た記憶はあまりない。最近、SF映画を見たわけでもなく、なんで突然こんな夢を見てしまったのか。夢というのはしばし無茶苦茶なストーリー展開をするものだが、印象に残るほどの夢を見ることは少ない。昨夜の夢はしばらく記憶に残ることだろう。あの近未来的な都市の映像を、ここで示せないのは残念だが、仮に意識がある時に想像して描こうとしても、あのような絵は思いつかないだろう。大脳の能力の中には、夢の時の方が優れていることもあるんじゃないか。それにしても、あのリンカーン似の白人、誰だろう。記憶にないが、いつかテレビで見た人なのかなぁ。

 
2006年12月8日(金)
最近の日課
 毎年、冬の間は運動もせず部屋にこもりっきりで仕事ばかりしてきたのだが、肩こりはひどくなるし、健康にも悪そう。確かに今話題のメタボリックシンドロームも気になる。そこで先月末から毎日、昼食のあと近所を軽いジョギング+散歩で30分ほどまわるようにした。まだ始めてから1週間程度だが、無理せず適度の運動量で抑えていることもあって、なんとか日課として定着しそうだ。少し汗をかいて家に戻ってからシャワーを浴びると、午後の仕事も効率がよくなるし、夕食の食欲も出てくる。

 ここに引っ越してからほとんど近所を歩いてみる機会はなかったのだが、少し山の手の方に入ると、のどかな里山が広がっていて茶畑やみかん畑なんかもあって、意外にいい雰囲気。そういえば雑木林にのびる遊歩道や湧き水がこんこんと流れている場所もあった。近所にこんな場所があるとは全然知らなかったなぁ。時にはジョウビタキが目の前で尻尾を振ってくれるし、余計に歩くのが苦にならないのだ。


2006年11月22日(水)
徳島のノライヌ救出劇
 徳島の崖に立ち往生しているノライヌの救出が、たった今行われている。イヌが無事に救出されることを願うが、一方で私はこうも思う。もし、このイヌが崖の途中に落ちなくて、ただのノライヌとして保健所に捕獲されれば、当然やがては殺処分されただろう。ノライヌが崖で立ち往生すればレスキューが来て助けるが、街の中にいたら捕まえて殺すっわけよ。あのような状況に陥っている犬をそのままにできないだろうし、保健所としては捕まえたノラネコ、ノライヌを一生飼育できるわけないから殺処分もやむを得ないと思うが、つくづく人間って、いい加減だと思う。この救出劇に感動している人がいたら、ちょっと想像力が足りないんじゃないの、ってつっこみたくなる。

 映画にもなった『南極物語』。南極に取り残されたイヌとの感動の再会…というわけだが、当時、SF作家の星新一氏は、「喰われたペンギンの立場はどうなる」という感想を述べられている。私もまったく同じ意見だ。タロとジロが南極で何を食べていたのかはわからないそうだが、何も食べずに生きていけるはずはないから本能から何らかの動物を捕獲していただろうことは想像に容易い。当然、その中にはペンギンも入っていただろう。タロとジロが生きていたのはよかったとは思うが、そんなに感動するほどの話かと私は思うのである。タロとジロが取り残されたために喰われてしまったペンギンのことを考えれば微妙な話になってしまう。さらにいえば、これもペンギンだからまだ微妙な話として通用するのであって、かわいくもない動物であれば、「まぁ、喰われても仕方ないんじゃないの。イヌが助かる方がいいよ」ってことになるだろう。

 そもそも世間一般の人というのは、みんながみんな一様に「動物愛護」という顔をしているようで、実はかわいい動物や自分が関心ある動物にしか視点を置かない。徳島のノライヌにしても「かわいいワンちゃんなんだから助けてほしい」という具合。そんな感想をもつのは女性に多いが、それによって「見かけ重視」の風潮に拍車をかけ、さらには自分たちの首をも絞めていることに気づいてもいない。いや、それはさすがに失礼かな(笑)。
 だが「かわいいイヌが困っているから助けてほしい」という理屈は裏返せば「かわいくなければ助けなくてもいい」ということになる。それは、危険にさらされている二人の若い女性に「あなたはかわいいから助けるけど、もう一人のあなたはかわいくないから助けない」というのと何ら変わりない。 

