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世の中のウソ

番外編
世の中のウソに騙されないためには

 
単なるケアレスミスのような間違いは仕方ないが、世の中には作為的、悪意的なウソもたくさんある。世界的規模で見渡すと、中国や北朝鮮のようにニセモノとウソに満ちた国はたくさんあって、それに比べれば幸いにも日本はかなりマシな方といえるが、それでも細かいところに目をやればウソがいろいろとはびこっている。しかも、それは、一見すると正しく見える巧妙さがあって、ますます気を抜けない。
 こんなウソに騙されないためには何が必要だろうか。残念ながら確実な方法はないが、最低限いえることは、常に批判精神で物事を判断する習慣をつけておくことだ。とはいえ「批判精神」と言葉にするのは簡単だが、容易なことではない。これを実践するには、知識と経験、さらには論理力、想像力、センスなどの要素が必要となるが、あらゆる分野において「知識」が完璧に揃っている人なんて、この世の中には存在しない。従って誰でもウソに騙される可能性はある。しかし、それでも表面的・無思考的にそのまま受け入れるよりも、せめて一度は「批判精神」の思考回路を働かせて判断する習慣をつけておけば、騙されるリスクが低下するのは間違いないだろう。

 さて、「批判精神」とはどういうことなのか。簡単にいえば、ある情報に接したとき、それが本当に正しいといえるのか、よく考える、よく調べるということ。こんな場面を想像してみよう。あなたは、広い部屋の中央に座っていて、そのまわりに無数のカードが置かれている。そのカードには、さまざまな真偽不明の情報が書き込まれていて、大きな文字でわかりやすく書かれたものもあれば、逆に文字が小さくてわかりにくいものもある。あるいは裏向きに置かれて何が書いてあるか、見た目にはわからないものもある。そんな中から判断に必要な正しい情報を選ばなくてはならないとしよう。「批判精神」に劣る人というのは、ほかのカードに目を配ることもなく、目の前にある一番目立つ派手な色づかいのカードを「きっと、これが正しいカードだ」と、深く考えもせずに取ってしまう人といえる。確かに見た目では、いかにもそれっぽい。何しろ一番目立つカードなんだから。でも果たして本当にそうだろうか。念のため、まわりの目立たないカードも見てみよう。もしかすると一番目立つカードの情報が間違いであると断言できる情報が書かれたカードを見つけられるかもしれない。いや、まだまだほかのカードを見ていくと、さらに別の判断をせざるを得ない情報に接するかもしれない。普段、私たちが意識的、無意識的に行っている物事の判断も、これに似ている。

 騙されやすい人というのは、、いろいろな情報に目を配らず表面的な情報に流されやすい共通の傾向がある。また、普段何気なく接するさまざまな情報に対しても表面的な判断しかしない人も非常に多い。例えばマスコミの論調をそのまま受け入れることが多い人。それが本当にそういえるのか、深く検証しない。いかにもマスコミのいってることは正論に聞こえる。だから正しい…という具合。そこには、マスコミはそういうが、本当にそういえるのかという視点はあまりない。いや、一応その視点はあっても、その視点が表面的であれば、やはり結論も表面的なままで終わってしまう。こういう傾向というのは、知識や経験が未熟な若い人に多いようにも思われるが、必ずしもそうとはいえない。年配の人は、確かに若い人に比べれば知識と経験は豊富だが、いくらそれらが豊富でも「ほかのカードにもよく目を配る」という習慣がなければ、判断を誤る可能性は高くなる。年を重ねて自分は知識と経験が豊富だから正しい判断ができるという思い込みと妙な自信ばかりあって、特に年配の男性の場合、ある意味「お山の大将」的な人が多いように感じる。誰かと議論したとき最終的に自分の方が黙って議論が終わったことが多い人、自分なりに分析したことが、その通りにならないことが多い人は、その可能性がないか、今一度、客観的に自分を見直した方がいいと思う。よく考えれば、実はそれほど「ほかのカードにもよく目を配る」ことをしていない自分に気づくかもしれない。そもそも分析には、知識と経験だけでなく論理性が必要であり、自信たっぷりに分析してみせても、その分析の前提となる条件の設定がズレていれば、その通りになるわけがないのである。

 …と、まあ、随分偉そうなことを書いてしまったが、では私自身の判断が常に正しいかとなると決してそんなことはない。あとで自分の判断の甘さに恥じ入ることもある。そもそも普段接するさまざまな情報の真偽を、すべて緻密に検証して判断することなんて不可能だ。誰でも自分にとって重要な情報、関心がある情報から優先順位をつけて考えざるを得ないのは当然といえる。従って優先順位が低くて、それほど深く考えられないことがあっても、それは仕方ないことだ。大切なのは、ある情報が本当に正しいといえるのか、なるべく自分なりの知識と経験、想像力、論理力などでもって、目の前の目立つカードだけではなく、ほかのカードにもよく目を配って判断するように心がけておくことである。私は、決して正論に聞こえる情報をそのまま鵜呑みにすることはないが、自分なりに検証してやはり正しいと判断したことが、あとで間違っていたこともある。ただ、それは最初から鵜呑みにした場合と同じではない。重要なのは、きちんと考えたかどうかなのだ。結果的に間違っていたら、失敗を教訓にして、次に生かせばよい。