 困っているのがイヌではなくて、トカゲやヘビになると誰も関心をよせないだろう。人間に媚びる(イヌにはその意図はないだろうが)動物には関心を寄せるが、人間に媚びなくて、しかもかわいくない動物には無関心。何なんだよ、っていいたい。そんなのは本当の動物愛護ではない。見かけが悪くてもトカゲやヘビだってイヌやネコと同じように「自分の習性」に従って懸命に生きている。

 ただ、これが害獣や害虫になると難しい問題になるわけで、そのあたりが人間とほかの動物との関係における大いなる矛盾点でもあるのだが、基本的にはすべての動物に対して対等の視線で見るべきだ。

 確かに人間関係では、誰しも自分に身近な人の方が、そうでない人よりも関心を寄せ好意的に見るから、それもわからなくはないのだが、こと動物の問題になると現状は偏りすぎだ。今回のノライヌ救出劇にしろ、『南極物語』にしろ、そんなことが話題になること自体、いかに世間一般の動物観にバランスが欠けているかの証拠でしかない。

 
2006年11月2日(木)
広島大学総合博物館
 一昨日、広島大学の東広島キャパス内に総合博物館がオープンした。立派な自然科学系博物館を有する神奈川県や群馬県には負けるけど、これまで広島県には自然科学系の展示がある公立の博物館がひとつもなかったから国立大学の総合博物館とはいえ少しは前進したといえそう。
 この博物館には私の実家が所有する化石が多数展示されるので、開館式典には両親も招待されて行ってきたらしい。父は仕事が超多忙の最中だったが、何とか半日時間を作ったようだ。式典のあとは、学長や総合博物館長との会食にも招かれ、普通はあまり経験のできないひとときを楽しんだそうだ。

 ところで、これらの化石は専門家にしかわからない特殊なものではなく、誰が見てもその形がわかるものばかり。しかも最も大きいドイツ産のウミユリ化石(1m65cm×87cm)をはじめ、見応えのある大きな標本も多数ある。広島大学の学生に限らず、この博物館を訪れたより多くの人の目に触れることで、少しでも自然科学の理解と発展につながることを願って無償貸与したものだ。これによって我が家が所有する化石標本が、ささやかながらも社会に貢献する機会ともなったし、今回の式典は両親にとってもいい思い出になったことだろう。まずはめでたし、めでたし。

広島大学総合博物館のサイトは→こちら
広島大学のサイト。総合博物館オープンのお知らせにも化石展示コーナーの写真があります。→こちら
また広島大学デジタル自然史博物館のサイトにもうちの化石コレクションの紹介があります。→こちら


2006年9月15日(金)〜10月16日(月)
1ケ月ぶりの更新
 先月13日以降、1ケ月も更新せず「山で死んだか」と思われた人もいたかもしれないけど、残念! 生きてました。しかも絶好調。

 この1ケ月はバタバタ続き。9月15日は山梨で2件取材をし、その足で広島へ。数日広島で過ごしたあと、昨年にひき続き今年も屋久島に行く。島に10日間も滞在し、何とか台風にも遭わずに取材を終える。29日鹿児島から熊本へ。ここで1件取材して翌30日に広島に戻った。

 帰宅後は3本の原稿書きの締め切りに追われ、さらに屋久島分も含めてここ数ヶ月間に撮影した300本以上の取材フィルムが現像から上がってきたので、その整理に没頭(今もまだ全然終わっていない)。広島では仕事の大半が片付いてから、県北の比婆山に休養も兼ねて1日出かけたくらい。10月15日広島を離れ、昨日16日は、快晴の立山黒部アルペンルートへ。午後下山して、昨夜やっと自宅に戻った、というわけ。
 さて、この1ケ月の出来事を写真でご紹介。


最終日、快晴の宮之浦漁港にて。写真右手奥がフェリーが発着する埠頭。午前中は荷物の整理をしたり、のんびり過ごす。目的の取材を無事に終え、あとはフェリーの出港を待つばかり。


屋久島から鹿児島へ。この時期のフェリーは空いていた。昨年8月に乗った時は客席も混雑していたが、今回はガラガラ。でも航送する車は結構いっぱいだった。フェリーから望む夕陽と鹿児島湾。埠頭まではあと少しだ。


地元の神社の秋祭り。この時期に広島にいることは稀なので、実に久しぶり。昔から、わが家ではこの秋祭りには必ず家族揃って出かけるのが恒例だった。今年は久々に私が参加したが、父はこの日の朝、仕事でブラジルへ出かけたので、母とふたりになった。


比婆山はもう秋の気配。六ノ原から望む山頂のブナ林は完全に色づき、出雲峠に続く登山道にはたくさんのヤマグリが落ちていた。首都圏の山なら平日でも多くの人が歩いているが、ここは静かそのもの。採る人もいないので、クリは拾い放題。翌日、秋の味覚としておいしくいただいた。


深夜、糸魚川ICから国道を南下して大町へ。扇沢手前で、クルマのライトにびっくりして慌てて逃げるクマを目撃。その10分後には急に車道に出てきたテンを危うくひきそうになる。扇沢の駐車場で仮眠をとり、翌朝は立山黒部アルペンルートへ。写真は黒部湖畔から望む立山。雄山は雪化粧していたが、黒部平〜黒部湖畔の紅葉は見ごろを迎えていた。


2006年9月8日(金)
クモ捕物劇
 今朝、メールをチェックしようかとパソコンの前に座ると、部屋の壁に体長6〜7センチはあろうかという大きなクモがいるのが目に入った。しばらく目が釘付け。「うわっ、参ったなぁ」。さて、どうやって捕獲するかだ。たまに小さなクモがいると、コップ状の容器を上から被せて、下の隙間に厚紙のようなものを差し込んでフタをし、外に持って行ってご退散いただく。私は基本的に自分に害がある場合は除いて、むやみに殺生はしない主義。この手の徘徊性のクモは巣を張らないのでほとんど害はないが、さすがにこれほど大きなクモが部屋にいたのでは安心して寝れない。いくら刺すことはなくても気持ち悪い。

 今回も、まずは空になった2リットルペットボトルを真ん中で切断して、それで上から被せようとすると、スルスルと逃げてしまった。本棚の裏に入りかけたので、本棚を揺すって再び外に出させ、仕方ないので最終兵器・掃除機の出番だ。ハエでもそうだが、こうした小動物は強い空気の流れで自分が吹き飛ばれそうになると、本能からその場にしがみつく。すると余計に掃除機で吸い込みやすくなる。実はハエをやっつけるにはハエたたきよりも掃除機の方が確実なのだ。止まったところを狙って吸い込めば、吸引力の弱い掃除機では逃げてしまうが、そうでなければおもしろいように捕獲できる。掃除機をいちいち出すのはめんどうだけどね。
 
こうしてあっけなく御用となったクモを家から少し離れたところで解放してやろうと掃除機の集塵容器を見ると、中でぐったり。さすがに強力な風圧に耐えられなかったようだ。あらら、いつ今しがたまでは、お元気だったのに。合掌。
 そのうちクモが入ってきそうな窓に「クモ立ち入り禁止」という札でも貼っておくか。予想外の捕物劇でした。


2006年8月27日(日)
富山・長野へ
 24日から富山と長野へ取材に行く。天気は比較的恵まれた。26日は立山・雄山へ。当日早朝、山麓は雲ひとつない快晴なのだが、山の方は雲がかかっている。撮影が目的なので登ってみたらガスで真っ白じゃ意味がない。どうしようかな〜。天気予報も微妙で余計に迷ったが、フッと「晴れる」という確信が頭の中に浮かび、よし行くぞと決定。過去の経験から勘が働いたのか、それとも立山の神が耳元で「今日は晴れるよ」と教えてくれたのだろうか。とにかくその確信のもとケーブルカーから高原バスに乗り換え室堂へ上がったところ予想通り晴れていて、立山三山や大日岳もよく見えた。あーよかった。雲の中というのは、どうやら杞憂だったようだ。

 ところで立山駅で乗車待ちの列に並んでいると後にいた60才くらいのおじさんから、いきなり「6時20分け?」と聞かれた。私「はぁ?」。おじさん「し、始発は6時20分け?」。「駅員でもないのに、そんなこと知るけ」と言いたいところだったが、「もう少し早いのがあるんじゃないですか」と答えておいた。おそらく受け取った乗車券の指定が6時20分の便になっていたので、家族ともっと早い便があるのではないか、それには乗れないのか、という話をしていたのだろう。だが、まるで私もその会話に参加していたかのように聞かれてもなぁ。だいたい他人の会話なんか耳をそばだてて聞いてねぇよ。土曜日で混雑していたから当然受付順に便が決まるはずで、これほど順番待ちの人が多ければ始発に乗れるわけがない。実は始発が6時というのも知っていたが、それを含めて説明するのもめんどうくさいので、そう答えたのだ。おじさんさぁ、そういう時は「すみません。始発は何時かご存じですか」って聞くものだよ。いきなり「6時20分け?」には参ったなぁ。まぁ、いいけど。


2006年8月22日(火)
惑星の新定義と惑星探査機パイオニア
 1週間ほど前、惑星の新定義が国際天文学連合総会で提案され、太陽系の惑星が新たに3個増える可能性が出てきたことがニュースになった。24日にその提案の採決がされるという。どういう結果になるか興味しんしんだ。もし新提案が採決されたら、太陽系の惑星は9個から12個に増えることになり、これまでの常識を書き換えなければならない。

 子供の頃、輪をもつ土星をはじめ、天王星や海王星、冥王星という遠い太陽系の惑星の存在にもワクワクした記憶がある。その後、天王星にも輪が見つかったり、木星や土星などで衛星が次々に発見され、知識は次々に書き換えることになった。

 中学生の時のこと。科学雑誌のサイエンスにアメリカの惑星探査機パイオニアが撮影した木星の写真が掲載されていた。それまで木星の写真といえば、地上の望遠鏡で拡大撮影したボヤ〜とした写真ばかりだったのに、極めてクリアな大赤斑の写真。それは強烈な驚きだった。そのサイエンスは、今も実家に大切に保管している。

 一般にはその後打ち上げられたボイジャーの方が有名だが、実はそれより前にクリアな木星の写真を送信してきたパイオニアという惑星探査機があったのだ(撮影したのが10号だったか11号だったかは忘れた。そのどちらかだったのは間違いないと思うが)。パイオニアはむしろ、宇宙人に向けての人類からのメッセージが書かれたプレートが取り付けられた探査機として有名だが、当時、パイオニアが撮影した写真は新聞などにはほとんど紹介されなかったように思う。それはなぜなのだろうか。またボイジャーはすでに冥王星の軌道を越え、太陽系を飛び出した人類最初の人工物になったと思うが、それより先に打ち上げられたパイオニアの方はどうなったのだろう。寿命を終え、今もどこかの宇宙空間をひっそりと旅を続けているのだろうか。今回、この話題でふと鮮明な木星の写真とともに惑星探査機パイオニアのことを思い出した。


2006年8月14日(月)
最近のニュースで感じること
東京大停電

 停電の原因を作ったクレーン船の言い訳。「送電線があるとは知らなかった」。なんじゃそれ。知っているかいないかの問題ではない。自動車事故でいえば、前方不注意ってことじゃないか。知らなかったというのは、何の言い訳にもならない。仮に知らなかったとしても前方をよく見て注意するのは当然だろう。橋の陰になって見えなかったわけでもないのに。万一、見てなくても送電線があるかもしれないってことに想像力が働かなきゃねぇ。


小泉さんの8月15日靖国参拝はあるか

 この日記を書いているのは14日夜だが、明日15日、小泉さんはたぶん参拝するだろう。ぜひ参拝して頂きたいと思う。A級戦犯がどうのこうのといわれるが、たとえそういう問題があっても中国や韓国がごちゃごちゃいっているうちはむしろ積極的に参拝した方がいい。本当は毎月行けばいいんだよ。毎月行っていれば、そのうち中国や韓国も猛反発するのにも疲れてやめるだろうからね。韓国で青筋立てて怒っているおっさんも、何度も続けばそのうち脳の血管が切れて倒れちゃうよ。きっと(笑)。

 分祀するにせよ、国立追悼施設を作るにせよ、そんな議論は中国や韓国が何もいわなくなってからのことだ。そもそも中国なんて国は国益にかなうから「参拝はけしからん」といっているに過ぎない。そんなことにも気づかないで、中国や韓国に配慮した方がいいと主張する人のあまりもの鈍感ぶりに呆れ果てる。日本の国益よりも中国や韓国の国益に沿う発言をしていることに気づいているのかね。小池環境相の「この問題を争点にするのは国益にならない」という指摘はまったくその通り。

 経済同友会の北城氏が「首相の靖国参拝は国益に沿わない」といったそうだが、それは目先のことしか見ていない発想だ。小泉さんは長い目で見て国益に沿うから政治カードにしている中国を無視して参拝しているのだ。重要なのは中国に「歴史問題で日本を脅しても効果はない」と思わせることだ。それが日本の国益に沿うことであり、目先のことにとらわれて中国がいうから参拝をやめれば、ますます中国の思うツボなのだ。中国はいうなればチンピラみたいなもの。金を出させようと脅すチンピラ。それに屈して金を出せば、ますます「あいつは脅せば金を出す」と繰り返し標的にされるが、キッパリ毅然とした態度で拒否すれば「脅しても金を出さない」と、そのうち脅しの対象にされなくなる。中国の主張に配慮するということは、まさにチンピラに脅されていわれるままに金を出すのと大差ない。無視して毅然と対応すること。それによって「日本は外交相手として強敵」と一目置くようになるんだよ。それが本当の国益に沿った対中国戦略だ。


京都の大トカゲ騒動

 京都市の下水道で見つかった大トカゲ。結局、大騒動の末に捕獲されたそうだが、かなり高い確率でペットが逃げ出したものだろう。もし持ち主がわかったら捕獲に要した人件費などすべての費用を持ち主に請求すべきである。どんなペットでも法律で規制されていなければ飼うのは自由なわけだが、絶対に逃げ出させない二重三重の対策もした上で、万一逃げ出した場合の全責任を負う覚悟の上で飼うべきだ。そんな責任も果たせない人間がペットを飼う資格はない。

 それに、どんな丈夫な檻であろうとも都市を崩壊させるほどの阪神大震災のような地震があれば、簡単に壊れてしまう可能性がある。そんな時に危険なペットも一緒に死んでくれればいいが、万一壊れた檻から逃げ出した場合はどうなるのだろう。危険でなくても生態系に影響があるペットの場合も問題だし、危険なペットの場合は被災者だけでなく、救助の人にも危害を加えかねない。危険なペットを飼っている人は、そういうことまでも本当に考えたことがあるのだろうか。考えたことがあるわけねぇよな。考えたことがあれば普通は飼えないよなぁ。そもそもペット愛好家というのは、自分が入れ込んでいるペットしか見えていない、ちょっと「抜けてる」人が多い。こういう思考力・想像力ゼロのバカが日本にはワンサカいるし、そんなバカを問題にも思わない、まわりの大多数のお人好し。どちらも救いがたい脳天気。


2006年8月12日(土)
8月の取材
 今月に入り、ようやく夏らしい天気になり、上旬はあっちへ行ったりこっちへ行ったり取材に奔走。それだけたっぷり日焼けしてしまった。お盆休み中はどこへ行っても混んでいるし、デスクワークも少々あるので自宅待機中。休みが終われば、また取材に行く予定だが、上旬くらいに晴れが続くとありがたいのだが。
 来月後半には昨年に引き続き、また屋久島に行くことになりそうだし、秋は秋で信州など関東周辺でこれまた取材の繰り返しの予定だ。


 
                     





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